歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

鎌倉若宮大路で創作精進料理とガラスヤスリと糸のほつれ

2014年06月26日 | 鎌倉の風景
昨日の続きです。

若宮大路でいろいろな店を、いろいろと覗き歩いています。

やはり、食べ物関係が眼に入ります。

鎌倉と云えば、神社仏閣で、精進料理もそれなりにあるのです。“創作”精進料理で、禅三昧だそうです。どこまでが古典的で、伝統的で、本来的で、基本的で、どこからが創作なのでしょう。


これまでにない材料とか? これまでにない調理方法とか? でも、しかし、この創作精進料理の“禅三昧”は“茄の味噌田楽と本くず切り”が“売り”のようで、これって創作なの?

何故か“精進料理”は最近、上品とか、高級とか、高価とか、の文字が被さるようになり、それに対して、もう少し気楽にと云う事で、精進に創作の文字がくっついた様な気が?

でも、もう一捻りして、お洒落とか、モダンとか、そんな言葉にくっついて、より高級化の傾向もなきにしもあらず? それで、この“禅三昧”ですが、価格的にも、材料的にも、調理方法的にも、何だかよく判らない創作精進料理でした。

やはり、世界の鎌倉で、若宮大路で、黙っていても客は日本中から世界中から、いっぱい、いっぱい、押し寄せて来ます。こう云うような創作精進料理でも、経営は問題無く継続できるようです。

こちらも、こんな感じ、


こんな感じです。


日本中の観光地の定番お土産です。


こちらも定番。やはり、“孫の手”は観光地のお土産が一番?それとも“百均”ですか?


とんぼ玉です。


よく見ると、何と、何と、ガラス製の“爪ヤスリ”です。これは、生まれて初めて見ました、知りました。お試し用のヤスリがあるのですが、何か、ちょっと、衛生的に疑問が湧いて、ちょっと手は出ません。


前から和服姿のご婦人二人、若宮大路から小池小路に入って行きました。着物の柄も、着こなしも、歩き方も、どう見ても貸衣装に見えました。


最近よくある“観光地を着物で歩く”と云うやつ見たいです。もしかして外人観光客かもね?何て、呟きつつ後ろ姿を見送ったのです。

そう、以前、これと同じ光景を思い出しました。それは浅草の仲店近くでの出来事です。

和服姿の若い女性の二人連れ、その後ろ姿にビックリ!何と、お尻の辺りの糸が解れていて、歩く度に10㌢ほどが、パックリと、開いたり閉じたりしていたのです。

まさか、オジサンが注意するのも、何か、ちょっと変なので、そのうち何処かのオバサンが注意してくれるものと考え、こちらは心配しながら見送ったのでした。

話しが、鎌倉から浅草に飛んでしまいました。


本日はこれまで。


それでは、また。


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鎌倉でパンと茶碗蒸しと陶器と岩塩と包丁と十手でいろいろと

2014年06月24日 | 鎌倉の風景
鎌倉のいろいろです。

これまでの続きの様なものです。

浄妙寺から金沢街道を鶴岡八幡に向かって歩いています。

“ベルグ・フェルド”ドイツパンのお店です。鎌倉ではそれなりに有名なようです。私もフランスパンよりも、イギリスパンよりも、ガッチリで、しっかりで、堅くて、存在感のあるドイツが好きです。

何か、聞いた事があったような?気もする“BLTサンド”初めて知りました。ベーコン(Bacon)、レタス(Lettuce)、トマト(Tomato) を挟んだ、サンドイッチの基本形?

それにしても、「ベルグフェルド」ですが、“パンは、野山の、大地の、自然の恵み”何てことでしょうが、もしかして、“後は野となれ山となれ”の意味も込めていたりして?それは無い! 

こちらもパン屋さん。


こちらにも“BLT”があります。価格も同じ位。それにしても、文字が小さい!時代を考えましょう。


鎌倉はパン屋さんが多い?


こちらは若宮大路です。包丁屋さん?


“正宗”はお酒ではありません。日本刀の正宗で、24代目で、正式?には“正宗二十四代山村綱廣”さんと云う方が作ったのです。それにしても、刀鍛冶が包丁は判るのですが、“十手”を作ったのは何で?


和食のお店、


お品書きが、日本語表記と英語表記の二種類。タイトルは日本語のローマ字表記で内容説明が英語。欧米の観光客も、アジアの観光客も、日本の古都鎌倉で“BLTサンド”は食べません。


御飯とおかずが一つに盛られた丼物は、それなりに、簡易的、急ぎ的、手抜き的、ファストフード的、サンドウィッチ的な食べ物。


鎌倉と云えば、鎌倉ハムと鎌倉彫り、焼き物もあるようです。


この湯飲みで、約2千円です。まあ、気に入った人は買うのです。


御飯茶碗が千五百円から二千五百円程度、まあ、気に入った人が買うのです。


こちらにも陶器屋さん。コ-ヒーカップとか湯飲み。価格は三千円から四千円前後です。う~ん、これらを“そんな価格”で買う客が居るの?


面白いもの?を


発見しました。モンゴルの岩塩。1㎏で1750円。150㌘で340円。1㎏だと175円/グラムで、150㌘だと262.5円で・・・気になる方はいろいろ計算して下さい。

岩塩はモンゴルの対日本輸出の主要品目のひとつだそうです。大相撲の力士の輸出は知っていましたが塩もそうだったのです。知りませんでした。モンゴル力士は土俵で蒔いたりして?


それにしても、陶器屋さんで岩塩販売、どう云う繫がりが?と思っていたら、鎌倉時代には塩の道として“金沢街道”は知られていたそうです。鎌倉は塩とはそれなりに縁があるのでした。でも陶器屋さんとは直接的にな繫がりはありません。



こちらは海外より、国内の観光客を重視した和食屋さん。


“天せいろ”が千五百六十円で、“桜海老と生しらすのぶっかけそば”が千六百二十円です。見た目は“天せいろ”の方が高そうに見えます。桜海老と生しらすはお高いのです。


品数の多さで勝負です。実に賑やかで楽しそうです。でも、こういうのって、特に惹き付けられる料理はあまり無いのです。兎に角、品数勝負!


親子丼には“そば一口付き”と、茶碗蒸しと、豆腐と、酢の物が付いてます。親子丼に茶碗蒸しは要らないと思います。


まだ、まだ、あっち、こっち、覗きながら、鎌倉駅に向かいます。


それでは、また。




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⑨ 北鎌倉の円覚寺でおみやげのTシャツと残り物について

2014年06月19日 | 鎌倉の風景
先日の続きみたいなものです。

この間、鎌倉のいろいろなお話を、何と、何と、これまで17回も綴ってきました。

思い起こせば、5月7日に鎌倉に行ってみたいと、その思いを綴っているうちに、これは、もう、鎌倉に今すぐ行かねば!となり、翌日に一人でいざ鎌倉に!と横須賀線で向かったのでした。

1回目、5月8日の鎌倉行きの“メインテーマは原節子さん”でした。浄妙寺であっさり原節子邸を発見し、何か物足りないまま歩いて鶴岡八幡宮に向かい参拝。

参拝後は、鎌倉駅前のファミレスでランチを食べ、その後、鎌倉大仏に向かったのでした。第一回の鎌倉行きは、「原節子と鶴岡八幡宮と鎌倉大仏」でした。

第一回目の鎌倉行きは、何か、とても疲れた感じで、鎌倉は、もう、これでお終いと思ったのでした。

ところが、ところが、その時のことをブログに綴っているうちに、“鶴岡八幡と鎌倉大仏”を選択したことが誤りで、“本当の鎌倉は他にある!”となり、円覚寺への思いが募ってきたのです。

そして、5月23日に2回目の鎌倉行きとなったのです。そもそも、1回目は下見のつもりでした。そして、2回目は本番で“二人で歩く鎌倉”でした。

円覚寺は、ホントに!ホントに!最高でした。でも、しかし、あの日の円覚寺は、大伽藍の四分の一ほどで、それも、かなり早足でした。未だ見ぬ円覚寺への思いは覚めやらぬ今日この頃なのです。

あれからは、朝の散歩で近所を歩いていると、コノ風景は鎌倉!アノ風景も鎌倉!何て、ことで、鎌倉の匂いを求めてしまうのです。でも、近所では歴史の匂いがしません。

やはり、その土地には、それなりの風景があり、それなりの歴史があり、それなりの物語があり、それなりの神社仏閣があって、いろいろと漂う魅力が生まれるのです。

それで、円覚寺と云えば、私としたことがいつもはあまり買わない“おみやげ”を、興奮のあまり買ってしまったのです。それもTシャツで、こんなのです。

背中に円、


左袖には円覚。


下の“花押”は前管長? このTシャツ、未だ外では来ていません。消費税無し?込み?の2千円でした。

それで、二回目の“二人で鎌倉”は終わったのですが、一回目の“一人で鎌倉”は、鎌倉大仏の話しも残っており、それ以外にも、いろいろ残り物があるので、これからダラダラと綴っていこうと思うのです。

本日は、何だか、ダラダラと雑談でした。


それでは、また。


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⑧ 鶴岡八幡宮の旗上弁財天で“子授・子宝御守”です

2014年06月17日 | 鎌倉の風景
先週からの続きです。

それで、練り物屋さんの二階でランチを済ませ、これより若宮大路の“段葛”を歩き、予定に無かった“鶴岡八幡宮”に向かいます。

そうなんです、この日は、“北鎌倉駅”の“鉢の木”でランチを頂き、円覚寺と明月院の二カ所を訪れ予定だったのです。

それが、“精進料理”から“生しらす”に急遽変更になり、下車駅も北鎌倉から鎌倉に変更、予定外の鶴岡八幡宮参拝となったのです。

八幡宮は、遠足と、修学旅行と、外人観光客なのです。二週間前に訪れた時とあまり変わらない風景です。


舞殿から大石段。“ここに上がらないで”と云う事は、ここに上がる輩が居るということ。我が家の近所の神社の“手水舎”には“ここで顔や足を洗わないで”と書かれています。居るんでそう云う奴が。


それで、“子宝が授かるお守り”を母から頼まれていたのです。母からすれば可愛い孫で、私からすれば可愛い姪で、なかなか子供が授からないのです。


二度、三度、端から端まで眼を凝らして探したのですが、安産はあるのですが子宝はありません。


何処でもあると思っていたら、そうではないようです。そこで、もしやと思い、帰りに源平池の中に浮かぶ“旗上弁財天”に行って見たのです。


それが、嬉しいことに、ありました!子宝を授かるお守り。ヨカッタ!ヨカッタ!


御守りを手に、弁財天の対岸を望むと、そこは鶴岡幼稚園、可愛い園児の遊ぶ姿が!


右に視線を移すと、そこにも遠足の子供達の姿。子供が、いっぱい、いっぱい、これは、とても、とても、御利益がありそう!


子宝の御守りを大事にバックに入れ、八幡宮前のバス停に向かったのです。ここからバスに乗り北鎌倉の円覚寺に向かいます。


バス停の時刻表を見ると10分待ちでした。しかし、予定を5分過ぎても、10分過ぎてもバスは来ません。来たのは昼のビールによる尿意でした。辺りには公衆トイレは見当たりません。かなりピンチになって来ました。

この際です、やむを得ずバス停の側にある季節料理の“あら珠”さんに飛び込んだのです。運の良いことに入って直ぐ左側にトイレがありました。用足し中は“もし、今、バスが来たら!”と、かなり焦って排泄したのでした。

店を出るときに奥から“ありがとう御座いましたァ”の声。こちらこそホントに、ホントに、助かりました。“季節料理のあら珠さん”ありがとう御座いました。今度鎌倉に行った時はお客として寄らせて貰います。

トイレから戻ると5分ほどしてバスが来ました。北鎌倉に到着するとバス停の目の前にトイレが、円覚寺の施設のようです。


これより、円覚寺に参拝します。

ここから先は、5月26日の“①北鎌倉で“円覚寺と云う世界”に興奮しました”に繫がります。

それでは、また。


【業務連絡的追記】

ヤッチャン!御守り“雨引き観音”でも受けてきましたよ。


こちらは“御札”も付いてきました。御札は神棚等(無ければ柱の高いところに貼る)にお供えし、御守りは身に付けて下さいとのことでした。


コウノトリと赤ちゃんの可愛いデザインです。


それでは、今度、会った時にね。

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⑦ 鎌倉でランチは生シラスが不漁で練り物で旨くもなく不味くもなくでした

2014年06月13日 | 鎌倉の風景
先日の続きです。

大船を過ぎ、北鎌倉を過ぎ、鎌倉に12時近くに到着したのです。

実は、何を隠そう、当日の朝までは北鎌倉駅で降り、かの有名な精進料理の“鉢の木”でランチを計画していたのです。

ところが、途中、横須賀線の車中で連れ合いが“鎌倉だから生しらす”となり、北鎌倉で“生しら”探しは、店も少なく無理なので、鎌倉駅下車となったのでした。鎌倉駅ならば、駅前でも、小町通りでも、若宮大路でも、“生しらす”の店は、いくらでもある筈です。

そして、鎌倉駅の駅頭に立ち、


それでは“生しらす”を頂きましょうと、駅前の一等地?の、それなりの“構え”の店の前に立ち、いざ食そうと思ったら“本日は不漁のため生しらすは御座いません”の貼り紙。

エッ!と呟き、貼り紙を見つめ、貼り紙を指差し、連れ合いに視線を向け、本日不漁だって!と告げたのです。彼女はあっさり“しようがないね”と一言。

私も、直ぐに立ち直り、それでは、それでは、と、他の店を物色しつつ十数歩先で、若宮大路に面した、それなりのお店を見つけ入る事にしました。

運良く、わたし達が入ったところで満席。昼時の鎌倉です、ノンビリしているとランチタイムは待たされるのです。その後、二組の客が外に並びました。

それで、眺めは、それなりにヨカッタのです。


料理の方は、


釜揚げしらす御飯に、


こんなモノです。


そして、鎌倉ビール。


彼女は、


魚肉ハンバーグ。


何か、練り物が中心で、ハンバーグは、どう見ても、どう味わっても、どう考えても、薩摩揚げだったそうです。

不味くもなく、旨くもなく、高くもなく、安くもなく・・・、そんな、とても、とても、普通のランチでした。どちらも1250円でした。でも、ビールは旨かった。580円だった?

帰りに判明したのですが、一階が練り物の店で、その店が経営している食事処だったのでした。


やっぱり、北鎌倉の“鉢の木”で精進料理が・・・・・・なんて、頭の隅を過ぎったりしたのでした。まあ、鉢の木で食べれば一人前で四千円前後ですから、財政的な負担は軽減できたけれど・・・・・・。

“生しらす不漁”の貼り紙を見て、困惑し、混乱し、落胆し、動揺し、店選びに慎重さ欠いてしまったと反省したり・・・・・・。

そんな思いを振り払いつつ、若宮大路の、真ん中の、“段葛”を並んで歩いて、鶴岡八幡に向かったのです。

本日はこれまで。


それでは、また。








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⑥ 新橋で横須賀線は地下5階そして女装で踊る人?

2014年06月11日 | 鎌倉の風景
先週の続きみたいなものです。

これまで鎌倉は円覚寺の話を綴ってきました。

あの日、円覚寺に参拝し、感激、感動、その興奮冷めやらぬうちにと、最後の見学地、円覚寺から綴ったのでした。まぁ、そう云う事で、話しは始めに戻り、新橋駅から始まります。

この日の鎌倉行きは朝の通勤時間帯を避け、11時半頃の到着予定でした。二週間前はラッシュ時に乗り合わせ、日暮里で女性専用車両に乗ってしまった失敗を思い出しつつ、山手線に乗り新橋で降りたのです。

新橋駅で横須賀線に乗り換えれば、隣のホームが横須賀線なので、東京駅よりも、品川駅よりも、歩く距離が短いと考えたのです。

そして、新橋駅に到着し、階段を降り、階段を上り、端っこのホームで、横須賀線?横須賀線?と呟きつつ、ホームの柱の案内板を見つめたのですが、東海道線とは書いてあるのですが、横須賀線の文字は見当たらないです。

えっ、どうして、どう云うこと? 昔は、このホームにブルーとアイボリーに塗られた横須賀線の車体を、勤めの往き帰りに眺めていたのに、何故? 誰も居ないホームで二人は呆然として辺りを見回したのです。

ホームの上に取り付けられた大きな看板を仰ぎ見ると、横須賀線は地下5階との表示。えっ、新橋駅に地下ホーム?知らなかった!

私が、毎日、毎日、務めに通っていたのは、思い起こせば40数年も前のことでした。あの頃、烏森口の駅前はバラック的な建物が密集していました。そして、烏森口と云えば、思い出すことがあります。

夕暮れ時になると、毎日、かつらに和服に白粉に紅、蛇の目を手に、女装した男が踊っていたのです。今回、初めて知ったのですが、烏森神社付近に“日本初のゲイバー”が昭和20年頃に出現したそうなのです。

あの和服姿の男性は、烏森口が再開発された後も、駅前ビルの片隅で踊っていました。通り掛かる通勤客は視線を向けず、気にもとめず、知らぬ素振りで通り過ぎて行きました。

彼?彼女?は、最初は“日本初の広告塔”だったのが、いつしか、自分のためだけに、毎日、毎晩、街角に立ち、無視されようが、嫌われようが、自らの世界で、独り、ひたすら踊り続けていた?

話しが、トンデモな方向に逸れてしまいました。兎に角、地下5階を目指し階段をそれなりに急ぎ足で下ったのです。

そして、長い、長い、エレベーターを下り、


歩き、


階段を下り、


地下5階に到着。


横須賀線の表示を見つけて一安心。


長い、長い、トンネルの様な地下駅。


横須賀線の東京駅 - 品川駅間が地下に潜ったのは昭和51年(1976年)だそうです。私が新橋あたりを彷徨いていた頃、人知れず地下で穴を掘っていたようです。

横須賀線が入線して来ました。


そして、もう、大船。


大船と云えば、松竹大船と大船観音です。



大船を過ぎれば、次は北鎌倉です。


それでは、また。




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⑤円覚寺で小津安二郎のあれやこれやで想いを巡らせます

2014年06月05日 | 鎌倉の風景
先日からの続きみたいなものです。

それで、小津監督の墓石に刻まれた“無”の一文字ですが、当時としては珍しいのかと思ったら、近所には、

“寂”とか、


“真”とか、


“然”とか、


と云った、一文字の墓石がちらほらと見かけられました。

“真”は1945年~1979年まで管長を務めた“朝比奈宗源師”の書。“寂”は1980年~2010年まで管長を務めた“足立大進師”の書。“然”は“應樹”書とありますが、現在の管長は足立大進師の後継“横田南嶺師”です。應樹師は誰でしょうか?副管長?

それで、肝心の“無”は誰の書なのか?これが残念ながら撮していなかったのでした。たぶん、いや間違い無く、年代的にも朝比奈宗源師の書の筈です。

それと、この卒塔婆、


つい最近のものです。施主は“小津亜紀子”となっています。確認できたものはすべて施主は亜紀子さんでした。


それで、“小津亜紀子さん”とは誰なのかと気になって、ネットで調べても判らず諦めていたら、先日、又も、このコラム記事で発見。

※朝日新聞6月1日の記事より転載

小津安二郎の弟で“小津信三”の長女と判明。小津の兄弟姉妹は、長男が新一で、次男が安二郎で、三男が信三と、とても判り易く一・二・三となっています。

他に2人の妹が居ました。亜紀子さんは“小津姓”ですから婿取りでしょうか。長井秀行さんは妹の“登貴”の長男です。

それにしても、手みやげを持たずに他家を訪れた甥を激しく叱責するのは、それなりに理解できますが、手みやげを持って来た時の喜ぶ様は、何とも、判り易く、小津作品から抱く彼のイメージとは、かなり異なるものでした。

作品で、喜怒哀楽の表現は、言葉少なくして多くを語り、表情を変えずして感情を表現する。こんなスクリーンの人間表現と、日常的、生身的、人間は異なるのです。これまで、小津のイメージを、何故か作品での笠智衆をイメージしていたようです。

この“手みやげエピソード”を知って、“世界の小津”がとても身近に感じられました。

それで、何ですが、大胆に云わせてもらえば、小津作品の評価も、小津の意図は異なるところで、いろいろな人によって評価されている・・・、と、思うのです。

まあ、優れた芸術作品は、作者の意図を超えて、いろいろな人に、いろいろな解釈をされ、いろいろな影響を与えるモノだと、そう思うのです。

「東京物語」は、小津作品ですが、海外での評価が、作品に影響し、作品を創りあげ、完成させたと思うのです。“晩春の壺論争”も、小津の意図とはまったく無関係に、別次元に飛び出し、作品を創りあげています。

それで、例えば、小津は「東京物語」では家族の“崩壊”を描いたと発言しているのです。でも、しかし、作品を観れば、明らかに、崩壊ではなく“変遷”が描かれています。彼の時間軸が短いのです。

何て、まあ、私の勝手な解釈も飛び出したりして、兎に角、私が、突然、鎌倉に行きたくなり、原節子さんの家を探したり、小津監督の墓参りをしたり、そんな時期に合わせたように、この連載コラムが始まっていたり、何か、不思議なご縁です。

この朝日の連載コラム“小津安二郎がいた時代”は、何故?いまなの?

本日は、取り留めなく、あれやこれやでした。

まあ、いつも、取り留めは無いか?


それでは、また。


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④ 円覚寺で小津安二郎は曇華院達道安居士でした

2014年06月03日 | 鎌倉の風景
北鎌倉の円覚寺に来ています。

“方丈”を後にして、墓地に向かいます。

それで、墓地なのですが、入り口で確認した案内板には墓地の所在は表示されていないのです。


それで、本堂の片隅で警戒?にあたる作務衣姿の女性係員の方に、

「すいません。小津安二郎監督のお墓はどちらでしょうか?」
「はい、こちらを下って行くと駐車場があります、その近くまで行くと墓地の案内板が見えて来ます。木下恵介監督のお墓も近くにありますよ」

と云う事でした。木下恵介さんも近くに居るようです。

お礼を云って方丈を後に歩く事数分、見えて来ました。


配置図もあります。


配置図に眼を凝らし、小津、小津、小津と呟きつつ探したのですが、一通り全体を眺め回しても小津の文字を発見できず。かなり、かなり、興奮しているので、視線があっちに行ったり、こっちに云行ったり、落ち尽きなく泳いでしまうのです。

すると、後ろから、“木下があるよ!さっき木下恵介の側だって云ってたよね」と、連れ合いの声。何処?何処?何処?と私、ここ、ここ、ここよ!と連れ合い。


そんな、こんなの一騒ぎがあってやっと発見。配置図をしっかり頭に刷り込み、先ずは階段を登り、次に右に折れて又階段を登り、辿り着いたら左手方向と、静かに復唱してから、小津監督の墓を目指します。

最初の階段、


右に折れて二つ目の階段、


階段を登り終え、左手方向に眼をやると、見えて来ました“無”と彫られた墓石。周りが、何か、スゴイ事になっています。


右手には静かに眠る木下恵介監督のお墓。先ずは、こちらに合掌。


所狭しと酒瓶が、


いろいろなビールに、いろいろな日本酒に、


いろいろなウィスキー。いろいろな方が、いろいろと頻繁に訪れていろようです。小津安二郎はそんなに酒好きで有名だった?


それにしても「無」の一文字に、小津安二郎はどのような想いを込めたのか?


1963年4月に頸部悪性腫瘍で手術し、一旦退院して10月に再入院、そして12月に亡くなられました。1903年12月12日に生まれて、60年後の12月12日に、還暦を迎え、亡くなられたのです。

突然の発病で入院し、手術し、悪化し、再入院し、帰らぬ人になったのです。この間、8ヶ月でした。

私が墓参りをしたこの日が5月23日で、2日後の朝日新聞の朝刊にこんな記事が載りました。


・・・・・・「何も悪いことをしていないのにどうしてこんな病気になっちゃったんだろう」という小津に、岩下はかける言葉を見つけられなかった。二人は病室の長いすに並んで座り、ドリンクを飲みながら静かに時を過ごした。「じっと座ってにこにこしてらした。長い時間だったような気もします」・・・・・・

まさに、小津作品のワンシーンを思わせます。もしかして、この時小津は、映画のワンシーンを役者として演じていた? 演ずる小津、別の角度から見ている監督の小津。

記事の一段上で、

・・・・・・「人間というのは悲しい時に悲しい顔をするもんじゃないよ。人間の喜怒哀楽はそんなに単純なものじゃないよ」・・・・・・

と云っているのです。これは人間観察の結果ではなく、小津の美学であり、思いであり、スクリーン上でのひとつの芸術的表現であって、現実として、生身の人間として、そう云うことには・・・・・・。

長いすに腰掛け、アミノ酸ドリンクを飲み、にこにこしていた小津、静かな時の流れ、でも、しかし、小津も生身の人間として、病が、悪性腫瘍が、憎い!悔しい!死にたくない!生きたい!と、ひとり叫んでいたと思います。

墓石の無は、悟りとしての“無”なのか? それとも、悔しさの一端を表明した“無”なのか?

戒名は“曇華院達道常安居士”刻まれています。曇華(ドンゲ)は優曇華(ウドンゲ)で、仏教では三千年一度花開く云われる幻の花のようです。

生前の小津監督が傑出した稀な才能の持ち主だったことを称える院号だと思います。

いろいろな思いを抱きつつ、墓前の酒を眺めつつ、手を合わせました。いま、ここに立っている、この場所に、あの原節子も・・・と考えると、何か、とても、不思議な気持ちになりました。

本日は、これまで。


では、また。


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