歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

お葬式で読経の声を耳に平均余命を考える

2014年02月27日 | 雑談
先日の22・23日、母の弟で、弟は長男で、その次女である、従妹が55歳で亡くなり葬儀がありました。

母は長女で下に、2人の弟と、2人の妹がいて、四家族で7人のいと子がいました。7人のいと子は、男が1人、女が6人です。

3年前に、一人だけの男の従弟が、これも55歳で亡くなり、今回も55歳で亡くし、同じ数字が並ぶゾロ目は、何となく、注意の歳のような、そんな気がしないでも無い?

まあ、従弟は自死で、今回の従妹は肺癌でした。2年ほど前に癌が見つかり、一時は危なかったようですが、一年ぐらい前からは通院治療で、ほぼ通常の生活に戻っていたと聞いていました。

二人に一人は癌に罹り、三人に一人は癌で亡くなる確率のようですから、ホントに身近な病気なのです。でも、ホント、病院に行って癌を宣告されたら、かなりのショックだと思います。

父が癌で手遅れと、母から聞かされた時、ホントに、ドラマのように、辺りが暗くなったような気がしました。いまから30数年も前の事です。当時、本人には病名は伝えないのが主流でした。周りが知っていて本人だけは知らない、この状況はかなり辛いものがあります。

棺に横たわる従妹の姿、そして、遺影を見つめていると、人間、歳を重ねても、それなりに幼い頃と、あまり変わらない表情を残しているものだと、思ったりしたのでした。

人間、生まれて来たら、いつかは、必ず、必ず、命は途絶えるのです。間違い無く死ぬのです。でも、10代、20代、30代の頃は、自分に絶対に死は訪れない、と、思っている筈です。まあ、人生観、宗教観にもよるでしょうけど・・・・・・。

40代になり、50代になり、それなりに、時々は、死を考えたりするのです。そして、そして、私のように、60代になると、かなり、いい加減になるのです。人生観、宗教観、世界観にもよりますけど・・・・・・。

兎に角、この頃は、“死ぬときは死ぬのだァ!ジタバタするな!人間は事故や病気では死なない!死んだ時が寿命”と、考えています。

でも、しかし、それなりに、いろいろと計算をしてみたり・・・、男の寿命がほぼ80歳ですから、残りは“16年”で、また、64歳の“平均余命”から見ると、残りは“18.55年”になるのです。残りは16年~18年のようです。

16年~18年、17年として、64に17を足して81歳。81歳の17年は約20%ですから、人生の80%は終わっている訳で、残りは20%。

まぁ、あまり、考えないようにしょう・・・20%は・・・兎に角。

それにしても、親戚が集まるのは、ほとんど葬式だけになってしまいました。僧侶の唱えるお経の声が、何となく、耳に馴染んできた今日この頃。

それと、葬儀会場が坂東市の外れだったのですが、つくば市の外れと「354号線」で繋がっていて、とても便利でした。ほとんど自動車専用道路と云った感じ、途中一部が有料で200円でした。

それでは、また。



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映画『小さいおうち 』 ⑤ 松金よね子と林家正蔵と西村雅彦でいろいろと

2014年02月24日 | 映画の話し
本日も、『小さいおうち』のお話です。

最終回で何ですが、これが、いろいろと些末な話しアレコレと相成ります。

実は4回で終わらすのは、ちと、気分が良くないので、無理やりの5回目です。4と云う数字は「シ」で「死」を連想するので、年寄りとしては、忌み嫌うのでした。


と、云う事で、本来ですと、この作品では“笑える”場面はないのですが、何故か笑ってしまったカットが幾つかありました。

それで、この日、映画を観に行く前、連れ合いが大好きなテレビ東京9時からの“日本の昔しばなし』を見つつ、ナレーションを聞きつつ、私が、

『以前、TBSで放送していた“まんが日本昔しばなし”は、語りが市原悦子と常田富士男だったけど、この声の女性は誰?』

と、横で見ている連れ合いに聞くと、

『男性の声は常田富士男だけど・・・・・・、女性は・・・』
『おとこの声は常田富士男なの?へ~え、未だ、生きていたんだ。それで女性の声は?』
『え~と、え~と・・・ねぇ、何てたっけか?・・・・・・、顔は思い出すんだけど、名前が・・・、あの歯が出ていて、眼は奥眼で、何たっけ?その・・・』
『歯が出て・・・奥眼?・・・、え~と、え~と、松金よね子?』
『そう!そう!松金よね子』
※調べてみたら男性の声は柄本明でした。

と、云う、会話があったのです。

そんな、こんながあった後、スクリーンに、突然、予告もなく現れた松金よね子さん、


連れ合いが肘でこちらを突き、笑ったのです。私も思わずニッコリしてしまいました。

そして、“こち亀の両さん”です。どう見ても、どう聞いても、両津巡査です。以前放映された、、顔つき、セリフ回し、実写版の両津巡査を思い浮かべてしまうのです、笑っちゃいました。、


そして、そして、この方、登場した途端、観客席が、すこしだけ、ざわついたのです。顔を見ただけで、作品から離れ、役柄から離れ“あっ!正蔵だぁ!”と、なってしまうのです。


それにしても、正蔵と云うよりも、私にとっては“こぶ平ちゃん”なのです。それなりに寄席の高座で生で落語を聞けば、それなりに、もう、きっと、立派に『林家正蔵師匠』なのでしょう。

登場場面が短いために、それなりに役柄に見えるまでの時間不足とも云えますが、この作品で、このキャスティングは?ねぇ・・・、お笑い系の方は避けた方が良かったと思います。

そして、この方、時子の夫。何故か、西村雅彦がカツラを被っているの?と思ってしまったのです。登場する場面になると、頭の中で、髪の毛を取り除いて、いろいろ想像を巡らし、いろいろと努力して、西村雅彦の顔と繫げようとしたのです。

※おでこと目つきが似ているような?

いろいろ想像したても、どうしても繋がらず、終盤になり、これはやっぱり別人だとの結論に至りました。後で知ったのですが、歌舞伎の片岡孝太郎でした。何となく聞いたような、知っていたような、そんな方です。

そんな、こんなで、いろいろと、作品の中に入り込めないことが、あち、こちで、ちら、ほら、あったのでした。

それでも、松たか子の時子、黒木華のタキ、そして、時子の衣装、室内のセット、音楽、とても、とても、ヨカッタ!です。

もう一度、いつの日か、テレビで放送されたら、録画してじっくり見たいと思います。


それでは、また。


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映画『小さいおうち 』 ④ 戦争の魔力と魅力

2014年02月21日 | 映画の話し
前回の続きです。

前回に引き続き、何故?を考えたりします。

タキは何故?家族を、家庭を、つくろうとしなかったのか?

戦争の時代を生きぬいたタキの戦後は、時子から正治に宛ての手紙と、正治の描いた赤い屋根の“小さいおうちの絵”と、その想いでのなかで、ひとり生きていたのです。


たぶん、それは、“小さいおうち”での数年間の経験が、タキにとって“人生のすべて”だったのです。

“私に人生といえるものがあるなら”と云う曲を思い出します。タキにとって、赤い屋根の小さなおうちで過ごした数年間だけが人生だったと・・・・・・。まあ、それも人生。



東北の貧しい農村から、時代の先端の東京へ、そこで見た小さいモダンな家と、モダンで耀いていた時子、はじめて意識した異性の正治、ひとつ、ひとつが、タキには、初めての経験であり、強烈で濃密な時間だった。

そして、戦争という時代背景が、より人生を濃密にしたのです。そこが、戦争の怖さ、恐ろしさ、そして、魔力と魅力、なのだと・・・・・・・。

悲しくも辛いタキの人生、でも、何故か、羨ましい時を過ごした、とも、思えたり、するのです。戦争はドラマチックなのです。平和は単調で退屈で薄いのです。

だから、戦争は怖い。

濃密な時間を創ったのも戦争、濃密な時間を破壊したのも戦争。

国家と国家が武力で闘うとき、世の中はとても、とても、濃密になり、判り易くなります。

生き方も、暮らし方も、考え方も、国家が国民に与えてくれ、悩むことなく暮らしていけるのです。多少の不都合があったとしても、みんなが、みんな同じであれば、辛くはないのです。

作品の中でも、戦争は“政治家が何とかしてくれるだろう”との会話があるのですが、何とも成らず、時子も焼かれ、家も焼かれて、地上から消滅してしまうのです。

だから、だから、普通の人が、普通に、暮らしているだけでは、突然、戦地に送られ、家は空襲で焼かれ、人は焼き殺される。だから、だから、戦争には反対しましょう、とのメッセージなのです。

そして、戦争と過去の話しではなく、当然、今、目の前で起きつつある危機に対してのメッセージです。

でも、しかし、です。

悲惨でも、残虐でも、苦しくても、恐ろしくても、辛くても、腹がへっても、相手のいることであり、闘わなければ、自分が、家族が、殺される状況で、それでも、あなたは武器を持って起ち上がらないのか?

武力による衝突が起こり、戦端が開かれてしまえば、もう、なにもかもが、遅いのです。

戦争は悲惨だから反対!なんて事は、とても、とても、云っている場合ではなくなるのです。

勇ましことを、大声で叫ぶ方に、人は流されてしまうのです。

どのような事でも、どのような状況でも、反対というのは、とても、とても、消極的な選択で、少数派で、変わった奴で、正しくない、と、そう、思われ易いのです。

このあたりが、とても、とても、ムズカシイのです。

力強く、幅広く、積極的な選択としての反原発を、普通の人が主張し、多数派を形勢できるチャンスを都知事選で逃しました。

兎に角、反対することが、少数派でいることが、それは、それで、世の中の、ひとつの、役割として、体質として、職業として、躰に染みついた方達はがいる?

まあ、そういうことで、“小さなおうち”はしっかりとして、丁寧で、正しく、それなりに良く出来た、戦争反対の作品なのですが、やっぱり、弱々しいのでした。

後、一回ほどは、“小さいおうち”の話しです。


それでは、また。

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映画『小さいおうち』 ③ 何故手紙を渡さなかった?生きることが躰に一番良くないのでした

2014年02月18日 | 映画の話し
前回の続きです。

前回のタイトルに『何故?手紙を渡さなかった?捨てなかった?』と入れておいて、その事は次回で、何て事になっていました。

今回は、間違い無く、そのことについて綴ります。

それにしても、ベルリン映画祭での最優秀女優賞は嬉しいです。黒木華さん、華は“ハナ”ではなく、“ハル”と読ませるようです、知りませんでした。兎に角、これで、国際的女優?の仲間入り。

それで、老いたタキが過去を綴り、


板倉正治の描いた『小さいおうち』の絵と、

※いつも、いつも、同じような役柄の“吉岡秀隆君”です。『続?三丁目の夕日』での“小雪”との恋は、とても、とても、ヨカッタ!です。

時子から託された正治宛の手紙を届けず未開封で持ち続け、生涯をとじる日が近づき『私、長生きしすぎたのよね』と呟き、嗚咽するタキ。

それで、東北の貧農の娘タキにとって、東京郊外のモダンな“小さな赤い屋根のおうち”は、そこに暮らす家族は、夢の、理想の、憧れの、失いたくない大切なものも、そして、すべて、だった・・・。

新しくて、美しくて、自由で、女中のトキに優しく接する時子に、タキは憧れだけでない想いを抱いていしまうのでした。

時子が女学校時代に同性に持てた話しを、同級生で男性的な松岡睦子(中島朋子)がタキに話して聞かせシーン、その時、睦子がタキに向ける視線、とても妖しさを放っていました。


タキにも、時子にも、同性を惹き付ける魅力がある、そんな描き方しているのです。と云う事で、時子とタキには、互いに気付かない、そこはかとない恋愛感情が生まれていた・・・のです。

正治が現れたこと、そして、世の中が戦争へと向かい“小さなおうち”の平和は終わりを告げようとするです。

タキにとって、時子と正治の恋は、タキと時子の、タキと正治の、ほのかな愛を、小さなおうちの平和を、理想も、夢も、憧れも、消しさるとの思いから、正治に手紙を届けるのを、躊躇させたのです。

タキ、時子、正治、三人を巡っての、愛おしくて、狂おしくて、悲しくて、純真で美しい、愛の絡み合い、でも、真実は、裏側は、動物的で、生理的で、官能的で、いろいろな打算が働くものです。

まあ、そこは、観客の想像に任せるのです。いろいろな解釈、いろいろな想像、その余地を残すところが、名作の条件です。

それで、しかし、タキが必死の思い出で守ろうとした「小さなおうち」も、時子も、米軍の空襲で物理的に、跡形もなく、消し去られてしまったのです。

タキの、時子への、正治への、赤い屋根の小さなおうちへの、そのすべての想いを、心の中に持ち続けるために、生涯、絵を、手紙を、捨てることなく持ち続けたのです。

でも、しかし、です。

長く生きると云う事は、いろいろ考えるものです。自分の過去の行為を、否定したり、肯定したり、行ったり、来たり、思い、悩み、迷い、嘆き、苦しむ時間も、長く、長く続くことになるのです。

老いを重ねると、過去が段々と大きくなり、いつしか背負いきれなくなり、そして、『私、長生きしすぎたのよね』と、呟き、嗚咽になったのです。

こういう、人生も、それなりに、わるくはないと、そう思ったりも、するのでした。

と、云うのが、私の解釈です。

生きることが、躰に、一番、良くないのです。

まあ、今日のところは、そんなところかな・・・・・・。

小さいおうちは、まだ続きます。


それでは、また次回。





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黒木華ちゃんベルリン映画祭最優秀女優賞おめでとう!

2014年02月16日 | 映画の話し
やりました!


黒木華ちゃん!


最優秀女優賞です!


山田洋次監督『小さいおうち』の


タキ役での受賞、ホントに!ホントに!オメデトー!!!


華ちゃん!


ホント!可愛いです!



これで、緊急連絡を終わります。

これから、引き続き“カーリング中継”を見ます。

スイス戦は余裕かな?

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映画『小さいおうち 』 ② 何故?手紙を渡さなかった?捨てなかった?

2014年02月14日 | 映画の話し
前回の続きです。

『小さいおうち』 何故かわたしは『小さ“な”おうち』と記憶してしまいました。←どうでも良いことです。


この時代、女性にとっては不倫は犯罪でした。犯罪として取り締まると云う事は、それなりの行為が、それなりの件数で発生していたのでしょう。

いつの世も、男と女、時代背景の制約を受けつつも、それなりに自然に、いろいろな愛情関係があり、いろいろ縺れたりするのです。原作の設定では時子は子連れ再婚だったようです。

人妻と、年下の独身男と、道ならぬ恋に落ちた、時子と正治、


そこに、正治とタキ、


そして、時子とタキ、


三人を、いろいろな糸が、いろいろな絡まり方で、纏わり付いてしまうのです。

そして正治に招集令状が届き、最後の別れ、正治の下宿に逢いに行こうとする時子、必死に思い止まらせるタキ。時子の想いを手紙にしたため、タキに託す事でその場を納める。


時子は正治の訪れるのを待つが、トキから手紙を受け取った筈の正治は、いくら待っても時子の前に現れなかった。

このシーンは真っ赤な屋根、真っ白い窓枠、佇む時子、暗い緑色?との色調の対比がとても鮮烈でした。この作品、時子の衣装がとてもヨカッタ!

時子の想いを綴った手紙は正治には届けず、戦後、死ぬまで開封されずにタキが隠し持っていたのです。


何故?どうして?タキは時子の手紙を正治に届けなかったのか?ここは、観る人の解釈の分かれ道。その人、その人で、いろいろ解釈できるのです。

そうなんです。実は監督も、演じる役者も、判らないのです。判らない事は、判らないまま、曖昧に表現した方が、いろいろと解釈が可能で、そのことで、作品に、厚みと、奥深さと、感動と、余韻と、味わいが生まれるのです。

名作は、細部を、あまり語らず、あまり描かずで、曖昧なのです。

それで、タキは死ぬまで一生、ひとりで秘密を抱え、罪として背負い、悩み苦しみ、責め続けて、一生を終えるのです。

でも、ホントに、人間は、それほど長く過去を引き摺るの?と思ったりするのです。心の片隅に、すこしだけ、いつまでも・・・が、自然で普通に思えるのです。

それで、タキは、何故、手紙を渡さなかったのか?捨てられなかったのか?です。

続きは次回。

※次回は2月18日の記事
 こちら http://blog.goo.ne.jp/cocoro110/e/2bb920d0d54506ca3604354887cf74ce


それで、都知事選挙の細川護煕さんですが、何と云っても準備不足でした。“原発ムラ”の反原発、反細川のキャンペーンへの対応がまったく無策でした。小泉任せ、風任せでした。

そして、そして、護煕さんは、やっぱり殿様で、賞味期限も過ぎていました。ところが、奥さんの佳代子さん、私、初めて見たのですが、見た目も、演説も、元気さも、旦那より、ずっと、ずっと上で、とても魅力的な女性でした。

都知事候補は、細川護煕ではなく、細川佳代子だったのです。政治家に向いています、小泉さんの勘も賞味期限が切れていたようです。

宇都宮陣営は細川の得票を上回り、前回の得票も上回り、かなり喜んでいるようですが、2位では負けなのです。やはり、始めから選挙の目的は当選ではなかったのです。

再稼働を第一の目的とした勢力と、都知事選を単なる党勢拡大の一つの手段として考える勢力に寄って、原発即時ゼロを第一の目的とした勢力が潰されたのでした。

ホント、細川を担ぐなら、護煕さんではなく、佳代子さんでした。


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映画『小さいおうち』 ① 黒木華はヨカッタ!彼女が主役でしょ!

2014年02月11日 | 映画の話し
観て来たのは先週の日曜日、2月2日の日でした。

この日は連れ合いとふたり、180数席のところに観客は20数名といった入り、観客のほとんどが私たちと同じ年代です。第1回目の上映で10時10分と早かった所為もあるかも。

あれからもう一週間、印象は少しずつ薄らいできたいるような、でも、しかし、書き進むにつれて、いろいろな場面が、いろいろなセリフが、いろいろな登場人物が、いろいろと蘇ってくる筈。でも、なかなか蘇らない時も・・・。

見終わって直ぐ、何か書きたくなるほど、強烈な印象が無かった事も・・・、それに、この間、いろいろとあったりして、そんな気持ちになれなかった事も・・・。

兎に角、当日、見終わって、一番最初の感想は、二人揃って、『女中“布宮タキ”がヨカッタ!』でした。若いときのタキを演じた『黒木華』です。主役は“若き日のタキ”で間違い無い。


黒木華、初めて見る、初めて聞く女優です。とても昭和の顔をしていて、とても懐かしいのです。衣装や、化粧や、演技や、演出もありますが、素の部分でもきっと昭和の匂いがする方だと、それでこそのキャスティグだったと思うのです。

控え目で、純朴で、優しくて、可愛くて、常に腰を曲げ前傾姿勢で、奥様に仕える姿が、とても、とても印象的でした。

それに対して、背筋を伸ばし、和服で、きりりとした立ち姿の奥様、平井時子役の“松たか子”これは、これで、とても魅力的でした。


36歳いい女優になってきました。


都会のお嬢様育ちの『平井時子』、東北の貧しい農村育ちの『布宮タキ』、対照的な二人の女が出会い、戦争を背景として織りなす微妙な三角関係の物語。

これまでは“正しい男と女、正しい夫婦、正しい家族”を描いてきた山田監督としては、珍しいと云うか、初めてと云うか、いろいろあっての物語なのです。

それでも、やっぱり、当然ながら、激しくも、狂おしい愛欲場面はありません。そんなところが山田洋次で、それは、それで、リアリティーなのです。

がぁ、でも、どこか、何か、綺麗事に見えたりして、印象が薄くて穏やかで、松竹大船調で、教科書的で、物足りなく思ったりして・・・・・、ちょっと言い過ぎでした。

まあ、それは、それとして、この作品で、山田洋次監督の戦争に対する歴史観が、もしかして、変化したのでは、と、思いました。

『母べい』では、暗くて、“特殊な時代”として戦前戦中を描いていましたが、今回の作品では、明るくて、普通な人達の、普通な時代として、戦前戦中を描いています。

過去の時代を、今、この時代に描くと云うことは、当然、あの時代と、この時代、共通する事柄があるとの認識です。

時代に、危うさを感じる監督、いまの世の中、庶民の、インテリの、文化人の、マスコミの、企業家の、政治家の、官僚の、危機感の無さ、と、世の中の表層の明るさから、もしかして、あの頃も、そうだったのかも・・・。

そして、このままでは、みんな、みんな、普通に、普通に、明るく暮らして、もう一度、破局を迎えるのでは・・・。

で、『小さなおうち』を制作した?まあ、そんな作品だと思いました。

まあ、偉そうに云わしてもらえば、『母べえ』より、『東京家族』より、ストーリー展開はずっと、ずっと、面白く、時代背景の解釈も、教科書的、オールド左翼的では無いところが、とてもヨカッタです。

自分で書いていても、褒めているのか? 貶しているのか? 何だかよく解らない感想になってしまいました。

明るくも暗く、普通で異常な、単純で複雑怪奇な、表と裏とホンネとタテマエと、一筋縄ではいかない、そんなところが、生きていて、面白くも、悲しい・・・、何て、思ってしまう作品です。

まあ、そう云う事で?今日のところはお終い。

次回からは、パンフ等をじっくり読んで、いろいろと、書き綴っていこうと思います。


それでは、次回。

 
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45年?ぶりの大雪だァ~~~!

2014年02月09日 | 季節の風景
昨夜からの雪、そして、強風、この歳になっても、何となく、とても、ウキウキ、ワクワク、してしまうのですよ。

関東地方は45年ぶりの大雪だそうですけど、45年前と云えば、何歳?で、何をしていたのか?

直ぐには計算できないのです。今は64歳だから、45を引くと、10と、9歳? 19歳の頃と云えば、浜松町に通っていた頃、会社の斜め向かいが警察署で、隣が日本赤十字社でした。

あの頃に大雪が降った? まったく記憶に無いのです。雪に加えて何か出来事があったりしたら、記憶に残ったのでしょうが、その頃、雪が降っても、雨が降っても、槍が降っても、何も起こらない、退屈な時代だったのです。

そんな事より、大雪で、雪かきで、食後血糖値のコントロールです。

8時20分より雪かき開始。


家の裏手は陽当たりが悪いので、雪をそのままにして置くと、翌朝には凍り付き、それは、それは、大変なのです。


北側と南側の道路の雪かきが終了したのが10時半過ぎ、2時間を越す重労働?でした。これで食後血糖値は、とても、とてもOKなのです。

一休みして、昼食は重労働をした為、昨晩の残り物のイカフライで、炭水化物と焼酎のお湯割りを頂きました。食後は、ウォーキングです。

朝のウォーキングコースを歩き、大雪による被害状況?を見て回りました。


雪国状態。


最初に足跡を付ける快感? 


ふり返り、眺め、ひとり、ウン、ヨシ、ヨシと、呟き、頷くのでした。


一回りして、バス通りに出ると、グチョグチョのシャーベット状態。明日の朝は凍結するかも?


45年ぶりの大雪、良い運動になりました。

東京は大雪で、都知事選で、低投票率で、自公の推薦候補が有利になる・・・。普通はそうなるのですが、今回は、普通にならない?

細川氏と宇都宮氏の得票数の合計が、桝添氏を越えたとしても、分裂した反原発グループの罵り合いだけは避けたいものです。未だ、未だ、これからです。

次は、首相のお膝元、2月6日告示、23日投開票の山口県の知事選があります。ここも、原発が争点になります。

と、思って、期待していたのですが、前回立候補して、なかなかの闘いをした“反原発の飯田哲也氏”が当然、立候補すると思っていたら、何故か立候補を見送ったそうです。

これでは、何か・・・、もう・・・、困ったものだ。


まぁ、兎に角、8時から都知事選挙の開票速報を見てからです。


それでは、また。



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右手が動かない! その3 順調に回復しています

2014年02月05日 | 健康
いろいろありました。

先月の11日に突然!右手が動かなくなって、そして、何故か決まって、昼の11時頃と、夕方の4時頃の一日2回、肘から先が痺れ、気分が悪くなったりと、いろいろありました。

1月22日に神経伝導検査を受け、2月4日の昨日、検査結果を聞きに行って来ました。結果は予想どおり?でした。

『能からから指先までの神経経路で、頸椎、肘、手首の3ポイントに、それぞれ問題があり、今回の症状の主原因は、右腕の外側の打撲がトリガーとなった・・・。症状は回復傾向にあるので、このまま様子を見る』

と、云う診断結果で、次回診察は暫く様子を見て3月13日となりました。

まあ、先月の11日に発症して、いろいろあって、いろいろと、騒いだり、心配したり、落ち込んだり、兎に角、あれから25日が経過し、確かに、右手の動きは良くなって、ヨカッタ!ヨカッタ!なのでした。

昨日は、病院の売店の介護用品売り場で、発泡材のグリップが付いた先割れスプーンを購入。


昨晩の夕食、今朝の朝食と2回使用したところ、『こんな便利なモノがあるんだね、よく考えたものだ』と、云いつつ、右手で上手にスプーンを操っていました。

ホントに、ホントに、ヨカッタ!ヨカッタ! ひと安心です。

それにしても、昨日の診察代には驚きました!たったの70円なのでした。それと、もうひとつの驚きは、何と、何と、診察代は“自動支払機”で自分で勝手にやるのです。

診察券を挿入すると、金額が表示され、お金を入れると、領収書と次回の予約券が出て来るのです。以前は受付ホールで会計待ちする人でごった返していたのが、ホントに嘘のようです。

ホントに、ホントに便利になりました・・・“たいしたもんだよイナゴのしょんべん”なのでした。

でも、しかし、これで、かなりの人達が職を失ったのです。単純労働も、それなりの頭脳労働も、機械に、コンピューターに、置き換えられる世の中、中間が無くなっているのです。

高度な頭脳労働に高額報酬、極単純な労働に極低額な報酬に分極化して・・・、総ての人が高度な頭脳労働に従事するのは不可能だし・・・ホント! ムズカシイ世の中になりました。

低額報酬でも、のんびり、安心して、楽しく暮らせる世の中が、来ないと、とても、とても、たいへんな事になりそうな、そんな不安を抱きつつ、自動支払機に70円を投入したのでした。

帰りにスーパーに寄って買い物をして、こちらも自動支払機で代金を支払いました。

兎に角、右手は回復しつつあります。

では、また。




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