歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

福島・新潟に行って来ました。

2011年10月31日 | 旅の話し
先週と先々週は、月曜日と水曜日の週二回の更新でした。

実は、実は、先々週は水・木で福島県の岳温泉で湯に浸かり、


高原をドライブし、


朝霧の中で煙る紅葉を眺めたりしたのです。



そして、先週は金・土で新潟県は、新潟市内を歩いたり、



早朝、萬代橋を渡ったり、


信濃川沿い遊歩道を河口に向かって、歩いたりしたのでした。


まあ、今朝も、まだ、それなりに、旅の疲れが残っておりまして、“都心歩きシリーズ”はお休みです。

福島の話し、新潟の話し、いろいろあるのですが、“都心歩きシリーズ”も、まだ、道半ば、しっかり、きっちり、片付けてから、綴って行きたいと思います。

それにしても、“岳温泉”はかなり心配です。地震と“原発事件”が最後の“とどめを刺して”しまったような・・・・・・。

それと、新潟ですが、それが、予想外に、とても、とても、素敵な街でした。さすがに、日本海側で最大の都市であり、日本海側で唯一の“政令指定都市”は、伊達ではなかったのでした。

まあ、そんな、こんなは、そのうちに綴りたいと思うのです。

それと、今週末は人間ドックです。


それでは、次回。









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⑦ 赤坂見附で回転展望台に想いを馳せる

2011年10月26日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

迎賓館の脇を赤坂見附に向かって、歩いていると云うか、坂を下っていると云うか、兎に角、今回のコースは、登ったり下ったり、下ったり登ったりの、アップダウンに富んだ、脚を鍛えるには最適なコースなのです。

それで、目指す“赤坂見附”なのですが、何故に赤坂と云うのか? 調べて見ました。
むかし、むかし、迎賓館の辺りは、赤根山と呼ばれ、その“赤”根山へ登る“坂”があった所から、この辺りの地名が“赤坂”となったそうです。

それでは、見附とは何ぞや?
それはです。街道の分岐点など交通の要所に置かれた“見張り所”のことを“見附”云うそうです。

先ずは、軽い“うんちく”でした。

それと、赤坂見附の直ぐ先には“四谷見附”もあります。ここらは、坂も多くあるところですが、見張り所も多いところなのです。むかしは丘陵地帯だったのです。


こちらは迎賓館の“東門”です。和風別館への入り口のようです。正門と比べると、地味で、ひっそりで、あまり使われている形跡がありません。東門と云うよりも裏門の趣。


鹿鳴館から迎賓館で、アジアの国で、西洋風の宮殿で、歓迎晩餐会はフランス料理で、これでは、ちょっとまずい!と思い、純和風での“おもてなし”をと、1974年に別館が建てられたようです。

1974年と云うことは、いまから37年ほど前ですから、つい最近なのです。この門もそのころ新設されたの? それとも、迎賓館は紀州藩の屋敷跡に建てられたのだから、その名残りの門?


瓦には菊の紋章。


監視カメラです。もしかして、わたくし、赤坂御用地から、迎賓館の周囲を、怪しく歩き周り、辺りに向かってカメラでパチパチ撮影しているので、不審者として、ずっと監視されていたりして? それではと、カメラに向かって“ニッコリ笑ってピースサイン”を送ったのでした。余計にヤバイ?


左手にはホテルニューオータニです。あちらは“旧伏見宮邸”の跡地そうです。


こちらのホテルは、1964年東京オリンピックの開催にあたって、1日約3万人の海外宿泊客が予想され、オリンピック委員会と政府の要請で、大谷重工業社長の大谷米太郎が建てたそうです。

業界違いの“鉄鋼メーカー”が何故? 畑違いのホテル業界に?なのですが、まあ、いろいろあったのでしょう。

東京オリンピックは、私が中学1年の時でした。各学校に観戦の割り当てがあり、私は駒沢公園でサッカーの試合を観ました。そのころサッカーは観たことも、やったことも無く、何だか、よく分からない観戦でした。

そのころ日本で初めて高層ホテルとして、ニューオータニが騒がれたことを、うっすら覚えています。てっぺんの回転展望台は、何と、あの、戦艦大和の砲台の回転技術が使われているのです。

その後、わたくしは社会に出て“回転展望台の建設”に関わっていた時期があり、回転展望台には、それなりの思い入れがあるのです。わたくしが関わった、新宿の“ワシントン会館”の回転展望台も、王子飛鳥山公園の回転展望台も、現在は取り壊され、影も形もありません。

それで、こちらもニューオータニ。


そして、下って来た坂は、“紀伊国坂”でした。紀伊国坂と書いて“キノクニ坂”紀州藩上屋敷があったことから付いたそうです。赤根山に登る坂で赤坂、紀州藩屋敷脇で紀伊国坂、一つの坂に二つの名前。

たぶん、赤根山の地名からの赤坂が“先”で、紀州藩の屋敷から付いた紀伊国坂は“後”のような気がします。


そろそろ赤坂見附です。



それでは、また次回。



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⑥ いろいろあった迎賓館

2011年10月24日 | 東京の風景
19日から“ちょっこし”休憩していましたが、赤坂御用地から学習院初等科の前を通り、迎賓館を目指して歩いています。

初等科正門前です。前日、運動会での元気な様子がニュースで流れていました。孫より一年上で、うちの孫にも“愛”の文字が入っているのです。


初等科の前を右に折れると、そこは、もう、迎賓館。


ここで、迎賓館について、少しお勉強です。

1909年(明治42年)に、東宮御所として元紀州藩の屋敷跡に建設されました。しかし、外観があまりにも華美過ぎたこと、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことで当時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかったそうです。

嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められました。

昭和天皇が皇太子の頃の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所としてこの一家の住居となったのですが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることはあまりなかったそうです。


第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館とか、法務庁とか、裁判官弾劾裁判所とか、内閣憲法調査会とか、東京オリンピック組織委員会とか、いろいろな組織が同居しながら、しばらく使われていたようです。


その後、白金台の迎賓館(旧朝香宮邸・現在は東京都庭園美術館)が手狭なので、赤坂離宮を迎賓館とする決定が1962年(昭和37年)に当時の池田内閣で決められたそうです。

現在の迎賓館は1974年(昭和49年)に、108億円をかけて完成したそうです。新装開店後の最初のお客様は、アメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードさんだったそうです


2009年(平成21年)に、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定されたのです。明治以降の文化財としては初の国宝だそうです。


迎賓館も、明治からここまで、いろいろとあったようです。建物内部の参観は年一回、事前の公募で行われているようで、応募しても毎回抽選で、そう簡単には観られないみたいです。


迎賓館から四谷方面の眺め。


前の公園でモデルさんを使って撮影会をやっていました。


全景はこんな感じです。撮影は光線の関係を考えると、夕方が良さそうです。


お客様はお泊まりしていないのですが、一応、パトカーが警戒にあたっているようです。後ろの車両も警備関係なのでしょう。パトカーの後ろで堂々と駐車違反をする方は居ませんからね。


鉄索越しの迎賓館を後に、正門を通りすぎ、突き当たりを右に折れ、赤坂見附を目指します。


高層ホテルが見えて来ました。


この辺りを歩いたのです。


それでは、また次回。


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⑤赤坂御用地は50万平米でした

2011年10月19日 | 東京の風景
一昨日の続きになります。

聖徳記念絵画館を後にして、迎賓館に向かっております。絵画館脇に、こんなものと云うか、こんな木と説明板と石碑がありました。


和名“ひとつばたご”と云う名の木だそうです。これまで60数年生きてきて、まったく持って、初めて聞く、初めて見る、とても、とても、珍しい名前の木です。

俗名が“なんじゃもんじゃ”この言葉は耳にしたことはありますが、いったい、それは、ホントに、何じゃ?もんじゃ? その実態を深く追求したことはありませんでした。ホントに、“なんじゃもんじゃ”とは、何のコッチャ?であります。

何か、いろいろあって、それなりに珍しく、由緒のある木らしいです。詳しくは説明文をお読み下さい。

これが、俗名が“なんじゃもんじゃ”で和名?が“ひとつばたご”の木です。なんかいろいろとあるようで、何か、よく分からない木なのです。


こちらが、“なんじゃもんじゃ”の石碑です。


何か、よく分からないままに先を急ぎます。こちらは綺麗で可愛い花壇、これはよく分かります。


こちらが、絵画館脇の駐車場への入り口になります。左に行くと信濃町駅が直ぐです。逆に言えば、信濃町方向から入って来ると、この駐車場に辿り着きます。


普通車は一日入れても1500円はかなりリーズナブル。


駐車場出入り口を信濃町方向とは逆、右に曲がって迎賓館を目指します。途中にこんな大学を発見。

看板の一番上には、“日本文化芸術センター”その下に、“京都造形芸術大学”と“東北芸術工科大学”とあり、そして看板の下に“外苑キャンパス”とあるのです。

京都の大学と、東北の大学が、ここ都心の青山で、一緒に“外苑キャンパス”を構えているのです。何か、ここも、よく判りません。都心には判らないことが、多々あるようです。


権田原の交差点に出ました。向かい右の林が“赤坂御用地”となります。東宮御所、秋篠宮邸、高円宮邸、三笠宮邸、寛仁親王邸がここにあるのです。総面積は50万8千9百20平方㍍だそうです。

この辺りの地価は1平米で数百万円だそうですから、その50万倍はお幾らぐらいでしょうか? 失礼いたしました。そんな下世話な計算は、とても、とても・・・・・・、でした。


この歩道を渡って、御用地沿いに進み、迎賓館に向かうのです。


ずっと、ずっと、鬱蒼とした、林と云うか、森と云うか、都心とは思えない風景が続くのです。


生け垣も、法面の芝も、石垣も、それは、それは、きっちりと手入れが行き届いています。


ホントに、ホントに、何処までも、こんな風景が続きます。


この先、お巡りさんの立っているところが、東宮御所の門になります。皇太子様、雅子様、そして、可愛い愛子様が、この門の奥でお暮らしなのです。


警察官が立っていると、なかなか門前ではシャッターが切れませんでした。隙を見て門前脇の派出所をパチリ。


キョロキョロしながら歩いている、私の脇を身体に接触し何やら一言呟き、抜き去って行った金髪のジョギング親爺。この御用地は周囲が約3.3㎞で、一周するのに20分程度でしょうかね。


かなりのアップとダウンがあるコースでから、もう少しかかるかも?です。でも、アップダウンと信号で、車の排気ガスがかなり気になります。やはり、都心の空気は汚れています。


このあたり、かなり坂が多いいのです。連れに、翌日、足腰が痛いと、文句を云われてしまいました。地図で見たときには判らなかったのです。ホントに現場に行かないと判らないのです。


“皇宮警察本部赤坂護衛署”に通じる門です。“鮫が橋門”と云うそうです。愛子様は東宮御所の正門からではなく、御用地の中を歩いて、この門から学習院の初等科に通われているそうです。


愛子様は、毎日、こんな風景の中を歩いて、学校に通われているのです。


迎賓館の西門です。迎賓館の正面玄関はもう直ぐです。


こちらが学習院初等科の正門です。御所から“鮫が橋門”までが“300㍍”ほどで、初等科の正門までが“700㍍”ほどですから、通学時間は7~8分位ですかね。

いろいろあると思うけど、一人通学、笑顔で、元気に、頑張ってねぇ、オジサンも応援しています。


初等科の正門前で右に曲がると、迎賓館の正面になります。



それでは、また次回。


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④絵画館は“聖徳記念絵画館”でした

2011年10月17日 | 東京の風景
先週からの続きです。

絵画館の前に出ました。こんなところから、あんな風に、ここに出るとは思いませんでした。銀杏並木の真正面に建つ絵画館なのに、こんな入り方は意外でした。

これまで、見て来た、聞いて来た、情報では判りませんでした。やっぱり、現場に来て、自分の眼で確かめないと、世の中いろいろと誤って認識していることが、多々あるのではと、思った次第なのであります。

広場で元気に駆け回る女の子。バックの絵画館は、どう見ても、国会議事堂のミニチュア版のように見えます。


絵画館の丸いドーム屋根と、丸く刈り込まれた木、それなりにデザインを統一しているのでしょうか。


脇の通路の生け垣も、一定の間隔で丸く刈り込まれています。銀杏並木はみんな先端が鋭く尖っていましたが、ここは、丸く、丸く、治めているようです。やっぱり、尖っていると疲れます。


この丸い木は“白松”と云うそうで、中国では、それなりに由緒正しいところに植えられるようです。


それにしても、面白い木の表面です。“白松”生まれて初めて見ました。


ホントに、議事堂に似ています。屋根だけは議事堂のように尖っていません。そのぶん落ち着くのです。


知りませんでした。絵画館は正式には“聖徳記念絵画館”と云うのでした。明治神宮の外苑にある訳ですら、やっぱり明治天皇に関わる施設だったのです。国民の献金に寄って大正13年に造られたのです。


入り口から見えるステンドグラスが綺麗でした。


受付は若い女性ではなく、かなり怖そうな熟年のオジサンが座っておりました。やはり明治天皇の関係施設ですから、それなりの配慮なのでしょう。今回は時間がないので内部の見学は次の機会としました。入館料は500円だったと思います。


質実剛健の入り口ホール。


天井はこんな風になっています。


この“飾り取っ手?”は、かなり、かなり、重そうで、まさに重厚な造り。


聖徳記念絵画館から見た銀杏並木方面。


再訪を誓って、聖徳記念絵画館を後にします。


次の目的地、迎賓館を目指します。


それでは、また次回。



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③外苑軟式球場は年間3千万ですか?

2011年10月14日 | 東京の風景
昨日の続きです。

銀杏並木の突き当たりに“絵画館”が見えて来ました。


ココに来て始めて判ったのです。銀杏並木は絵画館の前まで通じていなかったのです。軟式野球場が行く手を阻んでいたのです。


いままで、ずっと、ずっと、軟式野球場は並木の両側にあるとばかり思い込んでいました。世の中、その場所に行き自分の眼で確かめないと、いろいろ誤解をしていることがかなり有りそうです。現場を踏むのが大切です!事件は現場で起きているのです?

銀杏並木から絵画館へは、左に行くか、右に行くか、どちらからか迂回しないと到達しません。私達は左りを選択しました。左に行くことは、右回り?で、ナチュラルターン?と云うこと? 何か変?ですね。 


神宮球場の“スコアーボード(そう云うんでしたっけ?)”が見えて来ました。


何か、歩道にベタベタと、何やら怪しいモノが貼ってあるのです。


見ると、本日の「ヤクルト対広島戦」の場所取りでした。プロ野球はスポーツニュースで結果を見る程度の関心です。球場の外では試合前から、ファン達が、こんな光景を繰り広げていたとは、まったく知りませんでした。やっぱり、現場に行かないと判らないのです。


ヤクルトは終盤になって完全に息切れしてしまいました。中日の経営陣の「落合切り」の発表タイミングは、とても、とても、正しかったようです。優勝した後では、とても、とても、でしたからね。

昼間は六大学のリーグ戦?をやっているようです。時折、応援の歓声が聞こえて来ました。


向こうに見えるのが国立競技場です。“乗り方教室”は、もちろん自転車です。


左に入るとこんなお店がありました。


とても、とても、庶民的メニューで、庶民的価格で、いろいろと食べ物を提供していました。こういうお店もあるのです。


グランドから銀杏並木方面を眺めます。都心の、一等地の、草野球場です。ここは草野球のメッカなのです。草野球をやる人は、いつか、きっと、神宮外苑なのです。


グランドは6面あり、2時間単位で借りられるのです。


平日が2時間で“1万円”で、土日休日は“1万5千円”(人口芝は少しお高くなります)だそうです。平日として1試合で一万円だと、2チームで試合ですから、まあ、フツウでも各チームは最低でも10人として、2チームで20人ですから、1万円を20人で割ると一人5百円、2時間たっぷり遊んで5百円はかなりお安いです。

6時から4時までとして、5回転の6面ですから、5×6×1ですから、一日で30万円の稼ぎで、稼働日を年間350日とすると、まあ、約3千万円の稼ぎです。

もし、ここに貸しビルを建てたら、家賃収入は年間で何十億円でしようか? 

何か、とても、とても、意味のないことを計算してしまいました。都心でこの空間、見ていると、つい、くだらないことを考えてしまいます。

それにしても、この土地、明治神宮の所有ですよね? 国立競技場も、神宮球場も、明治記念館も、絵画館も、都心の一等地で、これはスゴイ事ですね。

下世話な事から、キレイサッパリ離れて、気分を新たに、絵画館に向かいます。階段を上がると前庭に出ます。


今日はここまでとします。


それでは、また来週。


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②外苑銀杏並木で“SELAN”を見つめ佇む女性

2011年10月13日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

いよいよです。青山通りのこの先を、左に曲がると銀杏並木、正面奥には絵画館が見えるのです。紅葉の時期に必ずテレビの画面に登場する、東京の名所なのです。

この雑居モールの“シーアイ・プラザ”も、さすがに青山です。一字違いの板橋区の“大山商店街”とはエライ違いです。


しかし、です。眼を凝らして見たら、何と、何と、あの“東北の田舎色”を売り物にする、あの居酒屋“北の家族”です。ココだけは、かなり、“アオヤマ”と云うよりも“オオヤマ的”な空間です。


北の家族は見なかったことにして、銀杏並木に入ります。オゥ!コレです!銀杏並木にオープンカフェ、お洒落な店で、お洒落な方達が、お洒落なひとときを過ごしているのです。


と、思ったら、こちらの店の入り口では開店待ち行列です。店の入り口で行列して開店を待つのは、パチンコ屋ぐらいと思っていたら、お洒落なカフェでも開店待ちですか?

こう云う風景は、とてもお洒落ではないと思います。お洒落な店には行列は似合いません。それに、お洒落な人は絶対に行列など恥ずかしくてしないものです。

こちらの女性も開店待ちのようです。テラスを見つめています。もしかして、このテラスの、あの席で、過ぎ去ったあの日の、あの出来事を、ひとり想い出し・・・・・・何て? 左腕に抱えるコート、どこかかなり遠いところから来たのでしょうか。


兎に角、何か、お洒落な物語が生まれそうなお店です。“SELAN”かなり人気のお店だそうです。ランチは2千円程度から、ディナーは5千円程度から、まあ、青山ですから、それほど高くはないです。 

それで“SELAN”の文字が気になるのです、“セラン”と読ませるそうですが、イタリア語でも、フランス語でも、スペイン語でもなく、ドイツ語でもなく、当然、英語でもないのです。ギリシャ語でも、ラテン語もありません。

【スタッフは朝礼中で、開店まであと15分、開店は11時半】

それで、このセランと云う店ですが、「株式会社キハチアンドエス」と云う会社の経営で、この会社は“熊谷喜八さん”と“(株)サザビーリーグ”の共同出資の会社のようです。

熊谷喜八で・・・キハチ?、何か、どこかで、聞いたような、この業界では有名なような?それで、喜八さんはイタリアとか、フランスとかの料理をベースにした無国籍料理が売りのようです。

“無国籍”で閃いたのです。“SELAN”はもしかして“エスペラント語”では?と思い調べたら、正式言語ではなく派生語として“血清”とありました。レストランの名称が血清では何か変です。

何だか、よく判らないのでした。もしかして、血清は栄養素ですから、食事も栄養で、そんな栄養繋がりで“SELAN”???

それと、“サザビー”の方は、あの“スターバックスジャパン”にも出資している会社でした。兎に角、この会社、いろいろと盛りだくさんの関連会社があり、服飾関係から小物雑貨関係とか、飲食関係とか、欧米のお洒落文化全般で商売をしているようです。

何か、外から見ると、とても、とても、華やかそうな会社です。私から見るとまるで別世界の会社です。青山あたりは、こういう会社がいろいろと、街を演出し、流行をつくり、商売を営んでいるようです。

青山では、犬も外国ナンバーの車に乗っているのでした。


こちらのカフェも開店前ですが、行列はありません。


オープンカフェから自分のお洒落な車を眺めながらひとときを過ごす、これがお洒落だとファション雑誌とか、車雑誌に載っているそうです。


それらを読んで、こうやって車を乗りつけて、眺める人々がいるのです。


向こうの方では、眺める前に愛車を磨いているようです。こんなところでのワックスがけはあまりお洒落ではありません。


慣れない街を歩き、すこし緊張し疲れました。それと、この日はひとりではないので、歩くペースや、関心の赴く先に若干の差があり、いつもよりは疲れるのかも知れません。こちらのベンチで暫しの休憩。


それにしても、この銀杏の先端は、これまでに見たことの尖り方です。これもやはり青山と云う街のなせる技でしょうか。青山では銀杏もお洒落になる?


絵画館が見えて来ました。


表参道の駅を降りたのが10時55分、20分でここまで来ました。


次は、絵画館です。


それでは、また次回。

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①表参道から青山通りを歩きます

2011年10月11日 | 東京の風景
ホントに久しぶりの東京歩きでした。それも、いつもの“端っこ”ではなく、東京の真ん中を歩いたのです。

真ん中を“生”で歩いて見るのは、何と、四十数年ぶりかも知れません。今回、国会議事堂を覗いて見たかったのですが、衆議院は議員の紹介がないと見学できず、参議院は議員の紹介が無くても見学は可能ですが、土日は休館と云うことで諦めました。

国会議事堂は小学校の社会科見学で行ったことがあるのです。その時、誰かが“アッ!池田”と窓から下をのぞき込み叫んだのです。みんなが争って窓から下を覗き込むと、確かに、間違い無く、下には“水が溜まった池”があったのでした。

それで、歩いたのは9日の日曜日です。10日の“体育の日”に、運動がてら、東京を歩くことにしていたのですが、気温が高いとの予報で一日前倒しにしたのです。それでも9日は暑かったのでした。

それで、千代田線の“表参道駅”で降りて、階段を登って地上に出たのです。あの「明治神宮」の表参道です。地上に出て、上を見上げ、後ろを見て、前を見て、右を見て、左を見て、かなりの“お上りさん”状態でした。


やっぱり、東京はスゴイ! 真ん中はスゴイ!のです。店もオシャレ、客もオシャレ、みんなお金持ちに見えるのです。

ヨーロッパの通貨不安とか、不況とか、所得格差とか、放射能汚染とか、少子高齢化とか、財政赤字とか、そんな事とは、何~~も関係ない別世界に見えてしまうのです。


オシャレで、高級そうで、高価そうで、貧乏人には関係無さそうなお店ばかり並んでいるのです。何か、とても“いじけて”来そうになったのです、が、ショーウィンドーに映る我が身を見て、“ウン!俺も、ケッコウ街に馴染んでいる”と、すぐに立ち直ったのです。

“今でこそ関東の外れに住まいを移したけれど、何たって、東京生まれの、東京育ちなのだァ!(かなり東京の端っこでしたけれどね)”まぁ、そんなに、力まなくてもいいのですが、40数年ぶりの生都心、それなりに緊張したりするのです。


ここで、表参道を左に折れて、あの“青山通り”に入ります。


念の為に地図を持っていったのですが、地図で確認するよりも聞いた方が速いと、この交番のこのお巡りさんに確認をとったのです。そうでした、先ず目指しているのは、あの“神宮外苑の絵画館”です。銀杏並木と草野球のメッカで有名なところです。


青山通りです。あまりこの辺はオシャレでは無さそうです。通りに面した土地も歯抜けになっています。これは間違い無く“不況の影”なのであります。


歯抜けの先を眼を凝らして見ると、平屋の民家らしき建物が見えます。青山通りも表通りから一歩入ると、こんな民家が残っているようです。不況の影のお陰で、見通しも、陽当たりも、とてもよくなったようです。


こんな所に“善光寺”です。


ここも歯抜けで、時間貸しの駐車場を営んでいます。1時間400円です。我が“つくばTX”駅前の駐車場は1日最大300円なのです。不況の影の時間貸し駐車場でも、さすがに青山通りです。


こちらは青山通りの自転車屋さん、もしかして店頭の自転車も数十万円と思ったのですが、我が町のホームセンターと同じくらいで、2万9千8百円の自転車が並んでいました。

きっと店の奥に飾られているのは、高価なイタリア製とかフランス製とか、何たって青山通りですからねェ・・・・・・? でも、何か、店の名前が、安物を売るスーパーに名前が似ているけど・・・・・・。


ホント、大都会、ここで青山通りは緩やかにカーブします。


あの“伊藤忠商事”の前です。親子連れも、青山ぽっいです。


向かいの店を見て、一瞬オドロキました。青山通りで、伊藤忠商事の前で、牛メシの松屋です。


そして、一瞬、また閃いたのです。伊藤忠と云えば、牛丼屋に資本参加していた筈、もしかして、松屋かもと思ったのです。しかし、後で調べたら吉野家でした。それも、今年の1月に全株売却していました。不況の影です。中国での合弁会社はどうしているのでしょうかね。そんなことは私が心配することではありませんでした。

青山通りの、伊藤忠商事の、向かいの松屋で、伊藤忠商事の社屋を眺めながら、食べる牛丼の味は、なかなかケッコーなお味かも? 青山通りで牛丼、“株式会社松屋フーズ”もなかなかやります。

オシャレな店です。上に銀杏並木の先端が見えて来ました。


店の先を左に曲がると、いよいよ絵画館前の通りになります。

このあたりを歩いてきました。



次回は銀杏並木に絵画館です。


それでは、また次回。



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⑦映画“利休”儚く、空しく、侘びしく、ものの哀れ

2011年10月10日 | 映画の話し
一昨日の続きです。

秀吉は“権力奪取”に利休の茶の湯での権威を利用し、利休は茶の湯での“権威を確立”するために、秀吉の権力を利用していた。

そして、秀吉は頂点に上り詰めたところで、利休に切腹を命じました。

“茶の湯”は、戦闘集団の武士階級に、趣味と実益を兼ね備えた、とても便利な道具であり、嗜みであり、貴族階級を真似る、教養であり、文化的な習い事であり、趣味道楽であった。

兎に角、支配する側は、単に武力や財力だけではなく、支配される側に、支配されることを、当然と思わせる、理屈とか、見た目とか、仕組みとか、そういったものが、必要なのだと思うのです。

貴族階級から、戦闘集団の武士階級に権力が移り、武士階級も貴族階級のように、思想とか、文化とか、教養とかで、自身の飾り付けを必要としていたのです。

茶の湯と云うと、先ずは飲む場所として、部屋の設計で建築関係、部屋のデザインで室内装飾関係、茶菓子で料理関係、そして、茶席での衣装で服飾関係で、つまりは衣食住となるのです。

それに、茶碗で、お皿で、陶器関係、それに、茶釜で鋳造関係、それに茶道具で雑貨関係?と、それに掛け軸で絵画美術関係、日常生活の全般から芸術関係まで、いろいろと関わってくるのです。

と、云う事は、それら全般を選ぶ、いろいろな、趣向とか、好みとか、そして、そのような環境での、所作とか、立ち振る舞いとか、会話とか、価値観とか、そんなことになるのです。

それで、利休ですが、彼が、これまでの茶の湯で使われていた豪華絢爛の、高級で高価な茶道具から、安価で身近な素材へと伝統を断ち切る改革を行った利休。

すべてを削ぎ落とし、質素で簡素な“わび茶・わびの草庵”に傾いていったのは何故なの? どうしてなの?です。

先ずは、第一に、お茶が持つ特性が関係しているのでは?と思うのです。

お茶を飲むときは、ゆったり、ゆっくり、落ち着いて、気楽に、和やかに、緊張をときほぐし、のんびりと、一口飲んで“フゥー”と、息を吐き、気分を休めるときに飲むのがフツウです。

利休以前、戦国以前の茶の湯は、キンキラキンの部屋で、高価高級の器で、貴族階級が中心の儀式であり、地位の象徴であったのだと思います。

そして、次に、武士達による戦乱の時代を経過し天下統一が成され、時代は混乱から平穏に移り始め、茶の湯は地位の象徴から、日常雑事から離れ、気分を休め、静かに、世の中の移ろいに想いを馳せる空間へと、変化を望む時代的要求があった?と、思うのです。

それで、利休の“わび茶・わびの草庵”ですが、天下統一を目前にして、光秀によって葬られた信長、信長後の権力闘争、それらを身近で見ていた利休。これが第三です。

これは、当然、権力の、人間の、世の中の、“儚さ、空しさ、侘びしさ”を、とても、とても、感じていたと思います。

これらのことで、低く、狭く、質素の、“わび茶・わびの草庵”に繫がって行ったと、そう思うのです。生まれるべくして生まれた、利休のわび茶。

それにしてもです。いまの茶の湯と云うか、茶道と云うか、裏千家とか、表千家とか、そんな茶道界と、政界とか、経済界とか、学術界とか、芸術界とか、どんな関係にあるのでしょうかね?

利休後は、切腹のトラウマで、権力に寄り添うと云うか、権力の庇護の下で、それなりの役割を担って来た茶の湯。

今でも、権力とは寄り添っているの? もしかして、そも、そも、そんな発想じたいが成立しないのか?

数年前、高級そうな和服で着飾った淑女達を、池袋の護国寺の境内の茶会で見かけたのが、茶道を身近に見た最後でした。

それにしても、映画“利休”は、日本を代表する傑作のひとつだと思います。


最後は、かなり結論をいそぎましたが、これで、“利休シリーズ”を終わります。


それでは、また次回。


※次回からは、久しぶりの! 東京です!。それも、中心、ど真ん中、神宮外苑、迎賓館、永田町、六本木、赤坂、なのです。

久しぶりにタイトル通りの“歩く、見る、食べる、そして、少し考える”記事になりそうです。


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田舎で少しだけの秋

2011年10月08日 | 季節の風景
田舎で、



















少しだけの秋でした。



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