歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“世界ふれあい街歩き”で、歩く!ブタペストで温泉

2009年02月27日 | 世界の風景
昨日の続きです。

フリマ公園の先に、こんな建物が、どことなく、それとなく“社会主義の臭い”を感じる建物です。


それなりに堅実と云うか、冷たいと云うか、威圧的と云うか、何処か、何故か、寂しい佇まい。

東欧の、社会主義の、建築に相応しい建物です。

池の畔りに佇み、一人建物を見上げる人。何を想い、何をみつめているのか、冬間近・・・・・・、哀愁です、ロマンです、いい風景です。


でも、しかし、池には“蓮の華”が咲いているのです。冬間近に?


このダウンジャケットのお兄さんに聞いたところ、ここは温泉施設で、池は暖かいの温泉水だそうです。


それにしても、足下には落ち葉がいっぱい積もっています。清掃予算が不足しているのでは無く、このプラタナス?の落ち葉は、“晩秋”の大事な彩りなのです。たぶんそうだと思います。

それにしても、階段の処に腰掛け、こちらを見つめる、あごひげを蓄えたおじいさん、ちょっと気になります。

温泉を楽しんだ帰りでしょうか。それとも、誰かを待っているのでしょうか? 公園のベンチに座り、道行く人を静かに眺める老人、これも東欧の風景、絵になります。

温泉施設の玄関です。施設名の看板も、余計な装飾も、入り口とも、出口とも、何の表示もありません。


奥のドアにも何も無し。日本では、どんな施設でも、やたら、めったら、案内書きとか、注意書きとか、広告が多すぎるのかも知れません。

それにしても、温泉施設にしては“冷たい風景”です。


ロビーはそれなりの暖かさを感じますが、どう見ても、1950年代の匂いがします。


中庭には温泉プール、日本の様な大浴場はないのです。温泉は何と云っても“素っ裸”で入ってこそ温泉です。でも、温泉施設は“スパ”なのです。


この光景は、まさしく社会主義の名残りでしょうか、受付で“書類”に施設利用の“申請”をしているようです。

住所、氏名、年齢、性別、利用目的、何て書かされ、そして、身分証明書の提示を求められたりして? 目的によっては医師の紹介状が必要だったりして?


この白衣の“おばあさん”かなり怖そう。温泉は娯楽と云うよりも、医療とか、保養とか、治療とか、体質改善とか、健康増進とか、そんな、堅くて“真面目”な施設のようです。

日本の様に、喰って、飲んで、歌って、踊って、騒ぐ、そんな雰囲気は微塵もありません。これでは、身体も、気も、休まらないような・・・・・・。


このおじさん、“書類”と引き替えに温泉水を受け取っています。


毎日来ているようです。座る場所も決まっているのです。


如何にも、長年勤め上げた役所を定年退職し、悠々自適の毎日を送る元下級公務員の雰囲気。


この帽子、この顔立ち、東欧の人です。私も、以前、塩原で飲んだ事がありますが、表現しづらい妙な味がしました。まぁ、それぞれの泉質で味は異なるのでしょうが、それでも、どこも旨くはないと思います。


ブタペストには温泉が沢山あるそうです。でも、やっぱり、日本人としては、温泉は、旨いもの喰って、旨い酒を飲んで、が無いとモノ足り無いのです。

これで、ブタペストの温泉紹介を終わります。

まだ、もう少し、“他人のふんどシリーズ”は続きます。


それでは、また来週。


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“世界ふれあい街歩き”で、歩く!ブタペストの“フリマ”

2009年02月26日 | 世界の風景
昨日の続きです。

今日は、ここで“ハンガリー料理”の紹介です。あまり聞いたことがありませんがどんな特徴があるのか?



先ずは、フランス料理で有名な“フォアグラ”です。ハンガリーの名産品だそうです。



ダチョウの“皮下脂肪”で、ダチョウの“肥大した肝臓”をじっくり揚げ、


揚げ終わったら、そのまま、皮下脂肪と一緒に冷やして固め、


スライスします、白く固まった皮下脂肪を“ベットリ”まとったフォアグラ、これぞ“脂肪肝”。旨いモノは、身体にはとても悪いのです。

シェフがハンガリーの大地からは、美味しい食材がいっぱとれると云ってました。


料理の紹介はこれで終わりにして、街歩きに戻ります。ブタの丘を下り、ドナウ河に沿って北に歩きます。岸辺の公園では“フリーマーケット”の様なものが。

タバコに火を点けているお父さん、


息子と一緒に、


朝の5時から店を開いているそうで、家から持ってきた、いろいろな“雑貨品”を売っていました。

少し“頼り無さそう”なお父さん、そして、“生活力”ありそうな息子です。


売り物のなかには、何処からか仕入れてきたような、靴とか、衣類も並んでいます。


仕事をしながら商売もできて、“社会主義の時代よりもづっといい”と云ってました。それでも、暮らしに余裕のある“様子”は感じません。

“余分”になったモノを売っていると云うよりも、生活する為には、売れるモノは売って、暮らしの“足し”にする、そんな様子が・・・・・・。

こちらは、骨董品と云うか、古民具と云うか、単なる“がらくた”と云うか、そんなモノを商っています。


18世紀?の双眼鏡が「1800円」で売れたようです。かなり高いと思います。


骨董品としてではなく、実用品として買い求めたようです。まだ、何とか、遠くが見えるようです。


“フリーマーケット”と云うよりも、生活感漂う“ぶつぶつ交換市”のような雰囲気がしました。

世界同時不況、東欧の旧社会主義国の経済は、相当に厳しい筈です。あのお父さんと息子は、いま、どうしているのでしょう・・・・・・。


それでは、また明日。


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“世界ふれあい街歩き”で、歩く! ブタペスト 赤い服の老女

2009年02月25日 | 世界の風景
昨日の続きです。

ブダの丘、住宅街を歩きます。

古い石造りの家が並ぶ、これぞ、ヨーロッパの街角です。


煉瓦造りの煙突、きっと、この下には暖炉があるのでしょう。


この方は、煙突の修繕を生業としているようです。単なる煙突の煤掃除だけではないようです。

お父さんも、お祖父ちゃんも、そのまたお父さんも、代々、ずっと、ずっと、続いている家業なのかも知れません。



数百年変わらぬ町並み、変わらぬ生活、旅人は、勝手にそう思いたくなるのです。ヨーロッパの外れ、東欧、ハンガリー、そして、ブタペスト、空は灰色で、人は疎らで、静かな町並・・・・・・そんな風景を望んでしまうのです。



そんな町並みを、颯爽と歩く、


若くて、


可愛い、


女の子のふたり連れ。


ふたりは、日本的には小学校の六年生です、ハンガリーでは、初等教育が8年間、中等教育が4年間だそうで、日本の中学校にあたるものは無いのです。

若い二人は、社会主義の時代を知りません。

昼休みに、町を散策しているそうで、冬に向かう今の季節が“一番好き”と云ってました。ブタの町で生まれ育った二人は、渋い季節を好むようです。

眩しい太陽、青い空、白い雲、そんな風景に憧れを感じないのでしょうか、もしかして、夏になると、私のイメージと異なり、ブタも明るく輝く風景になるのかも・・・・・・。

でも、やはり、よそ者は、ブタは暗い冬のイメージの中にあるのです。そして、そこに暮らす人達も・・・・・・。

でも、もしかして、他の女の子に聞いたら、“暗いブタは嫌いよ!夏が大好き!”何て云うかも知れません。

たまたま通りかかった、たまたま冬好きの、“若い二人”かもね。

こちらは、とても “若くない” 赤い服を着たお婆ちゃん。


85歳だそうです。ハンガリーの、“王制時代”、そして“ソ連占領時代”、そして“民主化の時代”を生き抜いてきたのです。父や母、姉弟、夫、娘、息子、いろいろあった筈です。


そんな婆ちゃんが、杖をつきながら、自慢の中庭を案内してくれました。


冬をむかえる中庭はとても寂しい風景です。春になり、夏になると、葉が茂り、花が咲き、鳥の囀りで賑やかになるようです。

白い髪に、赤い服、“お婆ちゃん!よく似合いますよ!”

これまで、いろいろことがあったのでしょう、

“これからも、ずっと元気でねェ”


煙突を修理する人、街を散策する冬好きの小学6年生、赤い服の85歳のお婆ちゃん、いろいろな人が暮らすブダの街。


まだ、まだ、“他人のフンドシ”で、ブダの街を歩きます。


それでは、また明日。


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“世界ふれあい街歩き”で、歩く!ブタペスト 

2009年02月24日 | 世界の風景
本日より、かの有名な、自分が如何にも、歩いているよな、旅番組、NHKの“世界ふれあい街歩き”で、さも、自分で行った気になって綴ります。

これぞ、“他人のフンドシで相撲を取る”と云ったところです。

この例え何ですが、ある時、ある人が、“他人の相撲でフンドシを取る”と云った事を思い出すのです。これは、これで、それなりに面白いと思います。

それでは、“他人のフンドシシリーズ”は、今回、ハンガリーの首都“ブタペスト”を歩きます。

ブタペストはドナウ河を挟んでブタとペストに分かれているのでした。両岸を繋ぐ吊り橋“くさり橋”は1849年にできたそうです。

全長380㍍は、まぁ、丁度良い長さです。吊り橋と云っても吊っているのは、ワイヤーロープではなく、鋼材を連結したものです。

その上を男が歩いて来ます。


この人は、当然、“不審者”ではなく、橋の点検作業を行っている作業員です。それにしても、私服でヘルメットも被らず、安全ベルトもなし、作業靴でも安全靴でもない普通の靴を履いています。

日本では、とても考えられません。ハンガリーは“そう云う国”のようです。人口は一千万ちょっとですから、東京都ぐらいでしょうか。


この方、毎日橋の点検をしているようですが、ここに一人で常駐しているのでしょうか、所謂“橋番”のブタペスト版と云ったところ。

あまり、忙しい仕事ではなさそうです。

公務員なの?、通いなの?、何処に住んでるの?、歳は?、奥さんは?、子供は? 給料は?、暮らし向きはどう?・・・・・・、何て、いろいろ聞いて見たくなります。

ハンガリーは旧社会主義国家です、そして、現在、所得の格差は相当に大きいようなのです。所得の単純平均としては、日本の半分程度みたいです。

旧社会主義国は体制が変わっても、人を“働かす側”の“顔ぶれ”と、“働かされる側”の“顔ぶれ”は特に変わらなかったようです。

橋を渡り終え、見上げる“ブダの丘”には、


大きくて、高くて、立派な、“王宮”が河を見下ろしています。


王宮の屋上?で、観光客相手に絵を売っている絵描きのおじさん。


この方、風景画はまったく描かないようです。こんな、訳の分からない、寓意画?のようなものを売っているのです。


観光客としては、この景色です。


風景画を望むと思うのです。


でも、しかし、彼は、観光客に媚びず、


自己の芸術的な信念を曲げず、断固、風景画を描くことを拒否しているのです。彼は、見下ろす風景が美しすぎて、絵にできないと云ってました。

そうか、そうか、なるほど、と思ったのですが、実は、ホントは、この方、風景画は専門外では?、と思うのです。

ここでは、絶対に!風景画を望む筈です、売れる筈です。でも、彼は描けない、それでも、ここには観光客が集まるのです。

ここで商売をした方が、他の街角で売るよりも、稼げるのでしょう。ここで商売するには、それなりに、届け出とか、認可とか、いろいろと権利関係が発生するのでは? 

まぁ、兎に角、おじさん頑張ってください。

しかし、この丘からの眺め、晴れていれば、もっと、もっと、“絵にも描けない美しさ”なのです。

この日は、曇り空で、どんよりと灰色の靄に包まれていました。

でも、しかし、これは、これで、私としては“東欧”と云う、言葉の響きに似合っていると思うのです。

東欧には、抜けるような青空よりも、灰色の空が・・・・・・、“旅愁”と云う言葉が、そんな、想いを懐かせる、ブタペストのブタ側でした。



それでは、・・・・・・また明日。

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シャトーカミヤのランチはオッケーでした!

2009年02月23日 | 食事の話し
昨日は、シャトーカミヤで、二人で、ランチを頂いてきました。

シャトー・デンベイ・カミヤ


日曜日、そこそこの人出。


レストランキャノン。ランチの確認は事前に済ませております。それでも、一応、入り口でメニューを眺め、値段を眺め、よし、よし、ある、あると、安心して、落ち着いて、中に入りました。


入り口には“グランドピアノ”なぞを配置して、それなりに高そうな雰囲気を演出しています。、テーブルに着く際には、ウェターがイスを引いてくれました。

メニューが出され注文の確認、こちらはもう、家を出る前から決まっているのです。兎に角、2千円ポッキリのコースなのです。

一応、眺めた振りをして、“2千円のランチ”と云ってしまったのです。ここは、やはり、金額を“モロ”に云っては“はしたない”のです。

ウェーターは『ハイ“レザン”ですね、分かりました』と云って下がって行きました。

そうなんです。2千ポッキリコースは“レザン”と云う名前が付いているのです。ここは、気取って、カッコヨク『レザンでお願いします』と、云うべきでした。

ランチコースには、その他に、3千うん百円コース、6千ウン百コースの3三種類があります。

“レザン”は、フランス語で葡萄の実の事を云うそうです。“2千円のランチ”と云ってしまい、足下を見られてしまったのです。

一応、飲み物も注文、車で来たのでワインは飲めません。葡萄のジュースで我慢。


前菜。カクテルグラスに“タコのカルパッチョ”、“ホタテのムース”、“あきたこまちのサラダ風仕立て”。器も、盛り付けも、それなりにお洒落です、フランス料理です。

秋田小町の“冷たい飯粒”以外は、とても美味しかったです。

バケットと、赤ワインを練り込んだパン。


カブのポタージュスープ、運ばれた時の温度が、熱からず、冷たからず、とてもヨカッタです。味もオッケーでした。


メインディッシュは牛肉の赤ワイン煮込み。久しぶりの、牛肉の、こってり煮、なかなかケッコウでした。


配偶者はお魚で、“ホウボウ”の・・・・・・?何とか料理でした。お魚コースには“スコーンにガーリックマヨネーズ”の皿が一枚余計に付いています。

私には、サラダだけが付いてきます。ガーリックマヨを付けて私も一枚頂いたのですが、何処に?ガーリックが?でした。


美味しいネェ!、これで2千円!、安いネェ! と、話しながらメインディシュを食べ終わりました。

この後、デザートは、ケーキが付くの?、フルーツは付くの? どの程度の物が?2千円だから余りねェ、何て会話をしながら、デザート待ち。

テーブルの上を見ると、バケットの欠片が辺りに散らばっているのです。ちょっとだけ指でかき寄せたりしたのですが、まぁ、いいカァと、途中で作業を中止。

するとです。ウェイトレスがやって来て、テーブルの上を、こんなモノを、


滑らせ“パンクズ”を綺麗にしてくれたのです。始めて見る道具です、思わず聞いてしまいました。

「上手に取りますねェ。その道具は何と云うのですか?」

すると、四十台前半と思われる女性は、テーブルを擦りながら、口元をゆるめて、

「私は入ったばかりで、まだ上手に使いこなせなくて、名前は分からないので聞いて来ます」

パンくずを片づけ厨房に戻り、暫くして、

「ダストパンと云うそうです。パンはフライパンのパンだそうです」

と云って笑顔で下がって行きました。きっと、あの方は、近所に住む奥さんでパート従業員です。

ダストパンで綺麗に片づけられたテーブルにデザートが到着。飲み物は数種類から選択できて、エスプレッソにしました。

綺麗な盛り付けです。レモンシャーベット、イチゴ、黄桃、ティラミス?みたいなモノ。美味しかったです。

兎に角、久しぶりのレストラン、2千円コース(ジュースは別料金で600円)で、こんなに楽しめるとは、かなりリーズナブルです。

美味しく、楽しく、満足の、日曜ランチでした。

いつか、そのうちに、また、来たくなるランチでした。

それと、「ダストパン」ですが、後で調べたのですが、これは「ちり取り」の一般名称で、床のゴミを集めるのも「ダストパン」と云うみたいです。

特に、「テーブルダストパン」と云うような言い方しないようです。そこら辺が、あちらの国は、大雑把なのかも。


それでは、また明日。



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青空に”マスト・クライミング・クレ~~~ン”と叫びたい!

2009年02月20日 | 建物の話し
昨日の続きでは・・・ないのですが、昨日に引き続き、土木建設関連の話です。

とは云っても、“アスファルトの穴”のようなマニアックな話しではありのません。

昨日はアクセスが「230」あったのですが、“穴”へのアクセスは「33」しかありませんでした。

まぁ、それは、それでよいのです。そして、今日は、土木建設関連でも、ファンの多い“クレーン”の話しです。

先日、東京へ出かけた際に、水戸街道の金町付近で遭遇しました。


この高架のもう少し先の下を“柴又街道”が通っているのです。左に5分ほど走ると柴又帝釈天です。

それで、この高層マンションですが、これまで何度も建設中に、通りかかっていたのですが、あまり気にならなかったのです。

たぶん、マンションの高さと、運転中の視線の高さと、渋滞中の速度が、マンションを眺めるのに、丁度いい具合だったのでは・・・、そして空も青かったからだと、そう思うのです。



渋滞で停止したので、窓ガラスを下げ、頭を出し撮しました。見上げると“おへそ”のあたりが“こそばゆく”なります。

高架に停止している為、対向車線を大型トラックが疾走して行くと、かなり車体が揺れるのです。

細く高い建物を首を反らして見上げている時、車体が揺れると、かなり気持ち悪いです。一瞬、目眩を感じます。

それにしても、このタイプのクレーンは始めてみました。


ふつうは、てっぺんに設置それています。そして、自分で這い上がりながら、建物が高くなるのに連れて、支柱の設置面を順次上げて行く方式なのです。

このクレーンは、建物の外壁の側面に支柱を立て、下から上まで連続して支柱が伸びています。



支柱から伸びた2本の腕が“ガッチリ”建物を掴んでいます。



何故か、ここだけ3本です。


この方式の“タワークレーン”を、“マスト・クライミング・クレーン”と云うそうです。

ふつう見かける「てっぺん方式」は、“フロア・クライミング・クレーン”と云うそうです。

「てっぺん方式」は、建設終了後のクレーン解体は、所謂“親亀・子亀・孫亀・曾孫亀”方式で、順番にクレーンを小さくして行くのです。

そして、最後の小さなクレーンは、作業者が“ポケット”に入れて、エレベーターで降りてくるのです。←これは冗談。

壁面這い上がり方式は、外壁に支柱を取り付ける為、“ガラスや金属”でお化粧した商業ビルには向かないのです。

こういうマンションには、一台で済むこの方式が採用されるのです。下町に高層マンションが増えて、この方式を眼にすることができたのです。

都会の“お洒落な高層マンション”は、商業ビルと外観が変わりなく、“ベランダ”はありません。

洗濯物を「お日様に当て風に泳がせる」ことは、美観上禁止されているのです。下町ではOKなのです。

それと、以前に聞いた話ですが、このような高層マンションでは、外壁の修繕とか、排水管の修繕とかは実績が無く、いくら費用が係るハッキリしないそうです。購入時に販売員は、その事に触れないようにしているそうです。


あっ! 下世話な方向に話しが! 


兎に角、高~い、高~い、高層マンション。

そして、

青い空に、高~く、高~く伸びる、


“マスト・クライミング・クレーン”のある風景でした。


それでは、また来週。


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アスファルトに穴は何故できる?

2009年02月19日 | 雑談
今日は、ホントに興味が無い人には、ホントに、ホントに、実にバカバカしいお話です。

でも、しかし、私にとっては、実に真面目に、真剣に、長年抱いてきた大きな謎だったのです。そして、そして、遂に、大きな謎は、最近になって解けたのです。

この話、ちょっと恥ずかしいのです。何を今更、いい歳こいて、そんな事も知らなかったの? ばッかァじゃない? と、思われる事でしょうねぇ、きっと。

でも、しゃべっちゃいます。

実は“アスファルト”の“穴”なのです。そう、あのアスファルトで舗装された道路にできる穴の事です。

いつの頃だったか、たぶん、小学生の2~3年生の頃だったような、道路にできた穴を家の近所で見つけたのです。

このような“穴”なのですが、でも、かなり異なるのです。その異なり方と云うのは、穴の周りに“ヒビ”が“ほとんど”見られなかったのです。


写真の様な、ひび割れだらけの中に、穴が明いていたならば、幼い頃の頭でも、それなりに答えを見つけることができたと思います。

ところが、幼い頃に出会ったその穴は、周囲にひび割れがまったく無い“単独穴”だったのです。

ここで、お断りしておきますが、このような舗装厚の検査用サンプルを採取する為に明けた穴ではありません。


“何故なんだろう?”、“どうして何だろう?”と、路面を見ると、幼い頃のに抱いた疑問が、時々“頭の隅”を過ぎるのでした。

そんな日々を送った、長~い年月、とうとう、遂に、答えを見つける事ができたのです。

最近になって、自転車で近所を走り回る日々の中、アスファルトの路面を見つめる日々の中、頭の隅ではなく、頭の中心で“アスファルト穴問題”を考え始めたのです。

考えて、穴を見つめ、そして、また、考えて、穴を見つめてを繰り返し、答えを見つけたのでした。

このようにヒビ割れが網の目のように発生した路面では、発生し難いのです。発生したとしても、“理想的な単独穴”は発生しません。


先ずは、路面に“ヒビ割れ”が発生します。このとき、ヒビは局部的でなければなりません。


写真の様に、地盤が全体に弱く、車両の通過量が多いい路面では、広範囲にひび割れが発生し、穴を発生させる応力が分散されてしまうのです。

兎に角、局部的にヒビ割れを発生させる条件が必要なのです。それには、

1.地盤が局部的に弱い。

2.異物等により局部的にアスファルトの強度が低下。

3.ヒビ割れが周囲に広がらないような、適度の交通量。

この3条件を満たした処に“単独穴”が発生するのです。


穴の発生過程は、

1.先ずは負荷によりヒビ割れが発生、ヒビ割れ箇所を繰り返し車両が通過する事で、車両通過震動でヒビ割れが徐々に進行する。

2.ヒビ割れが拡大したことで、通過震動による振幅幅がより拡大。

3.振幅幅の広がりにより、摩耗量が増加し、ヒビ割れは、溝となり、溝の内側と外側は、通過震動により、内側が外側とぶつかり遭い溝はさらに拡大する。

4.このとき、ヒビが局部的、単独的である為に、震動に拠る応力は内側に集中する。

5.局部的、単独的でない条件下では、応力は周囲に拡散し、ヒビ割れが面として広がり、穴は発生しない。

6.溝に囲まれた内側は、摩耗することにより幅が広がり、通過震動が通過衝撃に変化し、溝がある幅に至った時、通過衝撃により内側は弾き飛ばされ、そして、遂に、穴が誕生。


アスファルト路面の“穴問題”は、数十年の歳月をかけて、ここに解明されました。

まぁ、兎に角、こんな事を考えるのも、まぁ、それなりに・・・・・・・と思うのです。

でも、穴の件は、それなりに、真面目に、ずっと、ずっと、考えていたのです。

本日は、興味の無い方には、ホントにつまらない話しでした。もしかして、こんな話しに、興味を抱く方は、ホントに居ないかも・・・・・・。


それにしても、先日逮捕された“表札ドロボウ”の方、あなたの気持ちは良く解ります。

でも、“盗る”のではなく、“撮って”楽しむべきでした、そうであれば、犯罪ではなく、立派な趣味だったのに・・・・・・、と思うのです。

でも、本人にしてみれば、抑えきれなかったのでしょうけどねェ。それで・・・・・・、あの犯人は実名報道されたんだっけ?


まぁ、兎に角、お終い。


それでは、また明日。


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奥谷禮子さん“また何かしゃべったの?”

2009年02月18日 | 世間話し
奥谷禮子さん、また何処かで、また変な発言をされたのでしょうか? もう、マスコミから消え去った過去の人と思ったのですが。

実は、昨日アクセス数が「230」あり、その中で2007年2月9日の“奥谷禮子さん知りませんでした”へのアクセスが「62」にでトップでした。

きっと、何処かに顔を出し、また自信満々に“派遣”の必要性、正当性を訴えたのでしょうか?

何たって「派遣会社の社長さん」ですから、派遣が禁止されると、明日からの商売に困るのです。

派遣業者に“派遣の是非”について、意見を求めるの方も“求める方”ですけどねェ。

利害関係のど真ん中の方が、自己の金銭的利益を度外視して、世の為、人の為に、中立で、公正で、真っ当な意見など期待するのは、それは、もう、ねェ・・・・・・です。

でも、派遣業法の改正を検討する段階で、派遣業者の意見が反映されたのです。取り締まる側と、取り締まられる側、これが一緒では、何とも、ねェ・・・・・・です。

一方の“働かされる側”として、労働組合も検討段階で参加していたのです。

がァ、彼らは、働か“される側”の代表ではなく、“働かす側”の傍に立って、“眺める立場”を代表していたようです。

そして、今回の不況で、製造業への派遣が、当初の目的通り“正しく機能”して、大量の派遣切りが行われ、世間は大騒ぎです。

そんな、こんなの世の中で、またぞろ奥谷さんが、しゃしゃり出たの? それとも“戦犯”の一人とし“さらし者”にされたの?

ノコノコしゃしゃり出て、晒し者にされるような“玉”ではありません、彼女なら、それなりの理屈を、いくらでも捏ね廻しますから。

兎に角、私にとっては奥谷さんは、それなりにアクセス数を増やしてくれた恩人です。あまり、悪口を言ってると罰が当たります。

兎に角、彼女は、人に云えない苦労と、人に云えない努力を重ね、ここまで這い上がり地位と名誉と財産をつかみ取った方です。

苦労と努力をすれば、全員が自分のように成れると、堅く堅く信じているのです。こういう方は、自分の“体験”を絶対的に信じるのです。

派遣切りで、寝るところも無く、喰う物も無く、相談する親も友も無く、路上を彷徨う人は、単なる怠け者に見えてしまうのです。

確かに、派遣切りされた人の中には、怠け者も混じっている筈です。正規労働者の中にも、間違いなく怠け者が混じっています。

怠け者の比率はそう大して変わらないと思います。但し、派遣切りに遭った人は、働く技術、知識、経験等で、正規の労働者よりも、幾分劣るかも知れません。

でも、しかし、それを個人的な努力不足の問題にしては、解決しないし、経済効率的な側面だけで、働く能力が低いと判定された人には、寝る処も、喰う物も必要ないと、そんな訳にはいかないのです。

でも、しかし、問題なのです。

国際競争に晒されている企業は、製造業の派遣を禁止すると、低賃金を求めて海外に製造拠点を移すとか、云われています。

云っているのは企業の経営者では無く、それ関係の評論家、ジャーナリスト、学者達です。当事者は露骨には云い出せないのです。

競争力低下と云うけれど、製造業への派遣が解禁されたのは最近の事です。ホントにそんな簡単に、そう云う事が云えるのでしょうか?

他の先進国と比較して、非正規雇用の割合は日本が“際だって多い”との意見があります。

また、正規と非正規の賃金格差が“極めて大きい”なのは、日本だけとの意見があります。

意見には、数字の裏付けが必要ですが、あまり、そのようなデーターは見かけません。感情的な言い争いでは無く、データに基づく議論が聞きたいのです。

もしかして、日本だけが、“ずるいルール”で競争しているのでしようか?

それと、製造業の国際競争力と云えば、“あの中国”です、“改革解放政策”です。低賃金を武器に世界の製造工場となり、世界中に低賃金を輸出しました。

でも、しかし、中国の労働者にとっては低賃金ではなく“高賃金”なのです。貧しい中国も、豊かになる権利があるのです、ここがムズカシイのです。

世の中、複雑でムズカシイ問題ばかりです。シロウトが全ての問題に精通する事は不可能です。

全ての問題には、正解が無いのです。立場に拠って答えが異なるのです。自分だけ損はしたく無いと、みんなが思っているのです。

いろいろな、意見、考え方、立場、利害、それらを調整して、前に進めて行くのが政治です。

でも、現在政治の中心に座っているのが、あの“麻生さん”ですし、そして、景気対策の中心に座っていたのが、あの“アル中昭ちゃん”でした。

もう、兎に角、衆議院を今すぐ解散するしかないでしょう。もう、兎に角、すべては、そこから始めるしかないのです。

それにしても、あの酔っぱらいを会見場に出すヤツも出すヤツです。そして、質問する記者連中も、記者連中です。

明らかに酔っているのに、そのことを問いただす事無く、気が付かない素振りで、白々しい質問を続ける異常さ。

もし、あの会見が国内であったなら、横に座った日銀総裁の映像だけが流れた筈です。“酔っぱらい昭ちゃん”の件は、噂として流されるだけだったと思うのです。

海外のメディアが騒ぎ出して、しかたなく国内のメディアも、海外での反響として流し始めた異常さ。

政治も、マスコミも、相当壊れてきたようです。

ここまで来たら、もう、潔く、キッパリ、政治もぶっ壊し、マスコミもぶっ壊して、全面的に建て替えた方が良いのかもしれません。

でも、なかなか壊れないですし、それなりの覚悟が要りますし、かなりの副作用もありますし、そこが、ねぇ、なかなか“ムズカシイ”と・・・・・・。

ここは、やっぱり、少しずつ、ゆっくり、穏やかに・・・・・・・・、何て、事に、落ち着くのでしょうか・・・・・・・。

そうでした、一番大事なことを忘れていました。派遣の問題、そして“働く”と云う問題を、賃金とか、生産性とか、専門性とか、金儲けの側面だけを、商売人に論じさせるのは危険です。

働く事は、単なる経済活動だけではありませんから、ここはひとつ、広~い視点で、他の分野の学者、専門家が論議に参加すべきです。

ちょっと、だらだらと、書きすぎました。


それでは、また明日。


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何という事だ!ハナキゴムの指サックがァ!

2009年02月17日 | その他
何と云う偶然!? 何と云う因縁!? 何と云う巡り合わせ!? 

兎に角、聞いて下さい、見て下さい、読んで下さい。

今朝、朝食の支度をしていたのです。近所で昨日買って来た大根、新鮮な“葉っぱ”が付いていたので、調理して食べようと思ったのです。

葉っぱを刻んで油で炒め、醤油で味付けし、仕上げにゴマ油を香り付けにちょっと垂らすと、とても、とても、美味しいのです。

そんなことより、それで、大根から葉っぱを切り離し、葉っぱの束を左手に持ち、一部の葉っぱ切り落としている際、左手の薬指の先端を爪と一緒に切ってしまったのです。

大根の葉っぱと表現したのですが、詳しく表現すると、炒めて美味しいのは、葉っぱと云うよりも、茎の部分なのです。余分な葉っぱが付いていると、パサツキ感が出て美味しくないのです。

それで、適度に葉っぱを切り落とすのですが、不自然な持ち方で、空中で切る何て、普段はやらないのですが、何か魔がさしたのかも?

以前は、良く包丁で指を切る事がありました。最近は慎重になり、暫く、たぶんこの一年は、切っていませんでした。

傷口にカット判を貼り、昼頃には血が止まっていると思いちょっと剥がしてみたら、傷口は乾燥して固まっていました。



よし、よし、と思い、カット判を剥がしたのです。その直後、炬燵の脇で横になり背伸びをしたのです。

その時、爪の割れている箇所に炬燵カバーの繊維がはさまり、ヒェ~~!と小さく叫んでしまいました。


       
またも傷口が開き血が流れてきました。新しいカット判を貼り直しながら、今晩、風呂に入る時は、濡れないように“指サック”でも、と思ったのです。

その時、エッ! これって! もしかして!? 昨日のブログで“ハナキの指サック”を話題にしたのが? 何処かで繋がり、指サックに引き寄せられた!?

そんな思いを抱きつつ、買い置きの指サックがあったような気がしたので、辺りを探すと、何と、何と、“ハナキの指サック”が引き出しから現れたのです。



何と云う偶然、何と云う因縁、何と云う巡り合わせでしょうか?

この買い置きの指サックが“ハナキゴム株式会社製”であった事は、それなりに指サック業界での市場占有率が高い証明でしょう。

しかし、昨日の今日に、指サックを必要とする怪我をしたのは、単なる偶然とは思えない・・・・・・・・、そんな思いが。

まぁ、兎に角、そんな、こんなの、指切り事件でした。


皆さんも、ハナキの指サックを必要とするような、危険な包丁使いはしないようにご注意下さい。


それでは、また明日。

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牛久を歩く “理想的工場ハナキゴム”の鑑賞-その2-

2009年02月16日 | 牛久市の風景
先週は、冒頭に最終回の予告していながら、中途半端なところで終わって失礼しました。いろいろと、あるのです。

兎に角、続きを始めます。もう一度、正門からの風景を眺めます。


入り口の“新聞受”がイイです。大企業には無い“家庭的雰囲気”を残しています。


二階建ての事務所棟は、無駄も、飾りも、まったくない、実用一点張りのデザイン。律儀で、真面目に、頑張っている姿勢を感じます。

赤錆びた“構内禁煙”看板、消えかけた「構」の字に、時の移ろいを映し出しています。隣に並び立つ、止まれ、徐行、最高速10㎞の標識も、頑張ってきた様子が窺えます。ツゲとツツジでしょうか適度な緑がイイです。


突き当たりの、可燃物?、危険物?の倉庫。灰色のモルタル外壁、そして、扉の前に転がるドラム缶、工場の雰囲気を醸し出しています。

上を走るステンレス製の配管。眩しく光り輝きが、風景を引き締め、操業中の緊張感を伝えています。

右側の建物は、外観から加工場ではなく、完成品の梱包場と倉庫を兼ねているように思われます。

一回りすることにします。工場には“塀”が付き物です。ここは、やはり、灰色の“コンクリート製”が理想的なのですが、ブロック塀で我慢します。


長く続くブロック塀、ちょうど良い大きさの工場です。


水戸街道に出ました。ファミレスの駐車場越しに工場が見えます。


駐車場側に植えてある“工場遮蔽用”の木。木と木の間隔具合、高さ具合、幹の太さ具合、曲がり具合、葉っぱの繁り具合、とてもよいです。

工場の建物と木々が調和し、全体として“寂しげな風景”を演出しています。

工場の屋根には昔から、こんな感じの物が乗っかっていました。懐かしさを誘います。


構内側には大きな銀杏の木が、工場が建つ前からあったのでしょうか。煙突とタンクが重なり合っていた為に、脱硫装置付?の煙突と思ってしまいました。


壁からはい上がる排気ダクト。ゴムの臭いのしないゴム工場です。


この「ハナキゴム」ですが、HPを見たところ、創業が明治41年で、本社が東京都荒川区南千住になっていました。

“指サック”や“工業用手袋”では、業界内ではそれなりの会社のようです。

実は、わたくしが以前勤めていた会社には、“クリーンルーム”があり、指サックを使用していました。もしかして? まさか? ここの製品だった?

指サックの箱に、“ハナキゴム”と書いてあったような気がしてきました。 こんなところで、あの頃使っていた製造元に出会えるとは、何とも不思議な縁を感じてしまいます。

ハナキゴム株式会社茨城工場は、とてもよい、理想的な工場でした。

水戸街道に到達しました。


この先の、交差点を越えて、そのまた先の左手に、“牛久沼名産”の淡水真珠の専門店があるのです。

でも、しかし、シリーズ第一回で触れたように「牛久沼」は「牛久」と付いていますが、牛久市の沼ではなく龍ヶ崎市の沼なので、淡水真珠の話はまた別な機会にと思っています。

週始めですが、これで、ホントに“牛久を歩くシリーズ”を終わります。


それでは、また明日。


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