歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“東京家族” ⑦ 豆は背景も辛子は笑いだけ

2013年01月31日 | 映画の話し
一昨日の続きです。

前回は、崩壊だ、変遷だ、と、ダラダラと理屈を捏ねくり回しました。本日は、感覚的な思いをダラダラと書き綴っていきます。

それで、父親の“平山周吉さん”を演じた“橋爪功さん”ですが、何故か?どうしてか?あまり好きな役者ではありません。ハッキリ云って嫌いです。理由はハッキリしません。

何となく、顔つき、からだつき、しゃべり方が嫌なのです。ですから、嫌な役、悪役、敵役を演じた時は、とても、とても、嫌なヤツに見えるのでOKなのです。

いつだったか?戦時中の中国大陸を舞台にしたテレビの単発ドラマで、謎の中国人を演じたときピッタリ嵌っていました。

それとは逆に、あるドラマで落語の名人上手と云われた役を演じたとき、劇中で演じた落語が、誰が、どう見ても、どう聞いても、どう考えても、まったく、落語には聞こえなかったのです。あまり、器用な役者とは思えませんでした。

1941年生まれですから、私よりも9歳年上で現在は71か72歳、前回、計算した周吉の年齢にドンピシャでした。まあ、それが、どうした!と云われても、まあ、そういう事なのです。

今回の周吉役は、それなりにヨカッタと思います。考えてみたら、いつもより、演技が抑制されていたと云うか、癖がなかったと云うか、自然でした。これは、山田洋次の演出です。

癖のある役柄で、癖のある演技は、それなりに、一見、巧い役者に思えたりするのですが、フツウの庶民のフツウのヒトを、フツウに演じるのがフツウでない名優だと思います。

こんなこと、今年亡くなった“名脇役の小沢昭一”も云ってました。でも、小沢昭一は、くせのある役を、くせのある衣装と小道具で、くせのある芝居を見せていたような・・・、何か、そのあたりが、何か不思議なのです。

それで、一昨日紹介した新聞の山田監督へのインタビュー記事で、“叫んだり、絶叫させたりすると、人間の微妙な気持ちを見つめる繊細な気持ちが観客から飛んでしまう”と、語っていました。

母親が亡くなり、病院の屋上で周吉が『母さん・・・死んだよ』と呟くシーンは、かなり、泣けるシーンでした。

それで、お母さんの“平山とみこ役”の“吉行和子”ですが、この方は、それなりに存じているのですが、映画で見たのは、何故か、遠い昔の「キューポラのある街」以来でした。

もう、77歳になるのです。でも、とても、とても、可愛らしい女性だと思います。今回も、優しくて、可愛いお母さんを演じていました。


それにしても、可哀相なのは、長男の医者役を演じた“西村雅彦”です。ホント、まったく目立たず、印象の薄い役柄でした。とても残念、西村雅彦でなくても、ヨカッタ役でした。


奥さんの文子役の夏川結衣も、彼女でなくても、ヨカッタ役です。長男夫婦は、ホントに、あまり、良い役ではありませんでした。夏川結衣はテレビドラマの“遠回りの雨”以来、とても、気になる女優なのです。

それに引き替え、長女の金井滋子を演じた中嶋朋子は、とても良い役でした。キャラクターがハッキリしていたので、とても、目立つのです。物語のアクセントになる役です。


それに夫の“金井庫造”役が“林家正蔵”で、笑いのパートを夫婦二人が受け持っていました。


小津監督の「東京物語」では、この夫婦の役を「杉村春子と中村伸郎」が演じていて、二人が食事をするシーンで、豆ばかり摘んでいる夫に『男のくせに!みっともないわねぇ!豆ばっかり食べて!』と云われるのです。

このシーンが好きなのです。可笑しいのです。そして、夫婦の関係とか、夫の性格とか、が、夫の職業とか、生い立ちとか、いろいろな背景までが、浮かんで来る、そんなシーンでした。

山田監督の「東京家族」では、正蔵が、粉の辛子を自分で捏ね、納豆に大量に入れるのを見て『そんなにイッパイ入れたら頭がおかしくなるわよッ!』と云われ、『もう、とっくに、おかしくなってますよ』と、答えるのです。

それなりに、「東京物語」を意識した、笑いを狙ったシーンで、観客はそれなりに、と、云うか、一番笑いを取ったと思いますが、やっぱり“豆”には勝てませんでした。ただ、笑いだけを誘うシーンでした。でも、正蔵師匠も良い役だったと思います。

まぁ、そんな、ことで、本日は、「東京家族」の、あれや、これや、でした。

まだ、まだ、「東京家族」は続きます。

本日は、“妻夫木聡クン”と、“壇れい”の『感染列島』の録画を観ていて、更新が遅れてしまいました。それにしても妻夫木クンは良い役ばかり、“壇れい”もヨカッタ!、山田監督の“母べい”以来、好きになった女優です。


それでは、また。



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“東京家族” ⑥ 物語は崩壊?家族は変遷?

2013年01月30日 | 映画の話し
昨日の続きです。

今朝、新聞を開くと、載っていました。タイトルが2本“山田洋次「東京家族」を語る”“まねることで「通秦低音」を探った”



「通秦低音」ですか、まったく、もって、始めて聞く“四文字熟語”です。これって、そのまま解釈すれば「全体を通して、奏でる、低い、音」となりますが、これって、その筋の、業界用語?

ちょこっと調べてみました。

“ Wikipedia”で、

『通奏低音(つうそうていおん)とは、主にバロック音楽において行われる伴奏の形態。一般に楽譜上では低音部の旋律のみが示され、奏者はそれに適切な和音を付けて演奏する。イタリア語のバッソ・コンティヌオ (Basso continuo) の訳語で、伴奏楽器が間断なく演奏し続けるということからこの名がある。略してコンティヌオと呼ぶことも多い。ドイツ語でゲネラルバス (Generalbass) とも呼ばれる』

と、云う、事でした。音楽業界の言葉のようです。

それで、監督が“小津さんの戦後の作品には「通秦低音」がある。ずしんと響くような低音が、どの作品からも必ず聞こえてくる”との発言。

まあ、当然、映像のバックに実際に演奏が流される訳ではなく、聞こえてくるような、映像とかストーリーになっている、と、まあ、そういう事ですけど。

まあ、私のレベルでは、残念ながら、「東京物語」からも、それを“まねた”「東京家族」からも、通秦低音は聞こえてきませんでした。

最後のところで“小津さんは、やっぱりすこし冷たいんです。人生を突き放してみているところがある。虚無的ですよね。僕は希望というのを捨てたくない。見つけにくいものですけどね”で、記事は終わっています。

虚無的な小津安二郎、確かに、「東京物語」を“家族の崩壊”を描いた作品と自ら語っています。

ラストシーンは、妻を亡くした、父親の号泣するシーンとの構想でしたが、父親役の笠智衆に反対され、リンゴを剝くシーンに変更されたそうです。本来、家族が崩壊し、父親が誰も居ない部屋で、ひとり泣き叫びエンドマークだったのです。

希望を捨てない山田洋次、確かに、「東京家族」は、誰も居なくなった部屋で、ひとり背中を丸めて足の爪を切っているところに、隣の娘、中学生の“ユキちゃん”が現れるのです。

そして、洗濯カゴを置いて、“ここに洗濯物を入れて”と告げて、ポチ?を散歩に連れていくのです。瀬戸内の美しい海を背景に、ユキちゃんとポチが走るシーンで、映画は終わります。

美しい海、若くて、優しくて、可愛くて、元気な“ユキちゃん”とポチの疾走シーンは、確かに、希望です。明るい未来を予感させるラストになっています。

そして、“終わり”の文字はスクリーンに映し出されないのです。橋爪功と吉行和子の文字が現れ、キャスト、スタッフが映し出されるのです。

「東京家族」は終わらない、希望も捨てない、家族は崩壊しない、変遷していく、とのメッセージなのでしょう。

確かに、観客は「東京物語」と「東京家族」では、見終わった印象は異なると思います。「東京家族」は見終わって気持ち良く映画館を後にできます。

崩壊か変遷かと云えば、これは、間違い無く、家族は変遷するのです。「東京物語」でも、子供達は独立し、親から巣立ち、自分を中心とした家族を形成し始めたのです。親からみれば、寂しく、切なく、やりきれないのですが、そういう、ことなのです。

戦後は、親子二代、三代が同居するかたちは少なくなり、別居がフツウになりました。「東京物語」の時代は、その先駆けであったと思います。

時代背景として、敗戦による戦後民主主義、価値観の大転換、経済成長、都市化、東京一極集中が、“旧来の日本的な家族”の崩壊であった、と、云えるかも知れません。時代背景とともに家族は変わる・・・。

小津が「東京物語」を描いた時代背景を考えると、日本の古き伝統、日本的なるもの、良いところも、悪いところも、兎に角、古いという事だけで否定する、そんな世相に、懐疑的、否定的、挑戦的であったのだ、と、思います。

そんな思いから、家族の“崩壊”を描いた、と、冷たく突き放すように、戦後の小津は虚無的な姿勢になった、と、思うのです。でも、しかし、「東京物語」で描かれているのは、小津が何と云おうと、何と考えようと、家族の変遷です。

居住形態が変化しても、その親が子を産み育て、その子がまた親になる・・・、そんなくり返しであり、“変遷”なのだ、と、思うのです。

それで、実は、この“崩壊と変遷”については、以前より、いろいろと考えて居た事で、 去年の6月16日・・・・“原節子を何となく” その⑧ 東京物語は崩壊ではなく変遷・・・云う記事を載せているのです。

そんな事で、何処かの局の「東京家族」の宣伝番組?の中で、山田洋次監督が“この作品は家族の変遷を描いた”との発言を聞いて、そうだ!そうだ!と、ひとり画面に向かって呟き、頷いたのでした。

「東京家族」は「東京物語」の“リメイク”ですから、山田洋次監督も、やっぱり、「東京物語」の描いたものは、家族の“崩壊”ではなく、家族の“変遷”との解釈なのでした。そう、なりますよね?

今日は“崩壊と変遷”のお話でした。

まだ、まだ、東京家族の話は続きます。


それでは、また。








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“東京家族” ⑤ 父と次男のギクシャク感の原因は?

2013年01月29日 | 映画の話し
昨日の続きです。

今日も映画「東京家族」で思いを巡らします。

それで、「東京物語」では、長男が医者で、次男は戦死、三男は大阪で国鉄職員で、長女は東京で美容院を営み、次女は親元で教師、三男二女の五人兄妹。

そして、戦死した次男の元嫁の「紀子」が“原節子”、そんな家族構成でした。他人である“元嫁”と、血の繋がった長男と長女、両親への対応の違いを巡って物語りは進むのです。

「東京家族」では、医者の長男、美容師の長女、


不正規雇用の次男、二男一女の三人兄妹。

そして、両親から、優秀な長男との比較に苦しみつつ育った次男、その次男の恋人「紀子」の、

“蒼井優”との結婚話しを軸に物語は進むのです。

それなりに2012年の家族構成で、次男が不正規雇用と云う設定は、それなりに世相を反映していると思うのです。

でも、その子供達の全員が生活の場を求めて上京と云うのは、2012年の設定としては、ちょっと無理と云うか、不自然では?と思ったりしたのです。

医者の長男はこのご時世ですから、東京で開業するよりも、郷里での開業が自然?では、と、思ったりしたのです。

それで、2012年と云う時代設定で、家族の年齢をちょっと考えてみます。もしかして、何か?出て来るかも?何て、思ったりして、兎に角、いろいろ、勝手に、思いを巡らします。

それで、年齢が出てくるのは母親だけで、亡くなった時が“68歳”と台詞にあります。2012年で68歳ですから、生まれは1944年か45年で敗戦前後の設定です。

父親は母親より2~3歳年上ぐらいがフツウですから、70歳か72歳ぐらいでしょう。二人が結婚したのは、まあ、父が二十と、五、六歳で、母が二十と、二、三歳といったところで、結婚したのが1967年頃となります。

結婚して一年後長男が、三年後に長女が、そして、すこし空いて五年後に次男が誕生。まあ、そんなところだと思うのです。

そうすると、です。長男は1968年生まれで44歳ぐらい、長女は42歳ぐらい、そして、三男は1973年生まれで、39歳となります。でも、これは、ちょっと?です。

次男の年齢を推測できる“30過ぎてフリーターみたいなこんな暮らしを・・・”何て、セリフがあったような記憶があります。30過ぎは32~33歳ぐらいで、その上は30半ばとなり、その上は40近くとなりますから、次男は32、3歳の設定なのです。

ここまで、来て、はたと気が付いたのです。この歳の差が伏線だったのです。次男と父親の関係の“ギクシャク感”と、次男の恋人との絡みで、物語りは進行していくので、長男長女と次男の歳の差は、それなりに重要な設定だった?

やっぱり、年齢を推定していくと、それなりに、何か?出て来ました。

長男、長女から、間隔が空いて生まれた為に、可愛い、カワイイと、幼少期に甘やかされ、その結果として、現在も、優秀な長男との比較に苦しんでいる、と、思うのです。


長男と長女から歳の離れた男の子、甘やかすのは父親の方がフツウですから、父はその責任を感じているのです。その屈折した感情で、次男に、ずっと、ずっと、必要以上厳しく接してしまい、お互いの感情の行き違いを生んだ、と、思うのです。


でも、しかし、映画を観ている最中にはまったく気付きませんでした。見終わった後に、父と次男のギクシャク感の原因は何故?と、いろいろと思いを巡らして、辿りついたのです。

これは、まぁ、私の、勝手な解釈?かも知れませんが、それなりに、ドンピシャ!だったりして、落語で云えば、所謂、“考え落ち”と云うやつです。山田洋次監督は落語好きで、落語の台本も書いてますし、たぶん、そうなのです。

それで、序でですが、長男の「平山幸一」は“西村雅彦”で1960年生まれの“52歳”。長女の「金井滋子」は“中嶋朋子”で1971年生まれの“41歳”でほぼピッタンコ! 次男の「平山昌次」は“妻夫木聡”で1980年生まれの32歳でピッタンコ! 

俳優の実年齢と比較して、それが、どうした!と、云われても、“まあ、一応、比較しただけですと・・・”と、一人呟くのみ・・・・・・。

まあ、結論として、それなりに、背景の世相と役年齢とに、不自然さは無かったと思う次第。まあ、当然、脚本の段階で、そこいら辺に、手抜かりは無いのでした。

本日は、年齢計算がメインで、足したり引いたり算数のお勉強でしたが、年齢とか、数字には、それなりに意味があるのでした。

昔、むかしの、20代の後半に、会社の会議で云われた事を思い出してしまいました。『・・・数字の羅列の報告はするな!そんなモノは見れば分かる!いちいち説明するな!時間のムダだ!そのような数字となった、要因の分析を述べろ!・・・・・・』、何て、上司に厳しく云われた経験があるのです。

最後の最後になって、話しが、嫌な方向に逸れてしまいました。綴っているのは映画の話しでした。

それで、兎に角、今回は、次男と父親とのギクシャク感の発生要因は、歳が離れて生まれた子供であったとの結論?に達したのです。

では、また。

【追記】
本日、更新が遅れてしまった原因は、実は、何を隠そうね昼食に近所の蕎麦屋で、何と、何と、きつねそばを食べてしまったのです。血糖値が爆発するので、食開始後5分後より、30分のウォーキング、それに加えて自転車を1時間ほど漕ぎ回ったのでした。結果として、2時間後の血糖値は“142”でした。たぶん、30分後の血糖値は170から160位だと推定します。



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“東京家族” ④ 山田洋次監督は今の中国が嫌い?

2013年01月28日 | 映画の話し
先週の続きです。

1953年、敗戦から経済成長への「東京物語」

2012年、震災、原発、経済不況、先行き不安の2012年の「東京家族」

「東京物語」も「東京家族」も、“フツウの人”の“フツウの生活”が描かれている・・・・・・のです。

でも、しかし、“フツウの人”は、“フツウに居る”ようで、“フツウは居ない”と思うのです。こんな考え方は“フツウ”では無いの?

世間を見回しても、私の周りを見回しても、一人、一人、みんな変わっています。ヒトそれぞで、いろいろなのです。

パンフレットの巻頭に、『おかしくて、かなしい。これは、あなたの物語です』と、あります。


でも、わたしとしては、“あなたの物語”と云われても“うん。そうか、そうか”と頷くことは出来ませんでした。

「男はつらいよ」も、そうですが、何処にでもありそうな話し、何処にでも居そうな登場人物、と、思うのですが、ホントは、何処にも有りそうも、居そうも、無い物語なのです。

居そうも無い人の、無さそうなお話を、居そう、有りそう、に見せるので、観客はお金を払って見に来るのです。

フツウの人の、フツウの人生には、“起承転結”は、なかなかムズカシイのだと・・・・・・、何が、何だか、どうなっているのか、分からないことばかりで、訳もなく始まり、訳もなく終わると・・・・・・。

フツウの映画には、物語があり、起承転結があり、訳が分からないストーリーで、訳が分からない終わり方はしません。

ちょっと、これは、う~~ん。何か、話しが、フツウでなくなり、“どつぼに嵌り”かけてきそうな予感・・・・・・、で、ここで、中途半端に話しは転じることに。

それで、東京に着いて、子供達の暮らしぶりを見て回る両親。親の思いと、子の思いと、思い込みのすれ違い、行き違いなのです。

1953年、夜行列車での“一大決心上京”と、2012年、新幹線での“ちょっとそこまで上京”と、上京に抱く“思いの度合い”には、かなり差があると思います。

でも、日常生活は日々これ忙しいので、老いた両親を、それなりに持てなす時間的な余裕はありません。そこで、東京物語は「熱海の温泉」で、東京家族は「横浜のホテル」で、両親を持てなすのでした。

でも、1953年、老いた両親に温泉旅行は、それなりに納得なのですが、2012年とは云え、老いた両親を、高級ホテルの、かなり高い部屋に泊まらせることは、素直に納得できません。

子供と親の、願望のすれ違い、行き違い表現としても、そうなのか? 横浜でホテルか? やっぱり、ここは、昔も今も、温泉に浸かってノンビリだと思うのです。

いゃ、でも、しかし、両親は瀬戸内の、小島の、ノンビリの真っ直中で暮らしているのです。それに、2012年で、母親は68歳だし、たぶん、父親は70ちょっとで、まだ、まだ、若い?ので、やっぱり、大都会の賑わいと喧噪も、それなりの東京で楽しいかも・・・。

そう思うのですが、でも、「横浜のホテル」なのです。1953年の「東京物語」に、かなり縛られている?

それにしても、老いた?両親は年齢設定よりも、かなり、かなり、老いた動作で、とても違和感がありました。これも「東京物語」の“呪縛”?

それで、両親は、「東京物語」では“社員慰安旅行”の団体に安眠を妨害され、「東京家族」では“中国人旅行客”に安眠を妨害されるのです。

東京物語の「社員慰安旅行」は、それなりに1953年の日本の今を刻んでいます。2012年の「中国人旅行客」も、それなりに2012年の今を刻んでいます。

でも、この夜中にホテルの廊下で、大きな声で、甲高く、早口で、話すと云うよりも、喚き散らす、中国人観光客の姿を描いたことは、数十年後、いろいろな解釈を生むシーンになる気がします。

当ブログの2011年の6月20日の“原節子を何となく” その⑨ 「“晩春”壺のツボ」のような、論争が巻き起こったりして・・・・・・。←宣伝をしているのです。覗いて下さい。

「東京家族」も数十年の歳月を経て、2012年当時、日中間で“尖閣問題”が過熱し、軍事衝突(この先起きたならば)に至った中日関係を予見した監督の先見性であった。とか。

この先、武力による衝突もなく、それなりに収拾したならば、進歩的で中国には友好的?だと思われていた、山田洋次監督の否定的な対中国感の現れで、その背景には、戦後中国からの引き揚げ体験が影響している。とか。

2012年の、世間の、庶民の、対中国感情をありのままに写し込んだエピソードである。とか。

とか、とか、いろいろ論争が起きそうなシーンだと思いました。そんな論争は起こらないか?

それにしても、です。映画を観ている客の、皆が皆、間違い無く、夜中に騒ぐ中国人旅行者に否定的な感情を抱くシーンです。やっぱり、監督は「中国人」が嫌い? 今の「中国」が嫌い?

で、私ですが、「現政権の対外政策」は嫌いです。でも・・・、それって・・・、国内政策の反映だし、共産党独裁体制の矛盾の結果だし、まあ、いろいろと・・・、ムズカシイ。ここは中国人民の判断を待つしか・・・・・・。


う~~ん。今日のところは、これで、お終い。

それで、兎に角、「東京家族」は、観て損のないイイ映画です、泣いて笑って、見終わって、それなりに明るい希望の持てる作品です。


それでは、また。



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“東京家族” ③ 東から西へ町内会から自治会へ

2013年01月25日 | 映画の話し
昨日の続きです。

今日は、映画のストーリーに沿って、いろいろと思いを巡らしてみたい、と、考えています。でも・・・、たぶん、気分の赴くままに、あっちにいったり、こっちにいったりすると思います。

但し、映画のストーリーは、私の記憶ですから、シーン、地名、台詞など、かなり頼り無く、危うい事をご承知願います。

それで、老いた両親が新幹線で東京に出て来るところから始まるのです。「東京物語」とは異なり、郷里での出掛ける準備の“あれやこれや”のシーンはありません。

“東京物語”では上野駅に到着し、そこからタクシーで隅田川を渡り、東京の“東の外れ堀切”にある長男の診療所に向かいます。

“東京家族”では品川駅に到着し、そこからタクシーで多摩川を渡り、東京の“西の外れ多摩市”にある長男の診療所に向かうのです。

1953年の「東京物語」では、尾道から東京への場面転換で、東京は東京でも、西の外れの象徴“千住のお化け煙突”が映し出されました。地方の人からすると、“ここも東京?”と言う、設定なのです。

山田監督としても、長男の診療所は隅田川を渡った辺りに設定したかったと思うのです。“東京人”には分かるのですが、東京の西の外れと、東の外れでは、町の匂いが異なるのです。

1953年の「東京物語」は、上野であり、隅田川であり、京成線であり、千住であり、お化け煙突であり、堀切であり、そういう、東の外れの匂いが強く漂う中で、物語は成立しているのです。

「東京家族」は2012年の東京です。都市化により、西の外れは、隅田川を渡り、中川を渡り、江戸川を渡って千葉県にまで届いてしまったのです。

江戸川を渡っては「東京家族」ではなく、「千葉家族」ですし、江戸川の手前に設定すると、これでは「男はつらいよ」の葛飾柴又になってしまうのです。

そこで、東を諦めて、西の外れに舞台を移動したのでしょう。でも、これでは、“匂い”が違ってしまうのです。

多摩川で、京王線で、多摩市では、下町感、寂れ感、人間くささ、が漂わないのです。

東には“町”があり、“庶民”が暮らしがあり“町内会”なのです。が、西では“街”になり“市民”が暮らし“自治会”なのです。

と、ここまで綴って来ましたが、これはあくまでも私の解釈です。でも、もしかして、当たっていたりして・・・、それは無いか。

1953年の「東京物語」で舞台を東京の西側に設定したのは、現実に地方出身者が多く居住していたのでしょう。都心から距離の割には、土地も、物価も安く、それなりに暮らし易かったのです。

2012年の「東京家族」は舞台を西に変えたのです。確かに、東京23区外ですが、東京の“ベットタウン”は西に向かっています。それなりに、今の東京の姿なのです。新幹線も東京到着ではなく品川到着は、2012年の東京です。

1953年の「東京物語」では、尾道から東京への場面転換で映し出される“お化け煙突”がいろいろと象徴的でヨカッタのです。東京家族でも、何か、そんな象徴が映し出されて欲しかったのですが・・・・。

そんな、こんなで、「東京家族」は9割方「東京物語」ですから、やはり、ここは、舞台を西に設定した方が良かった、と、思ったりしてしまうのです。

そこで、ここは、広島シーンから始めて、東京への場面転換で“東京スカイツリー”を象徴的に映し出して欲しかったのですよ、西の設定ではスカイツリーは象徴として使えません。

でも、何か、そんな象徴が、別のかたちで映し出されるシーンが、もしかして、あつたりして、私の見落とし? でも、見落としてしまうようでは、象徴ではないし、まあ、“お化け煙突的”な象徴は無かったと思います。

次男の案内で両親が“はとバス”に乗って、東京見物するシーンでスカイツリーは出て来ましたが・・・。こういう使い方は、ちょっと物足りないのです、還暦を過ぎたオジサンとしては。

兎に角、観客の客層的にも、ストーリー的にも、あそこまで「東京物語」だったのですから、この際、長男は堀切駅の近くで、姉は、いまでも都電が走る町屋駅で、美容院を営んでいる・・・・・・。

でも、監督としては、そこまでやったら、“完全リメーク”で、ちょっと、ちょっと、ですかね?

タイトルが「東京物語」から「東京家族」、この微妙な変化の付け方が、“味噌醤油味の素?”ですか・・・・・・。かなり、かなり、オジサン的表現でした。

それにしても、です。東京の家族を描くことは、西でも、東でも、2012年の日本の家族を描くことに、なるの?

時代は、不況の真っ直中で、少子高齢化で、地方の過疎化で、限界集落で、お先真っ暗です。

そんな意味で、ある意味で、時代の先端は、大都市東京ではなく、地方の家族に、現代の、今の、2012年の、家族の姿が・・・・・・。

話しが、膨らみすぎました。

それで、兎に角、「東京家族」は、観て損のないイイ映画です、泣いて笑って、見終わって、それなりに明るい希望の持てる作品です。


今日は、こんなところで、お終いです。


それでは、また、来週。


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“東京家族” ② 2012年家族の真実

2013年01月24日 | 映画の話し
昨日の続きです。

「東京家族」は明らかに、『東京物語』の、リメークであり、オマージュであり、リスペクトでした。

小津安二郎の『東京物語』が2012年に世界の監督358人の投票で一位に選ばれたそうです。

“その技術を完璧な域に高め、家族と時間と喪失に関する非常に普遍的な映画をつくりあげた”と評価されたようです。

「その技術」とは、ハード面での、各シーンでの背景、部屋のデザインとか、小道具の大道具の種類配置、演じる役者の配置位置関係、照明の具合、撮影する角度、高さ、カット割り等々が「完璧」なのでしょう。

そして、ソフト面での「家族と時間と喪失に関する非常に普遍的」と評価されている映画です。ハードもソフトも『完璧で普遍』なのです。

そんな、完璧普遍で、世界一位の『東京物語』をです、リメークするのですから、山田洋次監督は、かなり大胆なのです。

「東京物語」は1953年の制作で敗戦後8年経った頃です。軍国主義の時代から、戦後民主主義の時代に世の中の価値観が大きく転換した時代、家族が変わった?時代。

そして、2012年の家族。大震災、大津波、原発メルトダウンで放射能汚染。世の中の価値観は大きく変わったのでしょうか? 

兎に角、山田監督は制作準備の段階で“大震災と原発メルトダウン”に遭遇し、2012年の「東京物語」にするためには、どうしても“大震災と原発メルトダウン”の事実を挿入しなければ、と、脚本を書き換えたそうです。

でも、しかし、作品を見終わった一観客としては、“大震災と原発メルトダウン”は、歴史の出来事として、記録として、本筋とはかなり離れて挿入された、単なる背景のようにしか感じませんでした。

「2012年の東京物語」を、数十年後の観客は、そうか、あの頃に、スカイツリーが完成し、大震災が発生し、原発がメルトダウンし、いろいろあった時代なんだ、と、思うのでしょう。

「東京家族」に描かれている、お祖父ちゃん、お祖父ちゃんの旧友、お祖母ちゃん、娘、息子、娘の夫、息子の妻、息子の恋人、孫達、誰もが平成の“歴史的事件”に影響されているようには思えないのです。

まあ、次男は南相馬で震災のボランテイアをしている時に、出会った女性と婚約したり、旧友の奥さんの母親が津波の被害にあったりとか、それなりには描かれているのですが、単なる挿入話し程度でした。

観客は見終わって、家族ってものは、辛い別れもあるが、それでも、みんな、仲良く、愛し合い、助け合い、励まし合い、泣いたり、笑ったり、寄り添ったり、いろいろあって、イイもんだ! ヨカッタ!ヨカッタ!なのです。

まぁ、それは、それで、イイと思います。観客の感想と、監督の作品への思い、その筋の作品へのの評価とは、たぶん、異なって当たり前?

たぶん、震災も原発も大き過ぎるテーマですし、映画としては、2012年の家族を描いた作品として、後々、それなりに評価される事に・・・・・・。

偉大な「東京物語」に、歴史的事件を刻み込み、2012年にリメークするのは、巨匠山田洋次監督でも、かなりムズカシイ?

でも、しかし、山田洋次監督としては、松竹大船の大先輩の「東京物語」のリメーク版は、どうしても、どうしても、撮りたかったのでしよう。

兎に角、それなりに、気持ち良く観られて、イイ気分で、映画館を後にできる作品です。

ここまで書いて、いま気付いたのです。確かに、事実として、結果として、周りを見ると、あれから2年、具体的な被害を被った人達以外は、世間の家族は、あまり影響されていないのです。

と、云うことは、この作品は、かなり、ありのままに、そのままに、歴史的事件後の“真実”の“東京の家族”を描いている? 

まだ、まだ、『東京家族』の話しは続きます。

それにしても、2時間26分は長かった、心配していたのですが、途中、老夫婦が横浜のホテルに宿泊するシーンで、ついにトイレに行ってしった。う~ん歳です。他にも3人が途中で席を立っていました。

それで、兎に角、「東京家族」は、観て損のないイイ映画です、泣いて笑って、見終わって、それなりに明るい希望の持てる作品です。


それでは、また。


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“東京家族” ① 何が何でも「東京物語」

2013年01月23日 | 映画の話し
う~ん、何と云うか・・・・・・見終わって、考えてしまいました。

確かに、それなりに、あたたかくて、やさしくて、涙あり、笑いもあり、イイ家族の物語なのです。

ストーリーも、登場人物の職業も、シーンも、カットも、カメラアングルも、九割がた“東京物語”でした。


上京して来た老いた両親のセリフ回しも、動作も、笠智衆と東山千栄子と重なって見えてしまうのです。かなり意識して演出したのでしょうか? 何故?

冒頭は、何か、かなり変と云うよりも、かなり違和感がありました。東京物語と同じく最初に泊まるのは長男の家なのですが、そこでの会話が“ぎごちない”のです。

特に、孫達の会話がとても古くさく、東京物語りそのままに聞こえました。これって、現代?平成?21世紀なの?

でも、それは、それで、楽しめる、それなりにイイ映画でしたよ。と、すこしは褒めたりして・・・・・・ケチばかり付けてはいけません。兎に角、それなりに見終わって心地良い映画でした。

館内は平日で12時05分からの上映でしたから、客席は2割程度の入りで、客層は私の同年配かそれより年上の方達でした。時折、笑い声がもれ、ラスト近くには涙をすする音があちら、こちらから聞こえてきました。

私も、それなりに、目尻あたりから涙がチョッピリこぼれたりしたのです。

それにしても、居酒屋の女将役の“風吹ジュン”にはショックでした。老けてしまっていたのです。


私の中での風吹ジュンは“男はつらいよ”の第45作(1992/12)「寅次郎の青春」で止まっていたのです。

いま見終わって、すぐに家に帰り、生々しくて?、新鮮な?感想を綴ってみました。

それで、兎に角、「東京家族」は、観て損のないイイ映画です、泣いて笑って、見終わって、それなりに明るい希望の持てる作品です。

今日のところはこのくらいで、次回からは、パンフレットにも目を通して、じっくり、しっかり、いろいろと感想など綴ってみたいと思います。


それでは、また。



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東京駅の赤煉瓦駅舎 ⑥ GHQの花嫁?

2013年01月22日 | 東京の風景
今朝はしとしと小雨が降っています。

寒いような、寒くないような、静かな朝です。

こんな日は“炬燵日和”なのです。

それで、本日は間違い無く、“東京駅赤煉瓦駅舎シリーズ”の最終回となります。6回目が最終回とは、私的にはとても切りがイイと思う次第。

東京駅の赤煉瓦駅舎からは、すこしだけ離れましたが、でも、駅から歩いて5~6分?か、もしくは、7~8分?でしょうか・・・・・・。

三菱一号館の赤煉瓦を過ぎたところで、花嫁と花婿の姿を発見!


こちらは、知る人ぞ知る、かの“連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)”だった、建物です。こちらはレプリカではありません。ホンモノです。


明治生命の本社で、いまは明治安田生命となっております。築後約80年、重要文化財です。


1934年(昭和9年)3月31日に竣工。戦後は「連合軍総司令部」が置かれ、1956年(昭和31年)に日本に返還されました。

それにしても、花嫁と花婿、ホントに、ホントに、嬉しそう、幸せそう。


人生で最高の一瞬?ですかねェ。


ホントに、ホントに、可愛い! 花嫁さん! 花婿は・・・、まあ、それなりです。


しかし、重厚です。兎に角、金融機関の建物は見た目の安定感が大事。


兎に角、立派で“カネ”がありそう。


どうですか、この扉の頑丈そうなこと!金融機関なのです。


日本国の中心の真ん中に“どっしり”とです。


アーチの窓に、中太エンタシスの柱、何とも魅力的。


でも、しかし、時代の移ろいとともに、周囲は高層化して、小さく萎んで見えます。そこのオバチャン!チョット邪魔。


この建物、後50年ぐらいは現役でいられる?


丸の内のビル街を後に、日比谷公園に向かいます。

公園の入り口には『東京観光菊花大会』の看板。別に菊花展が目的で来たのではありません。


この先の“続き”は、何故か、去年の11月12日の記事につながるのです。

これで、“東京駅赤煉瓦駅舎シリーズ”を終わります。


それでは、また。



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東京駅の赤レンガ駅舎 ⑤ 三菱一号館は揉めて 

2013年01月21日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

そして、“東京駅赤煉瓦駅舎シリーズ”の最終回のつもりです。

“東京国際フォーラム”を正面に見て右に曲がります。

見えて来ました、赤煉瓦の建物。


三菱一号館です。一丁倫敦(いっちようロンドン)の名残りです。


でも、しかし、昔の“三菱一号館”ではありません。レプリカなのです。ホンモノは1894年に建てられ、74年後の1968年に取り壊されているのです。

68年当時、この由緒ある明治の建物を、壊す、壊さない、保存する、保存しないで、所有者の三菱地所と、文化庁とかその筋の関係学者とかで、いろいろな思惑が入り乱れ、相当に揉めたそうです。

でも、しかし、そんな雑音?をよそに、三菱は抜き打ち的に、突如、解体工事に着手したそうです。

あの頃は、古いモノを大切に、と、云うよりも、古いモノより新しいモノの時代でした。高度成長の真っ直中で、丸の内では事務所需要も増大していたのです。“スクラップ&ビルド”の時代でした。

1968年と云えば、私が高校を卒業して社会に出た年です。赤羽駅から東京駅を通過して浜松町駅まで通っていた頃です。いま思うと、電車の窓から工事の風景は見えていたのかも知れません。

当時は、まったくそんなもめ事は知りませんでした。赤煉瓦にも興味はありませんでした。時代も、私も、若かったのです。

このレプリカは取り壊されてから44年後の“2009年”に再建されたのです。今から、たった3年ほど前の“新品赤煉瓦建築”です。昔の一号館の建っていた場所とは少しだけ違うそうです。

一つの時代が、人間が、年老いてくると、昔の時代を懐かしみ、古いモノを大切にする風潮、気持ち、が芽ばえてくるのです。

イイ事なのか? あまりイイ事とも云えないのか? ナカナカ、ムズカシイことなのです。

生まれた時から、低成長で不景気で、青春期を時代の老年期に重なった人達は、かなり不幸・・・? それとも、新しい時代の幕開けを体験できる? 兎に角、世の中は、ヨクなったり、ワルクなったりの繰り返し・・・・・・です。

それにしても、どうして、こんなに、赤煉瓦の建物に惹かれるのでしょうか? 暖かくて、懐かしくて、安心で、ほころんで、落ち着くから・・・。


先ほどの“東京国際フォーラム”のガラス建築は、冷たくて、不安で、緊張で、落ち着かないのです。

こちらにも、“カフェ”があるのです。ちょっとだけメニュー看板を拝見。


このお店の名前は“Café 1894”です。判り易いのです。


それで、この“三菱一号館”ですが、明治の匂いが漂う美術館になっているそうで、床は創建当時と同じく板張りで、足音がとても響くそうで、来館の際には、靴底の材質に気を付けた方がよいとのこと。

煉瓦建築は外壁だけが煉瓦で造られ、床とか、天井とかはフツウ木造なのです。いつの日にか、靴底に注意して美術館を訪れて見たいと思います。

最終回のつもりでしたが、いろいろな都合で、本日はここでお終いにします。

次回が、最終回となる予定です。

本日は、これより、自転車の後輪タイヤを交換します。後輪の減りは前輪の二倍の速さで進行します。購入後3年と2ヶ月で初めてのタイヤ交換、チューブも序でに交換です。


それでは、また。


それにしても、19日から上映が始まった“東京家族”いつ観に行くことにするか・・・・・・。


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東京駅赤煉瓦駅舎 ④駅近レストランは“サ別”です!

2013年01月18日 | 東京の風景
1月11日の続きです。

東京駅を後に、有楽町方面に向かっています。

東京駅をふり返ります。こんな感じの町並を歩いています。それなりにお洒落なレストランが並んでいるのです。


久しぶりの“メニュー看板チェック”です。

フランス料理です!都心です!丸の内です!“おフランス語”で書かれています。“Déjeuner”です。デジュニイ?で“ランチ”です!


このメニューは、どのように読むのでしょうか? メインは、“豚のトマト煮”か“鮮魚のポワレ”のどちらか一つを選択し、価格が1470円。そして、豚のリエットのサラダは1260円と、云う事?

ランチ単品価格が1470円です。さすがに都心、丸の内、フランスレストランです。

私などが、ときおり訪れる、都心ではない、片田舎のレストランでは、メイン料理にサラダ・スープ・デザート込みの価格と同じくらいです。


ランチ単品に、サラダ、デザート、コヒー等を頂くと、かなり、ケッコウな価格になります。丸の内に勤務する一流企業の労働者の方々でも、かなり手のでない価格設定では・・・。


この価格帯で商売できるのです。どんな客層を相手に営業しているのでしょうか?この日 店内の様子を窺うことは出来ませんでした。やっぱり、それなりの人達が、それなりに、ここいらには居るのです。

このご時世に、スタッフを“正社員”で募集しているのです。業績好調なのでしょう。でも、しかし、何か、こういう店が、こういう看板を店先に掲げるのは、どんな?もん?かと?思うのです。


この“VIRON”と云う店は、その筋では、それなりに有名?らしいのです。


こちらのお店は? まあ、隣と変わらない価格と、眺めていると、思っていたら、怖い文字を発見!


価格表示の後ろに、“(サ別)”とあるのです。“差別”ではありません(笑)サービス料金を別途頂きます!と云っているのです。こういう店に、生まれてこの方入った事はありません。でも、ある意味での差別化の魂胆が?見え隠れ?

都心のレストランは怖い! でも、もしかして?まあ、驚くほどでは?無いの? 調べてみたら、料理代金の10%が相場のようです。

でも、何か、ねぇ~、これって、込み込み価格では拙いの? 何か、やっぱり、“うちは一流ですから「サ別」表示方式になっております”的な匂いを感じてしまうのです。

感じようが、感じまいが、まあ、そんなことは、どうでも・・・・・・、なのです。

かなり特徴的で、かなりお馴染みの建物が見えて来ました。全面ガラス張り、首都圏直下型地震で大丈夫? ガラスはゴム?見たいな?弾力性のある材質によって固定されているようです。でも、起こるのですよ!想定外の事が!


安全性への疑問?もそうですが、デザイン的に好きになれないと云うか、明らかに嫌い!なガラス建築。

長い時の流れは考えていないのです。現代建築は“数十年”のスパンで更新されることを前提に設計されているのです。設計者に問い糾したことはないのですが、絶対にそうです!

これが、流行の、現代の、建築? 確かに、ある意味で、ガラス的な“ひ弱さ”は現代?

それにしても、ガウディの“サグラダ・ファミリア”はどんな歳月の尺度で造られているの?

兎に角、ここまで。

まだ、まだ、東京駅周辺を歩きます。

それでは、また。




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