歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

浅草「東洋館」に長蛇の列!?

2007年05月31日 | 東京の風景
昨日の続きです。

裏道の路地を「ウロキョロ」しなが浅草に入りました。この前に来たのは1月ですから、4ヶ月ぶりの浅草です。

浅草は「賑やか」でいて「寂し」くて、「粋で」「鯔背」でいて「野暮った」くて、「人情味」があって、「インチキ臭」くて・・・・・・不思議な街です。

肯定的な処は「昔の面影」であり、否定的な処は「現在の姿」の様に思えます。兎に角、いろいろなものが「ゴチャゴチャ」と「混じり合い」、不思議な魅力を漂わす、面白い処です。

「六区の興行街」と「国際通り」に挟まれた路地の「居酒屋」です。カラオケを唄う女性の声が外に流れてきました。

歌は「勿論」演歌です。暖簾越しに見えたのは、カウンターの席で、ジョッキを片手にマイクを握る、30代後半と思える女性の姿です。


客は一人だけのようです。「タイトスカート」から延びた「白い脚」が印象に残りました。

昼日中、一人、居酒屋で「演歌」を唄う「女」・・・・・・、何か「ドラマ」がありそうです。こういう「情景」が「浅草」なんですね。

六区の興行街は人通りも「疎ら」で、閑散としています。

大衆演劇の「浅草大勝館」前に「チラホラ」と客の姿があります。ここは以前、ストリップの「ロック座」でした。

一度は「覗いて」みようと思っていたんですが、思い続けて20有余年・・・・・・、遂に消えてしまいました・・・・・・残念! 

ロック座は隣のフランス座より入場料が千円以上高かったと記憶しています。実は、それで、なかな入れなかったのです。



閑散としたなか、この「東洋館」だけは「長蛇の列」。信じられない光景です。始めてです。何があるのでしょうか?


この東洋館は、浅草名物「ストリップ小屋」で有名だった「フランス座」です。ショーの間に「お笑い」が入るのです。今は、ストリップ抜きの「お笑い・・・色物専門」の小屋になっています。


古くは、由利 徹、南利明、八波むと志の「脱線トリオ」、そして、あの「渥美清」もここ舞台を踏んでいます。

萩本欽一と坂上二郎の「コント55号」、最近では、あの「ツービート」、最後が「浅草キッド」でした。

私が観たのは、「たけし軍団」が活躍している頃です。この当時「ストリップ小屋」に「若い女性客」が来ていました。目当ては勿論「たけし軍団」です。

話しが逸れました。
隣の「浅草演芸ホール」も暇そうです。何故に「東洋館」だけが長蛇の列?


出演者は「まあこんなところ」です、「取り」は「三遊亭圓丈」でした。最近はテレビで見かけなくなりました。古典を演じ始めたようです。

もしかしたら、この人「大化け」して、「圓生」を継いだりするかも?・・・・・・・知れません。昔、彼が書いた「御乱心」を読んでから「注目」しているのです。


それで、「長蛇の列」の件ですが、誰か「凄い」「芸人」が「出演」するのか確かめてみたのですが、

こんな「顔ぶれ」でした。まぁ「それなりに」テレビで「たま~に」見かける、そこそこ「新しい」名前とか、かなり「ふる~い」名前もあります。

このメンバーで「長蛇の列」は、かなりの「疑問」です。

遂に「威」を決して、長蛇の列を「汗を拭き」なが「整理」にあたる、「お兄さん」に聞いてみました。

『お兄さん! どうしたの? 今日のこの列は?』(ちょっと態度が「デカ」かった思います)

『ハイ。スイマセン!』かなり「恐縮」した様子でした。
『実は、無料招待券の期限の日なんです。月に2回あるんです。お客さんは良かったら、並ばないケッコウですよ、入り口にご案内しますから・・・・・・』

『イイよ! 混んでるから、また出直すよ』

別に観るつもりは有りませんので、「長蛇の列」の「原因」が知りたかっただけですから、「お兄さん」には「余計」な「気」を使わせてしまいました。


浅草は楽しい街です。明日も浅草です。


  それでは、また明日・・・・・・
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「材木屋」のある風景

2007年05月30日 | 東京の風景
昨日の続きです。

千束町に入り、「材木屋さん」の並ぶ通りに出ました。何故か「材木屋さん」を見るのが「好き」なんです。何故なのか?不思議です。

それと、何故? この通りに「材木屋さん」が「並んで」いるのでしょうか?

 

考えてみたら、「材木屋さん」が好きなのではなく、「材木が沢山並んで」いるのを、「見る」のが「好き」なんですね。

木材の並んでいる光景、「柔らかい色調」がイイ? 「仕上げ前」の板材や角材の「ザラザラ感」がイイ? 杉、檜、檜葉、欅等の「香り」がイイ?



「材木」が沢山ある「風景」は、「兎」にも「角」にも、「イイ」のです。



この「お爺さん」、店から出て来て「材木」をじっと眺め「満足」そうでした。材木屋の「ご隠居さん」の様です。


この「鉄筋コンクリート打ちっ放し」の「住居兼事務所」は、内部には「木材」が「たっぷり」使われているのでしょうか?

かなり「モダン」なデザインです。設計にも「お金」を掛けているように見えます。「材木屋さん」には「お金持ち」のイメージが有ります。


江戸時代「紀伊国屋文左右衛門さん」も、「みかん船」で大儲けした後、「材木屋」でも「大儲け」したと聞いてます。


こちらの「材木屋さん」、とても「佇まい」が良いです。しっかりと真面目に「商い」をしている様子が窺いとれます。


自然の産物を「商品」とする「商売」は、「真面目、堅実、誠実、信用」何て言葉が似合いそうな・・・・・・、そんな「気」がするのです。

それと、最初の疑問の「この辺りに材木屋が並んでいるのは何故?」の件ですが、ハッキリしません。ネットで調べても良く判りませんでした。

何か時代背景が有りそうな気はするのですが・・・・・・。
浅草寺との関わりとか? 吉原の遊郭との関わりとか? 

まぁ。兎に角、何か有りそうな「匂い」はします。

それでは、また明日です。 



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消えた「大学イモ」と「ムエタイ・スクール」

2007年05月29日 | 東京の風景
昨日は、「三河島から国技館」を「一日お休み」しましたが、今日から再開です。

東日暮里の路地から抜け出し、国道4号線の「三ノ輪」の交差点に出ました。歩道橋を渡る途中で、見つけた「ハンコ屋」さんです。

2階の外壁に注目!「段違い板張りS字曲線外壁?看板?」です。なかなか手の込んだ造りです。塗料の剥離状態も「ケッコウー」でした。


歩道橋を降りかけて気が付いたのですが、左手側が更地になり、ビルの建設工事が始まるようです。以前、ここにあった「大学イモ屋さん」が消えていました。


この写真は2年前に撮ったものです。その当時も周囲は「更地」に囲まれていたので、「そろそろ」だと思っていたのですが、遂に消えてしまいました。


4号線から浅草方面を目指し、国際通りに入ると直ぐに「この看板」が目に入りました。

『そうだ。一葉記念館も建て替えが終わったんだよなぁ、今度覗いて見るか・・・・・・』と思いつつ、喉が乾いたのでコンビニに入りました。


店頭で「野菜一日これ一本」を飲みながら、通りを眺めていると「東南アジア系」の「女性二人」が前を通り過ぎて行きました。

『今日、日本に到着したのか? それとも帰国するのか? 観光客? 学生? それとも研修生? 何処の国の人なのかなぁ~? 日本の印象はどうなんだろう?』

ジュースをストローで啜りながら、通りを眺めながら、ボンヤリと考えながら、暫しの休憩です。

ジュースを飲み終え休憩終了。コンビニ前の横断歩道を渡りながら、浅草までのコースをどうしょうか?と迷いました。

国際通りは何回も歩いているので、今回は「行き当たりばったり」の「裏道路地コース」に決定。


竜泉から千束町に入ると、明るい景色のなかに、その一画だけが「ぼぉ~と」して「薄暗~く」、「モノトーン」の「幻」を見ているような建物を発見。

一階は倉庫、2階はアパート「だった」ようです。「寂しさ感」が漂っていました。

それがです。その隣の建物は見事に「ケバイ」のです。お互いを強調しているようで、素晴らしい「対比」です。

看板の「カタカナ」一瞬何て書いてあるのか判読出来ませんでした。カタカナの連続は、区切りが判り辛く読みにくく「舌を噛み」ます。

『ウィラサクレック・ムエタイ・スクール』と区切ると、意味が判ります。多分「ウィラサクレックさん」が教えている「タイ式ボクシング学校」なのでしょう。

ガラス越しに覗くと、4~5名の「生徒」が、床に足を投げ出し座っていました。休憩時間のようです。


始めての、「竜泉・千束・浅草裏道路地コース」は「なかなか面白そう」です。

明日に続きます。それでは、また明日。



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やっぱり「白鵬」でした

2007年05月28日 | 相撲の話し
5月場所が終わりました。

白鵬が「全勝優勝」で横綱になりました。やっぱり「つまらない」です。これで「モンゴル」の「二人横綱」となりました。

横綱を狙えそうな「日本人大関」は「一人」も居ません。千代大海も、魁皇も、今の地位を守るのが「精一杯」だし、間違いなく「来年」は「土俵上」から消えているでしょう。

それに、三役で大関を狙えるとしたら、先の見えている「琴光喜」だけです。その先は「絶対」にありません。「大関」で「上がり」です。

「琴奨菊」は「名三役」のタイプです、「がぶり寄り」で、第二の「荒勢」と云ったとろです。

「普天王」も「上がったり下がったり」タイプで、上位定着は無理です。誰も期待しない関取になりました。

「稀勢の里」も「相変わらず」の「ハッキリ」しない相撲です。一年経っても「このまま」ですと、時々「上位」に勝って、観客を「湧かす」だけの関取で終わりそうです。


「豊真将」は、未だこれからですが、今場所は「大勝ち」して、優勝争いに絡んでくると思ったのですが、前半戦で脱落しました。完全に「混乱」しているようです。


今場所からは、上位との対戦にも慣れ、自分の「相撲」が取れると思っていたのですが、自分の「相撲」が何なのか「判らなくなった」ようです。

今。期待できるのは「豊真将」だけなんですから、ホントに「錣山親方!」頼みますよ!

それでは、「来年の5月場所」の「番付」を発表します。

       
横 綱  白 鵬  朝青龍

大 関  把瑠都  時天空  安 馬  琴欧州

関 脇  朝赤龍  豊真将

小 結  露  鵬  黒  海

前 頭  琴奨菊  里  山

熟慮の末の公正な結果予想です。「八百長」は一切ありません。

それでは、また明日・・・・・・ 
  
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ここでも!「コスモスイニシア」が!

2007年05月27日 | 東京の風景
三ノ輪アパートから「国技館」を目指して歩き始めました。

「三河島駅」から「三ノ輪アパート」を通り「日暮里」へのコース。又は、その逆が、これまでの「この辺り」の歩き方でした。

今回の国技館コースは始めてです。先ずは「浅草」を目指し、歩き始めて直ぐ「この光景」に遭遇。

建物の回りも、倉庫内部にも、屋上にも、古タイヤが積まれ、辺りは「タイヤの匂い」に包まれています。

この「古タイヤ」、一体どうするのでしょうか? 東南アジアに輸出され「再生利用?」、燃料として使用?

郊外の林野等に「野積」されて「問題」になっていますが、下町の密集地に古タイヤがねェ~。

「一時保管場所」なのでしょうが、都内のこんな場所で、コスト的に「採算」が合うんですね。しかし、火災が発生したら、風下は「煙と有毒ガス」で「数千人」が避難騒ぎに巻き込まれます・・・大変です。

「そんなこんな」は「都の防災部署」に任せ、国技館を目指し歩き始めると直ぐに、今度は「マンション建設反対」の文字が眼に入りました。

何と!先ほどの『コスモスイニシア』ではありませんか。ここら辺りは「コスモス」の「縄張り」なのでしょうか。



それにしても『コスモスの体質は・・・旧リクルートのまま?』の「垂れ幕」は、何となく分かるようで、何となく「・・・?」です。「パンチ不足」です。



この家の「南隣」に「10階建て」が建設中です。「垂れ幕」の「本数」から推測して「一番の強硬派」のようです。一番の「日当たり被害者」でしょうから。


確かに「10階建のマンション」です。建築主の処に「コスモスイニシア」の名前があります。


しかし、既に東隣には「7階建」のマンションが建っています。ここの住民は「反対運動」はしていない様子です。それは「チョット」ねェ~、やっぱり、自分の「加害者的」立場を「自覚」して・・・でしょう。


「強硬派」の向かいの「クリーニング屋さん」です。一応です、「近所付き合い」として「反対」している「雰囲気」です。


こちらは、強硬派から2軒離れ、通りの向かい側の「床屋さん」です。こちらは「それなりに」「反対」している様子です。


只、何ですが、「チョット変」なんです。店頭に貼られた「ビラ」の文面にある、
『太陽を返せ!!』の表現です。

未だ10階建てのマンションは建っていないのに、「返せ!!」と云われて・・・・・・、『未だ奪っていません!』と『ツッコミ』が帰ってきそうです。


しかし、都会の住宅や商店の「密集地」で、「日照権」の主張は「難しい」ですね。どう解決するのでしょうか?

冬場の「暖房代・洗濯物の乾燥代」として、一部の「電気料金」を「建築主」が補償するのでしょうか? それとも、法律を盾に「無視」するのでしょうか?

兎に角、「そんなこんな」は、「都の環境部署」に任せて、浅草を目指し歩き出しました。

それでは、また明日・・・・・・ 



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取り壊し「同潤会三ノ輪アパート」

2007年05月26日 | 建物の話し
先日の「場所入り見物」の日、「JR三河島駅」で降り「ウロキョロ」しながら、両国まで歩きました。

ガード下の三河島駅。好きなんです! 三河島で降りたのは、「同潤会三ノ輪アパート」の様子を見て来ようと思ったからです。


「ハングル文字」の看板が眼に付く商店街を通り、「信号」の処で路地を左に入るのですが、何故か?「いつも」違う信号を曲がってしまうのです。




一度間違うと、次回もまた間違うのです。4~5回来て「真っ直ぐに」行き着いたことが一度もありません、今回も間違いました。

覚えようと云う「気力?」がない? 「意識?」がない? それとも「迷いたい願望?」が無意識に作用しているか?

兎に角、今回も「迷い・彷徨い・ウロキョロ」しながら、回り道をして辿り着いたのでした。


「やっぱり」、「案の定」、「予想通り」でした。とうとう「建て替え」られるのです。そろそろ「そんな事態」が来るのではと思っていたのです。


「立ち入り禁止」です。もう誰も住んで居ません。「三ノ輪アパート建設委員会」と書かれています。



1928年(昭和3年)に建設されていますから「約80年」にも及ぶ歴史です。若い時には「80年」は長いと「思って」いましたが、最近では、100年が「一昔」と思うようになりました。

自分が生まれてから「約60年」です、その「過去」の「経過」を「思い返す」と、「100年」も「たかが100年」と思えるようになったのです。




この写真は、3年前に撮った写真です。この「状態」の「建物」に人が暮らしていました。

その時、窓越しに垣間見た部屋の内部を思い出します。
天井は「梁」が「剥きだし」になっており、釣り下げられた「裸電球」の下を、髪の薄い老人の頭が、窓を通り過ぎて行きました。不思議な光景でした。


遂に「取り壊し」です。数週間の「命」でしょう。


青色の「ゴミ収集車」が邪魔です。この角度から『同潤会三ノ輪アパート建て替え計画』の「垂れ幕」を入れた、「全景写真」を撮りたかったのですがホントに邪魔です。


「垂れ幕」にあった『株式会社コスモスイニシア』の文字に「何か?見覚え?聞き覚え?」そんな「気」がしたのです。

調べてみたら、あの「リクルート」の関連会社の「リクルートコスモス」が社名変更して「コスモスイニシア」になっていたのです。「江副浩正さん」は経営者として最近また「注目」されているようです。


それにしても「三ノ輪アパート」は「消えて」しまいます。これで「同潤会アパート」は「上野下」だけになりました。あちらは「状態」が良いので、後数年は生き残れそうです。

「上野下アパート」が取り壊される時は、「最後の」と云う事で「多少」は「話題」になるかも知れません。

最後から「2番目」は注目」されないでしょう。

それでは、また明日です。 
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「式守伊之助」と「東国原英夫」?

2007年05月25日 | 相撲の話し
今日も国技館の話しです。

「場所入り見物」をしていて、力士を待っている時間、「力士幟」を見ていたのですが、やはり何と云っても、「永谷園」が一番です。

入り口の左右に「永谷園」です。「懸賞金」も、「幟」も一番は「永谷園」です。


「力士幟」と云うので、力士だけかと思っていたら違いました。「相撲協会」に、「部屋」に、「行司」にも、「幟」が「贈られて」いるようです。


それで、「ビックリ!」したのは、ここにも「あの男」、「宮崎県知事」の「東国原英夫」の名前があったのです。最近は「ホント」に「何処にでも」出てきます。

贈った相手は「立行司」の「式守伊之助」で、この「伊之助さん」、宮崎県の延岡市の出身だったのです。今場所が「襲名場所」だったようです。

それで、一点「気」になったのが、「○○関江」・・・力士には「江」だけで「さん」は付いていません。

「○○部屋さん江」・・・部屋と行司に対しては「さん江」となっています。しかし、「式守伊之助」には「丈」とあり、これは「何?」と思い調べてみたら、

【丈】
年長者への敬称。「岳丈」
「尉」「掾」「丞」等が起源で、江戸中期以後「丈」の字を当てた。
歌舞伎俳優の芸名の下に添える敬称。明和・安永ごろより慣行。

そういう事だったのです。しかし、「行司幟」は他にも数本あったのですが、「丈」はこれ一本だけでした。ここまで書いてきて気付きました。

そうなんです!「伊之助」は「行司の横綱」、「立行司」なので「丈」を使用したのです。たぶん「間違い」ありません。

それと何ですが、「伊之助」さんは「立浪部屋」の所属なのです。あの「問題の部屋」です。現在の親方は「元小結」の「旭豊」です。

年寄り株の継承で「裁判沙汰」になったり、横綱「双羽黒」が、暴行事件を起こし「廃業」したり、「いろいろ」ある部屋です。

今年の「夏頃」には、「両国」から「つくばみらい市」に部屋を移転するそうです。これも「いろいろ」何か「問題」があっての「移転」のようです。

以前は「大きなな部屋」で、関取が何人もいたのですが、現在、力士は7人の「小部屋」で、関取は一人です。

モンゴル出身の「猛虎浪」が「西十両十三枚目」で頑張っています。ここにも「モンゴル」がいたのです。

部屋が夏には「近所」に来るので、覗いてきたいと思います。両国から「つくばみらい市」に移転すると、国技館には「つくばエクスプレス」で「秋葉原」に行き、総武線で「両国」ですから、割と近いかも知れません。

5月場所は、「白鵬」の「優勝」は間違いないようです。とうとう「モンゴル」の「二人横綱」です。日本人の「横綱」は、この先「数年間」は「無理」でしょうね。

兎に角。国技館は面白いです! この日は、1時半から3時まで「場所入り」を見物して、「取り組み」は帰宅後に「テレビ観戦」でした。

それでは・・・・・・・・・・・ 


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大相撲場所入りは「染め抜き・着流し」で颯爽と!

2007年05月24日 | 相撲の話し

昨日の続きです。

この日は「夏日」でした。「場所入り」の衣装も、ほとんどの力士が「染め抜き」の「着流し」で「颯爽」としています。

羽織り、袴姿の時期では見られない、「カラフル」な関取衆の「ファッション」は、なかなか楽しめます。

「龍」が一番多かったです。やはり「昇り龍」の「験担ぎ」でしょう。







この「龍の顔」は「チョット! チョット!」です。ホントに「情け無い顔」をしています。「普天王」何です。 残念!




「地味派」は「四股名」だけの「染め抜き」です。 渋いです!

「里山」に、


「若の里」です。

「ファッション」で、「性格」「取り口」が見えてきます。


「馬」それも「白馬」です。


これは「時天空」です。モンゴル人は「やはり」馬が好きなようです。
大草原を翔る「蒙古馬」でしょう。



こちらは「大海に白波」です。
この「魚」種類が判別出来ませんが、海ですから「出世魚」の「鰤」のような気かします。


「荒海に船」ですかね? これに「富士山」とくれば「北斎」になります。


海から白波を巻き上げて、天に舞い上がる「龍」。細工が細かく「かなり高価」な染めです。さすがに「琴光喜」です。


こちらは「琴奨菊」。上の「琴光喜」と「同色」の「地」に「鯉の滝昇り」です。一人の「タニマチ」が、同じ「染め物屋」に頼んだのでしょう。

「ぼかし」のはいった「鯉」、なかなか良いです。こちらも「高価」そう。


他には「鷹」。「かなり」大雑把な絵です、かなり「高くなさそう」です。スイマセン。



「金剛力士」、所謂「仁王様」ですね。あまり「強そう」に見えません。これ「あの稀勢の里」何です。

一見「強そう」に見えて、良く見ると「弱い」、何だか「絵柄」と「着ている人」と似ているような・・・・・・、困ったものです。

チョット変わった「犬と猫」。ベテラン「雅山」です。犬猫が好きなんでしょうか。 もしかして!「狼と山猫」?


ロシアの白熊「露鵬」です。、「イメージ」と「絵柄」が「しっくり」してます。地色の「ショッキングピンク」は彼の好み?


テレビで観るのと違い、間近で見る「力士」は「奇麗」で「男前」でした。やはり「衣装」を着ると、「ハダカ」とは「印象」が「相当違い」ます。

この日、風が強かったので、遠くからでも「鬢付け油」の「甘い香り」が漂ってきました。

そして、雪駄の地面に擦れる音、カラフルな場所入り「ファッション」、五感とまではいきませんが、「目、耳、鼻」の「三感」で楽しめました。

これだけ「楽しんで」、お代は「無料」です。

皆さんも「どうですか?」

それでは、また明日。 



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国技館「場所入り」は最高です!!

2007年05月23日 | 相撲の話し
両国に行って来ました。

国技館の周囲は、カラフルな「力士幟」が「風にはためき(風強かったです)」、華やいだ雰囲気で、その場の空気を吸うだけで、「大相撲」気分を「十二分」に味わえます。


平日ですが、入り口付近は賑わっています。一目で「外国人」と分かる、人達が「約一割」、アジア系を含めると、外国人「混入率」はかなり「高そう」です。

本日の目的は「力士の場所入り」です。

正門より、50㍍「両国駅」よりに、「力士・協会者・報道関係者」の入り口があり、ここで「場所入り」する力士を「間近で見物」するのです。

1時半に到着し、最前列の撮影ポイントを確保しました。車道に近すぎると「後ろ姿」しか撮れない可能性があります。今回で「場所入り見物」2回目ですので、そこの処は「抜かり」ありません。

着いて直ぐに入って来たのが「出島」です。「出島!ガンバレ!の声援が飛んでいました。今場所は調子が良いようです。この日は「朝赤龍」に勝って「9勝2敗」になりました。


十両に落ちた「白露山」です。両国駅の方向から「歩いて」きました。「ギャラリー」からの「声援」は「ほとんど」なし。ホントに髪が薄い。


白露山の兄貴の「露鵬」です。何故か「付き人」なしで一人で場所入り。派手な「ピンク」を着て、「怖い顔」をしていました。「露鵬!」のかけ声が少しだけ。この日は「龍皇」に負けて「7勝4敗」。


「朝赤龍」です。地味な雰囲気です。この日は「出島」に負け「9勝2敗」


「豊真将」、人気絶頂です。テレビで観るより「顔が黒い」です。この日「安馬」に「取り直し」の一番に勝って、「5勝6敗」勝ち越して「三役入り」を期待します。


「永谷園」の「高見盛」は人気があります。拍手と歓声で迎えられました。普天王に勝って「7勝4敗」



「琴奨菊」は「ベンツ」で場所入りです。珍しく「後部座席」ではなく、「助手席」に乗っていました。「安美錦」に勝って「5勝6敗」


同部屋の「琴光喜」は「同じ型のベンツ」です。後部座席に乗っていました。助手席乗りは「部屋」の「方針」ではなく、「琴奨菊」の好みだったようです。
この日「朝青龍」に「46連敗」して「9勝2敗」


「垣添」この日も負けて「0勝11敗」。「小さく」て「カワイイガキ大将」です。間近で見ると、私と「身長」が「変わらない」ような「気」がします。発表されている「178㎝」は「かなり」「鯖を読んでいる」可能性がありそうです。


「元大関」の「雅山」です。年内で「ご苦労さん」の感じがします。


「安美錦」スゴイ!「拍手と歓声」で迎えられました。「大相撲」の「関取らしい」雰囲気を漂わせていました。「渋い二枚目」です。

珍しく「大銀杏」を「結って」の場所入りの為、より「凛々しく」て、「強そう」で、「大きく」見えたのかも知れません。見とれていて「正面写真」を撮り損ねました。

「稀勢里」です。テレビで観るより「多少」は「イイ男」です。
「そこそこ勝ち」の「そこそこ負け」が続きます。

そろそろ「何とか」しないと「忘れ」られてしまいます。ホントは、何を「隠そう」、稀勢里を「応援」しているのです。

『ガンバレ! 稀・勢・里~~!』

場所入り見物は楽しいです。

明日も「場所入り」の「続き」を書きます。

宜しくネ!  


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水戸「丸石・マルキン・秀工舎」の自轉車

2007年05月22日 | 街の風景
「水戸シリーズ」は、今日でホントに最終回です。

250円の「すずき」を後に、元の交差点に戻り、真っ直ぐ直進しました。

交差点角の「ガソリンスタンド」前にあった石像です。市の所有なのか、スタンドのものなのか、名前も謂われの説明も無く「じっと」交差点を見つめています。

この石像、「狛犬」に「獅子」が「入った」ような「顔つき」をしています。奇麗な花に囲まれ、それなりに「扱われて」いる様子。



交差点を過ぎ、数百㍍行ったところで、懐かしい風景が目の前に出現。

「自」、「転」、「車」の「三枚連結」の「大文字」、「大ブリキ」、「琺瑯看板」です。『丸石自転車』も懐かしいのですが・・・・・・・。

何と云っても、私にとって、自転車と云えば『マルキン自転車』です。

今でも時々、自転車を漕ぎながら、

『♪~自転車ホイ! ♪マルキン自転車! ♪ホイの! ♪ホイの! ホイ♪』

と「口ずさむ」ことがあります。

私が乗っているのは、7~8年前に通信販売で買った、製造元表記が無い、「怪しい」折り畳み自転車です。

通り側には「サン號自転車」の看板が2枚。始めて眼にしました。調べたところ、東京の北区「田端」にあった『(株)秀工舎』と云う会社の自転車だそうです。

所在地が自転車工場「らしくて」、「なかなか」いいです。


外壁の波板トタンの「錆び具合」といい、木枠のガラス戸といい、セメント瓦の風化した「色合い」といい・・・・・・、「昭和レトロ」の「匂い」が漂います。

それにです。「レトロ」な「お爺さん」が、丸い椅子に腰掛け、通りの様子を「じっと」眺めていたのです。

それに加えて、お爺さんの向かいにある「作業台」の上には、これもまた「レトロ」な「柴犬」が、同じような「眼」をして、通りの様子を眺めているのです。


「二人」は、こうして「毎日、毎日」、通りを見つめて、もう何年も過ごしているようです。

何を思い?、何を見つめているのでしょうか? 単に「晩飯」の「おかず」を考えているのかも知れないし、若いときに「遊んだ」、「三業地」の想い出に浸っているのかも・・・・・・。

いゃ。多分、通りの反対側から、店の方に向けてカメラを構える、「サングラス」に「口髭」を生やし、汚い「野球帽」をかぶり、昼日中、自転車に乗って「ウロキョロ」している「怪しい親爺」を見ていたのでしょう。

まぁ。兎も角、懐かし風景でした。

水戸も「いろいろ」あり、楽しい街でした。まだまだ「いろいろ」ありそうです。

これで今回の「シリーズ」を終了します。

ここまで読んで頂き、ありがとう御座いました。


______________



 
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