歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

① 福島県の岳温泉に行って来ました。

2011年11月30日 | 旅の話し
タイトルに“福島県の岳温泉に行って来ました”と書いたのですがァ~、なんせ、行ったのが10月の20日ですから、あれからもう、かれこれ一ヶ月以上も歳月は流れているのです。

それでも、写真を見直し、思いを呼び覚まし、時を引き戻し、あの時、あの場所で、見たこと、感じたことを、あたかも、昨日のこと?のように、綴ってみたいと思うのであります。

それで、何故?福島?で、何故?岳温泉?と云えば、思い起こせば4年前の秋、連れ合いと二人で岳温泉を訪れているのです。その時から、母が、私も、いつか、きっと、行きたいと云っていたのです。(※その時の話しは2007年10月23日から11月13日まで19回のシリーズ綴っています)

行きたい、行ってみたいと、早、4年の歳月が流れ、そして、今年、東日本大震災で東電福島第一原発の原子炉爆発で放射能汚染です。

岳温泉付近の放射線量は“0.2マイクロシーベルト”前後で推移、我が家の周囲とそれほど差はありません。それでも母は“福島は・・・ちょっと・・・大丈夫?・・・”と、ちょっと気の進まぬ母に、兎に角、行くことで、それなりに、東北の、福島の、復興支援になるのだと説得し、今回、旅に出掛けたのです。

東北道は所々で復旧工事で車線規制があり、一番渋滞したのは、目的地の二本松インターの手前で、渋滞と云うよりも何度も、何度も、流れが止まり、尺取り虫状態でした。


こちらは急ぐ旅ではなく、旅館のチェックイン時間にかなり早かったので、丁度いい時間調整でした。

予定どうり、3時5分前に旅館到着。


こちらは、ご夫婦でハーレーに跨がり温泉旅行。50代とお見受けしました。イイですねェ~。


なかなかイイ感じです。


玄関前の太鼓橋、これも、イイです。


でも、しかし、このフロントの、土足を脱いで、畳敷き、そして、カーペットのフロアー、この畳敷きの狭い出っ張りの意味が判らん! 年寄りには邪魔くさい!


チェックインはこちらに座って記入。


高齢者が居ると云っておいたので、エレベーター前の部屋でした。部屋数は20室の旅館。


部屋は一応二間です。この小さい2畳ほどの部屋はどう使うの?


布団は敷かれていました。寝具は、さっぱりと綺麗で清潔で合格。


時間も早く、わたくしは、おふくろを部屋に残し、温泉街の偵察に出発します。


偵察の報告は次回とします。


それでは、また。


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稀勢の里が大関昇進で牛久の街は?

2011年11月28日 | 牛久市の風景
今日、牛久の街は大騒ぎか?と、思って行って来ました。

先ずは市役所から覗いてみました。

本場所中はいつも立っている幟が、風に揺れていましたが、


特に大関昇進について触れた“横断幕”とかを期待していたのですが、やはり、正式決定前ですし、“祝う大関”とか、次は初優勝だァ!とか、“横綱を目指せ!”とか、そんな横断幕はきっと業者に手配中なのでしょう。


街中の祝賀ムードを期待したのは、ちょっとばかし気が早かったようです。

それにしても、千秋楽の取り組み前の大関昇進“確実発表”は、相撲協会の、兎に角、興業第一が見え見えで、千秋楽の琴奨菊戦をつまらなくしました。

苦手の豪栄道に負け、落ち目大関の、日馬富士に負け、千秋楽はこれも“大の苦手”琴奨菊に負け、10勝4敗で直近3場所32勝で、大関昇進も“いまいち”の盛り上がりでした。

でも、まあ、よくやった稀勢の里。ホントに、ホントに、待ちに待った大関昇進です。次は初優勝を期待します。

まあ、そんなこんなで、祝賀ムードは期待を裏切られ、牛久駅前を目指したのです。


初めて渡った駅前に続く歩道橋、


おや、これは、何と、日時計の下にカッパが一匹。とても、とても、寒そうで、寂しそうで、悲しそうです。


眼が飛び出ています。


頭の皿には1円玉ひとつ、ホントに、ホントに、もう一匹、お友達を横に座らせてあげたいと思いました。


でも、この“哀愁のカッパ君”は、とても気に入りました。

駅前に着くと、人通りも少なく、“うしく現代美術展”の幟が何本もはためいていました。


こちらは、設計当初の思惑をよそに、唯々、暗く、汚く、寂しい駅前屋外ギャラリー的な一画。


展示板?掲示板?告知版? こんなところに“坂本冬美”です。来年の春、牛久の待ちに来るようです。観てみたい、聴いてみたい気がします。最近はホントに綺麗になり、色気も出てきた冬美ちゃんです。


何か、どことなく、最近の和服で歌う、立ち姿が、仕草が“石川さゆり”に似て見えます。彼女は石川さゆりに憧れて演歌歌手になったと、何処かで云っていました。

まあ、それは、それとして、稀勢の里ですが、本場所の場内放送で“関脇、稀勢の里、牛久市出身、鳴戸部屋”と流れるのです。

が、しかし、幼稚園は龍ヶ崎市で佐貫駅前の“みどり幼稚園”で、中学も龍ヶ崎市の“長山中学”なのです。そして、いつも、茨城版の記事では、何故か小学校は何処の卒業か触れないのです。

牛久市出身で、龍ヶ崎市の幼稚園と中学校の卒業で、小学校は不明?。

うん、これには、きっと、隠された?、触れられたくない?、何かが?あるような、気がしないでも、ない、のです。

冗談はさておき、兎に角、まあ、よくやった! 来場所は初優勝! 頑張れ稀勢の里! でした。


これで、お終い。




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地図と測量の科学館へ行って来ました

2011年11月25日 | つくば市の風景
先週、つくば市街の北の外れにある『地図と測量の科学館』へ行って来ました。

この日は平日で、二人でお昼を外で食べようと出掛けたのです。それが、お昼を頂くにはチョットもう少しお腹を減らしてからとなり、いつの日か、行ってみたい、覗いて見たいと思っていた、国土地理院の『地図と測量の科学館』を目指したのです。

その日は、特に何も無いのでカメラは持って行かなかったのです。この写真は以前に撮ったもので、科学館の敷地の外れにあるパラボラです。


当日貰ったパンフです。

【最近プリンターをスキャナー付きに買い換えました。何と驚きの嘘みたいな5千8百円】

それで、科学館に到着したのが12時半近く、それなりに広い来館者用の駐車場は、何故かそれなりに混んでいるのでした。丁度いい具合に一番手前の入館口に近い位置に、一台分がおあつらい向きに空いていました。

こんな平日の昼下がり、科学館は混んでいるの?と思いつつ入り口に向かい玄関を入ると、館内には人影はなく静まりかえっているのです。あの駐車場の混雑はいったい何なの?です。

先ずは、館内の状況を掴もうとキョロキョロしていたら、どこからともなく一人のオジサンが近づいて来たのです。そして、“ご案内しましょうか”で“ハイ。お願いします”となったのでした。

そのオジサン、館内の展示品の説明するなかで、私より3歳年上である事が判明、国土地理院で在職中は航空写真から地図を作成する仕事をしていたそうで、定年後に科学館の広報係をしているそうなのです。

それで、他に誰も居ない広い館内を案内してもらったのですが、それは、それで、とても、面白く、為になり、こちらも、時々質問などした事で、もう、それは、じっくり、親切に、詳しく説明をしてくれました。

展示されていたなかで、とても、とても、機械らしい機械で、“手を触れないで”の注意書きの貼られた機械を、特別サービスで触らせてくれたりしたのです。

航空写真を覗きながら地図を描くその機械で、オジサンは長年地図を描いていたとのこと、10㎞四方の写真を地図に描くのに1ヶ月も掛かったそうです。今はコンピューターで素早く描けるそうです。でも、コンピューターで何時間?とは、聞けませんでした。

かなりの技術と、技能と、知識と、経験と、いろいろあって受け継がれてきた仕事が、コンピューターに置き換えられてしまった現実は、かなり“キビシィー!”と思います。でも、コンピューターのプログラムにはオジサンの技術、技能、知識、経験が生かされているのでしょうね。

そんな、こんなで、館内をほぼ一巡して、時計を見たら、何と、何と、2時半になっていたのです。12時半に入って2時半です。2時間も経っていたのです。

その方によると、見学時間は50分として設計されているそうで、何と2倍以上の時間を費やして見学をした事になります。私は楽しんだのですが、連れは途中で飽きてきた様子でした。

でも、しかし、私としては、あっと云う間の2時間でした。それでも館内の展示品をすべて見た訳ではなく、すべてをじっくり見ていたら、半日かかるかも知れません。

屋内展示でこれですから、まだ屋外展示もあるのです。これはもう、一日たっぷり楽しめる施設のようです。外には双発の飛行機も展示してあり、ホントこの科学館は面白いです。

地図記号を教わる小学三年生以上が対象で、孫は来年三年生、来年は、絶対に、孫を連れて見学に来ることを固く心に誓ったのでした。

ホント、面白くて、ためになって、そして、無料の、『地図と測量の科学館』でした。

皆さんも、是非見学に行かれたら、と思います。


以上、お終い。


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⑮ 東京ミッドタウンはイナゴの何とか?

2011年11月23日 | 東京の風景
久しぶりの“都心シリーズ”で、そして、本日は最終回となります。

今回の“都心シリーズ”歩いたのは、何を隠そう、10月9日でとても暑い日でした。時は流れ、移ろい、本日は11月の23日で勤労感謝の日です。

膝掛け毛布の出で立ちで、暑い日を語る、これは、これで、なかなかの味わいと云うか、風流と云うか、とてもバカバカしいと云うか、兎に角、最終回なのです。

今回のコースは実際に歩くまでは気が付かなかったのですが、起伏の激しいコースでした。首相官邸から六本木交叉点に向かう“六本木通り”はかなりの上り坂、汗を拭きつつ、遠くの高層ビルを眺めつつ一息付きつつなのでした。


坂道を上り終わり、六本木交叉点に近づくと右手には俳優座が、そうでした。六本木交叉点と云えば、俳優座とアマンドなのです。


“じゃじゃ馬ならし”に“夏の夜の夢”ですか、シェイクスピアですか、高級なお芝居です。


交叉点には、ギターを抱えて演奏する女性の像がありました。

調べてみると、“本郷新”と云う方の作品でした。
それで、この作品名は“奏でる乙女”と云うそうです。現在のブロンズ製なのですが、最初の像は1954年(昭和29年)設置されたそうです。その時の像はコンクリート製だったそうです。

その2年後、地下鉄工事で退かされて、近くの三河台公園に移転、その時に腕やギターを壊されたり、人々の心から忘れらたりと、寂しい日々を過ごしていたようなのです。

その後、“奏でる乙女”を懐かしむ人々の強い希望で、1975年(昭和50年)にブロンズ像になって復活したそうです。乙女も、それなりに、いろいろと苦労があったようです。

六本木交叉点を右折して外堀通りを、最終地点の千代田線乃木坂駅を目指して歩きます。

こちらの店先では、かなり苦労した“二宮尊徳さん”のブロンズ像が、周囲の雰囲気とは隔絶し、生真面目に勉学に勤しんでいました。



右手には、“三井物産”が開発した“東京ミッドタウン”

『2007年3月30日、六本木で開業した東京ミッドタウンは、ホテル(ザ・リッツ・カールトン東京)、文化施設(サントリー美術館など)、130に及ぶ商業店舗、オフィス、住居、病院、公園などが集約された複合施設です』

『かつて、ここは、江戸時代 萩藩 毛利家下屋敷でした。明治時代に陸軍駐屯地となり、終戦後には米軍将校の宿舎、日本に返還された後は防衛庁の檜町庁舎として、実に400年あまりの間、一般には閉ざされた土地として使われていました』ホームページより引用

しかし、ホントに別世界“タヘシタモンダヨイナゴのションベン”です。

こういう所に、出入りしたり、働いたり、暮らしたりする方々は、原発事故の放射能汚染とか、少子高齢化とか、財政危機で増税とか、EUの金融危機とか、TPPとか、どう考えているのでしょうか?

こちらミッドタウン前の、かなり高級そうな美容室です。入り口で佇む男女二人。


連れが云うには、この男性はテレビにも顔を出す、かなり有名な美容師だそうです。それで、何故、ここに佇んでいたのかと見ていたら、この後、お金持ち風の50代の女性客を、最敬礼でお見送りしていました。


ホントに、ここいらでは、別世界の風景が繰り広げられています。

ワインの試飲販売?


ホントに“大した”街です、東京ミッドタウン。先ほどの“イナゴのションベン”ですが、“大した”を“田へした”と、捩っている訳です。念の為。


やっと、やっと、乃木坂駅が見えて来ました。


妙な外観のビルだと思って調べてみたら、“桂由美ブライダルハウス”の東京本店でした。我が家の近くの畑の中に、二階建てほどの“桂由美ブライダルハウスつくば”の大きな看板が立っていたのですが、先日通りかかると別の看板に変わっていました。


兎に角、トイレに行きたくなったのです。


この駅は、かなり階段があるのです。


トイレを済ませ、やっと帰途につきました。


今回、歩いた距離は約7㎞でした。表参道駅を出発したのが10時55分、途中でランチを食べて、乃木坂駅到着が14時45分ですから、約4時間コースでした。


起伏がありかなりの運動でした。ホントに東京の真ん中は別世界。これが、日本の、東京の、中心の、最先端の、今なのでした。

ここが、ニッポンの、全体を、端っこを、動かしているのです。たまには、端っこから出て来て、中心を歩くと、何となく、いろいろと別な見方が、できるかも知れません。

これで、15回続いた“都心シリーズ”はお終いです。

それでは、また。


【追記】
“鼻のヒリヒリ・タラ~リ”は、ブタ草アレルギーではなく、単なる鼻風邪だったようです。


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鼻の奥がヒリヒリして鼻水タラ~リです。

2011年11月21日 | 健康
昨日の午後、自転車を2時間ほど走らせて家に戻ったのです。

家に着いたら、左側の鼻の奥が米粒ほどの範囲で“ヒリヒリ”するのです。

夕食後、ヒリヒリ感は両側になり、範囲も“1円玉”ぐらいに拡大しました。もしかして、これは?と思ったのです。

この鼻の奥のヒリヒリ感は、春先の“スギ花粉アレルギー”の症状とそっくりなのです。これは、もしかして、この歳になって、今を盛りに咲き誇る“ブタ草”に反応したのか?と思いました。

夜寝床に入る頃にはヒリヒリ感は500円玉に拡大していました。鼻炎カプセルを2錠飲み床に入ったのです。

今朝起きたら、ヒリヒリ感は幾分収束感があったのですが、今度は、クシャミ、鼻水の症状が現れました。

春先のアレルギー反応は、年齢を重ねる度に、体力の低下と共に、徐々に弱くなってきていたのです。それなのに、それなのに、今度はブタ草ですか・・・・・・?

財布を落としたり、“ブタ草”に反応したり、なんとも情け無いことになってしまいました。

財布は落としても戻って来ました。このクシャミ鼻水も一時的、突発的な反応で治まることを願っているのです。

財布は観音様の御利益?でしたから、今度の、クシャミ・鼻水も、もしかして、観音様の御利益に“お縋り”すれば、何とか・・・・・・・。

鼻炎カプセルの副作用で、何となくボンヤリで、何となく怠く、“都心シリーズ”の最終回はそのうちです。


それじャ、これで、お終い。





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財布を落として、あれやこれやで、参りました。

2011年11月17日 | その他
いゃ~~、参りました。

ホントにガックリで、まさに意気消沈でした。

何て、ついていない日だと、思ったのでした。

財布が無い事に気が付いた時は、エッ! エッ! エッ~~~!でした。

ナント、ナント、落とす30分前に銀行に行って、2万円を下ろし財布の中には3万7千円程度が入っていたのですよ。

そして、現金以外に、運転免許証、銀行のキャシュカード、クレジットカード、保険証、残高3千ほどの図書カード、各種お店のポイントカードが5枚、等々で、かなり、これはヤバイのです。

それで、その日の足取りなのですが、おふくろを迎えに土浦市に向かったのです。途中で銀行に寄り、いつもの習慣で、霞ヶ浦運動公園でジョギングコースを3周し、そろそろ約束の時間だと、車に戻る途中で、ポケットに手をやると、左側のポケットの膨らみが無いのです。

車から降りるとき、右側の携帯、左側の財布をポケットの上から手で触り確認していたのです。車に置き忘れた筈は有りません。公園の中で落としたことは間違いないのです。

その時、直ぐに、途中で柔軟体操をした事を思い出し、その場所に走って向かったのですが、周辺を探しても、財布は何処にも有りませんでした。路面はアスファルトで財布が落ちていれば、10数㍍離れていても判るのです。人通りもチラホラある場所です。

その日は、普段は外に着て行かない、ナイロンのベストを着ていったのでした。ポケットにはチャックも無く、深さも浅く、ナイロン地ですから良く滑り、屈んだりしたら、直ぐにポロリだったのです。

落としたたと思われるその場所から、トボトボと車に戻り、無いと判っていても、車内を探したりしたのです。約束の時間が迫り、ボンヤリ悔やんでいる時間も無く、おふくろが待って居る15分ほど離れた場所に向かったのでした。

情け無くも、腹立たしくも、運転に意識を集中しつつも、公園での行動を思い返しつつ、信号待ちをしている時に、もしかして? 柔軟体操をした場所ではなく、公衆便所で小用を足した・・・あの時!かも、と、閃いたのです。

でも、しかし、約束の時間は迫っており、遅れれば年寄りは有らぬ事を考え心配するので、公園に引き返す訳にはいかず、約束の場所に向かったのです。

おふくろを乗せドアを閉め発進して直ぐに、財布の件を話し、これから警察に届けを出しに行くと話し、その前に、便所が気になるので、もう一度公園に寄ってからと告げたのです。

おふくろは、今朝、雨の降る中を彷徨った夢を見たそうで、雨の降る夢は良くない事が起こる前兆だと、送って行く時の車内で話していたのです。

その前兆は見事に的中したと話し出し、良くない事は自分の健康に関する事だと思っていたそうなのです。それが、息子の財布紛失事件であった事で、半分は安心した表情をしていました。残りの半分はキャッシュカードとか、クレジットカードを不正に使われる事を心配していました。

公園に着き、おふくろを車に残し、もしかして、もしかして、あの公衆便所は道路から一番遠くにあり、利用者の少ない場所なので・・・、あれから、まだ、一時間弱、もしかして、もしかして、と思いつつサッカー場を横切り、期待と、不安と、諦めを胸に抱きつつ、薄暗い公衆便所に足を踏み入れたのです。

じっと、じっと、眼を凝らして、コンクリートの床を、端から、端まで、隈無く探したのですが、財布は何処にも見当たりません。もしかして、拾った奴が現金だけを抜き取り、個室の方に棄てていったかもと、調べたのですが、やっぱり有りません。

一応、念の為、公園事務所に寄って、財布の届けは無かったか?聞いたのですが、ジャージ姿の中年前期の女性職員が“有りませんねェ”と明るい笑顔で返事をくれました。あんたには関係無いけど、こういうときの明るい応対は、何かねェ~~・・・なのです。

それから、土浦駅前交番に向かったのですが、駅前交番は無人。しかたなく土浦警察署に向かいました。駐車場は狭く込んでおり 、隅の出し入れのとてもやりづらい場所に入れ、おふくろを車内に残し警察署の中に入りました。

玄関を入って内部を見渡すと、運転免許証関連の案内看板ぶら下がり、貼り付けられ、ベンチが並び、警察署と云うよりも“運転免許証更新所”の趣。何処へ行ったらいいのやら、キョロキョロしていると、左の隅にガラスで仕切られ、小窓の付いた部屋があり、会計課の看板の下に“落とし物・拾い物”の貼り紙を発見。

早速、中を覗きつつ小窓のガラス戸を左に引きつつ”スイマセン。財布を落としたのですがァ”と告げると、数人が机に向かって事務を執っているなか、小窓近くに座っていた部屋の中で一番若い職員が“どうされました”と云いつつ、小窓に向かって歩み始めました。

事情を説明すると、小窓の脇の書類立てから、一冊の黒い表紙に紐で閉じた、お役所的で古風なバインダーを捲り、書類に眼を通して“いまのところ、それに該当するような届け出は有りません”と告げ、“書き方の見本はあちらにありますから、それを参考にして記入して下さい”と、A4の書類を手渡されました。

云われたとおり、あちらに行って見本を参考に、住所、氏名、年齢、電話番号、落としたと思われる、日付、時間、場所、財布の色、形、金額、その他、クレジットカード等々を記入し提出。

それを受け取った後で、「あなたの遺失届けは、平成23年11月16日付け、土浦警察署遺失届受理第○○○○号で受理しました」と書かれた、A4用紙を4分割した紙切れを貰ったのです。

これですべて手続きは終わり、最後の望みは断たれ、諦めつつ、落胆しつつ、肩を落としつつ、後悔しつつ、おふくろの待つ車に向かい、届け出は無かったと告げ、車をバックで切り返しを何度かしつつモタモタしていると、先ほどの職員がこちらに向かって走って来るのでした。

私は、一瞬、先ほどの書類の記入に不備が見つかり、その訂正でもするのかと思ったです。しかし、彼の口から出た言葉は

『いま。あなたの物と思われる財布を届けに来られた方が見えたのです! 確認して下さい』でした。

これぞ、ホントに、ホントに“エッ!?エッ!?・・・ウッソー!? ホント?エッ!”なのです。地獄へ落ちたと思ったら、直ぐに天国へ引き戻されたような、何が?何だか?状態で先ほどの窓口に向かったのです。

職員は書類を確認して、私に向かって“身分を証明するものはありますか?”聞くのです。私は一瞬、エッ!何を言ってるの?と思いつつ、“免許証も保険証も、みんな財布と共に落としたんですけど”と、云うと、“アッ!そうでしたね、それでは、生年月日を言って下さい”となり、生年月日を告げたのです。

それを確認すると彼は後ろの机に戻り、トレーの上に財布と中身の現金をすべて並べた状態で私の前に差し出したのです。中身を確認して下さいと云われ、免許証やカード等を確認して受け取ったのでした。

職員に謝礼の事を聞くと、“あちらの方が届けてくれた方で、謝礼は当事者どうしで話し合って下さい。法的には5%から10%の範囲です”と云われ。一応「5千円」と心に決めて、届けてくれた方の方に向かったのです。

年の頃なら70代の前半、黒い野球帽に黒のベスト、黒ズボン、幾分疲れた服装でしたが、笑顔の優しい、正直そうな方でした。

その方の話しでは、やっばり公衆便所で拾われたそうで、免許証が入っていたので、落とした方は困っているだろうと、直ぐに免許証の住所氏名から電話番号を調べ、家に電話を掛けたが留守のようで、警察に持って来たとの事でした。

丁重にお礼を言い、謝礼を渡そうとすると、イイですよ、イイですよ、と二度、三度、そんなやり取りをくり返した後、やっと受け取って貰いました。

帰りの車中で、おふくろが“財布を落としたと聞いてから、心の中で、ずっと、ずっと、観音さまにお願いしていた”と云うのです。おふくろは観音様を固く信じているのです。これまでも何度か助けて頂いているのです。これでまた、おふくろの“観音様への信仰”は、より強く、固く、確かな、ものになると思います。

家に帰って、財布の中身をすべて出して確認したら“観音様”のお守りが出てきたのです。財布の中に入れていた事を忘れていたのです。これって、もしかして、やっぱり、観音様の御利益かしらと、晩酌の焼酎で酔った頭で、思ったりしたのです。

ホントに、ホントに、良かった、良かった、の一日でした。

それが、それで、お終いではなく、翌日の10時頃に土浦警察署から電話があり、何だ?、何だ?と出て見ると、昨日の職員が手違いで「受領書」を貰うのを忘れたと云うのです。

エッ!もしかして、受領書を提出するために、また、わざわざ、土浦の警察署にまた行くの?面倒だなあ・・・と、一瞬、思ったら、“書類を郵送するので記入して送り返して下さい”とのこと、返信用の封筒も同封してありますとの事でした。これも、良かった、良かったでした。

それが、まだ、その日は、別の件で続きがあるのでした。

私が外出している時に、財布を拾った方の連れ合いと名告る方から“財布は手元に戻りましたか?”と電話があったそうです。当日、財布を拾ったことを、電話番号を調べ家に連絡しようとしたのは、この奥さんなのでした。

何で、どうして? 旦那は奥さんに、警察署に届け、財布は落とし主に渡し、謝礼もきちんと貰ったことを、まったく告げていないようなのです。旦那は妻の居る家に帰らなかったのか、帰っても何も事情を説明せず、妻も、旦那に聞く事ができない、そんな、複雑な事情があるのか?

財布を落としたわたくしも、ドラマチックな一日でしたが、たまたま、公園の便所で財布を拾った方も、その奥さんも、いろいろドラマチックな一日だったような?

まぁ、人生は、いろいろとあるので、退屈しないのですが、暇だからと云って、落とさない方がいいと思います。先ず戻っては来ません。

みなさんも財布を落とさないように、どうか、しっかり、気お付けてください。落ちやすいポケットに財布を入れて、柔軟体操したり公衆便所に入った時は、その後は直ぐに必ずポケットを確認して下さい。


以上、“財布紛失顛末記”でした。


それでは、また。

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⑭ 青山通りで“サンマの塩焼き定食”は930円です

2011年11月16日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

首相官邸を後に、外堀通りの横断歩道を渡りまして、青山通りに入ります。

通りの上は高速道路の高架で覆われ、とても、とても、視界が悪く鬱陶しいのです。このあたりが、かの渋滞情報で良く耳にする、“谷町ジャンクション”なのです。

それにしても、質屋“セキネ”ですが、いつか、何処かで、耳にした、目にした、何とも懐かしい名前です。こんな処で出会うとは奇遇です。


青山通りでは、“サンマの塩焼き定食”が、ナント!ナント!もひとつオマケに、ナント!930円もするのでした。どんなお店で、どんな器で、どんなサンマが、どんな盛られ方で、テーブルにお出ましになるのでしょうか。

店の賃貸料も、店内の装飾も、調度も、板前の腕も、みんな、みんな、超一流なのでしょう。青山通りの、そういうお店で、サンマの塩焼き定食を食する客も、それなりに一流の方達なのでしょう。

秋刀魚でこれですから、“鰤の照り焼き”とか、私の好きな“鰆の西京焼き”の定食だと、目の玉が飛び出る価格になるかも。

そうでした。“サンマの塩焼き定食”で思い出しました。とある場末の定食屋さんで、50前後のサラリーマンの3人連れの一人が、サンマ定食を食べながら、“ウチの子供達は、サンマの喰い方が下手で、もう、汚らしく食い散らかす”と嘆いていたのです。

食事を終わった私は、その3人連れのテーブルの脇を通り過ぎるとき、嘆いていた親爺の皿を覗くと、何とも“汚ねえ”食い散らかし方に驚いた記憶があります。子供が子供なら、親も親なのでした。

と、云う、私ですから、“サンマの喰い方”には自信があるのです、超一流なのです。骨には身の欠片ひとつ、皮の欠片ひとつ、残さず、骨格標本になるような、美しくも、見事な骨だけが、皿の中央に横たわるのです。

そして、この骨に、熱いお湯をかけ、骨湯でいただけば、もう、猫も振り向かない、跨いで通るほど、全てを食べ尽くし、しゃぶり尽くし、骨の髄まで味わい尽くしてしまうのです。

まあ、骨湯までは滅多にやりませんが、ホントに綺麗に食べるのです。これは、自らの命を投げ出し、私の命になってくれた、サンマへの感謝の気持ちの現れなのです。

何て、きれい事を述べましたが、ホントは、兎に角、サンマが旨いと云うことで、結果として、綺麗に食べてしまうのでした。でも、しかし、食べ終わり満腹になると、サンマの良い匂いが、嫌な臭いに変化するのです。

魚を料理した後、調理器具とか、皿とか、室内に漂う臭いとか、こんな処が、魚離れの原因だと思うのです。豚、牛、鶏、等には起こらない現象です。牛ステーキを食べ終わって満腹になっても、イイ“匂い”は悪い“臭い”に変化しません。

これって、やっぱり、ホントの魚好きではないから?

終着点に近づき、14回目で終わりそうなので、15回目で終わるように、本日は、サンマの話しで1回分引き延ばしたのです。

何となく、“じゅうし”で終わるのは縁起が悪そうなので、次回15回目で終了させる魂胆なのです。

自転車の変速機は6段あるのですが、4段目は使わないのです。段々、歳をとると、そんな気持ちになってくるのでした。

どこの病院にも、四号室は無かったような気がします。入院した部屋が四号室では、助かる人も助からない気がして来るのです。何たって、人間、気分、気持ち、考え方、次第で身体の具合も変わるのです。

景気も気分次第です、金のない人は借金をして、金のある人は貯金を下ろして、みんなが明るく元気に使い捲れば、景気は必ず良くなります。

話しが、あっちに行ったり、こっちに行ったり、サンマに行ったり、景気話しに行ったり、今日は、いつもよりも、かなり、かなり、とっちらかってお終いです。

次回15回目で、都心シリーズは終わる予定です。

それでは、次回。


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⑬ 首相官邸の裏を歩き政治を身近に?

2011年11月14日 | 東京の風景
先週からの続きです。

未だ、未だ、未だ、都心を歩いています。

永田町です、政治の中心です。経済の中心が大手町、行政の中心が霞ヶ関、この三者が、この近所に固まっているのです。この辺りの一画で、いろいろとニッポンを動かしているのです。

この建物は、ニッポンを動かす衆議院の第一議員会館です。


ふり返ると、そんなニッポンを動かす中枢の一画に、“天竹酒店”と“そば黒澤”があるのでした。


そんな一画の、角に東京メトロの出入り口があります。


ここでも警察官が警戒中です。何か、とても、入り難い入り口です。この地下では、東京メトロの、南北線と千代田線と丸の内線が交差しているのです。脇の坂道を登って行くと国会議事堂の裏手に出ます。


ふり返れば、時々、マスコミで、広くて豪華で立派だと、いろいろと批判や非難を浴びせられる、議員会館の建物群です。国民の代表として立派な仕事をしていれば、誰も、何も、文句は云わないのです。

建物が立派過ぎる、豪華過ぎると、建物を虐めては可哀想です。建物を悪者にしてはいけません。広くて豪華で立派な建物、何たって、ニッポンの国民の代表が入る建物ですから、イイと思います。

遂に、見えて来ました。ニッポン各地の代表が国会で選んだ、そのまた代表者、日本国の首相が執務する首相官邸です。


首相官邸の裏側です。何故かテレビで見る表側よりも、裏側から見ると何かとても“こぢんまり”としています。


表側にはひろい前庭があり、組閣時には黒塗りの高級車が、入ったり、並んだり、出て行ったりする光景がテレビに映し出される、あの官邸の裏がこれです。

現在は千葉4区を代表して国会に来ている野田佳彦君が国会で選ばれて、この首相官邸で、毎日、毎日、執務しています。

本日はAPEC首脳会議でハワイに出張中で不在です。それにして、1945年の敗戦以来、アメリカには頭が上がらないのです。もうそろそろ、何とか、真剣に考える時期に来ているのです。それなりの覚悟を決める時期です。TPPはとても良いチャンスです。

それで、裏側も警戒は厳重です。


首相官邸を後に、外堀通りに出ます。


こちらも、ゲートが設けられ、


警察官が警戒中です。ここでも、やっぱり、あまり、緊張感はありません。何だ、かんだ云っても、日本は未だ平和なのか?


外堀通りの横断歩道を渡り、首相官邸をふり返ります。初めて首相官邸のすぐ裏を歩き、何だか、とっても、首相官邸が身近な存在に感じました。


この記事を偶々読んだ方も、是非、首相官邸の裏側を歩き、首相官邸を、政治を、身近に感じて、いろいろと考えるキッカケにしてみたら如何でしょうか?

あの、アメリカに袖にされた“鳩山さん”が云っていた?“任せる政治から参加する政治へ” その第一歩は、首相官邸の裏歩きからと、半分冗談で、半分本気で、そう思うのです。

それにしても、ハワイのAPEC首脳会議ですが、オバマも、サルコジも、胡錦濤も、メドベージェフも、それなりに国を動かしている雰囲気を感じるのですが、ど~も、野田佳彦首相には、それが感じられないのです、

野田さんだけではなく、ここ数十年、田中角栄のその後から、首相が、その地位を自覚していないと云うか、自覚できない諸般の事情があるような、そんな気がするのです。

そんな、こってすから“任せるから参加する”への、チャンスとも云えるのです。

でも、しかし、いまの世の中、内政も外交も経済も、複雑で、こんがらかって、先ず、現状を理解することさえ、とてもムズカシイのです。

学者も政治家も、現状分析でもめ、解答でもめ、誰~れも、答えを出せないのです。もしかして、正解の無い時代なのかも? 答えの無い問題をどうやって解くのか?

本日は、たいへん、ややこしく、生真面目な話しになってしまいました。


それで、まだ、都心歩きは続いているのです。


この辺です。



それでは、次回。



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⑫ 永田町首相官邸側の“そば黒澤”はあの黒澤関係でした!

2011年11月11日 | 東京の風景

暫くぶりですが、未だ都心を歩いております。

山王日枝神社の裏手を歩いております。このあたり、ニッポンの、政治の、中枢の、かの“永田町”なのです。

そんな日本の中枢で、のんびりと?酒屋さんを営んでいる“天竹酒店さん”です。この一画だけは周囲とはまったく異質の空間です。

天竹(てんたけ)酒店は、ブログによりますと“昭和23年創業の諸官省御用達・和洋酒食料品商”だ、そうです。

のんびりそうに見える酒屋さんですが、店先の道路には警察官が立ち、いつでも、すぐにでも、道路を閉鎖できるように、警戒態勢にあります。でも、何か、あまり緊張感は感じません。

一軒置いた隣は、これぞまったくの異空間、“張りぼて風”建物の醸し出す雰囲気が、何か変なのです。よく見ると、小さく“黒澤”とあり、お蕎麦屋さんなのです。


調べてみました。

オドロキの事実が判明したのです。でも、その筋の、それなりの関係者や、それなりのファンには良く知られているの?

お店のホームページにこんな事が書かれていました。

・・・・・・ここから引用です・・・・・・

   映画監督・黒澤明の名を冠し、映画の感動を食で再現。
   「世界の黒澤」が客人をもてなした料理の数々。

   黒澤監督が好まれた鹿児島直送黒豚/黒牛のしゃぶしゃぶ、すっぽん料理。

   高橋邦弘氏直伝の自家製粉の手打ちそば。

   最高の食材を黒澤流にお召し上がりいただけます。
   黒澤組スタッフが手がけた内装は黒澤映画の世界を彷彿とさせます。

・・・・・・引用おしまいです・・・・・・

黒澤家の関係者も、それなりに関わっているお店のようです。価格帯はかなりお高いようです。ランチは数千円ぐらいが平均単価のようです。

内装は“黒澤組”の手に依って造られたそうです。でも、外装にもそんな匂いがして、やっぱり、何処となく、何となく、映画の“オープンセット”の匂いがします。

兎に角、こんな処に、こんなモノが、でした。

ホントに歩いていると、いろいろな発見があるものです。

黒澤明監督は、あの世で、この店を、どんな思いで、眺めているのでしょうか?


今日は朝から冷たい雨が降っています。おふくろがテレビを見ている居間では、今年初めて暖房を入れました。

そんなことで、こんな日は、もってこいの“映画日和”なのです。冷たい雨がしとしと降る、そんな日には、すこし寂しい、しっとりした物語が似合います。

と云う事で、今日は、これで、お終い。


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つくば市の秋はパラボラとレバニラ定食

2011年11月09日 | 季節の風景

つくば市の秋

このあたりは、かなり秋です。






ほぼ同じ様な環境条件で、何故に違うのか、この2本。


秋はレバニラ定食が食べたくなるのです。とても美味しかったです。久しぶりのキクラゲ、クニョクニョ感が堪らなかったです。レバーがたっぷり入って760円でした。




このパラボラは何処を見つめているのでしょうか?




青い空、白い雲、上を見上げるパラボラ、遠くには筑波山。





つくばの秋で、パラボラとレバニラ定食でした。

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