歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

岳温泉「貸し切り風呂」は「展望露天風呂」

2007年10月31日 | 旅の話し
昨日の続きです。

5時5分前にフロントに行き、貸し切り風呂に案内されました。通路に面して、「ゆ」の暖簾が下がった入り口が2ヶ所。我々は手前の風呂に案内されました。

これまでも、何度か貸し切り風呂に入ったのですが、それなりの広さでした。今回の料金が「千五百円」と手頃な料金であり、あまり期待はしていなかったのです。

ところがです。入り口の引き戸を開け中に入ると「ビックリ」です、先ず脱衣所がゆったりと広いのです。


これは、かなり前から「家族風呂」として使われていたようです。


最近は「貸し切り風呂」、「露天風呂付きの部屋」が流行なので、宿によっては急拵えの狭い「貸し切り」もよくあります。

湯船も広い! 乳白の湯です。100㌣源泉かけ流し、温泉は、やはり何と云っても白く濁っていないといけません。

ここの湯は珍しい「酸性」で硫黄の臭いはあまりしません。


少し温度が高いので水を入れ、正面の2枚のガラス戸を開け放ち外の空気を入れました。

冷たい風が何とも気持ち良く、眼下に広がる温泉街の明かり、遠くには山の稜線がうっすらと見え、立体感のある大パノラマ。

これは、まさに「貸し切り展望露天風呂」です。チョット誉めすぎ?

しっかり、ゆっくり、たっぷりと温泉気分を満喫しました。これで「千五百円」はかなり「お買い得」でした。

風呂から上がり、部屋に戻ると先ずはビールです。冷えた「アサヒスーパードライ」で乾杯。

部屋に案内された時、仲居さんから「本日、冷蔵庫の飲み物は半額サービスになっております」云われました、多分平日価格なのです。

中瓶が350円とお手頃価格です。土日は倍で700円と云うことになります。温泉旅館の冷蔵庫の飲み物は高いのです。

そんな事で儲けるのは姑息です。正々堂々宿泊料金で勝負してほしいものです。

まぁ。兎に角、久しぶりの「スーパードライ」は、普段飲む「その他の雑酒」とは明らかに違います。

温泉に浸かって湯上がりに、お茶うけに置かれていた「椎茸と蕗の佃煮」でスーパードライを飲む、何と云う贅沢。


「貸し切り天風呂」は、設備、眺め、料金、すべて合格でした。

次は、いよいよ、宿の評価を決める大きなポイントの「夕食」です。

6時45分の夕食までもう少しです。

本日は、切りが良いのでここで終了。

夕食、楽しみです。


それでは、また明日。 


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岳温泉は「ダケ温泉」の「お席“ダケ”リザーブ」

2007年10月30日 | 旅の話し
昨日の続きです。

さぁー。宿に到着です。ロビーはまぁまぁですね。


フロントで「身元記入」と「館内説明」を済ませ、夕食時間の確認です。

ここでチョット不愉快な事がありました。
今回は、「じゃらん」でネット予約した、「雲の上のお部屋を予約!最上階&お席リザーブプラン」と云う長いプランでした。

それで、フロントの女性(30歳前後)が笑顔で、

「御夕食のお時間は如何致しますか?」

「うーん。早い方がいいから・・・・・・」と、云いつつ配偶者の方に視線を向け、要望を聞こうとした途端に、

「お客様。申し訳ありませんが、7時45分しか空いておりません」

「えっ。何それ、時間が決まっているのに何で聞くの?」

「ハイ。申し訳ありません。ご到着順にお客様から、お時間を窺っているのですが、本日は満室の為、この時間だけとなっております」

彼女は、私の問いには直接答えず、満室を理由に言い訳をするのです。そして、やりとりの間、ずっと「笑顔」を崩さないのです。

毎朝、朝礼で「どんな時でも笑顔で接客」なんて、全員で唱和しているのかも知れません。

しかし、こんな状況での「笑顔」は、客に不快感を与えます。笑顔の裏に「悪意」を感じてしまいます。

悪く解釈するれば、客に要望を聞いて「少し遅めで・・・」なんて、呟きかけたときに、

「7時45分でご用意できますが如何致しますか?」

何て云われた客は、やりとりの流れから客は 、

「あっ。丁度イイねぇ」何て答えるかも、そうすれば、選択が不可能にも関わらず、お客に自由に選択できた満足感を抱かせる・・・・・・。そんな、小賢しさを感じてしまうのです。

当日その場で、苦情を言ったりしませんでした。これ以上不愉快な気分になりたくありません。時間は限定されているのに、敢えて客の要望を聞いてきた事に対しての、回答は求めませんでした。

この「お席リザーブプラン」は、まさに「お席だけリザーブ」で「お時間」はリザーブできなかったのです。

普通、旅館の夕食時間はそれなりの範囲で、客の要望により決められるので、それプラス「お席リザーブ」と解釈していたのですがねぇ・・・・・・。

良い方に解釈すれば、マニュアルに従って説明を行い、その流れから「食事時間はどう致します」の言葉が出てしまったのでしょう。

そんな、こんながあって、部屋に案内されました。このプランは「朝に夕に景色を一望できる絶景の最上階をご用意。お部屋の広さは46.2平米以上の和室」と云うことになっています。

部屋のドアを開け部屋に入ります。「玄関?」と云うか、思っていた以上にゆったりとしています。


襖を開けて、部屋に入ります。直ぐに窓に視線が向きます。一枚ガラスの開放感満点の窓。


外の眺めも「絶景」です。さすがに最上階、早速、テラスに出て深呼吸です。


畳も未だ「青み」が残っています。表替えして1年以内でしょう。


恒例、トイレチェックです。広さ、設備、清潔感、すべて合格です。


そんな、こんなしていると、フロントから電話が入り、「キャンセルがあり6時45分に夕食ができますが、如何致しますか?」との連絡、勿論、その時間でお願いしました。

電話のついでに「貸し切り風呂の予約は5時で可能ですか?」と聞くと 、「ハイ。ご用意できます」との回答。

「日頃の行いが良いので?」すべて、良い方向に回り出しました。少し休んで、5時から貸し切り風呂でゆっくり温泉に浸かり、湯を上がり一息ついて夕食、理想的なスケジュールになりました。

さぁ。いよいよ、温泉に入って、夕食になります。

その話しは、明日のお楽しみです。


それでは、また明日  



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岳温泉「山里の天日干し」

2007年10月29日 | 旅の話し
昨日の続きです。

東北道の二本松インターで下りました。岳温泉に続く路は“秋の山里”です。

田圃は稲刈りが終わって間もないようです。

稲作経験者としては、車で通り過ぎる訳にはいきません、車を畦道に停めました。

刈り取った稲が、田圃に干してあります。コンバインで「刈り取り、脱穀」を同時に、なんてやり方はしていません。

これは、コンバインを導入するほどの「作付け面積」ではないからか? それとも「頑固」に昔ながらの農業を守っているのか?

奥には、黄金色に色づいた刈り入れ前の稲が見えます、普通の稲より刈り入れの遅い「餅米」かも知れません。

黄金色がとても鮮やかでした。


車から降りて、畦道を走り回ってしまいました。天日干しのお米は、機械乾燥のお米より美味しくなるのです。

稲作農家では、自家消費分については天日乾燥が多いようです。我が家に置いても、収穫した籾は天日乾燥なのです!

こちらの天日干しは良く見かけるタイプです。


この方式は始めてみました。簑のを羽織った子供達が並んで行進しているようです。


実りの秋、これぞ日本の風景ですね。

自分が生きていくための、必要最低限の食べ物を作る、これが正しい仕事なのかも? 

収穫量を増やし、自分にとって必要以上のものを作り始めてから、何かがおかしくなったのかも?

え~と、まぁ。それは、それ。あれは、あれ。これは、これですから。

そんなこんなで、もうすぐ「岳温泉」に到着します。それで、この「岳温泉」なのですが、「ガク」なのが? 「ダケ」なのか? 「タケ」なのか?

一体何て読むの? 私としては「ガク温泉」と云うのを「耳にした事」があったような記憶があり、ガク温泉と呼んでいました。

これが「ガク温泉」の温泉街です。温泉街は、なだらかな直線の坂の両側に宿が並んでいます。


全長は百数十㍍ほど、ホントに「こぢんまり」とした温泉地でした。写真は坂を登り切った所で撮っています。

ホントは坂の下から、上を見上げるアングルが良かったのですが、車を停めるスペースが無く、仕方なく上からの写真になりました。

温泉街が終わった所にこの神社があり、鳥居の前に停められるスペースがあったのですが、神様に対して失礼であるとして、少し登った先にある空き地に車を停めました。

この時、霧雨が降っていたので、小走りに温泉街に戻り撮影しました。


静かです。人も車も通りません。
明かりの灯ったこのランプ、イイ雰囲気を出していました。


地元のお祖母ちゃんが一人、傘を杖代わりに坂を下って行きます。手提げ袋に風呂道具が入っているようです。これから共同浴場に行くのでしょう。


さぁ。そろそろ我々も温泉に浸かり、手足を伸ばしたくなりました。

我々の宿は、温泉街を抜けたもう少し先に有ります。

もうすぐ、宿に到着です。


それではまた明日。 







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安達太良の「申し訳ないコヒー」と東国原知事?

2007年10月28日 | 旅の話し
昨日の続きです。

今日は10月28日です。旅行に行ったのは10月の19日、20日でした。一週間ほど経ちました。

かなり昔、何かで読んだことなのですが、フランス人は年に一度の「バカンス」を一年中楽しんでいると云うのです。

先ず、バカンスの計画中を楽しみ、そしてバカンスに行き楽しみ、バカンスが終わるとその想い出を楽しむ。そして、又、次のバカンスの計画・・・・・・。

私のような一泊旅行では、一年間は持ちませんが、1ヶ月ぐらいは楽しめそうです。

まぁ、そういう事でお付き合い下さい。

それで、白河インターに向かう途中で、昼食に入ったラーメン屋さんから見えた、「南湖公園」に立ち寄りました。


じっくりと、時間をかけて散策すればそれなりに良さそうな公園です。予定外のため、チラットと覗く程度で、白河インターに向かいました。

白河の街を抜け、インターの入り口を目指し、案内標識に従い高速に入りました。それで何ですが、行きとは異なる遠回りのルートを走ったようなのです。

「福島県公安委員会」が交通の「安全」と「円滑」を考え、最短コースとは別に、県外の車両を誘導しているように思えました。

話しは変わりますが、デパート、スパー等の「トイレ誘導」の案内板も、最短コースではなく、売り上げを伸ばすために、それなりの「コース誘導」をしているとの「噂」を聞いた事があります。

しかしです、トイレを探し必死に「尿意、便意」に堪えている非常時に、商品など目に入る訳がありません。

多分、別な理由がある筈です、最短コースを案内していない点については間違いありません。お暇な方は、一度近所のスパー(食品スーパーを除く)で確認してみて下さい。

話しが逸れてしまいました。

それで、白河から入って東北道を北に向かい、途中の「安達太良」サービスエリアで休憩しました。


途中、コーヒーが飲みたいと話していたのですが、高速を下りても「スタバ」や「ドトール」はないから、高速の休憩所で飲もうと云う事になったのです。

ホットコーヒー2百円。自販機よりチョットだけ高いです。


先ずはチケットの購入です。

しかし、どうしたことか、ソフトクリームは有るのですが、コーヒーのボタンがいくら探しても見つからないのです。

この「白い帽子」の「中年女性従業員」にその事を告げると、

「申し訳ありません。コーヒーはこちらで現金でお願いします。本当に申し訳御座いません」と、云われました。

コヒーを受け取る時にも「申し訳ありません」を連発され、こちらの方が申し訳なく、恐縮してしまいました。

ところがです、200円のコーヒーを一口飲むと、それはホントに「申し訳ない味」がするのでした。


二人で目を合わせ「申し訳ないコーヒー」を黙って啜ったのでした。自販機のコーヒーが正解でした。

コヒーを飲みながら、メニュー看板のチェックです。


「チャーシューマヨ丼」うーん、かなりマニュアックな丼です。「定番のアジフライ定食」、これは絶対に仕事中の食べ物です。所謂「仕事食・・・私の命名」です、旅行中の食べ物では有りません。

「伊達鶏のソースカツ丼」仙台が近いですからね、これはいいかも知れません。「ソースヒレカツ丼」カツはヒレよりロースです。豚は脂身が旨い。

こちらのカレーにも伊達鶏が使われています。「豚汁定食」これも、やや「仕事食」に近いですね。


料金表を見ると、2ヶ所消されています。チャーシューマヨ丼とアジフライ定食です。やっぱり、「マニュアック食」と「仕事食」は行楽地には馴染まないのです。


「申し訳ないコーヒー」を飲み干し、カップを返却口に運び「ごちそうさま」を云いました。

お土産売場のチェックです。
有りました!居ました!この東北の地にも何故か「宮崎赤鶏醤油ラーメン」です。大丈夫ですかねェ? 宮崎赤鶏は? 普通のブロイラーとは違いますよね? 

東国原知事の謝罪、お詫び、釈明、弁明、弁解、言い訳、言い逃れ等の会見の模様が、テレビで放映されない事を願いつつ、売場を後にしました。

今時珍しい会社の慰安旅行のようです。若い人が大勢で観光バスに乗り、観光地を巡る風景は少なくなりました。


さあ。岳温泉に向かって出発です。

それでは、また明日。




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「白河関の森公園」で漂泊の思い

2007年10月27日 | 旅の話し
昨日ではなく、一昨日の続きです。

“月日は百代過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老いをむかふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅にしせるあり。予もいずれの年よりか、片雲の風にさそわれて、漂泊の思ひやまず・・・「奥の細道」序より”

遠い昔の「奥の細道」に思いを馳せつつ、公園の駐車場に戻りました。


“漂泊の思ひ”を覚ます、可愛らしい声が聞こえてきました。


孫と同じ年頃の子供はとても気になるのです。公園の一画にある、アスレチック広場に遊びに来た帰りのようです。

二人で手を振ると、数人の子供が笑顔で可愛い小さな手を振り、笑顔で答えてくれました。


関跡を「逍遥」し、心の片隅に漂泊の思いを残し、お土産屋さんのトイレで「小用」を済ませ、お土産の見物です。


お土産とは、その土地の名産品を旅の想い出とし、又、その想いを周囲の者と分かち合う・・・・・・そんな物なのでしょう。


お土産にはホントに困ります。何処に行ってもこれと云った物がないのです。買って貰いたい!売りたい!との思い、必死になって業者も考えている筈です。

多く売る為に、誰からも気に入られる商品を考える、その結果が、誰にも気に入って貰えない、特徴の無い商品になってしまう、そんな気がするのです。

この建物の中には、そば屋さん、ラーメン屋さん、お土産屋さんが有るのですが、客は我々だけです。

そば屋さんもラーメン屋さんも、暖簾を出しているので営業中なのですが、あまりの静けさに心配になりました。

車に向かう途中で「白河相撲道場」を発見。そういえば、ラーメン屋で会った「何も無いおじさん」が、そんな事を云っていたのを思い出しました。


道場看板に「東関大五郎」の文字。東関親方です、あの「高見山大五郎」です。

以前、国技館の前を歩いていたら、ワンボックスカーがこちらに向かって走って来ました。助手席に大きな人間が窮屈そううに「詰まって」いたのです。

すれ違いざまに顔を確認すると、車内に「詰まって」いたのは東関親方でした。ホントにデカイ! 車に乗っているのではなく、ホントに車に「詰まって」いました。


中に入ると、土俵があり稽古場の雰囲気。土俵がとても小さく見えるのです。稽古土俵と本場所の土俵は同じサイズの筈です。それにしても小さい!


ここで東関部屋の「夏季合宿」が行われるそうです。親方、曙、高見盛の稽古風景の写真が貼ってありました。

白河と東関部屋、どの様な縁があるのでしょうか、高見盛は青森出身だし、親方は勿論ハワイです。単に「東関」の「関」と、「白河の関」の「関」繋がり?

「白河関の森公園」静かで寂しいところでしたが、いろいろなものがあり、いろいろと楽しめました。

白河インターに向かう山道、この道をむかし「芭蕉と曾良」が須賀川を目指し歩いたかも・・・・・・、そんな事を思うと、徒歩で陸奥を漂泊したい衝動にかられます。

助手席の配偶者に、

「ここらずっと、奥の細道を歩いて辿る旅をしてみたいねぇ」と云うと、

「歩いて何て行けるわけないでしょ!」と、現実に引き戻してくれました。



今夜の宿、岳温泉を目指します。


それでは、また明日。 



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白河の関に「風狂、風雅」を見る

2007年10月25日 | 旅の話し
昨日の続きです。

関へと続く山道、芭蕉気分で歩いていると、我々の気配に驚いたのか、鳥が羽ばたき空に舞ったのです。こちらの方が、突然響く羽音にギクリとしました。

辺りを窺うと、丘とは反対側の林の中に小さな池があり、カルガモの群が居たのです。カルガモは一旦は舞い上がりましたが、直ぐ水面に戻り泳ぎ回っていました。



ホントに静かです。我々以外に人影はありません。老木、大木の生い茂る、すそ野道を半周ほどして、「白河関跡」の正面に到着しました。

全体の佇まいは、それなりの雰囲気があります。ホントにここが「白河の関」があった場所なのか、決定的な証拠はありません。



この地を「白河の関跡」としたのは、白河藩主で後に、幕府老中となり「寛政の改革」をおこなった「松平定信(1758-1829)」です。「定信さん」がいろいろと調べ、寛政12年(1800年)に、

『ここが“白河の関”に間違いない決定~!』と云ったそうです。

芭蕉がこの辺りに来たのが元禄2年(1689年)で、「奥の細道」が完成したのが元禄6年頃だそうです。

そして、「奥の細道陸奥ブーム」が起こり、風流人に陸奥の歌枕の地を巡る旅が流行ったようです。

このブームに押されて、陸奥の入り口「白河の関」探しが起こり、白河藩の藩主としても、この動きを見過ごす訳にはいかず、芭蕉がこの辺りを探し回ってから、111年後、この地に決定されたのです。

それで何ですが、迂闊にも、肝心の松平定信が「ここだ!」として建てた、「白河関跡」の石碑を撮るのを忘れてしまったのです。ホント残念でした。

石段を登った丘の上に「白河神社」があります。この神社は8世紀頃からこの地にあったそうです。関の廃止と前後してできたようです。


それで、この石段何ですがよく見ると「まったく摩耗」していないのです。苔生している割には新しく、多分10数年前に造られたものでしょう。


残念?ながら社殿もかなり新しく、今ひとつ雰囲気がありません。


社殿の周りには「壕」が掘られていて、大昔、ここに何らかの「防衛施設」が存在していたのは間違いなさそうです。


この壕の存在も「関跡」とした理由の一つになっているのです。確かに、山城、砦、関所のイメージはあります。

それと、この空堀の壕なのですが、砦の周囲に壕を掘り敵の侵入を防いだようですが、攻撃する側としては、この壕に入れば「姿を隠す」場所となり、攻撃の機会を窺い待機する場所として、攻撃側に有利に思えるですが?

それとも、防御側がここに身を隠し、敵を向かえ撃つのでしょうか?


いろいろ思いを巡らし辺り歩くと、歌碑があちらこちらに建っていて、ここが「奥の細道」の名所である事を主張していました。


解説板には、芭蕉も憧れた「能因法師」の歌がありました。この人こそが、陸奥ブームの立て役者です。この人の時代には関は消えて無くなっていたのです。


『都をば 霞とともに たちしかど 秋風ぞふく 白河の関』

この歌は、都に居て詠んだのです。わざわざ日焼をして奥州に行って来た振りをしたそうです。悪気があってと云うよりも、そんな悪戯を楽しんだ「風狂、風雅」の人のようです。

その当時より、かなり「ばればれ」だったようです。芭蕉も当然その事は知っていました。それでも、陸奥はロマン溢れる異国の地だったのです。

風狂、風雅、そんな境地に憧れながら、神社を後に苔生した石段をゆっくりと下りました。


「白河関の森公園」の話しは、まだ少しあります。


続きは明日と云うことで、


それでは、ここで本日はおしまい。




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芭蕉は「見なかった、詠まなかった」白河の関

2007年10月24日 | 旅の話し
昨日の続きです。

「南湖公園」前、ラーメン屋「海」で教えて貰った通りに車を走らせ、10分ほどで「白河の関跡」に到着。店の女性が云っていたとおりの所用時間です。「何も無いおじさん」は不正解でした。

「関」は道沿いに有り駐車スペースが有りません。


車を停める場所を探しながら、100㍍ほど走ると「白河関の森公園」の看板を発見。

公園に入って判ったのですが、「白河の関跡」はこの公園と繋がっていて、見学はここの駐車場に入れるのです。

そう云うことであれば、「この先に駐車場有り」の「案内板」を関の前に立てるぐらいの配慮があってもねぇ? 

遠方より訪れる観光客に、それぐらいのサービスはねぇ。どうですか?7月に白河市長に当選したばかりの「鈴木和夫さん」頼みますよ。


「何も無いおじさん」が云っていた「新そば祭り」は来週ではなく、来月のようです。

居ました。芭蕉と曾良さんです。

銅像の台座には二人の句が刻まれています。

「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」 曾良

「風流の はじめや奥の 田植えうた」  芭蕉

曾良は「白河の関」を詠んでいるのですが、芭蕉は特に「白河の関」を詠んでいる句ではありません。

芭蕉が訪れた時は、白河の関が廃止されて三百年から四百年も経っており、所在はまったく不明で、芭蕉もいろいろと探し歩いたのですが、結局判らなかったのです。

「奥の細道」の「奥」は、陸奥であり、陸奥は「白河の関」を越えた所から始まります。その記念すべき陸奥に足を踏み入れたのですが、芭蕉は一句詠みませんでした。

やっぱり、何処にあるのか判らない「白河の関」を詠むことに、芭蕉は納得しなかったのでしょう。「風流の はじめや奥の 田植えうた」 は隣の須賀川で詠んだ句です。

陸奥は、遠い地の果て、未開の地、蝦夷、異民族、異国、異文化・・・・・・。
陸奥は、今の時代では想像できないロマンがあったのでしょう。
 
公園の奥にある「ビジュアルハウス」です。しかし、何てケッタイナ「名前」を付けたのでしょうか。横文字カタカナ表記は止めなさい!


建物は、大夫昔から流行の「コンクリの打ちっ放し」です。こんな「冷たい」外観の何処がイイの? 

一瞬、『コンクリ打ちっ放しって! どんだけ~~』と、叫びたくなりました。先客も、後客も誰も居ません。


内部の展示装置には、それなりにお金が掛かっているようです。

この曾良の句は、ボタンを押すと「ガラス板」の間に浮かびあがってくる、ハイテクぽっい仕組みになっています。

内部に20~30人程度入れるホールがあり、1時間おきにビデオを上映しています。ビデオの内容について見渡した限りでは、何処にも説明らしきものは見つかりません。

係員の姿も見当たりません。時間になるとどこからか現れ、スイッチをいれるのか? それとも、タイマーで時間になると勝ってに上映が始まるのか?

兎も角、我々はパスしました。館内を5分程度で一巡りして外に出ました、これからいよいよ白河の関跡に向かいます。

隣の小高い丘の裾を巡る小道は大木が茂り、薄暗くひんやりとしています。陸奥の峠道を歩く旅人気分を味わいながら、関跡に向かいました。


ラーメン屋で会った、「何にも無いおじさん」の話しと違い、誰も居ませんでしたが、白河の関跡の周辺にはいろいろと面白いものがあります。

明日は、いよいよ「旧白河の関跡」です。


それでは、また明日。 








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東北白河の「味噌タン麺」と「塩タン麺」

2007年10月23日 | 旅の話し
19日、20日と1泊2日で福島の「岳温泉」に行って来ました。

一週間前には、19日、20日の2日間だけ「天候は曇り」、その前後は「雨」の予報だったのです。

それが、旅行の2~3日前より予報は2日間だけ「雨」で前後は晴れと、完全に逆転してしまったのです。

天候が回復するように、あらゆる神様にお願いしたところ、雨は19日の夜半から20日の夜明けに降り、日中は晴れる「奇跡?」が起きたのです。

旅行前日、18日のブログの最後に、

『お釈迦様、観音様よろしくお願いします。
アラーの神様、モハマド様、キリスト様、皆さん宜しくお願い致します』

と書いた「御利益」があったのかもね? 二人の「日頃の行い」を、神様、仏様が「しっかり」と見ていたのでしょう。

まぁ。冗談はさておき、ホントに天候に恵まれた2日間でした。

当日、東北自動車で先ずは、白河を目指しました。白河到着を12時前後として、昼食に名物「白河ラーメン」を食べるのです。

白河ICを出て、棚倉街道沿いの店をガイドブックを見ながら物色したのですが、結局入ったのは駐車場の空いている店に・・・・・・、満車の店には入れませんからね。


配偶者は、

「ねェ。大丈夫? 空いている店って?」

「本日の“つき”具合により吉とでるか凶と出るか、お楽しみです」

と答えました。

雨の予報でしたが、ここまでは「曇りのち晴れ」なので、今日は「つき」が味方している筈です。



店に入ると、作業着姿の60代のおじさんがビールを飲んでいました。軽トラで店に来たようです。

外観と云い、内装と云い、「鴨汁そば」を注文したくなる佇まい。カウンター席の存在だけが、ラーメン屋の雰囲気を感じさせます。

その時、もしかして? これは? 白河ラーメンのブームに便乗して、日本そば屋から、ラーメン屋に商売変えした店かも? この店に入ったのは運の“尽き”かも? 一瞬、頭を過ぎりました。


メニューを眺め考えたのですが、「魔が差した」のか、何故か、生まれて始めて見る「みそタンめん」の文字に吸い寄せられ、注文してしまいました。配偶者は「ワンタンめん」です。


店の女性に、

「白河の関までは、ここから何分ぐらいかかりますか?」と聞くと、

「そうですね、この先の信号を右折して、道なりに行って15分ぐらいですかね」

そして、カウンターのおじさんに同意を求めると、おじさんは、

「うーん。信号が幾つかあるから、15分ぐらいはかかるよ。白河の関に行っても何にも無いよ、来週には“そば祭り”があるけどね、ホントに何にも無いから」

と、しきりに「何にもない」をくり返すので、

「何も無く、誰も居ない、そのことは判っています。それがイイのです!」

と、キッパリと云ってしまいました。

先ほどから吸っているタバコの煙が気になっていたのと、何も無いの繰り返しが「混じり合い」チョットだけ、カチンときてしまいました。

おじさんは親切のつもりで云ってくれたのでしょう。でも、タバコの煙と臭いが大嫌い、そして、好きなビールを我慢しているのに、車で来てビールを飲む「おっさん」が許せなかったのです。

そうこうしているうちに、注文の品が運ばれてきました。

ワンタンめん。丼の縁に寄りかかる「海苔」が少し気取っています。いつの頃からか、こんなスタイルが流行、東北の地にも辿り着いたようです。


みそタンめん。タン麺は「塩味」で有るが故に「タン麺」なのです。やはり、寒い北国においては、「塩味」は寒いのです。


それでも、店主としてはメニューの一画にタン麺を加えたかったので、敢えて、「みそタンめん」なる、ヘンテコなメニューを考案したのでしょう。

今、これを書きながら、改めてメーニューを眺めて気が付きました。左から、ビール、コーラ、ジュース、大盛りの隣に、何と!「塩タンめん」が有るでわないですか!

「みそタンめん」の隣にあるべき「塩タンめん」、この距離感に店主の複雑な思いを改めて感じる次第であります。

それで、肝心の味の方なのですが、全体の評価としては・・・・・・、それは、それなりに、それなりの味がしました。やはり、日本そば屋から「鞍替え」した影を感じました。

但し、麺は太めの「縮れ麺」で歯ごたえが良く、確かに手打ちの麺で合格でした。


今日は、この辺でお終いです。


次回は、白河の関に向かいます。


それでは、また明日。 



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取手競輪場の「コーチヤ」って何?

2007年10月18日 | 街の風景
一昨日の続きです。

ガス展の様子を一通り眺め、競輪場の観覧席に入れないかと、通路を探し求めていると、割とあっさり観覧席に入れました。

開催日ではないし、また、こういう「博打場」の出入りには、「厳重」な警戒態勢がひかれていると思いきや、まったくの無警戒態勢でした。

競輪場に足を踏み入れるのは「生まれてはじめて」です。競馬場も、オートレース場も、ボートレース場も、これまで博打関係の現場には、一度も入った事が無いのです。

階段を上がって直ぐ、左側が「総ガラス張り」の観覧席。これにはオドロキました。「ヘェー! もしかして?これは馬主の特等席?」と、一瞬、思ったのです。

ここは競馬場ではなく競輪場です。それにしても、立派な観覧席です。競馬場はもっと観覧席は立派なのでしょう。


こちらが一般席?しょうか。


思っていたよりも、コースは広く緑も有り、健康な雰囲気がします。


数人の選手が、のんびりとコースを走っていました。私も一度このコースで思いっきりペダルを漕いでみたくなりました。

自分では「かなりやれるのでは?」と、思っています。近所にある長い坂を、高校生が立ち漕ぎで上がって行く脇を、私は悠々と座ったままで追い越して行く脚力が有るのです。

自転車漕いで40年のベテランです。30代の頃は往復30㎞の道程を、3年間ほど自転車通勤していました。


誰もいない観客席を見渡しながら缶コーヒーで一服です。


観客席の後ろから、谷を一つ挟んだ先にキャノンが見えます。


ここが、「車券?」、「投票券?」を買う処です。開催日には殺気だったおじさん達で、ごった返すのでしょうか。


お馴染みのトイレ見学です。まぁ、競輪場のトイレに有る意味で「相応しい」佇まいと云えるのでしょう。


帰りは正面玄関側から外に出ました。


入場券売場を眺めると、先ほどの観覧席の料金が書いてありました。

総ガラス張りの席は、第1特別観覧席と云うようで、二千円と千五百円です。思ったより安い感じがします。「立見席」の五百円は高い、立見に「席」は無くそこは単なる通路でしょ?

この「お知らせとお願い」に書かれている、「コーチヤ」の文字、始めて見ました。


ノミ行為は知っていましたが、コーチヤとはいったい何なんだろう? 帰宅後に調べたら、「競輪用語集」のページにありました。

コーチや【コーチ屋】
親切に狙い目をアドバイスするようにみせかけて、その車券が当たったら謝礼と称して配当金をゆすり取る悪徳商売。犯罪である。なぜかオールカタカナで「コーチヤ」と書かれる。

これって、お金の授受の方法を別にすれば、競馬の予想屋とやっていることは同じ様に思えるのですが、何で正式に予想屋として認めないのでしょうか?

まぁ兎に角、いろいろな商売?があるものです。一度は開催日に覗いて見たいと思っています。

これまで一度も近寄らなかった所に行き、生まれて始めてのもの見る、これって、きっと、何か、これまでとは違った、世間を経験できるかも知れません。


さて、次は、この側にあるお寺を見に行きます。

それでは、次回まで宜しく。



明日、明後日は旅行です。天候は下り坂、日頃の行いは良い方と思っているのですが・・・・・・何とか晴天にして下さい! 

お釈迦様、観音様よろしくお願いします。

アラーの神様、モハマド様、キリスト様、皆さん宜しくお願い致します。






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取手「競輪場」の「ガス自動車」は?

2007年10月16日 | 街の風景
取手の話しです。前回が13日に書いて、実際に行って来たのが12日の金曜日でした。毎日書いていないと、記憶が薄れてきます。

19日、20日で旅行に行くため、いろいろ情報集めで更新が遅れています。連続更新を止めると、何か調子が悪いと云うか、気分が冴えないと云うか、だからと云って、書こうと云う気分にもなかなか成れず・・・・・・、ホント!難しい状態です。

兎も角、今日は雲に被われ気温も低く、今にも雨が降りそうな気配です。こんな日は、ブログの更新に最高の条件です。

それでは“取手シリーズ”の第二回目を始めま~す。

キャノンの工場から競輪場を目指した訳ですが、私のイメージではキャノンの隣が競輪場だったのです。

工場脇の道を進むと住宅街になり、坂を下った谷間一帯も住宅が続いていました。競輪場は確か「丘の上」にあった筈なのです。

広い通りを探し、遠くに見える丘を目指し、人気のない住宅街をゴミ回収車とすれ違いながら、ひたすらペダルを漕いだのです。

丘の下を車が通るのが見えて来ました。多分、この通りが競輪場の脇を通る道に間違いないと思ったのです。

しかし、住宅街から通りに出る道が見つからないのです。来た道を一旦戻り、またもゴミ回収車とすれ違いました。

平日の午前中に、住宅街をキョロキョロしながら、行ったり来たりする「怪しい自転車男」だと、彼らに思われた事でしょう。

兎に角、広い通りに出ました。競輪場に近い「匂い」がしてきました。競輪場は丘の上との記憶から坂道を上りました。

緩やかな右カーブが終わった所で、右側に競輪場の駐車場が見えて来ました。駐車場には車が有りません。

駐車場の脇を通り、入り口らしき所に向かいました。何かやっているようで、横断歩道にはガードマンが居り、紙袋やポリ袋を下げた人達が、出入りしています。

競輪場の広場を利用して「ガス展」をやっていたのです。

取手、藤代間の車窓から見える「ガスタンク」の会社、あの「東日本ガス」のガス展です。「ガス展」の文字を「まじまじ」と眺めると、何か変?です。

そう云えばガス?の展覧会で「ガス展?」。そんな訳ないのです。 

会場を見回すと、いろいろなメーカーが、レンジや、ガス湯沸かし器や、暖房機や、風呂釜等を展示し、来場者に盛んに説明をしていました。


平日の午前中です。熟年?高齢者?の割合が非常に高いです。

「ガス展」とは、「ガス関連器具の展示販売促進会」の略だったのです。この歳になって「始めて」、そうか! そう云う事か!と、気付いたのであります。まぁ、そんな事、どうでも良いことなのですけどね。

こちらは、展示だけで販売はしていなかった「天然ガス自動車」です。「天然」の文字が無く、ただ単に「ガス自動車」だと、何か、かなり「危ない」と云うか「怪しい」と云うか・・・・・・、天然が付くと、とても「クリーン」なイメージになります。



ガスと云えば、条件反射的に「毒」を直ぐ連想しますからね。ガソリン車も天然資源で走っているわけですから、「天然ガソリン自動車」と言い換えますか?


本日は、この辺で切りが良いので、ガスの話しでお終いです。

競輪場の話しは次回とします。

それでは、次回またお会いしましょう。 





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