歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

10月の「生まれてはじめて」

2007年09月30日 | 雑談
明日からは10月です。一年で二桁の月は「三ヶ月だけ」となっています。

「だからどうしたッ!」と、突っ込まれても、たった今、そう思っただけで、特に意味はありません。


【気持ちい~い!】

10月と云えば、運動会の季節です。

そうなんです!10月7日の日曜日は「マナちゃん」の運動会です。マナちゃんの「生まれてはじめて」の運動会です。

「生まれてはじめて」ってスゴイことですよ! 

これから、ずっと、当分、暫くは、「生まれてはじめて」が「たくさん」続くのです。

毎日が、「生まれてはじめて」の連続です。はじめてばかりが、いっぱい、いっぱい、詰まっていて、一日も、一年も、とても、とても、長いのです。

いっばい! いっぱい! 「生まれてはじめて」を体験して、経験して、大きく育っていくのです。

ガンバレ! マナちゃん! 応援に行くからねェ!


それにしても、歳を重ねていくと「生まれてはじめて」が、ほとんどと云うか、まったくと云うか、無くなってしまいます。

一日も、一年も、いつもと同じ事がくり返され、変化がありません。中身の無いスカスカした毎日が連続する一年、あっと云う間に過ぎ去って行きます。


【一瞬、龍の頭に見えたのですが、タダの折れた木でした】

なんとか、スカスカを埋め、「生まれてはじめて」をこれからも、いっぱい経験し、ドキドキ、ハラハラして、オドロキとカンドウを味わいたいものです。

そんなこんなで、10月は、福島県にある「阿武隈洞」に行く計画を立てています。鍾乳洞を見るのは「生まれてはじめて」なのです。

ホントは春頃より佐渡島に行く予定を立てていたのです。生まれてはじめて「カーフェリー」に乗って、生まれてはじめての、「日本最大の島」「佐渡島」を楽しみにしていたのです。

それが、あの地震により中止する事にしたのです。私は「問題ない」と思っているのですが、周りが反対するのです。


【阿吽の狛犬ではなく、阿と阿の一対?の狛犬。かなり変です】

それで、生まれてはじめてを別に探し求め、鍾乳洞に変更したのです。阿武隈洞は「東洋一」だそうです。でも、東洋って何処から、何処までなのでしょうかねェ?

これから毎日、少しずつ、福島の情報集めをはじめます。


それでは、また明日。



※写真は本文とは関係ありません。前回の土浦郊外シリーズの時に撮影したもので、掲載を考えていたのですが、半端になってしまったのです。もったいないので載せました。



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土浦 「田園」そして、空青く!雲白く!

2007年09月29日 | 季節の風景
今日は「一周年」の翌日です。

土浦郊外シリーズの最終回になります。一周年記念の翌日、新しい一年の出発を飾る最初の日が、シリーズの最終回から始まるのも何かの縁?

兎に角、今日は休み明け、肩の力を抜いて楽にいきたいと思っています。楽とは写真を中心に、文章はチョットだけと云うことです。

それにしても、この日の空は最高でしたよ。


「テクノパーク土浦北」を抜けると直ぐにこんな風景になります。


田圃が見えてきます。


長閑な農村風景。


立派な門構えの農家? 昔の庄屋様のお屋敷?


剥製所とは、これまた珍しいですね。


空が青い! 雲が白い!


空が青い! 雲が白い!


空が青い! 雲が白い!


空が青い! 雲が白い!


空が青い! 雲が白い!


空が青い! 雲が白い!


空が青い! 雲が白い!



ホントに!ホントに! 空が、大きく!大きく!、いっぱい!いっぱい!、広がっていましたよ~~!


それでは、また明日。 



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ブログ開設一周年記念

2007年09月28日 | その他


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土浦の、明るくて、寂しい、「都市再生機構」

2007年09月27日 | 街の風景
昨日の続きです。

ホントに、最近の工場団地は良く整備されていて公園のようです。


工場は表側は明るくピカピカなのですが、裏側はやっぱり工場なのです。これは先ほどの「ノーリツ」の裏側です。


煙突や、配管や、タンクや、ダクトや、その他、訳の判らない、機器や、装置が取り付けられていて、何やら「変な物」が出てきそうで「不気味」な感じがするのです。

工場にも「表と裏」があるのです。食べ物屋さんも「表と裏」では「かなり」の落差があります。食べ物屋の裏は覗かない方が賢明です。

またまた昔の話しになりますが、私は「昇降機」の会社で働いていた事があるのです。

人間用のエレベーターとか、自動車用のエレベーターとか、「ダムウェーター」とか「リフト」と呼ばれる、荷物用の小さな「昇降機」とかの「保守点検」をやっていた事があるのです。

その「リフト」は、飲食店にも多く使われていました。その頃に行った、「豚カツ屋さん」とか、「天ぷら屋さん」とか、「すき焼き屋さん」とか、名前を聞けば誰でも知っている、「老舗」とか「名店」とか呼ばれる店にも行きました。

そういう「食べ物屋さん」の「リフト」の「昇降路}の内部は、う~ん・・・・・・、やはり云うのは止めます、聞かない方がイイです。

そんなこんなで、裏側の話しで回り道をしてしまいました。

それで、この建物「FamilyMart」と「MARUMO」の二つの看板を掲げています。ファミマに「食品」を納入している会社のようです。


弁当か、おにぎり屋さんのようですが、先ほどの食べ物屋の話は昔のことです、今は昔と違います、それに「工場」ですから、安全面、衛生面は組織的に管理されている筈です。

きっと・・・・・・そうだと、思います。

工場団地を販売している「不動産屋?」の看板を発見しました。「UR都市機構」とあります。始めて聞く名前です。


調べてみました。

「独立行政法人 都市再生機構」(Urban Renaissance Agency)と云うそうです。

ここに到るまでの経緯が「勉強」になります。

先ずは、あの有名な「日本住宅公団」が1955年に設立された処から始まります。

そして、1981年に「宅地開発公団」と統合され「住宅・都市整備公団」が設立されます。

そして、1999年に分譲住宅の供給を停止して、名称から「住宅」が消され、「基盤」が加わり「都市基盤整備公団」となります。

そして、2004年に「地域振興整備公団」の地方都市開発整備部門と統合され、「公団」と「基盤」と「整備」が消され、「再生」と「機構」が加わり「都市再生機構」となります。

いろいろありました。戦後の高度成長、バブルの崩壊、行政改革、公社公団の整理統合。「都市再生機構」の歴史は、戦後の歴史そのものです。

昔は住宅公団のアパートを「公団アパート」と呼び、私の様に「都営アパート」の住民にとっては、「憧れ」の「高級」で「文化的」なアパートでした。

その昔の「住宅公団」が、こんな名前で、こんな処で、こんな仕事をしていたのです。ホントに時代は変わったのです。

しかし、「都市」再生機構が「田舎」で商売しているのも変です。そのうちに、「田舎再生機構」に名称が変わるかも知れません。


それで、ここは「テクノパーク土浦北」と云うそうです。土地の販売価格ですが「平米3万前後」だそうです。坪単価9万円は、「高い」のか?「安い」のか?

それなりに企業も進出して来ているので、それなりの価格なのでしょう。

こちらの進出企業は、かなり派手な色彩の外観です。


看板には「化粧品・日用品卸商社・あらた」とあります。 


調べてみました。
「あらた」は国内最大の化粧品・日用品卸商社だそうです。売上高は4,559億円を超え、資本金は50億円、社員数2,358名もいるそうです。

きっと、わたしも、この会社を経由した商品をこれまで購入していた可能性が高いようです。

化粧品や日用品が、こんな卸会社の、こんな場所にある、こんな色彩の、こんな物流センターを経由して、スパーの棚に並んでいるのです。

「うん。そうか、そうなんだ」と、思いながら見つめるのです。


こんな工場団地「テクノパーク土浦北」は、明るく寂しく、それなりに面白いところでした。

まだまだ土浦郊外を走ります。


それでは、また明日。 




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土浦 明るくて寂しい「テクノパーク」

2007年09月26日 | 土浦市の風景
昨日の続きです。


トンネルを抜けると、明るく輝く「工場団地」が現れました。


しかし、通りには「人っ子ひとり」居ません。それにしても、広い通りに緑の並木、お金が掛かっています。



広い敷地は緑の芝生に囲まれ、ガラス貼りの明るい事務所建屋、実に綺麗に出来ています。立派な工場です。


これは、あの「アルミサッシ」の「トステム」の工場です。2006年の売上高5434億円 だそうです。

こういう産業の、こういう工場も「この程度」の「設備」が可能になったのです。やはり、日本は「お金持ちの国」になったのでしょうか? それとも、大企業だけが「お金持ち」になったのでしょうか?


大企業、そして工場と云うと思い出すのは「社員食堂」のことです。以前、真面目に働いている頃のことです。(今は真面目にぶらぶらしています)

私は社員食堂など無い「零細企業」で働いていたのですが、仕事の関係で電気メーカー等の社員食堂に何度か入ったことがあります。

食堂を利用したのは、ソニー大崎、ソニー厚木工場、ソニー幸田、ソニー一宮。アイワ宇都宮、アイワ岩手工場、バイオニア所沢、パイオニア川越、パイオニア静岡。ビクター川崎、キャノン取手、キャノン阿見、と云った処です。

今、思い出しながら書き出したのですが、いろいろな工場で食べたものです。全部「タダ」で食べました。

やはり、何と云っても、ソニーが一番でした。メニューが豊富なこと、食堂の設備が良い事、他の企業と「ワンランク」異なりました。例えて云えば「ファミレス」レベルです。

カメラメーカー№1のキャノン取手工場は、メニューも設備も最低で、例えて云えば、場末で老夫婦が二人で細々と営む定食屋さんのようでした。

工場の食堂が、敷地内、建物内で何処に設置されているかで、その企業の社員に対する姿勢が判ります。

話しが逸れてきましたので、元に戻します。兎に角、明るく綺麗な工場団地です。



それで、明るく「ピカピカ」の「トステム」何ですが、やはり裏の工場は暗く寂しいのです。


こちらも、明るく綺麗な「ノーリツ」の正面玄関です。あの「ガス風呂釜」のトップメーカーです。


広くて、明るくて、寂しい工場団地を軽快にペダルを漕いで進みます。兎に角、空は青く、雲は白く、吹く風は爽やかです。

工場団地の話しは、まだまだ続きます。

ここらで一旦、終了します。


それでは、また明日。 


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土浦郊外「常磐高速道」の下は暗く寂しく湿っています!

2007年09月25日 | 土浦市の風景

昨日の続きです。

ケムンパスが大量発生している「草創の郷」を後に、常磐道沿いに進路を取りました。

こんな処に野球場がありました。


野球場の先に、何やら「農場風」の入り口らしき門を発見。


こんな処にやっぱり農場でした。それが何と「あの」、「中川ヒョーム管工業株式会社」の農場でした。門柱は勿論、ヒューム管で造られていました。

そう云えば、さっきの野球場も「中川野球場」とありました。ここら辺一帯は「中川ヒューム管」の土地のようです。



土浦市と云えば「中川ヒューム管」ですから、駅前の商業ビルのほとんどが「中川グループ」の「延増興産」の所有だそうです。市長も「中川一族」中川清さんがやってます。

それで、「中川ヒョーム管」のHPを見たのですが、この「農場」には触れていませんでした。

ついでに、「ヒューム管」て何なのかを調べたところ、オーストラリア人の「W.Rヒューム」が1910年に発明した、鉄筋とコンクリートを材料に、遠心力を使って作られた、コンクリート管のことだそうです。ヒュームは発明者の名前だったのです。

所謂、下水、汚水のコンクリート製のパイプです。日本には今から82年前の1925年に製法が伝わったそうです。

「中川ヒューム管」も、その頃に土浦で創業した会社です。ヒューム管の老舗なのです。

「中川ヒューム管農場」とあり、場長に「中川延四郎」とあります。この人を調べたら、「中川商事」の創立者でした。

四郎ですから、中川家の「四男」でしょう。「延増興産」の「延」は、多分、延四郎の「延」から取ったものでしょう。

「ヒューム管工業」が大正9年の創業で、「商事」の方は大正11年になっていました。当然、この「延四郎さん」は亡くなられている筈です。


門から中の様子を窺ったのですが、農場としての実体はなく、単なる「空き地」のようでした。

「植樹祭記念」「緑化推進」とありましたが、いつのころ造られた農場なのでしょうか、延四郎さんが「場長」ですから、かなり昔の事なのでしょう。

でも、門柱にはそれほど時代が経った様子は有りません。兎に角、何だか?良く判らない?農場でした。 

この辺りは、人通りも「車通り」も、「まったく」と云っていいほど有りません。直ぐ脇の常磐道は、車がびゅんびゅんと音を発てて走っているのですが、その直下の測道は人気が無く、薄暗く寂しい処なのでした。


日陰になっており、休憩するのには「持って乞い」の場所です。


記念にカーブミラーに映る姿を一枚。

暗く湿った測道を数百㍍走ったところで、高速の高架下にトンネルが出現しました。

トンネルの先は、遠くに筑波山、青い空、白い雲、緑の芝生が輝いて見えます。反対側は別世界のようです。



別世界の話しについては次回とします。


それでは、また明日。 



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土浦郊外「草創の郷」のケムンパス!

2007年09月24日 | 土浦市の風景
一昨日の続きです。

関東で始めて目撃した、関西訛りの「モータープール」を後に、緩やかにカーブした坂を下ります。



黄金色の田圃が視界一杯に広がります。今年は「バケツ稲作農家」を経験していますから、この景色は他人事ではないのです。

「豊年万作」で、「良かった!良かった!」と頷き眺めてしまうのです。


これが「ぜ~んぶ、お米なのです!」 これが「ぜ~んぶ、ご飯になるのです!」
眺めていると、何故か嬉しくなるのです。

嬉しくなるとぺダルも軽くなり、自転車の速度も早くなります・・・・・・、そうでした下り坂だったのです。


何故かここで思い出したのです。
その昔、私が二十代の頃です、何かの用事で電車に乗っている時の事です。

小学生の兄弟らしき二人がドアの側に立ち、外を眺めていたのです。弟の方が兄に質問をしました。

『上り坂と、下り坂はどちらの方が多いか? 知ってる?』

兄は暫く考えてから、頭を左右に振ったのです。弟は云いました。

『坂道は、上りがあれば、必ず下りがあるんだ、だから答えは、どちらも同じ!』

私は傍らで聞いていて、素晴らしい答えに感心し思わず頷いてしまいました。あの兄弟は今頃何処で、何をしているのか? 

そんな事を思い出しながら坂を軽やかに下って行くと、坂は上りに変わってきました。

「お食事処」の看板です。田舎道、緩やかにカーブした上り坂。なかなかの風景です。

坂を上り暫く走ると、村の集会所が見えてきました。近づくと「中都町農村集落センター」の看板が立っています。

「農村」に「集落」、普段はあまりお目に掛からない文字です。広場と木立と建物の作り出す何とも云えない佇まいが、長閑な田舎を感じさせます。


自転車を広場に乗り入れ休憩です。見上げる桜の樹の葉っぱのほとんどが、葉脈だけを残し、スケルトン状態です。

石碑がありました。「草創の郷」です。あの前知事の書です。


「草」に分け入り、荒れ果てた草原を開墾し、豊かな大地に「創」り変えたのです。この一帯は戦後に開拓された、新しい田園地帯、新しい「郷」なのでしょう。

何か手掛かりでもと思い、石碑の裏に回りました。


有りました! 入植者の出身地と氏名が刻まれています。

1番が長野県で、37名。

2番が地元の茨城県で、13名。

3番が新潟県と宮城で、各2名。

4番が山形県と岩手県で、各1名。  合計56名

皆さん、ここに到るまでは相当な苦労があった事でしょう。いろいろな事情から、ここに名前の刻まれていない方も居られると思います。

皆さん! ご苦労様でした! 一瞬拝みそうになりましたが、仏像では有りません。多分、かなりの方は未だ健在と思われます。

それにしても、年号が刻まれていませんでした。簡単な開拓の歴史なども刻まれていると、こちらとしてはトテモ有り難いのですが・・・・・・。

それと、氏名を読んでいた時です、ゲッ!毛虫がウジャウジャ這い回っているのです。 キ~モチワリ~イ! 背中が痒くなる~!

葉っぱをスケルトンにした犯人です。気持ち悪くて直ぐに逃げ出しました。防除をした方が良いと思います。


さぁ。もう少し遠くまで行ってみます。


それでは、また明日。 



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孫が来ました!

2007年09月23日 | その他
土浦郊外シリーズは臨時休業です。

今日、パパとママと一緒に孫が来たので~す。

お墓で待ち合わせです

孫の到着で~す。走るのトッテモ速い!


みんなで、お墓の回りをきれいにして、お線香、お花、お水を手向けてご先祖様に「ご挨拶」です。


お墓参りを済ませ、ランチタイム。近くのファミレスに入り孫は「お子さまランチ」です。少し残しましたが、まぁまぁ食べたほうです。

孫は食事に執着しないタイプなのです。パパとママは毎日々、食べさせようと、日夜格闘中なのです。



内緒でおしえてくれました。

『ゴハンを食べないと、パパにトイレに入れられちゃうの』

閉じこめられたらどうするの?

『だしてくれ~! だしてくれ~! ドアをたたくの』

と、笑って答えてくれました。

子育ては大変です。それでも孫は4月の時より3㎝身長が伸びました。

『じーじ。重くなったからダッコしてごらん』と云われ、抱き上げると体重も増えているようでした。

何キロあるの?と聞くと、ニッコとして「17キロ」と答えました。パパに聞いたらそんなにはそうです。

食後は「運動」です。

風船。


ちっちゃなメリーゴーランド。


ボールのプール。


いっぱい遊んで、帰りに「大きな風船」を貰い、風船をくれた「係のおねえさん」に一歩近づき、

『おねえさん、ありがとう!』と、云ったのでした。

おねえさんは「始めての経験」のようで、かなり恐縮した表情をしました。孫は「お行儀」の良い子なのです。

その後は、家に戻り沢山遊びました。

「鉄棒」できるから、見せてあげると云い、近くの公園に行きました。公園内は草が「ぼうぼう」です。


電池式の蚊取り器を3台設置して、鉄棒のお披露目です。


幼稚園の鉄棒よりかなり高いようです。


少しママに助けて貰いました。


上手に回れました。


この日は「お泊まり」しないで、夕方には帰ってしまいました。

「おみやげ」はじーじの作った籾殻付き「お米」です。

じーじのお米を食べて大きく元気に育って下さい。

じじバカでした。


明日は、土浦郊外シリーズが再開します。


それでは、また明日。 


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土浦市「普通の風景」と「モータープール」

2007年09月22日 | 土浦市の風景
又しても“土浦”です。

前回、9/14~9/18の5回シリーズは9月1日の土曜日に土浦市内を歩いた時の話しでした。

今回は9月9日の日曜日に、土浦の郊外を「歩き」ではなく「自転車」で走り回ってきたのです。車はいつもの市民会館の駐車場に入れました。

今回目指すは、何故か気になる土浦市内から筑波山方向への裏道です。

それ何んですが、高速道路とか電車に乗っていて、目的地に向かうまでの「通過」していくだけの「風景」を眺めていると、“ふと”思うのです。

あの風景の先はどうなっているのか? 歩いてみたい、確かめてみたい、そんな“ふと”思った処を走ります。


市内を抜け“裏伝い”に「土浦北インター」の方向に向かいます。

東京の郊外のその先の土浦市、その土浦の郊外の団地です。とても寂しく映るのです。この寂しさが何とも「魅力」なのです。


この2階建てのアパートは空き家です。雑草の茂った風景がとてもイイです。人の住まなくなった家は「うらぶれて」いて、とても懐かしい気持ちにさせてくれます。


写真中央に小さく見える歩道橋、この広い道を真っ直ぐ進と土浦北インターがあります。歩道橋の上に見える山影が筑波山の端っこです。

私はこの広い道を真っ直ぐ進まずに、歩道橋の下を渡り右の裏道に入ります。

こんな道が好きです。何もなく、普通で、そんな処になかなかの「味わい」があるのです。


田舎の小学校の校庭です。校庭と聞いただけで、見ただけで、懐かしくなります。「野球大会」をやっていました。


「田舎・校庭・野球」、これぞホントに「長閑で平和な休日風景」の代表です。でも、帰り際に「弁当業者」が大量に弁当を運び込み、役員らしき女性が代金のやりとりをしていました。

野球大会のお弁当は「おかあさん」の「手作り」ではないようです。少し長閑ではない風景を見てしまいました。

野球を眺め、お茶を飲み、休憩終了。筑波山に向かってペダルを漕ぎます。ここで、ふと傍らの看板の文字が気になりました。


「モータープール」とあります。これは「関西系」の表現です。今からもう30数年も前のこと、大阪に出張した時、始めて「モータープール」を眼にしたのです。

東京には「モータープール」は有りません。それと「アイスコーヒー」は「冷コーヒー」で、何処の喫茶店でも「焼き飯」がありました。

焼き飯、冷コー、モータープール、かなりの違和感がありました、ホントに「遠くに来たんだなぁ~」と、思ったものです。

「おでん」のことを「関東炊き」と云ったり、お刺身を「お造り」と云ったり、配偶者を男の方が「よめ」と云ったり、駐車場も「モータープール」と云われるようになってきました。

関西系の表現は好きではありません。関西弁が嫌いなのです。ですから関西落語は嫌いですし演じる落語家も嫌いです。

「良い悪い」の問題ではなく「肌合い」の問題ですので、これはどうしょうもありません。

話しが逸れてしまいました。


この続きは次回にします。


それでは、また明日。


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ホント!にホント!の雑談 その2

2007年09月21日 | 雑談
最初に先ずは訂正です。昨日、もうすぐアクセス数が「2万」と書いたのですが、「3万」の誤りでした。

「お詫びして訂正します」・・・・・・、何て事を書いても、本人以外の人には、それほど意味のないことなのですが、それでも、やっぽり、本人としては、それなりに「アクセス数」は気になるものです。

昨日頂いたコメントの返事にも書いたのですが、「自分の書きたい事」、「自分の興味のある事」、その事を書き続けている筈であったものが、いつしか、知らない内に、読む側を意識し始めるのです。

自分の興味から、「読む側の興味」を意識し始めるのです。やっぱり「受けを狙う」のです。

そこで、思うのですが、テレビの「視聴率」とか、「やらせ問題」とか、眼で見て楽しめ、あまり「考えないテーマ」への偏りとか、そんな事と比較して、考えてしまうのです。

テレビ、特に民放では、兎に角「視聴率」です、低ければ番組は終了します。視聴率は「死活問題」です。ホントに下請けの製作会社は食べていけなくなります。

視聴率の為ならば「やらせ」でも、「馬鹿番組」でも何でも作ります。それが普通の人の普通の感覚ではないかと思うのです。

普通の人は、そう云う状況になれば、普通にそう云う事をしてしまうと思うのです。

普通の人が、普通の人を「喜ばせる」事を第一に考え、番組を作っていると、いつしか、普通の人も「つまらなく」なって来る、そんな気がするのです。

ホントに最近のテレビは「つまらない」です。と、云つつも、テレビは見ているのですが。

NHKの朝の連ドラは、ハッピーエンドに向かっています。視聴者の要望に応えた終わり方になるでしょう。

よかった!よかった!で、みんなが気持ちよく終わる事を願っていますから、その視聴者を無視出来ませんからね。私もその独りです。

朝のひとときに現実の厳しい世の中を、そのまま見る気は誰もしませんから、楽しい、面白いが、一番です。



テレビなどは「そんなものでイイのだァ」と、云われれば「まぁ。そうですねェ」としか答えられませんが・・・・・・・。

話しが逸れてきました。
それで、えーと、何だっけ、そうでした。いつしか読む側を意識してブログを書く話しでした。

私には「スポンサー」が居る訳ではないし、「視聴率=アクセス数」が少ないからブログを終了させられる訳でもありません。

それでも気になる「アクセス数」、やっぱり「受ける」と嬉しいですからね。


それで、話しは琴光喜なんですが、雑談なので話題は突然飛びます。完全に「以前」の「琴光喜らしさ」に戻ってしまったようです。

突然、精神面が強くなれるのであれば、とっくの昔に大関になっていた筈ですから、琴光喜がそんなに簡単に「変身」できたら、逆に「変」なのです。

天敵「朝青龍」が居なくても、勝手に転んでしまうのです。同部屋の琴欧州もホントに情け無い、単なる「ノッポ」で「相撲」になっていません。

彼の「顔つき」が「弱そう」なのです、あの顔では相手に精神的な余裕を与えてしまいます。

そもそも、親方の「元琴の若」もデカイだけで、表情に「強さ」がありませんでした。3人とも「表情」が「やさしい」のです、似たもの同士が集まったようです。

琴翔菊もそんな感じで、ボチボチ勝っている程度です。

ボチボチと云うと、「そこそこ勝ちのそこそこ負け」の稀勢の里ですが、ホントに忘れ去られてしまいます。

新入幕の豪栄道は今場所大活躍ですが、来場所もその次の場所も、期待して大丈夫でしょうか?

豊真将も、今一で大勝ちできません。琴光喜もダメ、稀勢の里は絶対にダメですし、今のところは豪栄道なのですが、来場所からは取り口を研究されて、厳しい状況になる筈です。

豪栄道が厳しい状況で勝ち抜いて、大関になって貰いたいのですが、その上を狙える力士には見えないのです。どちらかと云えば、名関脇のタイプに見えてしまいます。

兎に角、豪栄道は来場所も二桁勝てるかですね。期待しています。今場所は未だ終わっていませんでした。しかし、優勝は白鳳に間違いないでしょう。


それにしても、「安倍ちゃん」は、入院して表に出てきません。自民党のつまらない総裁選挙はニュースの最後の方で、映像なしの一行程度のコメントで充分です。



それでは、また明日。 
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