歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

日暮里「舎人ライナー」と「道潅の酒」

2007年06月30日 | 東京の風景
昨日の続きです。

立石の「ちゃんこ七ツ海」は、赤羽から京浜東北線で日暮里駅まで行き、京成本線に乗り変え、青砥駅で京成押上線に乗り変え、押上方向に一駅引き返した京成立石駅にあります。所要時間は約30分。

予定より1時間ほど早く赤羽を出てので、その分、日暮里と青砥で時間を潰す事を考えていました。

日暮里駅に到着、赤羽よりの北口の改札から外に出ました。右手方向には高層ビルが建築中です。


ビルの足元、「日暮里・舎人ライナー」の「駅舎」は、完成間近なようです。開業は来年の3月だそうです。



JR日暮里駅も、京成日暮里駅も、ホームの改修、連絡通路の建設で、臨時の仮設階段、仮設通路やらでゴチャゴチャでした。



ここから入り、狭い仮設階段を昇るのですが、右に左に曲がりくねり、まさしく迷路でした。

この日は気温が高かったので、仮設階段に敷かれたゴムシートの匂いが鼻を刺激しました。

新しい路線ができて、駅舎も新しく綺麗になり、駅前には高層ビルが建ち並び、日暮里駅周辺も新しい街になりそうです。

新しくて、明るくて、スッキリして。すべてが、そんな方向に、変化するのでしょうか。

私は、古くて、薄暗くて、雑然とした方が、人の温もり、人の匂いを感じて落ち着くのです。あたらしく、あかるく、スッキリは、こころが堅くなりそうです。

それで何ですが、今、高層ビルが建設中のその場所は、以前、こころが柔らかくなる場所だったのです。

そうです。知る人ぞ知る「駄菓子」の問屋街があったのです。


低い軒に、色褪せひび割れたモルタルの壁。


色鮮やかな「駄菓子」のパッケージ。


私の年代にとっては「懐かしい」と思える駄菓子はあまり有りませんでしたが、店の建物、路地の佇まい、商品の並べ方、彩り等々、それらが混ざりあい、懐かしさを演出していました。

写真は3年前に撮ったものですが、ホントにその後直ぐに、この風景は消えてしまいました。

この問屋街なんですが、何軒かは別の場所で営業しているそうです。移転先には以前ほど客が来ないそうです。

業者以外は、「駄菓子だけ」に懐かしさを感じた訳ではなかったのです。もう、あの風景は戻って来ません。「世界遺産」に登録しておけばよかった??

そんな事など思いつつ、辺りを歩いて来ました。こんなポスターを見つけました。

『大田道潅「ゆかり」の酒 日暮里(ひぐれのさと)』


「大田道潅」と「純米酒 ひぐれのさと」とは、どの様な「縁」があるのでしょうか?

太田道潅と日暮里の地は「縁」があり、駅前には「馬に跨り狩をする像」があります。


太田道潅と「この酒」の縁を調べてみたら、判りました!

地元の酒屋さんのグループが、舎人ライナーの開業に合わせ、街の活性化の為に考えた「お酒」だったのです。

製造を「依頼」しているのが、滋賀県の酒造メーカーで、「大田道潅」から数えて、19代目の太田精一郎さん経営の「太田酒造」と云う会社なのです。

「道潅」に「ゆかり」があると云えば・・・・・・、ないとは云えない、そんなお酒のようです。あの「武将」の子孫が酒造りをしていたとは知りませんでした。

さて、30分ほど時間を潰すことが出来ました。これから、京成電車に乗ります。

いよいよ「七ツ海」です。

それではまた明日。 


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赤羽の「自転車男」

2007年06月29日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「うらぶれ感」漂うダイエー店内のベンチで、30分ほどの避暑休憩を行い、本屋を一通り眺め、外に出ました。

ダイエーの隣にある「赤羽公園」に行ってみました。昔と比べ年月の経過により、木々が成長し、緑が増えたように感じます。

只、ここもダイエーと同じ様に、ベンチや、柵、遊具、トイレ、花壇等が、古ぼけて侘びしい雰囲気でした。ゴミも眼に付き管理は行き届いていないようです。



ブルーテントは有りませんでしたが、自由労働者の方々の姿も多く見かけました。



しかし、子供達は元気です! 木を塁に見立てて、「本塁」と「一塁」だけの「二角ベース」のような遊びをしていました。


木陰で暫く、二角ベースを眺めていました。時計を見ると3時を少し回りました。そろそろ、南口一帯にある歓楽街の現状視察でもと考え、立ち上がり、赤羽会館側から公園を後にしました。

郵便局や消防署のある大通りに出ると、ひときわ眼に付く白亜のビル。

『♪やめられない ♪とまらない ♪カルビ~ かっぱえびせん!』

の「カルビー」の本社ビルです。

昔、トタン屋根に、薄汚れたモルタル外壁の工場が建っていたのはこの辺りでしょうか? 京浜東北線の車窓からいつも、眺めていた記憶があります。いまではスナック菓子の大手企業です。創業家は経営から離れたようです。カルビーもダイエーも変わりました。


大通り渡り、南口の歓楽街です。昔から飲み屋がメインでした、ストレートな「性風俗店」は、お隣の埼玉県西川口が「その分野」を受け持っていました。


懐かしい店です! 「大衆キャバレー・ハリウッド」です。私も「銀座八丁目店」と「目黒店」に行った記憶があります。赤羽店は入ったことはありません。

この看板を見るまで、「ハリウッド」のことは全く記憶から消えていました。福富太郎さんはお元気なようです。

時代はキャバレーから「キャパクラ」に変わりました。店もいまでは都内に数店残るだけのようです。

南口の高架をくぐり、西口に舞い戻りました。喉が乾いたので高架下の「ヤマザキディリーストアー」で「野菜一日これ一本」を買い、店の前で飲みながら辺りの様子を観察していると、20代前半の男が店の入り口に自転車を停め、店内に入って行きました。

その男が自転車を停めた位置は、何と店の自動ドアーを半分ほど遮る位置なのです。後から出入りする人の事など全く考えていないのです。

その後、数人の客が自転車を避けながら出入りをしていました。しかし、何と、誰一人嫌な顔を見せず、普通の表情で自転車を避けて行くのです。こちらも不思議な光景でした。

この男、ワイシャツにネクタイ、外見上はそれなりにキチンとしていました。彼の頭の中に、自分以外の人を気遣う「回路」が存在しないのでしょう。

マナーの「悪さ」、いや、マナーの「無さ」に情け無くなり、写真を撮ろうかと思ったのですが、馬鹿々しくなり止めました。

ジュースを飲み終わり、紙パックを捨てようと辺りを見回したのですが、ゴミ捨て用のプラボックスが見あたらないのです。最近、繁華街のコンビニではゴミ箱を置かなくなったのでしょうか?

きっと、先ほどの「自転車男」のように、マナーの無い人が、家庭ゴミやら「何でもかんでも」捨てて行くので、処置に困り「コンビニ側」が撤去したのでしょう。

捨てるに捨てられず、空のパックを手に持って、駅の改札に向かいながら「ゴミ箱」を探したのですが、自動販売機は至る所に置いてあるのですが、ゴミ箱が無いのです。

処置に困っていると、花壇のコンクリートの囲いの上に、置いてしまいたい衝動に一瞬駆られてしまいました。暑さのせいです。それでは私も「自転車男」になってしまいます。

しかし、良く見ると「敵も然る者」です。囲いの上には物が置けないように「三角に尖っていたのです。こうまでしないと、空き缶、空き瓶がこの上に並んでしまうのでしょう。

花壇の囲いに年寄りが腰を下ろし、暫しの休憩をとっている風景を以前は見掛けたものです。しかし、今は、「得体の知れない人達」が「たむろ」して、風紀上、防犯上の観点から好ましくない・・・・・・、何て事で、この様な設計が採用されたのでしょう。

最近は、ベンチも真ん中に肘掛けを付けて「寝転がる」ことが出来なくしています。得体の知れない人が寝ていると不安なのでしょう。

世の中、見た目には「明るく、清潔で、綺麗に」なりました。しかし、不安を抱く人は増えているのでしょう。

ゴミ箱の撤去と云い、尖り囲いと云い、寝転がれないベンチと云い、何か変です。

世の中、「面白くない方向」に向かっている・・・・・・そんな気がするのです。

話しが暗くなってしまった。まぁ。そんなこんなの赤羽駅周辺でした。電車に乗ったのが予定より1時間早い3時半過ぎです。

あっ! そうでした。ジュースの空きパックは駅構内のゴミ箱に捨てました。

途中、日暮里駅で降り少し歩く予定です。


それではまた明日。


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赤羽 取り残された「1番街」

2007年06月28日 | 東京の風景
昨日の続きです。

昔、駅前の大踏切があった高架下を通って、東口にの駅前広場に戻りました。

先ず、駅前の「1番街」を歩きます。名前の通りここは「昔」赤羽で一番賑やかな商店街だったのです。

そうなのです。今は3番?か4番?ぐらいに後退しています。

「駅前発展順番の法則」です。東口よりも、最近になって再開発された西口に大型店が進出したためです。

それと、昔から、西口の後背地に人口が集中していました。公団の赤羽台団地、建設当時は都内最大だった、都営の桐ヶ丘団地の二つの大きな団地がありました。

西口再開発前は、東口の商店街で買い物をしていたのですが、現在は西口の大型店で買い物をしているようです。



店は、新旧の出入りがあり、かなり店名も変わっていますが、建物自体はそのままで、全体の佇まいは昔のままです。商店組合にはアーケードを設置する予算もないようです。

しかし、ここ居酒屋「まるます家」だけは「昔のまま」の佇まいで、そして「昔と変わらず」元気です。

真っ昼間から、混雑していました。今の時間、工場等の「交代勤務明け」のお客さんで、賑わっているようです。

小学生の頃、店先で「鯉を捌く様子」を人垣の中で飽きもせず、いつまでも眺めていた事を想い出します。

この「練り物屋さん」も変わりませんね。夏日のなか「おでん」が湯気を上げていました。「暑い時こそおでん!」何て云って、汗を拭き拭き食べる「通」がいるのでしょう。


懐かしいです!この「おもちゃ屋さん」でいろいろ買ってもらいました。ここも昔のままです。


一番街から、「スズラン通り」に向かいました。ここは駅から距離が有るために、一番街に負けていたのですが、西口からの客はあまり来なかったので、西口再開発の影響は少なかったようです。

それに、西口再開発が始まる前に、ダイエーと西友が進出して来た事で、客を繋ぎ止めているようです。

「スズラン通り」から「LaLaガーデン」に生まれ変わっていました。アーケードも設置され「WELCOME」です。


緑の植物が眼に涼しいです。1番街に大きく水をあけたようです。和食の「いけ増」も、改装され明るく小綺麗に変身していました。


暑いので、避暑地にダイエーを選びました。

東口の奥まった処にダイエーの大型店が開店した時は、スゴイ!赤羽にデパートが出来た!と喜びました。

当時は周囲の商店と違い、店は広く、天井は高く、店内は明るく、何もかもがピカピカに見えたのです。ホントにデパートと思っていたのです。多分、高校生の頃だったと思います。


しかし、店内に入ると狭く、天井は低く、店内は薄暗く、商品も寂しそうに見えました。あれから、30数年の時が経っているのです。

ダイエーもあの頃は「絶頂期」でした。今は「再建途上」にあります。中内功さんも2年前に亡くなりました。

栄枯盛衰、生者必滅でしょうか・・・・・・。

暫く、店内のベンチに腰掛け休憩です。


それではまた明日。


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赤羽 「焼豚」と「豚メンチ」

2007年06月27日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「ニンニクの芽と肉の細切り炒め定食」で、お腹をいっぱいにして店を出たのが、1時半でした。

この日の「メインテーマ」は、立石駅にある「ちゃんこ七ツ海」です。七ツ海だけで東京に来るのはもったいないので赤羽に来ました。

七ツ海の開店時間が夕方5時からで、赤羽出発は4時半頃と考えていたのですが、後3時間もあります。

兎に角、赤羽界隈を歩き回る事にしました。
この「ヘンテコ」なビルですが、かなり昔からありました。

かなり昔と云のは、赤羽から引っ越したのが20年前で、引っ越す大分前からあった記憶があるので、30数年前ごろでしょうか。

下が「切り取られて」何も無い部屋の人は、想像しないのでしょうか? 『この下何もないんだ!』と思った瞬間から、怖くなりませんかね。

この建物、下が事務所で、切り取られた階から上がアパートになっています。私には、こんな「恐ろしいビル」には絶対!住めません。

普通でも「ヒョロヒョロ」と細長い「鉛筆ビル」はだめです。いつの頃からか「高所恐怖症」なのです。

それで、兎に角、散策でした。

このお店は「古い」です。昔の「まんま!」です。看板の「焼豚」は、「チャーシュー」では有りません。「焼き鳥」に対しての「焼きトン」です。


豚の内蔵を串に刺して焼いた、ホルモン焼きです。この路地の両側は一杯飲み屋が軒を並べています。昭和の匂いのする古き赤羽が今もここにあります。


古き赤羽に、ピッタリのかなり古い「日産ローレル?」です。30年以上現役で頑張っているようです。


西口広場です。東口は昔から「広場」があったのですが、西口は最近の再開発で広場が出来たために、昔とは全く変わってしまいました。昔の面影は何処にもありません。


高架下の店で見つけました。始めてです「冷やしちから」、有ってもイイと思っていました、やはりありました。今度、食べなければいけません。


隣のこの店、「提灯」が気に入りました。「豚道楽」とはイイ。ここも、今度来たら食べなければいけない。

最近は、硬いものより、柔らかいものがよくなり、ここはやはり「豚メンチカツ定食」ですね。


しかし、いろいろな店ができました。賑やかな赤羽もいいです。
時計を見ると、未だ2時です。予定時間までは後2時間半あります。涼しい時期でしたら、日暮里まで歩くのですが、今日はとてもムリです。

涼しい場所を探す事にしました。

それではまた明日。





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昼飯は「ニンニクの根??」

2007年06月26日 | 食事の話し
昨日の続きです。

荒川土手を少しだけ、歩こうかと思ったのですが、「標識問題」でウロウロしていたら、土手は遠くから眺めるだけにして、歩くのは止めました。

新河岸川と荒川の間にある土手には、いつの間にか木が植えられ公園のようになっているのです。それでもこの日は暑く、そこまで行く気力が湧きませんでした。

兎に角、腹ごしらえです。スタミナ食を探し求め、小山酒造の前を通り赤羽駅に引き返しました。

「都電終点」近くに来たら、「ラーメン屋」よりも、少しオシャレな「中華の店」がありました。


店先掲げられている、ランチメニューも手頃な価格です。「ニンニクの芽と肉の細切り炒め 750円」今日の天候にピッタリと思いました。暑いときは「ニンニク関係」が良いのです。

店内に入ると、

『イラシャイマ~セ~。こちらの席にドゾォ~』と、可愛らしい声。

見ると、可愛らしさを少し過ぎた30代半ばの女性でした。それにしても、愛嬌があり、感じの良い接客態度です。発音からして中国人のようです。

もう一人の接客の女性は厨房と中国語でやりとりしていました。本場中国人の作る、中国料理です「OK」だと思いました。

テーブルに置かれたメニューを見ると、「ニンニクの芽」がありません。


その様子を察したのか、もう一枚のメニューを笑顔で「ドゾー」と云って、置いて行きました。

有りました!「ニンニクの芽」が、と思ったらよく見ると、「根」とあるのです。ニンニクの「根?」は聞いた事がありません。

本場中国人の中華料理です、漢字の国の人です、間違いではなく「ニンニクの根」の料理かも知れません。

念のために、可愛い声の人を呼んで確認しました。すると、

『ゴメンナサイ! 間違いです。ネェーじゃありません。メーです』と笑っていました。

「ネェー」も、「メェー」も、同じ様に聞こえたのですが、やっぱり間違いで「ニンニクの芽」だったようです。


女性は厨房の前にあるカウンターに戻ると、中に居る男性の調理人と、早口な「中国語」で何やら話しをしていました。

きっと「芽と根」の話しでしょう。日本語のときよりも、かなりキツイ感じがします。

店内は1時を過ぎていましたので、客は私一人です。店は入り口から細長い作りで、テーブルが4脚、途中にカウンターがあり、その先の奥まったところが8畳ほどの広さでテーブルが4脚。なかなかイイ感じの店です。未だ新しいようです。

「ニンニクの芽と肉の細切り炒め」が来ました。美味しそうです。

左上は「レタスのサラダ」で中華風ドレッシングです。隣が「ザーサイ」、そして、「杏仁豆腐」、スープは「キャベツに豆腐に卵」です。

メインの「細切り炒め」はボリューム満点。肉は鶏肉です、竹の子と、ニンニクの「芽」です。味もOKです。

驚いたのが「ご飯」の量です。吉野家の「牛丼大盛り」と同じ程度ありました。そして、食後にアイスコーヒーまで付いて「750円」は安いです。満足しました。


食べ終わる頃に、若い女性の3人組が入って来ました。

注文の最後に、一人の女性が「ご飯は半分で」と、その後、一拍置いて二人目が「私も」の声。

そして、最後の三人目の女性は、暫く間を置いて「私も半分で・・・」と云ったのです。三人目はかなり「つらい決断」のようでした。

兎に角、美味しくて、楽しくて、スタミナの付く昼飯でした。

お勘定を済ませた、背中に「アリガトゴジェマシタ~」の声に送られて店を後にしました。

「菜香園」は、「最高」に楽しくて、美味しいイイ店です。


それではまた明日。ありがとごじぇました~ 






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埼玉県の標識が変です!?

2007年06月25日 | 東京の風景
昨日の続きです。

「丸真正宗」の「小山酒造」を見終わり、折角ここまで来たのだから、目の前に広が荒川土手でも少し歩こうかと思い、交番前の横断歩道で信号が変わるのを待っていました。



橋の方向を眺めていると、「埼玉県」の「標識」が交差点の角に建っているのを見つけました。

これって「ここが埼玉」ってこと、「→」があれば「この先埼玉」ってことになるけど、この形式の「標識」では、間違いなく「ここが埼玉」になると思ったのです。




埼玉県と東京都の境は荒川の中心だと、これまでずっとそう思っていたのです、しかし、もしかしたら、橋の手前から埼玉県だった?

この疑問を解く為に目の前の交番に飛び込みました。飛び込む前に、慌てて、交番の周囲を確かめました。

確認したのです、埼玉県警の交番か、警視庁の交番か、しかし、そのことを示すものは見あたりませんでした。兎に角、中に入りました。

『すいません。あそこに埼玉県と書かれた標識が立っていますが、橋の手前辺りから埼玉県なんですか?』

『いや。ここはまだ東京都です』20代の若いお巡りさんです。地図を取り出して説明してくれました。

『県境は普通、川などがあると、その川の真ん中が境になるのですが、ここは、この様に、出っ張ってていて・・・・・・』



地図を見ると、この地点ではかなり「埼玉県」が出っ張って来ています。しかし、それでも、122号線上では「新河岸川」を渡った土手の中心までです。

『あの標識だと、このさき埼玉県と云うよりも、ここから埼玉県になると思うのですが、誰が立てたんですかね?』

お巡りさんは、座っていたイスから、少し腰をあげ標識の方に視線を向け、
『う~ん。あれねぇ~・・・・・・』

その時、中年の女性が入って来ました。暇人のあまり意味のない質問に、時間をとらせては不味いと思い、

『あぁ。いいです。ありがとう御座いました』と、交番を出ました。

橋の袂から東京都側を見ると、「正しい標識」が「正しい位置」に取り付けられています。これでいいのです。ここから「東京都」で「北区」なのです。



それなのに、あの「埼玉県」の標識は「おかしい?」です。誰が立てなのだ?と思い近寄ってみました。

何と!柱に「東京都」のマークが、東京都が設置していたのです。設置場所が違います。新河岸川を渡った土手に設置すべきです。行政側と設置業者の間で、何かの「連絡違い」があったのかも知れません。

まぁ。兎に角、この都県境の「出っ張り」ですが、「蛇行」なのだと思います。新荒川大橋の建設工事に際して、河川の改修が行われたのでしょう。

その時、川の蛇行を直したのですが、都県境について修正せず、従来通り「旧河川」の「蛇行」をそのまま適用した。そんなところではないかと思うのです。


さて、そろそろ昼飯の時間です。この日は暑かったので、蕎麦ではなく「何かスタミナ」の付く食べ物をと思い、食べ物屋を探しながら赤羽駅方向に引き返しました。

前日の夕食がカレーでしたので、カレーは除外しました。

昼飯の話しは明日です。
 
  それでは・・・・・・・・・・
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丸真正宗は「みつぞう」か?

2007年06月24日 | 東京の風景
昨日の続きです。

やっと辿り着きました。「丸真正宗」の「小山酒造」です。このお店は「小山酒店」となっています。昔からあったのでしょうか? 私の記憶にはありません。


杉玉です、造り酒屋の印です。小山酒造の直営店のようです。


「東京で唯一の蔵出し地酒の店」何ですね。


私の記憶では、122号線に面して石の門柱があり、通りから奥まった所に木造の酒蔵が見え、「丸真正宗」と書かれた煙突が空高く聳えている風景です。

煙突も、門柱も、見あたりません。空高く「マンション」が聳え建っていました。マンションの角に、「丸真正宗」と「→」の看板。→の方向に酒蔵があるようです。


→に従い、角を曲がると、ありました!石の門柱です。


酒蔵と云うよりも、新しい「酒工場」が建っていました。赤く錆びた「愛酒報国」の看板は、酒蔵時代のものと思われます。煙突は有りませんでした。

門柱の表札には「小山新七」と書かれています。この「新七さん」が社長なのでしょうか?

創業者の名前を代々受け継ぐ方式が老舗には良くあります。現社長は「○代目新七」とか、だったりしてね。

この名前を見て、思い付きました。「新七」の「新」に、屋号等に良くある「丸何とか」をくっつけて、酒らしい名前の「正宗」と合体して、「丸新正宗」と考えたのです。

しかし、「シン」は、あたらしい「新」よりも、まことの「真」の方が、重みがある・・・・・・何て事で、「丸真正宗」が誕生した・・・・・そんなところではないかと、思うのであります。

そこで、調べてみました。

1.小山新七が明治11年(1878年)に創業

2.小山新七は、埼玉県指扇の「小山本家酒造」の次男

3.小山本家酒造の創業は文化5年(1808年)

4.小山酒造の現社長は「小山 光三」

と、云うことでした。「小山酒造」は「小山本家酒造」の「分家」のようです。本家は「東日本最大の清酒メカー・・・HPより」で、年間売り上げが「85億円・・・HPより」だそうです。

ここにも「埼玉」の影があったのです。赤羽は「ほとんど埼玉県」なんです。

「○代目新七」ではなく、「光三」さんが現在の社長さんでした。三男のようです。長男と次男はどうしたのでしょうか。

「光三」は「こうぞう」と読むのでしょうね、「造り酒屋」だから、「みつぞう(密造)」何て読みだと、『犯罪か!』何て「突っ込み」が入り、笑えます。

ここまで書いて何ですが、私、日本酒は自分で買ってまで飲む気はしません。あの「甘さ」がダメなのです。辛口と云っても、当然焼酎と比べると甘いです。

この「小山酒造」、見学ができるそうです。入館料は300円で、日本酒が一杯無料で飲めるそうです。但し、5名以上で予約制で申し込みは1週間以上前からだそうです。



聳える「煙突」が、聳える「マンション」に大きく変わっていました。日本酒は焼酎、ビールに押されて大変だったのでしょう。

もう落ちるところまで落ちたので、これからは「這い上がる」だけです。

ガンバレ! 丸真正宗!

それではまた明日。 


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岩淵謎の「駐車場寺」正光寺

2007年06月23日 | 東京の風景
昨日の続きです。

地下鉄「赤羽岩淵」の駅を過ぎたところで、右手、道路に面して「参道跡」らしき所に「駐車場」があり、奥には山門が見えてきました。ここは、素通りできません。

先ずは山門を撮影。この時、シャッターを切り、ファインダーから眼を離すと、あの手押し車の「お婆ちゃん」が、 立ち止まり撮し終わるまで待っていてくれたのです。

軽く会釈をすると、にっこり微笑んでくれました。可愛いお婆ちゃんです。私はお婆ちゃん子なのです。

小さい頃に紙芝居が来ると、お婆ちゃんからお小遣いを貰っていました。ある日、貰ったお小遣いを、道路脇の「ドブ」に落とし、お婆ちゃんと一緒に「ドブさらい」をした想い出があります。

それで、このお寺なのですが、山門には名前が有りませんでした。

境内に入ると、何も無い原っぱの大半は駐車場です。正面に台座に乗った「観音様」が立っていました。

傍らに、赤錆びた看板があり「正光寺 境内有料駐車場 聖域を汚すことななかれ 無断で乗り入れ駐車を禁ず 駐車の際は事前に寺務所に申し出て認可証を受け所定の場所に置くこと 天王山 正光寺」と書かれています。

この寺の名前が判りました。本堂は無く、駐車場を「経営」しているようです。現状は、「本堂」も無く、「駐車場」と云う姿をしているが、あくまでも「寺の境内」であり、「聖域」であり、「汚して」はならないのです。


でも、この広い境内に、大きな観音様だけです、どうしたのでしょうか? 天王山正光寺?


この観音様ですが、失礼ながら「愛嬌」があります。頭が大きく全体のバランスが少し「ユニーク」です。


アップで見ると、「手」と「身体」のバランスは「OK」なのですが、顔が「デカイ」です。

観音様の側には、まさしく「仏塔」が建っています。沢山の小さな「仏様」が貼り付けられた「塔」が建っているのです。この様な塔は始めて見ます。


広い境内に点在していた「仏様」を、一カ所に「集中管理」して、「駐車場」としの使い勝手を良くした? 何て勘ぐってしまいました。



しかし、ここは「聖域」です。商売優先は無い筈です。きっと「深~い」宗教的な理由があるのでしょう。



境内に居た猫ちゃんです。声を掛けたのですが「見つめる」だけで、返事はしてくれませんでした。


それで何ですが、ここまで書いて、調べててみたら、本堂は昭和53年(1978年)の火災で焼失してしまったことが判りました。

消失してから、早30年、本堂の再建は難しいようです。広い土地、そして、南北線赤羽岩淵駅まで徒歩2~3分。JR赤羽駅まで徒歩10分程度です。

この際、境内の半分にマンションを建て、それを資金にすれば、「本堂再建」どころか、境内の整備までやっても「お釣り」がくると思うのですが・・・・・・。

汚れた計算をしてしまいました。しかし、その方が・・・・・・「仏様」も喜ぶ・・・・・・気がするのです。

本山、檀家、住職の後継者問題等、いろいろと複雑な「利害」と「思惑」が絡んで解けないのかも知れません。


さぁてと。そろそろ、丸真正宗です。


それではまた明日。


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四文字駅名「赤羽岩淵」、志茂はどうして?

2007年06月22日 | 東京の風景
昨日の続きです。

駅前の繁華街から、裏通りの商店街を抜け、埼玉県との境に架かる「新荒川大橋」を目指しました。

赤羽に来た目的として、新荒川大橋の袂にある「丸真正宗」の「小山酒蔵」の現在の様子を見たいと思ったのです。


この辺りの商店街は、20年前とあまり変わっていません。この「下駄屋さん」は昔のままです。そう儲かる商売ではないでしょうからね。


右側の「中華そば」の赤い暖簾が下がった店も昔のままです。この日は夏日でしたが、入り口の戸は開け放たれ、昼時でカウンターは満席でした。


夏日に、冷房設備がない中華屋のカウンター席で、熱いラーメンを啜る、かなりの強者です。

この店で、生まれて始めて「汁の無い」中華そば、ジャージャー麺を食べた記憶が残っています。小学生の頃だったような気がします。何か不思議な味で、不味かったような気がします。

私の場合、食事に関する記憶が、不鮮明な時は美味しくなかったのです。旨くない記憶は消えてしまうのです。

ありました!丸真正宗! さすがに地元の居酒屋は、地元の「酒」です。


「都電終点」に出る手前なんですが、ここら辺りに昔「東宝系の映画館」がありました。「ゴジラ」も「モスラ」もここで観たのです。

最高に興奮しまた、ドキドキ、ハラハラ、面白かったです。映画はやっぱり「映画館」で「大勢で一緒」に観ると、面白さが何倍にもなるようです。


裏通りを抜け、北本通りの「都電終点」に出ました。1972年に廃止になった都電27系統です。姉はここから都電に乗って高校に通っていました。


現在は、この通りの下に、地下鉄南北線の「赤羽岩淵」の駅があり、ここから先は「埼玉高速鉄道」になっているそうです。

今回、ブログを書きながら調べたのですが、この高速鉄道の終点は「サッカー」で有名な「埼玉スタジアム」でした。知りませんでした。

それで、「赤羽岩淵」の駅名ですが、無名の「岩淵」に有名な「赤羽」を合体して、赤羽に近いことを説明しているようです。

赤羽岩淵があると他に「何とか岩淵」があるのかと思ってしまいます。単に「岩淵」だけでいいと思うのです。

手前の駅は「志茂」ですが、こちらは単に「志茂」です。「赤羽岩淵」も「志茂」も、「JR赤羽駅」からの距離はほぼ同じです。

志茂の手前が「王子神谷」で、その手前が「王子」です。このことから、王子→王子神谷→「赤羽志茂」→赤羽岩淵、では「重たい駅名」が続くので、アクセントに「志茂」は単に「志茂」になったのではないかと推察するものです。

新しい鉄道は「無名」の「土地」を走るので、なるべく近所の「有名」な駅名と「合体」する傾向があります。

赤羽岩淵の次、埼玉高速鉄道の最初の駅名は、「川口元郷」です。いっそのこと、この際「赤羽志茂」にして、四連続「四文字駅名」にしたら、面白かったのではと思ったりして・・・・・・。


それで、兎に角、北本通りを横断しました。
このお婆ちゃんなんですが、青になると同時に渡り始めたのですが、信号が変わりそうで心配でした。おふくろと「同い年くらい?」に見えました。


「丸真正宗」にたどり着くに、もう少し時間がかかりそうです。

それではまた明日。 



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赤羽の戦後復興は最近でした!?

2007年06月21日 | 東京の風景
東京に行って来ました。

今回の目的は、あの「ちゃんこ七ツ海」です。昨日行く筈だったのですが、念のため「休業日」を確認したところ、火・水曜が連休になっていたのです。

そして、今日、満を持しての東京行きです。家を出たのが10時過ぎでした。
七ツ海の営業時間が5時からなのですが、七ツ海だけでは「もったいない」ので、赤羽付近を歩き、それから、立石に向かう計画です。

日暮里駅で京浜東北に乗り換えです。ホームに着いて数分後に山手線が到着して、その数分後に、京浜東北の快速電車が通過して行きました。「何か変だ」と思いました。

「快速が走っているわけね」と思い、今度来る電車はきっと停車するんだろうと、ボンヤリと待っていました。ホームの京浜東北側には人影が有りません。


電車を待ちながら、目の前壁を眺め「なかなかイイねェ~、苔のような雑草の生え具合が風情ですねェ~。この古いレールの柱が、また何とも堪らないですねェ・・・・・・」何て、のんびり電車を待っていました。

すると、『只今の時間、すべて京浜東北線は快速運転をしております。当駅には停車致しません。京浜東北線ご利用のお客様は、田端まで山手線をお乗りになり、田端駅で京浜東北線にお乗り換え下さい』とのアナウンスが流れました。

えっ!何それ。「快速」が走っているのは知っていましたが、常磐線や京成線の乗り換え駅である日暮里は、当然、快速の停車駅だと思っていたのです。日暮里はメジャーな駅ではなかったのです。

急がない暇人ですから、1本乗り過ごしても問題ありません。立ち喰いそば屋の写真など撮って時間潰しです。


階段下に有り、線路に面して入り口が有りません。窓の無い「穴蔵」のような目立たない店です。昼少し前の時間ですが、おじさんが一人そばを啜っていました。

山手線に乗り、田端で向かいのホームに停車している、京浜東北線の電車にダッシュで乗り移りました。年寄りにはムリな乗り換えです。

王子、飛鳥山下の散策路には「紫陽花」が路にそって咲いていました。この路は以前に歩いたことがあります。なかなか結構な路です。


赤羽駅です。高校生の時から、20数年利用していた駅です。

東京を離れて20年近くになりますが、赤羽駅は「マッタク!」以前の面影の「カケラ」もありません。去年も来ましたが、それでもやっばり別世界です。


どうして?こんなに?「近代的」な街に変身してしまったのでしょうか?
西口の駅前には高層マンションが建ちましたが、それほど周囲の人口が増えた様には思えません。こんなに「お金」を掛けて「立派」にして大丈夫?

駅の北側にある「赤羽台団地」「桐ヶ丘団地」では、人口減少で中学校の統廃合が行われていると云うのに・・・・・・。

思い当たる事は、高度成長で東京が生まれ変わった時、東京の端っこで、ほとんど埼玉県といった場所の「赤羽」は、取り残されていたのでしょう。そして、やっと順番が回ってきた?

駅前のバスターミナルからは「埼玉県」に向かうバスが沢山発着しています。赤羽は埼玉県民の通過駅で、これは勝手な推測ですが、昔から、商店街の客の半分は埼玉県民?のような「気が」していました。

それなりの「ターミナル駅」としては、開発が「最後の最後」に回され、高度成長の恩恵を最後に享受した町だったのかもしれません。線路の高架化をキッカケに変身しました。

でも、あの「汚くて」、「ゴチャゴチャ」した赤羽が懐かしいです。遮断機が上がり始めるなり、両側から向かい合って一斉に突進する人と車、凄いエネルギーでした。

ここだけは昔とまったく変わりません。

昔はそれほど気にも留めなかった教会ですが、いまでは、「教会」のある「風景」も「なかなかイイ物だ」と感じるようになりました。

歳をとり、肉体が老いて変化をすると、変化しないものに「憧れ」る?

変化しないものから、変化する前の昔の姿が見えてくるとか?

古いものは好きですが、古いものを残すのは「何となく」スッキリしません。古いものはいつかは消えていく・・・・・・・そんな儚いとこに惹かれるのです。

やっぱり、「諸行無常」です・・・・・・。


それではまた明日。
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