歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

日暮里から谷中でバケツ・リレー由来の碑

2013年04月30日 | 東京の風景
45年ぶりの再会の前段です。

その日、終着駅上野の一つ手前の日暮里に降り立ったのです。

“舎人(とねり)ライナー”の開通に合わせ、JRも、京成も、駅舎を大幅にリニューアル。以前は狭くて、暗くて、薄汚れ感が漂っていたのですが、今は、広くて、明るくて、ピカピカ感が溢れています。


でも、しかし、オジサンとしては、薄汚れ感と場末感の漂う、そんな日暮里駅が好きでした。

こちらの高層マンションも、舎人ライナーに合わせた駅前開発です。以前、ここには駄菓子の問屋街がありました。今はそのうちの数軒?がこのマンションの中で営業しているそうです。

マンションの足下に舎人ライナーの高架と駅舎が見えます。

舎人ライナーの反対側、谷中方面に向かいます。


久しぶりの谷中、改札を出ると、直ぐに、もう、お寺の山門です。この感じがイイのです。天気もイイし、ゴールデンウィークの初日だし、45年ぶりの再会だし、ワクワク、ドキドキで歩き出します。


住宅地の狭い路地を伝って谷中霊園を目指していたら、こんな看板を発見しました。


戦前、戦中、戦後、永きわたって活躍してきた井戸のようです。井戸を大切にしていた母親の為に、息子夫婦が個人的に“碑”を33年前の3月10日に設置したのです。


このポンプは、もしかして1935年製ですか?見た目、確かに、そんな感じです。碑文では“今でも”水は湧き出す記されていますが、その今は、今から34年前ですから、今現在も湧くのでしようか?


東京は高度成長後に、地下水の汲み上げを規制して、現在は高度成長以前の地下水位に戻った、と云う話しを先日耳にしました。そうすると、この井戸も、多分、ポンプが正常に機能すれば、水は間違い無く湧き出す事でしょう。

ところで、碑文なのですが、上段には一番大きな文字で“谷中の名水”とのタイトルが記され、その下に、中くらいの文字で「バケツ・リレー井戸」由来碑と記されているのです。

碑文に記された由来からすると、タイトル“谷中の名水”はちょっと違う?と思うのです。タイトルは“バケツ・リレー井戸”の方がそれなりに“物語”があり、インパクトがあり、とてもイイと思います。

まぁ、息子が親を偲んで、個人的に碑文を建立したのですから、部外者がとやかく云う筋合いではありませんねェ。失礼しました萩原さん。

それで、井戸の前を通過し、突き当たり谷中の墓地を右に折れ、すこし歩いて左に折れ、墓地に沿って進みます。

同年配の集団に遭遇、案内人がいろいろと町並の説明をしていたのです。黒い帽子に水色の上着の方が案内人。


すれ違いざまに、“この玄関脇のコンクリートの柱が古いモノで良く残され・・・・・・”何て、説明が耳に入り、そちらを見ると、何の変哲も無い灰色のコンクリート柱が1本、玄関の屋根を支えていました。


谷中の墓地に入ります。ホント! 最近は、お寺とか墓地とかを見て回るのが、好きになったのです。ボチボチ?見られる側に近づきつつある前兆現象なの?

それにしても、青い空をバックに、墓地の、墓石越しの、高層マンションは、墓石のように見えたりするのでした。


墓地の中を、ボチボチ歩きつつ、45年ぶりの再会の場面に想いを馳せつつ、西郷ドンが待つ広場を目指します。


それでは、また。


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45年ぶりの再会は衝撃と動揺と混乱でした!

2013年04月28日 | その他
いャ~~、ホントに、ホントに、動揺しました、混乱しました。

45年ぶりに、高校の同級生と上野の西郷さんの前で再会したのですが、ホント!変わり果てたその姿?に、2㍍ほど隔てたところ立ちながら、互いに気付くこと無く、10数分が経過したのでした。

それで、この日、わたくしは、午後1時の待ち合わせに対して12時半に現地に到着したのです。

朝からそわそわして、早めに家を出たのです。あまり早すぎたので、日暮里で降り、谷中霊園の墓地を眺め、芸大を横目に睨み、上野公園を通過し、西郷さん前の広場に立ったのです。


昨日は最高の行楽日和でした。青い空に新緑をバックに立つ西郷さん! 久しぶりに観るそのお顔、ホント!武蔵丸です。


広場を見渡し、今のところは二人は未だ来ていないことを確認し、全体を見回せる西郷さんの左斜め後方の木陰に移動。

待っている間、右を見たり、左を見たり、後方を見たり、樹の回りを一周したり、前方からこちらに向かって来る人、後方からこちらに向かって来る人、45年の変化を計算に入れて、それらしき人の顔を注視し、ソワソワすること20数分。

それらしき人はなかなか現れないのです。先ほどより、樹の反対側には人待ち顔の二人。でも、しかし、一人はどう見ても年齢的には相当の年上で、もう一人は、待ち人とは、体型的にも顔立ちも、全くの別人。

それでも、何となく、最初は、もしかして?何て、思ったのですが、それとなく、何となく、様子を窺って見ても、どう見ても、明らかに“別人”と判断しました。

“別人”の二人も、最初は、それとなく、何となく、こちらを窺っている様子でしたが、暫くすると、あちらも、私を、“別人”と判断した様子。

そして、約束の1時が近づき、“別人”の一人から“電話入れてみるか”と云った声が聞こえ、携帯を耳にあてたその時、私のポケットの携帯が鳴ったのです。

そして、携帯を耳にあてたまま、○○クン?と云いながら、“別人”の二人は笑いながら、私に近づいて来たのです。

エッ!ウソ!マサカ!ホント!でした。変われば、変わるものです。45年の歳月は人の姿をこれほどまで変化させるとは?衝撃と混乱の一瞬でした。

衝撃と混乱のなか、身長178㎝の“○原クン”が、先に来て下見をしていた24時間営業の居酒屋に向かったのです。

“O原クン”と“Y本クン”、兎に角、45年ぶりの再会と三人の健康を祝し乾杯!


二人は、先ほどの西郷さんの処で、私の方を見て、“あんな爺さんじゃない”とか、“あいつはもっと色白だ”とか、“顔がもっと四角い”とか、どう見ても別人との判断をしていたそうです。

こちらの写真、左が身長178㎝で痩せていた“O原クン” 右か“Y本クン”


太ったり、髪がなくなったり、変化の度合いは、かなりなもの、下に小さく48年前の写真。関係者以外は誰だか特定できないので、モザイク無しで載せました。

“○原”は、太く膨らんで、顔艶も良く、声も力強く、歳より若く見え、“Y本クン”は、細く縮んで薄くなり、昔からでしたが、声が小さく、かなり爺さんに見えました。

それにしても、どうですか?あの顔が、この顔に変化しているのです。誰だって、これでは、別人と思います。街ですれ違っても、いゃ、話しを交わしたとして、名告らなければ、まったく気付ことは不可能と思います。

居酒屋には1時過ぎから、4時ちょっと過ぎまで居たのですが、出会いの混乱と動揺を引き摺ったまま、見知らぬ初めての居酒屋で昼間の酒、どうも、今日になっても、現実の出来事とは思えないのです。

懐かしい話しに花が咲いたのですが、それでも、やはり、未だ、未だ、懐かしさに浸るには、早いと思ったりしたのです。

ウン! 未だ、未だ、これからがある!と、思ったりした一日でした。

それにしても、外観が気になり、朝から、何度も、何度も、我が顔、我が姿を鏡に映し、いろいろな思いを巡らしたりしているのです。

本日は日曜日ですが、昨日の出来事が、かなり、かなりの出来事でしたので、その感動、感激、混乱、動揺が消えないうちに記録をと思い、綴ってみました。


それでは、また。

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石岡市の風景

2013年04月26日 | 街の風景
石岡市の、















































風景でした。


それでは、また来週。



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45年ぶりの再会を前にあの頃に思いを馳せる!

2013年04月24日 | その他
今週の土曜日、上野の“西郷さん”の前で昼頃に会うのです。

これまでは、後ろをふり返る事には、とても抵抗があったのです。還暦を過ぎて、先が見えて来ると、段々と、徐々に、少しずつ、抵抗感が薄れてきたのです。

それで、会う相手ですが、高校の同級生です。去年の年末に、偶々、何気なく、“mixi”に登録したら、見覚えのある名前を発見、それ以来、何度かメールのやり取りをして、今回、会う事になったのです。

45年の歳月が経過しているのです。45年ですよ!ほぼ半世紀です。45年前は高校生で、今では、そろそろ高齢者の仲間入りです。

昭和40年(1965年)4月から、昭和43年(1968年)の3月迄の3年間、それぞれれの青春の時を過ごしていたのです。

この頃の世の中はと云えば、

【1963年】 
   11月ケネディ暗殺

※流行歌
若い季節(ザ・ピーナッツ)、ホンダラ行進曲(クレージーキャッツ)、高校三年生(舟木一夫)、見上げてごらん夜の星を(坂本九)、ギター仁義(北島三郎)、東京五輪音頭(三波春夫)、こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)、美しい十代(三田明)

【1964年】
    8月 ベトナムでトンキン湾事件発生
   10月 東京でオリンピックを開催

※流行歌
ああ上野駅(井沢八郎)、アンコ椿は恋の花(都はるみ)、学生時代(ペギー葉山)、だまって俺についてこい(植木等)、柔(美空ひばり)


【1965年】 
    2月 米軍が北爆を開始
    6月 日韓基本条約調印

※流行歌
夏の日の想い出(日野てる子)、網走番外地(高倉健)、さよならはダンスの後に(倍賞千恵子)、愛して愛して愛しちゃったのよ(田代美代子)、涙の連絡船(都はるみ)、君といつまでも/夜空の星(加山雄三)、知りたくないの(菅原洋一)


【1966年】
    2月 全日空機が羽田沖に墜落
    3月 カナダ航空機が羽田空港で炎上
     〃  BOAC機が富士山付近で墜落
   5月 中国で文化大革命始まる
  11月 全日空機が松山沖で墜落
 12月 “黒い霧事件”で佐藤内閣が衆議院を解散

※流行歌
唐獅子牡丹(高倉健)、骨まで愛して(城卓矢)、ラブユー東京(黒沢明とロス・プリモス)、柳ケ瀬ブルース(美川憲一)、お嫁においで(加山雄三)、夕陽が泣いている(ザ・スパイダース)、若者たち(ブロードサイド・フォー)、想い出の渚(ザ・ワイルド・ワンズ)、こまっちゃうナ(山本リンダ)夢は夜ひらく(園まり)、霧の摩周湖(布施明)


【1967年】 
    4月 東京都知事に美濃部亮吉当選
    6月 第三次中東戦争勃発
     〃  中国が水爆実験に成功 
   11月 日米首脳会談で沖縄の本土復帰が決まる

※流行歌
恋のハレルヤ(黛ジュン)、小指の想い出(伊東ゆかり)、野バラ咲く路(市川染五郎)、
花はおそかった(美樹克彦)、いとしのマックス(荒木一郎)、世界は二人のために(佐良直美)、真赤な太陽(美空ひばりとブルー・コメッツ)、今日の日はさようなら(森山良子
)、風が泣いている(ザ・スパイダース)、虹色の湖(中村晃子)、モナリザの微笑(ザ・タイガース)、帰って来たヨッパライ(ザ・フォーク・クルセダーズ)、


【1968年】
    1月 米原潜の佐世保入港
    5月 パリでベトナム和平会議が始まる
     〃  厚生省“イタイイタイ病”を公害認定
     〃  フランスで5月革命が始まる
    6月 小笠原諸島が日本に復帰
    8月 ソ連がチェコに侵入
   10月 国際反戦デー、新宿騒乱事件
     〃  ジョンソン大統領北爆全面停止を発表
     〃  メキシコでオリンピックが開幕

※流行歌
亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガーズ)、ケメ子の唄(ザ・ダーツ)、
悲しくてやりきれない(ザ・フォーク・クルセダーズ)、神様お願い(ザ・テンプターズ)花の首飾り(ザ・タイガース)、長い髪の少女(ザ・ゴールデン・カップス)、グッド・ナイト・ベイビー(キング・トーンズ)、恋の季節(ピンキーとキラーズ)、山谷ブルース(岡林信康)、友よ(岡林信康、高石友也、フォーク・キャンパーズ)、愛の奇跡(ヒデとロザンナ)、三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)、主婦のブルース(高石友也)、青年は荒野をめざす(ザ・フォーク・クルセダーズ)、ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)


こうして、いろいろ、調べていくと、45年前を、ナンダか、いろいろと、思い出し、高校時代が昨日?のような、そんな気がしてきました。

思い出します、その頃は、給食も無く、食堂も無く、弁当も持っていかなかったので、昼になると売りに来るパンを食べていました。

確か、校舎と校舎を繋ぐ2階の通路に机を並べ、菓子パンとか、おかずパンとか、牛乳とか、売られていたのです。

そのパン屋さんですが、主人らしいオールバックで小柄で痩せたオジサンと、それなりに年頃の若い女性の二人で販売していたのです。

それで、その若い、私より2、3歳、もしかして、4、5歳年上?の女性の方なのですが、美人では無いのですが、なんか、とても、素朴そうで、優しそうで、ちょっぴり太めで、笑顔が可愛くて、何となく、それとなく、気になっていた事を思い出しました。

記憶の糸と云いますが、ホントに、昔の事は、糸を手繰り寄せる様に、いろいろと、次々に、蘇ってくるものです。忘れているようで、すべて記憶に残っているのです。

でも、しかし、最近の出来事とか、人の名前とか、なかなか思い出せないのです。

兎に角、3日後に会うのです。そして、高校生に戻るのです。


それでは、また。

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朝ドラ“あまちゃん”の小泉今日子は何か汚い!

2013年04月22日 | テレビの話し
NHKの朝ドラです。

前回は、何だっけ?最初の2,3回を観て、だめだァこりャ!で、それっきりで、朝は再放送の“おひさま”を観ていました。

そして、今回の“あまちゃん”です。前回に懲りたのでしょう、朝ドラ本来の路線に戻したようです。

ヒロインを取り巻く出演者も、それなりの役者を揃えています。その顔ぶれを見て、「ホォ~。そうか、そうか、そうきたか」と一人、納得したのです。

今週から第4週に入りました。何か、予想外に、早くも、アイドル出現で、町おこしに火がついたようです。でも、始まったばかりですし、ヒロインとは違うので、まぁ、前半の“掴み”なのでしょう。

そんな事よりも、ヒロインの母親“小泉今日子”です。初回から、ずっと、ずっと、“じぇ!じぇ!じぇ!”なのです。

キョンキョンが、何でェ! どうして! コレが今のキョンキョンなの!です。

役柄として、元ツッパリだったとしても、ロングスカート姿としても、それでも、いくら何でも、ハッキリ云って、目つきと云い、顔つきと云い、肌具合と云い、とても、とても、“汚い”のです。

アイドル時代から、それはもう長い年月を経て、それなりの老化現象を考慮に入れたとしても、何故か“薄汚れて”見えるのです。

もしかして、これって演出? これって伏線? 何て考えてもいるのです。

ドラマが終盤に向かっていくほどに、祖母夏と母春子とのすれ違って絡み合った関係が、解れていくほどに、春子の小泉今日子も、汚れが解けて“歳相応”の美しさを輝かすの?と、思ってみたり。

ドラマは、変化を楽しむものですから、終盤の9月頃に期待したいと思います。

それで、やっぱり、朝ドラは、オジサンとしては、背景に戦争が“欲しかった”のです。戦争のない朝ドラは、とても、とても、寂しいのです。

戦争は、ひとりの人間の力ではどうにもならない、とても、とても、大きな制約があり、それとの闘いにドラマが生まれ、それが、ドラマに、厚みと、奥行きと、感動をもたらすのです。

暗さがあって、苦しさがあって、こそ、明るさが、楽しさが、際立つのです。

でも、まあ、今回のドラマ、それなりの出演者で、それなりの脚本家で、それなりに期待しているのです。

祖母の宮本信子、海女仲間の、渡辺えり、木野花、美保純、片桐はいり、漁協組合長のでんでん、商工会長の菅原大吉、観光協会の吹越満、駅長の杉本哲太、父親の尾見としのり、これだけを見ると、それなりと云うよりも、かなり、かなりの、メンバーを揃えているのです。

そして、そして、私の注目は、誰が何と云っても、副駅長の“荒川良々”です。とても、とても、不思議な雰囲気のキャラクターの持ち主で、何か、とても、癒されるのです。

ヒロインは・・・、う~ん、まあ、それなりですね。登場したときから、それなりに明るく影もなく、とても、ふつうの高校生でした。変化の度合いが不足?

兎に角、小泉今日子の変化を楽しみに、9月まで観て行きたいと思います。

宮藤官九郎に期待しています。


それでは、また。
  

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こんな処にいつの間にかイオンモールが!

2013年04月19日 | 雑談
今日は寒い!明日の朝はもっと寒い! 昨日は、暑いくらいだったのに、気温の変化が激しすぎる。昔は、こんな事は無かったような気が?

これって、齢を重ねる事で、気温の変化に敏感になったと云うか、気温変化への対応力が低下したと云う、単なる個人的な老化現象?地球的な異常現象ではないかも?

それで、昨日は、畑の脇を、田圃の脇を、林の脇を、農家の脇を、住宅地の脇を、いろいろな脇道、細道、裏道を、いつものように抜けながら、気の向くまま、脚の向くまま、ペダルを漕いでいたのです。

そして、そして、突然、視界が開けて、前方に巨大な“ショッピングモール”が現れたのでした。

そこは、私の記憶では一年前には“何~~も無い”原っぱだった筈、写真を撮った記憶が有るので、帰宅後に調べたら、有りました!これです!


この写真、去年の5月12日に撮ったのです。まさか!ここにそんな計画があったとは、この不況下に、近所には!幾つもの!同じよな!“ショッピングモール”があると云うのに!

写真は5月ですが、その後も、数回、この付近を通り掛かっているので、わたしとしては、もしかして、半年足らず立ち上げたのでは?と思っています。

それと、新聞の折り込み広告を、数週間前?に見たような気がしました。でも、まさか、それが、ココだとは思いませんでした。

そして、記憶の糸を手繰り、あの時の、あの広告は、あそこに、と、思って探したら、出てきました。コレ! そのうちに覗いて見ようと取って置いたのです。


30ページの広告で、地図や、店舗や、取り扱い商品の写真はあるのですが、肝心の建物の写真は一切載っていません。


広告を編集した段階では、あっちこっち工事中で写真は間に合わなかったのです。今回、私もカメラは持参していません。ですから、外観の写真もありません。

一年も掛からずに、あの程度のショッピングモールは出来てしまうのです。それにしても、他人事ながら、あっち、こっちに、こんな同じようなショッピングモールを造って、大丈夫なの?イオン株式会社さん?

何か、走り続けないと、泳ぎ続けないと、止まってしまうと、息の根がとまる、自転車操業のような、マグロのような、とても、とても、他人事ながら心配になったりして・・・、ねェ、岡田さん。

でも、成功し、繁盛し、イオンさんには、税金を沢山納めて頂き、つくば市の財政を豊かにして頂きたいです。

それで、覗いてみたのですが、アッチ、コッチにある、その他のモールと、まったく同じようなものなのでした。

それにしても、世の中、少子高齢化なのにです、並んで居るお店は、みんな、みんな、若い、それも女性を対象とした商品が、圧倒的に多いいように見えました。

懐は、爺さん婆さんで、消費は若い者がする?

それにしても、平日なのに、1階のレストラン街では、それなりに行列が出来ていました。どこでも、イタリアンが人気のようです。どこの店も、ランチの価格帯は千円前後か、それよりチョット上の様な感じでした。

でも、しかし、オジサンには、この手の場所の、この手の店は、店内が狭く、騒がしく、落ち着かないのです。この程度の雰囲気の店ならば、お手頃価格の“サイゼリヤ”を選択します。ココにも3階の端にあるのです。

1階のレストラン街の価格帯ならば、もっと雰囲気のイイ店はこの付近には沢山あります。でも、モールの集客力に負けて、その手の店が消えていったりして・・・・・・。

兎に角、3階建てのモールを、一応、端から端まで、キョロキョロしながら歩いたのです。

私にとって、このモールの利点は、10スクリーンのシネコンがあることです。これまでのシネコン(8スクリーン)よりも、かなり我が家に近いのです。

シネコンは3月のオープンには間に合わず、今月の26日がオープンなのです。

それにしても、圏央道と常磐道の“ジャンクション”の地の利を狙って、ココなのでしょうが、わざわざ高速料金を払ってまで、ココに来る買い物客は居るの? 


それでは、また来週。

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アベノミックスは涸れ井戸に呼び水

2013年04月17日 | 世間話し
自民党安倍政権は絶好調のようです。

支持率の高止まりに気お良くして、参議院選まで封印する予定の政治課題が、北朝鮮絡みで、いろいろと、すこしずつ、ポロポロと云うか、ボロボロと云うか、顔を覗かせてきました。

まあ、そう云う、彼の“趣味”については、今回は触れないで、絶好調の“アベノミックス”のお話で、3本の矢、「金融緩和」に、「財政出動」に、「成長戦略」を、考えて見たりします。

日銀総裁が“白から黒”に変わって、金融政策は一夜にして一変し、長きに渡った、円高、株安に疲れていたと云うか、飽きていた投資家が、気分を変えて、流れの変わることを期待して、円安、株高、の流れをつくっているようです。

それにしても、“白ちゃん”の時は、リフレ政策に反対していた日銀の政策委員が、“黒ちゃん”になった途端、全員ほぼリフレ派に変身したのは驚きでした。それでなくては、日銀の政策委員は務まらない? 政策は空気で決まる?

まあ、財政出動も、金融緩和も、やろうと思えば、それは可能ですが、本命は「成長戦略」です。これが無ければ、財政破綻で、金融破綻で、日本は破産です。

財政と金融で“呼び水”を入れても、その井戸が涸れていたら、ムダな努力をしている事になります。

“成長戦略”は新しい井戸を掘る事であって、“涸れた古井戸に呼び水”を入れても“水は自ら”湧いてこないのです。どうも、涸れ井戸に呼び水のような・・・気がして。

どうも、成長戦略が見えないのです。そんなに簡単に見えていたなら、これまでの政権もやっていたのです。“国土強靱化計画”などは明らかに“涸れ井戸に呼び水”です。

そもそもです。新たに井戸を掘る方々の頭が古く、新しい、水の湧き出る、井戸の適地を見つける能力に問題が・・・と、思ってしまうのです。

再度、そも、そも、です。もう、生産性向上とか、成長戦略とか、経済成長とか、産業構造改革とか、そんな“銭金第一主義”で、世の中を回すのは、そろそろ、お終いの時が来たような・・・。

みんな、みんな、“銭金第一主義”に疲れているのです。

手段と目的が逆転しているのです。

落語の枕に、与太郎が、毎日、毎日、ゴロゴロ寝転んでいるので、大家が与太郎に、寝てばかり居ないで、もっと、毎日、毎日、朝から晩まで、一生懸命に働きなさいと云ったら、

「毎日、朝から晩まで働くと、どうなるの?」
「毎日、朝から晩まで働くと、お金が入って来る」
「お金が入って来ると、どうなるの?」
「暮らしが楽になる」
「暮らしが楽になると、どうなるの?」
「暮らしが楽になると・・・、毎日、ゴロゴロ寝て暮らせる」
「それじゃ、今のままと同じだねェ」
「・・・・・・・・」

お後が、よろしい、ようで・・・・・・。

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“T P P”から自由で明るく楽しい重武装国家を考える

2013年04月15日 | 世間話し
輸出産業、特に自動車メーカーが推進派の先頭で、農業団体は反対派の先頭で、どちらにも属さない、都市住民と云うか、サラリーマンと云うか、一般的な消費者と云うか・・・、国民かなりの層は、反対していいのか?賛成していいのか?良く判らないTPP。

お題目としては、経済を発展させる為には、何処の国も、関税を撤廃し、規制を撤廃し、一つのルールの下で、経済活動を自由に行うことが、とても、とても、重要で、良いことなのだ・・・と云うのが、主旨のようです。

でも、何処の国も、“自分の国”が有利なルールを作りたいので、いろいろと、国毎に対立し、自国が有利になるように争っている、何て、そう見えたりするのです。

この“自分の国”と云うのが、なかなか曲者で、その国の“国民の利益”なのか、その国の“大企業の利益”なのか?ムズカシイのです。

現在、大企業は国の枠から飛び出し、国家と云う枠組みが邪魔になっているのです。国益と云う寄りも、一企業、一業界の利益を最優先して、ルールを作ろうとしている、と、思うのです。

“グローバルスタンダード”とは、世界的なトップ企業の利益を守る為の、とても、とても、私的なルールなのだと思います。

それで、金融業界、農畜産物業界、知的財産権関連業界を抱え、TPPに積極参加のアメリカと、参加しても利益が見えない日本。

日本は、農業、金融、医療で、国内産業にマイナス。そのマイナス分は、裏返しとして、アメリカにプラスとなる訳です。

日本としては、経済的にはマイナスでも、アメリカの軍事力に守られている現状では、その枠組みを壊すことは、日本の国益ではない・・・との判断で、交渉に参加しているのです。

TPPに賛成か反対かは、とどのつまりは現状の対米関係を、認めるのか? 認めないのか? まあ、そう言うことなのです。政府も自民党もマスメディアも、ハッキリ堂々と云えばよいのです。

でも、しかし、あの民主党政権の鳩山総理の退陣で、もう、すべて結論は出てしまったのです。

アメリカに逆らうことは、とても危険で、とても不安で、とても怖くて、これまで通り、すべてはアメリカに従うことが、政権維持の絶対条件であり、国益であるとの判断がなされたのです。

その判断は誰が?と、なるのですが、官僚機構?が、政治家が?、そして、マスコミが?、そして、国民が?そう判断した?

すべての重要な政策決定は、アメリカの意向?要望?指示?命令?で決められる・・・そう言う具体的事例が、ここ数年、顕著と云うか、露骨になってきたのです。

アメリカも経済力が低下し、それなりに焦っているのです。形振りをかまっていられないのです。

アジアに軸足を置き、親中国的と見られた“小沢一郎”を政治資金で潰し、鳩山政権を“普天間”で潰し、菅を“原発”で潰し、それを目の当たりにして野田政権は、それまでの民主党の政策をすべて撤回したのです。

確かに、第二次大戦後、アメリカに従っていたことで、日本は、それなりに美味しい思いをしてきました。親分が苦境に陥ってきたからと云って、ここらで脚抜けは、やっぱり、ちょっと狡い、仁義に反する・・・・・・。

でも、しかし、何処の国の、どの政権も、国益を第一に政治を行っているのです。昨日の友は、今日の敵なのです。冷酷なのです。

日本が、どこの国にも干渉されず、どこの国からも侵略されず、日本の国益を堂々と主張するには、やっぱり、それなりの、自前の軍事力が、と、云う議論が出て来るのです。

戦後の日本は、“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した”のです、がァ、周りの国を見渡すと、“公正と信義に信頼する”には、チョット不安と云うか、かなり不安な現実もあるのです。

でも、しかし、国防力を強化して、周辺事態に単独で戦える“重武装化”は、人権より国家主権優先で、神国化で、軍国主義で、帝国主義で、侵略で、戦争で・・・、そんな暗い時代に繋がりそうで、とても、とても、不安なのです。

明るく、自由で、楽しい、重武装の民主国家は無理なのでしようか?

そうすると、それこそ!、あなた!、それは“アメリカ合衆国”ですよ!と、云う声が聞こえてきたりするのです。

確かに、野球のメジャーリーグあり、プロバスケットあり、プロフットボールあり、ジャズあり、ハリウッドの映画あり、ブロードウェイのミュージカルあり、ディズニーランドあり、ハンバーガーあり、何か、とても、自由で、明るく、楽しい、国のように見えるのですが・・・・・・・。

う~ん、でも、やっぱり、ベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラく戦争・・・、その他、諸々の紛争への軍事介入とか、いろいろと負の側面があると、思うのです。

この際、もう、形式に拘らず、実情に合わせ、中途半端は止めて、アメリカの一つの州になった方が、とても、スッキリ!???・・・・これは、極論でした。

兎に角、今の世界では、何処かのグループに属さないと、生きて行けないようで、アメリカグルーブに入るのか? それとも、中国グルーブに入るのか? 

それとも、“ロシア”と手を組み、東アジアの一部諸国を仲間にしてグループを結成し、EUグループ、アメリカグループ、中国グループに対抗するか?

自分で云うのは、何ですが、ロシアと手を組むのは、何か、とても、新鮮です。もしかして、これは、世界は4極化の方向に?

何か、話しが、とても、とても、大きくなってしまいました。

兎に角、TPPは経済ではなく政治なのです。

それにしても、自動車業界には笑っちゃいました。TPP推進派の筆頭で、関税が撤廃されるので、経済的な利益があると云っていたのに、アメリカとの事前交渉で、鼻から相手にされず、アメリカは自動車関税を維持することで決着したようです。

自動車業界の方々は、政治が読めないのでしょうか?自動車業界も、家電業界の後を追っている気がしてきました。

それでも、事前交渉で本交渉では無いと云ってますが、アメリカが決めたのですから、他の10カ国は右に倣えです。貿易額から云っても、日米だけで9割以上を占めるのですから、10カ国は、失礼ながら、その他大勢なのです。

それで、TPPは結局、年内にアメリカ有利のルールで決着すると思いますが、始めに書いたように、アメリカ有利は、単純にアメリカ国民の利益では無いのです。

ここいらで、企業が国家の壁を乗り越えるならば、国民も国家の壁を乗り越えないと、すべての国の、99%の国民は不幸になるような・・・・・・。

何処かの、誰かが、云ってました。“人類は皆、姉妹!兄弟!”なのです。

今日は、とてつもなく大きなテーマを、思いつくまま、気の向くままに、独断と偏見と、閃きで綴ってみました。

それでは、また。

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一票の格差は違憲!に対しての異見!

2013年04月12日 | 世間話し
世の中には、いろいろな“格差”があり、そして、すべてにおいて“格差”はあってはならない!と、まあ、これは、世の中の常識?なのであります。

この常識を巧みに利用して、一票の格差を無くす裁判が全国的に行われ、各地方の高裁で次々と違憲判決、そして、選挙無効判決が下されました。

最初に云って起きますが(タイトルを見れば察しが付くのですが)“巧みに利用して”何て表現した事で、それなりにお判りでしょうが、わたくしは、この件に関して、それなりに懐疑的と云うか、否定的と云うか、そんな立場なのです。

それで、あまりこの点は報道されていないので、知らない方は知らないし、それなりに関心の有る方は知っている、この訴訟を起こしている団体の性格なのです。

原告は、すべて“一人一票実現国民会議”と云う団体なのです。この団体に参加している人達は、いわゆる、政治的な立ち位置は、真ん中よりも“右より”の方達で、中には極端に右の方も居られるのです。

ふつう、現行の○○は違憲だァ! 憲法を護れ! 何て主張するのは、左よりの方達で、いわゆる市民派の方達なのですが、この違憲裁判では、その逆に位置する方々の運動で、ちょっこし、いつもと様相が異なるのです。

このメンバーを見ると、団体の名称が「自主憲法制定国民会議?」とか「憲法9条改正国民会議?」そんな団体であっても、違和感のない方々なのです。

実際にかなりの方達が、そのような主張の団体にも参加しているのです。でも、それだから、右よりの方達だから、とても怪しいと考えている訳ではありません。

世の中、思想信条の自由は“憲法”で保障されていますから、それは、それで、いろいろな考えがあっても、いいのです。

“一票の格差は良くない正すべき!”と、“世の中一色的”で、疑問とか、反対とか、そんな主張がマスコミでは見かけないのです。

そんな事も、何か危うい気がするのです。ここは、一つ、ホントにそうなの?と、考えるのも、それなりに必要な気がするのです。

不利益を被っている“選挙民”に対して、現行制度の上に胡座をかき、民主主義を歪めている“政治家”と、まあ、そんな、単純な対立軸だけで、一票格差問題に乗っかっていいの?と、云いたいのです。

それで、先ほどの団体が、一票の格差を何故に問題としているか?です。住んで居る地域に寄って一票に格差があるから、だけでは、ないのです。

人口の少ない地方の議員数に対して、人口の多い都会の議員数が少ない為に、予算配分に不公平が生じ、結果として、都市の選挙民は損をしている、そう主張しているのです。

と、云うことは、国会議員は、大局的に天下国家を論じるよりも、先ずは、地元選挙区の利益代表として政治活動を行っている、まあ、そう言う、身も蓋も無い主張なのです。まあ、確かに事実であり真実なのです。

そうすると、一票の格差を是正すると、今度は、都市部偏重になり、地方は、益々、過疎化が進み、国土は荒廃し“美しい日本”は消えてしまうのでは?と、思ったりするのです。

“現状の人口密度”で、議員定数を決めていいの?と、思うのです。

選挙制度は、とても、とても、難しいと云うか、民意は、代議制は、民主主義は、とても、とても、難しいのです。

制度が変わっても、中選挙区制でも、小選挙区制でも、選挙区比例代表・並立・併用制でも、完全比例代表制でも、選挙民が、議員が、それなりに変わらないと、何も変わらないのです。

何か、マスコミも、面と向かっては云いませんが、一票の格差が解消すると、何だか、政治が良くなるような、そんな事を、匂わせるような・・・そんな匂いを感じたりするのです。

それで、突然ですが、私としての主張を述べさせて頂きます。

先ず、です! 衆議院は全国を一つの選挙区として、完全比例代表制とします。これで、一票の格差は、人口がどう変化しようが、永久に、完璧に、平等となります。また、地域代表的な色を多少とも薄まると思います。

そして、参議院は完全に地域代表として、人口に関係なく地方自治体単位の中選挙区制とします。

そうなると、決められない政治とか、政治が不安定になるとか、そんなご意見が出て来るのですが、それは、まったくの筋違いです。政治は選挙制度や国会制度ではありません。

兎に角、代議制民主主義はムズカシイしいのです。もう、そろそろ、技術的には可能な直接民主主義が?とは思うのですが、それには、選挙民の勉強が必要ですし、それには、勉強する“ゆとり”のある世の中が前提だし・・・・・・・。

そう云う世の中を創る為の政治は、そう云う世の中にならないと・・・不可能? それじゃ、実も蓋も無い・・・・・・・。

うん、兎に角、今日は、これで、お終い。

それでは、また。

 
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⑦王子の飛鳥山で花見客を眺める

2013年04月10日 | 東京の風景
北区は王子、飛鳥山周辺を桜を求めて歩いております。

下の地図で経路を説明すると、JR王子駅で降り、音無親水公園→名主の滝公園→王子稲荷→北区役所前→音無橋→飛鳥山と云うコースです。


と、云う事で、最終地点の飛鳥山が見えてきました。


花見とは関係無いのですが、この“清水質店”はなかなかの趣。“清水”と云う名前は質屋にピッタリの名前だと思うのです。何か、とても、“しっくり”するのです。


何か、昔から、質屋は、みんな“清水”だったような気がしてきました。我が家では、その昔、盆暮れには質屋から手拭いを頂いていた記憶があります。とても、とても、お得意さんだったのです。

※“上値で親切”が、とてもイイです。

それで、明治通りで信号待ち、


横断歩道を渡ります。右手、池袋方面を望むと、遙か彼方に首都高速の中央環状線が、飛鳥山の下を潜って、地上に現れ、そして高架。音無川も飛鳥山の下を潜っているのです。飛鳥山の下は穴だらけなのです。


明治通りを渡って、直ぐに、本郷通りの信号待ち、正面に飛鳥山。


脇を見ると、タコスにかき氷。この時期、この天候、この気温で、かき氷は、いくら何でも・・・ねぇ。


それにしても、最近の都電は、とてもカラフルになりました。この日、都電荒川線に乗って王子に、何て事も考えたのですが、以前、花見の時期に、三ノ輪から早稲田まで乗ったことがあるのです。

それが、それが、大変な混雑だったのです。その時は、椿山荘下、神田川沿い桜を観に行ったのでした。神田川に沿っているのに、何故か?その公園は“江戸川公園”と云います。ここもなかなか見事でした。

信号が変わって、いよいよ飛鳥山公園に入ります。

いや、もう、まいった、まいった、この人の数。


あっちにも、


こっちにも、


そっちにも、花見の群衆。花を見ているより、それよりも、人を観察していた方が面白そうです。


それでも、上野公園よりは少ないの? 花見と云えば毎年テレビに映し出されるのはいつも、決まって、上野公園ですから、上野が一番なのでしょう。

でも、しかし、上野は江戸時代、徳川家の菩提寺、寛永寺があった為に、花見のドンチャン騒ぎは禁止で、その代わりに、飛鳥山で江戸の庶民は、飲めや歌えのドンチャン騒ぎをやっていたそうです。その頃は、花見と云えば飛鳥山だったのです。


あまりの人の多さに、足早に通過。外れにあるここも、長蛇の列。


“山頂駅”の周りは、花、花、花、


カラフルで、とても、とても、可愛らしく、桜を見飽きた眼に新鮮でした。


下を通る都電、こちらも、とてもカラフルです。次の機会には乗ってみようと思いました。


飛鳥山を降ります。ここも、人がいっぱい。


麓の駅も、人がいっぱい並んで待っています。


何処かで、コーヒーでも?と思ったのですが、その手の店は、どこも満員。コンビニでいつものカップコヒーを買い求め公園で休憩。目の前には、財務省印刷局の“お札と切手の博物館”


休憩後に、覗いてみました。一億円の札束と同じ重さの紙束。


来館記念の一枚。顔出しの丸穴は子供ようの高さで、大人には、かなり、かなり、不自然な姿勢での顔出し、連れがシャッターを切るのが遅く辛かったです。


入場無料で、いろいろ見学して、そうか!そうか!で、それなりに懐かしく、面白く、連れもそれなりに満足。

博物館前の花壇には珍しい、名前の知らない、カワイイ花が咲いていました。


この日は、いろいろな花を眺め、お弁当を食べ、お酒をちょっと頂き、神社にお参りし、花見客を眺め、最後に、お札と切手のお勉強をして、とても、とても、楽しい一日でした。


終わり。


※花見は3月23日でした。


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