歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

いろいろな東京をもう一度巡り歩きたい!千住・三河島・浅草・赤坂・原宿・広尾etc・・・

2016年09月29日 | 歩いて見たい

前回、東京を歩きたいと書きました。

東京は、とても、とても、有る意味で広く?深く?、いろいろな表情があります。

先ずは、何と云っても、「東京物語」での端っこの東京です、堀切駅の周辺です。この辺りは、たぶん、間違いなくほとんど景色は変わっていないと思います。写真は平成4年の撮影。

遠くに見えるのが堀切橋に、京成本線の鉄橋。

空き缶を運んでいたお婆ちゃんは今も元気でしょうか?

曳舟川通り、柏、青戸、千住、亀戸、見ていても、読んでみても、どれもが侘びしく、寂しく、懐かしく、映るのです、響くのです。ホント!今ここでお暮らしの方々には申し訳ないのですが・・・・・・。 

そして、東京は真ん中で、東京駅。 

そして、原宿は竹下通り、ここは、東京の都心にしては、ちょっとだけ垢抜けないイメージがあったりして。

赤坂はTBS付近。なにか、ちょっと、よそよそしい雰囲気が漂っていたりして。  

そして、外れと真ん中の境には、水天宮で、何となく江戸の匂いが漂っていたり。

そして、浅草で、吾妻橋からのスカイツリー。

東京の住宅地でも、

広尾の高級マンション群があったり、

三河島の今は消えてしまった同潤会アパートとか、

豊島園裏手の高級住宅地とか、

♪もう一度 ♪もう一度 ♪巡り歩きた~い!

東京はいろいろです。

いろいろと歩いてみたくなりました。

でも、まだ、暑い。

本日も曇りで蒸し暑い。昨晩は夜中にエアコンを入れました。

秋の青空が待ち遠しい!

九月は、ほとんど青空を見ていない!

それでは、また。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月です!北の大地は北海道で哀愁と旅愁と郷愁と追憶でジンギスカンと生ビールと札幌ラーメン!

2015年10月01日 | 歩いて見たい
きょうから、10月なのです。

秋なので~~~す!

そして、次は、11月、12月で、お正月なのです。

だから? どうした? と、云われても、困るのです。

それで、昨日は、秋の風、秋の空に誘われて、近所を走り廻ったのでした。

田圃は稲刈りも終わり、空には赤とんぼが泳ぎ、道端にはコスモスが咲き、とても、とても、気持ち良かったのです。

昼は、池の畔のベンチで、ひとりランチでした。発砲酒が大変美味しかったです。


それで、秋なので、遠~~い、遠~~い、見知らぬ街を歩いて見たくなったりするのです。


遠~~い、遠~~い、と云えば、これは、もちろん! 北の大地! 北海道!となります。“新党大地”は鈴木宗男さんです。

これまで、幾たびも、幾たびも、行ってみたい、歩いてみたい、見てみたい、そう思い続けて、早数年の歳月が流れ、今度こそ、今度こそ、と、思うきょうこの頃。

ネットで、ちょっこし調べてみたら、茨城空港発、新千歳空港行きで、往復の航空運賃と宿代込みで、2名1室(ツイン)でお一人様 \19,000何てプランがあるのです。

予想よりも、かなり格安なのです。益々、行ってみたくなって来たのです。

北海道は広いので、今回は下見として2泊、一日目が札幌の都会を歩き、2日目は、札幌から近い積丹半島の大自然なんて、考えたりしたのです。

札幌を地図で眺めたら、予想とはかなり異なるのでした。

大通り公園は、札幌駅の真ん前に広がるメインストリートだと思っていたら、駅と大通りはかなり離れているのでした。

大通りが東西南北の中心で、中心から東一条、西一条、南一条、北一条との町名で、郊外に向かって広がって行くのです。

北大のポプラ並木は、市内から離れていると思っていたら、駅前から500メートルぐらいで北大構内なのです。クラーク像も、時計台も、直ぐ近くでした。

定番の、大通り公園、ポプラ並木、クラーク像、時計台に、札幌ビール園でジンギスカンに生ビール、札幌ラーメン、そして、大自然の積丹半島・・・・・・・、何て、初心者コースを考えたりしたのです。

でも、しかし、連れ合いから、北海道はもう寒い!寒いの嫌い!飛行機には乗りたくない!との連れない返事。

北海道は取り止めて、暖かいところにするか?それとも一人で北海道へ?それとも連れ合いを説得する?と、迷ったりしているのです。そのうち秋が終わり、真冬になってしまう?

何故か、ここで、『・・・・・・♪冬が来る前に もう一度 あの人と・・・・・・』の歌声が頭の中に流れてきました。

冬が来る前の秋、なんとも、とても、哀愁と、旅愁と、郷愁と、そして、追憶と、いろいろ、もの思いに耽る季節。

北海道旅行、もしかして、今回も・・・・・・。

それで、一昨年の3月に、45年ぶりに熊谷で再会した友人と11月に東京で会うことになっているのです。

それで、この際、友人にも会いたい、北海道にも行きたい、それでは、いっそのこと、この二つの案件を合体させ?

友人と北海道で会う、何てことも、頭を過ぎったのです。でも、これは、よく考えると、まあ、無理との結論になったのです。


兎に角、10月です。

3日の土曜日は、幼稚園年少さんの孫の運動会。

28日には姪が双子ちゃんを連れて遊びに来るのです。


北海道旅行は、いったいどうなることか、11月になれば北海道は冬?とてつもなく寒い?


それでは、また。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栃木市を歩いて見たい!その① 鯉のいる街・蔵の街

2013年10月09日 | 歩いて見たい
栃木県と云えば“日光”です。

県庁所在地と云えば、宇都宮市です。

栃木県に県名と同じ市が有るのを知ったのはつい最近でした。

栃木県の“栃木市”の、字をじっと見つめていると、字面から、とても、とても、田舎の匂いが漂うのです。でも、その実態は如何に?なのです。

先ずは、どこいら辺にあるか?です。

ここいら辺にあるのでした。


位置が分かったら、栃木市の先ずは概要の把握です。

以下、栃木市ホームページより、

『栃木市は、平成22年(2010年)3月29日に、栃木市・大平町・藤岡町・都賀町の1市3町が合併して誕生しました。そして新たに、平成23年(2011年)10月1日に、栃木市と西方町が合併しました』

【栃木市の主要指標と県内順位】

    人  口  149,752人         4位
    面  積  284.83㎢       28位
    事業所数  1,837所        4位
    商品販売額  2,603億6千万円     5位
    工  業  工業事業所数478所   5位
    製造品出荷額等 7,734億千万円    5位   
    農家戸数       6,120戸     1位
    農業産出額   181億円   3位

町の大きさを人口でみたならば、栃木県では第4位と云うことです。市名の認知度と相まって、かなり微妙な位置にあるようです。

因みに、

3位は、“足利学校”の足利市で15万4千5百人、

2位は、あの今は無き“♪お山遊園地”の小山市で16万5千人、

1位は県庁所在地で“餃子”の宇都宮市で、ダントツの51万5千人。

フツウ人の私として、各市、それぞれ、市名と繋がって連想されるモノがあるのですが、4位の栃木市は、何も浮かばないのです。何たって、栃木市民には申し訳ないのですが、栃木市ソノモノの存在を知らなかったのですから・・・・・・。

それでは、栃木市の看板は?と、名所旧跡、観光スポット、グルメ等を、これよりネットで検索してみます。

以下、栃木市観光協会のホームページより、

『栃木県の南部にあって、東に筑波山、西に太平山、北に日光連山にかこまれ、市内中央に巴波川(うずまがわ)が流れる静かなたたずまいの街です。

江戸時代、日光例幣使街道の宿場町として、また巴波川(うずまがわ)の舟運により商人町として賑わい、見世蔵や土蔵が軒を連ね政治、経済、文化の中心として栄えた商都であり、今なお商人町の姿を残しています』

川面に影をおとして並ぶ蔵屋敷と白壁の家並み、清流と堀割に群れ遊ぶ鯉、四季折々の彩りをみせる県立自然公園太平山、樹木につつまれた出流山満願寺、その他多くの名所が点在し訪れる人々に潤いと安らぎを与えてくれる街です。


“川面に影をおとして並ぶ蔵屋敷と白壁の家並み、清流と堀割に群れ遊ぶ鯉”このコピーに惹かれました。


栃木市と云えば、“鯉のいる街、蔵の街”がキャッチコピーのようです。

もう少し、調べて見たいと思います。


それでは、また。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角館を歩いて見たい ④はっぽん館は3700万円です! 

2012年09月14日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

最初に、山谷初男さん(愛称はっぽん)の話しをちょこっとします。山谷初男さんと云っても、もう、知らない人の方が・・・・・・。でも、昔は?それなりに人気があったのでした。

人相は、かなり?悪く?怖そう?なのですが、秋田弁のしゃべりが、とても、とても、温かく、純朴で、東北そのものだったのです。人相としゃべりのギャップも良かったのかも知れません。

東北弁の響きには“善良っぽさ”を感じ、関西弁の響きには“狡っ辛さ”を感じるのです。関西と云うと“浪速で商人”なのです。東北と云うと“農村でお百姓さん”なのです。

商人は狡く? 農民は純朴?と、時代劇の“水戸黄門”でも決まっているのです。食料を生産する仕事はとても真面目で、人の生産物を右から左に流し利益を得るのは、あまり真面目ではやっていられない?

第一次産業の生産者の利益は、それなりに限度があるのですが、第二次、第三次の業者の利益には、ある意味で“青天井”なところがあり、その辺から、特に、最近は、より以上に眼の敵にされるのかも?

話しが、かなり、かなり、逸れてしまいました。

それで、山谷さんなのですが、数年?前に、偶々、テレビで見かけたのです。山谷さんの役は、映画撮影所の照明係?だったか、大道具係だったか、兎に角、職人気質のいい人が、止むにやまれず殺人を犯してしまうのです。まあ、それなりのはまり役です。

今回、ちょっこと調べたら、 今年の5月29日放送の『リーガル・ハイ 第7話フジ制作』で、弁護士役で出演していました。その前が3年前の10月17日放送の『オトコマエ!2 第7話NHK制作』で“源爺”の役で出演。まあ、ボチボチテレビにも出ているようです。

いまから18年前の、1994年の4月に、角館町に小劇場「はっぽん館」を建設。演劇、芸能全般、交流の館として地域に開放しているそうです。いまでは、もう“80歳間近”なのです。

それで、「はっぽん館」の様子は?と思い、検索したら、オドロキ!?の事実が判明したのです。

何と、何と、中古物件として売りに出されていたのです。角館駅から南へ直線距離で600㍍ほどの所にあります。

--------不動産屋さんのページより引用--------



土地面積457.58㎡( 約323.9坪)
建物述べ床面積457.58㎡
平成5年10月 木造2F建 劇場ホール+7DK
劇場ホール付和風建築。旅館風の仕上がり       
3700万円 ※価格応談

--------引用終わり------------------

と、云うことは、「はっぽん館」は、その活動を停止したようです。18年前に建てられ、いろいろ活動して、いろいろあって売りに出されたのでしょう。

角館は「はっぽんさん」でしたが、申し訳ありませんが、角館と云えば、これからは、あの、演歌の、美人の、“藤 あや子”さんの時代・・・かも、1961年5月10日生まれの51歳です。

本日は、冒頭でちょこっとが、ちょこっとではなくなりました。よくあることです。


それでは、また来週。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角館を歩いて見たい ③駅前旅館“やまや”は? 

2012年09月12日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

昨日は、人口とか面積とか数字ばかりお勉強でした。人口と面積のお後は、やはり、気候となります。

角館は秋田県で東北ですから冬はとても寒いのです。一年で一番寒い2月の気温を東京あたりと比べると、           
                 〈角館〉     〈東京あたり〉
     平均最高気温   +0.9度     +10.0度

     平均最低気温   -5.0度     + 2.4度

やっぱり、かなり寒いのです。でも、しかし、寒い時期に行ってこそ“東北の旅”だと思うです。でも、連れ合いは寒いのが大嫌いなのです。

寒いと云えば“雪”です。いつ頃から降り始め、どの位積もり、いつ頃から溶け始めるのか調べてみました。

いろいろと、それなりに調べたら、“仙北市”は、“豪雪地帯対策特別措置法”に基づき、豪雪地帯に指定されていたのです。

でも、“旧角館町”は除外されていました。兎に角、豪雪地帯の直ぐ隣りですから、それなりの雪だと思います。3月まで雪は降るようです。フツウの東北はそんなもの?

それで、角館です。右下に角館駅、この駅は“秋田新幹線”も止まるのです。新幹線と云っても所謂“ミニ”なのです。東北新幹線で盛岡、そして“ミニ”に変わって角館から秋田までなのです。

運賃は15,510円 (内訳:乗車券9,030円、特急券 6,480円)で、 乗り換え無しで距離594.1kmを3時間チョットで走るのです。鉄道はやっぱり速い。

いまのところ、車で555.2kmを高速料金10550円とガソリン代5千円を払い、7時間45分を考えています。二人で交通費3万円で倍となり、しかし、時間は4時間速く着きます。でも、わたくしには、時間だけは余っています。

それで、誰が、何と云っても、角館と云えば、“武家屋敷”なのです。兎に角、唯一?最大の観光スポットなのです。

地図を見ると、角館の駅から正面の道を“道なりに”西に進み、郵便局のとろで右に曲がり、北に進むと武家屋敷通りなのです。歩いて20分程だそうです。

地図を見ていたら、角館の駅前とか、駅舎とか、どんな様子か知りたくなり、グーグルのストリートビューで見てみました。

そこに“やまや旅館”を発見。これは?もしかして?あの人の家かも?


私は、ずっと、ずっと、“やまたに”と思っていました。もしかして、あの人は“山谷”と書いて“やまや” と読むのが正しいの?

あの人とは、角館出身で、旅館の倅で、役者の、あの“山谷初男”です。調べて見たら、やっぱり、そうでした。本名“山谷八男”です。何人兄弟なのでしょう。

やまや旅館を覗くと、突然、玄関ホールが現れました。


先ずは、アレレレ?でした。と、云うのは、東北の、角館の、駅前の、老舗?の旅館であるからして、もっと、もっと、木造で、重厚で、それなりの佇まいと、勝ってにイメージしていたのです。


でも、こんな、


こんな、


こんな、感じの、所謂、商人宿的な旅館なのでした。


やまや旅館から見た角館駅前と、


駅から見た、駅前広場の眺めは、これも、事前に抱いていたイメージとは、かなり異なるのでした。


もう少し、賑わいと、趣を期待していたのですが、それなりの?東北の町のようです。むかし、むかし、鉄道が引かれた頃は、旧市街を避けて駅が造られたので、趣とか、情緒とか、佇まいとか、その町らしさとかは、駅前には無いことがあります。

きっと、きっと、角館も、そんな町なのかも知れません。何と云っても、角館には、日本に、世界に、名だたる“武家屋敷通り”の町ですからね。


次回は、そんな、町の成り立ちとかを、調べてみようか?何て、思ったりしています。


それでは、また。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角館を歩いて見たい ②角館は仙北市でした 

2012年09月11日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

それで、先ずは、“角館”の概略から、調べてみます。

角館は、角館市とか、角館町とか、そう思っていたのですが、“仙北市”と云う市の一部なのでした。平成17年(2005年)9月20日に、角館町、田沢湖町、西木村が合併したそうです。

※市の本庁舎は旧田沢湖町にあります。

合併した時には、それなりに市の名称でもめたのでしょうか? “角館”の名前は、やっぱり、全国区であり、“田沢湖町”とか“西木村”とは勝負にならないと思うのです。

でも、しかし、“角館市”では、“田沢湖町”と“西木村”の住民からクレームがあったので、三者が納得する、まったく新しく、まったく関係の無い“仙北市”で折り合いを付けたような・・・、そんな気がします。

それにしても、何で?仙北なの? 東北最大の都市“仙台の北”に位置するから?それとも、“大仙市の北”に位置するから?




まあ、市の名称の由来はそれくらいにしまして、先ずは仙北市の人口ですが、今年の4月現在で“29,758人”です。1970年からの推移をみると、

1970年 39,216人

1975年 38,830人

1980年 39,098人

1985年 38,348人

1990年 36,297人

1995年 34,945人

2000年 33,565人

2005年 31,868人

2010年 29,572人

そして、今年の4月が“29,758”と云う事は、1970年から2010年の40年間で“9,644人”の減少、と云うことは“年間では“241.1”の減少です。

それが、最近の2年間は“186人”の増加、年間にして“93人”の増加となります。ここにきて人口減少に、過疎化に、歯止めがかかった? 合併効果? 単なる誤差の範囲?

まあ、兎に角、3万人弱の“こぢんまり”した市のようです。因みに全国平均は仙北市の約3.4倍で“101,189人”だそうです。

でも、しかし、面積については、全国平均“169.60k㎡”の、約6.5倍の“1,093.64km²“もあるのです。

広い土地に、少なめな人々が暮らす、東北らしい、なかなか良さそうな町だと思います。

少しずつ、興味が湧いてきました。

本日は、数字ばかり調べて、眼が疲れたので、これでお終い。

それでは、また。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角館を歩いて見たい ①遠い?それほどでも?

2012年09月10日 | 歩いて見たい
9月に入っても暑い!

夜もエアコンを入れているの為、2~3日前から“クシャミ鼻水”になってしまった。

涼しい秋よ!早く来い!

それで、涼しくなったら、“角館”に・・・、何て、思ったりしているのです。何故か?角館なのです。あの秋田県の角館です。

“カクノダテ”と云う、言葉の響きから、東北の、静かで、落ち着いて、ノンビリとして、苔むした茅葺き屋根越しに、夕焼け空に向かってカラスが数羽、カァカァと飛ぶ去っていく・・・・・・、そんな風景が想い浮かぶのです。

秋田県角館は新潟県新潟市より遠いのか?去年行った新潟市は、やっぱり遠かったのです。そこで、これから調べてみます。

新潟は、
【谷田部から新潟中央】距離-353.6km 高速料金-7,450円  時間-4時間17分

角館は、
【谷田部から角館駅】 距離-555.2km 高速料金-10550円  時間-7時間 45分

やっぱり、これは、遠いいです。距離で200km、時間で2時間半も遠くなのです。青森に行ったのが2006年の9月でした。あの頃は、青森を往復して、特に!大変だ!とは思わなかったのです。

しかし、去年、青森より、ずっと、ずっと、近い、新潟を経験して、“新潟は遠い!”と思ったのでした。やはり、5年の歳月は、体力気力にも変化をもたらしていたのです。

いま、青森を調べたら、距離が685.7 kmで所要は時間8時間51分でした。 角館より距離で130㎞、時間で2時間ほど遠くなのです。

青森と角館では、そんなに変わらないと云えば、変わらないし、そうでも無いと云えば、そうでも無いのでした。

角館! 行って見たい! 歩いて見たい!と思い、具体的に調べ始めたら、かなり、微妙になってきました。

ここは、やっぱり、角館に、何があるのか!で、困難を乗り越えるパワーが湧いて来ると思うので、ちょっと調べてから、と云う事にしました。

行くか、行かぬかは、その結果次第、車が無理なら鉄道でも、となるかも知れません。兎に角、角館の魅力を探りたいと思います。

まぁ、新潟の時は、歩いて見たい!と思ってから、実現までに一年の歳月がながれたのです。今度も、まぁ、ぼちぼちなのです。


それでは、また。


今日は、眠い!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟市を歩いて見たい ⑪イタリアンですがァ・・・

2010年12月16日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

今日は午前中出掛けていました。外は小雨で気温は3度、天気情報で新潟を見ると雪になっていました。新潟はもう真冬なのです。雪国へは雪の季節に行った方が・・・とは、思うのですが、やっぱり寒いのは・・・ちょっとです。

寒い雪国には、暖かい料理があると思うのですが、ここは、やっぱり、新潟県民、新潟市民に長年愛され続けている“イタリアン”でいきたいと思います。

最初に“イタリアン”と聞いた時は、まぁ、“イタリアン”と云っても、そこは、それ、新潟でイタリアンですから、かなり特殊で、かなり限定的で、かなりイタリアとの関連は希薄な食べ物とは想像していました。

それで、調べて見たら、これなんです。新潟地方のイタリア料理店の創作料理ではなく、“甘味処的なお店”の創作のようです。まさに、Bグルメの王道を行く一品です。


1959年(昭和34)に、新潟市の甘味喫茶「みかづき」の経営者「三日月晴三氏」の考案だそうです。私が9歳の頃に、新潟では、こんな食べ物が考えられていたのです。それにしても「三日月晴三氏」ですが、いかにも“イタリアン”を考え付きそうなお名前です。

私が未だ9歳の頃に、ニッポンの、日本海側の、新潟市で、これを“イタリアン”と名付けて販売したことは、それなりに頷けます。今時こういう食べ物を考案し、それを“イタリアン”と名付ける方が、もし、いたとしたら、それは、もう、経営は行き詰まることでしょう。

あの頃の庶民にとっては、フォークもナイフも珍しく、「焼きそばも“フォーク”で食べればイタリアン」だったのです。

私も、その頃、年に一度だけ池袋のデパートで“お子様ランチ”をフォークとナイフを使い、誇らしげに食べていたのです。フォークとナイフを使って食べれば、どんな“食い物”も“西洋料理”なのでした。

“みかずき”のページより転載

自家製太麺とキャベツ・もやしを特製ソースで炒め、粉チーズで味付け。
白生姜(紅生姜じゃないのがミソ) を添え、特製トマトソースをかけて提供
しています。  
初めて見る人は「なに、これ?」って思うかも。               
見た目や歯ごたえは焼きうどんのよう・・・でも、中華麺なので「焼きそば」
なのです。
なぜかトマトソースが合うんですよ。
フォークで食べるのもおもしろいでしょ?
他にも定番ではカレーソース・ホワイトソースなどがあり、季節によって別バ
ージョンが出ます。

もやしとキャベツがたくさん入ってるのでビタミン・ミネラル・食物繊維などが
多く含まれていて、特に女性のお客様に喜ばれているようです。

毎日食べても飽きない味・・・という点でも、「イタリアン」かもしれませんね。
(イタリアの日常食、つまりイタリア料理って、毎日食べても飽きないそうですか
ら。)


※セットメニュー

転載終了。

最後の行に、

【毎日食べても飽きない味・・・という点でも、「イタリアン」かもしれませんね。(イタリアの日常食、つまりイタリア料理って、毎日食べても飽きないそうですから。)】

とありますが、イタリア料理に限らず、ドイツ料理でも、フランス料理でも、中国料理でも、ベトナム料理でも、日本料理でも、その国の国民は“毎日食べても飽きないと思いますけど。

“みかずき”のページは価格等が良く判らないので、長岡を中心に営業している“イタリアン”のお店“フレンド”のメニュー表を載せました。フレンドでは“餃子”とのセットが売りのようです。

“フレンド”より転載





転載終了。

いろいろあるようですが、60歳を過ぎたオジサンには、チョット、これは・・・で、あまり食欲はそそられないのですが、新潟に来て“イタリアン”を食べないのも、何ですから、一応、話しのタネに、“みかずき”で、“フツーのイタリアン”を単品で頂いてみようと思います。

今日は、ホントに寒い!


それでは、また明日。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟市を歩いて見たい ⑩“タレカツ丼からソースカツ丼”に思いを馳せる

2010年12月15日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

それで、ホントに昨日の続きで、“タレカツ丼”の説明のついでに、ちょっこと触れた“ソースカツ丼”何ですが、昨日書き終わってから、ふと思い出したのです。


それは、浅草の“河金”と云うお店のことです。あれは、今から何年前になるのやら、記憶があまりハッキリしないのです。店は“国際劇場”の跡地にできた“浅草ビューホテル”の脇に「あった」のです。

河金のことは、本か雑誌で知ったのだと思います。浅草ではそれなりに有名で、昔から芸人とか文士とかが出入りしていた“とんかつ屋さん”だったのです。

店に行ったのは、未だ東京に住んで居た頃で、国際劇場がホテルに変わった数年後だったような気がするのです。ホテルが開業したのが1985年(昭和60年)の9月ですから、1990年前後のような・・・・・・。

でも、しかし、今でも、ハッキリ覚えているのは、店の屋根に建っていた“とんかつ 河金”の白地の看板です。煙突の補強鉄骨に取り付けられていたような・・・、看板単独で建ったいたような・・・・・・。


兎に角、こんな看板が浅草通りからもハッキリ見えたのです。それで、河金(かわかね)の名物は“カツカレー丼”でした。しかし、その日、何故か? 私は“ソースカツ丼”を注文したのです。

カツ丼の中で、“ソースカツ丼”は一度も食べていなかったこと、そして、店の中では“河金特製トンカツソース”と書かれたラベルを貼ったソースが売られていたことが、判断を誤らせた原因でした。

1918年(大正7年)に“河金丼”として誕生した“カツカレー丼”を押しのけて、注文してしまった“ソースカツ丼”には、見事に期待を裏切られました。

店の外観を見た時から、店内に足を踏み入れた時から、どうも“様子”が“かなり変”だったのです。

店の向かいは出来立てピカピカの高層ホテル、ところが河金はと云えば、大正から続く老舗と云うよりも、何とかやっとこ生き延びて、老いぼれて、くすんで、うらぶれて、これが!あの河金?と云うような、寂しげな外観でした。

外観に驚きつつ、店内に入ると、そこはもう、場末の、昭和の、定食屋さんと云った様子。薄暗く、埃っぽく、床はコンクリートの打ちっ放しで、長年の汚れで黒ずんでいるのです。

昼時を少し過ぎていたと思います。店内に客は一人も居ませんでした。

テーブルはパイプ脚のデコラテーブル、表面のデコラはあちこちにヒビが入り隅の方は欠けているのです。何かの間違い? 何かトンデモナイ店に入ってしまったと思いつつ、店内の様子をいろいろと見回したのです。

あまり小綺麗でないオジサンが椅子に座ってテレビを眺め、奥の厨房にもう一人の従業員が居るようでした。

そんな風景のなかで食べる“ソースカツ丼”は、なんとも寂しい味がしました。浅草が華やかに賑わって居た頃は、河金にも勢いがあり、トンカツにも勢いがあり、美味しくて、繁盛していたのでしょう。

浅草が寂れ、国際劇場が閉館し、河金も寂れていったのでしょう。それから暫くして、河金は閉店したようです。わたしの食べた“ソースカツ丼”には、浅草の歴史が、それなりにつまっていたのかも・・・・・・。

今でも河金の流れをくむ店は浅草近辺に何軒かあるようです。いつの日にか、元祖“河金のカツカレー丼”を食べて見たいと思います。懐かしい味だと聞いてます。

今日は、新潟を離れ、浅草に来てしまいました。あすから、また新潟に戻ります。

それでは、また明日。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟市を歩いて見たい ⑨“タレカツ丼”の両親は誰?

2010年12月14日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

いよいよ、“食い物”の話しになります。新潟と聞いて思い浮かぶ食べ物と云ったら、何故か、すぐに・・・思い浮かぶものが無かったのです。

海に面しているので、それなりに海の幸は豊富なのでしょうが・・・・・・。ハタハタ、しょっつる、きりたんぽ、いぶりがっこ、は隣の秋田県だし、日本海のカニは越前だし・・・・・・。

新潟と云えば、やっぱり“お米”で、魚沼産コシヒカリで、旨い米で旨い酒で、越乃寒梅・八海山で、柿の種で、農産物関係になってしまうのでしょうか。

そんなことで、新潟を調べていたら、“タレカツ丼”に“イタリアン”に出会ったのです。県民、市民に相当愛されている事を、今回はじめて知ったのです。

タレカツ丼は数年前にテレビ紹介されたのをボンヤリ覚えていました。しかし、それが、何処の町で食べられているのかは、今回初めて知ったのです。イタリアンの方は、これまで、見たことも聞いたこともありませんでした。

これが“タレカツ丼” 新潟では“タレカツ”が当たり前で、“カツ丼”と云えば、普通にタレカツ丼の事を指すそうなのです。

※Wikipediaより

普通に眺めると、いわゆる“カツ丼”と比較して、何か寂しい景色に見えるのです。やっぱり、タマネギがあって卵でとじてあって、時には、グリンピースだとか、紅ショウガだとか、三つ葉だとかのトッピングがあったりして、それなりに華やかな方が・・・何て、思ったりするのです。

カツだけでの、一本勝負の“タレカツ丼”は、一体どんな味わいなのでしょうか。タレカツですから“タレ”が味の決め手になるわけです。一般的なタレかつ丼の、タレの材料構成は、鰹と昆布の合わせ出汁に、醤油に、味醂に、砂糖がベースなようです。

材料構成は「卵とじカツ丼」のタレとは変わらないようです。揚げたカツをタレに潜らせご飯にのせるだけですから、タレは、卵とじ方式よりも、それなりに“濃い目”の味付けなのでしょう。

“タレ潜らせ方式”は、天丼方式や、鰻丼方式に近い濃さでは?、と推測します。どちらも、継ぎ足し方式で、天種の旨味、油の旨味、ウナギの旨味等が、醤油ベースのタレと渾然一体となり、長い年月をかけて熟成され、それは、もう、何とも云えない、まねのできない、その店の味をつくるのです。

それで、このタレカツ丼は、いったい誰がいつ頃考えたのか? カツ丼と云えば、卵とじカツ丼です。

※Wikipediaより

そして、卵とじカツ丼より古いのが、ソースカツ丼です。

※Wikipediaより

私の大胆かつ緻密な推測としては、カツだけをご飯にのせる「ソースカツ丼」と、揚げてタレに潜らす「天丼」とを“両親”として誕生したのが、“タレカツ丼”ではないかと思うのです。たぶん、きっと、間違い無い。

それで、タレカツ丼発祥の秘密を探ってみたのです。

卵とじカツ丼や、ソースカツ丼は、いつ誰が考案?は諸説あるようですが、タレカツ丼については、1945年(昭和20年)に新潟市の「とんかつ太郎」初代店主が考案し広めたと、ハッキリしているのです。

それで、「とんかつ太郎」のページを見たのです。

以下転載

   薄めのパン粉に包まれ、サクッとした歯ごたえ。
   伝統の味、一度食べたら病みつきになること間違いなし!

   とんかつ太郎の歴史は、昭和初期に遡ります。
   当時、新潟市の中心部には堀が巡らされ、堀の縁にはさまざまな屋台店が
   軒を連ねていました。私たちとんかつ太郎も、そんな屋台発祥店のひとつです。

   初代の小松道太郎は、当時モダンな料理だったかつレツを大胆にも醤油ダレに
   くぐらせてご飯の上にのせて提供しました。
   このオリジナル料理が新潟の人に大いにウケて、いまや「新潟のかつ丼スタイル」
   として定着したのです。

と書かれてあり、年代は昭和初期とだけ書かれていて、昭和20年と明確には記されていません。そんな重大事件でも、大発見でもないですから、タレカツ丼の完成を記録には残っていないのです。

たぶん、いろいろと試行錯誤の末、いつの頃か現在の形態が完成したのであり、何年何月何日、タレカツ丼完成!なんて記録は誰も付けていないのです。ですから昭和初期が、正しく、正直なのでしょう。

それで、こんな感じで、こんな価格です。

かつ丼 970円


かつカレー 970円


とんかつ定食 1470円


どれも旨そうです!リーズナブルな価格設定です。絶対に食べたい! 誰が、何と云おうと、新潟に行ったら絶対に喰うぞォ! かつカレーも食べたい!

中央区古町6番町973番地に「かつ太郎」はあります。ストリートビューで見ると、間口は一間半程度の小さな庶民的なお店です。

お腹が減ってきたので、今日は、ここでお終い。


それでは、また明日。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする