歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“隠し剣鬼の爪”は“藤枝梅庵”で緒方拳

2012年12月23日 | 映画の話し
確かに、面白かった!

昨日、録画した在庫を観たのです。

友情あり、純愛あり、涙あり、笑いもあり、貧しさに耐え、時代の流れに耐え、サムライ社会の矛盾に耐え、屈辱に耐え、兎に角、耐えに耐えるのです。

そして、最後は抑えていたモノをを爆発させ、結末は収まるところに収まり、スッキリとして、ヨカッタ!ヨカッタ!で終わる、良くできた娯楽時代劇でした。


“隠し剣鬼の爪”とは如何に?と、ずっと、ずっと、期待してみていたのですが、これが、もう、かなり、あの“テレビドラマ”に似ていたのです。

そのドラマは、あの当時大ヒットした“必殺仕掛人”です。調べてみたら1972年から1973年の放送で、もう40年も前のことです。

“必殺仕掛人”では、針を突き刺し一瞬で息の根を止めるのですが、


“鬼の爪”も針のような“隠し剣”を突き刺すのです。


監督も、もしかして?、必殺仕掛け人を連想する観客いるのでは?・・・、と、思ったのではと・・・・・・。

タイトルが“隠し剣鬼の爪”ですから、耐えて、耐えて、最後に怒りを、恨みを、必殺の“隠し剣鬼の爪”によって、好色悪徳家老の息の根を止めるシーンは、それなりにクライマックスなのです。

でも、しかし、40年前の藤枝梅庵を知っているわたしにとっては、アレ!、ナニ?、コレ!のシーンでした。これって、もしかして、パロディ?なのでした。

必殺仕掛け人の藤枝梅庵は“緒方拳”でしたが、今回は“殺し役”ではなく、“殺され役”の好色悪徳家老を演じているのです。ここいらもパロディーぽいのです。藤枝梅庵を知っている年代には、何か、ちょっと、可笑しかったのです。


この配役は、監督の悪戯と云うか、照れなのかも知れません。40年も前のパクリ?ですから、まあ、もう、時効ですけどね。

それにしても、松たか子、ヨカッタ!ほんとうにヨカッタ!


永瀬正敏もヨカッタ!


それにしても高島礼子です。彼女が演じると、単なる“好き者”にしか見えないのです。可哀想とは、とても、とても、思えなくなるのです。ミスキャストです。


それにしても、良くできた娯楽時代劇です。映画館で観た方は、気持ち良く席を立つことができたでしょう。

お休み中ですが、とても面白かったので、つい感想を綴ってしまいました。

それでは、どうも・・・・・・。

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大腸内視鏡検査で緩下剤と牛乳と飲酒で心配でした

2012年12月18日 | 健康
今年も行って来ました。

先週の金曜日(14日)に、大腸の内視鏡検査を受診ました。

今年で3回目、1回目は5㎜のポリープで、2回目が2㎜のポリープで、今年はポリープの発見も無く、検査は順調に終了したのでした。ヨカッタ!ヨカッタ!のでした。



今回は、3回目と云う事で、かなり余裕で検査に臨んだ為に、いろいろと、手違いがあったのでした。

一つ目は、便秘薬です。

今年は検査の4日前(10日~12日)から前日まで、便秘薬(緩下剤)の“アローゼン”を寝る前に2包服用することを指示されていたのです。

実は、実は、前回の検査で腸内に“ウンチ”の欠片が付着していたのが発見されたのです。そこで今回、腸内を“キレイサッパリ”見やすくするために、前回検査した医師が、しっかり、次回は“便秘薬服用”とカルテに書いたのです。

それが、10日は飲み忘れて、11日に始めて2包飲んだら、これが、まあ、良く効いてと云うか、効き過ぎて、一日中お腹がゴロゴロ状態だったのです。

これで緩やか? これでは、ちょっと大変と1日で服用を中止したのです。2包を1包に減らす手もあったのですが、なんか、ちょっと、と、思い、全面的に中止したのです。

二つ目は、前日の食事内容です。
夕食だけに制限があるものと思い込み、朝食と昼食に牛乳をたっぷり300CCほど飲んでいたのです。乳製品は腸の表面に脂肪の膜をつくり異常を発見し辛くなるようです。

三つ目も、前日の食事内容です。
実は、実は、前日の夕食に焼酎を飲んでしまったのです。“飲酒は控える”を忘れて、晩酌のつまみにと、スーパーで“焼き鳥”を買ってしまったのです。

飲酒抜きで焼き鳥だけと云うのは、どうしても、こうしても、あり得ないので、少しだけならば、飲んでも?と思い、やってしまったのです。飲酒は脱水症状を起こし、何か? 見づらくなるようです。

と、云う3点に於いて、もしかして?もしかして?検査に“支障をきたす”のでは?と、思っていたのです。

でも、でも、しかし、便秘薬の服用を中止しても、牛乳を飲んでも、焼酎を飲んでも、特に、検査には支障が無かったので、それで、ヨカッタ!ヨカッタ!なのです。

毎年、毎年、検査しているので、特に、異常が発見される可能性は低いので、そちらの方は特に心配はしていなかったのです。

まあ、そんな、こんなで、ヨカッタ!ヨカッタ!で、今年はこれでブログの更新は最後とします。

更新の再開は、たぶん、1月の第2週に入ってからに、なると?思います。


それでは、皆さん、良いお年をお迎え下さい。




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自民圧勝でアカルイミライ!

2012年12月17日 | 世間話し
昨晩はいつものように9時には床につきました。

衆議院選挙の開票速報は、8時少し過ぎでほぼ結果は判明しましたので、他の放送を見ていました。

最近は各政党の支持率調査、選挙区毎の情勢調査、投票所での出口調査、これらの結果から開票前にほぼ結果は判明してしまうのです。つまらん!



これで、敗戦後に、アメリカから、押し付けられた憲法を廃棄し、日本国民の手で自主憲法を制定します。

先ずは、戦争放棄は放棄し、国家間の紛争の解決のため自衛隊は国防軍となります。専守防衛も放棄し、集団的自衛権も認めます。

戦後憲法は個人の自由を尊重し過ぎているので、個人の自由に一定の制限を設けます。

当然、原発は廃棄しません。

消費税も増税します。

TPPにも加盟します。

デフレ脱却の為、一万円札を沢山、沢山、印刷して、インフレを起こします。

尖閣諸島には国防軍を常駐させます。港湾設備もヘリポートも造ります。

竹島も領有権を主張し、“竹島の日”を設け、国家的行事として取り組みます。

領土紛争に際しては、武力行使も選択肢のひとつになります。

と、云う事で、国防予算のGDP1%枠を撤廃し国防力を強化し、中国とか、韓国とか、北朝鮮に舐められないようにします。

と、云う事は、近々、航空母艦の建造、核兵器の保持を明記した国防計画を作成します。

と、云う事で、教育を見直し、国民ひとり、ひとりが、国を愛する心を持つように、国のために命を捧げる心を持つように、教育内容を抜本的に改正します。

総選挙が終わり、自民党の政策が圧倒的に国民に支持されました。これで、これまでと異なる、いろいろな政策が、国民の圧倒的な支持を背景に、実行段階に移されます。

さあ、これから、賑やかと云うか、忙しいと云うか、物騒と云うか、いろいろなことが、いろいろなところで、いろいろと起こります。

何と、云っても、これが、国民の意思なのです! 国民の支持を得たのです! 民主主義なのです!

堂々と、胸を張って、勇ましく、日本の未来の為に、政治は進むのでした。

いや、でも、ホント、冗談ではなく、この方向が、一番の近道なのかも、知れません。


兎に角、もう一度、壊れないと、ダメなのです。


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映画『希望の国』 ④ 大谷直子と夏八木勲は?

2012年12月12日 | 映画の話し
昨日の続きです。

前回まで、映画というよりも、パンフレットから園子温監督の発言に対して、いろいろと疑問と云うか、イチャモンと云うか、書き連ねてきました。

監督の意図は、意図で、完成した作品は、作品なのです。もう、作品は公開されてしまえば、一人歩きです、意図はどうあれ、観た人間のものです。

それで、兎に角、映画館で久しぶりで、観客は全員で9名のなかで、大画面で観たのです。でも、しかし、見終わって大きなスクリーンで観た感じはしませんでした。

ストーリー的にも、シーン的にも、大画面の必要性のない、そんな作品でした。資金と時間の問題だけではなく、監督の意図としてセンセーショナルを避けたと云ってましたから、そういう事なのでしょう。

大きなテーマを、小さな日常の視点から、照らし出し、描き出し、問い糾す・・・。

それで、映画を見終わっての感想です。やっぱり、じれったい、何か、とても、中途半端で、未消化で、単なる、老夫婦の愛の物語・・・・・・そんな感じでした。

それで、老夫婦を演じていたのが、大谷直子と夏八木勲です。大谷直子も、夏八木勲も私から見て、未だ“枯れて”いないのです。


二人を見ていると、過去の記憶がフラッシュバックして、若いときイメージが蘇ってしまい、酪農家の老夫婦には見えないのです。これは、わたくしの個人的な問題で、監督のキャスティングのミスでは・・・、たぶん、無いとは?思います。


でも、しかし、演出的にも、これって、ちょっと?かなり?変!と思えるシーンがありました。

老夫婦が抱き合い、かなり、かなり、激しく、濃厚なキスシーンを演じるのです。その時の二人は、“アクション俳優の夏八木勲”と、『天城越え』で“娼婦”を演じたときの大谷直子でした。


きれいで、可愛くて、初々しくて、芝居も上手でした。わたしにとって大谷直子は『天城越え』で止まっています。


夏八木勲が猟銃を手にして、牛舎で仁王立ちになるシーンは、老いた酪農家ではなく、アクションスターの匂いが漂っていました。


地面を白く雪が覆った海岸で、二人が舞うシーンでも、時々、大谷直子がとても若く見えてしまったのです。


大谷直子は私と同い年で62歳、「天城越え」は1978年の制作ですから28歳の時です。夏八木勲は現在72歳です。

ここで、また、パンフレットの監督の話なのですが、質問者の「出演者のみなさんの芝居も緊迫感に満ちています。キャスティングの段階から、園監督の意図が反映されていたと思うのですが」に答えて、

『夏八木勲さんを再発見できたたことが大きかったと思います。大谷直子さんも、僕が高校生の頃に観ていた映画の方ですから。あの世代の俳優の中でも、土臭ささといい、酪農家の世界観の中にきちんとはまった方だと思いました。いろいろな人を考えて、絞り込んだ結果です』

質問も、ちょっと?、かなり?、なのですが、“酪農家の世界観にはまった方”は、かなり、かなり、ウ~ン?なのです。どのあたりが土臭いのか?映像からは伝わってきませんでした。

園監督は50歳です。これは世代の差?、個人の感覚の差? なのかも?
50歳の園子温さんには、62歳の大谷直子、72歳の夏八木勲は、とても老けて見えるのでしょう。

62歳のわたくしとしては、大谷直子は未だ若く、夏八木勲は、老人でもなく、土臭さもなく、アクションシーンも未だいけそうに見えるのです。

映画でも芝居でも監督の年齢は、キャスティングに大きく影響します。50代以下の観客には、たぶん、特に違和感はないのでしよう。

兎に角、原発は、これからで、現在進行形の問題です。園子温監督もこれで終わりではなく、これからも取り組んで行くそうですから、次回を?次回も?期待したいと思うのです。

それと、最後にひと言、技術的な問題なのですが、牛舎と母屋の位置関係が映像的につながらないのです。別な場所で撮ったとしか見えないのです。これは予算の関係?それとも演出の失敗?

それにしても、60歳を過ぎると映画が千円で観られるのはありがたいことです。70歳を過ぎたら5百円にして下さい。

それでは、また。



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映画『希望の国』 ③ 原発は背景?

2012年12月11日 | 映画の話し
昨日の続きです。

それで、『希望の国』の話しです。

園子温監督は、

『原発がいいか悪いかという映画を撮っても、それは映画としてあまり有効ではない・・・。映画は巨大な質問状を叩きつける装置・・・。そこで起きていることを認識して、ただ映画にするだけで充分・・・。取材した場所の中には、もちろん壮絶な被害を被ったところもありましたが、一方ででとても落ち着いた場所もある。だから、センセーショナルなものとして描きたくありませんでした』

と、パンフレットで語っています。

それで、前半の「映画はいいが悪いか・・・あまり有効・・・巨大な質問状・・起きていることを・・・映画にするだけで充分・・・」は、まあ、そうかも知れないと思います。

後半の「・・・壮絶な・・・、一方でとても落ち着いた・・・、だから、センセーショナルなものとして描きたくありません・・・」は、どうも、理解出来ないのです。

何で?“だから”、落ち着いた場所を選んで、センセーショナルな場所を切ったのか? “だから”の理由がイマイチ理解できません。答えは映画のなかにある?

質問者の「作品を観ると、原発の映画であると同時に、家族の映画であると実感します」何て、つまらない感想に対して、監督は、

『そこを立脚点にしないと、原発も放射能も見えてきません。人間関係が成立していなければ、3.11を経ても、悲しみや怒りを感じることなく振る舞えてしまうんです。結果的には、家族の映画であり、生まれた大地に住む人の話になりました』

でも、これって、こういう言い方は、かなり当たり前で、かなり一般論で、かなり抽象論です。人間関係抜きでは、当然、単なる、科学技術の記録映画になってしまいます。

映画でも、芝居でも、文学でも、その時代の大きな事故とか、戦争とか、革命とか、一人の意志では逃れられない状況の中で、生存を脅かされた時に、人間が、どうのように苦しみ、どのように生き、どのように闘い、どのように死んでいったのか、それらをテーマに採り上げ、物語を作るのはフツウで一般的な事です。

監督は『原発は誰にとっても重要な課題・・・誰もが知っている事柄を深く掘り下げたかったのです』と云っているのですが、何故?何処が?どうして?は、まったく描いていません。

『原発は重要な課題』 何処が? どのように?

『誰もが知っている?』とは? 放射能汚染名の実態? 放射能による健康被害の実態?避難区域に指定され今も悲惨な仮設住宅で暮らす人々の実態? 

『そこを立脚点にしないと、原発も放射能も見えてきません。人間関係が成立していなければ、3.11を経ても、悲しみや怒りを感じることなく振る舞えてしまうんです』との監督の言葉ですが、映画を観ると、う~ん?なのです。

映画は、とても、美しく、人間の愛を謳い上げていますが、原発も放射能も、それほど深く掘り下げたとは見えないのです。

やっぱり、人間はすばらしい、愛はうつくしい、と、そんな世界に向かってしまうのです。その為に、悲惨で、記憶に新しい、原発事故を背景にしているだけだ、と、感じてしまうのです。

園子温監督は、やはり、原発よりも人間に興味があるのでしょう。

まあ、ある意味で当然な事です。すべては人間の物語。人間の作り出した試練の中で、どのように愛して、どのように生きて、どのように死ぬのか、と、云う、ことですから・・・。

と、ここまで書いて来て、アレレ、何か、この映画に、もの凄いことを期待したみたい? 『希望の国』は原発関連の、最初の、1本の、単なる映画でした。

パンフレットの冒頭にあるように、原発事故によって踏みにじられ、破壊され、否定される?『ある家族の生き様と尊厳の物語』なのです。

文明史的にも大事件である原発事故を、小さな、片隅の、平凡な男女の、希望と絶望を描くことで、原発とは人間にとって何なのか?を問うている・・・と。

『希望の国』は映画館に行ってお金を払って観る価値はあります。

 
まだ、もうすこし、『希望の国』の話しは続きます。


それでは、また。



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映画『希望の国』 ② 嘘は薄っぺら?

2012年12月10日 | 映画の話し
先日の続きです。

パンフレットを読みました。

やはり、映画は映画を観て、理屈抜きに、映画そのものから感じる事が大切で、観る前に、監督の意図とか、他人の感想とか、知ってしまうと、料金の半分ぐらいを損します。

自分でお金を払って観たのですから、その分、自分でいろいろと、自分なりの解釈、自分なりの感動、自分なりの疑問等を、いろいろ巡らすのが正解で、ボケ防止にも役立つのです。

それで、600円で買い求めたパンフレットを見終わってから読んだのです。

それで、園子温監督ですが、その筋では、それなりに有名な監督らしいのです。『冷たい熱帯魚』とか、『恋の罪』とか、『ヒミズ』とか、ヴェネチアとか、カンヌとかの国際映画祭で上映され、それなりに好評だったようです。

それで、今回の『希望の国』ですが、園子温監督は、

※以下はパンフレットより抜粋



『原発には、復興のめどがたたないう問題があるからです。原発は誰にとっても重要な課題だと思います。誰も知っている事柄を深く掘り下げたかったんです。原発事故によって一家離散した方の話しや、酪農家の方が自殺した話しはいろいろなところで報道されましたよね。ニュースやドキメンタリーが記録するのは情報です。でも、僕が記録したかったのは被災地の情緒や情感でした。それを描きたかったのです』



『・・・今回はセリフもシーンも、なるべく想像力で書くことはやめて、取材した通りに入れようと思ったんです。勝手に書いた嘘は薄っぺらだけですからね。空想して書くことは控えようと思いました』

『原発がいいか悪いかという映画を撮っても、それは映画としてあまり有効ではない・・・。映画はは巨大な質問状を叩きつける装置・・・。そこで起きていることを認識して、ただ映画にするだけで充分・・・。取材した場所の中には、もちろん壮絶な被害を被ったところもありましたが、一方ででとても落ち着いた場所もある。だから、センセーショナルなものとして描きたくありませんでした』

と、語っています。

それで、先ずは、“ニュースやドキメンタリーが記録するのは情報で”と語っていますが、その事は、情報は単なる出来事の表面的、眼に見えるモノの記録であり、その渦中に居た人間を描くことはできないとの主張のようです。

確かに、ニュースは速報性が命ですから、なかなか渦中の人間の思いを伝えるのは困難だと思います。

でも、ドキュメンタリーは速報性はそれほど求められていないので、私としては、ドキュメンタリーは事件、事故、あらゆる事象の渦中での、人間のあらゆる思いを描くのが、ドキュメンタリーだと思います。

ドキュメンタリーとニュースを一括りにして、単に眼に見えるモノだけの情報の記録としたら、ドキュメンタリーの映像作家が怒ると思います。

そして、その事は、当然な事として、園子温監督は“僕が記録したかったのは被災地の、人間の、「情緒や情感」でした”となるのですが。

まあ、当然、映画は、脚本があって、演出があって、俳優が演じて、一つのテーマを作品にする訳です。ある意味で“作りもの”であって、事実ではない訳です。

事実を積み重ねるよりも、作り物の方が、真実を、人間を、時代を、より鮮明に描くことが出来ると思うのです。だから、総合芸術の映画はすばらしいと思うのです。

でも、しかし、園子温監督は、

“今回はセリフもシーンも、なるべく想像力で書くことはやめて、取材した通りに入れようと思ったんです。勝手に書いた嘘は薄っぺらだけですからね。空想して書くことは控えようと思いました”と語っています。

作り物のセリフは、嘘で“薄っぺら”でしょうか? 薄っぺらだとすれば、作り物が原因ではなく、勝手に想像して書いた“想像の内容”の問題だと思います。

被災者にいろいろ取材されたようですが、被災者は表現者としては素人です。自分の想いをすべて、自分の言葉で的確に表現するのは困難だと思います。

言葉の意図を、言葉意外のところからくみ取り、的確な言葉で、的確な表情で、的確なシーンで、的確なカットで、的確な音楽をバックに、嘘を演じる事で、真実を描くのがプロの表現者の役割だと思います。

やはり、対象が原発だと云う事で、下手な想像では、嘘になると思ったのでしょう。

やはり、かなり、急いでいたと思います。

原発事故は、あまりにも、あまりにも、物理的にも、科学的にも、経済的にも、政治的にも、社会的にも、歴史的にも、思想的にも、巨大な出来事です。

もう少し、資金と時間があれば・・・との思いは、園子温監督に相当あったと思います。

何か、いろいろ、ケチを付けてしまいましたが、希望の国はお金を払って観ても、損はしない映画です。是非、映画館に脚を運んで下さい。




もう少し、「希望の国」の話しは続きます。


それでは、また。





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映画“希望の国” ① 一歩、一歩、一歩の希望

2012年12月07日 | 映画の話し
もの足りないのです。

インパクトが無いのです。

地震、津波、原発がメルトダウン、放射能の拡散、植物を、動物を、田畑を、家畜を、人間を、汚染したのです。元には戻れない、戻らない、逃れられない・・・・・・のです。

それでも、希望ですか? タイトルの希望は、それでも希望なのか? それとも逆説なのか?良く判らないのです。

見終わって、何故か、とても、苛立つのです。

原発の爆発はそう云う事なのか? 放射能汚染はそういう事なのか?

そんな事で良いのか?

それで良いのか?


どんなに最悪な状況でも、希望を抱く事は可能です。いつでも、どんな時でも、希望を抱く事が出来るヒトがいます。

前回の戦争でも、開戦前も、戦時中も、敗戦直後も、希望を抱いたヒトは居ました。

原発が爆発しても、それも、二度も爆発しても、それでも、希望を抱くことが可能なヒトは居るの?

放射能で汚染されて、自然が破壊されても、家族を失っても、家族がバラバラになっても、それでも希望を抱く事が可能なヒトは居ますか?

そして、また、希望を失い、絶望し、自ら命を絶つヒトも居ます。

戦争、自然災害、事故、いろいろな脅威がくり返し、生存を否定されても、でも、でも、それでも、希望を抱くヒトは居ますか?

人類の歴史は、希望を失う事と、希望を抱く事の、繰り返しなのかも?

原発も宿命、戦争も宿命、希望と失望の繰り返し?が、人類の歴史?・・・・・・・・・・

それで、ここからが、今日です。

ですから、上記は映画を見終わって、家に帰り、焼酎で頭が少し痺れながら、昨晩、綴ったものです。何故か、とても、苛立っていたのです。

そして、一夜が明け、朝飯を食い、一時間ほど散歩して、コーヒーを飲んで、今、画面に向かって綴っています。

昨日、希望の国を観てきました。午後1時頃の上映、平日です、120余り客席には観客は9名、こんなモノなのです。

開演待ちの時、入り口のホールに腰掛け様子を見ていたのですが、入場券売り場は閑散、上映が終了して出て来る客もチラホラと片手で数えるほど、8スクリーンあるのですが、何処も、こんな感じのようでした。

それで、“希望の国”です。先ずは、やっぱり、“貧乏映画?”なので、予算が無いのです。


すべての“スケール”が大画面には物足りないのです。かなり映像が制約されているのです。きっと、きっと、脚本も、時間と予算に制約された気がします。

家の庭から先が避難区域に指定され、警察と自衛隊が登場し、鉄柵を設置するのですが、このシーンも大画面に対応し、緊迫感を演出するには、もっと、もっと、人と車両があったなら・・・・・・と思うのです。

それは、それで、しようがないのですが、でも、息子夫婦を避難をさせ、自分達は家に残ると云う父、この二人の会話が、とても、緊迫感が無いのです。

嘘っぽいのです。単なる台詞ぽっいのです。取って付けた芝居ぽっいのです。あまりにも、息子の口から出る言葉が頼り無く、幼く、薄っぺらに見えるのです。

園子温監督は制作にあたって、それなりに、いろいろな処で、いろいろな被災者に、いろいろと取材し、それを基に脚本を書かれたと思います。

何故、こんな描き方をしたのか、

30過ぎの男が、父親と抱き合って、フツウに泣くか?と思うのです。

自分は避難せず、息子夫婦にだけ避難を勧め、対立する父と息子。

もう少し、深刻で、緊迫感のある言葉のやり取りがあったならば?・・・・・・。

もう少し、映画として、完成度が高くなったような・・・・・・・。

タイトルの“希望の国”は、最後の画面に映し出されます。

老夫婦は悲惨な結末を向かえますが、若い息子と、身ごもった妻、この二人、いや、この三人のドラマは、ここから始まるのです。終わりではないとのメッセージなのでしょう。

希望である子供を、放射能で汚染された不安な環境で、これから育てていく二人、映画も、現実の放射能汚染も、これからなのです。

過去の出来事ではありません。

放射能汚染の被害が顕在化するのは、これからなのです。

それでも、希望を抱き、前に向かって、“一歩、一歩、一歩”と、ゆっくりと、すこしずつ、歩むしかないのです。

幻の少年と少女が登場し、“一歩、一歩、一歩”と呟きつつ歩むシーンは、とても、とても、感動的でした。ヨカッタです。

でも、怒り、悲しさ、虚しさ、儚さ、情けなさとか、何か、中途半端で、消化不良で、苛立つのです。

パンフレットを購入したのですが、まだ、読んでいません。

これから読んで、それなりに監督の意図を知ってから、老いた両親の結末と、二組の息子カップルの思いの変化を、それなりに考えたいと思います。

それにしても、もう少し時間を掛けたら・・・、との思いがあるのですが、でも、いま、この時にこそ、重要だったのでしよう。それは、理解できます。


それでは、また。




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東京駅の赤レンガ駅舎 ①ディズニーランド!?

2012年12月05日 | 東京の風景
実は、何を、隠そう、あの日、あの時、東京駅の“赤煉瓦駅舎”も見学して来たのです。

あの日、あの時とは、あの“反原発霞ヶ関一帯100万人大占拠”の11月11日の事です。

それで、東京駅のホームに降り立ったのです。何十年ぶり?と、思ったのですが、仕事をしている時、出張で東海道新幹線に何度か乗っていますから、10年ぶり位かも。


東京駅は人混みです。何となく、ウキウキ、ワクワク、ドキドキ、なのです。


人、ひと、ヒト、です。かなり地方の方が混じっていると思われます。 


見えて来ました赤煉瓦、通路から駅舎の裏側が見えるのです。


赤煉瓦の壁には、真鍮製の“赤煉瓦ドーム”と書かれた銘板が取り付けあります。別に銘板が無くとも見れば判るのに、と、思ったりして。まあ、何たって、赤煉瓦です。


10月1日が“復原”オープンでした。


銅板も眩しく、光輝いてます!ピッカ!ピッカ!です。


出口に向かいます。


居ますよ、沢山の観光客が? それにしても、高層ビルに囲まれています。


何か、やっぱり、興奮します。


ディズニーランド気分です。もしかして、ハウステンボス?行ったこと無いけど。


あちら、こちらで記念写真をバチバチ撮ってます。


思っていたより、何か、かなり小ぶり?


やはり、周囲の高層ビルがかなり目立ちます。谷間の埋もれ感があります。


何か、この風景には、やっぱり、“ディズニーランド感”があります。


復原工事は2007年に始まり、2012年に完成。工事は“鹿島・清水・鉄建”の三社が担当し、工事費用は約500億円だそうです。安いのか、高いのか、さっぱり判りません。

もう少し、あちら、こちら、歩き回ります。

それでは、また。

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“未来の党”の自前候補は“飯田哲也氏”だけ?

2012年12月03日 | 世間話し
昨日は、未来の党の候補者発表を楽しみにしていたのですが、“純粋”未来の候補者は、あの、「環境エネルギー政策研究所所長」の“飯田哲也氏”だけでした。

109名で自前は1名で、他は“みどりの風”、“国民の生活”、そして、“極右石原維新”にすり寄り捨てられた“減税”の候補者でした。

飯田氏が自民党高村正彦氏の山口一区からの出馬は予想していた通りで、7月の山口県知事選挙で飯田氏はかなり善戦しましたから、面白いことになりそうです。

でも、ホントにこの109名では、とても、とても、維新にも、民主にも、勝てないような気がします。

かなりの著名人のサプライズな候補者を擁立するようなことを匂わしていたのに、何か、何処かに、準備不足と云うか、根回し不足と云うか、詰めの甘さと云うか、代表の政治経験不足と云うか・・・・・・。

嘉田氏が“未来の党”を結成し、その代表が知事を辞職して立候補出来ない、そんな処に、ちょっと不安と云うか、頼り無いと云うか、弱いと云うか、急場しのぎと云うか・・・・・・。

公示は明日の4日です。このままの顔ぶれで選挙戦に突入でしょう。

期待は、来年夏の参議院選挙に持ち越しかも知れません。

今回の衆議院選挙後にかなりの確率で、いろいろな党の、いろいろな人が、あっちに行ったり、こっちに来たり、しそうなので、衆参同時選挙の可能性もあり、来年に政界の大変動?大移動?が、起こるかも?

今回の衆議院選挙は、その予行演習かも?

もしかして、もしかして、遠回りでも、今回の衆議院戦の結果、“右翼安部自民”と“極右石原維新”の連立政権が成立し、突っ込み処満載で、夏のダブル選挙に突入の可能性が・・・・・・。

兎に角、いち有権者としては、何とか、もう少し、ましな候補者と、それなりの頭数が欲しかったのです。

やっぱり、未来の党設立に動いていた小沢氏の情報が、かなり前から野田総理の耳に入っていたのでしょう。

兎に角、兎に角、それでも、いろいろあっても、未来の党は応援します。我が選挙区にも未来の候補が名告りを挙げました。これで、選挙区と比例区の投票先ができました。

それにしても、社民も、共産も、脇役と云うか、端役と云うか、まったく目立たず、そんな現状に対して、彼ら自身も充分満足している様子が漂っています。

社民の瑞穂オバサン、共産の志位オジサン、もう、とっくの昔に賞味期限と云うか、消費期限と云うか、過ぎています、見飽きました、ご苦労様でした。

人間も、政党も、見た目、外観、党首の顔が、とても、とても、重要なのです。

そこのところでは、未来の嘉田さんは、とても、とても、イイと思います。

いろいろあるけど、そんなところなのです。

今回の衆議院選挙は、“未来の党”と“過去の党”の闘いです。

それでは、また。


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