歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

パソコン買い換えでいろいろと大変です!高齢者バージョンは無いのか!

2018年12月10日 | その他

3日の月曜日に、近所のヤマダ電機でPC購入しました。

LENOVOです。

最低限の価格と、最低限の機能で選択しました。約6万円でした。

これまで使用していたのは東芝製で8年前に確か7万円で購入。

3ヶ月ほど前に、PCはディスクドライブの機能が、内部も外付けも検出しなくなったのでした。メーカー修理で3万円位と言われ、まあ、8年使ったので、修理は断念。

すぐに購入も考えたのですが、日常的な使用には、それほど不都合はないこと、そして、一番の要因として、新しいPCを購入すると、いろいろと設定が面倒なので、先延ばしにしていたのです。

歳をとると、ホント、新しいものに拒否反応が起こるのです。設定も面倒ですが、新しくなると、ハードもソフトもいろいろ変えられているので、拒否、拒絶、面倒くせい!となるのです。

それで、ホントに!面倒くさかったのです。

まずは、インターネットの接続ですが、無線LANと言うやつで、ルーターとか言うやつに接続するのに「アクセスキー」とか言うやつを要求されたのです。

「アクセスキー」って、何じゃ!そりゃ?となり、所有者のNTTに問い合わせをしたら「こちらから設定に係員を派遣しましょうか?有料ですけど」と告げられたのです。

その程度のことで設定を依頼する気はありません。設定のやり方を聞きたいだけと告げると、「こちらでは設定方法の説明はできません。技術的な問い合わせはこちらの電話番号におかけ直し下さい」となったのです。

電話番号は一応メモしたのですが、落ち着いて考えると、これはネットの検索が一番手っ取り早いとなり、早速検索、答えは簡単、ルーターの脇に貼ってあるシールに記載されていたのです。

早速、極小文字の暗号キーの、1番から3番までを、老眼鏡をかけてメモし、1番目は最初の設定で使ったか?と思い、2番目の暗号キーを入力すると、インターネットに接続完了。

まあ、そんな、こんな、が、いろいろあって、何とか、かんとか、従来道理に使いこなせている今日この頃。

確かに、8年前に購入したPCより、通信速度は速くなりストレスは、それなりに解消。

それにしても、2018年版の一太郎と言い、Outlookと言い、Internet Explorerと言い、いろいろと表示とかが変わっていて、それなりに戸惑うのです。

おじさんとしては、改善、改良、と言って、いろいろいじくり回さないでくれ!と言いたいのです。年寄り向けの旧バージョン表示を選択できるようにしてほしい!

兎に角、そんな、こんなで、いろいろあって、ブログの更新が遅れているのです。

でも、しかし、更新しなくても、何故か、アクセス数に変化はないのです。嬉しいような、嬉しくないような・・・。

兎に角、今日のところは、これで、おしまい。

 

それでは、また。

 

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⑤ 鴨長明の方丈記は世俗的な欲望に対する裏返しの!逆説の!葛藤の!表れ!

2018年11月27日 | その他

はい、暫くのご無沙汰です。

方丈記、鴨長明をまだやっております。

そして、今回が最終回となります。

それにしても、長明さんは、晩年いろいろと書き記しているようです。

57歳から没年にかけて、和歌関連の『無名抄』、58歳で『方丈記』、60歳には仏教関連の『発心集』を書き記しているのです。そして、62歳で没。

今から800年まえですから、出版社も、印刷会社も、取次会社も、書店も無い時代、自筆で書き記した原本を、友人知人に貸し出して、借りた人が気に入れば、書き写して、ネズミ算的に世に流通する方式?

方丈記の原本は残っていないようで、現在残っているのは写本だそうです。原本は本人の手元に置いて、亡くなったとき、遺体とともにあの世に?

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし』

人の世は、儚く、虚しく、移り変わり、消え去り、とどまることは無く、ですから、本人の遺言で、遺品ははすべて、原本も含めて、遺体とともに焼却?、埋葬?、された?

それで、前回にも触れたのですが、鴨長明の、すみか、家、住居、屋敷、大邸宅への拘りについての解釈です。

ここで、大胆にも、ずばり結論を述べると、方丈記は、彼の世俗的な欲望に対する、裏返しの、逆説の、葛藤の表れと解釈します。

『・・・世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし』の「すみか」ですが、これは、彼が意識する、しないに関わらず、単なる住居だけではなく、権力を、公職を、表現していたと考えます。

住居、「大きな家」は、おおきな屋根で、「おおやけ」であり、「公」で、天皇、朝廷を、支配権力を意味します。

それと、鴨長明さんが生きた時代ですが、平安の貴族社会が衰退し、戦闘集団の武士へと、権力が移行しつつある時代でした。

鴨長明は貴族として、没落してゆく階級に所属していた方ですから、個人的事情に、社会的な背景が重なり、『・・・世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし』で、方丈記へとつながっていったのだと考えます。

18歳で父を亡くした頃より、公職から遠ざかり、自然災害、天変地異、飢餓、疾病の流行を経験し、禰宜後継争いに敗れ、隠遁生活に入り、57歳で、再度、公職へ挑戦して、藤原定家との争い敗れ、方丈記で、4年後62歳で没。

最後の最期まで、公職の地位に執着していたのです。

「公職・地位=大きな家」など、地震や火災でひとたまりもなく、崩壊し消え去ると云いつつ、でも、しかし、手に入れたかったのです。

敷地の広さや、門構え、母家の立派さは、公職の地位によって変化するもの、より大きな家を手に入れると云うことは、より上位の公職を、地位と名誉と富を、手に入れることです。

小さな家に、みすぼらしい家に、住むと云うことは、地位も名誉も富も、まったく無いと云うこと。望みが叶わぬたびに度に、運の悪さを嘆くたびに、

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし。』

を、何度も、何度も、こころの中で呟いていて、こころの平安を保っていたのです。

彼は、心の中で、かなり強く、地位、名誉、富、を欲していたのです。

しかし、それが叶わず、夢幻とし消え去り、死期を迎えて、自らの一生に思いを馳せて、それなりに、価値のある人生だったとして、自分自身を納得させるために、方丈記を記したのです。

心の中で、ひとり呟くだけでなく、書にしたため、それを友人知人に、配り、回覧させ、世俗的欲望の愚かさ、虚しさ、儚さを説いた行為。

あばら家暮らしの、意味を、価値を、世間に知らしめ、書として残した行為に、世俗的欲望への想いが、断ち切れなかったことの現れです。

そして、不運の度に呟いた『ゆく河の流れは絶えずして、・・・又各のごとし』を方丈記の冒頭に記したのです。 

世の中は、常に変化しとどまることは無いのです、しかし、方丈記は800年の歳月を生き抜いて、いまでも、その心情は、美意識は、それなりに共感を得ているのです。 

いつの時代においても、人は、ときおり、立ちどまり、儚さを、虚しさを、運の悪さを、嘆き、呟き、無常観に浸るのです。

方丈記は、それなりに、生きていくためには必要なのかも・・・。

成功者にとって、方丈記は負け犬の遠吠え ?

これで、5回にわたった「鴨長明の方丈記シリーズ」を終わります。

 

それでは、また。

 

 

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④ 方丈記の無常観は「観」ではなく「感」で情緒的で!美意識的で!日本的!

2018年11月17日 | その他

すこし間が空きましたが、前回の続きです。

方丈記です、鴨長明です。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし。』

 光文社古典新訳文庫の「方丈記」640円+税を買い求め読んでいます。

まあ、それほど売れる本ではないと思います。買い求める方々は、やはり、40代から60代迄でしょうか。そうです、わたし、68歳で買い求めました。

70代に入ると、たぶん、もう、無常感どころではなく、命の灯は消える寸前、無常感に浸っている余裕は、もう無いのです。死は身近な現実となるのです。

でも、鴨長明さんは58歳で方丈記を書き記し、その4年後に亡くなっています。当時の日本人の「平気」寿命(主に貴族)は男性が「33歳」、と云われています。

でも、まあ、乳幼児期を乗り越えた人は、それなりに60歳位までは生きていたようですから、鴨長明さんは当時としては、それなりの寿命。

 ※明治期の画家 菊池容斎 画 Wikipediaより転載・・・しかし、菊池容斎さんも、見た事も無い700年も前の方を、よく描くものです。まあ、それとなく、なんとなく、鴨長明的、方丈記的な雰囲気は感じられます。

死期を迎えつつある年齢にして、方丈記を綴った動機は何だったのか? 

地震とか、竜巻とか、大火とか、疫病とか、飢餓とかを目の当たりにして、

『世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし。』

とあるのです。人は分かるのですが、栖(すみか) 住む家を、同列にする、その発想に、いろいろな思いが、迷いが、込められている、と思います。

家屋敷とは、地位、名誉、権力、富の象徴です。人も権力も無常と云う事です。

人も権力も、無常と、云いつつ、説きつつ、でもしかし、死ぬ間際まで俗世間への欲望を抱き続けていた、そんな方だった気がするのです。

死ぬ5年前に、鎌倉に赴き将軍源実朝の和歌指導役を藤原定家と争い敗れ、翌年、方丈記を書き記し、2年後にこの世を去るのです。

そもそもです。いつの世も、俗世間から隔絶し、あばら家で自由気ままに暮らす方は、それなりに居るのです。

死期を間近にして方丈記を記し、無常「感」を自らと、世間に説いた行為は、それなりの悟りではなく、世俗的欲望への思いを断ち切れない、迷いの現れだと思うのです。

自然災害、天変地異に対して、無常「感」に浸るのは、それなりに、素直で情緒的な反応だと思います。

方丈記の無常「感」は、「観」ではなく、感情的で、情緒的で、美意識的で、日本的な感情であり、仏教の「無常」は、思想的、体系的なものであり、無常「観」なのだと、思うのです。

美意識的には、それなりの価値観として、受け入れやすいのです。

自然災害、天変地異が多く、コメを主食とし、木と藁の住居に住む、東北アジアの住民には、無常感は、それなりに受け入れやすいのかも。

でも、しかし、地震や、台風や、川の氾濫や、火災や、干ばつ等、自然災害、天変地異に立ち向かっての、治山治水、衣食住の確保してきたのが人間の歴史です。

それでも、時として、世の無常感に浸り、我が身の不幸を運の悪さを嘆き、それでも、翌日には、生きるため、食うために、無常感から抜け出して、世俗的な欲望の中に身を置いて、それなりの充足感に浸るのが、それなりのフツウの人。

年がら年中、無常感に浸っていては、フツウの人は、生きては、食べては、行けないのです。

それにしても、鴨長明は生活の糧はどうしていたの? 妻や子供は? 居たの? 棄てたの?

それにしても、この菊池容斎さんが描いた鴨長明、坊主頭に無精ひげ、 どこか私に似ているのです。

もう少し、鴨長明、方丈記に思い馳せてみたいと思います。

 

それでは、また。 

 

 

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③ 方丈記 俗世間の地位と名誉の争いに敗れ! 辿り着いた方丈の暮らし!

2018年11月06日 | その他

前回の続きです。

鴨長明さんのお話しです。

「カモノチョウメイさん」の俗名は、訓読みで「ナガアキさん」のようです。昔から偉くなると、名前を音読みする傾向があったのです。

私の名前は、生まれた時からずっと、偉くもないのに音読みです。

まあ、そんな事はどうでもよいのです。

それで、鴨長明さんですが、この方は、

1155年 下賀茂神社の禰宜の次男として生まれ

1161年 7歳 「従五位下」を授け

1172年 18歳 父が亡くなり

1177年 23歳で大火に遭遇

1180年 26歳の時に竜巻に遭遇

1181年 27歳の飢饉に遭遇

1184年 30歳で家族と離れ河の淵で一人暮らし

1185年 31歳で大地震に遭遇

1201年 47歳 後鳥羽天皇の抜擢により和歌所の選者になる 

1204年 50歳 河合社の禰宜後継争いに敗れ、和歌所も辞め出家

1205年 51歳 新古今和歌集に十首入集

1208年 54歳 京都郊外日野の山中へ移り方丈の庵で暮らす

1211年 57歳 鎌倉に赴き将軍源実朝の和歌指導役を藤原定家と争い敗れる

1212年 58歳 方丈記出筆

1216年 62歳 没

と云う一生を歩んでこられた方なのでした。

下賀茂神社の禰宜の次男として生まれたのです。禰宜は神主より下のようですが、それなりの地位なのです。

それなり、と、云っても、一般庶民からは、遠く、遠く、かけ離れた、7歳にして 「従五位下」を授けた、大きな屋敷に住む支配階級に属するお方でした。

そして、しかし、1172年、18歳の時に父を亡くし、後ろ盾を失い、中心に位置していた人が、少し端っこに追いやられ、不運の幕開け、方丈記につながる第一歩となります。 

それからは、官職から遠ざかり、和歌を詠み、琵琶を奏で唄い、自由人として暮らしをしているのです。その間、歌人として、それなりの地位にあったようです。

その頃に、大火に、竜巻に、飢餓に、大地震に遭遇して、人間の、そして、住居の虚しさ、儚さを、感じるのです。

それでも、世の中の端っこから、中心に戻りたい気持ちは消えていなかったのです。そして、1201年47歳の時に、後鳥羽天皇の抜擢により、宮中の和歌所の選者になるのでした。 

ところが、ところが、3年後の1204年50歳の時に、下賀茂神社の関連神社、河合社(ただすのやしろ)の禰宜後継争いに敗れ、和歌所も辞め出家してしまうのです。

彼は、河合社の禰宜に、相当な思い入れがあり、後継争いに敗れたショックは大きかったようです。

それにしても、です。神社に生まれた方が、出家して仏門に入ってしまうの?

まあ、隠遁生活で、神道はあまり聞いたことがありませんから、神道と隠遁は結びつかない? 

神道だとしたら、山伏となって、野原を、野山を、駆け巡る、そんな活発なイメージとなり、かなり、かなり、隠遁的、内省的、そして、虚しさ、儚さ、とは、遠ざかることになる?

兎に角、54歳から、本格的に世間とは離れ京都郊外で、折り畳式で移動可能な、方丈での暮らしを始めるのです。

※光文社古典新訳文庫「方丈記 鴨長明 蜂飼耳 訳」より引用。

歌を詠み、琵琶を奏で唄い、また経典を読み、村の少年と野山を歩く生活に入り、俗世間から隔絶した暮らしをはじめるのです。

でも、しかし、1211年57歳、隠遁生活たった3年で、俗世間の官職を目指し鎌倉に赴き、将軍源実朝の和歌指導役を、藤原定家と争い敗れるのです。

彼としては、18歳で父を失い、50歳で河合社の禰宜後継争いに敗れ、57歳で定家との争いに敗れ、つくづく運の悪さを嘆くのです。

そして、そして、57歳にして「方丈記」に辿り着き、書き終わって4年後にこの世を去るのでした。

まさに、彼にとっては、大邸宅から、掘立小屋への、貴族から乞食同然の、急降下の、敗北の、不運の、人生なのでした。

鴨長明、方丈記は、薄っすらとは知っていましたが、今回、それなりに、勉強になりました。

本日はこのあたりで終わりますが、もう少し方丈記に思いを巡らしたいと思います。

それでは、また次回。

 

 

 

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② 方丈記の"方丈"は3m四方のあばら家で鴨長明の家への想いと無常感

2018年11月01日 | その他

前回の続きです。

方丈記のお話しです。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし』

前回、この冒頭が内容の全てと断言?しました。全てが凝縮しているのです。

いわゆる、無常観です。この世の物や現象はとどまることなく生滅して、常に移り変わっている。「常にそのままで無い」と云う事です。

河の流れは、まあ、フツウは絶えることはなく、上流から下流に流れ、同じ水が同じところに止まっている、何て、考える人はいません。

人の一生なんてものは、河の流れに浮かぶ泡のようなもので、すぐに現れ、すぐに消え、留まることはない、何て、考えるのは、それなりに、まあ、フツウのことだと思っています。

まあ、この無常観は、別に、鴨長明の発見、発明でもありません。インド発祥の仏教によって日本に伝わったものです。

まあ、人の世の儚さを、水の流れに例えた、その表現が、言葉の響きが、人の心の内にじんわり染み込むのです。歌人としての鴨長明の腕の見せ所。

鴨長明のセンスの良さで、日本的な美意識とピッタンコと嵌って、平安の世から現在まで、時代を越えて、それなりに、一定の層に受け入れられているのです。

儚さとか、虚しさとか、侘しさとか、ものの哀れとか、そんな思いに時より浸るのは、それなりに酒の肴にはもってこいなのです。四六時中浸るものではありません。

まあ、インド仏教の方は「無常観」で、日本の方は、美意識的で、感覚的な「無常感」と記すのが正しいとの意見もあるようです。確かに、ごもっともな説。

それで、"人と栖(すみか)と、又各のごとし" この言葉です。何で、ここで、人と住家が同列に並んでいるの? 人の無常はわかりますが、住家の無常はわかりません。

考えてみれば、タイトルが方丈記"なのです。 方丈とは本来、僧侶が寝起きし生活する"粗末な家のことです。でも、まあ、いつの頃からか、粗末が忘れ去られ、豪華絢爛でも、僧侶の住まいを方丈と呼ぶようになりました。

ちなみに、こちらは、鎌倉は円覚寺の方丈。

でも、しかし、現在ここで僧侶が寝起きしているわけではありません。粗末から豪華への変遷の過程で、使用方法も変化した結果です。

円覚寺には、こんな注記が掲げられています。 

それで、鴨長明さんのころの修行僧は、まだ方丈の名にふさわしい住まいに暮らしていたようです。方丈とは、一丈(約3m)四方、現在の四畳半程度の広さになります。

こういう、 慎ましいと云うか、粗末と云うか、みすぼらしいと云うか、簡素と云うか、そんな住いで暮らしつつ、この世の無常を綴ったので、タイトルを方丈記としたのです。

それで、"世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし"なのです。世の中の人は理解できのですが、住いも儚く無常とあるのです。

鴨長明さんは、相当というか、かなりと云うか、とても、とても、住まいに拘りがあったようです。

これは、きっと、きっと、その生い立ちが関係しているのでは?と、推測します。

それで、この続きは次回とします。

 

それでは、また。

 

 

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① 方丈記は400字詰め原稿用紙でたったの二十数枚だった ! 知らなかった !

2018年10月29日 | その他

鴨長明です。

方丈記です。

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、又各のごとし。』

この冒頭は、あまりにも有名で、わたくしとて、それなりに、耳にし、目にし、こころの片隅に、薄っすらと刻まれているのです。

薄っすらですから、この後は、まったくもって知らないのです。方丈記は高校の授業で、古文?か日本史?で、ほんの少しだけ触れたのかも。

鴨長明さんは、何となく、平安時代の物書きとしか記憶がありません。

それで、最近、新聞で、ちらっと眼にして気になってアマゾンで購入(640円)しました。

光文社古典新訳文庫で2018年月20日初版第一刷り、訳者は蜂飼耳(はちかいみみ)さんです。女性で、詩を書いたり、小説を書いたり、エッセイを書いたり、翻訳をしたり、絵本書いたり、する方で、それなりに名前の知られた方のようです。現在、早稲田大学文化構想学部教授で44歳の方です。

それにしても、です。苗字が「蜂飼」で名前が「耳」とは、これって、どちらも、とても、とても、珍しいです。本名なの?

それで、方丈記での中身ですが、ざっと読んだところ、冒頭の『ゆく河の流れは絶えずしてもとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ・・・・・・』

が、すべてなのです。

あとは、作者がそこへ辿り着いた経緯が述べられているのです。ですから、冒頭部分を知っていれば、その意味に、その思いに、各自が、これまでの人生、これからの人生に思いを巡らし、思いを馳せれば良いのでした。

簡単明瞭、必要にして充分なお話しなのでした。

原典は、400字詰め原稿用紙にして二十数枚程度で、この本でも23ページしかありません。それで、前書き、新訳、エッセイ、解説、年譜、図版、あとがきを付け足して、152ページの構成となっています。厚さ5mmですぐ読めるのです。

5mmで640円ですから、1mm128円で、1ページ当たり4円21銭となります。←何を云っているのか!、身も蓋もない!

 本日は、週初め、中身に対して、思いを巡らしたり、思いを馳せたりするのは次回とします。

 

それでは、また。

 

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ロバアート・キャパで記録更新で何だか分からないけど拍手!

2018年08月02日 | その他

昨日の訪問者が、なんと、なんと、2,301人でした。

これは、新記録です、やはり、それなりに、嬉しいのです。

こういう訪問者の多いい時は、ある記事に集中してアクセスがあった時なのです。

今回は、総閲覧数が4,511ページで、その内で2,236ページがロバート・キャパの記事でした。

キャパの記事は4年前に書いたものですが、それなりに書き散らした中で、それなりに納得の出来栄えと自画自賛の、ひとつなのでした。

これまでも、毎日、毎日、十数ページの閲覧のある記事でしたが、一日で、2千と、3百と、1人に見ていただいて、ヨカッタ、ヨカッタ、なのです。

何か事件があったり、テレビ、ラジオで関連の話題が採り上げられたりすると、アクセスが集中するのです。

これまでの最高アクセスは、原節子さんが亡くなった時で、その前が、女優の羽田美智子さんが入籍発表した時でした。

それでも、どちらも、千数百程度だったと記憶しています。

兎に角、今回の訪問者の記録更新は、それなりに、大したモノなのです。

それにしても、今回、何で、キャパの記事にアクセスが集中したの?

まあ、何だか、分からないけど・・・・・・・。 

兎に角、それでは、ひとりで、

拍手! パチ! パチ! パチ! パチ! パチ!で、お終い!

 

それでは、また。

 

 

 

 

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パソコンが故障でCDを認識しない!犯人はWindow10でした!

2018年07月16日 | その他

パソコンが故障し、12日に修理に出し、15日に引き取りに行きました。

結論として、故障個所は回復しませんでした。

販売店のヤマダ電機の担当の説明では、メーカー修理で2~3週間で、費用は2~3万との事。

と云う事で、新しいパソコンの購入を決定しました。まあ、今すぐではなく、近いうちにです。

それで、故障の症状ですが、内蔵のCDドライブにCDを入れても、読み取らないのです。なんだ!なんだ!どうしたの? と云う事で。

読み取りのレンズを掃除したりしても、それなりに、カシャ・カシャ・コト・コトの起動音と、オレンジ色のランプも、チカチカ点灯するのですが、十数秒で、音は消え、ランプも消えてしまうのでした。

これは、もう、CDドライブが壊れたと判断。ネットで外付のCDドライブを2千数百円で購入。2日後に届き、これで解決と思ったら、同じ現象でカシャ・カシャ・コト・コト、チカ・チカ、そして、何も動かないのでした。

それで、調べてみたら、「デバイスとドライブ」の処に、CDドライブが表示されていないのです。PCが認識していないのです。

ここからが大変なのでした。いろいろいじくり回し、自動で診断するプログラムを見つけ、診断すると、CDドライブの項目は「スキップ」の表示になるのです。

それからまた、いろいろいじくり回して、原因にたどり着いたのです。出た結論は「レジストリーが壊れている」だったのです。

「レジストリーが壊れている」の回復方法をネットでみると、かなりの上級者でないと、下手にいじると、Windowsが起動しなくなる危険性があると判断、これは、もう、プロに任せることにしたのです。

ここまでで、2週間ほど経過しているのです。毎日、毎日、1時間から2時間をこの問題に費やしていました。

そして、12日の木曜日に販売店に持ち込み、担当者に現象原因を説明したのです。すると、レジストリーに関係する故障は、日曜日だけに派遣されてくるスタッフでないと修理できないとの返事で、パソコンを預けて帰宅。

その間、パソコンロスの3日間、思っていたより、まあ、どうって事も無く、日曜日を迎え、修理完了の電話を待っていたのですが、3時になっても連絡がありません。

食料品や日用品の買い物もあったので、3時過ぎに出かけて、販売店に行くと、専門スタッフが、「原因は分かりました、結論として「Windows10」から「Windows7」に戻さないと解決しない」との回答。

すべての悪さは「Windows10」で、わたしのパソコンは8年前に購入し、1年前に「10」を無料ダウンロードしたのです。でも、基本のOSは「7」で、このへんで、いろいろとゴチャゴチャで、この現象が起きたようです。

「10」は一年前?にダウンロードで問題なく動いていたのです。最近のアップロードのプログラムでやられた?  そういえば、CD問題が起こる少し前には、メールの送受信ができなくなった事故があったのです。

こちらは、わたくしの努力で解決したのでした。これも「10」が犯人?

でも、きっと、クレームを付けても、無料ダウンロードの時、契約条項に、同意しますか?に「はい」とクリック、あまり、誰も、読まない条文に逃げ口上が明記されている筈です。

契約条項には、必ず「免責条項」があり、いろいろな不具合に対して、「責任は負いません」とあるのです。タダより高いものは無い!

でも、もしかして、修正プログラムがアップデートされる?

まあ、8年使っていますし、諦めて、購入することにしたのです。

兎に角、いろいろいじくり回して、これまでよりも、それなりに、パソコンは分かった気になったのですが、いまその経緯を綴るにあたって、振り返り、思い返すと、何処を?、どういじったのか?かなりの部分で忘れているのでした。

まあ、とにかく、買い替えです。

でも、また、いろいろと設定が待っているのです。

初期の設定は8年前のことですから、かなり、かなり、不安なのです。多分、半日?一日?を費やすかも?

設定は、インターネット、メールの接続だけ? それだったら、30分か1時間?

まあ、兎に角、この間、いろいろありました。

兎に角、買い替えで、一件落着。

それでは、まて。

今日も暑い!

夏場所は、横綱全員休場で、新大関栃ノ心も休場で、カド番大関の、豪栄道も、高安も、危ない相撲で、盛り上がりに欠けて、熱くなりません。 

昨日までただ一人全勝の関脇の御嶽海の優勝?

それとも、大番狂わせで、昨日まで2敗、東前頭13枚目と幕尻にいる、栃煌山が優勝したりすると、面白いのです。今場所は、そんな楽しみしか無いのです。

まあ、そんな、ことで、また。

 

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双子ちゃんが遊びに来ました!元気と笑顔をいっぱい!いっぱい!もらいました!

2018年02月12日 | その他

今日は、もう、2月の12日です。

昨日が祝日で日曜とかさなり、今日は振替休日なのでした。

紀元節を改め、建国記念の日なのです。

国家を治めるには、権威と物語なのでした。

それにしても、更新が滞りがちで、調べてみたら前回が1月27日で、二週間ちかく更新されていませんでした。

このところ気温は低いし、わたくしのテンションも低めで、毎日がぼんやりと過ぎ去っていくのです。

毎日が、朝起きて飯喰って散歩して、一杯(食後高血糖対策)やって昼飯喰って散歩して、焼酎飲んで晩飯喰って寝て、夜中と云うか、早朝と云うか、1時半から3時頃まで朝刊読んで又寝て、6時半に起床のくり返しです。

でも、そんなくり返しの毎日ですが、先月の31日には、可愛い!可愛い!双子ちゃんが遊びに来てくれたのです。

久しぶりに、賑やかで、楽しいランチを食べて、食後は公園に行ったのです。

食後はイチゴをいっぱい食べました。

「お山のある公園に行こう!」と云ったら、もう、二人は、大はしゃぎで、「公園!公園!お山の公園!」と二人で連呼。公園が大好きなのです。

滑り台にのりました。お兄ちゃんは一人で左側の大きな滑り台を3回も滑りました。弟は私と一緒に一回だけ、弟のほうが少し恐がりなのです。

お山には3回も登りました。登りは階段から外れて枯れた芝生を登り、下りは階段をぴょんぴょん飛び降りました。元気いっぱいなのです。

赤い帽子がお兄ちゃん、青い帽子が弟君です。

二人は、2歳9ヶ月です。良くしゃべり、良く食べ、良く遊び、とても元気で、とても、とても、とても、可愛いです!

“また来るねェ!”と笑顔で帰って行きました。

元気と笑顔を、いっぱい!いっぱい!いっぱい!もらいました。

ホントに!ホントに!ホントに!また来てネェ!

書いているうちに、段々とテンションがあがってきました。何だか元気になってきました。

それでは、また。

 

 

 

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2018年のごあいさつ!です!

2018年01月01日 | その他

昨日の大晦日はとても寒かったです。

東京は初雪が降ったようです。

こちらでも、夕方頃に白い物がチラホラ舞って来ました。

これまで暖房はエアコンだけでしたが、やっぱり石油ストーブ!となり、昼過ぎ、近所のガソリンスタンドで灯油を購入。

無色透明の風を送るエアコンよりも、赤い炎が見えるストーブは暖かい。そして、ストーブは煮たり焼いたりできるのです。本日のお昼は焼き芋に決定!

そうでした! 本日は、誰が何と言っても、全国的にお正月でした。

まあ、60数回も正月を迎えると、なんとも、かんとも、飽きてくるのです。昨晩も9時には床につきました。

紅白はここ数年まったく見ていません。曲名にも、グループ名にも、歌手名にも、横文字ばかりが目立ち、知らない歌手、知らない曲ばかりとなりました。

世の中は、少子高齢化なのに、紅白の選考基準は何処か変? たぶん、年寄りはそれなりの習慣で紅白を見るとして、テレビ離れしている若者を狙って、こんな出場歌手となるのでしょう。

ほんと、正月の何がめでたい!何て、ことに、なりつつあるのです。

クリスマスなどは、まったく関係ありませんでした。去年までは、鶏のモモ焼きなど、スーパーで買い求めしたりしていました。

ケーキはもう数年食べていません。食後高血糖ですから、世の中には糖質0のケーキもあるようですが、まあ、そこまでしてケーキを食べる気はありません。

今年のクリスマスはマグロの刺身でした。

5日には人生68年、段々と、面白い事が少なくなっていくのです。

先日テレビで、アパートで一人暮らしの老人(70代?)が、カップ酒の蓋を開けつつ、『今はこれだけが楽しみ』と呟いていたのを見て、頷いてしまいました。

このままだと、間違いなく老け込んでしまいます。

元日から、なんとも、“しけた話”しになってしまいました。

       そう! 正月はメデタイ!

      そう! 何が何でもメデタイ!

     そう! 誰が何と云ってもメデタイ!

         2018年! 平成30年!

兎に角! メデタイ!のだァ~~~~~~~!!!!!!!

             以上

これで、新年最初の更新を終わります。

 

それでは、また。

  

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