歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

過活性膀胱で遂に・・・でした!

2012年02月29日 | 健康
前々回がイボ痔で出血で、前回が血糖値でした。

そして、とうとう云うか、遂にです! あの、恐れていた過活性膀胱で噴出してしまったのです。

ホントに、ホントに、お恥ずかしい話しなのです。

先日の日曜日でした。

車が家に近づくに連れて、尿意が高まり、一回目は気を逸らして抑え、二回目は気合いで抑え、家の玄関のドアを開きかけた時、三回目の尿意を力ずくで抑えにかかったのです。

しかし、しかしです。トイレにあと一歩と云う処で、私の意志に反して、バルブが開いてしまいました。いつの日にか“こんな事態”を迎えることは、うすうす覚悟はしていたのですが、それなりにショックでした。

思い起こせば、数年前より、尿意を自分の意志でコントロールすることが、徐々に、徐々に、難しくなっていました。最近では、途中がなくて、突然、満タン信号が出るようになったのです。

尿意はまったく感じていなくても、水道の蛇口をひねって水を流すとか、帰宅してドアの鍵穴にキーを入れるとか、すると突然、トイレに行きたくなったりしたのです。ほんのチョッピリ、一滴くらい漏れたりもしていたのです。

これは、もう、過活性膀胱の典型的な症状です。そして、今回の“事態”です。これは、もう、治療を要する段階に入ったと覚悟を決めました。

事態が発生したのが26日の日曜日、その日は、ネットで近所の“泌尿器科”を検索したのですが、診療所で泌尿器科を掲げているところは、2件しかなく、それも、診察科目の記載順番が、後半の5、6番目で、これは、あまり、と、思い、総合病院の泌尿器科に決定しました。

総合病院だと、紹介が無いと診察料金が2千円ほど高くなるのですが、この際ですからこれは、もう、仕方がないのです。

そして、翌月曜日の9時半、総合病院に向かったのです。受付でいろいろと用紙に書き込み診察カードが発行され、泌尿器科の窓口に提出し、問診票に症状を記入し、尿検査のカップを手渡され、指示に従い50ccほど尿を注ぎ、窓口に提出。

そして、予約無し診察の14番で、待つこと2時間半、やっと、診察室に入りました。医師に事情を説明し、質問を受け、超音波で前立腺、腎臓の検査を受け、「過活性膀胱です」と診断が下されました。

「飲み薬を28日分出します。副作用として、のど乾いたり、便が固くなったりすることが」
「エッ! 便が固くですか、今、イボ痔の治療中なのですが、もう、前も後ろも大変なんです」
「そうでしたか、判りました、便を柔らかくするオクスリを出しておきます、状況を見て服用して下さい。副作用は女性に出やすく、男性は、たぶん大丈夫だと思います」
「はい、便の状況により、適宜、使用します。ありがとう御座いました」
「お大事に」

と、云うことなのでした。

ホントに、後ろはイボ痔で、前は過活性膀胱、そして、血糖値も高く、眼は飛蚊症で、耳は耳鳴りがするし、徐々に老人になりつつあります。高齢者は医療費がかかるのです。

この日の病院は月曜日の所為で、他の診療科目も大変混雑していました。ざっと見、待って居る患者の90%が、老人と、老人一歩手前の方々でした。

少子高齢化、年金も医療も、もう、とっくに崩壊している?

貿易収支の赤字、家電も、自動車も、高度経済成長の担い手だった各企業も赤字決算、これから、夢とか、希望とか、明るい未来とか、どこにいってしまったの?・・・です。

でも、しかし、富はこれまでに十分過ぎるほど蓄積されており、問題は配分だけとの説もあります。

原油の価格高騰も、食料価格も、金価格も、円高も、タブツイタた富が、短期の利益を求めて“投機”に走っている為との説もあります。投資よりも投機です。

たぶん、それが1%対99%の反乱なのです。それにしても、ウォール街の占拠騒動は収束してしまったの? でも、フクシマ原発は収束していません。

このニッポンでも、富の配分を変えれば、医療も教育も年金も、すべて“タダ”でやっていけるとの説もあります。

不景気は、この地球上の“資源やお金”が、好況時よりも減少したのではなく、お金が回らなくなっただけなのです。

国会では、“税と福祉の一体改革”が議論もされずに、政局として叫ばれています。どこが一体なのか?“増税”だけが明確で、長期展望も無く、いったい?何考えてるの?

ホントに、消費税を10%にしても、20%にしても、何も解決しない事は、政治家も役人も百も承知なところが辛いのです。

既得権益で身動きが取れないの? この際、西で威勢よく騒いでいる、アンちゃんに国政を任せ、ニッポン国の崩壊を加速させて、もう一度、一から出直すのが、とっても、近道に思えてくる、今日この頃なのです。

そして、今日は、朝から雪、ビークは夕方で10㎝だそうで、晩酌前の一仕事、雪かきで汗を流したいと思っております。


それでは、また。





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HbA1cが正常値で血糖値が“133”でダイエット効果は?

2012年02月28日 | 健康
実は、何にを隠そう、わたくし去年の11月の人間ドックの結果、“糖代謝異常”で要精密検査となっていたのです。

“ヘモグロビンA1c”数値は「5.2%」でとても正常なのですが、空腹時の血糖値が正常値の110mg/dL未満を、かなり越えて「132」なのでした。この結果は、かなり変なのです。

フツウはです。血糖値が110mg/dL未満でヨカッタ!ヨカッタ!と思ったら、“ヘモグロビンA1c”の数値が6%を越えていて、これはアブナイ!アブナイ!となるのです。

“血糖値”は、測定した“その時”の糖代謝の状態であり、“ヘモグロビンA1c”の数値は1ヶ月~1.5ヶ月過去に溯った糖代謝の状態を表しているそうなのです。

と、云う事で、最近の糖尿病業界では“ヘモグロビンA1c”重要視するそうなのです。

それで、私の場合ですが、過去の糖代謝は正常で、たまたま、人間ドックの“その日だけ血糖値が高かった”と、解釈できる訳です。

それでも、何か「132」の数字は気になるし、判定結果の糖代謝の欄には、“D2”とあり、“要精密検査”となっており、“コメント欄”には「空腹時血糖値が高く、糖尿病が考えられます。内科を受診して下さい」とあるのです。

こんな事を書かれると、やっぱり気になるのです。今から10年ほど前にも、血糖値が「136」になった事があり、その時の体重が69㎏でした。

その時は体重を5㎏落とし、翌年からは、“血糖値”が110~120程度で“HbA1c”は4.8~5.4で“ギリ正常”に戻ったのです。そして10年、体重は常に64㎏前後で維持していたのに、今回の「132」だったのです。


※1995年から2012年のデーターです。“糖尿病学会”において“HbA1c”を重視するようになったのは、ここ数年のように思います。95年が「6.1」96年が「6.4」でしたが、血糖値が「103」だったので、問題視されませんでした。

そして、去年の11月より強い意志と決断力と科学的裏付けを持って、ダイエットに挑んだのです。

第1は“糖質”の摂取を半分に減らしたのです。ご飯茶碗を小さな器に買い換え、朝、夕のご飯の量を半分にしました。昼の食パンは2枚から1枚にしました。その分、おかずの摂取量を多少増やしたのです。

それと、午前10時と午後3時にコヒーを飲むのですが、午前のコヒーには血糖値を下げる“シナモン”を入れて飲むようにしました。

それに、“ためしてがってん”で採り上げていた“エノキ”をミキサーで攪拌し冷凍したものを毎日一個、味噌汁に入れて飲むことにしました。

そして、そして、これが一番の変化なのですが、朝食と昼食の後、血糖値の上昇が始まる前、食後30分程度経過したところで、40分から50分のウォーキングを始めたのです。

その結果は、驚きでした! 1ヶ月で4㎏も減量できたのです。11月から始めたダイエット作戦、その戦果を引き下げ、胸を膨らませ、先日、血糖値の検査に挑んだのでした。

ところがですよ! ダイエットの効果はまったくと云っていいほど無かったのです。血糖値は「133から132」で誤差の範囲。“HbA1c”は「5.2から5.1」で誤差程度の変化でした。

これまでは、体重を管理すれば血糖値と云うか、糖代謝を管理できたのですが、今回は、そうはいかなかったのです。それに、血糖値は異常で、“HbA1c”は正常値と云う現象が、二度連続したのでした。一度であればたまたまですが、この現象は如何?にです。

結果について、年格好は三十歳の前半から後半の女性医師が、ロン毛をかき上げ、黒のレギンスの脚を組みつつ、云うには「血糖値が“敏感”なのかも・・・・・・」と、判ったような、判らないような回答でした。

「栄養指導を受けますか」と聞かれ、「はぃ、暇ですから受けてみます」で、翌日の11時から栄養士の指導を30分受けたのでした。

栄養士も、血糖値のコントロールはカロリーコントロールで、カロリーコントロールは体重のコントロールです、4㎏ダイエットしての「血糖値とヘモグロビン」の結果には、“う~ん????”なのでした。

いろいろ話した中で、わたしが「アルコールは血糖値の上昇を抑える」と云ったら、上昇を抑える効果については初耳だったようで、但し「血糖値の下降速度を遅くする見たいですよ」とは云っていました。

この言葉、帰宅後に、もしかしたら?と思ったのです。最近、アルコールの量が多少増えていたのです。これは、アルコールは血糖値を上昇させないと有る本で読んだのです。それから、そうか!そうか!で安心して摂取量が増えていたのです。

その増えた分が、食後の一杯だったのです。血糖値検査の前日も、風呂から上がって寝る前に、テレビを見ながら焼酎のお湯割りを一杯飲んでいたのです。

たぶん、10時過ぎまでかも知れません。そして、翌日の血糖値検査、血糖値の下がる速度を遅くする効果が数値に出たのかも?と思ったのです。

もしかして、去年のドック前夜も、チョット一杯だったかも?なのです。

3月26日に再度、血糖値と尿の検査を受ける事になっています。その時は、前夜はアルコールを抜いてみようと思います。

ドックの前日は以前は禁酒をしていたのですが、このところ数年間は、実生活の状況そのままの方が、実生活に即した、真実の、データーが出ると、前夜もアルコールを摂取していたのです。

そんな、こんなで、排便の出血時には、周囲はダイエットの効果で痩せたのでは無く、もしかして、痩せた原因は、排便時の出血と深い関わりがあるのでは?と、疑われたので、こちらも、それなりに“イボ痔”と判明するまでは、とても心配だったのです。

前回はイボ痔で、今回は血糖値で、そして、まだ、健康関連と云うか、老化関連と云うか、もう一つ、身体関係で異常が発生しているのです。

その件は、次回とします。


それでは、また。



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排便時に出血がァ~!イボ痔でした!

2012年02月24日 | 健康
いャ~~~参った!驚いた!です。

22日でした。排便後、ウオッシュレットして拭き取った後の、ぺーパーの表面を確認したらです。ホンノリピンク色の部分を発見したのです。

もしかして? イャ、眼の錯覚かも、それでは、もう一度と云う事で、今度は丹念に肛門に数秒押し付けペーパーを確認したら、一円玉程度の大きさでピンク色に染まっていたのです。

まさか!? そんな!? もしかして!? でした。

出血は初めてでは無かったのです。これまでは、便が固くて、太くて、肛門を通過する時に、フンバッテ、イキバッテ、これは、切れたと判るのです。そして、ウオッシュレットの水が当たると、とても、とても、傷口に、染みて、染みて、痛かったのです。

それがです。今回は、それほど?固くも無く、太くも無く、フンバッテ、イキバッテも、それほどではなく、染みる事も無く、痛くも無かったのでした。

出血して、痛くも無いと、云うことは、です! これは、とても、とても、ヤバイ事では?もしかして“直腸癌?大腸癌?S字結腸癌?”では?では?と、かなり、焦ってしまったのです。

でも、でも、それは、考えすぎ、去年の12月に大腸の内視鏡検査では、小さな、小さな、直径2ミリのポリープが2個見つかり、切除したばかりだし、他に異常な病変はなかったのだし、大丈夫、大丈夫、と自分を励ましたり、慰めたり・・・・・・。

兎に角、先ずは、冷静に落ち着いて、現状把握、2~3日は様子を見てから、と云うことにしたのです。

そして、翌日の23日の朝、朝食後、便は固からず、柔らからず、色と云い、太さと云い、長さと云い、とても、とても、健康そうで、出血も無く、ヨカッタ!ヨカッタ!なのでした。でも、昨日が、昨日でしたから、不安は消えません。

そして、迎えた、本日の朝、便の状態は一昨日に近く、ぺーバーは一円玉程度の大きさで、ホンノリ桜色に染まっていたのです。

これは、もしかして、もしかして、です。これは、もう、早急に白黒つける時だァ!と、決断しました。

9時半過ぎに、もしかして、もしかして、ヤバイ病気だったらどうしよう?と、思いつつ、12月に検査をした、肛門専門の病院に向かって車を走らせたのです。

10時に到着して、受付を済ませ、待つこと1時間。「57番の方2番の診察室にお入り下さい」とのアナウンスで診察室に入ったのです。

そして、状況を説明し「ハイ、それでは診てみましょう」で、ベットに横になり、パンツを下ろし、膝を抱えるようにして、「ちからを抜いて、チョット我慢して」の声を聞きつつ、肛門に何かが挿入されるのを感じつつ、「ハイ、終わりました」で、パンツを上げて椅子に座って、結果を待ちます。

医師が撮影した写真を見せつつ、「軽い、いぼ痔ですね、重大な病気ではありませんから、心配しなくても大丈夫、塗り薬を2週間分出しておきます」で終わったのです。

ホントに、ホントに、イボ痔で! ヨカッタ!ヨカッタ!でした。

そして、会計で1920円を支払い、外の薬局で薬代880円を支払い、ヨカッタ!ヨカッタ!と帰ってきたのでした。

皆さん、イボ痔は水をかけても痛く無いそうです。切れ痔に水をかけると、とても、とても痛いのです。

兎に角、出血したら、お医者さんに診察してもらいましよう。

そんな、こんなで、ブログの更新も途絶えていたのでした。

以上で、出血の話しはお終い。


それでは、また、来週。


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新潟市⑭ 湊町通り干し大根の哀愁

2012年02月20日 | 旅の話し
先週からの続きです。

4日ぶりの新潟市内歩きのお話です。

そして、今日で最終回です。14回目で終わるのは、何となく切りが良くないと思うのです。でも、前回は第四(し)銀行でしたので、これでお“し”まいです。

それで“みなとぴあ”ですが、博物館の本館と税関庁舎は、残念ですが時間がないので、外観だけを眺めて、また今度と云うことにしました。

これから、ホテルに戻り、帰路にに着くのです。ホテルへの道は、勘を頼りに歩きます。ホントは、気の向くまま、脚の向くまま、裏通りを漂いたかったのですが、連れも居るし、時間も無いし、最短コースを辿ることにしました。

“みなとぴあ”を後にします。さよなら、又、来ます


税関庁舎のてっぺんが見えます。


兎に角、こっちの方と、歩きます。


“おばあちゃんの居る風景”好きです。


“赤屋根銀バス”とは異なる外観のバスを発見。地味な通りに派手なバス。


ありました! こういう木造板張りの外観がとても好きなのです。工場のような、倉庫のような、風に、雨に、雪に、陽に晒されて、灰汁がが抜け、味わいが出てくるのです。


木造瓦葺き、今は使われていない明かり取り、鉄格子、白漆喰、はめ殺し?


この晒され、打たれ、朽ちていく色合いが懐かしい。


今日はひとり歩きではありません。あまりのんびり眺めていられないのです。

路面に、湊町通りの標識を発見。


湊町51番地なのでしょうか。“港町13番地”は“ひばり”です。


小さな八百屋さんの軒先に、


大根のようです。


こちらは、まだ水分が、


右側の大根が、風にさらされ、陽に晒されて、左側のように干し上がるのでしょう。この完成品?は売り物?それとも、自家消費分ですか? これは何と云うものなの?どうやって食べるの? 切り干し大根は知っていますが、丸干し大根に近い切断具合は?沢庵漬け用にも見えません。


商品のディスプレーがイイ感じです。


はじめて町、はじめて裏通り、小さな八百屋さん、人知れず? 軒先で、ひっそりと干される大根たち、こんな新潟の風景が、とても、とても、イイのです。


こちらの大根たちは、まだ、まだ、みずみずしく元気そうですが、そのうち、いつの日か干からびてしまうのです。干し大根は北の町の哀愁です。


尖り屋根がランドマークです。あちらの方向に目指すホテルがあります。


あれが“ラフォーレ原宿”のビル? しかし、その名を、見て聞いて驚きました。


兎に角、尖り屋根を頼りに、ホテルに到着。駐車タワーから車を出して駐車料金500円を払い、1時過ぎに新潟を後にしたのでした。我が家に到着したのが6時過ぎ。

やっぱり、還暦過ぎのオジサンには、地図で見ていた時よりも、新潟は遠かったです。

一泊二日の新潟旅行。もっと、もっと、見たかった、歩きたかった、今考えると何で、もう一泊しなかったのか悔やまれます。

今度は、本町も、新町も、古町も、東掘通りも、西掘通りも、川端も、白山公園も、いろいろ歩いて見たいし、タレカツ丼も、イタリアンも食べたいのです。

そして、フェリーで佐渡島にも・・・・・・。

まあ、次の楽しみです。

ホント、いつか、きっとです。


これで、新潟のお話は、お終い。


それでは、また。

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新潟市⑬ “おおさど丸”が半回転します

2012年02月16日 | 旅の話し
昨日の続きです。

奥のテーブルに座ります。

着席して四方を眺めると、写真を見て抱いていたイメージより、こぢんまり感があります。


いつの間にか、ビジネスマン風の男が二人、テーブルを一つ隔て先で仕事話しをしていました。


天井など眺めていると、先ずは、


オードブル、


そして、スープ、


そしてメインディシュ、私は“山形庄内豚のソテー シェリービネガーソース”で¥2,100

※食べ始めてから撮り忘れに気付いたので、とっちらかっています。

連れは“真鯛とホタテ貝のソテーエピス風味のアメリケーヌソース”で¥2,300


食事をしていると、連れが窓の方を指さして「船がァ!」と小さく叫んだのです。ふり返り窓の外を見ると、大きな、大きな、船が、ゆっくり、ゆっくりと入港して来るのが見えたのです。佐渡汽船のカーフェリーです。

船が見えた途端、何だか、落ち着かないのです。早く外に出て、船を見なければ・・・・・・なのです。

デザート、


そして、最後のコーヒー。


そうでした、ランチのお味ですが、銀行建築の重厚な存在感には、相当な料理でなければ負けてしまうのです。ここは、料理の味を楽しむと云うより、食事の雰囲気を楽しむ場所なのでした。

銀行建築に気を取られ、カーフェリーに気を取られ、料理には集中できないまま、ランチは終了しました。まあ、素材、味付け、器、盛りつけ、サービス、価格、フツウのランチでした。

兎に角、外へ出て、カーフェリーです。先ほど芝生で戯れていた親子とは別の、


カワイイ女の子がママと“お船”を眺めています。久しぶりに見る大型船に興奮します。


早いです、もう、出航です。船首を海に向けるのです。その場で180度回転するのです。これは初めて見ます。


ホントに、ホントに、間近で見ると、大きいのです。


“おおさど丸”です。


連れも、間近で大型船を見るのは初めてと云って多少興奮気味です。


こちらは、パパと兄妹。


子供は船を見ると、手を振るのです。還暦を過ぎたオジサンも振りたかったのですが、チョット気恥ずかしいので止めました。


日本海に向かって進む船を見送りながら、いつの日にか、きっと、あの船に乗り、佐渡へ渡って見ようと思ったのでした。


昨日は、“日本海に沈む夕陽”に感動し、今朝は“C57ぼんえつ物語”の汽笛に驚き、そして、今、“おおさど丸”を見送り、佐渡への旅を、連れと誓い合ったり・・・・・・。

一泊二日の短い旅でしたが、夕陽に、蒸気機関車に、大型カーフェリーに、そして、それなりに美味しい料理を頂き、それに、新潟市の運転マナーの良さを目にして、なかなか、良い旅でした。

何て、綴っていると、これで、新潟旅行話しも、最終回の雰囲気になって来ましたが、何故か、まだ、あと、1回あるのです。


こっちこそ!新潟の町と云うか、これぞ!新潟の町と云うか、そんな写真が未だ残っているのです。わたしとしては、こんな風景の方が、とても、とても、好きなのです。


それでは、また。

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新潟市⑬ 旧第四銀行住吉町支店を見学

2012年02月15日 | 旅の話し
昨日の続きです。

それで、旧第四銀行住吉町支店の内部に入ります。

“ぽるとカーブドッチ”でランチを頂くのです。“ぽると”はイタリア語で港でした。フランス語でポート、そう云えば、あっち、こっちに、ポート○○とか、○○ポートとか、何て云うのがありました。

“カーブドッチ”と云うワイン屋さんが経営する、港を望むレストランなのです。

入り口です。壁は大理石で、天井は真っ白な漆喰。


元銀行のカウンターも大理石。


床はタイル貼り。傘立てのビニール傘がチョットです。


電話は個室です。そもそも、電話なんてものは、個室で密かに、周囲に聞こえないように、静かに話すものでした。携帯電話が普及してから、周囲を無視して大声で話す愚か者が増えました。


ワイン屋さんですから、いろいろ並んでいます。


なかなかイイ感じです。


広く、高く、真っ白い天井。この白さは解体移築時の色ですが、これは、これでイイものです。歳月が経過して、白さに陰りを見せ始めると、また、それは、それで、イイ味わいになるのです。


テーブルには、客の姿はありません。開店前なのです。


銀行強盗がカウンターを乗り越え侵入して、札束を強奪するのを防ぐ柵です。それなりに装飾が施されているのがイイです。ホント!歳をとると、昔のものが、古いものが、何でも愛おしく見えてくるです。


でも、しかし、やっぱり、今の銀行建築では、居抜きでレストランの営業には無理があります。やっぱり、造りに遊びが無いのです。それに、内装材に化学工業製品を多用しているので、歳月を経過すると、劣化が進行するだけで、最後には単なる産業廃棄物になってしまうのです。


そろそろ、開店しても・・・・・・。


準備が整った様子なので、店に入ろうとしたら、“開店は11時半からです”とキッパリ云われてしまいました。入り口には準備中とかを告げる札も、進入を防ぐ鎖も、立て看も、特に有りませんでした。

時計を見ると11時25分でした。5分位で!何で!役所かァ!と一瞬、ムッと、したのです。歳をとると、気が短くなるのです。

連れの“モゥ!なに考えてるの”との視線をこちらに向けて、“もう少しだから、あっちで待ってョ”と云われたのでした。

それで、あっちの資料室で、ビデオで解体移築の様子を見たり、


こんな写真と説明とか、


こんな説明と写真とか、


こんな写真とか、


こんな欠片とか、スイッチとか、コンセントとか、


天井の漆喰の欠片とか、シャッターの巻き上げ機とか、


現役の真鍮製のドアノブとか、いろいろ眺めて時間をつぶしたのです。まあ、それは、それで、ケッコウ楽しかったのです。


11時半を少し過ぎたところで、従業員の女性が開店を知らせに来ました。


いよいよ、一年以上前から決めていた、“ぽるとカーブドッチ”でのランチタイムです。


今日は、ここまで。


それでは、また。

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新潟市⑫ “みなとぴあ”の洞窟へ

2012年02月14日 | 旅の話し
先週からの続きです。

信濃川河畔の遊歩道を歩いています。

朱鷺メッセの前では、浚渫作業が行われています。川は自然のに任せておくと川底にいろいろ堆積物が溜まるのです。

人間が手を加えないと川幅は広がって行くとか、流れを変えるとか、川が勝手気ままと云うか、それが自然の営みと云うのか・・・・・・、いろいろあるのです。


対岸に見えて来ました。佐渡汽船の船着き場? ジェットフォイルの姿も、カーフェリーの姿もありません。


船着き場の向かい、いよいよ目的地に到着です。“みなとぴあ”です。


この姿、歴史を感じるなかなかの建物なのですが、つい最近の建物です。


この姿、何度も、何度も、写真で見ていて、初めて会ったとは思えないのです。


典型的な“銀行建築”です。こちらは、それなりに古い建物なのです。


広い芝生には、ママと幼児が日向ぼっこです。


ママが帽子を被せても直ぐに取ってしまうのです。うちの孫もこの頃は帽子が嫌いでした。奥に見えるのが、それなりに古い“税関”の建物。


ホントに、ホントに、平和でカワイイ風景です。ヨチヨチ歩いていました。


ここは“新潟市歴史博物館”で、愛称?を“みなとぴあ”と云うそうです。敷地には、本館、銀行建築、税関、等の建物があるのです。


こちらが本館。明治41年の大火で焼失した市役所をモデルにした最近の建築です。外装は、木造モルタル造りの“二代目市庁舎”にならって、モルタルで装飾を施したそうです。


2代目は“木造”で“石造”を装った、“仮面建築”だったようです。


こちらが、明治2年の竣工当時の姿を残す“新潟税関庁舎”


一昨年の“新潟旅行計画”では、到着した日のランチを、この“旧第四銀行住吉支店”の中にあるレストランでと思っていたのです。しかし、時間的に無理があり、二日目のランチにしたのです。


こういう、重くて、厚くて、頑丈で、装飾を施した建物は、銀行に向いたデザインなのです。お金が“唸って”いそうに見えるのです。やっぱり、機能だけでは味気なく、いろいろ遊びのあるデザインの方が、見ていて楽しく寛げるのです。


“だいよん”ではなく“だいし”と読ますそうです。“四”は“死”に通じるとして、“し”と読まないのがフツウですが、“ナンバー銀行”としては、「いち・に・さん・し・・・」、となるの?それとも、新潟訛りですか?


いよ、いよ、建物内部に入ります。


“ぽるとカーブドッチ”でランチを頂きます。

“Porto Cave d'Occi”だそうですが、“Cave”は洞窟で、経営者が“落 希一郎”と云う方なので“d'Occi”ですかね。“Porto”は、スペインはマヨルカ島の洞窟のあるポルトから?

まぁ、店名の詮索はそのくらいにして、ランチタイムです。


それでは、また。




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新潟市⑪ スマートウェルネスシティーにいがた!?

2012年02月09日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

運転マナーの良さに感激しつつ、その先のバスターミナルを覗いてみました。

写真奥の方から歩いて来て、ふり返って撮っています。

手前より、イイ匂いが漂って来たので店を覗いたら、今川焼きの“焼き台?”の脇にスライスされた“沢庵”が皿の上にのって置かれていました。これは、もしかして!? 新潟では!沢庵を!今川焼きの中に!???と思ったのです。

でも、看板を見ると“大判焼き”と“おにぎり”の両方を商うお店だったのです。たまたま、今川焼きの脇に、沢庵が置かれていただけだったのです。

“イタリアン”が新潟の名物ですから、もしかして?と思ったのですが、いくらなんでも、そこまでは・・・・・・でした。

それと“大判焼き”と云う名前ですが、私としては、どちらかと云うと“大判焼き”よりも“今川焼き”と呼ぶ方に馴染みがあります。今川焼きの大きいのが“大判焼き”と云う説もあります。この店は、どちらかと云うと“中判焼き?”

“大判焼き”と“おにぎり”を食べながらバスを待つ・・・・・・。なかなかの風情です。


赤い屋根にツヤ消しの銀バス。この、“しみじみ”とした色彩は、荒れ狂う波、舞い上がる地吹雪、海岸線をひた走るローカルバス・・・・・・・、とても絵になります。哀愁です。演歌です。

ベンチに腰掛けるオジサンも、とても“しみじみ”していました。


しみじみとした薄暗いバスターミナルの外は、大きな青い空で、とても爽快です。


重量感のある萬代橋。


良く整備された信濃川沿いの遊歩道。毎朝歩きたいです。


“ウォーターシャトル”乗ってみたかったのですが、ちょっと時間が合いませんでした。


広く、広く、青い、青い、空に、高く、高くそびえる朱鷺メッセ。


漁船です。途中“ここは港とです”の標識がありました。直ぐそこは日本海なのです。


“ウッドデッキ”もあったり、


定員12名のこんな船とか、


こんな標識があったりします。かなり歩いたと思っていたら、まだ1㎞だったのです。

※この標識の“スマート・ウェルネスシティー”なんですが、これは単に、新潟市が考えたキャッチコピーでは無く、かなり、いろいろと、深く、広く、いろいろと事情がありそうなのです。


“柳都大橋”の橋の下から覗く朱鷺メッセ。


フツウに眺める朱鷺メッセ。


“新潟テレビ21”のスタジオ。


消防艇?


新潟消防局の消防艇です。放水銃がカッコイイです。


こちらは?


“漁業取締船”何てものがあるのです。どんな仕事をしているのでしょうかね。


“取締船”の後ろは、集魚灯があったり、


網を引き上げる装置があったり、こちらは“取り締まられる側”のトロール船でしょうかね。


目指す“みなとぴあ”はもうすぐです。


きょうは、ここまで、これから、“スマートウェルネス”の関係を調べます。何か?面白そうな匂いがするのですが、でも、勘がハズレるかもね。

それでは、また。


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新潟市⑩ 素敵な人が多く暮らす素敵な街

2012年02月07日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

SLを見て汽笛を聴いて感動して、お土産を孫に送って、ヨカッタ!ヨカッタ!で新潟駅を後にします。

駅前を来た時と同じ、球状に刈り込まれた花と、風にそよぐ柳の脇を通って萬代橋に向かいます。それにしても、この球状に刈り込まれた花は珍しいです。たぶん、見るのは生まれて初めてです。


途中からメインストリートを外れ脇道に入りました。この方向を行けば、きっと萬代橋へは近道の筈です。


青い空に銀杏。色づくまでもう少しです。柳都と云われるそうですが、銀杏もそれなりに植えられています。


それで、この交叉点なのですが、信号が青になっていたので、待つことなく横断していた、その時です! 向かい側に左折の合図をしてタクシーが、交叉点のかなり手前で停止しているのです。


交叉点の手前ですよ! こちらとの距離、速度の差から、当然、タクシーが目の前を横切って行くものと思ったら、タクシーはハンドルを左に切らず、こちらが横断歩道を渡りきるのを待って、左折し走り去ったのです。

その時、もしかして客待ちで停まっているのか?と思ったほどです。あの距離であれば、わたしでも歩行者の横断を待たずに左折した筈です。

歩行者を優先するにしても、ハンドルを左に切って横断歩道の直前で、歩行者が渡るのを待つのが普通です。これですと、歩行者としては、かなり“オィ!モタモタしてないで、サッサト渡れッ!”との、無言の圧力を感じてしまうのです。

この“交叉点かなり手前停止方式”は、とても、とても、人の気持ちに優しく、柔らかく、心地よく、これならまだ“ニホンは大丈夫”何て気持ちにしてくれました。

実は、ここまで褒めちぎったのは、これが初めてではなく、昨晩、食事の後の散歩でも、この日、駅に向かって歩いて来た時も、経験しているのです。最初は単なる偶然だと思っていたのですが、三回も経験したのですから、これは、もう、偶然ではないと二人で確信しました。

新潟市には、せかせか慌てず、ゆっくり、おっとり、他人を思い遣る、やさしい心を持った、とても素敵な人達が多く暮らす、とても素敵な街なのだと、思ったりしたのです。

新潟市は、横断歩道を渡るだけで、とてもイイ気分にさせてくれる、とてもイイ街なのです。

心残りは、渡っているときに気付いていれば、車に向かって笑顔で挨拶をしていたら、もっと、もっと、イイ気分になれた筈でした。ホントに残念至極。一泊の旅では、まだ心が柔らかくなっていなかったのです。

でも、少しでも、こういう気持ちになれるのも、非日常の旅のお陰かも知れません。

ホント、新潟に来てヨカッタ!ヨカッタ!です。ホント、旅に出てヨカッタ!ヨカッタ!です。これが、三つ目の“予定外”だったりして?

いゃ。まだ、まだ、イイ予定外がありそうな気がします。


新潟市民を褒めちぎったところで、本日は、お終い。


まだ、まだ、新潟歩きは続きます。


それでは、また。

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新潟市⑨ “SLばんえつ物語”に遭遇

2012年02月06日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

新潟駅の構内に入ります。入ると直ぐに改札口。


旅人?が改札口より出て来ます。孫と同じ年格好の可愛らしい女の子も居ます。


この列車で到着したのでしょう。


わたくし、新潟駅は一度だけ、このホームの、この辺りを歩き、狭く暗い改札口の、その先に広がる、新潟駅前の、こんな景色を、垣間見た記憶がボンヤリとあるのです。

あれは、15、6年前の事だったでしょうか?上越新幹線から羽越本線に乗り換え、鶴岡駅近くの“ある音響メーカー”に一人仕事で来たのです。朝一の新幹線を使って日帰りも可能だったのですが、夕方の鶴岡着で一泊出張にしたのでした。それほど煩くない会社だったのです。

それで、そのとき、帰りの列車で、斜め前に進行方向を背にして、年格好は30歳後半の女性が窓側に腰掛け、まさに、鉛色の空と鉛色の海を見つめていたのです。季節は冬、女性は黒のジャケットに黒のスカート、喪服のように見えました。

在来線の鈍行列車、車窓には荒れ狂う冬の日本海、海を見つめる喪服の女、これはもう、誰が、何と云おうと演歌の世界です。わたしは女性に気付かれないように、時折それとなく海を見つめるふりをして、女性の様子を窺い、いろいろと想いを巡らし、酒の肴にしてひとり旅を楽しんだのです。

まあ、そんな想い出の新潟駅なのでした。もしかして、そのときのその想いが、今回の新潟旅行のキッカケかも・・・・・・知れません。

まあ、そんな、こんなに想いを馳せつつ、辺りの様子を観察します。こちらは佐渡汽船の運航表です。一時間に一本程度の間隔で船が出ているようです。


ウロウロキョロキョロしていると、構内アナウンスが流れ、蒸気機関車の出発案内を告げているのです。出発時間まで10分ほど、これは、もう、見なければなりません。ちょうどその時、巡回する警察官が眼に入り、SLが見える場所を教えてもらい、早速その高架通路に向かったのです。

居ました!初めて見る、ナマの、ホンモノの、現役の、蒸気機関車です。


C57-180です! 新潟と会津若松間を走る“SLばんえつ物語”です。


出発合図の汽笛、初めてナマで聞きました!もう!驚いた!なんの!耳鳴りが暫く残る、ものすごい迫力です、久しぶりの興奮です。出張らしきスーツ姿のビジネスマンも、脚を止め携帯を向けていました。


この煙の匂い、とても懐かしかったです。


何とも、蒸気機関車は、


眼にも、


耳にも、


鼻にも、心地良いのです。


興奮冷めやらぬまま、二人で、暫く、後ろ姿を見つめていました。丁度良い時間に駅について、予定外にSLの発車に遭遇し、感動し、運がヨカッタ!ヨカッタ!と、喜び、いつか、きっと、二人で、あの汽車に乗ろうと話しながら、後ろ姿を見送ったのです。

昨日は、予定外の“日本海に沈む夕陽”そして、今日は予定外の“SLばんえつ物語”との遭遇。今回の旅は、なかなか良い予定外があるのです。“二度あることは三度ある”です、あとひとつ予定外の楽しいことがあるかも?

SLの後は、駅に来たのですから、お土産の物色です。新幹線側の駅ビルを覗きます。

この店の名前、何処かで見た覚えがあります。ショーケースに並ぶ“瓶詰め”を見て思い出しました。先日、姪から送って来た、イクラ、鮭、貝柱の瓶詰めでした。そうか!そうか!そう言う値段か・・・、と思いつつ、他の店に向かいました。


おみやげは、もちろん!カワイイ孫に送るのです。あられ、お煎餅、おかき類が好きなので、ここにしました。孫は辛党なのです。


連れが、宅急便の伝票を書きます。

これで、明日にはお土産が配達されます。

さて、お土産は送ったし、次は、萬代橋に戻り、川辺を歩きます。


それでは、また。


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