歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

東京スカイツリーの周囲は下町で工事だらけ

2012年03月29日 | 東京の風景
一昨昨日?の続きです。

太麺皿うどんを食べ、墨田区役所を覗き、桜餅を食べ、言問団子を覗き、野口雨情の歌碑を見て、いよいよ東京スカイツリーに向かっています。

路地を伝って東武伊勢崎線の線路脇に出ると、スカイツリーは眼の前と云うか、眼の上と云うか、頭上高くと云うか、兎に角、頭を後方に思いっきり反らせます。


このあたりを歩く人は、皆さん上を向いていますので、人と人がぶつかったり、人と車がぶつかったり、かなり危険なのです。

それで、東武鉄道が線路脇にこんな広場を設置したのです。広場と云うほど広くないので、ちょっとした空き地です。


東武鉄道と“東武タワースカイツリー株式会社”が設置したのです。それで、この“東武タワースカイツリー株式会社”と云う社名ですが、何か、ちょっと、しっくりしません。“タワー”がいらないと云うか、邪魔と云うか、そんな気がします。

名前の話しですが、4年ほど前でした“東京スカイツリー”に決まったのが。

『東京EDOタワー・東京スカイツリー・みらいタワー・ゆめみやぐら・ライジングイーストタワー・ライジングタワー』の6候補の中から、一般投票で決まったのです。

いま見ても、他の候補は、どれも、これも、いま2、いま3、で、単なる当て馬のようでした。いまでは、もう、「トウキョウ・スカイツリー」は、言葉としても、いろいろな意味でも、東京タワーを越えた気がします。

ホント、高いもの好きと云うか、高いところ好きと云うか、“ナントカと煙は高いところに登る”と云うか、確かに高いところから見下ろすのは気持ちがイイですからね。“東武タワースカイツリー株式会社”は絶対に儲かります。

それで広場で、このオジサンは鏡に映るスカイツリーを狙っているのです。皆さん、撮影には、それなりに、いろいろと独自性を考えているのです。私と同じく暇なのです。


連れも、世界一の高さ何だからと、それなりに興奮していました。


東京タワーと比較して、周囲はホントに生活感のある場所に建っています。東武伊勢崎線の脇にあると云うのがイイです。でも、駅名が“業平橋”から“東京スカイツリー”に変わり、そのうちに路線名も“東武スカイツリー線”に変わるようです。


牛田とか、鐘ヶ淵とか、曳舟とか、東向島とか、いろいろと影があり、事情のある駅名には、東武スカイツリー線と云う名称は、何か、とても、似合わないと思います。

夜間照明が点くと、こんな風景になるようです。


連れも一枚。


線路脇を通り、業平橋駅の裏手を通り、表通りに出ました。もう、こんな洒落た、屋根を取っ払った、2階建ての観光バスが走っています。


足下の、以前のとぶ川?は、こんなに綺麗に整備されていました。


あたりは、工事、


工事、


工事、


工事、


工事、


工事で、大変です。


一応、それなりのアングルで、それなりに春を、一輪だけ咲いた川津桜を入れてみました。


以前は賑わっていた通りですが、この日は閑散。


真下で見ると、ホントに首が痛くなる。


隣のビルも完成したようです。この中に水族館があるの?


しかし、狭い敷地に、細く、高く、建てたものです。


どぶ川?に映るスカイツリーは下町情緒?


開業は5月です。私は、絶対に登りません。高所恐怖症なのです。

でも、兎に角、話題の“東京スカイツリー”なのです。

数年前の空き地だった頃、いつの日にか、ここに、電波塔が、と、思って見つめていたら、歳月は流れ、とうとう634㍍が建ってしまいました。

ホントに、ホントに、スカイツリー眺めつつ、月日の流れは早いものだと、しみじみ思った次第です。

まあ、これで、この一帯が賑やかになれば、それは、それで、ケッコウなことです。開業後、暫くしたら、様子を見に来たいと思っています。

それでは、また。




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野口雨情も東海林太郎も“都鳥さえ”何て云ったのです

2012年03月27日 | 東京の風景
先週からの続きです。

隅田川の河畔を二人連れだって歩いています。

“言問団子”の店の前は、ちょっとした公園になっていて、いろいろ石碑が建っているのです。

こちらが“巨匠”と云われる“野口雨情”の歌碑です。


説明には「昭和8年門下生の詩謡集の序詞執筆のため当地に来遊の折り唱われたものである」と記されています。昭和63年に作成された文章です。


『都鳥さえ 夜長のころは 水に歌かく 夢もみる』ですか・・・・・・。


門下生とか、詩謡集とか、序詞とか、執筆とか、来遊とか、かなり古い表現が使われています。遠い、むかし、昭和8年、あの頃、あの時代・・・・・・。そんな想いを、込めた、意識した、結果がこの表現なのでしょうか。、

それにしても、巨匠野口雨情を意識し過ぎたのか、最後の「記念碑に刻し、永遠に保存する」は、とても、とても、大時代的で力み過ぎです。

それで、本題の歌の方ですが、“都鳥さえ”の“さえ”が、引っ掛かるのです。都鳥本人の耳に入ったら、かなり不愉快な気持ちになると思います。

※都鳥はユリカモメ説が有力なのですが、確定ではないそうです。つい最近まで使っていた言葉なのに、何で確定ではないの? あまりにも当たり前過ぎて、誰も都鳥に感心を持っていなかった?

あんな、何処にでも、うじゃうじゃ居る、ありふれて、見飽きた、只の鳥でも、夜長の頃になると、物思いに耽って、下手な歌の一つ捻りたくなる、と、云っているのです。

そう云う歌を、門下生の歌集の巻頭に載せるのは、どういうこと? 門下生の歌は都鳥レベル?って云う事こと? と、思ったのです。

が、しかし、ここは、やはり、自分の弟子の作品を師匠が褒めたら、それは、世の習いに反すると云う事で、卑下した結果なのでしょう。

隅田川に多く生息していた都鳥としては、そんなことに、自分の名前を使われては、立つ瀬がありません。とても失礼なことです。

隅田川で、“都鳥さえ”で、もう一つ、可哀想なことを思い出します。あの歌、あの歌謡曲、あの名曲です。

作詞が佐藤惣之助、作曲が山田栄一、昭和12年(1937年)発売で、あの“巨匠”東海林太郎が唱い、大ヒットした“すみだ川”です。

そんな古い歌を、リアルタイムで聴いたことが有ろう筈も無いのに、ナゼか知っているのです。それだけ、この歌が一世を風靡した証拠です。

それで歌詞ですが、一番が、

♪銀杏返しに黒繻子(くろじゅす)かけて 泣いて別れたすみだ川
 思い出します 観音さまの 秋の日暮れの鐘の声

どうです、情緒たっぷりで、いい詞です。いまでも、メロディーが耳に流れてきます。

そして、二番が、

♪娘心の仲見世(なかみせ)歩く 春を待つ夜の歳(とし)の市
  更けりゃ泣けます 今戸(いまど)の空に 幼馴染(おさななじみ)のお月様

そして、三番に都鳥の登場で、

♪都鳥さえ一羽じゃ飛ばぬ むかし恋しい水の面(おも)
 逢えば溶けます 涙の胸に 河岸(かし)の柳も春の雪

“都鳥さえ一羽じゃ飛ばぬ”です。“さえ”は、ホントに都鳥に失礼だと思います。ホントにこの日は、一羽じゃなくて、二人連れでヨカッタ! 

隅田川の河畔を一人で歩き回っていたら、きっと、自分は都鳥以下なのか? と、春なのに、とても寂しく、悲しく、情け無く、重たい気分になったことでしょう。

兎に角、何と云っても、二人連れ、これより、本日のメインである、東京スカイツリーに向かいます。

案内には、当然、未だ、スカイツリーの名は刻まれていません。


刻まれていなくとも、見上げれば、いいのか?


さあ、それでは、スカイツリーを目指します。


それでは、また。

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梅を探して龍ヶ崎ニュータウン、枝垂れ桜の般若院では?

2012年03月25日 | 龍ヶ崎の風景
今日は天気が良くて、青い空、白い雲なのでポタリングです。

梅の様子を窺いに、龍ヶ崎ニュータウン界隈を走って来ました。

梅は木によって2~3分咲きのもから、5~6分咲きものまで、いろいろでした。


こちらは背景に緑の葉っぱあるので、余計に瑞々しく見える白梅?です。フツウ白梅は、とても埃っぽく見えるのです。


こちらは、薄くピンクに染まった白梅?とても艶っぽいです。


この紅梅と云うのは、何か、造花っぽく、安っぽく、情緒がないのです。


やっぱり、この手の、ほんのり淡いピンクに染まった梅が好きです。


でも、この紅梅のような、枝に咲く花の数が控え目だと、それなりに艶やかさを感じます。


梅園を過ぎ、裏道に入ります。


このロケーション、家もなく、電柱もなく、広々として、時代劇の舞台になりそうです。


あちらから、こちらをふり返ると、こんな風になります。


裏街道を暫く走って、ニュータウンの“展望築山”に到着。これって宅地開発で出た残土の有効利用なのでしょうか。


人は、フツウ、山を見ると登りたくなるのです。


階段の真ん中を頂上を目指し、呼吸の乱れもなく、一気に登りました。足腰はまだ大丈夫なのです。


頭上を成田発の旅客機が通過します。


高いところから見下ろすのは気持ちイイのです。


梅は咲いたか、桜はまだかいな、と、帰りに、般若院の枝垂れ桜の様子を窺って来ました。


桜の蕾は堅く、まだ、まだ、のようです。



龍ヶ崎界隈でした。


それでは、また。


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言問団子は外山惠理でした!そう云われてみれば確かに団子顔?しています!

2012年03月23日 | 東京の風景

一昨日の続きです。

何とも、まあ、残念な桜餅を後にして、失望感を背負いつつ、ここは、もう一つ、団子で口直しと思ったのです。

“長命寺の桜餅”山本屋さんから、通りを隔ててすぐ隣に、これもまた江戸時代より続く、“言問団子”があるのです。

店舗の構えは桜餅よりチョット立派です。


こちらの団子は、小豆餡と、白餡と、味噌味の3種類で、お茶が付いて600円です。先ほどの“お茶付き桜餅一個セットで250円”でしたから、団子3個で600円はそれなりの価格です。


二人であまり食欲をそそらない“サンプル団子”を見つめ考えたのです。湯飲み茶碗には都鳥です。

先ほどの桜餅の失望感が頭を過ぎり、もしかして?この団子にも裏切られかも? デザートとして桜餅に続き、団子3個は?チョット重いかも? それに団子3個で600円もチョットねェ?

そんな、こんなの心の葛藤をくり返した結果、まぁ、そのうち、また今度、と云う事で、今回は言問団子を断念しました。

それで、“言問団子”がですが、言問橋の近くにあるので“言問団子”かと思っていたら、驚いた事に、何と、何と、団子の方が先だったのです。

言問団子が有名になり、その一帯の地名を“言問”と呼ぶようになり、そこに橋が造られ“言問橋”と云う順番なのでした。

それでは“言問”は何処から来たかですが、ここに書かれている、


“名にしはば いざ言問はん 都鳥 我が思ふ人は ありやなしやと”と云う、“在原業平”の歌から付けられたようです。

植木職人の“外山佐吉”と云う方が、団子屋を始めて、団子の名前を“古今和歌集”から付けるとは、なかなか大したお方です。江戸の末期から平成の世まで、たかが団子単品でこの店構え、味もさることながら、“言問団子”の名称に負うこと大だと思います。

いつの世も商品は名前が命。和菓子は餡が命! 団子の命は???

それで、団子が先、橋が後で驚いたのですが、もう一つ驚きました。知っている人は、知っていたようですが、知らない人は、知らなかったのです。

創業者の名前が“外山佐吉”と云う方でしたが、この“外山さん”は、あの“外山さん”のご先祖だったのです。

あの外山さんとは、“外山惠理さん”です!知らないか? TBSアナウンサーの外山惠理37歳です。あまり有名じゃないかもね。ラジオがメインでテレビにはほとんど出ないからね。

以前と云うか、かなり前と云うか、テレビの“チューボーですよ!”に出演していたのですが、ナゼか短期間で下ろされたのです。私としては、危なっかしくて、可愛くて、率直で、イイと思ったのですが、堺正章には嫌われたのかも?

云われてみれば、外見と云い?口調と云い?確かに“向島の団子屋の娘らしい?”と思います。眼は丸く、鼻も丸く、顔も丸く、とても、とても団子ぽくカワイイのです。

兎に角、驚きの重なる“言問団子”でした。

それにしても、日暮里の“羽二重団子”と云い、北千住の“槍かけ団子”と云い、団子は串に刺さっているものです。ナゼに言問団子は串に刺さっていないのか?

それにしても、桜餅屋と団子屋、甘い、甘い、アンコを商うお店が隣接して、長い、長い年月繁盛している不思議。

山本さんと外山さん、昔から仲はイイのでしょうか? 余計なお世話か・・・・・・。


外山さん、今度、必ず、きっと、団子を食べに行きますので、その節はよろしくね!


それでは、また。

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長命寺の桜餅は香り無く・甘く無く・軟らかく無く・好きく無く

2012年03月21日 | 東京の風景
一昨日からの続きです。

この日は曇り、首都高高架下の墨堤通りは、ホントに暗く、寂しく、湿っています。



暗くて、黒くて、大きくて、重い、瓦屋根の重なるお寺です。咲き始めた梅も、何処か寒そうで寂しそう。


見えて来ました。


店の裏手に長命寺があります。


それで、ここまで書いてきて、突然、疑問が湧いてきたのです。それは、お店の名前です。「長命寺の桜餅」は有名なのですが、製造販売しているお店の名前は?何て云うの?

それで、撮った写真をじっくり見つめていると、暖簾の隅に“山本”とあり、


他の写真もじっくり見つめると、行灯看板に“山本や”とあります。


調べてみると、むかし長命寺の門番だった“山本新六さん”と云う方が、桜餅を作って売り出したのです。それ以来、長命寺の桜餅は「山本や」が製造販売を行っていたのでした。

桜餅にはいろいろなスタイルがあり、大雑把に分類すると、江戸風は別名“長命寺”と云い、関西風が“半殺し”の餅で餡を包む“道明寺”があるのです。

それで、これが店内、


緋毛氈が門前の茶店風で、ちょっとだけ江戸情緒。やたら老舗ぶったところがなく、イイと思います。


それでは、デザートの“御召し上がり 250円”を頂きます。山本屋さん「上り」は「上がり」で送り仮名が違います。


来ました。こちらが“江戸スタイル・関東風”の桜餅、長命寺です。


桜の“葉っぱ”は豪華に3枚も使用されています。


二枚を剥がし、残りの一枚に餅を乗せて口に運びます。私は葉っぱも“食べる派”なのです。でぇ、桜のほのかな香り楽しみに口元に運ぶと、アレ?コレ?ナニ?ヘン?なのです。

甘く香しい桜の匂いが、まったく、ぜんぜん、ちっとも、いっさい、しないのです。葉っぱに鼻腔を接触させて、思いっきり吸い込んでも、単に、枯れ葉的?な匂いが微かにするだけです。

私の嗅覚が老化したのかと思い、連れに聞いてみると、“しない、匂わない”との返事、やっぱり、香りが無いのです。

山本やのHPには、

【桜もちを包んでいる葉は、オオシマザクラの葉を塩漬けにしたもので、全国で使用される桜もちの葉の約7割が伊豆の松崎町で生産されています。独特の香りは塩漬けにしている過程で葉が発酵して“クマリン”という“芳香物質”が出てくるためで、生の葉にあの香りはありません。見た目の楽しさ、美しさだけではなく、香りも利用する・・・昔の人は偉いものですね】

と、あるのです。もしかして、これは、“クマリン”が出尽くした、いろいろと事情のある葉っぱ?かと、思ったりしたのです。

数年前に一人で訪れた時は、さすが!長命寺の桜餅と感激したのです。“この香り、この色、この形、この味”で、お茶付きで250円は安い!と思ったのです。それが、それが、これです。何か、あったの?無かったの?です。

こんな疑問を抱きつつ頂いたのですから、餅の食感も、歯ごたえが“歯に堪えると”云うか、歯に触ると云うか、単に堅いだけと云うか、もしかして、製造後の時間経過が長く、想定外に堅さが変化し過ぎたと云うか、兎に角、“もちもち感”を、かなり通り過ぎていました。

山本やのHPには、

【餅は小麦粉を水で溶いただけのものを薄く延ばし、熟練の手で一枚一枚手焼きしております。もちもちとした食感をお楽しみください】


そして、餡ですが、甘くなく、これも堅いのです。最近は甘さを控え目にするのが流行りで、甘さを抑えると“上品”だ、何て事を云う輩が増えています。でも、しかし、下品と云われようと、ナンと云われようと、私は、頭が痛くなるほど(ちょっと大げさ)の甘さが好きです。

山本やのHPには、

【餡は、和菓子の命ですので、気候や風土が全く違う処で育った小豆では、納得できるような舌ざわりや味が表現できないのです】

和菓子は餡が命、桜餅は“香り”が命!ですぞォ!

まあ、兎に角です、「葉っぱに、餅に、餡に」いろいろと、拘って作っているようです。


兎に角、まあ、今回は、材料の品質バラツキとか、加工時の気象条件とか、保存時の温度、湿度とか、製造数と販売量のバランスで保管時間が長かったとか、職人の体調や気分とか、いろいろな諸条件が、すべて、マイナス側に働いてしまった、稀有な結果であったと、解釈しました。

考えて見れば、一個200円の、たかが桜餅です。期待に胸膨らませ過ぎたのです。アンコを小麦粉を溶かして焼いた皮に包み、それを葉っぱで包んだ、只それだけのモノなのでした。

でも、平日なのに、お持ち帰りのお客さんは、食べている最中にも、それなりに列を作っていました。創業以来、それなりに今でも、人気は続いているのです。

さっさと、食して、さっさと、お茶を飲み、店を後にしました。

帰りに近所のスーパーで“ヤマザキの桜餅”を買って帰ろうか?と、連れと話しつつ、いよいよ、“東京スカイツリー”に向かいます。

それでは、また。


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墨田区庁舎に展望は無く隅と墨は?

2012年03月19日 | 東京の風景
先週の続きです。

隅田川の河畔に建つ墨田区役所を見学します。

吹き抜け玄関ホール。


こちら、いろいろな手続き、届け出のカウンター。


皆さん、それなりに、忙しそうにしていました。そんな中、こちらはのんびりと、案内カウンターの中年女性案内係の方に、

“スミマセン!ここには展望室はありますか?”と、お尋ねすると、
“いいえ御座いませんが14階までは行けます”とのお答え。

それではとエレベーターホールに向かい14階へ向かいました。

しかし、しかし、14階には周囲を見渡す窓もなく、単なる事務フロワー、何だ、これは、まさしく、言葉どおり“14階までは行けます”だけ、だったのです。折角なので、トイレに入って用足しをしてきました。

※14階の配置図・・・区のサイトより。


因みに、この庁舎は19階建で、15から19階は区議会関係の施設になっているようで、区役所のホームページにの庁舎案内は14階までしかありません。15階から19階は“ヒ・ミ・ツ”ですか?

眺望の素晴らしい最上階には区議会の議場があるらしいのです。もしかして、区長室もあったりして。

文京区の庁舎は最上階は展望フロワーで、“誰もが、いつでも、自由に(当然開館時)”、出入りできるのですが、墨田区は、ちょっと、そこいらへんのところが、かなりへん!だと思ったりするのです。

“物見遊山の暇人の為に高層庁舎を建て訳ではない!”何て、反論が・・・・・・・。

でも、“誰がために最上階はあるのか”です。ホントに、ホントに素晴らしい場所に建っているのに、もったいないねェ~・・・。まあ、当事者の墨田区民が問題にしていないようですから、それは、それで、問題はないです、でも、しかし、・・・・・・。

それでも、エレベーターはガラス張りで、展望エレべーターとなっております。


19階からの展望を思い描きつつ、エレベーターを降り、庁舎を後に川縁の広場に出ると、宇宙戦艦大和の作者がデザインした遊覧船です。


これより、河畔をデザートを目指して歩きます。

この日は曇り空、左は東武伊勢崎線の高架、淀んだ運河、遊漁船、屋形船。遠くに見えるスカイツリーは、ずっと、ずっと、昔から、そこに建っていたような、そんな風景です。


首都高の高架と伊勢崎線の高架が交わる、その下で、ひっそりと商いを営む“茶や・まくらばし”何か、もう、営んでいない感じです。


首都高高架下、墨堤通り沿いの墨田公園。とても、暗く、静かで、寂しそうです。


通り掛かりなのか、七福神巡りなのか、暫く頭を下げていました。年老いた男は、年老いた女より、ずっと、ずっと寂しそうに見えます。今日は連れと一緒でヨカッタ!


鳥居越しのスカイツリー。


ハデ・ハデビル越しのスカイツリー。


高架下は、暗くて寂しくて湿っています。


それで、隅田川は“隅”で、隅田川の土手の下を通るのに“墨堤通り”で、“スミ”の字が“墨”と“隅”と異なるのは、ナゼ?ナンダロウ?ドウシテ?ナンダロウ?

疑問を残して、本日は、お終い。

それでは、また。



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吾妻橋からスカイツリーと“炎のオブジェ”は芸術?

2012年03月16日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

太麺皿うどんを食べ、これより、ある意味で、本日のメインである“デザート”を目指して吾妻橋を渡ります。

平日ですが、スカイツリーを目当ての観光客が橋の袂に群がっています。スカイツリーの効果は開業前から絶大のようです。


でも、でも、この吾妻橋からのスカイツリーの景色は、グチャグチャで、どうも、まあ、ホントに困ったものです。

左から、墨田区役所、スカイツリー、アサヒビールのジョッキビル。そして、その隣の“ヘンなモノ”が、フランス人デザイナー“フィリップ・スタルク”による躍進するアサヒビールを象徴した「炎」のオブジェ、炎の後ろには高層マンションです。

それぞれが自分勝手にデザインした訳で、五つを同一視界で見せられる側としては、とても、堪ったものでは無いのです。

まあ、敢えて云うとすれば、このバラバラ感、ゴチャゴチャ感こそ、東京を象徴しているかと・・・・・・。

この風景で一番邪魔なのは“ジョッキビル”と“うんこビル”で、アッ!失礼しました。“うんこビル”は通称で“炎のオブジェ”です。でも、しかし、周囲の風景に融合せず、異様感を漂わすところが芸術なのかも?

連れも携帯でパチリ。


遊覧船の桟橋にセラー服と学生服の一団が、


中学校の修学旅行でしょうか。浜離宮あたりから乗船して今着いたところかな。イイですねェ~、浜離宮、隅田川、遊覧船、浅草、スカイツリー、修学旅行。イイ言葉の響きです、何か、ほっとします。懐かしいです。

君達! いま、このときを、思う存分楽しみ、素晴らしい想い出を創って下さい。

我々は吾妻橋を渡り区役所前の広場に向かいます。

連れが叫びます「サクラの蕾が!ピンク色!」


ホント!もう少しで咲きそうです。春は近い。


区役所とスカイツリー。このツーショットはOKです。


広場では“勝海舟先生”が東京湾を指差し、何やら講話をしているようです。


知りませんでした。勝海舟は本所の生まれだそうで、それで、ここに建っているようです。この銅像、「勝海舟の銅像を建てる会」が、生誕180周年を記念して平成15年7月21日に除幕式があったそうです。

上野のお山の西郷さんは超有名です、でも、こちらは“超無名”です。やはり、日本人は悲劇のヒーローが好きなのです。

西郷サンの銅像は死後21年を経た1898年(明治31年)12月18日に建立し、勝先生は死後100年以上も経って、やっと建立されたのです。“勝”先生は、西郷ドンに“負け”たのです。

勝先生にお別れして、墨田区役所に向かいます。


それでは、また。

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浅草のリンガーハットでは“太麺皿うどん”は偏っていました

2012年03月14日 | 東京の風景
先週の続きです。

それで、北千住の駅に戻ったのです。

すると、デッキの隅の方に、何やら、人だかりと云うか、怪しい集団と云うか、兎に角、人が集まっているのです。


何だ、何だ、と、見つめていると、その集団は、手に、口に、タバコを持ち、咥え、煙を吐き出していたのです。あの一画だけが喫煙可能な場所のようです。


嫌ですね~、みっともないですね~、臭いですね~、カッコワルイですね~、今時、このご時世にタバコなんて吸っている君達、速く、ニコチンの魔の手から逃れて下さい。

君達は、自らの意志で吸っている!と、思っているのでしょうが、実は、実は、何を隠そう、躰に染みこんだニコチンにタバコを“吸わされて”いるのです。私は21世紀に入る1年前にキッパリとニコチンと手を切りました。

この一画以外で吸ったり、ポイ捨てすると、“当面”は千円の科料を科せられるそうです。因みに、つくば市では“当面”2千円になっています。兎に角、君達、速く、止めなさい。

余計なお世話を呟きつつ駅の改札に向かうのでした。平日の東武伊勢崎線は空いています。


東武、伊勢崎、曳舟、この言葉の響き、この風景、とても、とても、端っこ感があって、寂しくて、悲しくて、哀愁で、とても好きなのです。


“エレベーター”が、英語とハングルで表記されています。都会では、これがフツウなの?それとも、地域によってなの? 最近になって韓国や朝鮮からの来訪者が増えているのか?


終点浅草駅に到着します。


浅草では、いつも牛丼か皿うどんなのです。本日はリンガーハットの皿うどんです。いつも駅の側のこの店に入るのです。


今回は初めて2階席です。12時ちょっと過ぎ、まだ店は空いています。そうなんです、今日は連れが居るのです。


それで、皿うどんなのですが、これまで細麺の“カリカリ揚げ”タイプしか無かったのですが、最近?太麺(チャンポン用の麺)を“焼いた”新メニューが登場していたのです。知りませんでした。二人とも新メニューを注文。

どうです、私の方の、この盛りつけ、皿の中央から、かなりずれているのです。盛りつけ後に中心から移動した形跡は有りません。


「今日は、あんまりやる気ないからねェ! 安いんだから、文句を云わずに喰え!」と、云っているようです。

それで、食べる前に、一応、中心に移動してから喰いました。これで690円です。外食産業の低価格競争に抗いリンガーハットだけは“それなり”の価格設定なのです。

牛丼やカレーより調理時間も食事時間もかなり長く、客の回転が悪いと云うハンデからしょか?兎に角、価格は上昇しているのです。

昔はホントに安かったし、メニューは“皿うどんとチャンポン”だけで、どちらも390円で“お値段以上”の味とボリュームでお得感がありました。

いまでは、やたらとメニューが増えて“皿うどんとチャンポン”も、やっている、フツウの中華屋さんになりました。

それで、味の方ですが、それなりに不味くはありませんでした。“お値段以上”とは云えませんけどね。

まあ、そんな、こんなで、食事を済ませ、いよいよスカイツリーです。



それでは、また。


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水温み春うらら

2012年03月12日 | 季節の風景
水温み、



































春うらら

でした。

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カラタチは枳で只でロハで無料です!

2012年03月10日 | 東京の風景
前回の続きです。

横山家住宅と槍かけ団子を観て写真も撮ったし、時間もない事だし駅に戻る事にしました。帰り道は“宿場町通り”から脇の路地を通って駅に向かいます。

横山家脇の路地を入ると、突き当たりに“お寺の門らしきもの”が見えたのです。もしかして、これは“槍かけの松”があった“清亮寺”か?と思ったのです。


でも、しかし、そこは“真言宗長圓寺”でした。


ざっと読んで写真を撮って、


こちらが、“めやみ地蔵”で、


眼病を治すお地蔵様で、


こちらは、これをクルクル回すと、百万遍お詣りしたと同じ御利益があるとか、何とか云う、“ナントとか車”かも?


長円寺の前を右に折れ、丁字路の角に石柱を発見。


何と彫ってあるのか、


近づいてみると、“木偏”に“ロ、ハ”の文字に“掘跡”とあります。

“木にロハ”で、いったい何て読むの? 兎に角、木偏だから木の名前が付いた“掘り割り”が、昔、ここを流れていたのでしょう。

それで、帰宅してから、ちょっくら調べてみたのです。木偏に「ロハ」で、何と、“カラタチ”と読むのでした。

“カラタチ”と云えば、あの島倉千代子が歌った「からたち日記」で、“・・・♪カラタチ♪カラタチ♪カラタ~~チのハ~~ナ~”です。

あれは“枳掘跡”だったのです。“からたち”と云う木の名前は知っていましたが、こんな漢字を書くとは、まったく知りませんでした。

ここまで調べたので、それでは、何で“枳掘”と呼ばれたの?と、謂われを調べたら、長円寺は通称“からたち寺”と呼ばれ、その脇を流れていた掘り割なので、“枳掘”りなのでした。

参道に枳が植えられていたので“からたち寺”で、単純な事でした。

それで、この“枳”と云う漢字ですが、木偏に“つくり”が“タダ”で、カラタチと云うのは何故? 辞書を引くと、

---ただ【徒/只】 《「直(ただ)」と同語源》 [名] 1 取り立てて値打ちや意味がないこと---

と、あります。“意味も値打ちも無い”とは、何とも、寂しい説明です。木偏に只の枳は意味も値打ちも無い木と云うことでしょうか? もしも、カラタチが聞いたら、間違い無く激怒しますね。

序でですが、無料のことを“タダ”と云い、“ロハ”とも云うのは、只という字からきていることに、気が付きました。でも、今は“ロハ”は死語かもね。

もう一つ序でに、カラタチは日本の“橘”似ている“唐の橘”で略して“カラタチ”なのだそうです。

カラタチには棘があり、実がなるのですが種が多く、酸味と苦味が強く食用にならないそうで、そんな事で「木偏に只」となったのでしょう。昔はよく垣根として植えられたそうですが、今は、ブロック塀や、アルミフェンスにその座を譲ったのです。

それで、隣に、枳掘跡の石碑があるのですから、長円寺の説明板で、ひと言“からたち寺”のことを触れて欲しいと思うのです。


それと、この説明を読むと、“毛彫りの石碣”と云う文字がありますが、毛彫りは毛のように、細く、細かい、線で彫られているとは想像できるのですが、“せっけつ”と“ふりがな”があるのですが、石碣とは???・・・・・・。

調べて見たら、石碑と同じ意味でした。今回は、とても、とても、石碣と云い、枳と云い、漢字のお勉強にも、植物のお勉強にもなりました。

こちら玄関に並ぶお二人は、


漢字の国の賢者のお姿のようにお見受けしました。この一画は、かなり、かなり、中国文化の濃いところです。


北千住の駅前に戻りました。



さあ、東武伊勢崎線で浅草を目指します。


それでは、また。




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