歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その2 矢向駅はいまでも六十数年前の撮影当時と変わらない風景を残しています

2013年08月30日 | 原節子

一昨日の続きです。

三千代(原節子)が降り立ったのは、


「矢向駅」とあります。いったいこの駅は何処に?と思って調べてみたら、東京ではなく神奈川県は横浜市の鶴見区にある南武線の駅でした。東海道線を川崎で降り、南武線に乗り換え二つ目の駅です。

調べついでに、現在の駅がどう大変貌を遂げているのかと思い、グーグルのストリートビューで見たら、何と、何と、60数年の歳月が過ぎているのに、ほとんど当時のままでした。


映画と近い角度で見ると、こんな感じで、駅舎は外壁を白く塗装しただけで、昔のままです。駅前の樹もそのままです。


話しを戻します。

実家に近づき笑顔になる原節子、やはり笑顔が似合います。


駅前の風景が、もう、堪らなく、とても、懐かしいです。こういう風景は、落ち着くというか、馴染んじゃうというか、こころの風景と云うか・・・。


店先から中を覗くカット、地面は未舗装でデコボコで石ころがちらほら、こういう感じでしたよ、当時わたしが住んで居た東京の外れ板橋区でも、でも、これはたぶんセット?


娘を優しい笑顔で向かい入れる母親“杉村春子”そのうちに怖い顔で娘を叱ると思っていたのですが・・・。


大阪には戻らない決意で居たが、職探しで訪ねた職安前の行列に、現実の厳しさを知り・・・。


行列を見つめるこのカットの原節子がイイ! 背景の高圧鉄塔がまたイイ!


職安前で出会った子連れの幼馴染み、敗戦後5年、未だ帰還しない夫、失業保険も残り3ヶ月、一人で生きていく事の厳しさを知り・・・。

男の子の髪型、とても懐かしいです。いわゆる“坊ちゃん刈り”当時はみんな男の子はこのスタイルでした。昔の自分が画面に居るようです。

自分の境遇を羨ましがられ・・・。


そんな、二人の前をチンドン屋がとおり、幼馴染みは“あれ御夫婦じゃない”“そんなこと、どうして分かるの”“だって歩き方があんなに巧くあうじゃない”

帰らぬ夫を待つ女、一人生きる厳しさ、一つの曲を奏で歩調を合わせ前に進む夫婦、ほんのすこし少し気持ちに変化が・・・。

このチンドン屋のシーン、夫婦のかたちを象徴したのでしょうが、二人だけのチンドン屋は何か、とても、不自然で寂しいです。

演じている二人の表情が硬いのです。当時、チンドン屋さんはもっとにこやかでした。これって、もしかして、ホンモノの方?映画初出演で緊張?

それでも、未だ、東京で職探しをするのです。東京で働く事は、ほぼ離婚を意識している訳で、銀行員の従兄弟に仕事の紹介を依頼すると云う事は・・・。

結婚前は互いにそれとなく意識していた二人です。でも、しかし、未だ独身の従兄弟に同情され、少し気持ちに変化が・・・。


少しずつ、少しずつ、気持ちの変化を重ねて、『あなたの側を離れると云うことは、どんなに不安に身を置くことか、やっと分かったのです・・・』と、夫宛の手紙を書く、でも、しかし、投函する直前でためらい引き返す。


手紙を投函しなかったことを知った母は、『わたしがいま初之輔さんのお母さんだったらね、あんな嫁のどこがいい、さっさと離縁してしまいなさい、そう言うかも知れないよ』と、笑顔で優しく忠告するのです。


その場に妹が銭湯から帰って来ます。


妹に声を掛ける母、しかし、姉はまったく雑誌から眼を上げません。そんな姉の態度に鋭い視線を向け心の内を読み取ろうとする母。


この時、妹から姉への視線の移動は素早く鋭くとても怖かったです。母親の優しさと厳しさを表現したカットでした。小津作品の杉村春子でした。

帰りたい、でも、帰れない、夫への愛情はあるが、あの退屈な日常に戻ることへの不安、そして、何も連絡をしてこない夫、どちらが先に折れるのか、このまま互いに意地を張り続けたら・・・破局?

こういう処が、とても、とても、ムズカシイ駆け引きなのです。兎に角、どちらかが謝ってしまえば事は解決するのですが、そも、そも、謝って済む問題ではないからムズカシイ。

夫としては、何がイケナイの?なのです。謝ったとしても、退屈な日常は変わらないのですから、戻って来てくれとは云えません。退屈な日常に嫌気がさして出て行った妻が変わらないと、状況は打開できないのです。

さあ、二人は、どうなるのか? 別れるのか? 元の鞘におさまるのか?

時代は60数年前、あの頃の男女の仲はどうだったのか? 戦前の意識を引き摺った解決か、戦後民主主義で、男女同権で、新しい自立する女的な解決になるのか?

公開時も結末には賛否両論があったようです。


この続きは次回。


それでは、また。


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成瀬巳喜男の『めし』で原節子を観る・・・その1 バストショット

2013年08月28日 | 原節子
原節子の“めし”を観ました。

驚きました。これまで観ていた、あの小津作品の『原節子』のイメージとかなり異なるのです。

大きな顔、大きな眼、笑みを浮かべて、カメラ目線で、その表情とはすこし違和感のあるセリフをしゃべる・・・、そんな原節子とは違っていました。

世帯やつれと云うか、糠味噌の匂いがちょっとだけ漂うと云うか、生活感のある役柄に“あの原節子”を使った成瀬巳喜男、とても新鮮で、とても驚きでした。

昭和26年(1951年)の作品で、原節子の成瀬作品への初出演、それ以降、1954年の『山の音』、1956年の『驟雨』、1960年の『娘・妻・母』と、3作品に出演しています。

監督が代ると、役者の使い方も代わり、役者のイメージも代わるのです。そして、そして、『めし』で、監督の成瀬巳喜男の世間的な評価も変わったようです。

小津作品を観ていると、時として、原節子は、“もしかして?やっぱり大根?”何て疑問を抱いたりしたのですが、『めし』での原節子はなかなかイイ芝居をしています。

それで、観ていて、少しずつ、そして、見終わって、“これって”もしかして、新しい!と思ったり、したのです。

“モノクロ”で、今から60数年前の風景が画面に映し出されるのですが、でも、しかし、今の、現代の、作品と、思えたのです。

男と女、恋愛、結婚、夫婦、女の幸せとは? 時代が変化し、関係も変化し、行ったり来たり、戻ったり、くり返したり、やはり、男と女の関係は普遍なのだと・・・・・・。

人間は動物です。肉体的な諸条件から、雄と雌の関係から、自由になれないと云うか、性差に縛られると云うか・・・・・・。性差を科学技術の発達と、社会制度で補ったところで、やはり、無理があり、窮屈で、不自然で、いつか、何処かで綻びが・・・・・・。

能書きはこれまで。

それで、“めし”です。何か?冒頭から“答え”を提示したようなタイトル。

「めし」を喰うことをくり返す、これぞフツウの暮らし、フツウの人は、変化のない退屈な日々をくり返し、その中で、小さな、小さな喜びを少しだけ見つけ、ささやかな幸福感を味わい、ささやかに生きていく?

冒頭、主人公の嘆き的?モノローグでドラマの設定が簡潔に判り易く説明されていきます。一般大衆向けの娯楽作品的と云うか、もしかして“原作の林芙美子”の小説の書き出しをなぞったのか?

『大阪府の南の外れ、地図の上では市内と云うことになっているけれど、まるで郊外のような寂しい小さな電車の停留所・・・』

敗戦から6年、未だ、英語表記の標識が街に目立っていた時代。こんなカットが歴史なのです。

『直ぐ側の天神様の森に曲がりくねった路地の奥に、朝の光が流れて・・・・・・』

何処にでも在るような、ありふれた風景は、ありふれて存在しないのです。これは、イメージどうりの、なかなかイイありふれた風景です。

『東京で“周囲の反対を押し切って結婚”してから5年目、大阪へ夫の勤め先が変わってから3年目、あの頃、私を支えていた希望や夢は何処へ行ったんだろう・・・』

このバストショット!思わずはち切れそうなバストに視線が釘付け!31歳の原節子、一番輝いていた時期かも?

『夫は食卓の前に座っている、私は味噌汁の鍋を運ぶ・・・』

髪の乱れ具合が、とてもイイです。

『昨日も今日も明日も、一年三百六十五日、同じ様な朝があり、同じ様な夜が来る、台所と茶の間と・・・女の命はやがてそこに空しく老い朽ちていくのだろうか・・・・・・』


甘い、甘い、夢の結婚生活は、日々、退屈な日常のくり返しに潰されてしまうのです。

“周囲の反対を押し切って結婚”です。周囲の反対が強ければ強いほど、二人の愛は燃え上がり、夢は大きく、絆は強く、現実とは遠ざかる。

そして、夢はやがて覚め、結ばれる時に費やされたエネルギーが大きければ、その反作用もそれに等しく大きいのです。

原節子には笑顔はありません。御飯を炊き、味噌汁を運び、亭主に朝飯をくわせる、何処にでも居るフツウの奥さん。こんな役の原節子もイイです。

そして、こんな役の“上原 謙”段々、卯建の上がらない、面白くも可笑しくも無い、フツウの亭主に見えてきます。


そして、そんな日常に、東京から亭主の姪が家出して来て、ドラマは動き始めます。


世間知らずで、甘ちゃんで、チャラチャラ娘で、男に対して脇が甘く、叔父にまでじゃれてみたり、


やりたい放題で、亭主も、亭主で、それを楽しんでいる素振りを見せたり、そして、原節子の堪忍袋の緒が切れます。


結婚生活に、亭主に、夢は破れ、疲れ果て、姪を送って行くことを口実にして、東京の実家に帰ってしまうのです。


亭主の元には返らないかも知れないと思いいつつ、そして、亭主も、もしかして、戻って来ないかも、と思いつつ・・・。


舞台は東京へ移ります。

この先は次回。

それでは、また。


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さよなら “藤圭子”

2013年08月24日 | 東京の風景
           さよなら 藤圭子様

            五木寛之から?

           レコード会社から?

             世間から?

        “怨歌”を背負わされたあなた・・・・・・




           デビュー曲が“新宿の女”

          新宿の街で自ら命の灯を消したあなた

            最期も“新宿の女”でした


新宿「大聖院」境内に建つ歌碑


             いまは、もう、墓碑?

             おつかれさまでした

              阿部純子に戻り

             安らかにお眠りください


                 合掌


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夏休み

2013年08月21日 | その他
世間では夏休みも終わりになろうとしています。

あの安倍総理大臣も、10日間?11日間?の夏休みも、昨日か?今日?で終えたそうです。

私としても、安倍総理と入れ替わりで、本日より“ブログは夏休み”に入ります。

別荘でゴルフ三昧、BBQ三昧、何てことは、とても、とても無理ですが、“ダラダラ三昧”を満喫する予定です。

と、云う、事で、暫くはブログの更新はありません。

たぶん、一週間か10日間ていどだと、思います。


それでは、休み明けまで、皆様、ご機嫌よう!


以上、業務連絡終わり。
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グラディエーター・花のあと・抱かれた花嫁・の三本立て

2013年08月19日 | 映画の話し
昨日は映画を三本観ました。

むかし、むかし、近所の映画館は三本立てなのでした。

観たのは、最初が『グラディエーター』、次に『花のあと』、最後に『抱かれた花嫁』の三本です。何となく、それとなく、録画目録より選びだした、ジャンルのかけ離れた三本なのです。

でも、しかし、見終わって、何か、それは、それで、何処かで繋がっていたような、そんな三本だった気がしています。

それで、最初の“グラディエーター”ですが、わたしとしては、この手の、英雄が登場する“史劇大スペクタル映画”は苦手なのです。感情移入する相手が居ないのです。


でも、しかし、冒頭の戦闘シーンの迫力に圧倒されて、いつの間にか見入ってしまい、その後は“人間ドラマ”に嵌っていったのです。


敢えて感情移入と云えば、父である皇帝の“アウレリウス”を殺害し、皇帝に付いた息子の“コモドゥス”かも?


尊敬する父に愛されることもなく、能力もなく、人徳もなく、信頼できる部下もなく、ローマー市民から見捨てられ、ひとり寂しく悲しい最期を遂げる・・・。

それにしても、ローマ軍将軍“マキシマス”を演じた“ラッセル・クロウ”ですが、13年後に撮った 『レ・ミゼラブル』の“ジャベール警部”と比較して、かなりほっそりと引き締まって、小柄に見えました。


兎に角、膨大な制作費を掛けた超大作で、戦闘シーン、決闘シーンは映画館の大画面で観るのと、家で観るのとでは、相当印象が変わる映画です。

戦闘シーン、決闘シーンで眼を奪われ、人間ドラマで心を奪われ、とても良く出来た娯楽映画でした。


そして、15分の休憩の後に、次は『花のあと』です。こちらは、ぐっと制作費を抑えた“こぢんまり”とした、人間ドラマ中心の日本の時代劇です。

舞台は東北の小藩で、下級武士で、耐えに耐えて、最後に悪い上司を切り捨て、最後は目出度し、目出度し、で、終わる藤沢周平作品です。

冒頭から、見知らぬ俳優ばかりの登場で、ずいぶんと地味地味の印象でした。興味はロケ地に移り、時代劇の町並シーンと云えば、近所の“ワープステーション江戸”そして、時代劇の屋敷と云えば、隣町の水海道の“坂野家住宅”です。

あそこ、あそこ、あの通り、あの橋、あの城門、あの離れ、あの庭、あの裏庭、あの納屋、何て、事で、背景を楽しんでしまいました。

それにしても、冒頭から、見知らぬ主演女優の、仏頂面に、分厚い唇に、下手くそな芝居に、参りました。表情での演技がまったくダメなのです。


北川景子と云う女優だそうですが、まったく知らない方です。


役者が大根ならば、カメラアングル、カット割りで、それらしい演技をしているように見せるのが監督の腕です。棒立ち仏頂面は、監督の責任が大きいと考えます。

それにしても、武士の一分の“板東三津五郎”と云い、今回の“市川亀治郎”と云い、敵役に歌舞伎役者を使ったのは、単なる偶然?


役者にとって、敵役はかなり魅力があると聞いたことがあります。二人とも、歌舞伎ではそれなりの名門、歌舞伎の舞台ではたぶんやれない?敵役を映画でやってみたかった?

監督は山田洋次かと思っていたら、あの『青い鳥』の中西健二でした。山田洋次ならば、北川景子もそれなりの演技者に見えたことでしょう。

但し、殺陣のシーンは景子ちゃんもヨカッタです。これって殺陣優先のキャスティグ?

そして、最後は、人情喜劇の『抱かれた花嫁』です。


日本映画黄金期の、とても、とても、安心して観られる、楽しい映画です。松竹初の大画面シネマスコープの作品です。

大震災も、大津波も、原発メルトダウンも、放射能汚染も、少子高齢化も、不正規雇用も、過労死も、格差拡大も、デフレも、誰しも、夢にも思わなかった、いい時代の、楽しい映画でした。

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8月15日安倍総理の靖国参拝中止は自主から従属へ・・・

2013年08月16日 | 世間話し
昨日は、安倍総理が靖国参拝を見送りました。

“痛恨の極み発言”は、それなりの情勢判断に基づく政治的のものではなく、単に、心情を素直に吐露しただけ?それとも、米国の対応を読み間違えた?


兎に角、安倍総理の靖国参拝で、中国との緊張が一気に高まり、尖閣で部分的、限定的な武力衝突が発生し、両国の国民感情が吹き上がり、両国の国内矛盾を外に向け、互いに権力基盤を強化する・・・・・・・。

日本としては、集団的自衛権の容認、憲法改定の発議要件の緩和、自衛隊から国防軍へ、天皇の象徴から元首へ、表現の自由の制限へ、現行憲法の全面的な改定へ。

そんな、とても、危ない筋書きは当面のところは、一旦、遠のいたようです。

でも、この間の、国内、国外での、いろいろな駆け引きを見ていると、結局はアメリカの意向が、日本の政策決定に一番大きな影響力を持って居る、そんな事実が鮮明になったと思うのです。

民主党政権での原発廃止撤回も、国内の推進派から巻き返しだけではなく、最終的にはアメリカの意向が決定的でした。重要な政策決定は、兎に角、すべてアメリカの意向なのです。

先月の26日、シンガポールで行われた、安倍総理とバイデン副大統領との会談で、日中関係の改善を要請されたとの報道がありましたが、この時、靖国参拝の中止を米国政府から正式に伝えられた筈です。

そして、15日当日、“メネンデス米上院外交委員長”と官邸で会談した事実は、米国議会の“判ってるよな!的”と云うか、最終的な確認と見届けが、彼の役割だったのでしょう。

首脳会談とか、主要な外交的な会談の内容で微妙で重要課題は、会談後の記者会見では触れないのが外交的な常識です。すべてのやり取りは別の場所で、別の人間で、密かに?

15日の“メネンデス米上院外交委員長”との会談後の記者会見では、靖国参拝に関しては双方で触れなかったとの説明があったようです。もう、15日の会談は単なる儀礼的な会談だったのです。

アメリカにとって日本と中国の関係は、適度な緊張関係が国益と考えているのです。本気で、経済力が世界で二番と三番の国家が衝突したら、アメリカもタダでは済まないのです。

日本国民は、右も、左も、中間も、アメリカの“意向”に逆らえない、日本の現状には不満と云うか、情け無いと云うか、やってらんねェ!と云うか・・・兎に角、みんながそうなのです。

首都東京に米軍基地があり、日本中に、陸海空海兵の4軍の基地がある現状に対して、“NO”なのです。

日本国民の誰しもが、そして、アメリカ国民の誰しもが、日本とアメリカが対等な関係にあるとは考えていません。

さて、そこで、どうするのか?です。

“鳩山さん”は、オバマさんは“きっとイイ人”だから、きっと“普天間”もどうにかなると、国外移転を総理大臣として公言し、そして潰されました。

現状の従属関係を打開するには、それには、それなりの覚悟と、それなりの度胸と、それなりの戦略と戦術が必要です。

兎に角、軍事的にも、政治的にも、日本に対して圧力を強めつつある中国に、日本が単独で立ち向かうのは、とても、とても、無理です。


アメリカの従属から解き放たれたならば、中国は優しく日本を向かい入れ、仲良く平和な関係に舵を切る? 何て、ことは、とても、思えない。その辺りが、とても、ムズカシイのです。

自主独立で、自由で、明るく、楽しく、平和な、そんな重武装国家なんて選択肢は、とても、とても、無理?

現状の中武装(非核)、自主独立で、平和憲法で、専守防衛で、中国の脅威には国際世論を味方につけ、歯を食いしばって頑張る? 

それにしても、気になるのは“ヘリ空母”の“いずも”です。


性能としては、基準排水量が「19500トン」で、満載排水量が「27000トン」で
、全長が「248メートル」で、全幅が「38メートル」で、速力が「30ノット」だそうで、ほとんど“固定翼機の空母”に近いのです。

かなり、中国も、韓国も気にしているのです。


日本が、それなりにやる気になると、現状は米国とロシアにしかない“離着艦装置”も独自開発は可能な筈てす、それなりに軍事転用可能な民生技術など、ありそうな気がします。

そうなると、国内にタップリと余っている“プルトニウム”と、衛星打ち上げ技術とが合体して、核弾頭を装着したミサイルに、敵前上陸の海兵隊の創設も決まり、国防軍で、航空母艦で、密かに、もう、気が付いたら、重武装国家ですか?

そして、仕上げは“自主憲法”ですか?


この動き、何処までが、アメリカの了解事項で、何処までが、自主独立路線で、誰がこの脚本を書き、誰が監督なの?

大きな方針が示されないまま、よく判らないうちに、国民の合意がないまま、具体的な動きが、具体的な既成事実が、いろいろと重なり合い、絡み合い、一つに結びつき、気が付いたら、もう、はい、それまで! なのかも?

それにしても、今日も暑い!

それでは、また。

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武蔵小杉周辺の高層マンションは供給過剰に

2013年08月14日 | 街の風景
“武蔵小杉シリーズ”の最終回です。

そもそもです、武蔵小杉くんだりを、暑い最中、歩いているのは、姉のお見舞いなのです。入院先は関東労災病院です。

それで、時間も早いので、綱島街道を挟んで向かいにある“川崎市平和館”一通り見て回り、汗が引いたところでボチボチ病院に向かったのでした。

平和館前と云うか、労災病院前と云うか、兎に角、綱島街道に架かる歩道橋を渡ります。


ふり返り左手に平和館、


武蔵小杉駅方面には高層ビル、


右手には労災病院。


歩道橋を下り、病院正面に到着。600床の病院はそれなりに大きいです。


休日の為、正面玄関は閉鎖されており、脇の入り口から入ります。受付で面会票に、日付、時間、患者名、診療科、病棟名、病室番号、そして、面会者の名前を記入して、首から紐で吊す“面会許可証?”を貰い受けます。

それで、記入しているとき、姉の名前を書こうとしたら、アレ?苗字?何だっけ?と手が止まったのでした。暫く?一分ほど?考えて、やっと、苗字が頭に浮かんだのでした。単なる、いわゆる“ど忘れ”、それとも、もしかして・・・・・・。

先ずは、事前に調べておいた2階のレストランに向かいます。


綱島街道方向を見渡し、


玄関ホールを見下ろし、


メニューに眼を落とします。海老フライにするか?カキフライにするか?迷ったのですが、やはり、ハンバーグ定食に決定。

お味は、とても美味くは無く、とても不味くも無く、褒めることも、貶すことも、何とも云えない、とても、とても、微妙なお味でした。

但し、御飯だけは、正々堂々、ハッキリと、不味い!、と云えるシロモノでした。3口程度しか“食べられない”ので、それは、それで、まあ、大した問題ではないのです。

食物摂取によって上昇した体温が静まるまで、辺りを見下ろし暫くは食後の休憩。1時を少し回ったところで病室に向かいます。

木目模様の床は、なかなか落ち着きます。病院の冷たさを、緊張を、和らげます。


8階の突き当たりでした。


4人部屋、名札の氏名を確認して入ります。


窓側で眺めは最高。


入院して2日目で、手術は2日後です。やることも無く、退屈で、退屈で、時間をもてあしているとの事。予定では3週間の入院。


姉と弟、あまり話す事もなく、お見舞いを置いて、“また来るよ”と云って病室をあとにしました。この日は7月27日で、そのあと、一週間ほどした8月4日、母を連れて車でお見舞いに行ったのです。

行きはエレベーター、帰りは非常階段。病院の“階段”は、冷たく、静かで、薄暗く、とても、とても、“怪談っぽく”一般見舞客が足を踏み入れてはイケナイ!、そんな雰囲気を漂わせていました。


病院を後にし、ふり返ります。


8階のあの辺りに行って来たのでした。


帰りも、武蔵小杉駅からの乗車です。

ホントに、ホントに、こんなにいっぱい建てちゃって、大丈夫なの? あれから、いろいろ、調べて見たら、このへんでも、供給過剰で、ちらほらと、売れ残り、価格下落、等の噂が流れていたり、していました。


消費税の増税前にと、駈け込み需要を煽っているようですが、売れ残って、価格の下落幅が増税額を上回るとの噂も・・・。

また、政府も増税後は住宅購入に対しては、増税分は何らかの現金給付で救済する方策を考えて居るようです。慌てると、確実に、損をします。

まあ、そんな事は、余計なお世話でした。


それでは、武蔵小杉駅シリーズを終わります。

では、また。

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沖縄へ行って来ました!ジンベイザメはビート板です!

2013年08月12日 | 旅の話し
沖縄へ行って来たのです。

でも、しかし、私ではなく、孫達です。

昨日は猛暑の中、お土産と写真を持って遊びに来てくれました。

7月31日から8月4日まで、4泊5日でタップリ沖縄を楽しんだそうです。



お姉ちゃんはパパと“ジンベイザメツアー”です。

かなり緊張したそうです。


でも、足の爪には可愛いネールアート。


パパと一緒。


いよいよ、ジンベイザメとご対面。


デカイ!


大きな口、パックリと開くと人間もひと飲み!でも、しかし、ジンベイザメは人間を襲う事はありません。


しかし、ホントにデカイ!


でも、目が可愛い!


周りを泳ぐ魚、とっても奇麗!


お姉ちゃんは、ジンベイザメに素手で触れたそうです。感想を聞いたら、

『プールで泳ぎの練習に使う“ビート板”みたいだった。2年前に触ったイルカはナスのようなツルツルと云うか、ヌルヌルと云うか・・・』

なかなか的確な表現です。

ジンベイザメやイルカと一緒に泳ぎ、肌に触れた君の貴重な体験は、きっと、きっと、君を優しく、美しく、素敵な女性にしてくれると・・・、じーじはそう思うのです。


下の子は、美味しい御馳走を、いっぱい、いっぱい食べて、


元気に!走り回っていたそうです。


沖縄は南国で、観光の島だったことを、改めて知りました。

引き出しの隅から、こんなものを引っ張り出して、


年号を見たら、昭和46年の2月です。1971年ですから今から42年前です。私が二十歳のころです。友達とふたり船で52時間掛けて渡航したのです。


当時も、それなりに観光の島だったのですが、1971年12月20日のコザ暴動、1972年6月に沖縄返還協定の調印。翌年の1972年5月15日の本土復帰と、そんな政治の季節の真っ直中でした。

兎に角、孫達は、楽しい、楽しい、沖縄旅行だったのです。

それでは、また。




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川崎市平和館が戦意高揚館へ?

2013年08月09日 | 街の風景
武蔵小杉駅より関東労災病院に向かって歩いています。

右手に関東労災病院が見えて来たところで、ふと、左手を見ると、資料館的な建物を発見。


“川崎市平和館”へぇ~、こんな処に、こんなモノがでした。大きく“入館無料”の文字が目に飛び込んで来ました。“無料”に弱いのです。“タダ”なんですから、これはもう、躊躇なく寄り道です。


なかなか立派な建物です。


戦争を考える特別な8月です。拉致問題の関連展示もあるようです。


2階に上がります。何となく、それとなく、焼け跡的な導入部。


川崎は戦前から工業地帯です、軍事工場も多くあり、激しい空襲があり、犠牲者も多かったのでした。


いろいろなディスプレイが並んでいます。


こんなのとか、


こんなのとか、


こんなのとか、


全部を見ていたら先に進めません。すべて横目でチラ見で通り過ぎました。

こちらは、当時のいろいろな戦争関連品が展示されています。


こういう戦争当時の実物展示を見て、辛かった、悲しかった、怖かった、腹へった・・・、何てことを思い出す、そんな世代はもうごく僅かです。


当時を知っているのは、私の親の世代です。私の子の世代、孫の世代は、この展示品を見ることで、平和の大切さを、しっかりと頭に刻み込むことが・・・、何てことは、とても、とても、無理な気がします。


当時を知る高齢者が訪れて、当時を偲び、懐かしむ、単なる“思い出の品”の展示のような・・・。

巻脚絆、いわゆる“ゲートル”です。『少年兵用』の文字に暫く視線を止めてしまいました。少年と兵士の文字が一つに繋がることは、絶対にあってはなりません。でも、いまでも、世界には、少年兵がいるのです。


慰問袋に、何を考えるのか?


招集令状です。昔、昔のお話ではありません。国防軍、徴兵制、命令拒否は死刑、そんな文字が新聞の紙面に載る時代が来てしまいました。


神風手拭い、いまでも観光地で売っています。無邪気に買う時代から、本気で買う時代に?


いろいろな証明書です。


竹槍、国民服、防空ずきん。


この“戦死通知葉書”には驚きました。こんな重大な連絡が、分隊長クラスから、


『拝啓、時下盛夏の候と成りました・・・・・・』

こんな文面で始まる葉書が家族に送られて来ていたとは、とても、不思議な気持ちになりました。

葉書などではなく、それなりの書類で、それなりの文面で、陸軍省とか、海軍省とか、そんな機関から、それなりに公式に伝えられるのか、と、そう思っていたのです。

招集令状のお役所的な書類と比較して、死んだら、こんな葉書一枚しか送られて来ないとは、兵隊は死んでしまえば単なる数字?いや、生きているときも、単なる数字?

平和館が、いつしか、知らないうちに、そっと静かに“戦意高揚館”と、看板が書き換えられていたりして・・・・・・。まったく、有りえないことも無い、今日この頃なのです。

展示品はそのままで、看板を書き換えても、それほど齟齬はないような、そんな気がしたのでした。


それでは、また。


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“ヒトラービール”と“腹へった体験”

2013年08月07日 | 世間話し
昨日は、一足早くお盆の墓参りに云って来ました。

この一週間のあいだに、新聞にこんな読書の声が載っていました。

81歳のお婆ちゃんには申し訳ありませんが、腹へった体験は、戦争体験で、語り継ぐ事で、何か、戦争の抑止効果を期待しているようですが、そんなに、世の中は甘くありませんよ。ゴメン、以上。


それと、こういう投稿を載せた新聞社の編集判断に、かなり、あまり正しくない、政治的な思惑を感じます。 

それと、この読者の声も、かなり、変です。目くそが、鼻くそを笑っています。いや、たしなめています。日本人のナチス、ヒトラーに対する認識はこの程度で、麻生さんを責めるのは酷との、そんな方向へ傾かせる内容です。

国際会議に出席して、他国の出席者とか、現職のドイツ市長と食事をするほどの方が、この程度の国際認識とは、とても、とても、考えられません。


この投稿を載せた編集判断に、かなり政治的な匂いを感じます。麻生副総理の発言に対する、国内の批判をかわす、“援護射撃”の役割果たしています。

日本人は割りと、欧州の事情に疎く、似たような過ちを起こしがちで、麻生副総理ばかりを責めるのは酷と、読者を誘導する、そんな投稿です。

「私の人格まで否定されているように感じられた」には笑いました。あなたは、間違い無く、その場にいた方達に、100パーセント人格を否定されたのです。

でも、こう云う方が、日本の代表で、国際会議に参加している現実を知った事は、大変勉強になりました。

まあ、麻生さんも、日本の副総理として、世界を股に掛けているのですから、国際会議に参加する地方公務員に、このような方が居られても不思議ではない?

今日は、“武蔵小杉シリーズ”はお休みしました。



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