歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

牛久沼水辺公園で満開の秋桜

2010年10月29日 | 季節の風景
竜ヶ崎市にある“牛久沼水辺公園”の秋桜です。

















【10月23日撮影】


※明日は孫が七歳のお宮参り、台風14号は太平洋上を真東に移動し、奇跡的な晴天になってほしい。神様、仏様、キリスト様、マホメット様、アラーの神様、世界万の神様、よろしくお願い致します。


それでは、また来週。


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寒いぞォ~~!!!

2010年10月28日 | その他
寒い! 寒い! ホントに寒いぞォ~!

外は、冷たい雨が降ってるぞォ~!

あまりの寒さに、雪かと思ったぞォ~!

股引穿いたぞォ~! セーター着たぞォ~!

暖房をつけたぞォ~!

この寒いなか、午後から、おふくろを病院へつれていくぞォ~!

緑内障の定期検査だぞォ~! 

そんな、こって、本日は、これだけだぞォ~!


         以上

それでは、また明日だぞォ~。





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⑧ 東漸寺の仁王門は“単層十二脚三間一戸切妻茅葺門”です

2010年10月27日 | お寺・神社
昨日の続きです。

観音堂から見る大銀杏、大変立派で堂々としています。この風格に対して“目隠銀杏”は失礼だと思います。そんな役割は担っておりません。

見上げながら周囲を一周します。どう見ても、これは樹齢600年はありそううです。やっぱり、これは、どう見ても御神木の佇まい。


でも、ここは天台宗の東漸寺。しかし、やっぱり、幹の傍に蓮華を手にした観音様が居られました。神木ではなく“御佛木?”でした。


市指定文化財の“仁王門” 教育委員会の説明によれば、元禄3年(1690年)に吉田村の清左衛門さん寄進で、様式は“単層八脚門”とあります。“柱が八本の平屋建て”です。


チョッコシ知識をひけらかして、チョッコシ詳しく表現すると“単層八脚三間一戸切妻茅葺仁王門”となります。

でも、この柱の“八脚”ですが、八脚門と云っても、見た目には“十二脚”なのです、中心部にある4本の柱は補助柱で数に入っていないのです。どう見ても、12本で屋根を支えていると思うのです。

12本は同等に、しっかり屋根を支えているのに、“八脚門”と分類され、4本は数のうちに入っていないのです。中心の4本が聴いたら絶対に納得しないと思います。

わたし的には、十二本の柱のすべてが平等との認識に基づき、“単層十二脚三間一戸切妻茅葺仁王門”と命名します。これで背面の4本は納得し、末永く屋根を支え続けると思います。


茅葺きで、これだけの門、立派な門です。この柱が数に入っていないのです・


仁王門と参道の石畳・・・、ズレてます。


たぶん、創建当時の柱や板なのでしょう。三百有余年、風雨に晒され、日に照らされ、イイ肌合いになっています。


礎石に柱は直置きはしないようです。柱の腐食防止なのか? それとも柱の高さ調整のスペーサーなのか?


いいお天気です。参拝日和です。のんびりです。


それでは、天台宗 興山 東漸寺を後にします。



それでは、また明日。


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⑦ 東漸寺は一粒で二度美味しい

2010年10月26日 | お寺・神社
昨日の続きです。

取手市の東漸寺を参拝して、いろいろと観察しています。

こちらにも小さなお堂があります。


覗いて見ると“弘法大師様”が居られました。東漸寺は天台宗で、弘法大師空海は当然なことに真言宗の開祖です。

天台宗の開祖“最澄”と空海は同時代の人で顔見知り、しかし、晩年はあまり仲が良くなかったと聞きます。でも、その辺ところは、あまり拘らないようです。


それと、拘らないと云えば、このお堂の上に掛かる額には“四国七十番 東漸寺”とあるのです。


大銀杏の下には“四国七十一番”とハッキリ刻んであります。ここ東漸寺は、七十番なのか?七十一番なのか?


それと、額に書かれている“和歌のようなもの”ですが、“もとのやま たれがうえける はななれや はるこそたおれ たむけにもなる”ですが、これは、いったい何でしょう?

チョッコシ調べてみたら、“ご詠歌”でした。ご詠歌がこんな和歌形式とは、まったく知りませんでした。これまでご詠歌は、爺ちゃん婆ちゃんが集団で、何やら眠たくなるようなリズムとメロディーで、お経のようなものを“ムニャムニャ”唱えるものと理解していました。

それで、このご詠歌ですが、四国霊場第七十番札所“七宝山 本山寺”の“テーマ曲”だったのです。八十八のお寺は、独自のテーマ曲をもっていました。

それで、もうチョッコシ調べて見ると、少し分かってきました。この本山寺の本尊は“馬頭観音”で、東漸寺とは“馬繋がり”なのです。

因みに、七十一番弥谷寺は“千手観音”がご本尊で、テーマ曲は“悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 ただかりそめも 良き友ぞよき”です。なかなかイイ歌です。

それにしても、ご詠歌は、誰が詠んだのでしょうか? やっぱり弘法大師でしょうか? そのところはハッキリしないようです。

それで、考えたのですが、素直に解釈すれば、たぶん、東漸寺は四国巡礼の七十と、七十一の両方なのでしょう。観音堂が七十番で、弘法大師堂が七十一番、と、云うことなのです。一箇所で、二箇所分の参拝ができる、とても有り難いお寺なのです。

一箇所で二箇所分と書いていたら、何故か?“一粒で二度美味しいグリコ・アーモンドキャラメル”を思い出してしまいました。

私が、小学校に上がる前だったと思います。この“一粒で二度美味しい”と云う宣伝文句がとても、とても気になったのです。何たって“一粒で二度”も美味しいキャラメルですよ!一粒で二粒分も美味しいと思いました。

早く食べたくて、食べたくて、母にせがんだ記憶があります。でも、しかし、やっと買って貰ったアーモンドキャラメルは、“一粒で一度だけ”の美味しさでした。

何故?どうして?コレが二度美味しいの? 幼い心は、悩み傷つきました。キャッチコピーとしては、幼い心を鷲摑みにしました。でも、アーモンドの味と、キャラメルの味は、混じりあい同時に訪れ、、別々に、二度美味しいことはなかったのです。

ホント、あの時は、瞞されたと思い、悔しい気持ちになりました。書いているうちに、あの頃の悔しさを思い出してきました。食べ物の恨み一生忘れないのです。

今でも、アーモンドキャラメルは売っていたような気がします。これから買いに行って、もう一度、“二度美味しい”か確かめてみます。

キャラメルに興奮して、話しが完全に逸れてしまいました。

兎に角、七十番と七十一番の両方なのです。

傍らに眼をやると、もう一つのお堂が、


中には白馬が、


馬の息災に著しい御利益がある東漸寺、一箇所で二箇所分の御利益もある、一粒で二度美味しいお寺なのです。


まだ、もう少しね境内を歩きます。


それでは、また明日。

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⑥ 東漸寺 木鼻の彫刻に自然の祠

2010年10月25日 | お寺・神社
先週の続きです。

先週は、参道、仁王門、大銀杏、観音堂、の何故か?何故か?問題が解決しましたので、これより、じっくり、落ち着いて、境内の観察です。

先ずは、大銀杏舐めで観音堂の景色を味わいます。やっぱり「目隠し銀杏」は目隠しの効果はなさそうです。

観音堂の脇にも大木、前には石灯籠が二対、手前の方が古いようです。


景色を味わった後はお参りです。頭を下げた後は、頭を持ち上げ「室町時代末期から江戸時代初期の雰囲気を止めている」向拝の“木鼻”を観察します。


それとなく、どことなく、室町末期から江戸初期の雰囲気が漂っているような、いないような。


横組みの先端が、何となく、そのままでは、寂しいような、味気ないような、そんな処から始まったのでしょう。木の端が、木の鼻で、飾り端。

それにしても、横組みの端に、わざわざ別の木を継ぎ足して彫刻を施しています。始めは横組みの木に彫刻していたのが、段々と凝り始めて表現が複雑になり、別の木を足してまで装飾を施す、判りますその気持ち。

こちらの大木の枝振りもなかなかのものです。何か、手を広げ、足を広げ大向こうに見得を切っているような・・・。


幹には空洞があり、


仏様が居ります。何か、こういう自然の空間が祠の始まりの様な気がします。ふつう祠に祀られるのは神様ですが、仏様が居られても、まったく問題ありません。

小さくて可愛い仏様、とても自然に、手を合わせたくなります。


こちらは古い方の石灯籠です。


“明和六年”とあり、下に“陰陽五行説”表記で“巳丑の歳”とあります。明和六年は1769年で241年前です。“巳丑の歳”も1769年であっていました。間違える分けないか。
         

制作者は、“石工 江戸八丁堀 和泉屋”とあります。


こういうものは、江戸で造って石屋が運んで来るのか? 地元の運送屋さんが江戸に取りに行くのか? それとも、石屋が出張して来て彫るのでしょうか? 

こちらにも、小さなお堂が。


東漸寺、まだ、まだ、いろいろありそうです。


それでは、また明日。


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⑤ 東漸寺 中心線のズレは神仏習合の名残?

2010年10月22日 | お寺・神社
昨日の続きです。

冒頭より、お詫びと訂正です。昨日のタイトルが「東漸寺 中心線のズレは落馬防止」としましたが、アップ後に画面をみつめていたら、「大銀杏」の何故?は、仁王門と観音堂の中間で「視界を遮っている」事に対しての何故?だった、と、気が付きました。

そう云うことで、タイトルを「東漸寺 視界を遮る大銀杏は落馬防止ですか?」に訂正します。と、云うことで、只今、これより訂正してきます。

ハィ。只今、訂正して戻って来ました。

それでは、ここから、間違いなく「中心線のズレは何故?」の問題に入ります。

昨日は、間違いに気付いたあとで、ホントにもう、いろいろと、何故なんだろう? どうして何だろうと、雨の降る窓の外を眺め、お寺の配置図を眺め、地図を眺め、部屋の天井を眺め、いろいろと眺め、いろいろと考えたのです。

人間いろいろ考えてみるものです。いろいろな事が、頭の中で巡り巡って、くっついたり、離れたり、絡んだり、解れたりして、そして、遂に、何と、アッ!と、驚く!画期的!な、答えが、閃いたのです。

それで、その「アッ!」ですが、“中心線のズレが、何か変?何故?”の疑問、それ自体が“変だった”と気付いたのです。驚きました?

まぁ、驚かなくていいですが、そもそもです、神社に於いては、鳥居と本殿と参道は、一直線には造らないのです。東漸寺は神社ではありませんが、そこのところは、追々と・・・。

神社においては、本殿の中心線は「神の正中線」と云って、人が踏むことを良しとしないので、いろいろと「ずらしたり・曲げたり」するものなのです。

それと本殿の向きですが、「天子南面す」の故事より、南に向けて建てるのが正しいのです。

東漸寺は、当然、神社ではなく、お寺ですが、この“正中線”と”南面す”を、東漸寺に当てはめると、中心線のズレも、本堂の角度振れも、すべて解決するのです。

この地図では、「観音堂(馬頭観音)」の向きと、参道とは同一方向の直線上になっていますが、実際の観音堂は地図上の真下、ほぼ“真南”を向いて建っています。


実際には、こういう配置になっているのです。下の図は手違いで南北が逆ですが、それなりに見て下さい。


以上のことから、中心線のズレ問題も、観音堂の角度振れも、東漸寺が神社であれば、至極、御もっともな事で、疑問を差し挟む余地など無いのです。

でも、しかし、東漸寺は天台宗のお寺です。ここが、最後の疑問となります。次に、その点を考えたのです。

それで、地図では「馬頭観音」とありますが、境内に建てられた、取手市教育委員会の案内板には、「馬の息災に対して霊験著しい」とだけあり、「馬頭観音」との表現はありませんでした。

地図屋さんは、何処の?誰から?聞いて、馬頭観音と表記したのでしょうか? まあ、たぶん、東漸寺の関係者だと思いますが、「馬頭観音」と、普通の観音様とでは、まったく表情が異なり、一目瞭然です。

観音堂に安置されている仏像は、明らかに「馬頭観音像」ではなく、ふつうの「観音像」なので、教育委員会の説明文には「馬頭観音」の表現がないのです。

しかし、馬関連で霊験著しいと云うことでは「馬頭観音“的”」なので、地図屋さんに、そんな説明をしたところ、地図屋さんが、気を利かせて「馬頭観音」と表記したのかも?

何故、馬頭観音に拘ったかと云えば、本来は「馬頭観音」は、特に馬関連の仏様ではなく、梵名が「馬の首」の意味があり、ヒンズー教の最高“神”の異名だそうで、元々は神様だったからです。

ヒンズー教の「最高神」を、仏様として「馬頭観音菩薩」として、仏教関係者がお借りしたようです。仏教はその他にも、成立過程で古代宗教から、いろいろ神様を借りてきて、いろいろな仏様を想像しています。

日本でも、むかしは、神様も、仏様も、みんな仲良く、混じりあっていました。“神仏習合”でした。土着の信仰と仏教信仰が混じりあっていたのです。

でェ、それでェ、なのです。東漸寺が、この地に創建される以前より、民間信仰として、“馬関連の神様”がこの場所に祀られていたのでは?と、思うのです。そのことで、仏教のお寺になっても、馬関連の息災に強いお寺として信徒を集めたと思います。

神様を祀った祠があった場所に、あとから東漸寺が建てられ、以前にあった神社様式の名残として、観音堂の角度振れ、中心線のズレが、現在も残されている。

と、解釈すると、とても、とても、スッキリ!するのです。

皆さん、スッキリ! しましたか?

スッキリしたところで、本日はお終い。


それでも、まだ、東漸寺の見学は続きます。


それでは、また来週。


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④ 東漸寺 視界を遮る大銀杏は落馬防止ですか?

2010年10月21日 | お寺・神社
昨日の続きです。

お堂の前に、何やら“案内板”らしきものを見つけました。中心線のズレに対する回答が書かれているかもしれません。


この“堂宇”ですか?ムズカシイ表現を使います。単に、お堂とか、観音堂でイイと思います。寛文7年、1667年の創建と云う事は、いまから343年前で、4代将軍家綱の頃ですね。


それで、山門は「仁王門」で、お堂は「観音堂」で、どちらも“市指定文化財”で、観音堂の“向拝の木鼻”は室町末期から、江戸初期の“形式”の“雰囲気”を止めているのですか、「雰囲気」とは、かなり控えめで微妙な表現です。

仁王門は元禄3年、1690年に“吉田村の清左衛門さん”の寄進ですか、吉田村と云うのは、この近所なのでしょうか? 現在の地図では、近くにその地名は見つかりません。

観音堂に安置されている観音様は、行基の作と伝えられているのですか、行基は奈良時代の人ですし、仏像を彫ったなんてことは・・・、もし、そうだとしたら、これは、もう、大変、間違いなく、国宝の中の国宝です。まあ、そうでは無いので、市指定の文化財なのでしょう。

それで、観音様の御利益は、家運隆盛、除災招福で、特に馬の息災には霊験が著しいのですか・・・・・・。

それで・・・・・・、ありました! “中心線ズレ問題”の答えが! たぶん、コレです!

『・・・昔乗馬のままお堂の前を通ると、落馬すると言われた為お堂と道路の中間に銀杏を植樹して見えないようにしたという。今に残る「めかくし銀杏」がそれである』

たぶん、この関連で間違いないと思うのですが、厳密に言えば、すべての中心線が少しずつズレている為、大銀杏は道路から視界を遮っているとは言えないのですが・・・、まぁ、多少のズレは。


道路からは、仁王門、大銀杏を通して観音堂は見えるのです。


こんな配置になっています。


ここで、暫く、じっくり配置図を見つめて、熟考に、熟考を重ね、あれや、これやと、いろいろ考え、迷った末に、それなりの答えを見つけました。

先ず、観音堂の創建が1667年であり、今から343年前であること、それに対して、銀杏の大木の樹齢は「幹周・樹高」から、少なく見積もっても、500年は経っています。と云うことは、観音堂が創建される前から銀杏はあったのです。

「観音像行基説・落馬伝説・めかくし銀杏伝説」は、頭の働く関係者の宣伝戦略と思われます。当時、馬は農業にとって大変大事なものでしたから、馬の無病息災を願う需要は大きかったのです。

その宣伝戦略の結果、「陰暦7月10日の縁日は・・・近郷近在の信者が境内をうずめ稀にみる賑わいを呈した・・・」のでしょう。

銀杏と観音堂のズレは、銀杏を意図的に植えたのではなかった事でほぼ説明できます。これで、何故の一つが解決しました。

残りの何故?は、意図的に造られた、仁王門と、観音堂と、参道のズレ問題です。しかし、ここまで辿り着くのにかなりの時間を要しました。

残りの何故?は次回とします。


それでは、また明日。




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③ 東漸寺は新築・改築・修繕・修復なのです

2010年10月20日 | お寺・神社
昨日の続きです。

まあ、それで、何故か、何故かの答えをもとめつつ、のんびり、じっくり、お参りです。

兎に角、空は青く、天は高く、お参り日和。


仁王門のから先には参道はなく、お堂との間には大銀杏。


お堂に向かってカメラを構えるオジサンの姿を確認。


左手、本堂との間には鐘撞き堂。


銀杏の下には「四国七十一番」とあります。良くあります、遠い四国にまで行かなくとも、ここで四国八十八箇所の「巡礼」が出来るのです。

因みに、本家四国の七十一番札所は、香川県三豊市(旧三野町)にある真言宗善通寺派の「剣五山 千手院 弥谷寺(いやだにじ)となっております。


この銀杏の大木は、やはり取手市の保護樹木になっています。ざっと見で樹齢600年と推定しました。


こちらのお堂も、修復がされています。本堂、客殿、庫裏、山門、お堂、参道石畳、次々と新築、改築、修繕、修復が行われたようです。このご時世で、これですから、東漸寺さん、かなりの財力が・・・・・・失礼しました。

でも、しかし、最近、とても目につくのです、神社仏閣の改築、修繕、新築ブームが起きているような?これって、高齢化社会の影響?高齢者は神社仏閣への寄進を惜しまない? 

それとも、世の中、長く続く不景気からの脱却に、日銀や政府の力だけでは頼りないと、この際、神様、仏様の、お力もお借りしょうとの思いが、神社仏閣の“改築修繕新築ブーム”の根底に・・・・・・。

まあ、それは、それで、兎に角、銅板葺きの、なかなかのお堂です。


お堂の脇には、楠の大木。なかなかの風景です。


数年前に訪れた時は、山門は工場中で遮蔽板に覆われ、周囲には木が生い茂り、大銀杏の周りは雑草だらけで、お堂や、大銀杏や、山門の周囲は、何かとても暗く、じめじめとした風景だったのです。

あの頃と比べると、何とも、手入れが行き届いて、明るく、さっぱりとして、とても“ありがたい風景”に変身しました。


それにしても、そろそろ、“中心線のズレ問題”の答えを探さないと・・・・・・。


次回は、何とか、したいと、考えております。



それでは、また明日。


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② 何故か?何故か?の東漸寺

2010年10月19日 | お寺・神社
昨日の続きです。

“天台宗 興隆山 東漸寺”に来ております。

“東漸”とは、インド発祥の仏教が、東の方へ次第に伝わり広まり、ここ、日本の、茨城の、取手の、この地にまで、“ようやく”辿り着いた事を、表した名前なのでしょう。 

参道の石畳に立ち、山門の方角をじっくり眺めていると、どうも、何か、収まりが悪いのです。何故か?石畳の中心線と山門の中心線が“ズレ”れているのです。

偶々そうなった!? 何て、ことはありませんから、これには、何か、深~い訳がある筈です。


何とも、趣のある“わびさび”の茅葺き。


山門とお堂の間には、何故か?大銀杏が行く手を遮っています。そして、何故か?山門とお堂の中心腺もズレているのでした。石畳と、山門と、お堂と、すべての中心腺がズレているのです。


良く、良く見ると、お堂は中心腺がズレているだけではなく、山門に対して角度を“振って”あるのです。この配置には、これは、かなり、とても、深い、深い、理由がありそうです。

それは、それで、兎に角、山門には、


仁王様。


なかなか立派な仁王門です。


仁王門の手前で石畳は左に折れ、立派な新築の本堂に続いています。


本堂の隣には、これも立派な客殿。


見上げると、青い空、白い雲、木々の緑、とても参拝日和。


それにしても、何故か?参道と山門のズレ、何故か?視界を遮る大銀杏、何故か?山門とお堂のズレ、何故か?角度を振ったお堂、何故か?山門前で直角に曲がる石畳。

何とも、何故か、何故かの東漸寺です。

何故か、何故かの答えは見つかるのか? 本日は、ここまでとします。


それでは、また明日。




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① 取手市の東漸寺に行って来ました

2010年10月18日 | お寺・神社
取手市の“東漸寺”に行き、先ほど帰って来ました。

なかなか良いお寺です。

以前に何度か訪れているのですが、これまで“山門”が改修工事中で、完成するのを、いまか、いまか、と、待っていたのです。

その山門が“漸く”完成して、待ち望んでいた山門に“漸く”出会え、“漸く”ブログにアップすることができまして。(寺の名前に引っ掛けて見ました)

本日は、ほんのご紹介程度で・・・・・・・












この続きは次回とします。


それでは、また明日。


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