歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

原節子さんが9月5日95歳で亡くなられました!あの時鎌倉の自宅に居たのです!間違いない!

2015年11月26日 | 原節子
今朝、いつものように「午前1時半」にドアポストに入っている朝刊を手にとると、一面に原節子さんの死亡記事が目に飛び込んできました。

起き抜けで半分寝ている状態で、やっぱりと云うか、とうとうその時がきたのか・・・と、紙面を暫くボンヤリと見つめたのです。



夢を見ているような気分のまま二階の部屋に戻り、床の中で紙面を見つめ記事の一文字、一文字ゆっくりと目で辿ったのです。

少しずつ頭がハッキリし始め、一面だけなの?関連記事は?と探したのです。これだけの出来事?ですから、関係者の談話とか、批評家のコメントとか関連記事が別の紙面に?と思ったのですが、一面に4段の記事だけでした。

たぶん、関連記事は夕刊か明日の朝刊に載ることでしょう。


※なかなかイイ写真を使っています。

昭和の大女優と云っても、昭和は遠くなり、原節子を知る人は、関心のある人は、もう、かなりの少数派なのでしょう。

それにしても、他の記事では、8月半に「神奈川県内の病院」に入院し、9月5日に肺炎のため死去とありました。

と、云うことは、です。たぶん、やっぱり、原節子さんは、ずっと、ずっと、浄妙寺に隣接する自宅に居たのだと思えてきました。


去年の5月8日に私が、彼女の自宅周辺を彷徨っていた時、きっと彼女は家の中に居たのです。これは、きっと、絶対に間違いありません。






奥の瓦葺きの別棟にお住まいだったようです。手前は甥の方の住居だそうです。


ホントに、ホントに、原節子さんは亡くなったようです。

ご冥福をお祈りいたします。合掌。


寒い、冬のような一日になりそうです。


録画してある「東京物語」を観ようと思います。


それでは、また。


※ここまでお読みになった方、よろしければ画面左側のカテゴリー欄の「原節子」クリックしてみて下さい。

※12月1日追記


※12月3日追記




※12月11日追記

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鎌倉へ行って来ました ② 原節子さんと同じ空間で同じ空気?を吸いました

2014年05月10日 | 原節子
前回の続きです。

浄明寺バス停に到着し、浄妙寺に向かって参道を歩きつつ、外人観光客に目をやりつつ、期待と不安を抱きつつ、もしかして?バッタリと出会ったり?何て妄想を巡らしたり、何か、もう、呼吸も速くなったり、歩くスピードも速くなったり、心も脈も乱れたのです。


可愛らしい女子中学生の声に、少し平常心を取り戻しつつ・・・。それにしても、中学生が浄妙寺とは、かなり渋い選択です。


山門が見えて来ました。


浄妙寺です。


こんな感じのお寺さんです。今回の目的はここでは無いのです。一応一枚だけパチリ。


さあ、いよいよ、探索の開始です。予想探索時間を30分から1時間と考えていました。探索時間と探し当て時の感動は正比例するのです。それなりの探索時間があってこそ、それなりの感動が得られるのです。

参道を左に折れ住宅街に入ります。入って直ぐに、左に折れるか、直進するか、決断を迫られます。“緩やかな傾斜地で背後に山が迫っている”との、事前情報が頭に浮かび、直進することに決定。


そして、歩く事、数十歩、右手に“事前情報で見た門”とソックリな門を発見。


表札を見ると、“原節子さん”のお姉さんの旦那で、映画監督の熊谷の文字、現在は、原さんの甥っ子の名前になっていました。


えっ!もう!こんなに簡単に、こんなに呆気なく、こんなに短時間で、発見の喜びと云うか、発見の動揺と云うか、何とも、とても、残念な? とても複雑。

鎌倉に2時間も掛かって辿り着き、それでは、じっくりと、楽しもうと思っていたら、ドラマは一瞬にして終演。

事前に情報を調べすぎた事を反省したり、いゃ、“探索時間と探し当て時の感動は正比例する”と云っても、いくら何でも限界点があると、慰めてみたり・・・。

兎に角、思いを抱いて数年、計画を立てて数日、そして本日、2時間半掛けて鎌倉に到着し、バスに揺られること約10分、バスを降り探索を開始してから数分でした。

兎に角、あたりの風景を見回し、ここが彼女が暮らしてる?暮らしていた?風景なのかと、彼女が目にした、歩いた、呼吸した、同じ空間に、いま、自分も立っているのだと・・・、映像の中の笑顔を想い浮かべつつ、しっかりとこころに刻もうと、しばし見つめたのです。

敷地には二棟が建っており、情報に寄ると、手前が熊谷家、奥の方が原さんの住まいだそうです。


周囲は高く密集した生け垣で屋根しか見えません。


人通りのまったく無い住宅地で、いつまでも辺りを見回したり、撮影をしたり、佇んでいると、かなり怪しまれます。

門のところに戻り、もしや?もしや?と思いつつ、でもまさか?と思いつつ、どなたか引き戸を開けて現れないかと?でも、物音もせず、静かで、何も起こりませんでした。


後ろをふり返りつつ、原節子さん家を後にします。


なんとも、呆気ない結末でした。でも、長年の思いが、本日、実現したのです。現実はドラマのようには行きません。

兎に角、時間があります、気を取り直して鎌倉見物です。先ずは、徒歩で鶴岡八幡に向かいます。でも、何か、後は、オマケのようで、どうでもイイような気がしないでも・・・・・・。


それでは、また。


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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その11 専業主婦と男女雇用機会均等法

2013年09月30日 | 原節子

先週からの続きです。

いよいよ物語は終盤、大衆食堂、列車内のシーンです。

秋祭りの最中に再会し、二人は御輿を見つめつつ、大衆食堂でビールを飲みつつ、語り合うのです。もし、これが、実家の座敷で二人が向き合っていたとしたら、展開は変わってしまうでしょう。

さり気なく、自然に、二人は“三千代の家出”が無かったことの様に、自然に振るまい、それとなくフツウの会話を通して、互いを許し合い、認め合い、折り合いをつける・・・、その背景は、道端、食堂、そして、秋祭りなのです。

妻にビールを注いでやり、自分は手酌。妻は一口飲んで“苦い”と云い、夫は“あっ~美味い!”と云って飲み干して、手酌で続けてビールを注ぐ。

※原節子はビールが、とても、とても大好きだったそうです。

「ワイシャツ、ずいぶん汚れているのね。替わり持ってらした」
「あ~」
このひと言は、いまでも、これからも、妻で居ることを告げる発言であり夫はひと安心。

「ネコ居ます」
「うん、谷口さんに預けてきた、あの息子さん就職したそうだ」
さり気ない、日常会話、

「そう・・・あなた、わたしが直ぐ帰るとお思いになって」
「ああ、だから手紙書かなかった。僕の仕事、明日済むんだ、一緒に帰る?」
直ぐ帰ると思ったとしか返答できません。そして、さり気なく、自然に和解のの提案。



「そうね・・・・・・、わたしあなたに手紙書いたのよ、だけど出さなかった」
「どうして?」

「・・・・・・ねぇ、わたし東京に来て2千5百円も使っちゃった」

“あなたが迎えに来ると思ったから”とは云わず、問いかけには直接答えず、彼方の妻であり、主婦であることを意味する発言。



「竹中の伯父さんがね、今度、東和商事に勤めたらどうか?て云うんだ。そうすれば月給も 少しは上がる、君に相談して返事するって云っといた」
経済的な改善策の提案に了解を求める、

「いいのよ、あなたがお決めになって」
夫の立場を尊重し、

「そりゃねぇ、僕だって君が苦労しているのは分かっているけど・・・」
夫はそれとなく反省を口にして、

「いいのよ・・・」
妻はそれを許す。

「もうそろそろ帰ろうか?」
「ええっ」
「これお飲みになって」
妻の残したコップのビールを夫が飲み干し、和解の儀式は完了。

そして、二人は帰路に。


妻、原節子の、時代制約的? 普遍的? 模範解答的? ナレーションが流れます。

『わたしのそばに夫が居る、眼をつぶっている平凡なその横顔、生活の川で泳ぎ疲れて、漂って、しかも尚、闘って、泳ぎ続けている一人の男、その男の側に寄り添って、その男と一緒に、幸福を求めながら生きていく事に、その事は私の本当の幸福なのかも知れない、幸福とは、女の幸福とは、そんなものではないのだろうか・・・』

作品冒頭では、

『あなたは、私が毎日毎日、どのように暮らしているか、お考えになった事があります、結婚てこんなことなの、まるで女中のように、朝から晩までお洗濯と御飯ごしらえであくせくして、偶に外へ出て帰れば嫌な事ばっかり・・・私、東京へ行きたいの、東京へ出て働きたい、このままでは、とっても堪んないわ・・・』

この変化の過程が、いまいち、分かったようで、分からない・・・、そんな気が、しないでは無いのですが、兎に角、夫婦の危機は去ったのです。

それで、この結論をどう読むのか?これでは男に女は従属して、自立していないとか、古いとか、封建的とか、男女同権でないとか、民主的でないとか、そんな反論が・・・・。

当時から、賛否両論だったそうで、今でも賛否両論? 古いようで、新しく、いつまでも解けない問題? その時の時代背景により、賛否がいろいろと変化するのです。

今や、もしかして、専業主婦は憧れ?でも、しかし、それだけの経済力が、男には・・・。

※本日の朝刊、とても微妙な問題の為、数字に対して一切の解釈なしの記事。


でも、何か、封建的とか、民主的とか、男女同権とか、男女雇用機会均等法とか、女の自立とか、そう言う問題の立て方は、この作品に対しても、原節子様に対しても、とても、とても、野暮で見当外れな、そんな気がしてきました。

小津作品の原節子よりも、成瀬作品の原節子の方が、とても、とても、魅力的でした。

“東京物語”は小津の代表作で、原節子の代表作はこの“めし”だと、個人的にはそう思うようになりました。

これから、他の監督作品の原節子も観て見たいと思います。現在、原節子さんは東京の老人養護施設にいると云われています。今年で93歳?お元気なようです。出来ることなら、一度、一緒にビールを飲んで見たい!

8月28日から書き始めて、今日の11回目で、やっとこ、さっとこ、最終回となりました。ホント、最期まで辿り着けて、ホントにヨカッタ!

これで、“原節子の“めし”の話しは、お終いで~す。


それでは、また。


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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その10 道端の再会

2013年09月26日 | 原節子
一昨日の続きです。

里子を家に送って行き、いろいろあって、いろいろ考えて、それなりの結論に達しつつある三千代。

家に戻ると、笑顔で来客を伝える妹と、


母親。


来客は誰なのか、もしかして・・・、


もしかして、そうなのです。

※よ~~く見ると、何故か?デザインも紐の通し方も左右で異なるのです。

でも、しかし、突然の来訪に、戸惑い、


表に飛び出し歩きながら思いを巡らす三千代。夫は今回の件をどう思い、何んと云うのか、自分はどう対応したら良いのか・・・。


家に居ると思っていた夫は、銭湯からの帰り道、三千代を見つけて「オィ!」と、呼び止めます。


その声に驚き振り向く三千代、


そこには笑顔の新之輔が、


戸惑う三千代、


一瞬、新之輔の方に歩み寄ろうとするが、直ぐに背を向けて無言で歩き出す。


追いかける新之輔、


「どうしたの」


「いついらしたの」
「うん、今朝」
「真っ直ぐここへ」
「急に出張でね、あちこち行ってたんだ」
「出張」
「うん」
「そう」


「どっか行くつもりだったの」
「いいえ」


「あっ~、喉渇いた」
「ビール召し上がります」
「お金持って来ないよ」
「少しなら、わたし持っているわ」


この辺の描き方が、とても、とても、イイです。物語はクライマックス、どう二人は折り合いをつけるのか、微妙な問題です、それだからこそ、さり気なく、自然に、それとなく、そして、丁寧に、滲むように描いていきます。

二人の表情、二人のやり取り、成瀬監督、なかなかやります、見事な演出です。

ところで、新之輔が、偶々、東京へ会社の出張で来たので、寄って見たとの話しは、明らかに作り話し、三千代もそれなりに嘘と知りつつ・・・そんな風に思わせる描き方です。

この出張ついでの来訪は、誰かの入れ知恵だと思いますし、そう思わせる描き方をしています。

三千代が新之輔への手紙を書き、結局は投函しなかったことを知った母親が、このままでは、これ以上の時間が経過しては、互いに望まない破局が・・・、と思って、行動を起こしたのです。

手紙を投函しなかったシーンの後が、このシーンですから、


母親が大阪の竹内の家に電話で三千代の状況を伝え、両者で和解案を考えたと思います。三千代の立場も、新之輔の立場も、それなりに尊重した“出張途中寄り案”だったのです。

新之輔としても、迎えに行くキッカケが掴めず悩んでいたところですから、その提案をすんなり受け入れた、と思うのです。


この時期、新之輔が竹内家を訪れる理由はそれ以外には有り得ません。すべてを、そして、そんな処まで、こと細かく描いては、説明的で面白く無いのです。

描かない事、余白を作る事、観客に考えさせる事、これぞ名作の条件で、観客へのサービース。

それにしても、“道端”で再会させ、そのあと“大衆酒場”で会話させる演出も、考えたと云うか、それなりに理由があったと云うか・・・。

話しが長くなってしまいました。

この続きは次回。

それでは、また。


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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その9 アベックと断髪

2013年09月24日 | 原節子
先週からの続きです。

前回が19日ですから5日ぶりで、“めし”の話しは“その9”となります。あと1回で切りの良い10回となりますから、たぶん、これは、10回まで続くと思います。

姪の里子を家に送って行く三千代。東京に住んで居る里子ですが、こんな寂しい処なんです。三千代の実家の方がずっと都会です。

前の晩、映画を観て遅くなって三千代の実家に泊まったことが、別の意味で頷けるような町外れの風景。


里子の実家では、庭先で鶏を飼っているのです。終戦から未だ6年、当時の食糧事情が映り込んでいるのです。


和服姿の原節子、イイです。


里子の実家でも、後妻から、
「初之輔さんから、お便りありまして」
「いいえ、あたしも出さないんですけど・・・」
「あら、そうぉ・・・でも、夫婦って、それでいいのかも知れませんねぇ」

夫婦はそれでいいれど、周りはそれでは迷惑?

「矢向の信三さんは、ホント、ものの分かったサッパリした方だから、お母様も幸せだし、あなただって気兼ねなく厄介になれるでしょうけど・・・、あの信三さんでなかったら、とても、ノウノウとしていられないでしょ」
「そう、ねぇ・・・」
「でも、もう、大阪にお帰りになった方がイイと思うわ」
「えっ」

昨晩の信三からの“布団敷け発言”そして、出掛けに里子の“一夫との結婚してもいい発言”そして、そして、後妻からの“いつまでもノウノウと厄介になって居ないで大阪に帰れ発言”もう、これは、家出もそろそろ潮時。

箒を持って掃除し出す三千代。家庭の主婦を放棄して実家に帰ったのですが、そろそろ戻りたいのです。


帰り道、鉄橋を通過する電車を見つめ、大阪に・・・、初之輔に・・・、想いを募らせる三千代。この立ち姿、なかなかイイです。


多摩川土手に向かう三千代、ここはアベックが集う場所、新之輔と恋愛中に訪れた思い出の地? 男女が仲睦まじい姿で集う場所と知りつつ向かった三千代。


すれ違う“アベック”に、


手を取り合うアベックに、肩寄せ合うアベックに、仲良く二人でボートを漕ぐ“アベック”に、周りはアベック、アベック、アベックだらけ、自分も、新之輔と、あのように・・・・・・。


そんな、甘い、甘い、時期を思い出しつつ駅に向かうと、


先日、職安の前で、夫を亡くし、幼子を抱え、失業保険の切れる不安を語っていた幼馴染みが、パーマの髪を切り落とし、駅頭で新聞を売る姿を目撃し、


幼子を養い一人生きていく強い決意の女と、そして、夫の稼ぎに不満、退屈な日常に不満、夫の自分への愛いに不満、この境遇の違いって・・・。


自分には、あのように強く生きていくのは・・・、兎に角、圧倒され、驚く三千代。


ここで、その衝撃に、“もう一度、東京で一人で生きていく決意を固めるのでした”とはならないのです。単なる女と、母になった女の違いでしようか。

今日は、ここまで。


それでは、また。


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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その8 笑う三千代 

2013年09月19日 | 原節子
一週間ぶりの“めし”です。

未だ、未だ、続く“めし”の話し、それでも、あと一回位で終わると思います。

それにしても、台風一過、世間は秋になり、朝晩は涼しいと云うか、朝は肌寒いほどです。あの連日の猛暑は、まさに過ぎ去った遠い思い出?

兎に角、暑さ寒さも彼岸までなのです。先日、お墓参りも一足早く済ませて来ました。今日は、たぶん、中秋の名月で、そして満月だったかと?

そして、“めし”も終盤、台風が過ぎ、季節は秋に差し掛かります。

昨晩、転がり込んで来た里子を家に送って行く三千代。昨日は、三千代の従兄の一夫と会っていたことを打ち明ける里子。


「一夫さんて、とても紳士ね、あたしのしたい事、何でも、ハイ、ハィって嫌な顔しないで聞いてくれるのよ、泳ぎたい云ったら、ダメ、それだけはおよしなさい、だって・・・・・・、わたし一夫さん好きになっちゃった、少し歳はいってるけど、お金使いがとってもキレイだし、お家もいいんでしょ、わたし、ねぇ、少し付き合ってから、結婚しょうtと思ってるの・・・三千代さん、恨まない?」
「どうして?」
「あたしが一夫さんと結婚しちゃった方が、初之輔さん幸せになるんじゃないの」

里子の話を聞いて、


三千代は、

※この表情、とてもいいです。

少しずつ、

※この表情、とてもいいです。

少しずつ、

※この表情、とても、とても、いいです。

そして、笑い出す三千代、


怪訝そうに見つめる里子。


この笑い、どう解釈するのか?

昨晩、妹の婿さんに、転がり込んで来た里子と同列に見られ、叱られ、慌てて布団を敷いた情けなさとか・・・。

里子には、一夫にそれとなく想いを寄せ、もしかして、一夫と再婚・・・、何て、ことも、それなりに見透かされていた事とか・・・。

無邪気なようで、自分よりもしっかりと相手の経済力を結婚の条件にいれている里子、無邪気で世間知らずと思っていたけれど、もしかして、自分の方が・・・、非現実的で、結婚生活に夢を追い求め過ぎていた事とか・・・?

何で、どうして、いま、大阪の初之輔から離れて、ひとり東京で、何を悩み、どうしようとしているのか・・・?

大阪での事、東京での事、いろいろな事が、脳裏に浮かび、問題の立て方も、答えの出し方も、もしかして、何処かで間違えていたのかも?と、そんなこんなの自分に可笑しくなった? 

周囲の反対を押し切って、熱烈な恋愛の末に新之輔と結ばれた三千代、従兄の一夫も結婚の対象にしていた時期もあったのです。それでも新之輔を選んだのです。

そろそろ、和解する時期です。

後は、どちらから先に折れるのか、そのキッカケがムズカシイのです。

新之輔としても、ノコノコと迎えに行くのは・・・、う~~ん・・・なのです。でも、新之輔が、もしかして?このままでは?破局が? とは、あまり考えなかったのは、


東京に戻って直ぐに、同窓生が新之輔の動静を探りに行き、三千代に頼まれたことを告げた事です。これは、明らかに、“私は彼方のことを未だ・・・”のサインですから。

いよいよ、ドラマは最終局面を迎えます。

この続きは次回とします。

それでは、また。



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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その7 怒りの信三

2013年09月12日 | 原節子
先日の続きです。

東京へ行くと云って大阪を出て来た三千代ですが、実は実家は東京ではなく、神奈川県の横浜市だったのです。それも、横浜市の外れですぐ隣は川崎市なのでした。

それで、横浜市にある南武線の矢向駅近くにある、今は母と妹夫婦が営む洋品店に里帰りしたのです。その辺の話しは、「その2」で書いたのですが、「その3」以降、話しが前後し、いろいろと、とっちらかってしまいました。

それで、実家に滞在して、どの位?日数が経過したのかは、画面からは判り辛いのですが、推測としては、2、3日と云う様子ではなく、4、5日? いや、一週間は過ぎていると思います。

横浜の実家に戻り、それなりに現実の厳しさをい知り、夫、初之輔に、反省?を込めた手紙を書き、しかし、自分から折れる事には納得出来ず、迷いに迷って投函を直前で断念。

そんな処に、あのお騒がせ娘の里子が転がり込み、そして物語は動き出すのです。


里子は、
「今夜はここに泊めて頂く」
「映画観て遅くなったって、世田谷へ帰った方が早かったんじゃないの」
「お父様に叱られちゃたの、今朝、大阪の芳太郎さんから手紙が来たのよ、男名前の手紙が来たと云うだけで、不良あつかいなんですもの、ヤケ起こしたくなっちゃう」

ここで、妹の婿さん信三が、
「里子さんがヤケ起こしたところで、この世の中、ビクともするもんじゃ無いな」
「わたし世の中をビックリさせようと思ってヤケ起こしてるんじゃ無いわ」
「そりゃ~、そうだ、無闇に起こされちゃ傍が迷惑だ」
「じゃ、私ここに泊まっちゃいけませんの」

止めに入る三千代、妹の婿さんは、さらに厳しい一言、
「だけど、感情をベタつかせて、他人に無意識に迷惑を掛ける人間は大嫌いだな」
「感情をベタつかせるって、どんなこと」
「里子ちゃん、失礼よ、そんな口の利き方」
「失礼なのは、信三さんよ、寂しかったから、何処へ行くあてが無かったから、ここえ来たんだわ」
「だから、みんな、丁重に扱ってますよ」
「わたし、これから世田谷へ帰ります」
母親が割って入って
「何ですかね、信三さん、娘さんに少し乱暴ですよ」
「僕は親切で云ってるつもりなんですがね、言い過ぎならば誤ります」

三千代は、信三の発言を明らかに、自分にも向けられている、と思うのでした。

その場は収まり、母、三千代、里子の三人が一部屋で一緒に寝ることに、母と妹が押し入れから布団を出そうとすると、信三からトドメの一言、

「布団ぐらい、女の人達なんだから敷けるでしょ、お母さんがする事ありません、お母さんも、光子も、一日働いているんですから、泊まりたい人は自分で布団を敷くことです」

この一言に、母も、妹も、


三千代も、里子も、ビックリ、呆然。


慌てて、布団を敷く三千代と里子。


信三の言葉に、結婚とか、夫婦とか、女の幸福とか、夢や希望とか、不満とか、迷いとか、そろそろ結論を出すタイムリミットが近づいた感じ、自分なりの答えを出そうと。


それにしても、信三さん、婿養子にしては、なかなか強気です。「里子さんがヤケ起こしたところで、この世の中、ビクともするもんじゃ無いな」は、かなり、嫌みな発言です。

信三の怒りは、明らかに、実家に帰って来て、ブラブラしている三千代へ向けられたものです。里子は翌朝にでも帰るが、いつ帰るのか分からない三千代。夫の立場として許せないのです。

三千代も、大阪での里子と、実家での自分が、あまり変わらない存在と、あれっ?もしかして?と気付いたのです。でも、しかし、だからと云って、このまま、自分の方から折れていくのは・・・、それでは、とても、気持ちが収まらないのです。

それなりの手紙をよこすとか、迎えに来るとか、夫、新之輔が何らかの行動を起こすべきだと、でも、この状態が長期化すると、お互いが引くに引けなくなるし・・・・・・。

前回、次回でお終いと書きましたが、またも、ダラダラ書き散らしてしまいました。後は、どうなる事やら、成り行きに任せる事にします。

それでは、また。





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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その6 他人の褌 

2013年09月10日 | 原節子
先週の続きをやっています。

里子に東京へ帰るよう、“追い返す”ように告げ、自分も東京行きの支度をする三千代。


三千代は二階で荷造り、初之輔の帰宅を迎える里子。


「ねぇ、わたし東京へ帰って結婚しちゃうわ」
「それがいいね」
「ホントはね、わたし初之輔さん見たいな人が好きなのよ、だけど、もう、お祖父ちゃんだから嫌だ」
「こいつ~」
「明日の朝、三千代さんと一緒に行くのよ」
「えっ!三千代も」
「えェ」


「君を送って行くのかい」
「そうでしょ」

三千代が東京へ帰ることは誰にもまだ云っていないのに、「三千代さんと一緒に」と初之輔に伝えた里子。無邪気な里子にも叔父夫婦の危機は明らかなのです。男に対して、結婚に対して、とても無邪気な里子。

でも、しかし、なのです。結婚は無邪気でイイのです。そんなに、いろいろと、深く、考えては、結婚などできません、勢いと成り行きです。昔は、それほど考えなかったのです。今は、あまりにも、あまりにも、いろいろ考え過ぎなのです。

それで、二階からトランクを持って里子が降りて来る。

「お帰りなさい」


「里子を送ってくれるんだって」

※こういう表情の原節子イイです。

「えェ」
「お金はどうするの」
「今日、竹中で借りてきましたわ」
「ふ~ん」

※こういう表情の原節子イイです。

「君、話しがあるんだ・・・本当に君、行くのかい」
「えェ」
「何日ぐらい、行ってんだい」
「そうねぇ」
「何か怒ってんのかい」

※こういう表情の原節子イイです。

「怒ってなんかいませんわ」
「何も、こんな大きなトランク持って行くことないだろ」
「だって、小さいのが無いんですもの」
「直ぐ帰って来るんだろ」

※こういう表情の原節子イイです。

「東京へ行って少しね、いろんな事、考えて見たいんですの・・・、私ねぇ、疲れちゃったんですわ」

※笑っている原節子よりも、こういう表情の原節子の方が魅力的です。

いろいろと不満を抱いている事は知っていたが、まさか、ホントに東京の実家に帰るほどだとは、どうして?何で?の初之輔です。でも「何か怒ってんのかい」は、怒りを増幅するだけの質問です。


結婚して5年、大阪に移って3年、周囲の反対を押し切っての大恋愛で結ばれた二人。それが今では、「腹へった、めし!」しか云わない亭主、経済的にも楽ではなく、不満は限界に達していたのです。

それにしても三千代と初之輔はどういう経緯で結ばれたのか、三千代は初之輔の何処に惹かれたのか?初之輔は三千代の何処に惹かれたのか?

当時、美男代表の上原謙と、美女代表の原節子の組み合わせ、役柄としても美男美女の設定、でも、しかし、二人の結婚前の職業とか、知り合ったキッカケとか、まったく描かれていません。

まあ、特に、それほど、ストーリーには影響が無いので、観ている人が勝手に想像して構いません、と云う事なのでしょうか。

結婚とは?夫婦とは?女の幸福とは?そんな、普遍的なテーマに、余計な要素を排除しないと、展開がややこしくなる? 文芸作品であっても、兎に角、多くの大衆を相手にした娯楽作品です。難解ではなく、判り易くです。

でも、しかし、子供と云う要素を省いてしまうと、現実とはかなり、かなり、異なる設定で、異なる答えに?

それにしても、初之輔の職業が、何故に“株屋”なのか? 終戦後まもなくですから、証券会社ではなく、世間的にもあまり評価は高くない商売です。今でも?

まあ、今でも、“他人の褌しで相撲を取る”と云うか、他人の大損で大儲けと云うか、こつこつ地道に、暮らしに役立つモノを製造する業界とは事なり、かなり堅気ではない職業なのです。

“他人の褌しで相撲を取る”で思い出すのは、ある時“他人の相撲で褌を取る”と云った人が居て、分かった様で、有り得ない様で、単なる親爺ギャグな様で、単純な云い間違いの様で、それなり意味が有るようで、とても、笑えたのでした。

それで、美男で、株屋で、堅気のからチョット外れた不良っぽさの初之輔、堅気の娘、三千代との恋、結ばれて2年、大阪に移って3年。

何で、大阪なの? 互いに、東京生まれの、東京育ちで、東京で暮らしていては、物語の展開状不都合? 嫁さんの実家は、遠ければ、遠いほど、実家に帰る行動にインパクトが出る?

引っ越しする必然性は無くても、ストーリー的な必要性からの大阪暮らし、まあ、そういう事なのでしょうか。

何か、ホント、分かったような、分からないような、つまらない事を、ダラダラと書き散らしてしまった。今日は、イマイチ、何とも、テンションが低いのでした。

次回で、“めし”はお終いにします。


それでは、また。


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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その5 無邪気な里子 

2013年09月06日 | 原節子
一昨日の続きです。

本日も、「めし」です。

懲りもせず、飽きもせず、今日も、セリフを起こします。

三千代が“竹中の家”に出掛け、一人留守番する里子に、向かいに住む“芳太郎”の大泉滉が、



「ちょっと、出られしまへんか」
「ダメ!だ~れも居ないから・・・この花、誰にあげるの」
「あんたでない人に、あげる人がある思うてはるのですか」
※この台詞、とても早口で聞き取りずらかったです。生まれも育ちも東京の“大泉滉”に
 はとても云い言い回しに苦労し、何回もNG出したような?

それと、“大泉滉”ですが、お父さんの、お父さんが、ロシア人なのだそうです。何処かの外国の血が混じっているとは思ったのですが、ロシア系のクォーターだったのです。

それにしても、こういう役にピッタリと嵌るのです。まったくもって“地”のままの感じがします。噂によると、まったくもって女ぐせが・・・・・・かったそうです。

話しを戻します。

「そう。それはどうもありがとう」
「里子さん、あんた、僕のこと、どない思うてはるの」
「あら、ずいぶん大きなトゲがあるのね、このバラ」



「僕を、なぶってはるのですか」
「なぶる?ウフフゥ、ウフフゥ~ウ」
「笑わんといてなァ」

失業中で金もないのに、大阪見物に連れて行ったり、今日はこうして花束を持って会いに来ているのに、芳太郎の事などまったく眼中にない里子。

無邪気、無警戒、無頓着、外見はそれなりに大人の女性ですが、内面は、まだ、まだ、とても子供なのです。胸のイニシャルは無邪気さの表現?。

無邪気で未だ子供の里子、見た目はそれなりに大人の女性として見える里子。この“ずれ”がいろいろと周囲に誤解を招くのです。

小さな頃から里子を知っている“初之輔”は子供として接し、しかし、それなりの大人として見ている三千代。このズレが三千代に嫉妬と疑念を抱かせるのです。

それで、そんな最中の玄関先に三千代が帰って来ます。


それでも、執拗に食い下がる“芳太郎”


「里子さんに、一度、僕の気持ちを聞いてもらいたいんや、里子さんから見やはったら、僕 はつまらん男かも知れまへん、教育も無いし、金もあらへん、そやかて、そんな人間が里子さんを好きになっていかんてこともあらしまへんやろ」

そして、奥から里子を呼ぶ三千代、「じゃ、またね」と云って芳太郎を帰す。

「里子ちゃん、いったい、あなた大阪に何しに来たの、芳太郎さんと、どんなお付き合いしてるの」


「別にどういうお付き合いって・・・、あの人、とっても変なのよ、この前のときも、勝手に 何でも向こうで奢ってくれたりしてさ」


「勝ってに奢ってくれるなんて、あなた黙って奢られてるの、職の無い若い男が、女の人に奢る余裕がある何て、変だと思わない」


「いい加減、大阪も見物したでしよ、東京へ帰ったらどう」
「帰ればいいんでしょ」
「追い返すんじゃ無いのよ」

そして、いよいよ、明日は東京行きを決行します。

本日は、ここまで。


それでは、また。


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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その4 帝塚山の一夫と

2013年09月04日 | 原節子
一昨日の続きです。

まだ、まだ、飽きずに『めし』の話しを、それなりに事細かに綴ります。

それで、夫が泥酔して醜態を晒した翌朝、胸ポケットの紙幣について問い糾すと、一部は姪の小遣いとしてやると告げられ、どうして、そんなに姪に気遣うのか、単なる姪と伯父の関係を超えている?との疑念と嫉妬を抱くのです。

そして、翌日、小遣いを貰った姪が夜遊びをして遅くなると、亭主は心配して表通りまで向かいに出て、帰り道二人が腕を組み肩を寄せ合う姿を、


彼女は目撃、東京の実家に帰ることを決意。


翌日、竹中の家に東京行きのお金を工面に行きます。竹中の家は大阪の高級住宅地の“帝塚山”に屋敷を構えています。


この竹中の息子とは従妹同士です、互いの両親のどちらかが、当然、兄弟か姉妹の関係と云う事です。


竹中夫婦はどちらも、生まれついての関西人的な描き方で、原節子の母は、どう見ても江戸っ子、そうなると亡くなった父がどちらかと血が繋がっていると、私の推測では、原節子の父が竹中家の主人の弟の設定だと思います。

何か、話しが、ややこしくなってしまいました。本筋とは関係無いのですが、とても気になるのです。成瀬さん、こんな処は、もっと判り易くセリフに入れてください。

それで、もう一つ気になるのは、借金の形に三味線を持って行くのです。画面から明らかに、携帯に便利な“折りたたみ式”の三味線です。

何故?どうして?ここで三味線?それも折りたたみ式? この時代、このような夫婦に三味線はフツウなの? リアルタイムでこの作品を観ていた観客は特に変だとは思わなかった?ここは、そんなに考えてはイケナイところ?  


そして帰り道、お屋敷街を、駅まで送る従兄、

※画面右上の端に“帝塚山”の住所表示が見えます。

時折、肩が触れあい、遠目にはそれなりに訳ありに映る二人。


何か、とても、思わせぶりな会話をかわします。


「切符、買うんなら僕が買っておいてもいいなァ」
「えっ・・・。え~」
「みっちやん、幸福なの」
「どうしてそんな事おっしゃるの」
「気になるからさ」
「かずおさん、あなた、どうして結婚なさらないの」
「女は意地が悪いからゴメンだな」
「うっ・・・」
「今夜、ホントに発つの」
「未だ、分かんないのよ」
「な~んだァ、相変わらずだなァ」
「明日の朝にするわ」
「ホント」

この会話、明らかに従兄の“一夫” 二本柳寛は、原節子の“三千代”に思いを寄せていたと云うか、いまでも、それなりに、思いを残しているのです。

そんな一夫の気持ちに気付きつつ、思わせ振りな態度をして見たり、突き放して見たり、素知らぬ振りをして見たりの三千代。

三千代にも迷いがあるのです。小さな株屋の安サラリーマンの妻で、町外れのボロ長屋で退屈な日々を送るよりも、銀行員で社長の息子で、高級住宅地でお屋敷に住む一夫、それなりにこころは惹かれるのです。

“女は意地が悪いからゴメンだァ”は一般論ではなく、一夫の三千代に対して向けられた発言であり、三千代の結婚までの経緯に絡み、当時、三千代の一夫に対する接し方の曖昧さを批判しているのです。

中途半端で、優柔不断で、思わせぶりで、そんな態度の三千代に、傷を負っていた一夫。それが“な~んだァ、相変わらずだなァ”と、云わせたのです。でも、まだ、こころに秘めている三千代への想い。何か、とても、可哀想です。一夫クンに同情します。


「な~んだァ、相変わらずだなァ」に込められた、一夫の皮肉も含む、いろいろな想い、三千代は分かっているのです。

三千代は「明日の朝にするわ!」と、むっとした表情で答えます。一夫の強烈な一言に“淡い迷い”は吹き飛ばされたのです。


こんな男女の、微妙な駆け引きが、すれ違いが、心のヒダが、60数年の歳月が流れても、とても、とても、面白く、普遍なのです。

それでは、今日のところは、これでお終い。

まだ、まだ、“めし”の話しは続きます。

それでは、また。




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