歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

茨城空港“軍事と民事の対立”で唯一の国内定期便が廃止?

2010年06月30日 | 街の風景
先日の日曜日、茨城空港に二人で行って来ました。

前回は平日で、今回は日曜日で、航空自衛隊は“お休み”で、戦闘機の離発着訓練は見られないのです。


それなりに人出は多く、


お土産売場はかなりの混雑。


開港100日祭でした。


たくさんの人が、たくさんの“おみやげ”を買い求めていました。


連れも、釣られて、何故か、お菓子屋さんで「花瓶・・・1900円」を買ってしまいました。花瓶に、貯金箱?に、仏像に、何だか判らない置物とか、陳列してありました。わたしには、どう見ても、“小学生の夏休みの宿題レベル”にしか見えませんでした。


ソウル便の到着です。


おじいちゃんも、ママも、ボクも、わたしも、茨城空港名物の“下から覗き”です。


曇り時々雨粒の落ちる空港・・・、国際便のジェット・・・、タラップを降りる乗客・・・、見つめる女性・・・、雨の空港・・・、何か起こりそうな・・・・・・、何て、思ったりして。


そう云えば、先日の新聞記事で、搭乗率は75%以上を維持しているのですが、スカイマークが神戸便を9月から“運休”すると発表したようです。

7月25日に開催される“百里基地航空祭”で、当日の離発着時間の変更を防衛省から“要請?強制?命令?”され、スカイマークが、かなり“へそを曲げた”ようなのです。

防衛機密上いろいろ問題があると、防衛省からいろいろ“要請?”のあった、上海便が週3便就航する話が決まり、橋本知事もヨカッタ、ヨカッタた思った矢先の運休話、橋本知事も間に入って大変なようです。

防衛省とスカイマークの対立は、いろいろあるようで、今回の百里基地航空祭での、離発着時間の変更要請に対する、スカイマークの“運休宣告”は、かなり、根が深く、かなり、深刻かも・・・・・・。

航空会社の国籍、発着時間、発着便数等に、民事よりも軍事が優先する軍民共用空港は、今のところメリットよりも、デメリットの方が目立つようです。

それで、この日の昼食は、石岡近くの6号線沿いの蕎麦屋に入りました。連れは“ゴマ汁そば”


大雑把で、細かい事は気にしないのです。


わたしは、“ぶっかけそば” 納豆は無い方がヨカッタです。テーブルに置いてある“揚げ玉”を“ぶっかけ”て頂きました。ボリュームはOK、まあ、まあ、の、お味でした。千円です。


器が、このように、二カ所ほど欠けていました。もう、そろそろ引退では?


まあ、そんな、こんなの日曜日でした。

昨日は、サッカーを見てしまいました。延長戦も得点無しでPK戦、とても残念でした。でも、良くここまで頑張りました。日本も強くなったものです。

それにしても、眠い、飯喰ったら昼寝します。


それでは、また明日。



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研究団地は静かで明るく綺麗で寂しく怪しいところ

2010年06月28日 | つくば市の風景
先週の続きです。

未だ、東光台をウロウロしています。でも、今日でお終いです。

それで、東光台の南の外れに辿り着き、日本板硝子の向かいは“木材研究施設”ではなく、何故か“材木市場”なのです。


材木市場の先を左折すると、研究学園駅方面への近道なのですが、交差点の施設は完成しているのですが、道路は林の前で中断しているのです。


東光台の見学を終えて、研究学園駅方面に戻るのですが、近道を探し求め一旦バックします。


材木市場と「アステラス製薬」の間の道を入る事にしました。


思った通り、道は行き止まり。遠くに市庁舎が見えます。


左側が「アステラス製薬」の研究所なのですが、そう云えば、科学万博記念公園の向かいにも「アステラス」の研究所があります。あちらは、以前「山之内製薬」でしたから、こちらは以前「藤沢薬品」の研究所だったのでしょう。

それで、何ですが、研究所団地を造成して、民間の研究施設を誘致して、自治体としては、どんなメリットがあるのでしょうか? 研究だけで、製造はしていないので、税金としては固定資産税だけで、法人税収入は無し? 

消費税が増税される動きがありますが、それに先だって、増税額に等しい法人税の減税が決定されたようなので、研究施設の税金が、何となく気になったりして・・・・・・。

それにしても、出口を締めないで、入り口を開けるのは、誰が、どう考えても、まったく、もって、話にならないのです。

兎に角、出口側に問題は無いと、“菅と官”で認識の統一がなされたのでしょう。ホントは“カンカンに怒って”しかるべきなのですが、日本国民は、大人しくて、行儀がよくて、我慢強くて、健忘症で、扱い易いと・・・・・・、ホントに、かなり、ベロベロに舐められているのですが・・・。 

それで、こちらの“行き止まり”の道ですが、手前には“芝畑”その先に、新しい造成地があり、両者を繋ぐ道はありません。でも、ここを通るのが近道ですから、芝畑を突破し柵を乗り越え造成地側に進入します。

誰も見ていないのですが、大胆不敵に畑の真ん中を突破するのは、ちょっとばかり気が引けますので、一応、畑と畑の間のあぜ道伝いを、自転車を押して静かに突破する事にしました。

アステラスの裏の塀沿いの暗い道を通りあぜ道へ。


自転車を抱え、柵を乗り越え、造成地に進入。


振り返ると、こんな風景が、誰も居ないと思っていたら、おじさんが芝に生えている雑草を抜いていました。横断中は両者共に、互いの存在に気付かなかったのです。あちらに見えるのが、アステラス製薬の研究施設です。


駅前に続く、片側2車線の道路、でも、未だ、この区画は、進入禁止なのです。


片側2車線の道路は、ここで、終わっています。この先にある林を抜けると、材木市場前の行き止まりの道と繋がるのです。


これで、東光台5丁目の、民間研究所団地の見学は終了です。

研究学園駅に向かいます。


東光台研究団地は、静かで、明るく、綺麗で、寂しく、怪しいところでした。


それでは、また明日。



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研究はフツ-の人の理解を超えて遙か彼方に

2010年06月25日 | つくば市の風景
サッカー3対1で勝ちました。3得点とも、何だか、呆気なく、簡単に入ってしまった気がします。前半2-0で、同点でも決勝リーグに行けるので、ハラハラ感、ドキドキ感がいまいちで、デンマークが得点したときは寝てました。

それで、一昨日の続きです。東光台は5丁目の“研究団地の区域に入ります。それなりに、スペースを取り、それなりに緑を配置しています。


この会社は何となく製造工場の趣がします。


この会社は、調べてみたら、かの有名なノーベル賞の小柴博士と関係があったのです。


何ていったか? カミオカンデラ? 何か、タンクに水を、いっぱい、いっぱい入れて、そん中に、“光何とか管”何てモノを、いっぱい、いっぱい取り付けて、何か、ニュートリノだとか云うモノを捕まえたとか?

その、“何とか管”を造っていたのが、この“浜松ホトニクス”と云う会社だそうです。HPを見ても、フツウの人には、何が、何だか、よく解らない製品を作っている、何だか判らない会社です。でも、その筋では名の知れた、世界のトップを走る研究開発型企業だそうです。

知らない機器を使って、知らない装置を組立て、知らない人達が、知らない処で、知らない研究をしていたのでした。ホントに、最先端の研究は、フツ-の人の理解や興味の、ずっと、ずっと、遙か彼方を歩んでいるようなのです。

いいのか? 悪いのか? 費用がかかり過ぎなのか? 役に立つのか? ムダなのか?蓮舫議員にも判らない? 研究者を信用するしかない? “二番じゃいけないの?”発言は、間違いなく“間違い”だとは、思うのです。

一番を狙って、結果として二番は有るのですが、二番を狙って二番はあり得ないのです。今日のサッカーでも、引き分けを狙っていては、3対1の結果は有りませんでした。

こちらは“ハリマ化成”。 ハリマと云うと、播磨で、播磨灘を連想します。この会社、その名の通り、兵庫県は加古町が発祥地だそうです。何だか、よく判らない“油関係”の会社です。


こちら“アフトンケミカル・ジャパン”は、社名に“ジャパン”があるのですが、米国の会社です。まあ、当然、日本の会社は社名の最後にジャパンは付けません。

油の添加剤の会社だそうです。玄関のガラス、何か? 添加剤で着色しているような?
 

添加物って何か、マイナスイメージがあります、いまは、無添加、無着色、無保存料の時代です。それは食料品か? こちら燃料油が専門で、食用油は造っていません。 

スタンレー電気です。この案内看板には、笑わせて貰いました。下に“すぐ右側”とあり、


数㍍ほど行くと“ここ→”とあるのです。


大変親切な案内看板です。案内看板を見なくても、社名の入った建物は目の前に見えるのです。


“スタンレー”さんには、会社勤めの最晩年にいろいろお世話になりました。秦野とか、伊那とか、いわきとか、宮城とか、いろいろな工場に伺った事があるのです。不味い、あまり、楽しくない仕事の事を、いろいろ思い出してしまった。

静かで、閑散のメインストリート。


これは、彼の“インテルハイッテル”の、“インテル”が、ここにあったのです。つくば本社だそうで、東京にも本社があるそうです。よく解りません。


こちら、他の建物と比較して、多少は“板ガラス”を多めに使用している“日本板硝子”です。


さすがに、世界的企業です、敷地が広い。


道路は2車線から1車線となり、ここで、研究団地は終わります。


今日は、ここでお終い。兎に角、眠い。

それでは、また来週。


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つくば市東光台メインストリートに“ケツ”向けて

2010年06月23日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

東光台のメインストリートの北端に到達したところで、「住居表示街区案内図」で東光台の概要を把握し、これより、メインストリートを横断し、反対側を南下し町の様子を探ります。


横断した処で、何気なく電柱の住所表示を見ると“酒丸”とあります。アレッ! ココは東光台の北の外れでは? 


何で? どうして?と、思い、さきほどの「住居表示街区案内図」に立ち戻り、再度、じっくり確認したところ、「住居表示街区案内図」が立っていたのは、東光台を通り越した酒丸だったのです。

東光台に入る前に、これから先は、こうなっていますと、「事前予告住居表示街区案内図」だったようです。よく見れば判る話でした。

そうか、そうだったのかと思いつつ、再度、道路を横断し、反対側の歩道を南下します。

遠くに、塀に囲まれた、大きな、御屋敷が見えます。もしかして? 区画整理事業の地権者でしょうか? 遠目ですが、まわりの環境との溶け込み具合、外観の退色具合から判断して、築後10年程度とお見受けしました。


道のこちら側は、住宅だけで、面白くなさそうで、反対側を見ると、メインストリートを背にして、お店らしき建物が、チラリ、ホラリ、見受けられるので、車の往来が少ない道路を横断します。


一区画入った所に平行した道があり、この通りに店や事務所が並んでいるのでした。


どのような考え方で、こういう造りにしたのでしょうか? 


ホテルの駐車場もメインストリートから入れないのです。


車が頻繁に往来する車道から、歩行者が頻繁に往来する歩道を、頻繁に車が横切るのは危険であるとの考え方なのでしょうか? 考え方としては、正しいような? そうでもないような? よく解らない構造です。


でも、しかし、歩行者も、車も、とても頻繁とは云えない現状では、メインストリートに“ケツ”を向けている構造は、とても寂しい雰囲気を、辺りに醸し出しています。


この寂しさと、静けさのなか、このお店は営業しているのでしょうか? 心配してしまいます。


閑静な住宅街のお値段です。50.82坪で1080万円と云うことは、坪単価は約21万円で、総額が2631万円だから、1080万円を引くと、建物は1551万円で、建坪が36.38坪ですから、坪単価は、42.6万ですか・・・。まぁ、こんなもんなんでしょう。


住宅団地の区画が終わり、いよいよ、研究団地の区画に入ります。



それでは、また明日。

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明るく輝きうら寂しい東光台

2010年06月22日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

ほぼ南北に細長い東光台の中間点から、先ずは北へ向かいます。

1981年に区画整理事業が完成し、あれから、早、30年の歳月を経過し、特異な市街地はどう発展したのか、この眼で確かめたいと思います。

中間地点から北は住宅街のようです。建物の外観からは、築後4~5年、古くても10年程度だと思われます。


こちらは市営住宅でしょうか。まだ、まだ、広い空き地が眼につきます。


こちらにも、原っぱが。


こちらは、店仕舞した飲食店。商売の成功を夢見て店を開き、夢敗れ店を閉じたのでしょう。いろいろあったことでしょう。

新鮮な旬の海産物を調理し、お客様にお出しする店“はべり屋”さん、残念でした。


材料の鮮度が良くなかったのか? 調理が腕が良くなかったのか? 店の雰囲気が良くなかったのか? 価格設定が良くなかったのか? それとも、そもそも、商売が成立するほど住民が居なかったのか? 

店の様子と辺りの様子から、う~ん、何か、すべてが重なって、開店後一年ほどで、お客様に“侍る”事なく閉店した雰囲気がします。

明るい住宅街です。お住みの皆さんは、何処から移り住み、何処へ通って、どんな仕事をされているのでしょうか? 


細長い町の裏手は直ぐに田圃が広がり遠くには筑波山です。


振り返って、こちらは研究学園駅方向です。


裏道からメインストリートに戻り北上します。


この先が、東光台の北の外れのようです。


先ほどより、ずっと探し求めていたのです。フツウは“上が北”になるのですが、南北に細長いので“上が東”の案内図です。でも、この方が自然で分かり易いです。


東光台は、1丁目から4丁目が住宅団地街で、


5丁目が研究団地街のようです。住宅団地と研究団地を併せ持つ“特異な市街地”と、公園脇の碑文にありましたが、完全に両者は区画が分離しており、あまり、それほど、特異な印象は受けません。


この日は日曜日です。町は人通りもなくとても静かです。日曜日だから静かなのか? 日曜日でも静かなのか? 

空は青く、雲は白く、太陽は輝き、道は広く、明るく小綺麗な住宅が建ち並んでいるのですが、何か、とても、うら寂しいのです。


兎に角、ここで、折り返し、南に進路をとり、研究団地に向かいます。


それでは、また明日。


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綿密で特異な市街地の東光台

2010年06月21日 | つくば市の風景
先週の続きです。

東光台を目指しています。

研究学園駅前から、新庁舎の脇を通り東光台を目指すのですが、駅前の市街地と東光台とは、現在、かなり迂回した道路でつながっています。

そこで、この日、私は、かなりの危険を冒し、進入禁止の宅地造成地を抜け、道なき荒野を抜け、バリケードを自転車を抱え突破し、未舗装の田圃道を抜け、最短距離で東光台に侵攻したのです。


以前、東光台は一度だけ車で通過した事があるのです。その時の記憶では、南北に走る直線道路の両側にできた、とても細長い町だったと・・・・・・。ここら辺りは、たぶん、ほぼ中間地点ではと判断しまた。

運動公園のようです。テニスですかァ?、う~~ん、勤労青少年が、テニスですかァ?、君達! テニスは、お金持ちのスポーツです! バトミントンにしなさいねェ。


こちらは、真面目な“勤労青少年”の正しいスポーツ! 軟式野球です。日曜日に野球に汗を流す、とても健康で平和な風景です。


“勤労青少年”で思い出しました。昨年の暮れ、年越し派遣村騒動で、「派遣村」が設置されました。設置されたのが、勤労青少年スポーツセンターだったと?でも、しかし、いま調べてみたら、“国立オリンピック記念青少年総合センター”となっていました。

“青少年”の前に“勤労”の文字は付いていなかったのです。実は、わたし、40数年前に“東京オリンピックの選手村”だったこの施設に、2日間寝泊まりした経験があるのです。

それが、“勤労青少年”を対象とした“社会人教育”の合宿でした。その頃勤めていた会社から、新入社員教育として受けさせられたのです。何を教わったのか、今ではまったく覚えていません。時代は高度成長期、その末端を支える勤労青少年だった頃のお話です。

勤労青少年の頃だったので、“記念”が“勤労”に置き換わり、“勤労青少年スポーツセンター”と記憶したのだと思います。

華やかなオリンピックの選手村が、“国立オリンピック記念青少年総合センター”となり、そして、あれから半世紀 、21世紀に入って「年越し派遣村」として使われたのです。

高度成長期を経験した“元勤労青少年”としては、とても、とても、時の移ろいを感じるのでした。

話が、かなり、遠くに逸れてしまいました。

それで、公園の片隅にこんな石碑が立っていました。


昭和53年(1978年)に、“豊里町の町長と有志が相計り、住宅団地と研究団地を併せ持つ、特異な市街地として、綿密なる事業計画を樹立”し、1981年(昭和56年)に完成したようです。

つくば研究学園都市の構想は、オリンピック開催の前年1963年に閣議了解され、1987年に、谷田部町、大穂町、豊里町、桜村が合併し誕生したのです。合併前から、いろいろやっていたようです。


それにしても、肩に、相当に、力の入った碑文です。あの時代は、日本中で、みんなが、肩に力を入れて暮らしていた時代だったと・・・・・・・、でも、しかし、わたしは、あの頃より、ずっと、ずっと“脱力系”でした。

数十年の歳月を経過して、石の割れ目にこんな樹が生えてきたのです。このまま成長すると、根本の割れ目が拡大し一気に崩落するかも?


まぁ、それは、それとして、ほぼ南北に走る“特異な市街地”を先ずは北上します。



それでは、また明日。


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“吉野家”から“スタバ”へ

2010年06月17日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

いつかは、きっと! そう思っていた東光台に向かっています。

科学万博記念公園から、研究学園駅を目指します。

“吉野家”だったのです。以前から、何度も前を通過している工事現場、日曜日も休まず工事を続けていたのですが、今日はお休みのようです。こんな処に吉野家ができるのです。


交差点では交通量調査をやっていました。信号待ちをしているとき、以前より、ずっと抱いていた疑問をぶつけてみました。“スイマセン!自転車も対象ですかァ?”“いいえ。自転車は調べていません”との事でした。まぁ、そうだろうなァ。


こんな処に吉野家の斜め向かい、あんな処に“スタバ”です。


吉野家で“牛丼Bとん汁セット大盛り700円”を食べて、スタバで“モカ フラペチーノG490円を飲む、あまりやらないコースです。いつかは、きっと!です。

そんな、こんなを考えつつ、研究学園駅前に、車道の倍以上はある、広~い歩道、


いつ来ても、いつ見ても、人の姿は、チラリ、ホラリ、駅に来る乗客は車で来るし、周辺のショッピング街に電車で来る人は稀だし・・・、でも、歩道は“広~く”は、それなりに正しい考え方だったのです。

兎に角、ホントに明るい、ココは何処?的建築様式の結婚式場、


結婚記念の“風船飛ばし”新郎の合図で大空に舞い上がります。フツウの人には、人生最初で最後の主役に成れる舞台です。


新郎新婦の姿様子は確認できませんでしたが、きっと、二人は舞い上がっていたでしょう。


高く、高く、青空に舞い上がる風船を見上げ、


みなさん何を想い見つめているのでしょうか・・・・・・・。みんな自由に何処かへ、飛んで行きたいのでしょうか? そう云えば、そんな歌が?


空を見上げ過ぎて、首筋が固まってしまったので、ちょっと危険ですが、歩道には人が影もないので、首を振り振り、ペダルを漕ぎます。

見えて来ました! 東光台の街並みがァ! 民間の研究所街がァ!


さあ、いよいよです。何が、どんな風になっているのか?


それでは、また明日。



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緑がとても濃い科学万博記念公園

2010年06月16日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

東光台に向かってペダルを漕いでいます。

緑が、とても、とても、濃い、科学万博記念公園です。





















緑が、とても、とても、濃い、科学万博記念公園・・・・・・・でした。

東光台に向かっています。


それでは、また明日。


※梅雨は・・・・・・・何処へ? 明日から?


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取り留めのない雑然とつくば市でNo1の御屋敷を発見し鑑賞!

2010年06月15日 | つくば市の風景

梅雨入りしました。

ホントにじめじめと鬱陶しいです。

鬱陶しくて、更新も遅れ気味、先週はずっと一日遅れの更新でした。

そして、今日も一日遅れの更新です。

今日は、スッキリ青空の梅雨入り前のネタで、からっと、さっぱり、行きたいと思います。

6月6日の日曜日、かねてより、是非一度、行って見て、走り廻って来なければ、と、思っていた研究学園駅の近くの“東光台”に向かったのです。

新緑を過ぎ、緑が濃くなりはじめるこの時期、“ミドリ~~~!”と叫びたくなる、とても、とても、気持ィ~~~!のです。


田植機で植えたあと、細部の補修作業でしょうか? ご苦労様です。


いいなぁ~・・・・・・、


鉄塔は、少年の頃の夢と冒険。


高圧線の先に、何が・・・・・・・。


田舎道の先に、火の見櫓。


足下の、取り留めのない雑然が、とてもイイ風景。


屋敷林に囲まれ、何やら、とても立派な門構え、きっちりと纏まりのある風景。


まさにお屋敷です。門前の左右に池、門に向かって石畳、植木もしっかり刈り込まれています。雑草もなく、ゴミもなく、手入れが行き届いています。


母屋も、庭も、門構えに負けていません。これは、間違いなく、つくば市で一番のお屋敷だと思います。

周囲の風景も、お屋敷を引き立たせています。


門構えの立派な家は他にもあるのですが、門が立派でも、母屋が・・・とか、門も母屋が立派でも、庭が・・・とか、門も母屋も庭も立派でも、周囲の環境が・・・、だったりするのです。これほどに、すべてが整っていることは他にはありません。

このお宅に来られた客は、先ずは、通りの風景を眺め、石畳を歩き感触を味わい、途中で長屋門を眺め、左右の池を眺め、長屋門をくぐり、一旦立ち止まり、広い前庭の風景を眺め、庭木越しに母屋を眺め、おもむろに玄関に向かう・・・・・・、いろいろと、眺めるものがあるのです。

それで、これで、母屋の内部が、すべてに調和するような雰囲気であれば、それは、もう、完璧です。

まぁ、お家の内部は見る事ができませんが、庭木の手入れや、清掃が行き届いている様子からは、、きっと、きっと、素晴らしいと思うのです。

それと、当然、この立派なお屋敷には、それに相応しい、立派なお方が、お住まいになっているものと想像致します。

もしかして、このお屋敷、時代劇の撮影に何度も使われているのでしょうか? 何となく、そんな、気がしてきました。

はじめての道で、いいものを発見しました。

それでは、また明日。

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鳩山政権から菅政権で面白くなるのか?

2010年06月14日 | 世間話し
7月の参議院選挙を前にして鳩山総理と小沢幹事長が辞任しました。

あれだけマスコミと検察の連合軍に叩かれ、内閣支持率も、政党支持率も下がれば、辞任するしか選択肢はなかったと思います。

鳩山氏が辞任する時は、小沢氏も同時に辞任するのがフツウの選択です。どちらか片方が残る選択肢もありませんでした。

鳩山氏が小沢氏を道連れにしたとか、小沢氏が鳩山氏を道連れにしたとか、主導権はどちらにあったのか? 政変のシナリオは誰が書いたのか? 何て、いろいろ云われています。本人達は、当然、それなりに、お互いに、主導権を主張しているようです。

まぁ、誰が見ても、誰が考えても、参議院選挙前に二人が辞め、新しい顔で参議院選挙に挑むのが、フツウの選択だったと思います。お互いに、どのタイミングにするか考えていたと思います。

それにしても、鳩山氏は何十年も政界にいて、与党議員としても、政治を見てきた筈なのに、対米交渉を相当に甘く見ていたのが不思議です。やっぱり“おぼっちゃま”だったようです。

市民活動家出身で、核廃絶でノーベル平和賞のオバマ大統領ならば、きっと、日本の主張を受け入れてくれると思ったようです。

日本の官僚が政権与党の政策に抵抗するように、アメリカの軍部も、そう簡単には、大統領の言いなりにはならないのです。大統領でも、そう簡単に軍部に口だしできないのです。

オバマ君と鳩山君が二人だけで、仲良く話し合えば、海兵隊の基地の一つや二つどうにでもなると思っていたのですが、オバマ君も鳩山君も、互いに、政権トップの地位にありながら、それほどの権力は持って居ないのでした。

世の中は、複雑にして怪奇、いろいろな事が、いろいろと複雑に絡みあい、簡単には解けないのでした。

それでも、私は、鳩山氏を評価したいと思います。

戦後の政権で、初めて、アメリカに“ノン”と云った総理だからです。これからは、これまでのように、言いなりにはならない事を、アメリカは、すこしは?認識したと思います。

いろいろあった結果として、自民党案を踏襲する辺野古移設案で合意しましたが、しかし、県知事も、市長も、県民も市民も、すべてが反対ですから、移設は事実上不可能でしょう。

兎に角、対米関係の変更、官僚主導から政治主導への変更、これは大変な革命ですから、そう簡単には行かないのです。それなりに、もう少し、長い~~眼で、民主党の政治をみていこうと思うのです。

少なくとも、衆議院議員の任期の2期分8年は民主党政権でいろいろやってみないと、答えは出ないと思います。

それで、菅総理ですが、対米関係、対官僚関係も、面と向かって、ストレートに、ノンを云わないで、じっくりと、徐々に、変更していく戦略なのでしょう・・・・・・か? まったく取り込まれたとは、思いたくないのですが・・・・・・。 

それで、消費税ですが、菅総理も見直しを言及し、野党自民党も“10%”の引き上げを参議院選挙の公約に掲げたそうですから、これで引き上げは“率と時期”の問題に移ったようです。

消費税を引き上げて、税収が上がり、財政が健全化して、景気も良くなり、国民の所得が向上し、国民の暮らしも楽になり、自殺者も減り、老後の心配もなくなり、国民すべてが幸福になり、すべて、ヨカッタ!ヨカッタ!になるのなら、だ~~れも、反対しないのですが・・・・・・。

なかなか、そうはならないので、みんな心配しているのです。

政治はそんなに万能ではないと思います。今は、悪い事を、すべて政治の所為にしている様な気がします。

世の中、いろいろ複雑で、怪奇で、面倒で、絡み合っていて、関係していて、ムズカシイのだと思います。

財政赤字が解消しても、“面白くもねぇ”世の中になっているかも知れません。


それでは、また明日。



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