歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

阿見プレミアムアウトレットを裏の方から!

2009年09月30日 | 街の風景
本日は、ただいま巷で噂?の“阿見プレミアムアウトレット”です。

じつは、先月も、近くと云うか、そばと云うか、“その辺り”に接近したことはあったのですが、危険な道路状況?と、他の目的の序でだったと云う事もあり、途中で断念したのであります。

今回は、決死の覚悟で“危険な道路状況(歩道が無い)”を果敢にも突破して、ついにその全貌を捉えたのでした。結局、歩道無しは100㍍程度でした。

頻繁に大型トラックが行き交う田舎道の歩道無しは、自転車で走るのは、とても、とても危険なのです。

それで、水戸街道を龍ヶ崎方面に右折し、“カントリーライン”に入り、終点の丁字路を左折し、二股の交差点(左は牛久大仏)を右に進み、暫く行くと左手方向に、こんな風景が見えて来ます。

県央道の“阿見東インター”です。現在はこれより先は未開通です。

それらしい建物が見えます。


田圃道を走った方が近そうなので左に入ります。


たぶん、このまま行けば近道の筈?


うん。見えますアウトレット。


きれいに整備されています。間違いなく抜けられそうです。


あれ? 何となく怪しくなってきました。


あのトンネルを抜けると近道のようですが、フェンスが行く手を阻んでいます。


真っ直ぐしか行けません。でも、直ぐ先は未舗装、もしかして行き止まりだったりして?


牛久大仏が見えます。


一応、工事中の為に閉鎖されているようです。でも、突破できそうです。


自転車を抱え障害物を乗り越え、未舗装道路を進みます。


見えてきました。ここでも自転車を抱え柵を乗り越え工事関係者用駐車場?に侵入。工事中のショベルカーの運転席から疑惑の視線を向けられましたが、正々堂々胸を張り、駐車場を突破。


やっと、正規の、正しい、普通の道に出ました。


“阿見プレミアムアウトレット”に辿り着きました。


これまでのたんぼ道、未舗装道路を通過して、この景色、とても不思議な景色です。

こんな町中から離れた場所なのに、やっぱり、なかには、自転車で訪れるお客様も居ることだろうとの配慮から、しっかり“自転車置き場”も設置されているのでした。


さぁ、自転車を置いて、これから“プレミアムアウトレット”の見学です。当然、買い物の予定はありません。

この続きは次回とします。

それでは、また明日。





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連ドラ”つばさ”はヤッパリ最低でした。

2009年09月29日 | テレビの話し
兎に角です、87歳になる母は見ていませんでした。私は、兎に角、見てはいましたけどね。

突然のサンバ踊りと、訳の分からないヤクザ風不動産屋のドタバタ有り、そして、突然の高畑敦子のシリアス演技、そして、明るい父親の暗すぎる過去。

一番気になったのは、スーパーの社長の奥さんが“声”しか登場せず、最終回近くになって、足だけ画面に出した意味が分かりません。

演出も脚本も、朝の連ドラ向きではありませんでした。放送時間帯、過去の視聴慣習、等を無視した制作側の自己満足的なドラマでした。

朝の連ドラは“ふつう”がいいのです。“サラリーマンNEO”は朝見ては面白くないのです。

最終週が放送されていた先日、ある場所でこんな風景を発見しました。閉店した喫茶店“つばさ”です。しみじみ、眺め、佇んでしまいました。


隣は、もっと暗い、こんな不動産屋なのです。こちらは営業していました。


今朝の新聞記事です。やっぱり、そうか、そうだよなァ~の結果です。


兎に角、終わったのです。

今週から“ウェルかめ”がはじまりました。旧水海道市(現坂東市)の出身の羽田美智子がお母さん役です。

昨日は“水海道は千姫となごみと羽田美智子”に47件のアクセスがありました。普段もそれなりにアクセスのある記事ですが、“ウェルかめ効果”のようです。

“ウェルかめ”は大阪制作てす。以前は大阪より東京制作の方が視聴率は高かったようですが、“瞳”と云い、“つばさ”と云い、東京が低視聴率競争をしているようです。

中央より地方の時代なのでしょうか? それと、今回、川越が舞台となったのですが、ドラマとして川越市とはまったく関係の無いストーリーで、街の風景もほとんど画面には登場しませんでした。

登場するのは、河原と土手だけでした。それにしても、家を出て行くシーン、戻って来るシーン、何で?土手なの? お母さんも、お父さんも、祖母も、みんな土手。

絵柄としては判る気はしますが、小さな子供が、町はずれの停留所まで追いかけますか? 中心街の家から土手までは歩いても30分以上は掛かる筈です。

朝の連ドラの舞台で、最後に残った埼玉県、地元として何とか撮影地にと、舞台裏でいろいろな駆け引きがあったのでしょうが、結果として選ばれた川越市、相当な期待外れだったと想像します。

え~と、兎に角、“ウェルかめ”期待しています。朝の時間は年寄りにも理解できる“ふつう”の演出でお願いします。

それでは、また明日。

※今日は何とかPCも最後まで動いてくれました。

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女化道標の真っ直ぐはどっちだァ!

2009年09月28日 | 女化道標問題
10日ぶりの「女化道標問題」です。たぶん、今日が最終回になると思います。

それで、「検討会」ですが、“川内康範先生”の“道路工事裏返し説”で、かなり雑然となり、え~いくら何でも? そんな馬鹿な? 工事はいつだった? などの“不規則発言”が、あちら、こちらで、わき上がったのであります。

その時、“川内康範先生”が、“ここは、文化財保護審議会であるからして、文化財を保護する立場にある。即刻、石塔を元の状態に戻すべきである”と、席から立ち上がり、右手を上げ、大声で発言したのです。

生涯学習課の職員から“即刻にと云われても、予算が有りませんので今期の工事は、ムリなのですが・・・・・・”と云われ、康範先生の表情はより険しくなったのです。

委員一同、“まぁ、まぁ、そこは、そんなに”、と云った表情と動作で、康範先生に視線を向けたのでした。

その時、“偉い先生”が、“たぶん、あれは裏返しだと思います”との発言で、その場はそれなりに収まったのでした。

康範先生も冷静さを取り戻し、石塔の文面の調査報告の続きに戻ったのです。そこで、面白い指摘があったのです。

石塔に“すぐハ水戸道”と刻まれている文字の解釈です。現在の説明文には“すぐは水戸道”とあり、以前には“すぐ水戸道”とあったのを訂正しているのです。

石塔でも“ハ”の文字はかなりハッキリ確認できるのです。それにしても、明らかに確認出来る文字が抜けている説明文とは、ホントに何故? どうして? こんなことが? です。

それで、“ハ付き”と、“ハ無し”の解釈の違いです。康範先生は、“ハ付き”である場合は、“すぐ”は“真っ直ぐ”を意味し、“ハ無し”の、“すぐ”は“直ぐ近く”を意味するとの事でした。

さすが、ナルホド! と感心したのであります。でも、しかし、直ぐに!エッ。チョット待った!先生と思ったのです。

隣に座る副会長も、“どっちに行っても水戸道でしょう”と、私に囁いたのです。“真っ直ぐは水戸道”との文法解釈はわかるのです。

問題は、分岐の道標で“真っ直ぐ”は、“若柴”方向なのか、“龍ヶ崎”方向のどちらを示すのか? 若柴も龍ヶ崎も“水戸道”に行き着くのです。康範先生はどっちなの?

また、あらたな問題が発生しました。そこで、康範先生に質問を、と、思ったのです、がァ、康範先生の顔を見て、何となく“ややこしく”なりそうなので止めました。

「偉い先生」から、康範先生の調査結果とその説明は大変貴重であり、結論にいたる経緯は事務局として記録して置い下さい。“あなた達”にとって、いろいろ質問に答える為にも必要な資料になります・・・・・・と、云うような発言したのです。

私は、敢えて、この発言にくわえて、「何故そのような結論に至ったのか、その“経緯”の方が重要だと」発言したのです。

事務局の必要性ではなく、史跡の説明文として、そりなりの裏付けがあって当然です。歴史学として、人文科学として、学問として、そこにいたる経緯、“何故そうなの?”があって、始めてその結論に価値が生まれると思います。

かなり以前にも、「道標裏返し問題」があったと聞きました。でも、しかし、何故?その時点でその説が否定され、現状の説明文の方向が採用されたのか、まったくその経緯の資料が残って居ないようなのです。

今回も、それなりの見解が発表されたのですが、この「康範先生」説は採用されたのでしょうか? 特に各委員の見解を聞く様子もなく、各委員から反対意見が出る様子も無く、何となく、それとなく、会議は終了したのです。

見ていた限り、「康範先生」以外に道標を調査された方は居ない様子なので、他の委員から異なる見解を求めるのはムリな様子でした。

結局は、こんな経緯で、また説明板は書き換えられ、今度は、新たな説明板を見て“真っ直ぐはどっち?問題”が発生しそうです。

もしかして、非公式の“検討会”ではなく、正式の“審議会”で、改めて活発な討議がなされ、説明文が改訂されるのでしょうか? 

あっ、それで、この問題に関しては、私が質問のメールを教育委員会に送る事はありません。もう、だいたいの内部事情は判りましたから・・・・・・。

そうすると、“真っ直ぐはどっちダァ?”何て質問は、もう誰もしないか?

これで、やっと、「女化道標問題」とはおさらばできます。やっぱり、気が進まなくても、最後はキッチリ?と終わらせないとね。

やっと、これで、お終い。

そうでした、文中に度々登場した“偉い先生”ですが、調べたら“国立歴史民俗博物館”の館長をされている「宮地正人さん」でした。、ねぇ、ホント、まさか、でした。

それで、実は、パソコンが、また、勝手にシャットダウンをし始めたのです。これを書いている時にも、途中で一回、真っ暗になりました。

もう、買い換えかも? OSが「ビスタ」から「セブン」に10月末に変わるらしいので、今、買い換えていいのか、どうしようか迷っています。

暫く更新の無い時は、PCの故障か、新品の設定、操作の修得中と思って下さい。


それでは、また明日。


 
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月下美人が咲きました

2009年09月25日 | その他
“月下美人が咲きました”と、云っても、従妹からのメールに添付された写真です。

どうも、いまいち、やる気が・・・・・・。

今日のところは、この写真でくつろいで下さい。



来週からは、何とか? どうも休み癖が・・・・・・、まぁ、商売でやっている訳でもなし、そこは、それで、何とかねぇ。

それにしても、“女化道標”の“康範先生”の方も、それなりに、きっちり終わらせないと、やはり、いろいろとあるし・・・・・・。

兎に角! 来週から、ぴりっと!しないと、ボケそうなので・・・・・・、ボケると云えば、今朝、用事で車で出掛けようとしたら、キーが見つからないのです。

散々探して、やっと、2日前に出掛けた時にはいていったズボンのポケットから出てきたのです。段々、探しものをしている時間が増えてきました。

歳を重ねると、動作も遅くなり、一日の密度は大幅に薄くなり、若いときの半分程度?になってしまったような? 

87歳の母を見ていると、一年の中身は、若いときの1ヶ月程度では? 何て、思ってみたりする、今日この頃です。

まぁ、だからと云って、そんなに、毎日が充実しても疲れるのであります。

そこは、焦らず、ボンヤリ、まぁ、それなりに・・・・・・と、云う事です。


それでは、また来週。


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シルバーウィークは孫と遊びまくり!

2009年09月24日 | その他
19日、20日、21日と、孫が2泊3日でお泊まりしたのです。今年はお盆に来られなかったので、シルバーウィークのお泊まりとなりました。

19日に迎えに行き、“Mちゃん”一人で“2パク”なのです。パパとママから離れ“気楽”に“一人お泊まり”を楽しんでいました。

成長しました、来年は“♪ピカピカの一年生”

20日は龍ヶ崎ニュータウンの外れにある“人工展望山”に登りました。バァバとジィジは途中で息切れ、孫は一気に登頂。


雲一つない晴天の青空、景色が輝いていました。そこで孫が一言“色彩が鮮やかだネェ!”素晴らしい言語表現に唖然。天才かも?


遠くに牛久大仏の姿が、“見てごらん、大仏様だョ”“どこ?どこ?どれなの?”孫には見えていたのですが、大仏様と云う存在を知らなかったのです。

いろいろ説明をして、やっと大仏を理解し確認。

“そっかァ!あれが大仏さまかァ” こう云うところは、未だ、普通の6歳児なのであります。

山の中腹には真っ赤な彼岸花。


山を下り、次は“龍ヶ崎森林公園”です。


空気がひんやりしています。


いろいろ遊んで、


お昼は沢山食べてくれました。


おもちゃも買って貰いました。“ペタペタ餅チィ”だった? ホントにお餅が出来るのです。


21日は、パパとママが迎えに来ました。お昼は一緒に“シャトーカミヤ”で食べます。5月のゴールデンウィークに果たせなかった地ビールを飲みます。

すこし早めに到着して展示室を見学。暗い室内に“ディズニーランドみたいだネェ”と孫が一言。こういう場所があるようです。


さぁ!バーベキューで地ビールです。5月の失敗を繰り返さない為に、2週間前に予約しました。


大好きなエビ、この日もいっばい食べてくれました。


食後は買ってもらった“駿足”で芝生の庭を走り回ります。


“何とか手帳”も離しません。


食後は喫茶室に移動します。ここはなかなか雰囲気があります。


帰りに公園で、“逆上がり”を披露してくれました。


兎に角、とても、楽しい3日間でした。

じぃじバカ丸出しで失礼しました。


それでは、また明日。




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“女化道標”は道路工事で裏返しに!?

2009年09月18日 | 女化道標問題
一昨日の続きです。

それにしても、昨日は関越道の事故の余波に巻き込まれ、到着時間が予定より1時間半ほど遅れてしまいました。走っては止まり、走っては止まりの“尺取り虫走行”で、かなり疲れました。

お彼岸の道路混雑を避けた“早めの墓参り”だったのに・・・・・・・もう、何だか、まったく、意味の無い結果に終わり、疲労感が倍増したのであります。

本題に入ります。

それで、“川内康範先生”の発表は未だ続きます。他の委員はじっと押し黙り先生の話を聞いています。

副会長と懇談したのが、6月23日で、7月2日の審議会で問題提起され、一連の疑問・質問に答える役回りを“康範先生”が一手に受け持つことになったのでしょう。

それで、いよいよ“女化道標問題”の“核心”である石塔の“裏表”問題です。簡単に説明すると、こういう事になっています。


説明板には“表面に 宝暦十四年・・・南無阿弥陀仏・・・”と、“裏面に 西はたみや・・・すぐは水戸道”と“刻まれている”と書かれているのです。

一本道を辿ってここから2本の道に分かれる処に立つ、分岐の道標でもあるこの石塔、写真の方向から見た面が“表”と解釈する方が自然だと思うのです。

でも、しかし、こちら側の面には、“すぐハ水戸道”と刻まれているのです。

そして、裏側には“南無阿弥陀仏”と刻まれています。


この辺りから、私も発言をしたのであります。先ずは、一連の疑問・質問を述べ、いろいろな疑問が生じる「道標」である。

“女化”の地名の由来である、女狐の“女化”伝説との関わりから、いろいろな解釈、推測があっても、それなりにいいのでは? 

兎に角、とても面白い道標であり、その点を、それなりに、説明文に反映すれば、遺跡とか、史跡とか、歴史とか、関心の無い方にも、楽しめると思う。

・・・・・・何て、発言をしたのであります。

発言が終わったところで、右隣、一人隔てて座る“康範先生”が、“面白いとか、楽しいとか、そんな、小説みたいな話じゃない!”と、呟いたのです。

“面白くて、楽しくて、何故悪! オィ康範!”と、云いたかったのですが、そこは、大人ですから、聞こえない振りをしていました。

それからが、もう、討議は、かなりグチャグチャ状態になったのであります。私の記憶もかなりグチャグチャであります。

その後“康範先生”は、道標は裏返しであるとの見解を表明。これに“偉い先生”も同調。

私も、そう解釈もありと思いますが、でも、しかし、それでは、“面白く”無いので、


「表裏を逆にすると、右龍ヶ崎、左若柴の位置関係が実際の位置関係とぎゃくになりますよ」
すると、“康範先生”
「それはいいのだァ」
すると、偉い先生が
「文章は、右から左に書いて行くので、そうなったのかも」と、これは、何だか意味不明であります。

そして、“康範先生”は、ついに、
「わたしは、見たのです! あの石塔は現在とは裏表が逆に立っていた。道路の拡張工事の際に裏表が逆にされてしまったのです!間違い無い!」

これには、職員、委員、私もビックリ!目撃証言が出てきたのです。男性職員と副会長が“あの工事はいつ頃だった?”“え~と、それにしても、工事でそんな事は”とか・・・・・・。

他の委員も、え~、そんな? と、かなりざわついたのです。この“工事裏返し説”は、私も以前(1月19日)面白おかしく書いた説であります。事実だとすれば、面白過ぎます。

これから、まだ、検討会は続きます。

しかし、明日は孫がお泊まりに来るのです。掃除をしたり、車を洗ったり、買い物に行ったりと、忙しいのでこの辺で終わりとします。

続きは、シルバーウィークの終了後になりそうです。


それでは、また来週まで。




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”文化財検討会”に出席? 戌亥は有って酉は無し

2009年09月16日 | 女化道標問題
昨日の続きです。

さて、いよいよ、検討会は“女化道標問題”です。


前回、副会長さんと懇談した際に提起した質問・疑問・問題点に関して討議が開始されるのです。傍聴者の私は、少し離れたテープルの席に一人座っています。

発言は、入り口側に座る職員2名と相対する側の委員から調査報告として始まりました。この委員さん何ですが、年齢は70歳の前半から半ばと云ったところで、痩せ形で眼孔鋭く、誰かに?似ているのです。

先ずは、ブログ(4月2日)で指摘した“石仏問題”です。


説明文の1行目の頭に、“この石仏は”とありますが、これの何処が石仏なの?です。

で、これは、これは明らかに“石塔”であると、あっさり“石仏説”は否定されたのです。私としては、“そうか、やっぱり”で、特に問題なしでした。

2点目は、“田宮問題”です。説明板には“たみや”と表記され、“たみや”の文字の下にうっすら“たぐ”と書かれていたのが読みとれるのです。“たぐ”を訂正して“たみや”とした経緯があるのです。

実際に石塔に刻まれた文字を確認できれば答え簡単なのですが、石塔のその部分は目視では判別が困難な状態になっています。

その委員は、もう一人の委員と、2日を掛けて調査し、拓本を採取しその写しを各委員に配布し、写し取った文字の説明しました。

これが、拓本の写しです。


“たミ夜”と書かれているそうです。“た”と“ミ”は判るのですが、最後の文字は明らかに“木偏”に見えるのですが、夜の“俗字”とか“略字”とか“崩し字”なのでしょうか。

調査結果を発表している委員は、一緒に石塔の現地調査、拓本の採取を行った別の委員に向かって、“○○先生間違い無いですよねェ”と改めて確認し、その“先生”は“間違いありません”と答えていました。

どうも、この“先生”は他の委員とは、少し別格な様子なのです。この頃には、私は、副会長に手招きされ、副会長の隣に移動し、資料の配布も受けていました。

○○先生は私の斜め向かいに座っています。確かに、どことなく“アカデミックな気配”を漂わせています。

わたしが、“先生”の様子をそれとなく窺っている気配に気付き、副会長が小声で『あの方は宮地先生と云って元東大の先生です』と囁いたのです。

そんな“偉い先生”が、この牛久市の文化財保護審議委員に居るとは、それなりに驚きでした。それで、後で調べて判ったのですが、私が想像していたよりも、相当に偉い方でした。

3点目は、“方向表記の表現問題”です。
説明板には“十二支表記”での“犬い(乾・戌亥で北西)”と、通常使われる方向表記の“西”の二通りが使用させれているが、石塔には“西”ではなく、戌亥と同じく十二支表記で“酉”と表記されていたのでは?との疑問です。

※西か酉かは、石塔ではまったく消えていて判別は不可能な状態で、単なる推測としての話です。

それに対して、いろいろな文献を調べた結果、“戌亥(北西)”は方向表記として使われているが、“西”を“酉”表記した文献は見あたらなかったとのことでした。



確かに、丑虎(ウシトラ)とか、辰巳(タツミ)とか、戌亥(イヌイ)とかは聞き覚えがあります。但し、“申(サル)未(ヒツジ)だけは、聞いた事がありませんが・・・・・・。

これは、“東・西・南・北”の各間の方向は十二支で表記しており、北を子と云ったり、東を卯と云ったり、南を牛と云ったり、西を酉と云う言葉は、私の経験からも、耳にした事はありません。

そのなかで、酉と西では、酉の字体は“縦長”で、西の字体は横長との話があったのですが、それと、方向表記の話のとどう繋がるのか?いまいち意味不明でした。

それ以外は、わたしといても、それなりに正しく、説得力のある回答と思いました。

それで、この調査報告に対して、“偉い先生”から、報告した委員に“この調査はそれなりに価値のある調査であり、論文として発表しては”との発言がありました。

それで、先ほどより、調査結果を発表している、“年齢は70歳の前半から半ばと云ったところで、痩せ形で眼孔鋭く、誰かに?似ている委員の方”ですが、その時、思い出したのです。

そうだ、あの大作詞家、あの“おふくろさん騒動”の“川内康範先生”に見えてきたのです。意志が堅いと云うか、頑固一徹と云うか、兎に角、堅そうです。

ここまでは、“そうか、そうか、なるほど”でしたが、見解が異なったら、これは、手強そうです。

きょうは、ココ迄とします。

明日は、早めのお彼岸の墓参りに行きますので、ブログの更新はありません。


それでは、また明後日。



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”文化財検討会”に出席?その2・・・結論より経緯

2009年09月15日 | 女化道標問題
昨日の続きです。

それで、遂に、待ちに待った、わたくし関連の議題の討議が開始されたのです。

はじめは“成井一里塚”の説明分の年代二重表記問題からです。


これに関しては、それで、それなりの資料調査が実施されたようで、あっさりと改められる事に決まりました。

それで、その“年代二重表記”について、男性職員から、“当時の作成者の意図として、「二つの説」を「並列表記」したようだ”との、発言があったのです。

“でも、しかし、皆さん、上の説明板の文章から、そのような意図が読みとれるでしょうか?”と、検討会の場で発言した訳ではありません。傍聴者ですからね。 

敢えて、今更、私が、“ココ”で、問題にしたいのは、年代を並列表記した意図が文章として読みとれない点、では無くて、そのような曖昧なと云うか、矛盾したと云うか、訳が分からないと云うか、そんな文章が、公の機関の名の下に掲示されてしまっている事です。

まぁ、そんな事は、これを機会に改められるのだから、いまさら、そんな、過去の事など、いちいち、詮索しなくても・・・・・・ねェ。何て、お思いでしょう、がァ、そこが、気になるのです。

わたくし、品質管理で糊口をしのいできた身として、つい一言・・・・・・・なのです。

この史跡の説明文作成に関する“決まり事”に関して、どうなっているのか、どうも曖昧なように思えるのです。

文章は、誰が?、いつ?、どういう資料に基づき?作成したのか? 作成された文章は、誰が検証したのか? その経緯は記録として残されているのか? 記録があるとしたら、誰もが、必要な時に、直ぐに、取り出せるよう整理されているか?

結論よりも、そこにいたる経緯が重要なのであります。経緯の無い結論は“クリープのないコーヒー”なのです・・・・・・ちょっと違うか?

何て事なのです。まぁ、そんな事は、いまさらどうでも良い、と、お思い方もいらっしゃるでしょうが、だが、しかし、なのです。

この事は、“女化道標”についても云えるのです。“女化道標”の方が問題点が多く、もっと、もっと、しつこく、ややこしくなります。

そこで、本日はこの辺で終わります。

“女化道標”については次回とします。


それでは、また明日。



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非公開の”文化財検討会”に出席? -その1-

2009年09月14日 | 女化道標問題
先週の続きです。

それで、7月のたぶん23日だったと思います、約束の時間は2時半頃だと、場所は前回と同じ“生涯学習センター”です。


前回と同じく5分前に到着し、先ずは、受付の前を通過し右に曲がり、通路の自動販売機でお茶のペットボトルを購入し、受付に戻ろうとすると、通路の奥の部屋のドアが開き、タイミング良く副会長が現れました。

副会長は“もう暫くここでお待ち下さい”と告げて、奥の部屋に戻って行きました。何かの会議?かと思いつつ、受付前の椅子に腰掛け、お茶を飲みつつ、辺りの様子を何となくボンヤリ眺めていたのです。

通路の壁には、市民ホールの講演案内とか、市の広報とか、いろいろ貼ってあり、その中でも大きな“会議室の使用予定表”に眼が止まりました。

副会長が入って行った会議室で何が行われているのか?“会議室の使用予定表”を上から順に追っていったのです。

すると、何と、“文化財検討会”とあったのです。使用時間を見ると1時半から4時半となっています。

4時半迄開催される検討会の当日に、私を2時半に呼んだと、云うことは? これは、もう、たぶん?非公開が原則の“検討会”に、私を傍聴させるつもりなのです。

“そうか、そうか、そう云う事だったのか・・・なるほどネェ”と、ひとり納得し、期待し、緊張し、多少の不安も抱きつつ、お茶を飲みつつ、持参した資料に眼などを通しつつ、イスに腰掛け待ったのであります。

10分ほどして副会長が出て来ました。“今日は、文化財検討会で、正式の保護審議会は年に2回開催され、その他は随時、検討会と云う形で行い、検討会はボランテイアなのです”との、説明を聞きつつ会議室に向かいました。

そうだったのか、“検討会”と“審議会”は、公開と非公開の違いだけではなく、“有給と無給”云う違いもあったのです。“そうか!そう云う事か、ナルホド!”と、妙な納得をして、会議室に入ったのです。


室内は、会議室によくあるタイプの長机が、長方形に組まれて、入り口側に前回お会いした女性職員と男性職員が座り、右側には会長(別途他の議題での発言により判明)、奥には女性1名、男性2名、左側には男性が2名、たぶん?委員は7名だったと思います。

入室した時は、何やら、他の議題について討議中でした。私は、その一画から少し離れた机に座るように副会長から指示されました。傍聴ですから席は別なのです。

副会長は会長の隣に着席。そうでした、会長は、あの“小川芋銭先生”のお孫さんです。前回、副会長にお会いした際に聞いていました。似ていました。

【芋銭先生の銅像】

                    
2名の職員を除き、委員の方々は60歳~70歳前後の方ばかりです。文化財保護審議委員ですから若造は居ません。私がだけが、ただ一人の怪しい若造なのです。

数分後に、私が簡単に紹介され、“私関連の議題”についての討議がはじまったのです。

で、その討議の内容です・・・・・・がぁ、今日は、身体の調子と云うか、鼻の調子が悪いのです。

昨晩は気温が高く、寝るときに暑いので窓を少し開けて寝たために、鼻水タラタラ、くしゃみの連発で、朝食後に鼻炎カプセルを飲んで、午前中はビデオを観ながらウトウトしていたのです。

薬は一日2回のタイプで、昼食後の今も効き目が持続し、いまいち、頭がハッキリしないのであります。まぁ、普段も、そうはハッキリしていませんが・・・・・・。


そんな、こんなで、具体的な討議のやりとりは、明日に廻したいと思います。


それでは、また明日。


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文化財保護審議会副会長と懇談 -その2-

2009年09月11日 | 女化道標問題
一昨日の続きです。

昨日は、朝から外出し11時過ぎに帰宅したのですが、天気が爽やかだった為に?昼食に発泡酒を飲み、午後は何となくゴロゴロしていて、ブログの更新する気分になれなかったのでした。

それと、「女化道標問題」は読者の関心が、非常に薄~く、アクセス数は200を越したのですが、そのうち「女化」へのアクセスは12件だけでした。たぶん、これは、“関係者”のみだったような・・・・・・。

でも、しかし、アクセスが少なくても、関係者だけでも、面白く無くても、何があっても、「女化道標問題」は続けます。

教育委員会生涯学習課の会議室での懇談は続きます。それにしても、この男女の絡み合い?はかなり濃厚で濃密なのであります。


それで、私の方から改めて、女化道標の質問・意見・疑問を資料を示して話たのです。①表裏逆問題 ②田宮問題 ③乾猪子の方向表記問題 ④右若柴、左龍ヶ崎の左右表記問題 ⑤道標表記文字と説明板表記文字の不統一問題・・・・・・(詳細は過去のブログを参照して下さい)

それで、説明に際して、私の右隣に座っている女性職員に副会長より、“次回の審議会にテーマの一つとして提出するのでしっかり記録するように”との指示を出していました。

で、この女性ですが、メガネを掛け、化粧気が無くて、真面目そうで、純朴そうで、教育委員会の職員らしい方でした。年齢は30歳±5歳ぐらとお見受けしました。

ちょっと、本論からそれました。

それで、こちらの質問、意見、疑問に対しては、特に、副会長の見解を述べることはありませんでした。

それと、序でに、「女化」ではないのですが、“成井一里塚”に関して、こちらの“説明板”の“存在の年代”と“築造の年代”の並列表記について、疑問を述べました。・・・詳細は6月4日の“牛久市成井一里塚存在と築造の謎”を参照して下さい。

これに対しては、すぐさま副会長より、“永禄4年(1561年)には既に存在”の方は明らかに間違いであると発言されました。

それで、この「成井一里塚」も「女化道標」の説明板も、ある時期、ある方が、史跡関連を管理していて、その当時に、設置されたのでは? ○○が教育委員会に在籍していたのはいつ頃までだった? とか、いろいろな内部事情に関して、副会長と職員の間で会話を交わしていました。

ある時期の、ある方の、勝ってな判断で、説明板の文面が作成され、問題点はその方の責任であったような表現をされていました。

ある時期、市役所内部で“いろいろ問題”があり、“職員の逮捕事件等”があったようです。牛久市にもそれなりの、いろいろと勢力争いがあるようです。

教育委員会にもその影響は、“あった”と云うか、今でも“ある”と云うか、そんな微妙な話でした。

それで、今回の一連の教育委員会作成の“史跡説明板”に対する「質問・疑問・意見」を“ブログに掲載”し、教育委員会にメールを送ってきた“輩”は、ある勢力の“回し者では?”と、関係者一同、深い疑念を抱いていたそうです。

この間、そのような眼でわたくしを見ていたとは驚きでした。なんとも、まぁ、こんな処で、地方政治の生々しい現実に遭遇するとは・・・・・・。

説明板よりも、“そっちの話”の方がよっぽど面白そうですが、そのへんの話を根ほり葉ほり聞き出したい衝動に駆られたのですが、やはり、それは、ちょっと、まずいかと思い、聞き流すだけにしました。

まぁ、そんな、こんなで、1時間ほどで懇談は終わりました。この日が6月23日だったと思います。そして、7月2日に“文化財保護審議会”が開催されました。

この日は、傍聴しょうか?どうしょうか?迷ったのですが、何かの用件で取り止めにした記憶があります。

当日の議事録が公開されていますので、関連部分を以下に引用します。

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第1回牛久市文化財保護審議会議事録 
                
日    時   平成21年7月2日(木) 午後2時~3時30分  

場     所   中央生涯学習センター 大講座室

出 席 者 審議委員:小川耒太郎,栗原 功,鈴木昭三,山岡貞之助,柳井哲也,渡辺 恵,斉藤弘道,鈴木哲夫,宮地正人,山田 修,藤井辰夫

事務局:榊次長,川井課長,石山補佐,張替,秦  

欠 席 者   なし              

傍 聴 人   0人              

******途中省略******

2)市指定文化財案内看板について
かねてより指摘のあった、女化道の道標・成井一里塚の案内看板について審議された。
<女化道の道標について>
・道標自体について標記・位置などを見直す必要がある。
<成井一里塚案内看板について>
・この看板の表記には明らかな誤謬があり、すぐに改めるべきである。
<案内看板全体について>
・市指定文化財看板全体について改める必要がある。
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引用終わり。

私の意見、質問、疑問が、それなりに、公的に取り上げられたのです。それにしても、この議事録?の内容では、詳細に関して何が?何だか? 良くわかりません。

その後、職員の方だったか? 副会長の方だったか? 記憶が定かで無いのですが、もう一度お会いしたいとの連絡があり、7月にお会いする事になったのです。

それで、その2回目の7月なんですが、これは、かなり、面白い事になったのであります。

その話は、次回。


それでは、また来週。


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