歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

"光る君 へ" ⑯ 伊周一派の追放は詮子と倫子の謀略でした! 女が時代を動かしていた !

2024年06月12日 | テレビの話し

はい、本日も"光る君へ"です。

先日、久しぶりに、19回「放たれた矢」、20回「望みの先に」、21回「旅立ち」、22回「越前の出会い」、23回「雪の舞うころ」の5回分を一挙に、連続して観てしまいました。

うん、大変に面白かったです。やっぱり、自分とは、まったくもって関係のない、支配階級の、上級国民の、権力闘争なのですが、何故か面白い。

男と女の絡みを、権力闘争を背景として描くことで、人間の欲望とか、絶望とか、策謀とか、陰謀とか、恨みとか、妬みとか、憎しみとか、弱さとか、信頼とか、希望とか、愛とか、まあ、そんな、諸々が、人間の究極が、本性が露になるとか?

それにしても、伊周一派の凋落は、あまりにも、惨め過ぎて、ぶざま過ぎて、可哀そうでした。これで、敵役の、憎まれ役の、伊周を演じた俳優さんも、それなりに、視聴者からの、同情を誘い救われたと思います。

自信たっぷりで、鼻っ柱の強い伊周を、持ち上げて、持ち上げて、そして、一気に叩き落し、ぶざまな姿を、これでもかと描く、この展開には、なるほど、やるね、大石静さん、と、思ったりして。

伊周の弟、隆家が、花山法皇に矢を放った「長徳の変」ですが、それなりに穏便に済ませようとした道長。

しかし、時を経ずして一条天皇の母、詮子への呪詛の発覚。それでも、大ごとにしたくない道長。

呪詛ついて、妻の倫子に措置を任せた道長、しかし、道長の思いとは異なり、呪詛の件を公にした倫子。

結果として、二つの罪により、伊周一派は都から排除されるのでした。

「長徳の変」と女院への呪詛ですが、当時から、道長の仕組んだ謀略説が、巷には流れていたそうです。

しかし、このドラマでは、道長イイヒト説を貫いている事、そして、当時、女は男の道具に過ぎないとの、定説に反して、政略の、策略の、謀略の、裏に「おんな」有りとの解釈で一貫しています。

このシーンです。

知ってましたよ女院様、と、告げる倫子。

戸惑を見せる詮子。

やられた、と、驚きの道長。

呪詛を仕組んだのは、当人の詮子であり、それを悟った倫子は、道長に任せておいては握りつぶされるとして、呪詛の件は任せてほしい、と、道長に願い、同意を得る。

しかし、倫子は呪詛の件を、帝の耳に入るよう画策し、帝から厳しい処罰を引き出す事に成功。

倫子・詮子の謀によって、宿敵伊周一派は都落ち。道長は二人の女性の掌の上で、転がされていた事を知るのでした。

そして、もう一人の女性、"まひろ"ですが、10年越しの愛を道長と確認し合い、道長の計らいで、国司となった為時と共に、越後の国に旅立つのです。

越後では、宋との関係で"まひろ"が活躍しそうです。

それにしても、当時の国司ですが、公私混同が常態化して、私腹を肥やすのに専念し、地方の治安は乱れていたようです。その結果として、戦いを専門とする武装集団が誕生するのです。武士の時代の幕開けとなるのです。

それにしても、現在の、今の、政治状況ですが、都知事選を巡る、与党内の、野党内の、与野党間の、政略の、策略の、謀略が展開しています。

本日、小池百合子氏の出馬発表があるようです。私の予想は外れたようです。それにしても、最近は、週刊誌、YouTube、SNSなどで、蓮舫氏へのネガキャンが活発なっています。バックに電通が? なんてことが、いろいろな噂が飛び交っています。

いつの世も、政治は、政策よりも、政局話に関心が集まるようです。

それで、NHK朝ドラですが、"よねさん"が、

『読んだか、新憲法、ずっとこれが欲しかったんだ、私たちは・・・これは自分たちの手で、手に入れたかったものだ』 

と、云わせています。いま、この時に、なかなかのメッセージです。NHKは、報道部以外は、それなりにジャーナリスティックと、その筋では囁かれているそうです。 

占領軍から"与えられた" のであり、自ら勝ち取ったものでない、"民主主義・新憲法"

与えられたものは、勝ち取ったものより、手放すのに抵抗感が少ない ?

ホントに、世界は、とても、とても、きな臭くなりました。

今だ世界は、戦国時代 ? これを終らせるのは、武力による世界統一の道しかないの?

話が、かなり、ぶっ飛んでしまいました。

はい、本日は、これで、お終い。

それでは、また。

 

 

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" 光る君 へ" ⑮ 清少納言で " ファーストサマーウィカ " は全国区 ! そして大の里優勝 !

2024年05月31日 | テレビの話し

はい、今回も番外編です。

 5月17日放送のNHKBS "ザ・プロファイラー" の『書き尽くせぬ思い「源氏物語」作者 紫式部』のお話となります。

司会は・・・誰だったか ? ・・・、名前が出てきません、前回の大河で信長を演じた方です。

そして、ゲストのお一人に、"光る君へ" で清少納言を演じている"ファーストサマーウィカ" さんが御出演。

ヘアスタイルも、メイクも、ファッションも、清少納言を意識しています。発言も、"ファーストサマーウィカ" としてだったり、清少納言としてだったり、とても、とても、面白いキャラの方です。

"ファーストサマーウィカ" を清少納言にキャスティングしたのは大成功だと、今後、世の中では、清少納言と云えば、彼女の、声、話し方、表情、所作がイメージされることでしょう。

"ファーストサマーウィカ" は、このドラマ出演で全国区となりました。ただ、清少納言のイメージが強烈すぎて、染み付いて、こびり付いて、他の役柄では、使いずらい、なってマイナス面もあったりして・・・。

話を戻します。

そして、司会が冒頭で、

『源氏物語と云えば、さまざまな恋物語・・・だけではないのです。実は、当時の宮廷スキャンダルや権力争い、

そして、紫式部の人生が色濃く反映されていました。今回は、日本文学史上の傑作にして問題作 "源氏物語" その作者の謎多き人生に迫ります

と、発言。

そして、式部の性格を特徴を推察していく、出来事として、

『 当時の風習である不吉な方角へ出かける前日に、良い方角の家に泊まる風習・・方違え(かたたがえ)・・・で式部の家に宿泊した男性客。

男は大胆にも、姉妹 (式部は姉と弟の三人姉弟) の寝室に忍び込んで、式部と事に及んだのでした。翌朝、何食わぬ顔でかえっていく男。

式部は、この男に歌を送った

"おぼつかな それかあらぬか あけぐれの そらおぼれする 朝顔の花"

はっきりさせてほしいわ、昨夜は私と知ってのことだったのですか? とぼけた朝の顔では、分かりかねます。

姉と私を間違えたのか?それとも遊びだったのか? 式部は男を責めた』 

これによって、割と勝ち気で、前向きな性格がが分かる・・・と、女性の識者が解説。

ちょっと ! 待った! 私としては、性格推察の材料以前に、こんなことが…夜這い ? が…平安時代には、よくあった事、許される事、今なら強制わいせつ罪? 強姦?  

平安時代と云うか、江戸時代と云うか、明治時代と云うか、第二次大戦頃まではと云うか、男と女の性事情は、とても、とても、とても、おおらかだった事を、それなりに、一言、説明すべきと思ったりしたのです。

もしかして、NHKとしては、教育上、倫理上、ヨロシクないとして、深追いせずにすっ呆けたの ?

第二次大戦後、民主主義と共に、キリスト教の道徳観が、このおおらかな風潮を、風習を、伝統を、良いか? 悪いか? 廃絶していったのでした。

近代においてと云うか、民主主義においてと云うか、資本主義においてと云うか、兎に角、一夫一婦の固定的婚姻関係を前提として成立。

話が、ムズカシクなりました。まあ、あんな、こんなに、思いを巡らすのもボケ防止の対策。

それと、もう一つ、気になったのが、ドラマにも度々、式部の父、為時の友人として登場する、藤原宣孝ですが、998年、26歳の頃の紫式部と結婚。女の子を一人をも受けていた史実には驚きでした。

結婚して3年後に宣孝は死去。この悲しみを癒す為に、式部は、源氏物語を書き始めたとの説。

"光る君へ" のドラマ展開では、藤原道長との別れが、源氏物語を書き始める動機となっているように見えたのですが、今後のドラマ展開に、宣孝との結婚と死別は、どう描かれるのか、又は、描かれないのか、興味が湧いてきました。

歴史ドラマは、史実と、解釈と、創造と、いろいろと、ごちゃ混ぜになって、見る人の歴史認識の差により、かなり、かなり・・・なのです。まあ、娯楽番組ですから、楽しみ方は、人それぞれ。

まあ、兎に角、大の里が優勝しました。これで、来場所で大関。来年は横綱が確定的。でも、しかし、あまり早く横綱になってしまうと、その上がない為に、楽しみが無くなってしまうので、ちょっと残念。

そのてん、師匠の二所ノ関親方の稀勢の里は、大関候補から、大関になるまで、とても、とても、時間が掛かり、とても、とても、楽しませてくれました。

そして、横綱になったら、あっと言う間に引退。これは、これで、良かったのです。

そうでした。そろそろ、隣町の二所ノ関部屋に見学に行かなければ、建物は、何か、お風呂屋さんの佇まい。周りには何もなく山の中みたいのようです。

まあ、本日は、いや、本日も、よく分からないお話でした。

ボケ防止対策に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

それでは、また。

 

 

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"光る君へ" ⑭ 番外編の2 "英雄たちの選択スペシャル" 権威を倒すのはそれを上回る権威 !

2024年05月27日 | テレビの話し

はい、本日は、前回に引き続き、番外編の二回目となります。

とり上げるのは、 NHKBSで1月6日に放送された回を、5月4日に再放送した"英雄たちの選択スペシャル"の『紫式部千年の孤独~源氏物語の真実~』となります。

オープニングでのナレーションでは、

〇世界最古の長編小説。←知りませんでした。因みに、字数は約100万字だそうです。

因みに、 字数を比較すると、私のブログは、2006年9月より始めて、今年で18年目に入り、記事数は2千2百数十件。最近は1件2千字程度なのですが、少なく見積もっても、平均1千字程度で、2千2百×1千=2百2十万字となります。字数だけは "源氏物語を追い" 抜きました。だから ! どうした! と云われても・・・、只々、云ってみたかっただけです。失礼しました。

〇20世紀初頭、英語に翻訳されたのを機に、ヨーロッパからアジア諸国まで、実に40以上の言語に翻訳され、世界中の人々を魅了している。←これには驚きました。知りませんでした。

〇作品の真のテーマは女性たちの生きざまにある。平安時代、貴族の女性たちは、男たちの権力争いの道具にすぎなかった。←う~ん、"光る君へ"では、そうとばかりは云えない、脚本となっています。

私も、大石静さんの、解釈に賛成します。歴史は、社会の上部と下部の絡み合いに、男と女の上部と下部の、重なり合いと、絡み合いが、複雑に絡み合って織りなされるのです。

〇女たちは、何に救いを求めるのか、恋か、権力か、それとも宗教か・・・。

〇そこにあるのは、女性の生きずらさという、現代にも通じるテーマ。←この問題は・・・う~~。ムズカシイ、男は男で、それなりに世間を渡っていくのには、生きずらさを感じます。男と女では、生きずらさの、質も量も違うの ?

そして、そして、司会の磯田道史の冒頭のコメントが、気になったのです、とても、とても、大胆で、重要で、微妙で、ある意味で危険な発言でした。

『天皇とは何か、何で、あんなに ( 今でも続いているのですら、あんなには誤りで、正しくはこんなにだと考えます ) 長いこと我々が天皇を中心に、国造りを続けてきたのかとか云う事は、この文學の読み解きなくしては、やっぱり無理なんですよね』

この発言の後、道史さんの表情に、動揺と、戸惑いと、不安が、画面から、微かに読み取れました。

この番組は "英雄たちの選択スペシャル" となっており、いつもより30分拡大の90分で、わたしとしては、他ゲストの発言はすべて無視。道史さんが、どう読み解いたのか、ずっと、ずっと、待ち続けたのです。

しかし、しかし、いくら待っても、彼は、冒頭のコメントに触れる発言はしませんでした。もしかして、発言はあったが、編集段階でカットされた ?

只、道史さんの発言に関連する、国文学者の山本淳子氏の『摂関政治という、ほかの国にはみられない、不思議な政治形態であったこと、ほかの国では、王朝を変えればいい。つまり、今の天皇を滅ぼして、政権をとればよい』との発言。

しかし、この発言には、道史さんは反応しませんでした。そう簡単に、深堀できるテーマではなく、主題から外れると考えたのでしょう。

まあ、考えて見れば、番組として、それなりに、各出演者には主題に沿った発言をお願いし、それなりの確認を事前に行っている筈です。道史さんの天皇制に関する発言は、問題として大き過ぎるので、冒頭での提起だけに留めたのでしょう。

貴族の摂関政治だからだけではなく、貴族政治を倒した武家政権の、頼朝も、秀吉も、家康も、そして、そして、第二次大戦の連合国も、天皇制を倒す事はしませんでした。

どうしてなんだろう? 何故なんだろう ? と、三日三晩、飲んだり、食ったり、眠ったり、歩いたりしながら考えました。

そして、得た、答えは、まあ、たぶん、武力をもって、権威を倒したとしても、倒した権威を上回る権威がなければ、誰も従わないと思います。権威を倒すには、新たなる権威が必要なのだと・・・。

それにくわえて、上記を外形的に支える要件として、日本が島国であること、そして、概ね単一民族であること、これが、かなり、かなり、後押ししていると思うのです。

2千年以上続く権威を倒すには、それを上回る権威が必要です。でも、そんな権威の出現は、とても、とても、とても、現実として不可能だと思います。

やはり、日本は天皇制で、国をまとめていくのが現実的で、合理的で、賢い判断なのだと・・・やっぱり、むかし、森喜朗さんが言ったように、日本は神の国 ?

話は、本日も、ぶっ飛んでしまいました。

これでお終い。

それと、大の里が、私の予想通り、希望通り、優勝しました。

これで、来場所、優勝または、最後まで優勝争いに絡み、12勝以上すれば大関は間違いありません。

そして、来年度中には、琴桜、大の里、二横綱時代が到来します。間違いありません。

それでは、また。

 

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" 光 る 君 へ " ⑬ 番外編で ! 時代の閉塞感で " つばさの党 " で下翼からのQアノン? !

2024年05月24日 | テレビの話し

" 光る君へ " も、1月から放送されて、もうそろそろ中盤に差し掛かりつつあり、何となく中だるみ?  私の方のブログも、" 光る君へ" 一択で、11回も書きなぐって、かなり、中だるみ。

そんな中、気分転換に、録画していた4本の " 光る君へ " の関連?と云うか、応援? と云うか、支援?と云うか、そんなNHK番組を、見ようか、見まいか、迷いつつの数日。

もし、いま、見てしまうと、ドラマを見る参考になる、と、云うよりも、もしかして、面白くなくなるかも、何て思いが、頭を過ったりしつつ・・・。ですが、結局、4本すべてを、見てしまいました。

まあ、考えて見れば、そもそも、自局 の大河 "光る君へ" の興味を削ぐような内容であれば、放送することはありません。

それで、その4本ですが、

① NHK総合の "100分 de 名著" 『源氏物語』から、これは、2021年放送を、2024年4月 7日に再放送たものです。

② NHKBSで5月4日に放送された"英雄たちの選択スペシャル"の『紫式部千年の孤独~源氏物語の真実~』

③ NHKBS "ザ・プロファイラー" の『書き尽くせぬ思い「源氏物語」作者 紫式部』

④ NHK総合 "歴史探偵" の『清少納言と枕草子』

と、云った、ラインナップとなります。   

それでは、先ずは、 "100分 de 名著" です。

第一回のオープニングで、

『古典文学の傑作、「源氏物語」作者、紫式部が生涯でただ一作だけ残した、この物語は、千年の時を超えたロングセラーとなりました。

平安時代から読み継がれ、「あんな恋をしたい」「光源氏のような男に愛されたい」と、女たちをときめかしてきた「源氏物語」。

しかし、それは、宮中での権力闘争や人間の欲望が「リアルに描かれた政治小説てもあります』

作者紫式部については、

『20代後半で結婚、わずか三年で夫と死別。式部は、現実を忘れる為、物語を書き始める。はじめは、友達と見せ合う同人誌のような楽しみ方。

しかし、あまりの面白さに、仲間内を超えた評判を呼ぶ。それを聞きつけた時の権力者、藤原道長が紫式部を、娘の彰子の女房(家庭教師)にスカウト。式部は宮中へと上がる。

式部は、道長をパトロンに、54帖と長い物語を書き継いでいきます。

女房にした理由は、伊周の妹の定子と、道長の娘彰子の、一条天皇からの寵愛受け争いの為。

既に、定子には清少納言が、出遅れて、彰子には紫式部が、女房とし仕え、いろいろなイベントを開き、一条天皇の関心を引き寄せる為の、演者として、演出家として、競い合うのでした。

この道長の思惑は成功し、彰子も一条天皇の寵愛を受け、二人の皇子を授かった。

式部の性格は、とても引っ込み思案で人付き合いか下手で、人と付き合うことができず、人とやさしいコミュニケーションができない。←この辺りの性格はドラマではそれほど感じません。 

清少納言はホントに巧く宮仕えに適応し、←(ドラマのファーストサマーウィカは、この清少納言にピッタリ) 対して、式部は適応できず、そこが物語を書き続けた理由。もっと自分の中の内なる物語を大事にして、そこの中で生きようと。その物語の中にリアリティーのある世界を創っていった。

この見解は、指南役の上智大学文学部教授 三田村雅子の主張がメインだと、そして、彼女が、紫式部が物語に込めた真実を読み解きます。

それで、一回、25分の4本構成となっており、

1回目は「光源氏のコンプレックス」

2回目は「あきらめる女 あきらめない女」

3回目は「体面に縛られる男たち」

4回目は「夢を見られない若者たち」

と、云うタイトルで、そも、そも、この番組、源氏物語そのものを解説した番組で、当然、作者の紫式部については、あまり多くは語ってはいません。

1~3回までは、いろいろな男がいて、いろいろな女がいて、いろいろな恋愛模様があり、それが、政治的背景の中で描かれた作品。と、云ったところは、まあ、そうか、そうか、と、云ったところでした。

一番、気になったのが、「夢を見られない若者たち」の4回目です。えっ、光源氏が亡くなった後の、物語を書いていたの? 知りませんでした。

" 閉塞した時代" に生きずらさと格闘した、若者たちの姿を描いていたのです。とのナレーションが入るのですが、語られるのは、極々個人的事情による悩みが語られるのです。

『当時、都では、政治が乱れ、火事が頻発、そんな不安な世相を背景としていた』と語られるのですが、これが閉塞していた時代背景なの?

でも、しかし、しかし、登場する、光源氏の子孫とは、閉塞した時代背景とは、まったく無関係の悩みが語られるのでした。

指南役の上智大学文学部教授三田村雅子には政治が解らず、この回のゲスト、精神科医の香山リカには源氏物語が解らず、タイトルの「夢を見られない若者たち」は、

" 閉塞した時代" に生きずらさと格闘した、若者たちの姿を描いていた、は、何処へ行ってしまったの ? でした。

54帖第三部に登場する光源氏の子孫の存在こそが、時代の閉塞状況そのもので、原因で、元凶で、打破すべき対象そのものだと、思うのでした。

時代の閉塞状況が、現代の若者にも通じることを、匂わせつつ、深追いせず、と云った、かなり、政治に、政権に、配慮した、忖度した、政治的配慮を、匂いを、感じたりして・・・。

 

それで、突然ですが、『つばさの党』の東京15区の衆議院議員の補欠選挙に関する一連の騒動です。

この件に関して、雨宮 処凛氏がSNSに投稿した記事を転載します。タイトルが、

『閉塞した時代の、「夢を見られない若者たち」の姿、生き辛さ.読み解く』

 第678回:「つばさの党」から3人の逮捕者、に思うこと。の巻(雨宮処凛) | マガジン9 (maga9.jp)

闇バイトで逮捕された人一一?」と書いたが、例えばルフィの事件で逮捕された中にもロスジェネは多い。そしてよほど高学歴だったり才能があったりしない場合、この国のロスジェネとその下の世代には大した選択肢がないことを私たちは知っている。少なくとも一度不安定な道に入ってしまうと、そこから這い上がるのは至難の技だ。

 そんなことを考えるたびに思い出すのが、『虚ろな革命家たち──連合赤軍 森恒夫の足跡をたどって』に登場する中核派の学生組織幹部の言葉だ。

 「なんていうか……もう常識じゃないですか。社会にブラック企業があるのは当たり前だし、どうやってブラック企業を回避しようかということを若者は当たり前に考えているし、年金なんかどうせもらえないと思ってるし、奨学金も返せない。じゃあ一流企業に就職したからって、過労自殺した電通の彼女の話じゃないけど、自分たちが目指してきたものって、これなのかっていう。東大みたいな一流大学出て、一流企業に入って、待っているのはこれなんだって。ユーチューバーで上手くやれたらいいなぐらいしか展望がないというか……だから本当にそういう社会の閉塞感っていうのは、この十年とかで全く違うものになってきている」

と云うのです。

私たち70代は、戦後の高度経済成長の恩恵をたっぷり受けた世代です。閉塞した時代状況を、肌で感じられる世代ではありません。

フツウの人が、フツウに働いて、フツウに結婚して、フツウの家が持て、フツウに暮らせる時代を過ごしてきました。

しかし、いまは、何もかも、フツウでは、生きずらい世の中になりました。これは、単に、アベノミクスの失敗なんて、そんな、生易しい問題ではないと思います。世界的に一つの時代の終わりの始まり?

時代は、ホントに、危険な閉塞状況に突入し、これまでの運動形態では、閉塞感を抱く若者たちを、閉塞感を打ち破るための理論も、組織できる運動体も、指導者も、今は未だ登場していない、と、思ったり、するのです。

立憲民主党も、維新も、国民民主党も、共産党も、れいわも、そして、中核派も・・・。いまは、もう、終わって・・。

そんな中での、" つばさの党" です。警視庁はうん十年ぶりに、捜査本部を設置したそうで、捜査二課、そして公安部も、徹底的に捜査・調査するようです。

彼らは、単純明快な主張で、理論よりも感性に訴え、敵を明確にし、一方的に攻撃を浴びせる、これまでとは異なる、新しい、左翼ではなく、『下翼』の運動体として、警察は、かなり、かなり、危険視している。と、思ったりしています。

まあ、つばさの党が大きく支持を伸ばすとは思えませんが、これからの "下翼運動" のヒントになるかも ? 

話が、源氏物語、紫式部から、かなり、かなり、ぶっ飛んでしまいました。

それで、本日は、このへんでお終い。

今日も暑い !

 

それでは、また。

 

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" 光る君へ " ⑫ ”まひろ”と”倫子”に尻を叩かれる道長!?

2024年05月18日 | テレビの話し

前回の続きです。

一条天皇は、関白も、左大臣も、空位として、”内覧”の地位を道長に命じます。実質的には権力の頂点ではあるが、関白ではないとの、苦悩の解決策。

その道長ですが、姉の詮子にも、妻の倫子にも、以前から、関白にはなりたくないと言いい。

そして、”ききょう” から、”まひろ”は、

「道長は、公卿の間でも、女官の間でも人気はありませんし、そもそも、本人に偉くなる気も、権勢欲も、まるで無い」

と、聞かされていました。

まひろとしては、チャンス到来なのに、何故、積極的に動かないのだ!道長!心変わりしたのか道長!と、思った筈です。

道長は何故に、権力の頂点を積極的に目指さないのか? 過去、まひろに誓った約束を忘れたのか?心変わりしたのか?

たぶん、若き日の変革の思いを、忘れた訳でもなく、心変わりした訳でもないと思います。

ただ、地位が上がり、現実の政に、それなりに関わり、見て、知って、綺麗ごとだけでは済まない、改革の難しさを、身をもって知り、迷い、悩み、苦しみ、そして、そして、改革の志を諦めつつある己を、嫌悪しつつ、鼓舞しつつの辛い日々。

そもそも、です。道長には、偉くなる気も、権勢欲も無い、と、云うよりも、政治に関心が無かったのです。改革の志は、まひろの気を引くため、そして、まひろに煽られ、けしかけられた結果なのでは?と、そんな気きが・・・、

まひろには、けしかけられ、倫子には、そのお膳立てを用意され、二人の女性の手の内で踊らされる道長? だったりして・・・。

そして、若き日、改革の思いを誓い合った密会場所で出会う二人。この場面、現実とは思えず、二人の幻想シーンのようでした。

向かい合い、

見つめ合い、

何も語らず、去って行くまひろ。

画面には、まひろの心の声が流れます。

『昔の己に会いに来たのね。・・・・・・・でも、今、語る言葉は何もない』

ここで、” つづく” のテロップが入り、第18回『 岐 路 』はお終い。

まひろとしては、

『さあ、条件は整った! 迷いの時は終わった! 民の為の改革に着手しろ道長!お手並み拝見!』

だった、と、思うのです。

そして、そして、まひろですが、このところ、それなりに、改革の為の知識を得ているのです。

父の為時の友、宣孝から、宋の国では「科挙と云う試験制度があり、これに受かれば、身分が低くても政に加われる」との情報を得たり。

弟からは、学生たちの間で、「民に代って時の為政者を正す詩文集、「白氏文集」が流行っていることを聞かされ、弟に頼み借り受け、写しとったり。

因みに、科挙は中国で6世紀末598年から始まり、20世紀初頭の1905年の清の時代まで続いた、官僚登用試験。6世紀末の隋の時代ですから、まひろの時代の10世紀末には、とっくの昔に知られていた制度では? 新情報として語るシーンは不自然では?

「白氏文集」は、まひろの時代より、約100年以上前(834-848)に伝来し、それなりに、平安貴族の間に影響を与えたようで、紫式部の源氏物語に、清少納言の枕草子に、その影響が窺えるそうです。

兎に角、時代は、まひろの望む方向に、動くような、動かぬような、そんな気配が、そんな手応えが、窺えるのでした。

2回にわたった『 岐 路 』の回は、これでお終い。

 

それにしても、大の里ですが、今場所こそ優勝してもらいたい。

それにしても、大谷翔平ですが、今日、13号本塁打を打ちました。

それと、個人的記録として記します。

先日、10数年ほど使用し、水の勢いが悪くなっていた、洗浄便座をヤマダ電機で購入し自分で交換、費用は28000円でした。

それと、庭に、キュウリ、ナス、トマト、ピーマンの苗を各2本ずつ植えました。

まあ、そんな、こんなで・・・・・・。

あっ、それと、4か所の蛍光灯を、LEDに自分で交換しました。こちらは、ビバホームで、一つ4千数百円だったかと。

それにしても、今日も暑かった。

それでは、また。

 

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”光る君へ” ⑪ 後継争い!逆転劇を仕組んだのは道長の正室で黒木華演じる倫子でした! 

2024年05月16日 | テレビの話し

『 岐 路 』第18回 

関白道隆が亡くなり、息子 伊周と、弟 道兼との後継者争いが始まりますま。

一条天皇は、公卿たちの意向の大勢は、道兼にありと判断し、道兼に決定。

兎に角、この伊周ですが、とても、とても、出すぎで、横暴で、傲慢で、粗暴で、権力欲の強い、ほんと、憎たらしい、最悪の男として描かれています。

因みに、その筋によれば、伊周は眉目秀麗で、教養も高く、和歌の名手で、源氏物語の ”光源氏” のモデルの一人では、と、云われている人物だそうです。

道長も”光源氏” のモデルの一人ですが、まあ、たぶん、単一の人物ではなく、複数の人物から創り上げたキャラクターだと、私は考えます。

ドラマでは、善と悪をハッキリとさせ、解り易い筋書きになっています。事実は、史実は、人間は、単純ではありません。でも、しかし、TVドラマですから、まあ、そこは、解り易く、面白くの、大人の判断。

それで、後継の道兼ですが、何と、就任7日で疫病で亡くなります。

またしても、後継争い勃発。今度は、伊周・定子、そして、伊周を嫌う一条天皇の母詮子との争い。詮子は道長を押します。

因みに、この年、長徳元年995年では、彼らはこんな年齢でした。

道隆 953年生まれ、995年 42歳で没

道兼 961年生まれ、995年 34歳で没

道長 966年生まれで、この時29歳 

伊周 974生まれで この時21歳

道長は大谷翔平と同じ年齢、伊周は、いくら平安時代とは云え、関白には若すぎます。

話を戻します。後継争いに、ついに、道長の正室 ” 源倫子 ” の登場となり、ドラマ終盤での、驚きのシーンとなります。初登場の頃は、男嫌いで、”猫好き”のお嬢様として描かれていました。

"庚申待ち" の夜に、倫子の屋敷で道長と出会った夜の、怪しくも、妖しい対応に、この女は、ただモノではないと、道長も、私も、感じたのでした。

倫子の ”猫可愛がり” は、”猫かぶり” との裏の意味を込めた、大石 静さんの仕掛けだったようです。伏線だったのです。

 

そして、今回のクライマックス、夜半に内裏に乗り込んだ、詮子と一条天皇のやりとりは、” 吉田 羊 さん” の大熱演でした。

『次の関白について、お上のお考えをお聞きしたく参りました』

『伊周に致します。明日には公に致します』

『恐れながら、お上は何もお見えになっておりませぬ。母は心配で御座います。先の、先の関白であった道隆は、お上幼い事をいいことに、やりたい放題で公卿たちの信用を失いました。伊周はその道隆の子、同じやり口、己の家の為だけに、政を仕切りましょう。お上を支え気など、さらさらありますまい』

『朕は伊周を信じている。伊周は母上の仰せのような者ではありません』

『お上は、中宮に騙されている』

『騙されているとは、どういう意味ですか?』

『せんだっては、道兼を関白にして落胆させたゆえ、今度は定子の兄とお思いではないかと思いまして』

『朕は定子を愛でております。されど、そのことで、政が変わることは御座いません』

『悪いことは申しませぬ。道長になさいませ』

『道長を関白にと考えたことはございませぬ』

『私は、姉として道長と共に育ち、母として、お上をお育て申し上げてまいりました。そのどちらも分かる私から見た考えにございます。

道長は、野心がなく、人に優しく、俺が俺がと前に出る人柄でございませぬ、若く荒っぽく、我の強い伊周に比べて、ずっと・・・、ずっと、お上の支えとなりましょう。お上に寄り添う関白となりましょう』

『朕は伊周に決め手おります』

『母を捨てて、妃をとるのか?お上はどんな帝になろうとお望みですか? 何でも関白にお任せの帝でよろしいのですか。お上の父はいつも、己の思いを汲もうとせぬ、関白の横暴を嘆いておいででした。

父上の無念を、お上が果たさずして、誰が果たしましょう。母は自分のことなぞどうでもよいのです!

ただ一つ願うは、お上が関白に操られことなく、己の信じた政かができるようにと、ただ、ひたすら、それを願っておるのでございます。

どうか・・・どうか、お上ご自身の為に、道長にお決めなさいませ!どうか、どうか・・・』

『朕は伊周に決めています。』と、云って去っていく天皇。

背に向かってお上!と叫び、泣き崩れる詮子。

そして、一夜明けて、翌日、一条天皇は、伊周にではなく、道長に内覧宣旨を下します。逆転劇は成功したのです。

嫁の ”要求” ではなく、母 の ”意見” を聞き入れたのでした。嫁は他人、母の胎内で十月十日育ち、この世に生まれ息子は、母親に弱いのです。

それで、詮子役の ”吉田 羊” さんですが、内裏に入内したのは、978年で16歳の時でした。これは、後で調べて知ったのですが、初めて登場した時から、周囲の人物と比較して、どう見ても、役柄の年齢としては老け過ぎ?と思ったのです。

どう見ても、兼家の娘と云うよりも、妻の方が相応しい、と、思ったりしたのでした。

でも、今回のシーンをみて、まあ、詮子役は ”吉田 羊” さんでよかったのでは、と、思ったりしています。因みに、吉田羊さんの年齢を調べたところ、1974年2月生まれで50歳でした。まあ、納得の年齢。

それで、この逆転劇を陰で演出したのが、倫子だったのでした。謎が明かされる最終シーン。

母と話す、倫子。

母『女院様を、この屋敷で引き受けたのが、大当たりだったわね』

倫子『私も一度は「え~・・・と思いましたけど」何が幸いするか分かりませんわね』

倫子は、同居する詮子に対して、思いを遂げる策を、それとなく、なんとなく、巧みに授けたのです。

決定の前夜に、内裏に乗り込ませたのも、説得の言葉も、出すぎないよう、怪しまれないよう、詮子自らの判断と思わせるように、それとなく、なんとなく、巧みに吹き込んだのだと・・・。

この笑いは、これまでも、何度か見てきましたが、かなり、かなり、複雑な笑いだと思います。まさに、してやったりの、勝利の笑い。

やはり、黒木 華さんが演じるのですから、それなりに、複雑な性格の役柄なのです。因みに彼女は34歳で、吉高由里子は35歳で、一条天皇の正室の定子役の高畑充希は32歳。

誰が何と云っても、云わなくても、断然、吉高由里子が色っぽくて魅力的、特に、充希ちゃんは、やはり、お姫様より、断然 ”ピーターパン” が似合います。

話が、かなり、かなり、逸れてしまい、そして、長くなったので、これにてお終い。

第十八回『 岐 路 』の話は、たぶん、次回も、続かも、知れません。

それでは、また。

 

 

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”光る君へ” ⑩ 糖尿病を患ったのは道隆ではなく道長!歴史の改ざん?修正?歪曲?

2024年05月13日 | テレビの話し

はい、本日も、ボケ防止で、” 光る君へ ” の、第17回『 うつろい 』あたりのお話です。

7年の歳月が流れ、悲田院で疫病に感染した”まひろ”に出会った道長。

日常では、抑えつけていた”まひろ”への感情が、非日常環境で、我を忘れ、身体が動き、こころが動き、無心で看病していた道長。

道長に看病されたことを知り、道長が自分の事を忘れず、想い続けている事に、淡い期待を抱き、一瞬、微笑みを浮かべる”まひろ”。

しかし、しかし、まひろが回復しても、二人の関係には何も変化は起こらず、日常に戻る二人。

互いに、心の奥底に、仕舞いこみ、抑えこみ、忘れようとするが、忘れられない。叶わなものと知りつつ、受け入れることもできない。二人の葛藤。

そして、関白道隆ですが、飲水の病(2型糖尿病)に侵され、後継を巡り、息子伊周を後継にするよう一条天皇に迫ります。

一条天皇の母詮子と道長は、後継伊周に反対し、道兼を押します。

この道隆の、病を押しての狂気迫る、凄まじくも、醜い、行動のエネルギーは、一体、どこから生まれるの? 私には、まったく、理解できません。

権力を手中に収めた者だけが知る、その、魅力?と魔力?

令和の世でも、国会議員が、特に、自民党議員が、息子を、娘を、後継に据えるのは、ごく一般的な出来事となっています。地元の有権者も、特に疑問を抱くことなく、受け入れているように見えます。

国会議員は、家業で、祖先代々から、子々孫々へと、能力に関係なく、一子相伝で受け継がれていく伝統的、重要無形文化財的な職業?

話は、大きくなりますが、やはり、これは、我が日本国においては、何と云っても、云わなくても、律令制度も、明治維新も、戦後民主主義も、そうでした。

自らが闘い勝ち取ったものではなく、上から、外部から、与えられた、形式だけを導入した、そんな、こんなが、すべてに影響しているのだ、と、思ったりしています。 

話を戻します。

それで、道隆の糖尿病ですが、調べて見たら、何と、何と、日本で記録に残る最初の糖尿病患者は、藤原道長だと、されているそうです。当然ですが、道隆のあとに道長は亡くなっています。  

これは、ロバートの秋山演ずる、藤原実資(さねすけ)の日記「小右記」に道長の病状が記されており、「のどが渇いて水を多量に飲む」、「体が痩せて体力がなくなった」、「背中に腫れ物ができた」、「目が見えなくなった」など、2型糖尿病の症状が記されているそうです。

道隆に関しては、その直接的死因を推測できる記録は残されていません。ドラマのなかで、安倍晴明に『関白殿は飲水の病で長くない』と云わせています。

やはり、ここでも、糖尿病を患うような、不健康で不規則で、私利私欲の政治の道隆。

対して、健康的で、規則的で、清く、正しく、美しく、民の為の政治をする、立派な改革者として描かれる、道長。

このドラマ、ここでも、またです。かなり、道長を美化しすぎでは、と、思ったりするのです。

歴史の改ざん?歪曲?まあ、ドキュメンタリーではなく、平安時代を、単に、背景とした、ラブストーリーとしてはあり?

道長は、まひろへの叶わぬ思いを、こころの奥底へ抑え込み、その感情の”転化”として、”まひろと約束”した、民の為の政を、強く、強く、道隆に主張したのでは?と、思ったりするのです。

まひろは、道長への叶わぬ思いを、こころの奥底へ抑え込み、その”転化”として、源氏物語を記したのでは?と、思ったりするのです。

そして、後継争いですが、母と嫁の板挟みとなった一条天皇は、嫁定子の妥協案を受け入れ伊周を関白に準じる ”内覧” とします。ただし、そこに道隆の病中のみとの期限を限定した決定を下すのでした。なかなか、考えた妥協策。

そして、道隆は亡くなるのでした。関白の在任期間は僅か5年ほど、享年43歳は当時としても若い。1型糖尿病にしては遅い?2型にしては早い?当時流行っていた疫病の可能性の方が高いような気がします。 

そして、道隆は亡くなり、後継争いが始まります。

それにしても、権力を巡る争いに、みなさん興味があるの? 権力志向の強い、ごく限られた人たちにしか、興味がないのでは?

NHK大河の制作陣は、権力志向が強い?権力争い好き?

そうでした。そもそも、大河ドラマは、歴史ドラマで、権力争いのドラマでした。

日本経済が、イケイケドンドンの拡大成長期には、権力争いドラマは、それなりに受け入れられ、停滞期から後退期へ差し掛かってきた現在、権力争いは受け入れられず、視聴率は低迷?

調べて見たら、大河ドラマが始まったのは、やはり高度成長が始まった頃の、1963年でした。

兎に角、ボケ防止で、歴史のお勉強で、私は見続けます。

次回、『 岐 路 』では、もっと、もっと、権力争いが描かれそうです。

まあ、これで、本日は、お終い。

 

それでは、また。

 

 

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"光る君へ" ⑨ 地位・身分は高く!志は低く!

2024年05月07日 | テレビの話し

権力を巡る争いとは、地位を得る争いで、政策を巡る争いではなく、政策は地位を得る為の、維持する為の、たんなる手段。

権力を手中にした後は、その地位を守ることが最大の目的となる。

と、まあ、のっけからお堅い言葉を記しました。

第16回『華の影』での、道隆一家ですが、地位も、身分も、とても、とても、高いのですが、志は、とても、とても、低いのです。

地位・身分と、志は反比例しがち?うまいモノを喰って、うまい酒を飲み、歌い、舞い踊り、華やかで、優雅で、煌びやかな暮らしに明け暮れて、お祭り騒ぎの日々で、政にはまったく無関心。

疫病を心配する天皇に対して、

『疫病が流行ってはおりますが、それは、下々の者しか罹らぬもの、我々には関わり御座いませぬ」

と、云ってのけたり。

兎に角、無能な道隆、対して、民の窮状に寄り添う、有能で心優しい道長。この解り易いキャラ設定の対比が気になったのでした。

大石静さんは、どんな資料を参考にし、そして資料を、切り刻んで、つなぎ合わせ、膨らませ、各登場人物のキャラを描き上げ、ストーリーの展開を創り上げたのか、その一端に触れてみたいと思ったりして・・・。

ここで、ボケ防止で、社会科の、歴史の、お勉強です。静さんが、たぶん参考とした資料を調べてみました。以下の資料は、平安時代中期を知る上で、その筋では鉄板の資料のようです。

先ずは、道長( 兼家の五男 従一位 摂政 966年から1028年 62歳没 )の『御堂関白記』36巻です。彼が、33歳から56歳にかけて書き残した日記です。

文体や筆跡には、道長の性格のおおらかさが看てとれ、内容は簡潔ながら、当時の政治や貴族の生活を書き記した、超一級の資料だそうです。

しかし、面白いのが、誤字、脱字、重複、省略、塗りつぶし、文法的誤り、意味不明、等々が散見される特異な文体で、又、人の悪口や、喜びの言葉も、素直に記されているそうで、何となく、ドラマの道長に近い気がします。

わたしの想像では、たぶん、道長は、宮廷での仕事を終え、帰宅し夕食後に、一杯やりながら、ほろ酔い気分で綴ったのだと思います。

因みに、現代語訳が、講談社学術文庫より、上・中・下の三巻で出版されています。

次が、” ロバートの秋山”  演ずる ”藤原実資” ( 従一位 右大臣 957年~1045年 )の『小右記』( 982年~1032年記 )で、道長そして、息子頼通の全盛時代の記録。

社会、政治、宮廷の儀式、故実などを記録した、当時を知るうえで重要な資料だそうです。記述は全体的に辛口で、道長の政治および人物を痛烈に批判しているそうです。

ドラマでは、兼家や道隆には批判的ですが、道長に対しては肯定的に描かれています。これは、やはり、源氏物語で、道長で、光源氏説で、”まひろ” 紫式部で、二人の道ならぬ恋で、純愛で、ストーリーが組み立てられている、そんな大人の都合から?

兎に角、道長の『御堂関白記』、実資の『小右記』で、当時の政治状況を、

道綱の母が記した『蜻蛉日記』で、兼家のキャラを、

清少納言の『枕草子』で、中宮定子を中心とした宮廷模様を、

そして、『源氏物語』( 文献初出は1008年で詳細不明 )と『紫式部日記』(1008年~1010年) で、全体的なストーリー展開を、

と、云ったところだと思うのでした。

道長の『御堂関白記』、実資の『小右記』は、まったく知りませんでした。勉強になりました、ボケ対策になりました。

それで、それにしても、道長と” まひろ” の再会シーンは、もしかして?すれ違いなの?的な演出で、ハラハラ、ドキドキでした。メロドラマのすれ違いの常套手段と思ったら、感染したまひろを一晩中介抱したのには驚きました。

まひろと道長、また、また、燃え上がりそう・・・。

でも、この、別れ際の、まひろの手にふれようとして、思いとどまり、去っていた道長。手にふれることは、こころにふれること。

まひろへの想いを、残しつつ、あきらめつつ、ひきずりつつ・・・、そんな象徴的なカットでした。

さすが ”ラブストーリーの名手” 大石 静さん。

後期高齢者ひとつ手前の身としては、歴史のお勉強をメインとして見ていますが、それは、それで、それなりに、心トキメイタリするのでした。

ところで、『光る君へ』の視聴率ですが、大河ドラマとしては、過去最低のようですが、面白いです。

吉高由里子さんも、いい芝居しています。やはり、残念ながら、平安時代を舞台としたドラマは、いろいろな意味でムズカシイのでしょう。

 

それでは、また。

 

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"光る君へ" ⑧ 清少納言の ”ファ―ストサマーウィカ” この顔!この名前!一発で覚えました!

2024年05月01日 | テレビの話し

今回も、またしても、前回に引き続きです。

”光る君へ” 15回『おごれる者たち』のお話です。

道隆の、やりたい放題の、身内びいきの、驕る、傲、奢るの、”おごれる者” たちの独裁が始まります。

長男である道隆は、父の兼家に、可愛い、可愛いで、甘やかされて育てられ、世間知らずで、我がままで、まさに総領の甚六の見本だった?

道隆は、先の円融院天皇の中宮 ”藤原 遵子” を、一条天皇の母で道隆の妹の詮子を、内裏から追い出し、娘の定子を中宮にします。

ここで、引っ掛かるのです。中宮、皇后、皇太后。

調べてみました。

『中宮という言葉の意味は「皇后の住居」である。 転じて、そこに住む 皇后 その人を指して「中宮」と呼ぶ』

先の天皇の皇后は、皇太后ではないの?旦那の円融院が退位しても、中宮にいるのも、よくわからん。そして、中宮の政治的な役割もよくわからん。

それでも、考えれば、中宮ですが、皇后で、妻で、女で、男と女で、天皇に対して、それなりに、公私ともに影響力を行使できる立場、やり方によっては、影の権力者?

一条天皇ですが、定子の手玉に取られているようで、一条天皇の母、詮子は面白くありません、定子も詮子が邪魔くさい。

その結果、お父さんの道隆に、叔母さんの詮子を内裏からの追い出しを嘆願。道隆も詮子をよく思っていなかったので、追い出し決定、と、いったところか。

兄弟姉妹で叔母と姪の権力争いと云うよりも、これは単なる、内輪の仲たがい? 

そんな、こんなの、変わりゆく世の中で、出来の悪い、まひろの弟、惟規が「擬文章生」に合格。変われないで、立ち止まっている自分に、思い悩む ”まひろ”

そんな “まひろ“ のところに、ある日 ”ききょう” が訪れ、皇后定子の ”女房” となった事を知らされます。

夢が叶い、うれしそうな ”ききょう” とり残され感がつのるばかりの  ”まひろ”です。

それで、この ”女房” ですが、宮廷や貴族の仕えた女性使用人で、女房の名称は、彼女らにあてがわれた ”専用の部屋“ に由来するそうです。旦那が自分の妻の事をこう呼ぶ方を、いまでも、一部にお見受けします。主人の世話をする女性と云う意味で、現在も使用されているのでしょう。

それにしても、中宮定子に初めて会った時の ”ききょう” の表情は、とても、とても、違和感。それほど、ぶったまげるほどの美人とは思えません。

それよりも、なによりも、”ききょう”役の、この方、初めてお目にかかったのですが、”ファーストサマーウイカ” と云う俳優さんだそうで、バラエティー番組からブレイクしたようです。この表情、確かに、バラエティーの匂いが漂います。

それにしても、この顔、この名前、一発で覚えました。本名は ”初夏” と書いて、”ういか” と読み、初はファーストで、夏はサマーで、”ファーストサマーウィカ”  なかなかの命名です。

平安時代の朝廷を舞台としたドラマで、硬くなりがちで、時々は合間に、柔らかく”色物キャラ” の出番も有りかと。

それで、ひとり取り残され感のつのる ”まひろ” は、気分転換に石山寺にお詣り、そこで、蜻蛉日記の作者で、兼家の妾で、道綱の母に出会い。

『心と身体は裏腹・・・日記を書くことで己の悲しみを救いました・・・』との言葉、これは、そのまま、自分にも・・・と、まひろ。

それにしても、”こころと身体” は裏腹と云う表現ですが、”身体” と云うと、何か動物的で、本能的で、この表現では、意思と動物的本能との対立になってしまいます。

理屈では、分かっていても、感情として、受け入れがたい・・・。理屈は頭にあり?感情は身体に? こころは何処にあるか問題?

まあ、兎に角、”書くことで己の悲しみを救う” との言葉に出会い、源氏物語への、紫式部への、誕生へと繋がっていくのでしょう。

 

それでは、また。

 

 

 

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"光る君へ" ⑦ 『星落ちてなお』心優しい道長しかし何故に倫子にだけは冷たいのか?  

2024年04月25日 | テレビの話し

はい、本日も光る君へです。

兼家は、自らのまだらボケを自覚し、出家し関白から退くことを息子たちに伝えます。

後継に指名されたのは長男の道隆。次男道兼は猛抗議するが、父兼家に『 おまえのような人殺しに一族の長が務まるものか ! 』と罵倒されます。

これは、息子に対して、ちょっと酷い言い方。これまで道兼には汚れ仕事をさそておいて、この仕打ちはいくら何でも、と、思うのですが、道兼も、道兼で、後継指名を確信していたのも、いくら何でも、です。

兎に角、父の兼家は、可もなく不可もない、平凡な長男を後継指名。可は無く、不可ばかりの、粗暴な次男へは汚れ仕事担当を指示。

三男の道長については、政治の裏も表も理解し、いずれ関白を継ぎ、藤原家を継承していくと、確信していたと思われます。倫子への婿入りその事前工作。

それにしても、私が日本史の参考にしている、あの佐藤優氏推薦の『いっきに学び直す 日本史 古代・中世・近世』東洋経済新報社刊には、

『兼通(兼家の兄)と兼家、道隆と道兼との争いなどあった。11世紀のはじめ、道隆の嫡男伊周(これちか)と争った道長(966~1027 ) は、これを排除して政治の実権を握り、同族の争いも終わった。道長とそれに続く長男の頼道の時代に、摂関政治は全盛期を迎える事となった』

との記述。

で、この本では、長男の道隆の、政治的・歴史的な役割は触れられていません。やはり、ドラマに描かれているように、ことわざ通りの "総領の甚六" を地で行ったお方だったのでしょう。

いや、もしかして、歴史的にも、"総領の甚六 のことわざ" が生まれた要因の一人だったのかも ? 何て、思ったり。

それにしても、上記の記述の10行下には、

『道長の後をうけて、頼道(道長の嫡男)が後一条・後朱雀・後冷泉、三天皇の摂政・関白として権勢をふるた。しかし、頼道はその娘を後冷泉の皇后としながらも皇子を生むことに成功せず。加えて、摂関家の荘園集中に対する国司たちの不満も激しくなり、藤原氏を外戚としない後三条天皇(1068年)が即位すると、藤原家の権勢は急速に衰退』

と、あります。道長で全盛を迎え、息子頼道で衰退。権勢を誇ったのは僅か半世紀程度、道長の時代は限って云えば、そのまた半分の、四半世紀程度だったのです。

そして、そして、何といっても、摂関家への荘園の集中です。これは富の集中です。摂関家には税金が掛からないのです。この時代は土地の私有は認められていません、しかし、貴族、社寺は例外として荘園と云う私有地を所有していたそうです。

政権の中枢が、税金を払っていなと云う矛盾。どこかの政権政党、そう自民党と同じです。これでは、国は乱れ、衰退します。こんな事を道長はやっていたのです。

そして、そして、倫子の登場する場面転換で、映し出される池を配した豪邸。道長は、倫子の父源雅信から継承し、雅信の死後拡張した「土御門殿( 敷地は約120m四方で四千数百坪 )」と呼ばれた大豪邸を構え、倫子と暮らしているのです。

それで、それなのに、道長ですが、このドラマでは、何故か、とても、とても、とても、思いのほか、権力には関心が薄く、改革意欲にあふれ、心やさしい良い人に描かれています。

そうでした。道長は”光る君”で、まひろの、紫式部の、恋する相手でした。

それで、父、兼家の死に、悲しみ号泣した道長。父の裏の権謀術数には否定的であったが、全体としての統治能力については、それなりに尊敬していた道長。

また、兼家は、藤原家の後継としては、道長が一番適任だとの想いを、それとなく道長に伝え、道長も、それとなく自覚していた。まあ、そう思わせるシーンが何か所かありました。

まあ、そんな、こんなの涙シーンでした。

それで、道長の良いひとシーンです。

権力闘争に敗れ、自暴自棄となった兄道隆を励まし、立ち直らせたり。

藤原家に恨みを抱く側室の明子が流産した際、優しい言葉をかけ、明子を恨みから解き放ち、心を引き寄せたり。 

でも、しかし、何故か、正室の倫子にだけは、とても、とても、道長は冷たいのです。この描き方に、今後の展開が隠されている? そうですよねェ? 静さん。

それで、二人の改革ですが、いろいろな抵抗にあい阻まれます。

まひろが、文字を教えていた貧しい少女は、手習いに来なくなり、様子を見に行くと、父親に、

『あんたが、うちの子に文字を教えている女子かい。余計なことはやめてくれ、うちの子は一生、畑を耕して死ぬんだ。文字何か要らねい』

と、激しく罵倒されます。

厳しい現実の前に、反論もできず、立ち尽くすまひろ。悲しそうにまひろを見つめる少女”タネ“ とても、とても、可哀そうでした。    

こどもを虐めるな!と叫びたくなりました。

そして、道長は、検非違使庁(犯罪者を取り締まる役所)改革を道隆に反対されり、中宮問題で、道隆と衝突しり。

二人の世の中改革は挫折しそうになります。

そして、そして、道隆の、総領の甚六の、独裁が始まります。

まあ、いろいろ考えたり、調べたりで、それなりにボケ防止になっています。

それにしても、道長と倫子の関係が気になります。

倫子ですが、道長が大切に持っていた文を、まひろに見せるシーン。まひろは明らかに動揺を隠せませんでした。

賢くしたたかな倫子です、”まひろ”の反応から、差出人は”まひろ”と確信したようにも見えました。

道長が倫子に冷たいのも、倫子の正体が、いまだ見極められない、そんな気がするのです。

謎の多い倫子。静さん、これまでの展開に、各シーンに、いろいろと伏線を忍ばせている筈です。そして、倫子が単純なお姫様なら、黒木華さんを起用しないと思います。

話が長くなりました。

これで本日は、お終い。

 

それでは、また。  

 

 

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