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歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

東京メトロで水天宮

2011年02月28日 | お寺・神社
先週、25日の“大安”の金曜日に、東京は中央区日本橋蛎殻町にある“水天宮”に行って来ました。

東京の都心を歩くのは数年ぶりです。お上りさん気分で少々興奮気味でした。

目的は、もちろん、安産祈願です。

この日は、常磐線の北千住駅で降り“日比谷線”に乗り換えるのです。改札を出て、日比谷線に乗るために切符を買おうと思って売り場を探したのです。

ですが、日比谷線の切符売り場が見つからないのです。“東京メトロ”や、“つくばTX”や、東武線等の切符売り場はあるのですが、日比谷線の切符売り場が無いのです。

連絡通路を一旦Uターンして、再度、通路の両側を隈無く眼を凝らして探したのですが、日比谷線切符売り場の文字は発見できないのです。

えッ!どうなってるの?何処で買うの? 行き交う人混み中、不安と動揺で視点の定まらない眼の中に入った“東京メトロ”の文字。もしかして?日比谷線は東京メトロでは? そうだったのです!

券売機の前に立ち、路線図を見上げ、赤い文字の“当駅”を探し、人形町の文字を探すと、やはり日比谷線を発見。それにしても、複雑怪奇な路線図に、それに輪を掛けて複雑怪奇な券売機。

何だか判らないのですが、兎に角、路線図に有った“人形町”と“190円”の文字を頼りに、券売機に百円硬貨を2枚投入して、190円ボタンを押し、切符と10円を受け取り改札に向かったのです。

それにしても、日比谷線はいつの頃から?東京メトロに変わったのでしょうか?そう言えば、最近、時々、テレビで“東京ハート、東京メトロ”なんて、CMが流れていたような?

以前は北千住駅で東武線にも日比谷線にも、ちょくちょく乗り換えていたのです。今回は、完全に、お上りさん状態になってしまいました。

しかし、それでも、券売機を探してウロキョロ状態の時、“そんな状況”を“都会人”に悟られまいと、それなりに、さり気なく、何と無く、待ち人を捜すような雰囲気を漂わせつつ、連絡通路を行ったり来たりしていたのです。

それで、人形町で降りました。


階段を上がった先は、久しぶりの大都会。


何と無く興奮して、左を見たり、


右を見たり、東京マラソンの垂れ幕?がいっぱいです。この道もコースになっているようです。


彼方に、水天宮の屋根を確認し、横断歩道を渡り水天宮を目指しました。



それにしても、今日は寒い! 雨がいつの間にか雪に変わっています。


それでは、続きは、次回。


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ポタリングで事件現場に遭遇!

2011年02月24日 | つくば市の風景
この日は、とても麗らかな小春日和で、のんびり、のんびり、ペダルを漕いでいたのです。

研究学園駅の脇を通過して、


真っ直ぐ、真っ直ぐ、走ったのです。


案内板は丁字路なのですが、


表示されていない、始めて走る田圃のあぜ道的な裏道を直進し、とある高校の外周を半周ほどして、あぜ道的な裏道から、


集落に向かう、それなりに広い路に出ました。


高田と云う処のようです。


集落を過ぎると、周囲は“芝生畑”の見通しの良い十字路に出ました。

※「現場」は先に見える林の中でした。


道標には、直進すると、酒丸、沼崎、


泉、北條となっています。直進します。


十字路の先、下り坂の、薄暗い林の中に道は入って行くのでした。下の写真は、“問題の看板”を発見した後で撮ったものです

写真よりも、現場は、もっと、もっと、ずっと、ずっと、暗くて、湿っぽくて、とても、とても、“何か”出てきそうな、そんな場所でした。

行き交う人も車もなく、周囲には人影も民家もなく、犯人がここを選んだ事が頷ける場所です。

それで、その看板なのですが、とても、とても、“それっぽく”退色しているのです。こういう現場に出会ったのは始めてです。


帰宅後に調べたら、4月に筑波大学に入学したばかりの女性が被害者の事件でした。うっすらと記憶があります。悲しい事件でした。ご冥福を祈って手を合わせ現場を後にしました。

看板に書かれた、殺人、被害者、発見、警察、捜査本部の文字に、麗らかな小春日和で、のんびり、のんびり、だった気分は、かなり打ちのめされたのでした。

暗い現場を抜け出ると視界が開け、


道の両側は芝生畑。


兎に角、青い空です。気分を新たにペダルを漕ぎます。

知らない町の、知らない道では、何が起こるか分からないのです。行き当たりばったりのポタリングは、とてもドキドキでワクワクなのです。


それでは、また次回。

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蘇羽鷹神社の庚申堂で徹夜の宴会

2011年02月22日 | お寺・神社
前回の続きです。

いよいよ、蘇羽鷹神社にお詣りします。と、思っていたのですが、鳥居の前に、こんな祠がありました。鳥居の前ですから、神社の境内の外になります。


庚申塚ではなくて“庚申堂”です。“見ザル、云わザル、聞かザル、は、庚申信仰から来ているようです。


庚申塚は都電の駅で有名?ですが、いったい何のこっちゃ?と思っていたのですが、“道教”関連で、そこに土着信仰や、神道の猿田彦神、仏教なども、ごちゃ混ぜになった“庚申講”何て寄り合いがあったようです。

平安時代は貴族が信仰していたようですが、江戸時代の頃より庶民の間にも広がったようで、夜を徹して、飲んだり、喰ったり、していたようです。

本来は、人間の体内には三尸という3種類の悪い虫が棲み、人の睡眠中にその人の悪事をすべて天帝に報告に行くというので、それを防ぐ為、庚申の日(60日に一度)の夜は、眠ってはならないとされたそうです。

徹夜で、何もしないで、黙って過ごす、これはとても退屈ですから、人が寄り合えば、これは、もう、飲めや唄への宴会になります。夜明かしの宴会はても魅力的ですから、これはもう、一般庶民に広がるのです。

裏手には、何やら仏像が並んでいます。


右側は庚申講の本尊で三尸を押さえる神様“青面金剛”のようです。左側は仏様のようです。兎に角、庚申信仰はいろいろ混じっているのです。神様も仏様も人間の都合で考え出されたものですから・・・・・・。


庚申塚、庚申塔、庚申堂は街道沿いに置かれるものですから、昔は、この下の水戸街道に脇にあったのか、それとも、水戸街道が掘り下げられ、街道の起伏を平坦にした際、庚申堂だけが、この地に取り残されたのか? 


それにしても、です。睡眠中にその人が犯した悪事を、体内に棲む虫が天帝に報告するのを、夜通し眠らず阻止する行為が、どうして信仰と呼ばれるのでしょうか、とても疑問です。かなり都合のイイ話しです。

まあ、兎に角、昔は娯楽があまり無かったので、みんなが集まり、夜通しの宴会は、それは、それで、とても楽しい事で、そんなに難しく考えないで“まァ、まァ、権兵も与作も、まぁ一杯”だったのでしょう。


そうでした蘇羽鷹神社です。それでは鳥居をくぐります。


「曽場鷹」が転じて「蘇羽鷹」と呼ばれるようになったと、何処かに書かれていましたが、漢字表記よりも「そばたか」の言葉が先にあった筈ですから、転じたのではなく、表記が変化したのでしょう。創建は天正4年(1576年)


本殿は、鉄の扉を堅く閉ざし、内部の様子を窺うことはできませんでした。


見上げる“しめ縄”は、この頃よく見かける“ポリ塩化ビニール製”か“ポリエチレン製”


本殿が鉄筋コンクリート製ですから、しめ縄も合成樹脂で整合性があるのです。趣には欠けますが・・・・・・。

何度も、火災にあっているようで、現在の耐火建築の本殿は、昭和55年の創建だそうです。


裏には、広場があり、なかなか良い遊び場になっています。この場所で縄文時代の遺跡が発掘されたそうです。


子供とキャッチボールのお父さん、相当に疲れているようで、ベンチに腰を落とし、肩を落とし、しばしの休憩。ご苦労さまです。


以前より、通りすがりに看板の文字を見つめるだけだった“蘇羽鷹神社”


こんな感じの、こんな神社でした。


それでは、また次回。




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松戸市の蘇羽鷹神社で腕用ポンプの碑文を読み高度経済成長の時代を懐かしむ

2011年02月18日 | 街の風景

前回の続きです。

松戸市の、水戸街道沿いにある“蘇羽鷹神社”の境内に入るところです。


お詣りを、と思ったら、左手に“腕用ポンプ保存庫”の大きな文字が眼に入ってのです。「腕」の文字に、一瞬、器の“オワン”を連想してしまったのですが、わんはワンでも、うでの方の「腕」でした。

腕の力を用いて動かすポンプなのです。器のワンは木偏の“椀”でした。“椀用ポンプ”では“何のこっちゃ?”ですから・・・・・・ハィ。

でも、ワンと、ヨウと、ポンプの繋がりは、何か、とても、力が抜ける響きなのです。ワンちゃん用にも思えたり。ここは、やはり、動力ポンプの対義ですから、“腕力ポンプ”の方が、勢いよく水が出そうに感じます。

江戸のむかしの“龍吐水”の兄弟分と思ったら、「腕用ポンプ」は、それなりに災に直接放水して、消火作業が出来る優れものだったようで、地方の消防団では、戦後しばらくは現役で活躍していたようです。

「高度経済成長期」に造られた石碑には、物を大切にしない風潮に怒りを露わにしていますが、「低成長低所得」の時代が20数年続き、この先の見通しも暗く、結果として、碑文の主張は叶えられたようです。

“物質的”に豊かな時代は短く儚く、物質的に貧しい?時代こそが“ふつう”で、正しいのであります。


この頃は、歳の所為で、説教じみた話しになってしまうようです。兎に角、小金消防組第4部の腕用ポンプは大事しましょう。


ヘルメットと云うのか、防火防炎帽子と云うのか、このタイプは小さい頃に、消防署の壁に掛かっていたのを見た記憶があります。


大正12年2月に、の人達の尊い寄付で購入したのです。百年近く前なのです。歳をとると、昔のモノが愛おしくなるのです。


腕用ポンプに見とれてしまいました。蘇羽鷹神社でした。


階段を登り、鳥居をくぐります。



それでは、また次回。


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水戸街道に戻り蘇羽鷹神社を目指します

2011年02月16日 | 街の風景
前回の続きです。

常磐線の地下道を潜り、流山線の踏切を渡り、新坂川の“まちだはし”を渡ったところで引き返します。

この路を辿って来たのですが、来るときは下り坂であるのを、ほとんど意識していなかったです。帰りに上り坂となって、始めて坂であった事に気が付きました。これって、歳の所為?


中央の緑地帯に、石?と云うか、岩と云うか? こんな感じで置かれていました。予算が余って? 何となく、それとなく設置したような? それとも道路工事中に地中から出現したものを、それらしく置いたのでしょうか?

どちらにしても、大きくて重そうな石ですが、周りの風景から“浮いて”います。

それにしても、人通りがありません。


交差する通りは“はなみずき通り”です。う~ん、そうかァ、そうきますかァ・・・・・・。


はなみずき通りの一本先を左に折れます。そして、一区画ほど先で右に折れ、水戸街道方向に向かいます。


予想したとおりの場所に出ました。


蘇羽鷹神社です。


毎度、毎度、通過する度に、気になっていたのです。蘇生の蘇に、羽に、鷹です。“ソバタカ”神社です。あまり聞いた事も、見た事もない、変わった名前の神社です。


長年の思いが叶い、見学と参拝をします。

でも、本日はここでお終い。今日は床屋に頭を刈ってきたので更新が遅れてしまったのです。まあ、そんなことは、どうでもいいか・・・・・・。

それにしても、相撲の“八百長問題”は、誰が、どういう方向で、収束させるのでしょうかねェ。外野席は全員が正義を振りかざすばかり、ホント困ったものです。


それでは、次回。




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踏切のある風景で寄り添い歩くふたり

2011年02月14日 | 街の風景
前回の続きです。

“あの路の先”は、もしかして“このあたりかも?”と、思って、“このあたり”から逆に辿って“あの路”を目指したのですが、予想は見事に外れました。それでも、なかなかの風景です。

“ハートはりきゅう治療院”はいいです。ひらがなとカタカナ表記の鍼灸院には、それなりの時代性を込めた思いを感じます。赤いペンキで描かれた“ハート”の文字からは、特に強い思いが伝わってきます。


常磐線の線路際に出ました。高架が快速とか普通列車で、下が緩行線でしょうか。


地下道に潜り反対側に行きます。


自転車もオジサンも潜ります。


静かで寂しい風景です。電車が通り過ぎた後は、より寂しさ静けさが増します。


常磐線の先に、あれ?また、線路に踏切があります。


単線です。ちょうど良い具合に電車が近づいて来ます。


これは、流山電鉄です。“青空”ですか。何か、とても、微妙な名前です。聞くところによると、この車両は西武鉄道のお古だとか。


振り返ると、常磐線の普通列車か?快速か?下の線路を走っています。高架じゃないの?


踏切の先には、線路と平行して川がありました。


川沿い路を話しながら寄り添って歩く、買い物帰り?の、母?と娘? 


線路沿いの路とか、川沿いの路とか、何かに“沿って”、寄り“添って”歩くのは絵になり、想像力を、好奇心を、とても刺激するのです。

二人とは、橋の上ですれ違ったのですが、とても良い雰囲気を感じました。たぶん、親子に間違いありません。

そろそろ、このあたりで引き返す事にします。


それでは、また次回。


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松戸付近で空白を埋めます

2011年02月11日 | 街の風景
勤めていた頃、通勤電車の車窓から、あの路の先は何処に続くの?と、長年思っていた場所がありました。松戸駅の手前あたり、ごく普通の住宅が立ち並ぶ、ごく普通の風景なのですが、何故かしら、気になったのです。

それから数年して退職し、時折、水戸街道を車で行ったり来たりするようになり、あの時の“あの路の先”は、もしかして“このあたりかも?”と、思える?と云うか、感じる?と云うか、そんな場所を見つけたのです。

そんな、長年抱き続けた“あの路の先は?”の疑問を、今回、やっと解き明かすことになったのです。まあ、大した疑問でもないのですが、兎に角、わたくしにとっては、それなりに、ハラハラ、ドキドキ、ウキウキの“プチ探検”なのです。

それで、その日は、水戸街道沿いのスーパーの駐車場に車を入れて、“このあたりかも”から、線路沿いの“あの路”に向かって歩いたのです。

そうなんです。この高圧線の鉄塔が、もしかして?の風景につながっていたのです。高圧線の鉄塔は、いろいろな想いに、いろいろな風景に、つながって行くのです。


ごく普通の、よくある郊外の、静かで寂しい住宅地。


静かで、寂しい、住宅地のスーパーマーケット。


知らない町の、知らない風景の中を、ひとり歩いている不思議。


そろそろ、線路に近づいて来ました。


どうも、“あの路”では、ないような雰囲気がしてきました。


それにしても、何処にでもある、普通のこういう風景が、不思議で、とても惹かれるのです。


モルタル塗りの外壁とブロック塀の間に、ひょろりとした樹、プロパンガスのボンベ、ドラム缶、こんな日常的な風景が、知らない町で出会うと、とても不思議に思えるのです。


やはり、“あの路”では、なさそうです。


なさそうですが、もう少し先まで行って見ようと思います。


外では、チラチラ、小雪が舞っています。


それでは、また次回。



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“千葉ニュータウンを目指して”の最終回です。

2011年02月09日 | 街の風景
今日は寒い、雪はやみましたが外は雪景色で、ボチボチの更新です。

タイトルに“千葉ニュータウン”として、何回か写真を貼っただけで、お茶を濁して来たのですが、今回で締めたいと思います。

“千葉ニュータウン目指して”何てタイトルで始めたのですが、実は、こんな処に、京成電鉄の、日暮里駅からの、北総線の、“千葉ニュータウン中央駅”が、あったとは、まったく辿り着くまで知らなかったのです。

小貝川を下り、利根川に合流して、右前方の、田圃の先の、山の先に、高層ビル群が見えたので、アレは? いったい? 何だ?と、思って、ペダルを漕いだら、こんな町に辿り着いたのでした。

ビジネスモールの先は、こんな高層マンションの“レジデンタルモール?”


高層マンションなのですが、ベランダには布団や洗濯物が干してあったりして、ここらが千葉の田舎的なレジデンタルモールなのです。


こちらがニュータウン中央駅。


駅の周辺が、ショッピングモール。


ビジネスモールや、レジデンタルモールに比較して、駅舎がかなり“せこい”感じがします。小田急、京王、東急、等とは、少し趣が異なる、下町的、庶民的、チョット田舎的、そんな京成の匂いを漂わせる、何処か、昔の公団住宅の“集会所的”なのであります。


三井住友海上火災とか、三菱東京UFJ銀行とか、みずほ銀行とか、東京海上日動火災保険とか、日本を代表する金融資本の高層ビルが建ち並ぶなかで、


ひとり寂しく、こぢんまりと、日本の金融業界の端っこに佇む、“労働金庫”の建物がありました。


このビジネスモールは、金融業界の“計算機センター?”とか、“事務センター?”とか、“データーセンター?”とか、そういう類の建物のようです。

でも、しかし、そういう類を想像させるような文字は、どこの企業も入り口の看板には書いていないのです。そこいら辺が、とても、怪しいような?気がしてきたのです。

そんな、こんなで、“みずほ銀行”の正面玄関を睨んでいたら、守衛所のガードマンに、怪しい奴だと睨まれてしまいました。


自転車に跨がり、建物の前でサングラス越しに看板を睨んでいたり、ときおりシャッターを切ったりしている、薄汚い服装でヒゲ面の男は相当に怪しく見えたようです。そこで、ニッコリ笑って手でも振ったらと思ったのですが、それでは、別の意味で怪しまれるので止めました。

そんなこんながぁ、ありまして、昼も過ぎたので、何処かで昼食と思い、


久しぶりに、味噌ラーメンなど食したのですが、これが、まあ、とても、インスタントラーメン的なお味で、とても、損した気分になってしまったのです。


それにくわえて、そのラーメン屋の“ばあさん店員”が、昼の書き入れ時が終わり、一休みと、端っこのテーブルでタバコを吸い始めたのです。煙が時折流れて来るのです。

その“ばあ店”何ですが、どう見ても、年の頃なら七十半ば、耳が少し遠くて(注文時に判明)、そのくせ、爪はピンクに塗って、服装も、化粧も、かなりケバイのです。

椅子の腰掛け方、タバコに火を着け方、タバコのつまみ方、くわえ方、煙の吐き方、どう見ても、田舎の接客業界で長年働いていた様子が、ありありなのです。調理場の中年男性との会話から、その調理人の母親と推察しました。

うまくない味噌ラーメンを最悪の環境で啜るという、まったくもって近年稀に見る、最悪のランチでした。オィコラ、600円返せ!


“まあ、こんなことも、生きていれば、時にはあるさァ”と、悟りの境地で店を後にしたのです。

これで、千葉ニュータウンシリーズを終わります。


それでは、また次回。



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大相撲は神事で伝統芸能です

2011年02月07日 | 相撲の話し
久しぶりの更新です。これまで、写真だけ貼ってお茶を濁していたのですが、やっと“新しい挑戦”も、それなりに片づき、ブログの方も以前のように・・・・・・と、思っています。

それでも、なかなか頭の切り替えが旨く行かなくて、しばらくは、ボチボチの更新になりそうです。

それで、大相撲ですが、ホントに困ったものです。“大相撲ファン”の誰しもが、全取り組みが真剣勝負などと思っていません。今さら“八百長相撲”に驚いたり、憤ったり、怒ったり、しているのは、ホントの大相撲ファンではありません。

一場所15日間、年6場所を、楽しく観戦出来るのは、それなりの演出があっての事なのです。100%が八百長でも、100%がガチンコでも、大相撲は成立しないのです。

相撲は、取る力士達も、相撲を観る観客達も、微妙なバランスと暗黙の了解で成立している、伝統文化であり、単純な格闘技ではありません。

ですから、強ければ、勝てば、何でも有り、とは、ならないので、“品格”が要求されるのです。

“自由競争”こそが、すべてに勝る“原理”でり、正義であると、何処かの、誰かの、下心のある策動です。自由競争は文化を破壊します。

“TPPで平成の開国”だと、突然言い出した菅政権、それを全面支持するマスコミ。八百長騒ぎの背後に、自由競争は正義の原理であると、世論を誘導する“やから”が居るのです。

日本文化は、助け合いで、持ちつ持たれつなのです。

アメリカでは、みんなで助け合う「国民皆保険」は共産主義であり、自由主義の敵であり、憲法違反だと叫ぶ国です・・・・・・、まあ、そんなことなのです。

兎に角! 瞞されてはいけません。大相撲に自由競争の原理を持ち込めば、伝統文化である国技は破壊されます。

放駒親方、瞞されてはいけません。本当のファンは、いろいろなことは、判っていますから、心配しないで下さい。5月場所は絶対に開催して下さい。

親方とは、二度ほど、国技館前でお会いしています。


当然、親方の方はまったく、わたしには面識は無いのですが、袖すり合うも多生の縁です。兎に角、端っこの方から応援しています。


それでは、また次回。


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千葉ニュータウンを目指して その④ 土壁の先は

2011年02月03日 | 街の風景































































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