歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久を歩く “蜂印香竄葡萄酒”とは?

2009年01月30日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

いよいよ、記念館に入ります、兎に角、真っ暗、写真は明るさを調整してあります、実際はもっと暗いのです。

入ると右方向に大きなワイン貯蔵用の樽が両脇に並んでいます。何となく、甘い香りが漂っていたような、いなかったような・・・・・・。


正面突き当たりを左、二階に上がる階段があります。


上がると、また突き当たり、踊り場を左です。


この階段を上がると展示室、


暗闇の中に並ぶ樽の前を通り抜け、周りの壁は煉瓦造り、木製の階段を上がり、暗闇の中に浮かび上がる、レトロ感たっぷりのポスター。

もう、気分は、明治そして大正に。この髪型は、もしかして? あの“二百三高地髷”では? たぶん、そうです。


それにしても、ポスター左肩の“蜂印香竄葡萄酒”の「竄」が気になります。「竄」は「改竄」の「竄」で良い意味では使われません。
       
香りを改竄した葡萄酒? 展示室の説明で、そのうち「竄」の真相が明らかになるかも?

それで、展示室ですが、中年前期の男と女、平日の午後、二人の様子から観光客ではありません。


何か仕事で近くに来て、帰りにちょっと立ち寄った雰囲気。二人は直ぐに居なくなりました。

私が、パチパチ写真を撮るのが気になる様子でした。暗闇の仲、怪しい二人連れ、何か、もしかして、只ならぬ仲?・・・・・・考えすぎ?


こちらの方こそ、シャトーカミヤの創設者“神谷傳兵衛さん”です。神谷と云えば、浅草の“神谷バー”もこの人が開いたのです。


神谷バーと云えば、“電気ブラン”です。それもこの方が造ったのです。日本に洋酒を広めた方なのです。

神谷傳兵衛さんは、安政3年(1856年)に現在の愛知県幡豆郡一色町で生まれたそうです。

傳兵衛さんには「天性の商才」があったそうで、24歳のとき浅草に「みかはや銘酒店」という、にごり酒の一杯売りを開業したそうです。

安い酒の一杯売りはこの方が最初に始めたらしいです。そして、洋酒が好まれ始めると、今度は、葡萄酒に「目をつけ」たそうです。

展示室には、まだまだ、いろいろとあります。

この続きは、次回とします。


それでは、また来週。


※それで、ちょっと追記なのですが、話は変わりまして、今週27日のアクセス数が何と“638”もあったのです。

もしや、このブログも遂にブレークしたと思ったのですが、翌日が“220”で、昨日が“171”で、徐々に平静さを取り戻しています。

ブレイクしたのは、去年の10月27日に書いた「朝の連ドラ“だんだん”慣れてきました」に、“569”も集中していた事が原因でした。

どこで、何が、あったのでしょうか? それにしても、その時に覗いた人は、その時だけだったようです。

それにしても、27日は、ブログを始めて3年目にして、ランキング“512位”に登場したのです。ランキングは1000位までが表示されるのです。

兎に角、「一度はランク入り」と思っていたので、それなりに、そこそこ嬉し事件でした。

世の中で話題になっているネタを扱うと、アクセス数は確実に増えます。でも、やはり、自分の好きな事を取り上げるのが一番楽しいのです。

いつの日にか、“地味ネタでランク入りを”と思う、今日この頃です。

そんな、こんな、でした。

                以上


コメント

牛久を歩く “シャトーの煉瓦!煉瓦!煉瓦!”

2009年01月29日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

記念館の見学です。


こちらは記念館脇にある“ワイン販売所”です。帰りに覗くことにします。


いいですねェ~、ホント!赤煉瓦は、落ち着いちゃいますねェ~。


窓の上の“アーチ”の曲線がいいです。このアーチを造る時は先ず木枠を組み、その上に煉瓦を並べて組み上げるのでしょうか。


記念館ですが、煉瓦造りが気になります、入る前にちょっと外回りを見学したいと思います。


半円の窓、白い木製の窓枠、外壁の煉瓦と、窓枠周りの煉瓦の色が異なります。材質が違う? 焼きが違う? 製造年代が違う? 

それとも、デザインにメリハリを付ける為に、意識的に異なる色合いの煉瓦を使った? 

それとも、煉瓦を焼く、時間、温度の差が、年代を経て色の変化に差を生じさせた?


まぁ、細かいことは、と云っても、細かいことが気になったりして・・・・・・。


見て下さい、窓枠のコーナーからひび割れが!


記念館よりも、販売所の建物の方が傷みが酷いようです。100年以上も耐えてきたのですが、明らかに差が生じています。

これは、煉瓦の違い? 煉瓦職人の技能の違い? それとも、もしかして、建物の方向の違い?

そう、方向かも知れません。記念館と販売所は建物の長手方向が90度異なるのです。百年の間、何度も地震で揺さぶられ、震動方向での有意差が生じた?

兎に角、記念館の看板です。


ワインの貯蔵用の樽の出入り口の大扉。


煉瓦に緑が似合います。


換気と採光ですかね。


鉄枠は最近取り付けたのでしょう。観光客の落下防止でしょう。


底は、薄暗く、じめじめしてシダが生い茂り、怪しさ、危なさが漂っています。


これも通風口?


昔は、ガス灯? アーク灯? それとも、灯油? 


灯油と書いて、この歳になって、恥ずかしながら、始めて気が付きました。“灯油”とは、照明用としての、“灯す”油だったのです。

現在、灯油は暖房用です。我が家でも灯油ストーブを使っています。18リットルで990円です。リッター55円。

話が日常雑事的方向に逸れてしまいました。記念館の見学は次回とします。


それでは、また明日。




コメント

牛久を歩く 着きました“シャトーカミヤ”です。

2009年01月28日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

駅前から牛久市の代表的な観光名所を目指します。

駅の側なのですが、田舎っぽさが漂う通りです。突き当たりを右に曲がります。


道なりに歩きます。


カッパのマンホール! 「かっぱの里・うしく・おすい」です。“おすい”が“汚水”であ事に気付くのに一瞬間がありました。


平仮名の“おすい”、漢字の“汚水”、ここは、やはり平仮名の勝ちです。汚水は見ただけ、聴いただけで“バッチイ”です臭ってきます。

それにしても、この“カッパマンホール蓋”は、牛久市内で始めて見ました。後にも先にも、この一枚だけでした。

もしかして?他の蓋は無彩色で気付かなかった? ここだけ、特別に彩色された“特別彩色仕様おすい蓋”だったのでしょうか。

もうすぐ、目的地に到着です。ミニスカの女子高生は狙って撮った訳ではありません。偶々です。下校時間にぶつかったのです。

もしかして? 駅裏の、浅間神社の、脇の坂を上がっていた、あの時の二人連れ? まぁ、それは、イイとして、目的地の看板が小さく見えます。

そうです! 牛久と云えば、これです! 


“牛久シャトー”です。“牛久シャトー”だと思っていたら、最近?は、正式?には“シャトーカミヤ”と云うそうです。

それでは、シャトーの中に入りますも、入場料はいりません無料です。入ってすぐに目に付くのがこれです。


“最後の晩餐”です。タイルに彩色して焼き上げたのでしょうか。何で、ココに、“最後の晩餐”なの?

晩餐には“ワイン”が付き物でから、“ワイン繋がり”でしょうか?


煉瓦造り、洒落ています。異国情緒です。


1903年(明治36年)に造られたのですから、今から105年前です。去年6月に国の重要文化財に指定されたそうです。

へぇーと思いました。もう、だいぶ前から重要文化財に指定されていると思ってました。


105年前にこの建物を見た“一般庶民”はビックリしたことでしょう。何たってついこの間まで“ちょんまげ”を結っていた時代ですから。

それにしても、あの時代に。こんな建物を造れるのですから、ワインを醸造して、販売して、相当に儲けたようです。


この奥の建物が元醸造工場です。今は記念館?、資料館?


中庭にを囲んで、レストラン、ベーカリー、ワインの販売所なんかがあります。


元醸造工場は“神谷傳兵衛記念館”と、なっていました。


さて、記念館を覗いてみますか。

この先は、次回とします。


それでは、また明日。

コメント

牛久を歩く “駅前で空を見つめる子供達は?”

2009年01月27日 | 牛久市の風景
昨日の続きのような、そうで無いような、兎に角、牛久を歩いています。

やっと、常磐線牛久駅前に到着しました。こちらは、水戸街道の反対側で、方角的に東口になるのでしょうか。

ありました! 駅前のブロンズ像、よくある子供の像です。しかし、よくある“可愛い子供達”とは、ちょっと違うようです。

女の子と、男の子が二人。女の子と腰掛けている男の子は、どちらが年上なのか判別出来ません。身体の大きさから、同級生の友達のようです。


男の子二人は兄弟で、女の子は、お兄ちゃんと同じクラスの友達かも知れません。

それにしても、この女の子は、左手を腰にあて、右は何かを掴むように相当力が入っています。


そして、3人は空の一点を見つめています。


眼に迷いがありません、3人そろって一つの目標に向かっています、強い意志を抱き、何が何でも成し遂げそうです。

意志の強さは伝わるのですが、意志の中身が見えてきません。この子供達、ボンヤリ眺める事を憚る空気を辺りに漂わせています。

子供だからと侮れません。ホントに、とても、可愛げのまったく無い、特に女の子の立ち姿が異様です。

君達、もっと身体の力を抜いて下さい、見ていると疲れます。こんな緊張した子供達を誰が制作したのでしょうか?

“嫌なガキ”に見えてきたので、素早く立ち去りました。何たって子供は可愛くなくちゃねェ。

すぐ脇にある、誰も居ない広場。ガラスケースの掲示板が壁に並んでいます。


何も貼られていない掲示板。コンクリ打ちっ放しの壁、雨に打たれ、流れ出た鉄骨の錆び、落ち葉、苔むし腰の曲がった老木。


それでも、ここで何かのイベントが開かれると、それなりに華やぐのでしょう。普段は、ひっそり、寂しく、静かに、賑わう時を待っているのです。

静かな駅前を離れ、辺りの様子を探ります。

有りました! “十割そば”


そば粉十割がァ!、そんなに旨いのかァ! 

すいません。つい興奮してしまいました。どうも“十割を売り”にするそば屋を見ると、過去の悪夢が蘇るのです。 

でも、しかし、価格を見て驚きました、十割としては安いのです!

じっくり、落ち着いて眺めてみました。店の外観、店内の様子、どう見ても“立ち食い”の雰囲気。


立ち食い蕎麦、スタンド蕎麦で、“十割”なのです。ホントに?

立ち食いは“早い・安い”がコンセプトです。客は味わいよりも、安く早く、空腹感を満たすことを求めています。

旨い蕎麦を食べたい時は、それなりの店で、それなりの雰囲気で、それなりの料金で、ゆっくり味わうのです。

それなりで無い店で、それなりで無い雰囲気で、それなりで無い料金で、慌てて喰って、どうするの?

まぁ、兎に角、それにしても、十割を看板に掲げる蕎麦屋に旨い店はありません、材料はあくまでも材料、美味しくするのは“加工技術”なのです。

技術で材料をカバーするのは可能ですが、材料で技術をカバーするのは難しいのです。

まぁ、そんな、こんなを考えながら、牛久と云えば、もう! ココ!と、云った場所に向かっています。

それでは、また明日。


コメント

“規制緩和横綱”朝青龍の“復活”は無し、そして稀勢の里。

2009年01月26日 | 相撲の話し
初日を見て、12日に「朝青龍“優勝”そして“引退”の予感」を書きました。

そして、昨日の千秋楽、本割りで白鳳に敗れ、決勝戦で勝ち優勝でした。

しかし、土俵下でのインタビューでは、私が、予想?、期待?した“引退”ではなく、“復活”を表明しました。

とても残念です。これで、優勝して引退は無くなりました。

今場所は、世間の“冷たい眼”を“追い風”にして、気力、体力、経験のすべてを振り絞り、勝星を重ねてきたのです。

こんな場所を何度も繰り返す事は出来ないのです。すべてを、絞って、絞って、もう、絞り尽くしての勝利でした。

私の“陰ながらの応援”も今場所でお終いにします。これ以上の悪役人気は大相撲をダメにします。

“一番ダメ”になるのは、朝青龍です。あの体調、あの稽古不足で優勝したのですから、これから益々、図に乗って、これからの、発言と行動が、世間の許容限界と、私の許容限界を超える事は間違いありません。

いつまでも異端児の人気を頼りの興行は終わらせる時です。

世の中、規制緩和でやりたい放題で経済は破綻しました。

相撲協会も、“規制緩和横綱?”を頼りに興行を続けてきました。このままでは破綻は目前です。

朝青龍人気は、“相撲ファン”とは関係無い、“お騒がせ好き”達が、相撲も判らず、勝ってに騒いでいただけです。

もう、そろそろ、まともな相撲ファンを相手に、まともな力士を育てないと、将来は真っ暗になります。

世の中は不況です。野球界も、サッカー界も、財政状態は悪化しています。しかし、相撲界は、他の業界よりも財政基盤はしっかりしています。

ここは一つ、“単なるデブ”ではなく、身体能力の高い日本人を相撲界に入れるチャンスです。

そろそろ、日本人横綱が必要です。

武蔵川理事長、立ち会いに“イチャモン”を付けて、新機軸を打ち出す事は止めにして、日本人横綱養成計画を早急に取り組んで下さい。


それにしても、“そこそこ勝ち”、“そこそこ負け”の“稀勢の里”は、もう、すでに、“元大関候補”として定着しました。

“稀勢の里”は本当に残念でした。


ちょっと、本人に似て?、分かりづらいのですが、牛久市の市庁舎前に立つ稀勢の里の幟です。

みんなで応援しているのですが、幕内上位程度の実力だったようです。

横綱への期待は最初からムリだったようです。

もう、これからは、期待に答えなくてもイイです。気楽に取って下さい。

・・・・・・、ここまで書けば、やる気を出すかも?

稀勢の里に必要なのは、15日間、全ての取り組みで、勝つことに対する執着心と、どんな相手にも全力で立ち向かう闘争心です。

その二つがあれば、“技”は付いてくるのです。

やっぱり、稀勢の里に期待するしか・・・・・・・ないのです。素質だけはあるのに・・・・・・。

今日の、“牛久を歩く”は、牛久の“稀勢の里”のお話でした。


それでは、また明日。




コメント

牛久を歩く ”レストランはカレーと華麗”

2009年01月23日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

牛久駅を目指して歩いています。

インド料理の店が新規開店です。


高~い塔に掲げられた看板には、“プリンス インド レストラン”に、“プリンス”と“インド料理”の看板。

店の入り口の上に掲げられた看板には、“インド家庭料理”とあります。“プリンス”が店名なのでしょう。


家庭料理で“プリンス”ですか? 何かとても違和感があります。それにしても、今時、ずいぶん花輪を並べたものです。遠くからは絶対に“パチンコ屋”だと思われます。

こちらインドレストランと比べて、ぐっとシックで、そして“華麗”なレストラン。


黒の外壁に、白の窓枠、そして、鮮やかな赤のドア。


ドアの前に立ち、金色のドアノブを握り、真っ赤なドアを開けるとき、かなりドキドキ感がありそうです。

この外観から、内装もそれなりに凝っているのでしょう。そして、出される料理は、外装にも、内装にも、負けない、ワクワク、ドキドキの華麗なる料理の数々?

“今日のランチ”は1000円です。ニッポンとイタリアとフランスの合体メニュー。

デザートに“ぷち”を付け、お客様に過大な期待を抱かせない、細かな配慮がなされています。店側の、それなりの、誠実さを感じます。


“本日のランチ”の表現と、どちらに高級感、お洒落感、美味しそう感、お手頃感、お得感、満腹感があるのか?

う~ん。“今日と本日”には、そういう諸々感とのつながりは・・・・・・?、無さそうでした。

そんな、つまらない事を考え考え、駅に向かって裏道を歩いていると、疎らな木々に囲まれた“浅間神社”が現れました。


参道の鳥居の前には、参拝者の行く手を阻む違法駐車。そもそも、ここは交差点で駐停車禁止区域です。

神をも恐れず、道路交通法をも恐れず、大胆で不敬で不法な行為です。きっといつの日にか、神罰と罰金が課せられる裁きの時がくるでしょう。

それにしても、参道の石段の雑草具合から、訪れる参拝者はかなり少ない様子。


わたしは、石段をあがり、小さな祠の前でお賽銭を入れ、参拝してまいりました。

神社の脇の坂道を上がると駅前に出そうです。女子高生の二人連れを追いかけるように坂を上がります。


やはり、駅前に出ました。


牛久市の玄関に辿り着きました。何があるのでしょうか?


それでは、また明日。


いや、今日は金曜日なので、また来週でした。


コメント

牛久を歩く “市の重心は東側”です。

2009年01月22日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

牛久の市街地に入り、そして狭い路地を歩いています。

住宅地の突き当たりをみると、柵越しに覗くと何故か「電信柱」が林立しているのです。


何じゃこりゃ?と近づいて見ると、


遠くに、時々町中で見かける、あの作業車とあの作業服が、


あれは、関東?では名の知れた電気工事の「関電工」です。でも、ここは、工事現場ではありません。

林立する電柱の多さ、遠くの作業状況、これはもしかして、関電工の「作業訓練場」かも?

広場の端には、宗教色を感じさせる、獅子と、石碑と、十三層塔が建っています。


かなり危険な作業もあるため、工事で殉職した社員に対する供養施設でしょうか。

広場の様子を窺いながら柵沿いに表通りに出ます。かなり立派な建物。


やっぱり、関電工の「教育研修センター」でした。こんな牛久の、こんな処に、こんな施設があるとは、まったく知りませんでした。


関電工の前には、とんかつ屋さん、


斜め前には、フィットネスクラブが、この辺は、駅からかなりの距離があります。


牛久の町は、常磐線を土浦方面に向かって、左側に水戸街道があり、右側には幹線道路がなく、それほど開けていないと思っていたのです。

でも、しかし、右側の市街化は、奥へ奥へと、広く深く進行していたのです。常磐線に平行して広い通りが何本か市街地を通っているようです。

市役所も、牛久郵便局も、常陽銀行も、つくば銀行も、牛久シャトーも、みんな、みんな、こちら側にあります。

牛久市の“重心”は右側(東側)にあったのです。

とんかつ屋とフィットネスクラブの間を抜けて駅前を目指します。こんな、マンションが、


でも、しかし、マンションのすぐ先には、こんな風景が、なのです。


道の先には、市民の森。まだまだ緑が残っています。


この解説板を眺めていたら、


ホンモノの蜘蛛が!


自分のことが載っていない事に気付き、自らの身を晒しているようです。

森を抜け、視界が開け、遠くに高層マンションが見えてきました。あの下辺りが牛久駅です。


これから、牛久の中心街になります。

それでは、また明日。




コメント

牛久を歩く “暴力追放宣言都市”

2009年01月21日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

“ふれあい通り”を歩いています。

牛久市の「広告塔?」です。外装の鉄板が吹き飛んで、錆びた鉄骨が覗いています。寂しい風景になっています。


「平和宣言都市」とか「暴力追放宣言都市」とか、市町村がそんな宣言をやっているのよく見かけます。だいぶ昔からの流行のようです。

それで、“暴力”の方なんですが、偶に見かけるのです。飲食店なんかの入り口に「暴力団関係者及び、身体に入れ墨のある方の入店はお断りします」何て貼り紙。

あれって、もし、該当する方が入店して来た場合、どう?応対するのでしょうか?いくら何でも

「オィ!外の貼り紙が読めないのか? さっさと出て行け!」何て、とても、とても、云えませんよね。

暴力団だから、彫り物を入れているから、何て理由で入店を断るのは人権問題にならないのでしょうか?

暴力団は周りが勝ってに呼んでいるので、本人達はそのように認識していないので問題無いと思います。

しかし、「入れ墨」と云うより、「彫り物」関係者にとっては、明らかに人権侵害にあたると思うのです。

そのことで、関係者が裁判に訴えた話は聞いた事が有りませんが・・・・・・、まぁ、あの貼り紙は単なる“お呪い”なんでしょう。

それにしても、あの貼り紙は何故か「その筋関係」の飲食店に見かける気がします。あれは、もしかして、その筋関係で何か別な隠語的な意味があるのでしょうか?

その筋、あの筋関係はこれくらいにして、カラオケ店の隣が焼き肉店。それなりのパターンです。

映画館があって、焼肉店があって、ホテルのパターンもあります。


信号を左に曲がります。


季節創作料理とあります。清澄の文字を見て「ちゃんこ屋」さんと思ってしまいました。


清澄→白河→両国→国技館→大相撲→ちゃんこ・・・こんな連想です。

でも、HPを見たら、和風レストランで、懐石料理がメインのお店でした。ちゃんこ屋さんではありません。

しかし、和風で懐石なのに!ですよ! 店の真ん前の、真っ赤な幟に、白抜きで“ハンバーグ”です。ハンバーグの威力は相当なものです。

清澄の前には、お煎餅屋さん。この「将門煎餅」は我が家では有名なのです。しかし、こんな処に支店があったとは知りませんでした。坂東市に本店があります。


煎餅はとても堅焼きなので、かなり歯が丈夫でないと危険です。私は最近、ここの「揚げ餅」が気に入っています。

この日は、店を横目で見て通り過ぎ、脇道に入りました。町中は脇道、裏道、狭い路地がイイのです。

この先は、次回。

それでは、また明日。

※本日よりブログのデザインが変更になりました。私の意志ではありません。見た目をあまり変えたくないので、最小限の変更にしました。

行の幅に写真のサイズを合わせてみました。写真が大きくなり、見やすいと思います。

只、見る側の設定条件で、文字の大きさ、写真の大きさが変わるので、見た目がどうなるかは判らない点もありますが・・・・・・。

まぁ、そんな事でした。


コメント

牛久を歩く “店仕舞の風景” 

2009年01月20日 | 牛久市の風景
昨日の続きです。

狐につままれた思いを残しつつ、“女化道標”を後にします。

田舎町?の、町はずれの、街道沿いの、建て売り住宅。そこそこ売れているようです。それなりに、今風のデザイン。


こちらはアパート、色使いもデザインも派手です。ここは、田舎町、町はずれ、街道沿い。


こちらも、よく見かけるデザインのアパート。ニッポン全国みんなこんな風になって来ます。


こちらは「店仕舞」した不動産屋でしょうか? 屋根の上に「プレハブ小屋」を乗っけて、看板なのでしょうか“LOVE”の文字。


「愛」だけでは、経営は成り立たなかったのでしょう。それにしても、すべてがバラバラの印象。

店仕舞した居酒屋。こちらは「リキ」が入り過ぎ。


ここで左折します。


こちらの建物、一部蔦に被われ、全ての窓に観葉植物が並べられ、室内の様子を窺うことができません。


こんな環境では、陽も当たらず、湿度は上昇し、躰には良くないと思って見ていたら「細胞呼吸学園」とあります。


学校のようです。「スーパー呼吸法」であらゆる病を治すそうです。呼吸法も良いけど、この中で吸い込む空気は、躰にとても良くない気がします。

まぁ、それなりの構えですから、それなりの学園なのでしょう。でも、私には、「へぇー。何だか、とっても、良さそう」何て事で、ドアを開け中に立ち入る勇気は湧きません。

いつまでも眺めていると、「何だか、とっても、悪そう」なので、立ち去ります。向かいは「只の食品スーパー」です。スーパーの先を右折します。


広い通りに出ました。


「ふれあい」です。最近、ホントにいろいろなところに、この言葉が「くっついて」います。


「ふれあい通り」と云っても、行き交う人達が皆さん、ふれあい、触りあっている訳ではありません。知らない人に勝手に触れると警察に連れて行かれます。

店仕舞したガソリンスタンド。


“ラブラブ洗車”とあります。やはり、経営戦略に誤りがあったようです。


お隣も、店仕舞した“お好み焼き屋”です。


メニューがあります。


“もんじゃ”もやっていたのです。


「お好み焼き」と、「もんじゃ焼き」の価格差30円は、水分量のようです。それにしても、お好み焼きに、水を加えたら「もんじゃ焼き?」

この発想の安易さが、経営のすべてに現れ、そして店仕舞へ・・・・・・。

価格は低く目に設定されている感じ? まぁ、現物を見て、味わってみないと判りませんが。


ここまで歩いて来て、不動産屋に、居酒屋に、ガソリンスタンドに、お好み焼き屋・・・・・・いろいろなお店が、“店仕舞”をしていました。

“この辺にも”と云うか、“この辺だから”と云うか、“そんな、ことだから”と云うか、それなりに不況感が漂っていました。

私の方は、ただボンヤリ、気楽に漂っています。

まだ、まだ、牛久をウロキョロ歩きます。


それでは、また明日。


コメント

牛久を歩く “女化道標は狐の悪戯”

2009年01月19日 | 女化道標問題
先週の続きです。

カントリーラインを左折して、牛久の市街に向かって歩いています。

道の傍らに“南無阿弥陀仏”と刻まれた石を発見。


道が二股に分かれる分岐点。


脇に牛久市教育委員会作製の説明板があります。「女化道標(どうひょう)」とあります。「どうひょう」の振り仮名の語感と、辺りの風景とに隔たりを感じます。

「どうひょう」よりも「みちしるべ」の方が、「田舎道」に相応しいと思います。


まぁ、それは兎も角、分岐点の道標を観察します。


表面に、「宝暦・・・、南無阿・・・、左りゅうがさき、右わかしば・・・」と、説明書きにはあるのですが、


確認できるのは、「すぐ」と、


「道」の3文字だけで、他は判読できず。


それではと、裏側を見ると、「南無阿弥陀仏」、「宝暦十四年」の文字が鮮明に彫られています。


でも、しかし! 説明書きには、


“すぐは水戸道・・・・・・”と、書かれているのです。

そうなのです! 「説明書き」と「現物の道標」は逆になっているのです。

分岐点の道標ですから、こちら側が当然に表面です。地理的方向も間違い有りません。


道標の「表と裏が逆」になっているのです! 

ここで、道標を見つめ考えました。何たって「女化」の道標です。狐に「つままれた」可能性が考えられます。

じっくり、落ち着いて、何遍も、何遍も、説明書きを読み、「オモテは、ナムアミダブツで、ウラはスグニミトミチ」と、呟きつつ、何遍も、何遍も道標の裏表を確認したのです。

この後ろ姿の女性、遠くからずっと、道標の周囲をウロツキ、しゃがみ込み、覗き込む私に不審の視線を送りつつ、通り過ぎて行きました。


思わず、後ろ姿の女性に向かって、

「おじさんは怪しくありません! 怪しいのはこの女化道標です!」と、小さく呟いたのでした。

それでも、何か? 狐に“つままれている???”・・・・・・・、そんな気が今でもしているのです。

たぶん?原因は、道路の拡張とか整備工事の際に道標を移動し、工事終了後に裏表を逆に設置したと思われます。

たぶん? アルバイトの「ヒロシ君」が、先輩の「吉田さん」から、

「おぃ。ヒロシ!生コン流す時あの石じゃまだから一旦、退かせ!」と、云われて、方向など気にせずに引き抜いたのです。

そして、何日かして、型枠を外し、

「おぃ! ヒロシ。退かした石、元の場所に埋めとけ!」

「ハィ。判りました吉田さん」

「終わったら、昼飯だ!ヒロシ」

何て事で、退かした時も、何も考えず、戻した時は昼飯に何を食うかだけ考え、道標を埋めた可能があります。

道路工事は「土木課」の仕事、土木課も工事で道標の移動は想定していなかった為に、教育委員会へは連絡していなかった?

工事で道標が移動された事を知っているのは、「吉田先輩」と「アルバイト」の「ヒロシ君」だけ?

まぁ、そんな、こんなを想像させる、何とも、よく判らない、とても怪しい、女化道標なのでした。

それでは、また明日。


コメント