歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

足利市 ⑤ 東映プラザ劇場で "まちづくり事業" を考えたりして !

2023年12月19日 | 旅の話し

前回の続きで、最終回です。

"空き地と蔦"の雪輪町を後にして、隣町の井草町に足を踏み入れました。

こちら井草町も、空き地と蔦の町で、そこかしこの空き地には、こんなプレートがぶら下がっていました。

"足利市まちづくり事業用地"として、建設部市街地整備課がいろいろ取り組んでいるようです。

市のHPを見ると、

『現在、市では旧国道50号線と県道飛駒足利線の交差点を「中心市街地の顔」ととらえ、約2,840平米の敷地を整備する予定・・・市としては、この対象地を『まちづくり用地』として、

○賑わいの創出 ○地域活動の活性化 ○観光機能の充実 ○歴史や文化の継承 ○地域資源の活用など 中心市街地の活性化に向けた活用を検討しています』 

アイデアの募集は、今年の10月2日から始めて、12月25日17時00分で締め切りだそうです。

まあ、賑わいが、地域活動が、観光機能が、歴史や文化が、地域資源が、等々の問題は、昨日今日始まった訳でもなく、募集期間の20数日で、すばらしいアイデアを期待するのは、とても、とても、無理な気がします。

まあ、わたしとしては、お金のかからない策として、今の状況を逆手に取って、賑わいは無く、空き地はいくらでも有る、現状を売りにするのも、一つの手だと、思ったりしています。

はい、余計なお世話でした。

はい、駐車場の奥に見えますのが、それなりに有名な元映画館。

ペンキが剥落、変色しています、じっと目を凝らしてみると、劇場通りの文字が見えてきます。

それなりの構えで、それなりの規模で、なかなかの映画館です。

足利東映・プラザ劇場です。

有楽館と云う映画館を改装して、1977年頃に開館し、1999年頃に閉館したようです。東映ヤクザ映画の全盛期に開館し、90年代のヤクザ映画の衰退と共に、閉館を迎えたようです。

閉館後、飲み屋が数件入っていたようです。映画が廃れ、飲み屋が廃れ、今は、廃屋同然?

1990年に始まった、海部自民党政権時代、大蔵省による不動産向けの融資を規制したことで、土地バブルは崩壊し、日本経済はデフレに突入。

そんな世の中で、ヤクザ映画の、博徒映画の、徒花が咲いたのでした。

そもそも、戦後の高度経済成長も、"徒花"だったのかも?

時の政権の政策判断で、地域の産業は衰退し、映画産業にも、映画館にも、その影響は及ぶのでした。

しかし、この側壁を這い上がり、覆いつくす蔦の生命力は素晴らしい。

しかし、この足利東映・プラザ劇場は、いまでは、この廃屋感のある、その佇まい、それは、それで、それなりの観光資源だと思います。

2018年、綾瀬はるか・坂口健太郎主演で公開された、映画監督を夢見る『今夜、ロマンス劇場で』のロケ地となったようです。ほとんど、いや、残念ながら、まったく記憶にない作品です。

兎に角、足利市、賑わいは無く、しかし、空き地は、蔦は、廃屋は、そこかしこに、いくらでも有る、これこそが、これからの売りになるような、そんな気がする今日この頃。

本日は、よそ者が、無責任に御託を並べてしまいました。

 

それでは、また。

 

 

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足利市 ④ 雪輪町は蔦と空き地と昭和レトロのロケ地で! 真っ赤なドアと!変色した防犯看板!でした!

2023年12月12日 | 旅の話し

前回の続きです。

織姫神社を後にして、雪輪町に向かいます。

ここで、訂正とお詫びです。

以前、  

足利市は足利学校だけ ! と思っていたら鑁阿寺(バンナジ)と云うお寺もありました ! - 歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・ (goo.ne.jp)

このページで、雪輪町について、

『・・・神社仏閣以外に、街歩きとして面白そうな雪輪町と云う一画が、鑁阿寺の西側にあるのです。これは、YouTubeで見たのです。

面白そうな、と、云うのは、以前、遊郭として栄え、今でも、それなりに、当時の面影を残す一画です』

と、書きましたが、後で調べてみたら、遊郭とか、花街とか、三業地とか、ましてや赤線地帯とか、そういう類の町ではなかったのです。いわゆる"歓楽街"と云ったところのようです。

まあ、遊郭とか、花街とか、三業地とかは、それなりの"都会"でなければ成立しないのです。

それでは、雪輪町に足を踏み入れます。

こちら、蔦の絡まる廃屋でしょうか?

空き地が、そこかしこに、現れます。

こちらのスナック、店を閉じたような、そんな気がする入口に並ぶ鉢植え。

こちらの看板、ありし日の歓楽街の賑わいを、唯一伝えています。錆に、ペンキの剥落に、変色状態に、しばし、佇み、見つめ、時の移ろいに、去っていた賑わいに、想いを馳せたり、廻らしたり・・・・・・。

奥に見える、栃木名産の大谷石で造られた蔵です。昔は、のこぎり屋根の大谷石造りの繊維工場が、市内のそこかしこに見られたそうです。

こちらの工場風 ? の建物、とても昭和の匂いを感じます。

空き地の中央に、真っ赤なドア。かなり、かなり、非現実空間を創り出しています。

ドラえもんの"どこでもドア"にも見えますし、何か、不条理劇の舞台のセットにも見えます。

これって、何かの、映画か、ドラマの撮影に使われ、関係者の悪戯心で、ここに残された ? そんな気がする真っ赤なドア。

足利市内は東京にもそれなりに近いし、昭和レトロの街並みが、寂れ感が、ひとつの魅力として、映画やテレビドラマのロケ地として、けっこう、それなりに使われているそうです

手摺がとても・・・・。

空き地と、蔦と、昭和な建物と、路地を伝って歩いたのですが、歓楽街のありし日の名残を感じたのは、赤さび、剥落し、変色した防犯看板だけでした。

でも、まあ、それなりに、レトロ感は、それなりに楽しめました。

でも、しかし、昭和生まれとしては、やっぱり、昭和を、未だ、古き良きものとして、懐かしみ、愛好する対象としては、とても近すぎるのです。

明治、大正、昭和、平成、令和、並べて見つめると、やっぱり、昭和はそれなりに昔なのか?

世の中的には、昭和生れの時代は、そろそろ終わりに近い ?

 

それでは、また。

 

 

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足利市 ③ 織姫神社で織物組合でトリコットで日米繊維交渉でドルショックで衰退の歴史

2023年12月04日 | 旅の話し

前回の続きです。

鑁阿寺を後にして、回り道をして、織姫神社に向かっています。

"まちなかマップ" では、かなり強調されて描かれています、実際はそれほどでもなく、まあ、 " 三角形の2辺の和、他の一辺より長い" と云う事で、それなりに遠回り。

"茂木 敏充"さんです。栃木県第5区(足利市・栃木市・佐野市)選出で、衆議院議員で、自民党栃木県県連会長で、平成研(茂木派)会長で 自民党幹事長で、次期日本国総理大臣候補です。

地元では、もう、こんなポスターが貼られています。

"頭は良い(東大経済)が性格が悪い"と麻生太郎に、"おちょくられて居る"のを見た記憶が・・・。性格は顔に出る? ポスターの顔には、それなりの配慮が・・・。

兎に角、次期首相候補の中で、国民からの人気はまったくありませんが、現在は主流派で、派閥力学的には、次期首相に一番近いと、その筋では、囁かれているそうです。

麻生派も、岸田派も、茂木派も、元は宏池会から派生。宏池会は、大蔵省事務次官から首相(1960年~1964年)に就任した"池田勇人"が創設した、自称? 保守本流の派閥。

官僚国家の日本で、官僚中の官僚の現財務省が、背後に控えてこその保守本流で、緊縮財政と増税が命。茂木首相が誕生すれば、消費税は15~20%に上がります。消費税創設時の目標税率は25%だったようです。 

それにしても、自民党各派閥の、パー券収入キックバックの、収支報告書不記載問題は、どう展開するのか?   

安部派を、自民党を、政界を、揺るがす大問題に ! との見解も一部にあるようですが、私としては、大山鳴動して鼠一匹に終わる予感 ?

 

話が逸れました。

はい、足利市役所前を通過します。

織姫神社に到着。

神社は山の中腹。

階段が連続します。

裏は直ぐ山ですから、出没しそうです。でも、しかし、今話題の熊ではないので少しは安心。

こちらが本殿。七五三詣りの、姉ちゃんと、弟ちゃん。

可愛いので、後ろ姿もパチリ。おめでとうございます。

神社からは市内が一望できます。赤い矢印の先が今夜泊まるホテルのルートイン。

本殿にお詣りして、階段を下る途中で、左手方向に小さな広場があり、胸像が3体見えたので、何だ ? 何だと ? 脇道に逸れました。

こんな石碑が、表題に "足利トリコットの歴史" と刻まれています。

"トリコット"とは "経編み" とありますが、何て読むのと調べたら「たてあみ」だそうです。知りませんでした。メリヤスとか、ジャージーとか、伸び縮みする生地のようです。

戦後は、国策で積極的にトリコットを生産、その後は、「日米繊維交渉」・「ドルショック」・「円高」で輸出は途絶え、国内需要も消えて、足利の繊維産業は衰退。

国策に、時代の流れに、翻弄された"足利の悲しい歴史"が刻まれていました。

衰退前の発展期に、業界に貢献したお三方の胸像。

労働集約型の繊維産業が、発展したのも、衰退したのも時代の流れ、夢を見るのは一度限り・・・。時代は少子高齢化で、人口減少で、労働集約型の産業は歴史の彼方に。

「新たなる展開に向けて鋭意努力中」とは、大量生産ではなく、高付加価値製品の、多品種少量生産とか、生地も、アパレルも、販売もの方向でしょうかね?  まあ、門外漢のド素人が、そんな事を考えても、余計な御世話でした。

 

はい、織姫神社を後にして、次は、雪輪町をウロキョロします。

 

それでは、また。

 

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