歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

春日部 ⑧ 春日部は昔は粕壁で!もっと昔は春日部でした!そして!今でも粕壁は残っています!

2018年03月31日 | 街の風景

前回の続きです。

旧日光街道を目指して歩いています。

途中でこんなものが眼に入ってきました。

見た瞬間に、これは、もう、町会の、祭り道具の、御神輿の、収納庫と直ぐに分かる建物。

 それで、この『日光道中 粕壁宿』の文字ですが、”粕”の文字が”柏”に見えて、何じゃ?「カシワカベ」!と、思ったのです。老化は眼からです。

硝子越しに中を覗き込み、うん、神輿、神輿と、それなりに納得して、

その場は、何だか分からないけど、まあ、イイか、で通り過ぎたのでした。

暫く歩いていると、この看板下の文字が眼に入り、そうか「かしわかべ」ではなく、「かすかべ」だった!と、気付いたのです。春日部は粕壁なの?

と、云う事で調べて見ました。 

春日部市は、江戸時代に入ってから「粕壁」で、昭和の始めに粕壁から春日部に変更したようです。

鎌倉時代(1185年頃~1333年)から、南北朝時代(1336年~1392年)にかけて「春日部氏」が支配し、春日部郷と呼ばれていたそうです。 

そして、昭和19年に内牧村を合併した時に、粕壁から春日部になったそうです。

と、云うことで、春日部は「春日部 → 粕壁 → 春日部」に変遷しているのでした。それにしても、「粕壁 → 春日部」は、大変よく理解できるのですが、「春日部 → 粕壁」の改名は、大変よく理解できないのです。

粕壁ですよ!粕の壁ですよ!粕とは、「残り物、役に立たない、つまらない、最も下等とか」とても、とても、自慢できる文字ではありません。

地質的には、「かす」とは「やせた土地」を表し、地形的には「かべ」は「崖」を表す用語のようです。やせて土地で、崖のある場所で、粕壁となるようです。

因みに、春日部市内には、北東部の宝珠花台地、南東部の金杉台地、南西部に花積台地、北西部に内牧台地が存在するそうですから、台地と平地の境には崖があるのでしょう。

春の日から、「かすのかべ」への変更ですが、やせた土地で、崖があり、農業に適さないのと、外に向かって表明する、その事で、それなりに何かメリットがあったかと?思ったり・・・するのです。

でも、もしかして、世間体など気にせず、地形的、地質的な特徴を、そのまま、素直に、正直に、価値判断を加えずに、「かすのかべ」だから、「粕壁」としたのかも? 

はい、これで、歴史と、地理と、ネイティブ粕壁のお勉強を終わります。

兎に角です。春日部は粕壁で、その昔は春日部だったと云う、実に、為になる?発見をしたのでした。

はい、旧日光街道を目指します。宿場町の面影を名残を、探し求めて歩きます。

それで、歩いて居ると、「碁 1日700円 (コーヒー付)」の貼り紙。そうなのか、コーヒー飲みながら一日700円で碁ができるのか!ヘェ~!とか、それにしても、「銀座サロン」ですか?と呟きつつ、通り過ぎたのでした。

因みに、こんな経路で歩いています。この時は、この先に、 郷土資料館があるとは、夢にも思わなかったのです。

本日の話しの地点は、だいたい、「たかさご耳鼻科」辺りだと思います。

まだまだ粕壁歩きは旅の途中です。

それでは、また次回。

 

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春日部 ⑦ ”彫刻のある街”で心静かにアートを見つめ楽しみます!

2018年03月29日 | 街の風景

前回の続きです。

春日部駅の東口に到着しました。

コインパーキングの料金調査です。一日最大で1000円ですか、我がつくば市の駅周辺の料金よりも、ちょっとだけ高いようです。まあ、そんなところでしょう。それなりの稼働状況です。

東武鉄道のドクターイエロー?

駅前ロータリーは、人も車も西口よりも少ないです。

雑居ビルも少なく、飲食街も、歓楽街も、眼に入りません。静かな地方の駅前風景です。それは、それで、イイと思います。

駅舎はこんな感じです。ローカル線的な趣。

それでも?それだから? カーネルサンダースのお爺さんも居ます。

駅前の路線バス発着場。こんな風景がイイのです。

ロータリーの中心に眼を移すと、居ました、居ました、走り廻る子供達とイヌ。

飛び回る、男の子、女の子。

親子連れの姿も、

ママの膝の上に乗り、戯れる女の子?

パパの肩に乗り、戯れる男の子?

後でわかったのですが、春日部市は「彫刻のあるまちづくり」として、現在、市内各所に22作品が設置されているそうです。最近はこの手の街が増えてきた気がします。まあ、悪くないと云うか、それなりにイイ事だと思います。

アートを楽しむ、そんな余裕なんか有るかァ!なんて云われる方もいらっしゃる、と、思います。

でも、たまには、こころ静かに見つめていると、作品から、それなりの想いが、囁きが、呟きが、歌声が、胸に、伝わり、響き、こころは、日常から解き放たれ、それなりに、軽く、明るく、柔らかく・・・・・・と、なったりすると、思います。

はい、ここで、日常に戻り、改札口の風景などを見つめたり、

路線図とか、料金とかを見つめます。

そして、これより、本命の日光街道宿場町の名残を探して、街中をウロキョロと歩きまわります。それで、それでは、と、案内看板を探したところ、最近はこんな風になっているのです。

 

情報は「QRコード」をスマホで読み込め!となっていました。何だこりゃめんどくせぇ!となり駅前を後にしたのでした。

以前に調べたときの記憶では、駅前のメインストリートを直ぐに進むと、旧日光街道にぶつかり、その辺りが、旧宿場町のほぼ中心と記憶していました。

と云う事で、宿場町の越谷寄りの端から攻めようと、メインストリートは避け、駅前ロータリー右手方向より路地に入ります。

本日はここまで。

それでは、また次回。

 

 

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春日部 ⑥ 秋葉神社の夫婦松は夫婦銀杏で!地下通路は水族館でした!

2018年03月28日 | 街の風景

前回の続きです。

これより、春日部駅西口から東口に向かいます。

由緒謂われがありそうな、大きな樹が目に入りました。

近づと、根元には石碑が、刻まれている文字を読もうと思ったのですが、写真に撮って後で家でじっくりと思い、その場は「秋葉神社の夫婦杉」と云う表題だけを確認し、

 

絡み合う根元の様子を眺めて、立ち去ったのです。

後で、じっくり読もうと思ったのですが、残念ながら石碑の文字は写真からは判別できませんでした。

兎に角、写真をじっくり眺めました。そこには2本の銀杏の大木と、一本の松の中木?

 

左に銀杏、少し離れて絡み合う銀杏と松。

絡み合っている銀杏と松は、幹の太さとか、樹高とか、明らかに銀杏の方がメインで、銀杏に松が絡んでいるように見えます。

それなのに、それなのに、”夫婦松”なのです。『夫婦銀杏』では語呂が悪いから? それと、この”秋葉神社”ですが、以前、ここに秋葉神社があり、駅前区画整理で神社が移転し、夫婦松だけは残されたそうです。

秋葉神社は火防の神様で、火災の延焼を防ぐそうで、そこで、御神木が銀杏と云うことのようです。銀杏は水分が多く、燃えにくい難燃性の樹木だそうです。

と、云うことで、秋葉神社の御神木は銀杏で、見た目にも大きな銀杏に、小さな松が絡んでいるので、これは、もう、誰に、何と云われようとも、正しくは「夫婦銀杏」だと思うのでした。

まあ、ホント!歳をとると、いろいろと、めんどくさい、どうでもイイことを、ぐだぐたと、云わずにはいられなる、小言幸兵衛なるのです。

はい、ここで、キッパリと夫婦松と別れを告げ、東口を目指し地下通路に向かいます。予想どうり通路の入り口を発見。 

※後で分かったのですが、この地下道の右側に秋葉神社があるようです。木立が覗く辺りがそのようです。

地下連絡通路の入り口に掲げられた変体文字?何のコッチヤ?と見つめ、考え込んでしまいました。後ろから人が来るので、いつまでも見つめて居られないので、家に帰り写真を見つめ、”Aquarium”で、アクアリウムで、水族館と判明。

確かに、地下通路の壁には、こんな可愛いシャチの親子が泳いでいました。

でも、反対側の壁には、一組の男女が楽しそうに踊る姿、水族館と如何なる関係なのか? まあ、楽しそうなので、それは、それで、OKと納得。

通路の階段を上がり、いよいよ、本命の東口です。

曇り空で、人影も疎らで、何か、寂しげな感じがします。 

この先は、次回とします。

まだまだ、春日部の話は続くのです。 

それでは、また。

  

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春日部 ⑤ 駅付近の高架化で!東西つながり効果で!活気あるまちになるか?

2018年03月24日 | 街の風景

前回の続きです。

春日部を歩いています。

春日部駅西口から伸びるメインストリートに出ました。左に曲がると駅前広場。

こちらが西口駅前広場です。それなりに結構整備され、思っていたよりも広いです。

因みに、男性に抱きつく女性、抱きつかれている男性、そして、傍らに佇む男性、三人は中国の方達です。ホント!、街中で石を投げれば中国の方に当たる、何て程、何処にいってもよく見かけるようになりました。

春日部駅の西口です。まあ、ふつうのよくある風景。

それで、私の感覚としては、西口は裏口で、東口が表なんて、そんな思い込みがあります。しかし、春日部は西口の方が賑やかのようなのです。

コチラが春日部駅周辺の航空写真です。蛇行しているのが古利根川、その少し左に春日部駅。市街地は写真左側の西口の方が、住宅地、商業地が深く広がっています。

東口側は「古利根川」が街の広がりを遮断しているのです。昔は日光街道に沿って町が形勢され、明治に入って東武伊勢崎線が開通して駅を中心に街が発展したのです。

西口側は古利根川があるため、街を形成する条件としては不利なのです。春日部市役所も西口側にあります。

それで、この看板です。

高架推進の期成同盟会とか東武鉄道が、こんな看板を掲げているのです。

”鉄道高架で『つながる東西』活気あるまちの実現を”だ、そうです。

つなげる方法として「春日部駅付近連続高架化事業」だそうです。野田線と伊勢崎線を立体交差にして、ついでに、駅周辺の下を車も人も自由に往来して、これで街の発展はオーライ!と考えているようです。

工事に掛かる費用は誰が負担するの?東武鉄道にとっては、立体交差にするメリットは少ないと思います。春日部市にもそんな余裕は無いと思うのです。

そもそも、その事情はです。

春日部は、同じ沿線の草加とか、越谷とかに比べて、遅れを取っているとして、いろいろな地元の、商工会とか、飲食組合とか、商工会議所とか、商店連合会とか、観光協会とか、まあ、そんな方々が、将来に不安を抱いているのでしょう。

人口をみても、草加、越谷は増加傾向が続いているのに、春日部は平成12年をピークに減少しているのです。経済的な地位も低下しているようです。

因みに、春日部市の人口ですが、3月現在で23万5480人です。

その打開策が「つながる東西」で「活気あるまち」なのです。東西が繋がって街に活気が生まれる理屈がイマイチ理解できません。たぶん、片側に吸い上げられる「ストロー効果」が起きたりして・・・・・・、活気が生まれることは、かなり難しいのでは?

日本中が少子高齢化です、春日部も逃れるのは難しいと、「高架化」への投資は、「効果」は期待できないと思います。

拡大再生産的、自転車操業的、そんな発想から、少子高齢化しても、経済が縮小しても、のんびりと面白可笑しく暮らすことに、知恵と、勇気と、男と女で、未来に向かって街造り、何てことの方が・・・・・・。

誰が何と云おうと、東と西を結ぶと云うなら、駅上に連絡デッキを造った方が投資は少なく・・・・・・。何か、通りすがりのよそ者が、長々と、余計な口を挟んでしまった。

兎に角、それで、駅前からメインストリートの眺め。

これより、日光街道側、東口に向かいたいと思います。たぶん、こちらの方向に連絡通路がある気配がするのです。

何か、由緒謂われがありそうな「老木」が眼に入って来ました。

これより、東口に向かいます。

 

それでは、また次回。

  

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春日部 ④ クレヨンしんちゃん!と桐箪笥で大塚家具は線路を挟んで親子で対峙!

2018年03月22日 | 街の風景

前回の続きです。

いよいよです。春日部駅の西口側から攻めたいと思います。

本来と云うか、不確かな記憶では、神社仏閣、店蔵など宿場町の面影を残すのは、日光街道がある東口側なのです。

それなのに、それなのに、西口側から先に攻めたのは、この風景、この雑居ビル群に誘われたのでした。

久しぶりのゴチャゴチャ看板群。イイです!興奮します!

いろいろ入っています。宮崎県も進出しているのです。

メニューのタテ看板が乱立している「磯丸水産」24 時間営業です。最近は人手不足、この手の商売で24時間営業は珍しいです。昼近くでしたが、店内に客の姿は有りませんでした。

こういう居酒屋とは、かれこれ10数年ご無沙汰しております。ホント!あの頃はよく飲んだ!酷いときには月曜日から金曜日まで連日宴会の日々、あのままの生活が続いていたら、今はもう、土に埋もれていたかもね。

そうでした。春日部と云えば「クレヨンしんちゃん」です。そして、私は子供の頃に「クルマ屋のしんちゃん」と呼ばれていました。オヤジが車の修理屋をしていたのです。

路地の奥には「IDC大塚家具」のビル。

ここ、春日部は「大塚家具」創業の地だったのです。春日部は桐箪笥の産地として、それなりに有名だったのです。

春日部はクレヨンしんちゃんよりも、桐タンスの街で、大塚家具創業の街とは、これまで、まったく知りませんでした。

後で分かったのですが、西口にIDCがあり、東口には「匠大塚」の大きな店舗があったのです。線路を挟んで対峙しているのです。

IDC大塚の社長さんが、娘の「大塚久美子さん」で、匠大塚の社長?会長?がお父さんの「大塚勝久さん」です。

父と娘の、追い出したり、追い出されたりの争い、最後は父親が追い出され? 創業の地春日部に”匠大塚”を構えたようです。

IDCも匠も、内部抗争で疲れ果て、そして、イケヤとか、ニトリとか新興勢力に、囲まれ、挟まれ、あまり明るい未来は、なかなか、見えないようです。まあ、私には、まったく関係無いことですが、それなりに、すこしだけ気にはなるのです。

ここで一枚自撮り。マスクに、サングラスに、黒い帽子で、辺りを撮りまくる怪しいオヤジ。 

日高屋に、白木屋に、丼てんや、看板を眺めるだけで、何か、とても、とても、テンションが上がるのです。

こちらは、鶏肉料理が専門。

鶏の唐揚げです。Sが3個で270円、Mが5個で450円、Lが10個で900円、何のことは無い、1個90円と云う事。1個の単価は変わらないのです。

いろんなモノがあります。たまにはこんな店で、男と女、呑んで語って、 笑って怒鳴って、何て思ったりして、でも、歳ですから、そんな事をカウンターの隅から眺めつつ、一人酒なんて、思ったりするのでした。

うん、歓楽街と云うか、飲食街と云うか、飲み屋街と云うか、そんな喧噪に思いを馳せつつ、路地を曲がると、今の私に、歳相応?の落ち着いた構えの「和風レストラン 」の看板。

 こちらではビルの解体中。ずっと、ずっと眺めていたかったのですが、先を急ぎます。この先を左に曲がると駅前広場です。

本日はここまでとします。

それでは、また。

※佐川宣寿氏の証人喚問が来週の火曜日に決定されました。佐川クン!みんな喋ってスッキリしましょう! どちらにしても、彼方の逮捕は決まったのです。安倍政権は、もう彼方を見捨てました。

 

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春日部 ③ 砂糖専門店の「わび・さび」の看板と安倍昭恵ちゃんの居酒屋再開を願って!

2018年03月19日 | 街の風景

前回の続きです。

前回、春日部駅が「アーバンパークライン」と「スカイツリーライン」が交差する駅と分かり、それなりに驚きました。

アーバンパークラインの踏切を渡りきり、ふり向いて、一枚パチリ。

踏切の先、最初の信号を左折し駅に向かいます。

直ぐにスカイツリーラインの踏切が見えて来ました。

周囲の風景とは異質な仕舞た屋と云うか、ほとんど廃屋間近と云うか・・・。

久しぶりに見る、「わび・さび」の看板。それにしても、カミヤ商店は砂糖だけを商っていたの? 砂糖単品で商売が成立する時代があったの? 六十八年生きてきましたが、「砂糖屋さん」は知りませんでした。

踏切を電車が通過します。でも、ここでは踏切を渡りません。

現役を引退されたようにお見受けするオジサン。その足下には、現役を引退していると見られるゴミ箱が、懐かしいタイプのゴミ箱です。

 電車が通過するのを見届け、線路脇の路地を駅に向かいます。

「わかば耳ビ科」です。耳鼻科ではなく、耳び科。初めてみる表記です。”び”が、とても、とても、強く感じます。”び”の音だけが、ビィ~ビィ~と、強く、強く、耳に響きます。

耳鳴りしそうな「わかば耳び科」を過ぎた電柱に”おしゃれ横丁”の看板がひっそりと、

どこら辺りが「おしゃれ横丁」なのか、そこいらをウロキョロしたのですが、よく分かりませんでした。

駅のホームです。

今どきの駐輪場は、こういう風になっているのです。

それで、話しは、寂しい春日部駅から、安倍政権に飛びます。

本日は参議院の予算委員会で「森友関連の公文書偽造問題」の集中審議が開かれています。政府は”しらバックレテ”、大きな進展は無いと思います。

安倍政権の支持率が各社の調査で軒並み急落で、30%の前半となりました。以前も「もりかけ」で急落しましたが、総選挙で勝利して支持率回復。

今回は、北朝鮮のミサイル発射はなさそうですが、国政選挙も有りませんし、人の噂も75日で、国民は、そのうち忘れると考えているのです。確かに、それも真実。

今回もは「佐川宣寿氏」にすべての責任を押し付ける作戦のようです。いままでは、憎たらしい高級官僚に見えていたのですが、最近では、体つき、顔つきから、気の弱い小役人に見えてきました。

安倍政権に楯突いた、前文部次官の前川氏が、佐川氏にすべてをしゃべってスッキリしろと呼びかけているようです。

ですが、前川氏と佐川氏では、家庭のと云うか、家計のと云うか、事情がかなり異なり、スッキリしたいが、この先の生活を考えると、前川氏のようなちゃぶ台返しは期待できないと思います。 

それと、安倍昭恵さんですが、お茶目と云うか、物事を深く考えないと云うか、脳天気と云うか、とても、とても、明るく、一緒に酒を酌み交わしたら、かなり、かなり、楽しい方とお見受けします。

でも、しかし、そんな楽しいオバサンですが、総理夫人となると、かなり、かなり、問題なのです。

たぶん、結婚当初、昭恵ちゃんも、晋三クンも、総理大臣になるとは夢にも思わなかったのでしょう。

昭恵ちゃんが悪いのか、晋三クンが悪いのか、いや、晋三クンを総理大臣にしたり、選挙で勝たせたりした、有権者の責任なのです。

もう、晋三クンは辞任して郷里山口に帰り、昭恵ちゃんは、そこで、もう一度居酒屋を営んで下さい。晋三クンは、のんびりと焼き鳥でも焼いている方が身の丈にあっています。

元総理の居酒屋は、きっと、きっと、きっと、流行ると思います。その時は、必ずお店にお邪魔します。その際はよろしく。

それでは、ここまで。

春日部話しは、まだ、まだ、続きます。

 

それでは、また次回。

  

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春日部 ② 東武野田線の”アーバンパークライン”はそれなりのジョークですか?

2018年03月16日 | 街の風景

前回の続きです。

先ずは、ここで訂正をします。前回、「水戸街道」と記したのは「日光街道」の誤りです。失礼しました。

今朝、ウォーキングの途中で、春日部は水戸街道?って書いたかも?帰宅して直ぐにブログを確認したら、案の定「水戸街道」となっていました。水戸街道と日光街道が頭の中でゴチャゴチャに記憶されていた?二つの街道は印象が薄い?

それでは、しっかり気お取り直して続きの始まりです。

ハイ!春日部駅を目指して歩いています。

途中で駅への方角に間違いがないか、念の為に、工事現場の入り口で佇むカードマンの方に、

「スミマセン!春日部駅はこちらの方向ですよね?」尋ねると、

「いえ、向こうですよ!」と、歩いて来た方向を呼び差すのです。

「えっ!反対なの!?」と叫ぶと、

「あっ!間違えた!あっちは北春日部の駅だった」と、直ぐに訂正。

きっと、あのガードマンの方は毎日、毎日、北春日部駅で降りて、この現場まで歩いて来ているのです。北日部駅から歩いた方が近いのです。

そんな、こんながあったりして、春日部駅に向かって歩いていると、こんな看板に遭遇。

「春日部市勤労者会館」の看板。勤労者会館?なんか聴いた事があるような?ないような?それにしても、勤労者と云う文字は、今では、あまりと云うか、ほとんど目にしない、耳にしない、口にしない、言葉です。

愛称は“LIME”だそうです。それなりに努力した結果なのでしょうが、なんか、とても、そぐわないと云うか、こそばゆいと云うか、困ってしまうと云うか・・・・・・。

それにしても、なんですかね?勤労者会館てものは? 調べてみたら、

『勤労者会館は、勤労者の教養を高めるとともに、福祉の増進・地位の向上を図り、豊かな人間性を培うことを目的とした施設です。また、就労者に対する支援事業を行い、家庭・職場・地域などの活動と交流の場、憩いの場として設置しています。』・・・春日部市のHPより

と云う事で、体育室・講習室・和室・茶室・調理室があって、午前と午後の各半日の使用料は1900円~950円程度のようです。詳しく、春日部市にお問い合わせ下さいね。

ネットと調べると、全国の所々の市に勤労者会館はあるみたいです。ただ、“LIME”の愛称を使っているのは、唯一!春日部市だけ!でした。

因みに、我がつくば市には勤労者会館は有りません。一時期流行ったのでしょう。いまでは、全国的に”生涯学習センター”が流行のようです。

ちょっと勤労者会館の話しが長くなってしまった。話しを戻します。

それで、歩き始めると、こんな佇まいの、ちょっとだけ趣を感じる仕舞た屋やがあったりしました。なんと!肥料屋さんで、タバコ屋さんもやっていたようです。時代に取り残されたと云うか、時代が目の前を通り過ぎていったと云うか、商売は難しいのです。

前方に踏み切りが見えて来ました。 セブンアイホールディングスの看板も見えて来ました。思っていたより駅は近いようです。

東武伊勢崎線の踏切です。今は、スカイツリー線? 

左春日部駅方向も線路はカーブ、

右方向も線路はカーブしています。この踏切の先がカーブしている風景が好きです。でも、安全面からすると、それなりに危険箇所?

何て思いつつ線路を眺めていたら、左手後方より春日部駅に向かって走る列車が現れたのです。あれ?あっちにも線路? 車両のデザインから、アチラが伊勢崎線? 

直ぐに、今度は目の前を列車が通過。

その後駅で確認したら、春日部駅は東武野田線と東武伊勢崎線の二つの路線が交わる駅でした。

 因みに、伊勢崎線は2012年の3月17日より、”愛称”が「東武スカイツリーライン」で、野田線は2014年4月1日より「東武アーバンパークライン」と云うそうです。

スカイツリーラインについては、まあ、それなりに許せますが、野田線の”アーバン”については、わたし的には”田舎”のイメージの方が強いので、納得できないと云うか、しっくり来ないと云うか、スッキリしないと云うか ・・・・・・。

アーバンパークラインは4月1日からなので、それなりのジョークが込められていたりして? それは無いか?

兎に角、今回、春日部駅は二つの路線が交差する駅だと、初めて知ったのです。まあ、特に、それほどの意味は有りませんが、わたし的には、それなりの発見でした。

それにしても、今回は、“LIME” とか、”スカイツリーライン”とか、”アーバンパークライン”とか、愛称話となりました。

 

それでは、また。 

 

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日光街道は旧宿場町の春日部市へ ① 苗字帯刀の庄屋様のお屋敷ですか?

2018年03月12日 | 街の風景

今回は、とても、とても、久しぶりの街歩きで、知らない街の春日部市を歩きます。

これまで、16号線を、4号線銭を、車で通り過ぎるだけでした。

本日は、日光街道の宿場町であった面影を探し求めて、市内を彷徨い歩きます。

数ヶ月前より、それなりに調べてはいたのですが、突然、そうだ!明日!春日部へ行こう!と、前日の夜に思い立ち、数ヶ月前の薄らいだ知識で3月10日の決行となったのです。

まあ、事前の調べ過ぎは、初めて見る楽しみを半減させるので、それは、それで、結構な決行なのです。

それで、かねてより決めていた駐車場所の“コジマ電機春日部店”を目指し16号線を走ります。予定の範囲内、11時少し前に到着。トイレで用を済ませ出発。

帰りには、必ず買い物をする事を堅く心に誓い店を後にします。

 

先ずは16号線側の入り口から出て、記憶に頼りつつ、直ぐの交叉点を左折して市内に向かい春日部駅を目指します。

左折したした先には、“コジマP”の看板を発見。

裏口?があったのです。

そうか、そうか、そうだったのかと思いつつ歩いていると、旧宿場町を感じる門構えが。

中を覗き込むと、横に伸びた幹が、ふつうは枝を横に伸ばして“見越しの松”ですが、こちらのは幹を横にした見越しの松?。

幹が赤いので赤松?まあ、そんなところでしょう。黒いのは黒松。何てことを考えつつ市内に向かうのでした。

バックが曇り空で、橋は焦げ茶色に塗られ、寂しげな橋。

川の流れも、周囲の風景も、東京から離れた、首都近県のベッドタウンの匂いがしてきます。両岸に工場などチラホラあると、寂しさはより一層なのです。

寂しげな“焦茶橋”は、それなりに飾りを施したデザインで、こんな花壇で飾られているのですが、前日の雨に濡れ如何にも寂しげで、寒そうなパンジー達。

この日の天候は午前中が曇りで午後からは晴れの予報でした。この天候予報も突然の決行を決めた要因のひとつでした。午前中は肌寒かったです。

時々、空を眺めつつ歩いていると、この塀が出現。

母家と云い、塀といい、敷地の広さと云い、

門構えと云い、春日部では、それなりに名の知れたお方のお住まい?

日光街道から離れているので、元はここいらの農村を束ねていた、苗字帯刀を許されていた庄屋様の御子孫?のお屋敷? 

でも、もしかして、その昔は小作人で戦後の土地解放で農地を取得、そして、農地が道路計画に入り、しこたま土地代金が転がり込んで、その結果のお屋敷だったりして?

勝手に妄想を膨らませ失礼致しました!

この場所で、この構え、それなりのお方のお住まいです。

本日は、このあたりで終わりとします。

失礼しました。

春日部のお話は続きます。

それでは、また次回。

 

 

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口角を上げてやわらかい表情で眠りにつき大空を飛ぶ夢を見ましょう!

2018年03月03日 | 雑談

また更新が滞ってしまいました。

世の中の動きに関心が無くなると云うか、興味が無くなると云うか、疎くなりつつあるような・・・・・・。

ピョンチャンオリンピックも終わり、国会では衆議院予算委員会で予算案が強行採決されたり、働き方改革の法案審議の資料がデタラメだったり、世の中は、いろいろあって、いろいろ動いているようです。

まあ、それは、それとして、夢の話しなのです。

ふつうに寝ている時に見る、あの夢の話しです。

わたくし、ふだんは10時過ぎには寝てしまうのです。そして、1時頃に起きて朝刊を2時間ほど読み、また眠るのです。

我が家は朝刊が1時15分から1時半の間に届きます。寝床でバイクのエンジン音が聞こえたら階下に取りに行くのです。

屋外ポストではなく、玄関ドアの横に郵便受けがあるタイプですから、寒い冬や雨の日でもとても楽ちんなのです。配達の方には感謝しております。

そう云うことで、毎日、夜中に起きた時の夢と、朝方起きた時の夢と、二つの夢をおぼろげに覚えているのです。

相当強烈な夢でないと、起きたら直ぐに消えてしまいます。ストーリー展開に脈略が無いので、目が醒めてから暫くすると思い出せなくなります。消えないうちに、それとなく反芻すると、それなりに記憶に刻まれます。

この歳になると、イイ夢を見る事は、とても、とても、少なくなりました。

会社に向かっているのですが、会社の所在地が判らなくなり、何処行きの電車に乗り、何処で降りたらいいのか、キップを買おうとしても買う場所が見つからなかったり、やっと乗った電車が全く異なる方向に走り出したり、迷い悩み不安になるのです。

意識していない悩みや不安が、そんな夢を見させるのでしょう。

転職を5回しているのです、夢の中に登場する同僚達はゴチャ混ぜなのです。

目が醒めたときに、あれ、俺は、今、何処に務めているの?と、暫く寝ぼけ頭で考えたりするのです。

そうか、そうか、俺は、もう、働いてはいなかったのだと気が付き、安心して、又、寝たりするのでした。

それでも、まあ、新聞を読んでからまた寝る前は、それなりに、さあ、どんな夢を見るか、見ようか、それなりに楽しみなのです。

それと、寝る前の儀式として、いろいろと過去の夢に思いを馳せるのです。場所とか、場面とか、風景とか、いろいろな映像が目の前を過ぎるのです。

何度も、何度も、見たような風景であったり、出来事だったり、でも、よくよく考えると、なんか、一度しか見ていなかった気がしてきたり、そんな、こんなに、思いを馳せながら、いつしか眠ってしまうのです。

それと、夢の中の風景ですが、近くはそれなりにハッキリしているのですが、周囲はボンヤリしているのがふつうですが、広大な風景が鮮明に見えたりするときもあります。

それと、以前、以前と云っても、十数年前か、数十年前かは夢のことなのでハッキリしないのですが、空を飛ぶ夢をよく見ました。

空を飛ぶ夢は、ちょっと危ない夢?と、そんな事を何かで読んだ気もしますが、兎に角、大空を飛ぶのです。オールカラーの時もあったような気がします。

そのころ、それなりにこれは夢だからと気が付いて? 意識的に飛び上がり、大空を旋回したような事もありました。

最近はまったく、大空旋回の夢は見なくなったのですが、先日、久しぶりに、空を飛んだのです、でも、しかし、昔のように、手脚を伸ばしてスーパーマンのようには飛べませんでした。

立ったままの姿勢で、やっとこ、さっとこ、空中に浮き、油断していると、高度が下がる、そんな状態の情け無い飛行なのです。

でも、それとなく夢の中と気付いて、それとなく自分の意志で飛び上がっているのです。

将来の夢なんてことは、将来が残り僅かとなったこの歳では、考えられなくなりましたが、せめて、寝ているときに見る夢ぐらいはイイ夢を見たいものです。

まあ、人生は楽しいこと、嬉しいことはほんの少しで、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと、情けないこと、腹立たしいこと、なんてことばかりだと思います。

それで、最近の“実験”なのですが、寝るときは口角を少し上げるようにしてやわらかい表情にすると、“楽しい夢”を見る確率が、かなり、かなり、上がる結果がでています。

どうぞ皆さんも、寝るときは口角を少し上げやわらかい表情で寝ましょう!

そして、青い空白い雲をバックにドローンのように大空を飛び回りましょう!

 

それでは、また。

 

 

 

 

 

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