歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

志村坂下・蓮根町 ⑤ 引き揚げ者住宅!駄菓子屋の本田さん!消防署の火の見櫓!に想いを巡らす!これって帰巣本能ですか!

2017年01月30日 | 東京の風景

前回の続きになります。

生まれ故郷の板橋区蓮根町に到着しました。

こちらが、前回の「エノケン」のCMソング「お餅も入ってベタベタと二人で食べても50円」で有名な「渡辺製菓」とは、異なる「渡辺製菓」の跡地に建てられた民間マンションです。

しかし、まあ、ホント!変われば変わるものです。灰色のコンクリート塀と、煙突と、砂利道の風景は何処にいってしまったの?

大通りから入ったこの道が、この両側の風景が、幼い頃の私の世界だったのです。この空間がすべてだったのです。

消防署に、駄菓子屋さんに、お豆腐屋さんに、酒屋の松木屋に、空き地に、原っぱに、小学校の校門前の公園に、朝が来て、昼が来て、夜が来て、ここですべてが完結していたのです。

右側の角が酒屋の松木屋さん、道の向かいの奥に「渡辺製菓」と云うか、「コビト製菓」の煙突が立っていました。渡辺とコビトと両方の記憶があると云う事は、社名が変わった時期と、ここでの幼少期が重なっていたのでしょう。

そうでした!この渡辺製菓の裏手の先に貸し自転車屋さんがあったのです。オンボロの自転車を青いペンキでお色直し、1時間が10円だったと思います。

1時間が10円と云えば。この当時は5円か10円が子供の使うお金の相場でした。この店仕舞いした商店の辺りが、駄菓子屋の「本田さん」でした。5円だったか?10円だったか、店の奥の片隅でもんじゃ焼きをやっていました。

ここの店主のオバサンと云うか、オバアサン?と云うか、いま思うと60代位だと思われますが、身体に彫り物を入れていたそうです。母が近所の人が銭湯で見たと、そんな話を脇で聞いていた記憶があるのです。

優しそうでしたが、ホントは怖い人だったの?と、驚いた記憶があります。メガネを懸けて優しそうな笑顔が蘇ります。

この景色を眺め、昔の記憶を辿り、何故か夢で見た風景を思い出し、現実と記憶と夢が重なり合い、とても、とても、不思議な感覚でした。

都営三田線高島平からここまで、ずっと、ずっと、不思議な感覚で歩いているのです。現実の風景と記憶と夢が混ざり合う、不思議と云うか、ここち良いと云うか、時間が止まったり、戻ったり、もう、何とも云えない快感です。

こちらは、消防署、昔はこの奥に火の見櫓が在ったのです。一度櫓の上に昇ったような記憶?が、その時の消防士さんの笑顔が何だかうっすらと蘇りました。たぶん昇ったのだと思います。

こちらが、私が生まれた「都営引き揚げ者住宅」の跡地。私が住んで居た頃は、木造二階建て、共同炊事、共同便所でした。一階と二階に5世帯ずつで一棟に10世帯。それが2列に計10棟建っていました。私が住んでいたのはほぼ真ん中の6寮でした。

いまは建て替え工事で更地になっていました。

こちらのアパートと同じ建物が建っていました。木造2階建て10棟の建物が、鉄筋コンクリート4階建て2棟に建て替えられたのでした。その建て替え工事にあたって我が一家はここから北区の別の団地に引っ越したのです。

幼い頃から小学校の3・4年頃まで、この一画の、この空間で、泣いたり、笑ったり、怒ったり、ひっくり返ったり、走ったり、飛んだり、跳ねたり、していたのです。

ホントに、ホントに、懐かしい空間です。思い出します、あの頃の事を・・・・・・。兎に角、歳をとると、昔が懐かしくなるのです。

これって、やっぱり、「帰巣本能」・・・でしょうかねぇ?

本日は、これまで。

 

それでは、また。

 

 

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志村坂下・蓮根町 ④ 蓮根町で渡辺製菓でエノケンのコマソンで!ジュースの素に!お汁粉の素!でもしかしコビト製菓の方です!

2017年01月25日 | 東京の風景

だいぶ前の続きです。

生まれ故郷を目指して高島通りを歩いています。

“大衆食堂”の看板です、“大衆の文字”街で見かけなくなりました。そう云えば“週刊大衆”はいまでも生き残っているようです。ラーメンに定食、ホッピーの貼り紙、竹内食堂です。

何か昔の同級生がオヤジさんとして調理場に立っているような、そんな気がする大衆食堂の竹内食堂。竹内なんて奴が居たような、そんな想いで店を眺めてしまったのです。

 久しぶりの“メニューチェック”です。肉豆腐定食が880円で、湯豆腐定食が820円、60円の差が微妙です。私としては肉豆腐です、このところ牛すじを煮込んだ肉豆腐に嵌っているのです。牛すじカレーも作ります、と云う事は、牛すじに嵌っている!

親子丼700円、牛丼玉子付き630円、玉子丼600円、かつ丼800円は、赤字で書かれています。これは店の一押し!でしょうか?どちらかと云うと調理に手間が掛からない?

すべて、下町価格と云うか、東京の外れ価格と云うか、それなりに大衆価格です。私としては、昼には早過ぎるし、小綺麗の対極だし、チェックのみでここはパス。

数軒先にはスナックひろ子。真っ昼間のスナックはどことなく、何となく、 場違いのような、やはりスナックは、ボンヤリとした灯りで、気怠く、不健康感を漂わす夜が似合います。そして、路地の奥がイイです。

スナック“ひろ子”、同級生にそんな女の子が居たよう気がしました。「本日は貸し切りです」の札が掛かっていました。本日は1月7日の土曜日、これは間違いなく新年会。

それにしても、それなりに作られた、貸し切りを告げる札、貸し切りはそれなりに結構あるようです。 ひろ子ママは、それなりに常連さんを抱えている、魅力的な女性のようです。

ふるさと直前です。高島通りの両側はマンションが立ち並んでいるのです。昔は、田圃や、畑や、原っぱで、四方が遠くまで見渡せました。都営三田線が風景を変えました。

こちらは、かなり新築。“コーシャハイム坂下”です。住宅供給公社の分譲マンション?

この辺りには、URとか、民間とか、いろいろマンションだらけなのです。

見えて来ました!歩道橋の先を右に入れば、我が生まれ故郷の、生まれ長屋、木造二階建ての“引き揚げ者住宅”が、むかし、昔、立ち並んでいたのです。

 

左側に建っているマンションは、懐かしき、かの“渡辺製菓”の工場跡地に建てられたのです。

渡辺製菓と云っても、エノケンのコマーシャルで有名な、“ワタナベのジュースの素ですもう一杯“とか、“お餅も入ってベタベタと二人で食べても50円“のお汁粉の素で有名な、あの渡辺製菓ではありません。後にコビト製菓となった渡辺製菓です。

もしかして、『コビト』はかなり前より“放送自粛用語”だったかも?でも、あの頃は何~にも問題無かったのでした。

懐かしいのは、消防署に、渡辺製菓に、駄菓子屋の“本田さん”です。

今回は、これまで。

前回も書きましたが、今度こそ!間違いなく生まれ故郷に脚を踏み入れます。

 

それでは、また。

 

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稀勢の里優勝!で横綱で!小心稀勢の里の昇進作戦!そして田子の浦部屋監修の醤油ちゃんこラーメンで昇進を祝います!

2017年01月23日 | 相撲の話し

稀勢の里が優勝しました。

でも、しかし、わたしとしては、まさか!まさか!横綱昇進までは考えていませんでした。

14日目に逸ノ城に勝って13勝1負で、白鵬が負けて11勝3負で、呆気なく千秋楽を待たずに優勝。

そして、驚いたのが、白鵬戦を残して、勝っても負けても、横綱昇進を示唆した相撲協会と横綱審議委員会です。

考えて見ると、優勝しても、白鵬に負けては横綱昇進にケチが付くのです、が、そこで相撲協会は考えたのです。

稀勢の里には、どうしても白鵬戦で勝たせたい、勝って横綱昇進に花を添えたい、自信を付けさせたい、と、考えた末の横綱昇進匂わせ作戦だと考えます。

白鵬戦の勝利を条件にしたら、横綱“昇進”は”小心”の稀勢の里に大きなプレッシャーとなり、九分九厘負けると考え、逆に、白鵬戦勝利を条件から外せば、九分九厘稀勢の里の勝ちと判断したのです。

これは、間違いない! そういう作戦だったんでしょ!八角理事長!

と、云う、事で、思惑通りの展開で、白鵬を破り14勝1敗で、優勝で、横綱で、みんな、みんな、ヨカッタ!ヨカッタ! なのでした。

と云うことで、兎に角、今日はいつも行く、近くのスーパーへ買い出しに行って来ました。

と、そこで、こんな“カップラーメン”を発見!

これは、もう、絶対に、買わねば!と思い迷うことなく3個購入。1個138円(税抜き)でした。

こんなカップ麺が以前より製造されていたのです。

たぶん、これまで問屋の倉庫の片隅に積まれていたと思われます。いまこさ、販売チャンス!として、急遽、全国?の店頭に配送され並んだものと考えます。

このスーパーは牛久市内にあるのです。たぶん、牛久市内、そして、龍ヶ崎市内では、『田子の浦部屋監修 醤油チャコラーメン』は相当売れると思われます。

でも、私が買った時は、他に買い求める客は見かけませんでした。もう少しやる気を出して、祝優勝!稀勢の里!何て大きな宣伝ポップを掲げていれば、数倍、いや十数倍売れる筈です。

まあ、そんな、ことは、どうでもいいのでした。

兎に角、優勝して、横綱で、一皮むけて、来場所から、堂々と、自信を持って土俵に上がって下さい。

来場所も間違いなく優勝です。

でも、何か、横綱になってしまうと、何か、ちょっぴり寂しい気もするのでした。

 

それでは、また。

 

 

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稀勢の里が優勝!おめでとう!ヨカッタ!と思うけど何故かイマイチ嬉しくない!

2017年01月22日 | 相撲の話し

昨日は、あちらでは、トランプ氏が大統領に就任。

こちらでは、稀勢の里が14日目で初優勝を決めました。

稀勢の里の頬を涙が一筋こぼれるのを見ました。

おめでとう!ヨカッタ!良くやった!

とは、思うのですが、何故か、あまり嬉しくないのです。

日馬富士、鶴竜の二横綱が途中休場で対戦なし、そして、大関豪栄道は稀勢の里戦を前にして休場。二横綱、一大関との対戦なしで、陥落大関琴奨菊には完敗。

これで、もしも、もしも、本日千秋楽で白鵬に敗れたら、これは、もう、優勝と云うよりも、とても、とても、準優勝的な優勝?

やはり、ここは、三横綱、三大関を正々堂々、木っ端みじんに打ち負かして、全勝優勝をして欲しかった。ホントに琴奨菊戦は残念だった。

兎に角、本日は、白鵬に完勝して、14勝1負で優勝を!

稀勢の里は強いのです!強い者が優勝!

稀勢の里も、一度優勝を経験すれば、きっと、きっと、自分に自信を持って、これから、もっと、もっと、もっと強く成ることでしょう。

ガンバレ!稀勢の里!

ガンバレ!横綱!稀勢の里!

来場所の土俵入り期待しています。

それでは、また。

 

 

 

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志村坂下・蓮根町 ③ 蓮根町はハスネチョウでレンコン町ではありません!相撲茶屋の大旺が!そして稀勢の里の不戦勝!で白鵬戦を待たずして優勝かも?

2017年01月20日 | 東京の風景

前々回の続きです。

東京は北の外れ板橋区、そのまた北の外れの高島平から蓮根町を目指して「高島通り」を歩いています。

何やら、宗教関連の建物のようです。

 

「蓮根馬頭観音」とあります。農耕に牛馬が活躍していた時代の観音様です。牛馬を守護するのですが、牛の方は何処かに行ってしまいました。やはり、牛よりも馬の方が身近で、そして知能は高さそうで、人馬一体で農耕に励んだのでしょう。

元禄11年2月の開基とあります。西暦で云うと1698年ですから、いまは2017年ですから、2017-1698ですから319年前からこの辺りに祀られていたのです。

私がこのあたりをウロチョロしていたのは、小学校3~4年頃?だったので、いまから50数年前ですから、当然、そのころにもこの辺りにおられたのです。当然、その頃は、神仏にはまったく興味が向く年頃では無く、蓮根馬頭観音の記憶はありません。

それで、蓮根馬頭観音の“蓮根”なのですが、蓮根町にあるからそう名付けられたのでしょう、でも、しかし、蓮根の町名は、ごく最近?になって付けられたのです。

確認の為、ちょっこし調べて見ました。明治33年(1900年)に、上蓮根村と根葉村が合併して、「蓮」と「根」を採って「蓮根」ができたのでした。

因みに、蓮根は「ハスネ」と読みます。レンコン町ではありません。レンコンの産地でもありません。

と云う事で、蓮根馬頭観音と称するようになったのは、つい最近?なのでした。説明板にもあるように、昔から通称「田の観音」と呼ばれていたようで、もしかして、たぶん、いまでは、誰も、田の観音も、蓮根馬頭観音も、忘れ去られているような?

こちらのお方が、馬頭観音様です。319年間の長きにわたり、牛馬が消え、田畑が消え、マンション群が立ち並ぶいまでも、この一帯の平安を祈っているのです。

わたくしも、お賽銭を上げ手お合わせお祈りしました。素朴でなかなかイイ観世音菩薩様でした。。 

観音様から数十メートル先で“相撲茶屋大旺”を発見。大旺の文字に何か懐かしさを感じたのです。何となく、ボンヤリと記憶の隅に残っているのです。 

調べてみました。昭和24年生まれで、私の一つ上で、1970年代から80年代に活躍した力士です。

四股名は“大旺吉伸”で、本名:荒谷 邦治(あらや くにはる)さんです。富山県出身、二子山部屋、身長186cm、体重106kg。最高位は東前頭4枚目。 

  • 幕内在位:10場所
  • 幕内成績:57勝93敗 勝率.380
  • 現役在位:101場所
  • 通算成績:587勝569敗15休 勝率.508
  • 連続出場:1156番(1965年3月場所-1981年9月場所)
  • 序二段優勝優勝:1回(1966年1月場所)

こんな成績でした。

大相撲と云えば、稀勢の里です。私が単独トップに立つと危ないと云ったその日に、傷だらけの琴奨菊に負けてしまいました。しかし、次の取り組みで、高安が白鵬を破り、直ぐに星一つリード。

本日13日目は豪栄道戦でしたが、豪栄道は 前日の遠藤戦で負傷して「右足関節外側靱帯損傷で全治1カ月の見込み」で休場で不戦勝。明日は逸ノ城、千秋楽は白鵬です。

 


大関
稀勢の里
11勝1敗
白丸 白丸 白丸 白丸 白丸 白丸 白丸 白丸 黒丸 白丸 白丸 白丸 - -
宝富士 玉鷲 荒鷲 松鳳山 御嶽海 正代 栃煌山 隠岐の海 琴奨菊 照ノ富士 遠藤 豪栄道 逸ノ城

白鵬は本日、琴奨菊戦です。大関陥落決定の琴奨菊は、ここで、意地を見せて稀勢の里戦のような相撲で白鵬を土俵の外に叩き出してほしい。

そして、14日の逸ノ城戦に勝って千秋楽の白鵬戦を待たず優勝を掴み取ってほしい。

それにしても、稀勢の里は前半戦より、少しずつ取り組み内容が悪くなって来ているのが心配。心にはテーピングで補強できないのです。胸にテーピングしますか?

冗談はともかく、本日は不戦勝で取り組みが無いので、残念と云うか、ヨカッタ!と云うか、兎にも角にも、明日の逸ノ城戦です。

話しは逸れましたが、蓮根歩きは続きます。

次回は、いよいよ生まれ故郷に到着です。

それでは、また。

 

 

 

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双子ちゃんが寒波襲来のなか遊びに来てくれました!いっぱい!いっぱい!元気を貰いました!そしてガンバレ!稀勢の里!

2017年01月16日 | 双子ちゃん

昨日はホントに!ホントに!寒かったです。

寒波でも、寒くても、双子ちゃんは遊びに来てくれました。

元気いっぱい!で、食べまくり!、動きまわり!、はしゃぎまくり!、もう、ホント!元気のかたまり!でした。

お昼御飯は二人ともママが小さい時に使っていたお椀で食べました。

ピンクのお椀にはピンクレディーの「ミーちゃん」と「ケイちゃん」の顔が!

 

オバアチャンにパズルを上手にできるところを二人で見せてくれました。

 

ハーモニカも上手に吹いてくれました。ホント!直ぐにも曲が吹けそうな気が!

 

食後は近くの公園にお出かけです。ドングリを拾いました。

 

大きくて!まっ黒な!蒸気機関車を指差して『コレッ!ナァ~ニィ?』叫んでいました。二人は初めて見るモノにはいつも“コレッ!ナァ~ニィ?”と、質問します。

ホントに!ホントに!賑やかで楽しい一日でした。ありがとう!

それにしても、稀勢の里です。

とても、とても、心配です。

8日目にして単独トップは、とても、とても、危ないのです。

白鵬と稀勢の里は14日目まで全勝で、千秋楽で全勝優勝を懸けて闘ってほしかったのです。

稀勢の里は単独トップに弱いのです。精神的に負けてしまうのです。

以前、たぶん初めての優勝争いの場所で、10日目頃だったか、それも他の力士とは二つ星の差で単独トップに立ち、緊張感で相撲が取れなくなり、優勝を逃しているのです。

あれから、いろいろ経験しきたので、もしや、もしやの、後半ガタガタで、人が変わったような、惨めな負けは、無いと、思うのですが・・・。

でも、これまでも、こんどこそ、こんどこそ、と思っていても、予想どうりの展開で、後一歩で、後一番で、裏切ってきた、稀勢の里なのです。

今回、先場所で、後が無い一番で敗れた栃の心は休場、日馬富士も休場、照ノ富士もガタガタ、琴奨菊も限界で大関陥落間違いなし、豪栄道も優勝場所が頂点、鶴龍もまったくダメ、白鵬の力も頂点を過ぎ、これ以上無い条件。

今場所で優勝できなければ、もう、ホントに!、ホントに!、ホントに! 絶対!絶対!絶対!優勝でできないぞォ!

稀勢の里!自分を信じろ!

絶対負けない!気持ちで! 一番、一番、全神経を集中して、全力で闘え!

残り7日間、すべて白鵬戦のつもりで土俵に上がれ!

う~ん、ちよっと、気合いを入れすぎたか?

兎に角、です。全勝優勝をお願いします。

それでは、また。

次回は、また、「蓮根町ふるさと歩き」を再開します。

 

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志村坂下・蓮根町 ② 高島平駅の高架を支えるモアイ像と生き残っていたダイエー志村店はサンゼリゼ店でした!そして懐かしのダニエル・ビダル!

2017年01月12日 | 東京の風景

前回の続きです。

都営三田線の高島平駅で降り、これより「ふるさと」の蓮根町に向かって歩きます。

駅前の道は「高島通り」です。前回、「高島平通り」と書きましたが、平らは入らなかったのでした。まあ、有っても、無くって、大して問題は無いのです。

それで、因みに、この高島通りは、終点西高島駅の3百メートル先で、埼玉県に入り「笹目通り」と名称が変わります。境の町並は連続していて、何か、とても、腑に落ちない変な感じなのです。

境には「白子川」と云う細い川が流れているのですが、川は境ではなく、境界線はジグザグに川の両岸を行ったり来たりしているのです。たぶん、曲がりくねった境界線が、昔の白子川の流れた名残なのでしょう。 

境界線の話しはそれくらいにして、話しを戻します。高島平駅を出て、高島通りを蓮根町を目指し歩きます。

この通りの風景は年に2~3度車で通過する際に眼にする風景です。でも、高架の柱のこの顔には気が付きませんでした。

さすが、東京都の交通局です。財政に余裕があるのです、こんな遊びができるのです。遠い南の海に浮かぶ、小さな島の石像を連想させます。まあ、いいと思います。

歩道橋に上がって埼玉方面を望みます。

かまぼこ屋根が高島平駅です。

こちらが東京方面となります。

それで、この歩道橋の近くの高島通りに、不自然な出っ張りがあるのです。写真を撮り忘れましたが、団地側の道路脇に排気筒?通気筒?と思われる設備があるのです。

と云う事で、これは間違いなく、以前は川だったのを暗渠にした為の出っ張りだと判断。平らにしなかったのは、川の水深とか、水面の高さとか、いろいろあって、工事費用面から、平らよりも、出っ張りを選択したのでしょう。

帰宅後に調べたら、やっぱり、むかし、ここには川が流れていました。それで、この昔の川の名残ですが、これから歩きまわり、昔の懐かしい風景を探す大事なポイントとなりそうです。

むかし家の近所には、川と云うか、どぶ川と云うか、家庭の排水とか、工場の廃液とか、そんなモノが流れる川が幾筋かあり、いろいろな想い出と繋がっているのです。

そんな想い出を探して、高島通りを歩きます。それにしてもこの高層アパート群は、とても、とても、冷たく、殺伐感が漂います。この日は寒かったのと、北側で日陰で、寂しさ感が増幅されたのでした。

殺伐感と云えば、むかし、ここは、自殺の名所だったのです。昔とは、1970年代の初め高島平団地が生まれた直ぐの頃からで、当時は高層アパートが珍しかったのです。1980年には飛び降りた人の合計が133人に達したそうです。

そこで、対策として、こんな柵が設置され、一件落着となったそうです。

何か、とても、暗い話しになってしまいました。話しを変えます。

話しは変わって、高島通りを蓮根町に向かい、道の両側は商業区域に変わります。昔は田圃とか原っぱでした。

こんな広い道も、こんな交叉点も信号も有りませんでした。 ここの「ダイエー」は生き残ったようです。

調べてみたら、この店の名前は、何と、何と、“ダイエー板橋サンゼリゼ店”と云うそうです。あの“シャンゼリゼ”とは異なるようです。

シャンゼリゼと云えば、「オー・シャンゼリゼ」の「ダニエル・ビダル」です。ホント!可愛らしい女性でした。

そう、1970年代の始めの頃でした。日本語版も出て大ヒットしました。ダニエル・ビダルは日本のコマーシャルでも大活躍しました。歯磨き粉のコマーシャルを見た記憶が残っています。懐かしい!

それで、ここまで歩いて来て限り、昔の風景を思い起こさせるモノには、未だ出会っていません。

もう少し歩くと、そろそろ、我がふるさとに入ります。そこには、懐かしい小学校と、消防署と、公園と、神社がある筈です。

この先は次回とします。

それでは、また。

  

 

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志村坂下・蓮根町 ① 都営三田線に生まれて初めて乗って高島平へ!そして生まれ故郷の蓮根町を巡り歩きます!

2017年01月09日 | 東京の風景

行って来ました、歩いて来ました、見て来ました、食べて来ました、そして、想いを巡らしてして来ました。

久しぶりの東京歩きで、そして、ふるさと歩きです。

5日の誕生日に思い立ったのです。

そうだ!生まれた町を歩いてみよう!

そして、7日の土曜日、東京に向かいました。

常磐線から山手線に日暮里駅で乗り換えです。この鉄板の屋根を支える支柱にレールが使われているのです、石垣から張り出したこの感じがとても好きなのです。

そして、山手線の入線は、いつも、この位置で待つのです。この“狭っこい”隙間がいいのです。立ち食い蕎麦屋は店仕舞いしたようです。

山手線ホームに立ち食い蕎麦屋は時代遅れ?それとも、経営者が高齢となり後継者も無く店仕舞い? 

それにしても階段下で、蕎麦つゆの匂いは辺りに漂うのですが、遠くからも見えず、場所が悪いのです。味に自信があれば地の利の悪さは問題無いと思うのですが・・・。

兎に角、そば屋店仕舞い問題を、あれやこれやと考えつつ電車を待つのでした。数分して山手線が入線。車内はほぼ空席は無し、立ち客はチラホラ程度の乗車率。

数分で巣鴨駅に到着、階段を上がり、改札を抜け十数メートル歩き階段を下り、十数メートル歩き改札を抜け、また階段を下り、地下鉄都営三田線に乗り換えます。

電車が来る迄、何処で降りるか迷ったのです。私の生まれた“ふるさと”は、駅で云えば蓮根駅、でも、子供のころの埼玉方面の行動範囲は、終点の西高島平駅辺りまで、都心方向は志村坂上辺りまででした。

駅としては、蓮根→西台→高島平→新高島平→西高島平、となっているのです。終点の西高島平の数百メートル先は埼玉県となります。西高島平までは東京の端っこで板橋区なのです。

いろいろ事柄を考慮し熟慮を重ね、降車駅は高島平と決定。地下鉄三田線は、蓮根駅の二つ手前の“志村坂上駅”の先で、国道17号中山道の地下から地上に顔を出し高架となり中山道を離れ、志村三丁目駅→西台駅→蓮根駅で、高島平通りに出るのです。

高架を走る車窓の景色に、昔の想い出を探そうと席を立ち、左のドアの窓から辺りの景色に眼を走らしても、右のドアから眼を走らしても、まったく訳が分からない景色が続くのです。

それにしても、空いている車内で高齢者?のオジサンが右に左にキョロキョロしている様子は、乗客の眼にはかなり怪しく映った事でしょう。でも、そんな事は気にして居られないのです。

兎に角、懐かしいのは、志村坂上とか、志村三丁目とか、蓮根とか、駅のホームの案内看板の文字だけでした。

左右をキョロキョロしているうちに目的地の高島平に到着。

ここまで書いてきて、気が付いたのでした。都営三田線に乗ったのも初めて、高島平駅に降りたのも初めてでした。

この辺り車では何度か通過しているのですが、電車で訪れるのは初めてだったのです。駅周辺の道路際の景色には見覚えがあり、それほど懐かしさは感じないのでした。

高島平団地の反対側の景色は初めてですが、何処となく北千住駅の匂いを感じました。

東京の外れで、駅の周辺で、商店街となれば、何処でもこんな雰囲気なのです。

 昔は、このあたりは、ホントに、ホントに、何も無い原っぱでした。

これより、昔の懐かしい風景を探して、さまよい、うろつき、歩き回ります。

そうでした、懐かしい昔とは、生まれてから小学校の3~4年の頃までの思い出です。

と云う事は、いまから、五十数年前の事となります。

でも、つい最近のような気もするのでした。

それでは、これから、出発です。

今日はこれでお終い。

それでは、また。

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2017年が始まりました!御守り落としてポジティブ思考で明るい年に! 

2017年01月05日 | その他

2017年が始まりました。

さて、さて、どんな年になるやら、なのです。

それで、本日は、何を隠そう!わたくしの誕生日なのです。

向かえること、67回目なのです。

誰が、何と、云っても、67年間ですよ、よくぞ無事に生き延びてきたものだと、しみじみと思うのでした。

まあ、それは兎も角、2017年なのです。

何と云っても、20日にトランプ大統領が誕生します。本人が一番驚いている事でしょう。

すべての“タテマエ政治”をぶっ壊して、“ものごと”を赤裸々にして、感情と理性がぶつかり合って、歴史の歯車を回転する、チャンスだと考えています。

但し、但し、歯車が、正回転するのか、逆回転するのか、それが、とても、とても、心配で、問題なのです。

兎に角、何となく抱いていた、不安感、閉塞感、絶望感が、具体的な形として、目の前に顕在化してくる、そんな年だと、思ったりしているのです。

まあ、それは兎も角、8日から初場所が始まります。

稀勢の里が優勝して、それも全勝して横綱になってほしいのです。

ところで、2日初詣で買った御守りですが、携帯電話にぶら下げたのですが、翌日3日の昼頃には、御守りが消えて、紐だけがぶら下がっていたのです。

家中を隈無く捜索したのですが、発見できませんでした。落とすとしたら、朝のウォーキングの時です。

ウォーキング途中でいつも、2~3回ほどポッケットから携帯を取りだし時間を確認するので、その時に落下したものと考え、昨日の朝は、それなりに路上を注視して歩いたのです。でも、ダメでした。

何か、とても、縁起が悪そうで、その日、直ぐに、二度目の初詣で、別のデザインの御守りを購入。

紐と御守りを引っぱって取り付け状態を確認し、これなら大丈夫と携帯に装着。前回の御守りは不良品だったと考えます。でも、不良品を引き当てたのは運が悪い?

でも、もしかして? 御守りは、自ら犠牲にして、私が気付かなかった危機?から、守ってくれて、役割は終わったとして消えていったのかも?

兎に角、何でも、良いように、ポジティブ思考で生きたいと思うのです。

きっと、きっと、今年は、良い年になる。

そう云うことで、そう云う方向で、行きたいと思います。

忘れていました。

新年、明けまして、おめでとう御座います!

今年もよろしくお願いします。

それでは、また。

 

 

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