歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

茨城県立歴史館で千波湖の謎が?

2009年07月31日 | 街の風景
昨日の続きです。

ゆったり、ゆっくりの朝食を終え、部屋に戻り、ベットに横になり、テレビを眺めながら、今日の予定をボンヤリ考えてみたり・・・・・・。

高速を使わないで、海岸縁を走り海を眺めながらゆっくり帰るとか、それとも、美術館、博物館、芸術館を覗いてみるとか・・・・・・。

二人で何となく、テレビの画面に視線を送りつつ、今日の予定を考えていたりしたのです。テレビの気象情報から、今日も、気温が高く、湿度も高く、蒸し暑くなると聞いて、海岸コースはやめにしました。

博物館か、美術館か、芸術館か、そこらへんをと考えていたら、以前歩いた「水海道」の「昔の小学校」が、この水戸の“博物館”に移築されていることを、思い出したのです。

時間も10時をすこし過ぎ、そろそろ出掛けるかと、フロントに向かいました。そこで、博物館の所在を確認すると、

“徳川博物館”ですか?と聞かれ、

“いや違うの、普通の博物館なんですけど・・・”と云うと、

フロントの女性は、“フツーの博物館ですか?すこしお待ち下さい、資料を探して参ります”と云って、奥の事務所に入って行きました。

数分して戻って来て、これでしょうか?と、“茨城県立歴史館”のパンフレットを示しました。広げて見ると、“旧水海道小学校本館”が写真入りで載っていました。博物館ではなく、歴史館だったのです。

パンフレットを貰い、市内の観光スポット地図で場所の説明を受け、いざ出発です。ホテルから5~6分の距離です。

迷うことなく歴史館に到着。駐車場の入り口には守衛所があり、制服制帽の係り員が居たので、それなりの“入場手続き”でも?と思ったら、敬礼と、笑顔と、“いらっしゃいませ”のご挨拶で、お出迎えをしてくれたのです。

何か、朝から、とてもいい気分になりました。さい先が良さそうです。県立歴史館はいいところのようです。


でも、しかし、空は青く、雲は白く、気温は高く、湿度も高く、蒸し暑い。


入って直ぐ、左手にそれらしき建物を発見。


これです!


思い起こせば去年の2月、この案内板を見つめ、


“きっと、いつの日にか、水戸を訪れこの眼で・・・”との想いが、とうとう叶ったのでした。何て、まぁ、大げさなこともないのですが。


兎に角、それなりに見たかったのでした。


想像よりも、外観が綺麗です。


かなり修繕されているようで、外観の色具合からは、つい最近建てられた様に見えます。


内部にも入れます。


こんな感じで、


床板もピカピカ。


窓枠のカーブがとても明治。


懐かしいオルガンに蓄音機。


2階は公開していません。


もっと、じっくり、ゆっくり、内部も外部も、観察したかったのですが、暑さで、とても、とても、その気が起きません。


広い芝生の庭、木立に囲まれ、とてもいい風景のなかに建っています。


歴史館は、本館以外は無料で公開されています。広い庭はなかなかいい散歩コースです。秋は銀杏並木が綺麗に色づくそうです。


こちらが、有料150円の本館。


他に、こういう建物とか、




こんな、


茶室が建ってます。


この日は、風もなく、木陰でも、蒸し暑く、汗びっしょりで参りました。本館に入り、先ずは、冷たい物を飲み休憩。自販機が活躍していました。


内部は撮影禁止の為、写真はありません。展示内容は、よくある“歴史民俗博物館”です。

しかし、そこで、“大きな発見”をしました!

それは、水戸の名所“千波湖”の名称問題です。以前より、何故?これが“湖”なの?と、ひとり、疑問を抱き続けていたのです。

が、やっぱり、ホントは、昔“沼”だったのです!

※沼と湖の違いはご自分お調べ下さい

展示品にハッキリと、大きな文字で“千波沼”と書かれた絵地図を発見したのです。

いつの頃から?、誰が?、何の為に? 沼を、湖と、呼ばせるようにしたのか?この経緯を調査するのは、面白いかもしれません。

まぁ、わたくし以外の方にとっては、どうでもいい問題とは思います。

兎に角、この日(26日)は蒸し暑く、県立歴史館を見学後、常磐高速で真っ直ぐ家路に着いたのです。我が家には昼前に到着。

これで、区切りよく“水戸シリーズ”を終わります。


それでは、また来週。




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朝食後 “ディア・ドクター” を、ぽつり、ぽつり・・・

2009年07月30日 | 映画の話し
昨日の続きです。

25日の夜は、寒かったり、暑かったり、なかなか寝付けませんでした。時期を間違えました。

思い出したのです。冷房の夏、暖房の冬、ホテルに泊まってはいけなかったのです。仕事で出張していた頃を思い出しました。

空調を必要とする季節はダメだったのです。暖房と冷房、喉と鼻に変調を来すのです。やはり、旅行は世間一般で云われるように、春と秋がベストシーズンなのです。

寝不足気味で迎えた朝、それでもお腹はしっかりペコペコです。朝食は7時から、未だたっぷり時間があります。

涼しければ、湖畔の散歩でもと考えていたのですが、外は暑そうだし、寝不足だし、空腹だし、テレビをぼんやり眺め、朝食までウトウトして待ちました。


開始5分前に9階の展望レストランに向かいました。時間前に到着ですが、先客が2名居りました。

先ずは、見晴らしの良い窓際のテーブルを確保します。朝食はバイキング、食べ放題は危険なのですが、でも、つい、つい、お皿がこんなに。


さぁ、ゆっくり、じっくり朝食です。今日の予定は特に決めてありません。


二人で食べるのです。


普段の朝食は、ご飯にみそ汁、納豆に、卵に、漬け物の純和風。こういう時は、パンにスープに、ベーコンに、ソーセージに、スクランブルエッグに、目玉焼きに、ポテトに、


野菜サラダに、フルーツに、ヨーグルトに、コーヒーなのです。


連れは、何故か? 美味しそうと! 焼き鮭に、そして、梅干しが。


食パン風のデニッシュ? デニッシュ風食パン? 久ぶりのクロワッサンが美味しかったです。


ひとかけらも残さず、綺麗さっぱり完食! 朝食が一番美味しいのです。朝が一番お腹が空くのです。


チェックアウトは11時、予定もなし、コーヒーをゆっくり飲みながら、ディア・ドクターの話など、ぽつり、ぽつり。

それで、八千草薫の家で、二人で夕食を摂った後、テレビの野球中継の見方を、八千草薫に教えているシーンの会話は、脚本にないアドリブで、自然なようで、二人とも役を演じていないので、とても不自然に見えた、とか。

鶴瓶が村から出て、駅の売店でタバコを買い、その場でタバコを吸いはじめ、“ここは禁煙です!向こうの喫煙コーナーでお願いします”との、“ホンモノ”の従業員の台詞が、不自然で気になった、とか。

演技が自然に見えるのは、それなりに演じているからで、ふつうにしゃべっていると、自然なようでいて、とても不自然に見えた、とか。

以前に読んだ、小沢昭一の「背中まるめて」(新潮文庫)の中で、

・・・・・・“地”でやる。“地”でやれる。“地”でやって、その“地”がおもしろい。ということは、実に大変なことなのです。

そして、さらに、何を演じても“地”でやれる。“地”に見える。いつまでも“地”でやれる。これは、もっともっとすごいことなのです・・・・・・

の話を引き合いにだして。

この映画は、偽医者が鶴瓶だから面白く、もしも、“渡辺謙”だったら、とか。

村から出て行く途中で、田圃の向こうを歩く八千草薫に、白衣を脱ぎ捨て振り回し、別れの挨拶を送るシーンでエンドマークがでると思っていたとか。


食後のコーヒーを啜りながら、外の景色を眺めながら、ぽつり、ぽつり、話したりして、ゆったり、のんびり、していたのです。


それでは、また明日。

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ホテルで中華で初めての“ソフト・シェル・クラブ”

2009年07月29日 | 食事の話し
昨日の続きです。

すこし離れた街で、のんびり映画を観て、ホテルでゆったり夕食を摂りながら、映画の感想など、ぽつり、ぽつり・・・・・・。何てことを、今回、考えていたのです。

映画館を後に、陽が傾き、涼しい川風が流れる街に出ます。

知らない街の知らない路を、寄り添い歩く訳ありげな二人連れ・・・・・・、ナンチャッテ! 

これが、黄昏時ならば、ぐっとロマンチックなのですが、まだすこし時間があります。


ホテルに5分ほどで到着。夕食時間を確認し6階の部屋へ。ちょっと休んで、お腹が空いたので、時間より早く9階の展望レストランに向かいます。

“千波湖”を見下ろす、なかなかの眺め。


程良い広さで気取り無く、落ち着きます。


サラダはサラダバーでセルフで食べ放題。


今回は、“朝夕食付きの宿泊パック”と、なっております。

一品目は、“三種冷菜の盛り合わせ” 


二品目は、“牛肉とトマトの煮込み”


三品目は、“ソフトシェルと野菜のエスニック風味揚げ”


四品目は、“タラバガニの塩味炒め”


五品目は、“芝エビのチリソース煮”


六品目は、“クロレラ入り翡翠冷麺”


七品目は、“スイーツ”


八品目は、セルフで“杏仁豆腐”の食べ放題。写真は忘れました。

それで、“・・・ホテルでゆったり夕食を摂りながら、映画の感想など、ぽつり、ぽつり・・・・・・”何ですが、結局は、食べ始めると、料理の話になり、映画のことは、まったく話題になりませんでした。

それで、料理のお味ですが、まず、まず、でした。特に、三品目の“ソフトシェルと野菜のエスニック風味揚げ”は、はじめて食べる食材です。

“脱皮直後のカニ”のことを“ソフトシェル”と云うのは知りませんでした。正式には“柔らかな(Soft)殻(shell)カニ(crab)”と云うそうです。

見た目は小さなカニで、食感は、シャリットして、フワァとして、手長エビの唐揚げに似ていますが、よりソフトな歯ごたえです。

味は“五香粉”の香りが効いて、とても美味しかったです。ビールのつまみには最高です。この日は、生を2杯頂きました。

“すこし離れた街で、のんびり映画を観て、ホテルでゆったり夕食を摂りながら、映画の感想など、ぽつり、ぽつり・・・・・・”とは、いきませんでしたが、兎に角、“映画を観て、ホテルで夕食”は、それなりに満足できました。

それで、この宿泊パックですが、二人合わせて“1万7千8百円”でした。


明日は、“茨城県立歴史館”を見学します。


それでは、また明日。

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それで、“ディアー・ドクター”なんですが・・・・・・

2009年07月28日 | 映画の話し
昨日の続きです。

それで、「ディア・ドクター」なんですが、2時間あまりの上映中、退屈することはありませんでした。

公開直前、前宣伝で、監督と鶴瓶師匠がテレビ出演して、いろいろ話をしているのを見ました。映画の内容よりも、やはり、主演が“鶴瓶”と云う事で、観たくなったのです。

過疎の村で、村人に慕われている医者が鶴瓶で、事件が起きて、村から消えていく・・・・・。  

その時、もしかして? 鶴瓶は偽医者? 直感的に、そう思った!のです。まさか、それでは、ちょっとストーリーが平凡ですし・・・・・・。

でも、やっぱり、鶴瓶師匠は偽医者でした。



それで、“お医者さん”なんですが、母が総合病院の眼科と皮膚科で、3年ほど治療を続けているのです。

その母の話で、最近のお医者さんは“優しく親切”になったと云うのです。私も診察を待つ間、掲示板に貼られた“患者の意見”を時々見るのですが、よく見かけるのが、医師の患者に対する接し方への苦情がかなりあります。

母も、あの先生は“優しく親切”で、“良い先生”だと云います。診察治療能力よりも、“感じが良い”ことが、医者の評価基準になっているのです。

私もその総合病院には、内科、皮膚科、耳鼻科、人間ドックと、何度も患者として、医者を見てきましたが、最近は、偉そうで、恐そうな医者を見かけなくなりました。

患者の要望に病院側が応えてくれているようです。

そのうち、いつか、優しく親切で感じが良い医者ばかりになり、本来の診察治療技術は大丈夫? 何て、心配、不安を抱いたりしてるのです。


それで、「ディア・ドクター」ですが、ニセモノ医師が、村人に“神様仏様”と慕われ、愛され、尊敬それ、感謝されているのです。

確かに、患者を思い、話も聞いてくれ、何かあれば、夜中でも診察に来てくれ、犬でも、猫でも、看てくれる、村人にとって、こんな良い医者はいないのです。

ニセモノだからこそ、バレないように気を使っているのです。バレない気遣いが、評価されているのです。やはり、そこは人間、他人に慕われ、感謝されると、それなりに、嬉しく、やり甲斐を感じてしまうのです。

そして、年棒二千万円ですから、辞められません。でも、いつかは、何かのキッカケで、バレルのです、長居は危険なのです。

世の中、100%悪人とか、100%善人とか、そんなに、スッキリ、カッキリした人は存在しないのです。ある時、ある場面、ある条件で、いろいろ、混じり合い、薄め合うのです。

映画を観て、泣いたり、笑ったり、怖がったり、寂しがったり、感動したり、納得したり、関心したり、共感したり、驚いたり・・・・・・・と、いろいろ楽しみ方がある訳です。

でも、しかし、最近は、兎に角、観て楽しもうと云うよりも、テーマをどういう展開で、どう描こうとしているのか? お手並み拝見的傾向で観てしまうのです。

水戸くんだりまで出掛けて来て、二人で2千円を払ったのですから、ただ、ただ、映画の世界に入り込み、楽しめばよいのですが、齢を重ね、世間の垢にまみれ、性格がひねくれ、素直に楽しめなくなったのです。

単純な娯楽作品であれば、それなりに楽しめるのですが、それなりのテーマ性があり、社会性があると、見方が、つい・・・・・・。

まさか、偽医者の話じゃ無いだろうと、思っていたら、やっぱり、そうか!とガッカリしたり、それなら、どんなストーリーで展開して行くのかと期待すると、まぁ、予想どおり展開だったりして・・・・・・。

ニセモノとホンモノ、その違いは、そうは単純ではありません的に描かれても、そりゃそうだろう! そんなこと何を今更!と、毒づいてみたり。

まぁ、それでも、2時間以上、退屈はしなかったので、それなりに面白かったのです。鶴瓶師匠も好演していました。画面に映っただけで、いい雰囲気を出していました。鶴瓶師匠のキャラクターです。

それにしても、八千草薫さん、ホントにお婆さんになりました。


それにしても、井川遙さん、とても“いい女”になりました。

3年前のNHK朝の連ドラ「純情きらり」で、「宮崎あおい」の姉で、看護婦をしていた頃とは、見違えるようです。

「純情きらり」が終わって直ぐに結婚して、今年、子供も産んで、かなり痩せた?

感想を、もっと、何か、書こうと思っていたのですが・・・・・・忘れました。


そんな、こんなで、映画を見終わり、さぁ、これから、ホテルに帰って夕食です。



それでは、また明日。




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茨城は水戸で“ Dear Doctor”

2009年07月27日 | 街の風景
水戸に行って来ました。

兎に角、もうホントに2日間暑かったです。

先週、突然、思い立ち、そして、25日土曜日に水戸に向かったのです。今回は二人連れ、そして、この日は、駅近くのホテルに一泊。

何故? どうして? 水戸なの? それは、近所でもなく、遠くでもなく、それなりに、ちょっとだけ、手軽に“旅の気分が味わえる”と、思ったのです。

それと、近所でもなく、遠くでもない、そんな街で、一度、映画を観て見たいと、以前から考えていたのです。それで、今回、水戸で鶴瓶の“Dear Doctor”となった次第です。


25日土曜、ホテルには2時過ぎに到着。駐車場に車を止め、フロントで映画館の場所を確認。映画館までは徒歩5分、しかし、上映時間は3時10分からです。

尖り屋根のホテル。

先ずは、駅前の映画館に行って切符を購入。切符は“夫婦50割”で、二人で2千円はとても安いです。

今回は珍しく年齢証明の提示を求められました。どこから、どう見ても、40代には絶対に見えない風貌なのに、きっとサービスかも? もうすぐ一人でも千円になります。


映画館のあるビルで、時間つぶしを兼ねて、お茶を飲んで一休み。


アイスコーヒーと冷房で身体が冷えた為、早めに外に出て、駅前広場をぶらぶらして、身体を暖めました。夏の映画館は冷房に気を付けないといけません。


水戸駅の南口なのです。反対側が旧市街で、南口が新市街になります。


駅前のデッキ広場は、ビルの3階と繋がっています。あれもホテル?


ずらりと並び、客を待つ黒塗りのタクシー。地方都市では“黒”が基本になります。でも、何か異様な光景です。


こちらが、


シネマコンプレックスのあるレジャー?ビル。


それで、10分前に、シネコンに入ったのですが、120席の館内はパラパラの入り、一日一回の上映で、こんだけ? ざっと見回して20数人。

この手の映画が狙う客層は、普段あまり映画を観ない年齢層なのです。普段から映画を観る年齢層には、この手の映画には興味を示さないのです。

この映画は、主に茨城県の常陸太田市で撮影されているので、茨城県では、それなりの観客動員が?と思ったのですが、そう言う事はないようです。


それで、映画なんですが・・・・・。それなりに、面白かったです。上映中の2時間、退屈することはありませんでした。

詳しい感想は、次回とします。


それでは、また明日。



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阿修羅様、その若さで懺悔の日々ですか?

2009年07月24日 | お寺・神社
昨日の続きです。

阿修羅像ですが、誰が? どんな想い? で建立したのでしょうか?

それで、すこし、ここで社会科のお勉強をします。阿修羅像の創られた時代の前後はこんな感じです。

710年に平城京に都が移り

712年に古事記ができます

720年に日本書紀です

712年に聖武天皇が即位

729年に聖武天皇が藤原不比等の“娘”を皇后(光明皇后)にする

752年に東大寺の大仏が建立

754年鑑真の来日

759年に万葉集

まぁ、こんな時代でした。それで、阿修羅像です。

それで、誰が?は、“聖武天皇”の后、“光明皇后”が創らせたのです。

どんな想い?は、光明皇后の母、“橘三千代”の一周忌(天平6年-734年)の供養のためでした。


阿修羅像だけを創らせたのではなく、“西金堂”を建立し、

【興福寺境内-CG画像】

“西金堂”


お釈迦様とか、


お釈迦様の十大弟子とか、


四天王とか、


“八部衆”とか、


また、金鼓(こんく)と、“バラモン”とか、

バラモンが打ち鳴らす、金鼓の音を聞きながら、皆さん懺悔をするそうなのです。

28体の像が安置されていました。


“八部衆”の中の一人が、阿修羅様なのです。


さすがに、皇后様です、母の一周忌に、こんな立派なお堂と、沢山の仏像を建立したのです。

それで、光明皇后の母、“橘三千代”ですが、これが、何と、旦那の聖武天皇の母“藤原宮子”と腹違いの妹なのです。

血縁関係が、ごちゃごちゃしているのです。権力闘争は血縁を巻き込み、入り乱れ、親子で、兄弟で、激しく闘う時代だったのです。

そして、また、天平年間は災害や疫病(天然痘)が多発した時代であり、聖武天皇も、光明皇后も、仏教に深く帰依していたそうです。

そんな中での、一周忌の法要であり、西金堂の建立なのです。そして、西金堂は当時、唐からもたらされた『金“光明”最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』をもとに作られたと考えられているそうです。

“光明皇后”の、“光明”は、たぶん『金光明最勝王経』からつけられたと、推測しています。“光明皇后”は信心深い方だったようですからね。

それと、わたくしの名前も、お経の一部から付けられているのです。母の実家が天台宗のお寺なのです。

それで、『金光明最勝王経』は、懺悔、懺悔、懺悔で、沢山懺悔をして、過去の罪を悔い改め、お釈迦様に帰依する教えなのです。

親子兄弟でも権力闘争の激しい、陰謀渦巻く修羅場の時代、権力者は、懺悔、懺悔に、事欠かないと思います。

阿修羅、そして、“八部衆”の表情は静かに自分の心を見つめ、懺悔する姿なのでしょう。しかし、それにしても、何故に?“八部衆”は、青年の表情をしているのか?

阿修羅にいたっては、三面の顔が、10代~20代です。そんな若い時期に、懺悔をするような“罪”を犯したのでしょうか?

人間は生まれた時から罪深いの? 仏教は“性善説”ではなかった? けれども、当時の支配階級は、幼少の頃より罪深い行いをしていたのでしょうか?

阿修羅様は、ふつうの人間、ふつうの若者、そして、その若者が、憎み、恨み、悩み、苦しみ、そして、懺悔を繰り返し、そして、仏に帰依していく姿・・・・・・。


兎に角、造形的にも美しい阿修羅像です。


そして、わたしも、これから、すこしだけ、懺悔をしたいと・・・・・。


それでは、また来週。





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阿修羅像 お顔の変化はどうしてなの?

2009年07月23日 | お寺・神社
昨日の続きです。

それで、阿修羅像なんですが、「阿修羅」と云えば、先ずは「修羅」です、そして「修羅場」です。争い、闘い、戦争なのです。

でも、この阿修羅像からは、そんなイメージはまったくありません。どうしてなの? 


何故、どうして、


こんなに哀しそうな表情をした、


こんな青年のような、


阿修羅像創ったのでしょう。


やっぱり、何か、悩みがありそうです。


正面、左には、


下唇を噛んだ、10~12歳の少年が、


正面、右には、


眉頭を正面像より、より強く寄せた、14~16歳の少年が、


そして、この正面の表情は、18~20歳の青年が、


3面の表情は、眼、鼻、口、の位置関係の変化を計測するまでもなく、明らかに、成長過程を表現しています。

3面の顔、6本の腕、この阿修羅像の様式で創られた、この像は、ホントに阿修羅なの? 

制作を依頼した人の想いが、このような表情を創らせたのでしょうか?

それで、そこいら辺の事情は次回とします。


それでは、また明日。

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阿修羅像 眉頭の、憂いと、悲しさと、寂しさと・・・・・・

2009年07月22日 | お寺・神社
3月31日から6月7日の期間、上野の国立博物館で開催された「国宝阿修羅展」、見に行く予定をしていました。

一番の目的は、あの「海洋堂」が制作した「阿修羅像のフィギュア」です、ところが開催後直ぐに、販売予定数が売り切れました。

会場も大混雑で、ゆっくり、じっくり、眺めている状態ではない事が報道され、ここは、きっぱり、上野での対面は諦めました。

その後、5月17日にNHKのハイビジョン特集「阿修羅 天平の謎を追う」が放送されました。

きっと、いつの日か、奈良興福寺で直々のご対面を楽しみに、今は、画面の中の阿修羅様を見つめることにしたのです。


それで、ハイビジョン特集「阿修羅 天平の謎を追う」なのです。

やはり、輸送中は“仏の魂”を抜いて、只の物体に戻すのでした。


人間の都合で、魂を入れたり、抜かれたり、阿修羅様も大変なようです。

思っていたよりも、阿修羅様は“かなり小柄”で“軽量”でした。身長?153㎝で、材質?は“乾漆像”と云って、中は骨組みの空洞で、表面は麻布に漆を塗り固めて造られているそうです。

緊急事態が発生した、その時は、小脇に抱えて運び出せるのです。“乾漆像”と云う製法は、漆が高価な為にあまり造られていないそうです。

昔も今も、漆って、そんなに、とてつもなく、高いの? 


それで、奈良で、お寺で、仏像ですが、中学と高校の二度、修学旅行で訪れています。

お寺で覚えているのは、線路脇でご近所の“薬師寺と唐招提寺”ですが、中学の時だったのか、高校の時だったのか、はっきりしません。

興福寺には、行ったような、行かなかったような・・・・・・。どちらにしても、当時はお寺にも、仏像にも、まったく興味はありませんでしたから、何を見てきたのか、まったく記憶には残っていません。

境内の脇を通る“線路”の風景とセットになって、何故か? 二つのお寺の名前だけが記憶に残っています。

それで、興福寺の阿修羅様ですが、何とも、腕を骨折してギブスが巻かれているようで、とても痛々しいお姿です。


この荷台に阿修羅様が乗って居られます。厳重な警戒体制のもと東京上野に輸送されるのです。


何たって、巷では、国宝で、仏像で、1位か2位かと噂される人気者です。まぁ、私のなかでは、きっぱり一位は広隆寺の弥勒菩薩だと、興福寺の阿修羅像は2位と決めております。

しかし、大変な賑わいだったようで、期間中の入場者が90数万人に達したと聞いています。


閉館時間も延長して対応したようです。


皆さん、何処に、惹かれるのでしょうか?


“仏像らしくない”この表情でしょうか? 確かに、迷いとか、悩みとか、憂いとか、寂しさ、悲しさ、とか、見る人によって、いろいろな想いを感じさせるのでしょう。

若い世代は共感を抱き、若くない世代は・・・・・・、何を想い、見つめるのでしょうか?

確かに、すらりとした身体、細く伸びた6本の腕、造形的に、とても、美しく、気高く、感じるのです。

ここで、敢えて、主張します!

わたしとしては、カニ脚のような4本の腕と、左右にある2面の顔が、くっついていなければ、“普通の仏像”として、とても良いと思うのです。

何と云っても、見る者を惹き付ける、正面の、この微妙な表情。後の2面は、世間でもあまり話題にはなりません。


微妙な表情を表現しているのは“眉毛”です。“眉頭”の立ち上がりです。眉を寄せているのです。

それで、次に・・・・・・、え~と、この辺で今日は終わりとします。

この先は、次回と云うことで・・・・・・。


それでは、また明日。


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気分は今日も下町です

2009年07月21日 | 東京の風景
気分は今日も下町です。




























下町でした。


それでは、また明日。




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海の日で、気分は下町

2009年07月20日 | 東京の風景
今日は“海の日”で休日。

気分は、とっても下町なのです。





























下町でした。


それでは、また明日。

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