歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

今日の“ちりとてちん”で解けた!伏線は川平だ!

2008年02月29日 | テレビの話し
本日、“水海道シリーズ”をお休みします。

急遽、NHKの朝の連ドラ「ちりとてちん」の話です。兎に角、初めから変だったのです。

何故?、あの役が「川平慈英」なの?と、ずっと疑問でした。

       

どう見ても、外国人に見えます。でも、しかし、その事に関しては、ストーリー展開の中で、これまでまったく触れませんでした。

きっと、これは変だけど、それは、それで、まぁ、“お芝居のお約束”と思って、これまで見ていました。

ところが、今日、はじめてお約束ではなく、彼の生い立ちとして明らかにされました。

「な~んだぁ!そう云う事だったの、それならそれで、それらしき“伏線”があっても」と、思うのです。

配役に“川平”を使った事が伏線だったと云う事? それにしても、川平慈英の芝居は臭かった。

表情が濃い上に、台詞をしゃべる時の口元の動きが大き過ぎて不自然です。動き、表情、台詞回し、すべて舞台の芝居です。テレビの芝居ではありません。

それにひきかえ、もォーホントに! 和久井映見は良かった! 糸子役にピッタリです。芝居が自然です。
       

ホントに!このドラマの主役は「糸子さん」です! 和久井映見です!


それにしても、A子とB子ですが、B子を「山田花子」なら判るのですが、「貫地谷しほり」では、A子の「佐藤めぐみ」よりも、はじめから輝いていて、不自然でした。

       

まぁ、こちらはお芝居の「お約束」なのです。

いくら何でも、B子を「山田花子」が演じたら、間違いなく「百%喜劇」か「百%悲劇」のどちらかでしょう。

「ちりとてちん」も今月でお終いです。

和久井映見のこれからの仕事が楽しみですが、糸子から抜け出せるか、そんな心配もしたりして・・・・・・。


次回は、水海道シリーズを再開します。


それでは、また次回。


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水海道 “黒塀”と“くねくね”とブラジル

2008年02月28日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

二十一世紀の夢見台を降り、さて、次は、どちらに向かって歩こうかと、傍らに立つ市街案内地図を眺めていると、「歴博マーク・・・まちかど歴史博物館」の付いた“武道館”を発見しました。

よし! 次はコレ、迷わず向かいました。宝町サンロードを鬼怒川方向に数百㍍行き、路地に入って直ぐのようです。

歩き始めると、すぐにこの歯医者さんです。


もう、この黒塀と云い、門柱と云い、刈り込まれた植木と云い、決まっています。


羽織り袴の出で立ちで、髭を蓄え「大先生」何てみんなに呼ばれる、老いても尚矍鑠としたた老医師の居る・・・・・・・、そんな妄想が頭を過ぎりました。



それにしても、手入れが行き届いています。黒塀も塗りたてのように見えます。この黒の塗料ですが、昔はタール系の塗料を使っていました。

学校の廊下とか、電車の床とかが木製だった頃、塗りたてはコールタールの鼻に付く匂いがしたものです。



時々、道路の舗装工事で嗅ぐ“コールタール”の匂い、とても懐かしく“哀愁と郷愁”を誘います。

辺りに人の居ない事を確認して、黒塀に鼻を近づけ、哀愁と郷愁を嗅ごうとしたのですが、まったくその匂いはしませんでした。塗料が異うようです。

先ほどの夢見台では“額に手をかざし”、黒塀には“鼻を近づけ”、かなり怪しい振る舞いをしてしまいました。

誰れかが見ていたら、“人相風体”に加えて“怪しい振る舞い”に、かなり「危ない人」だと思われたでしょう。

道路を隔てて反対側にある、この二階家にも同じ匂いを感じます。


コールタールの匂いを思い出しながら、真っ直ぐ伸びる広い歩道を歩いていると、足元の模様に気が付きました。


振り返ると、ずっと“くねくね模様”が施されていたのです。水海道は“くねくね”に拘りを持っているのです。

水海道は、市街地の唯一の直線道路でも、歩く人達には“くねくね”と、自然の揺らぎを求めています。

私は素直に、くねくね模様に沿って歩いて見たのですが、同じカーブをくり返す“人口的くねくね”はとても不自然でした。

でも、この“くねくね模様”いいと思います。遊びがあってOKです!

下を見ながらくねくね歩きつつ、ふと、道路の反対側に眼をやると、ここにも、ブラジルがありました。


ポルトガル語の看板に、外壁の色使い、背景の青い空、ここだけブラジルです。レストランのようです。

通行車両が疎らな為、横断歩道の無い場所から反対側に渡ります。入り口に貼られたソフトクリームのポスターを見て、一瞬、店に入ろうかと思いました。

でも、しかし、むさ苦しい口髭の中年おやじが、一人で入って“ソフトクリーム”を舐めるのは、かなりの勇気が必要です。諦めました。


店先にあった、ブラジルスタイル?の海外通話用?の公衆電話スタンド?


駅前のブラジルスーパーにブラジル銀行、そして、レストラン。水海道では、確かにブラジルをよく見かけます。

ブラジルの先に、武道館の案内看板が見えてきました。


看板下の路地を入ると、まちがど歴史博物館の武道館があるようです。


それでは、また明日。


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水海道“21世紀の夢見台”で?

2008年02月27日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

お総菜屋さんを過ぎ、信号のある交差点に出ました。傍らの「市街地案内図」を見ると、交叉している通りは「宝町サンロード」とあります。

サンロードは水海道には珍しい「直線道路」で歩道も広く、この数年で整備さられた新しい路と思われます。

それにしても“サンロード”とは、一般からの公募で採用された愛称と思われますが、何とも、しかし、兎に角、無難な名称です。

それで、交差点で信号待ちをしていると、この不思議な一画が眼に付いたのです。


信号が青になり道路を渡ると、白い柱に“二十一世紀の夢見台”と書かれています。


確かに“石”で築かれた1.5㍍ほどの高さの“台”です。ここは「絵画の道」ではありませんが、ここにも「あの手」の「絵画」が置かれています。


先ほどの「水海道一高」の生徒が描いた絵です。「これが?」「えッ!」って、思わず叫んでしまいそうになりました。

もう。ハッキリと云います! この手の「えッ」は“絵画の道”だけにしましょう。

洒落にもなりません! 悪い冗談です! 床の間の柱にペンキを塗るようなものです。街の景観を損ねています。以上。


兎に角、夢見台です。夢を見る為の台と云う事です。


「ビーナス」の肩越しに、何やら刻まれた石板があります。


宣言と云うか、宣誓と云うか、そんな言葉が刻まれています。


    “二十一世紀の夢見台”

  かつて鬼怒の恵沢によって栄えた・・・・・・

  町の歴史に誇り・・・・・・愛着を覚える

  考えよう 参加しょう 町づくり・・・・・・

  始めよう 二十一世紀の夢見台から
   
 “1986年11月 水海道青年会議所” 

今から22年前、21世紀を迎えるまで、後15年と迫っていたそんな年に、この夢見台は造られたのです。

かつての繁栄を21世紀には取り戻そうと、「考えよう、参加しょう、始めよう」と市民に呼びかけています。

21世紀に入って7年が経過した現在、今の水海道を“青年会議所”の方々はどう考えているのでしょうか?

水海道の50年前をボンヤリ知る私としては、現在の水海道は、まぁ、そこそこ、それなりにいい町だと思います。

駅前の商業地の“衰退”は時代の流れです。郊外の“大型ショッピングモール”の時代です。小さな個人商店では勝負になりません。

郊外が商業地になら、ここは一発、逆転の発想で、駅前は住宅地として再開発、何て方が面白いと思うのです。

責任ある地位とは無関係な私としては、面白いとか、面白く無いとか、無責任で勝手な話をしています。でも、駅前住宅街はいいと思います。

そうです! “常総の田園調布”です!

でも、しかし、その昔、バブルの頃に“千葉リーヒルズ”何てニュータウンを大手の不動産屋が造り、今は、ゴーストタウンになっている何て事、風の便りで耳にしたような・・・・・・・。  

兎に角、物流が水運から鉄道、そしてトラック輸送に変化したのですから、物資の集積地としての繁栄は無い訳です。

兎に角、22年前のあの頃に戻った気持ちになり、夢見台の石段をしっかっりと、一歩、一歩踏み締めて台に上がりました。


“頂上”に辿り着き、手をかざし、四方を望んだのですが、特に何も見えません。

それなりの高さがあれば、それなりの景色が望めるのですが、1.5㍍では低い。


こちらの方向には公衆トイレが望まれます。


そうでした。この台は、遠い彼方の21世紀を望むと云うよりも、この台の上で21世紀を夢見るのでした。

それにしても、何故、夢見る為に台が必要だったのか?

高い所に登ると、遠くを望むことが出来ます。距離的な遠くと、時間的な遠くが、意識の中で重なり合う気はします。

この夢見台、兎に角、夢を見るにも、遠くを望むにも、高さが不足しています。数十㍍あれば、水海道はもっと変わっていたのかも知れません。

この方たち、現在の水海道をどう思っているのでしょうか?


兎に角、夢見台の上で、いろいろ考えましたが、公衆トイレで用足しです。



さぁ、これから、どっちに向かって歩こうか?  


それでは、また明日。


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水海道は赤煉瓦と哀愁の街だった!

2008年02月26日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

正面が水海道第一高等学校で、左手が報国寺の参道になります。報国寺を後にして振り返って撮ってます。

通りから数十㍍のこの道は、報国寺への参拝と、水海道一高への通学の、専用通路です。

それで、一高なのですが、門のところに車があり、二人の教師らしき中年男が佇んでいるのです。


銅像の下に、ウィンドブレーカー着た一人が写っていますが、何やら“見張り番”のように見えます。いったい何を見張っているのでしょうか?


危険人物の侵入を防ぐと云っても、高校ですからそれなりの対処は生徒自身でも可能と思います。まさか、構内からの“脱出”を監視しているとも思えません。

見張り番なのか?、監視人なのか? 謎を残し中心街に向かいます。

専用通路から通りに出ます。この通りには、お寺関連の“墓石屋さん”と、“仏具屋さん”が軒を並べています。

報国寺方向に振り返って撮っています。田舎町の匂いがいいです。

それにしても、この墓石屋さんの、ビカチュウに、ドラミちゃんに、ドラエモンに、一番端は・・・・・・何だっけ? 兎に角、最近このアニメキャラクターをお寺の境内で見かけるのです。

こんなところで造っていたのです。著作権はどうなっているのでしょうか?


いい感じの蔵です。


蔵の隣は「レコード屋さん」。演歌歌手のポスターが、街の佇まいにピッタリとはまってます。


“ナガタヤさん”には哀愁があります。演歌が似合います。


堪りません!この“演歌専用”の“ポスター用ショーウィンドー”


レコード屋さんを過ぎ、交差点の瀬戸物屋さんです。お店の正面は“アルミの外壁材”で“赤煉瓦”を被っています。


正面も、アルミを取り除き、煉瓦造りを強調した方が、絶対!に商売は繁盛!します。繁盛しないとき私に云って下さい。慰めの言葉だけは、お掛け致します。

兎に角です、長田屋さん! 時代の“流れ”は“赤煉瓦の方向”に有ります。


兎に角、デカイ! “無事カエル”の置物、「無」が笑っているのが斬新です。


店仕舞いしたようです。なかなかの「店蔵造り」、もったいないです。


お洒落な街灯です。このデザインには赤煉瓦が似合います。


そうです。この洋品屋!ではなく“メンズファッション”のお店。赤煉瓦風の外壁がお洒落です。長田屋さん!どうですか? 


お洒落なメンズファッションの隣は、手作りお総菜のお店“八百久さん”です。この落差が堪らなくいいです。これぞ水海道です。


水海道は、いろいろあって面白いです。


この次も、まだ面白いものがありそうです。


それでは、また明日。



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水海道の報国寺で右腕のもぎれた“お地蔵様”に出会い思いを巡らします

2008年02月25日 | お寺・神社

金曜日の続きです。

向拝の彫り物を鑑賞した後、次は境内の石仏を鑑賞します。

冬の青い空、葉の落ちた銀杏の大木、参道の石畳、お寺の風景です。


先ずは、“如意輪観世音菩薩”です。


長い歳月、風雨にさらされ、表情が柔らかく見えます。頬に手をあてたポーズは、人々を苦しみから救おうと、いろいろ考えている様子を現しているそうです。

この表情を拝見していると、暖かい陽射しをうけて、のんびりと“お昼寝”をしている様に見えます。


こちらの仏様は、時の流れに表情が消えてしまいました。


こちらは“地蔵菩薩”です。座っているお地蔵様をはじめて拝見しました。“延命”がご専門のようです。


左手に宝珠、右手に錫杖なのですが、右腕が“もぎれて”います。


お地蔵様は“諸国を巡り”迷い苦しむ人々を救うそうです。右腕が無いと錫杖が持てません、錫杖が持てないと“諸国を巡る”ことが出来ません。

石像の修復は難しいのでしょうか、木像や銅像だと折れた部分を継ぎ足すのはそれなりに、やり方が想像できます。

石像は、堅く、脆く、継ぎ足しが難しそうに思えます。そんな技術的な事から、右腕がもぎれたままなのかも知れません。

接合方法、接合部と全体とのデザイン的、外観的、違和感のない調和・・・・・・。報国寺の財力?をもってすれば不可能は無いと・・・・・・。

そんな余計な事を思いつつ、お地蔵様のお姿を眺めてしまいました。


さぁて、こちらは、ずらりと居並ぶのは“お坊様”のようです。ざっと数えて30数体。


全員、右手に“紐のような物”を握りしめています。


台座には二十六番、二十七番と順番に“番号”が刻まれています。


何なのでしょうか? 十六羅漢とか、五百羅漢とかではなさそうですし、歴代の住職でもなさそうです。

謎の石像群です。兎に角、合掌。


いろいろ見ました報国寺、一回で終わる予定が3回となりました。これで、報国寺の報告はお終いです。

次回は、街の中心に戻ります。


それでは、また明日。


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報国寺“向拝の彫り物”がいいです!

2008年02月22日 | お寺・神社
昨日の続きです。

昨日は、報国寺の話が、「リンリン・ランラン・リュウエン」に行ってしまいました。今日は間違いなく報国寺で一本勝負です。

それも、“向拝の彫り物”で一本勝負です。この地の、この寺に、素晴らしい彫り物があったのです。

作品を鑑賞する前に、先ずは寺の紹介を致します。

正式名称は“亀岡山 豊田院 報国寺 ”と云い、宗派は“浄土宗”で、開基は弘安4年(1281年)で、開祖は“阿良忠上人”です。

今から727年前に開かれたお寺です。現在の本堂は、幕末から明治の混乱期に(1865~1868年)に再建されたそうで、平成7年から9年にかけて解体修理がなされています。


寺の紹介はこの位にして、先ずは銅版本葺きの重厚な本堂に参拝します。


思わず“南無妙法蓮華経”と、唱えてしまいました。ここは浄土宗ですから“南無阿弥陀仏”でした。

あらためて“ナンマンダブ、ナンマンダブ、ナンマンダブ”を三回唱えてお参り致しました。勿論、お賽銭をあげてからです。

お参りを済ませ、正面を見ると重厚な「大扉」です。色と云い、艶と云い、「欅」と思われます。平成の解体修理で造られたものでしょう。


欅の大扉から、視線を上に移動して行くと、向拝の彫り物が眼に入りました。


正面には“龍”


左右に一対の“獅子”



迫力があります!


獅子の隣には“貘”


動きがあります!


一つ一つの彫り物が、丁寧な仕事で、ダイナミックで、バランスがよく、呼吸しています。生きています。


こちらは“波”


“後藤ぬい之助”と云う方が彫られたそうです。本殿が慶応年間ですから、この彫り物も同時代のものでしょう。

報国寺向拝の、龍、獅子、貘の彫り物に感動しました。いい物を見させて頂きました。

数日前に降った雪が、陽射しをうけてもまだ溶けずに残っています。本堂から眺める境内、参道の風景もなかなかです。


報国寺の境内にはまだ何かありそうです。

それでは、また来週。




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水海道は報国寺と増上寺と“留園”で幸せ!

2008年02月21日 | お寺・神社
昨日の続きです。

図書館を後に、くねくね道を先ほどの通りまで戻り、鬼怒川方面に向かいました。

2、3分歩き、右手路地の奥にお寺らしき「塀」を見つけました。


大屋根の上には「宝珠」が輝いています。これはお寺に間違い有りません。


凄いお寺です。広い境内、坂道伝いに塀がずっとずっと続きます。塀も立派、庫裏も立派、このシャッターの降りた「車庫?」の門も立派。


すべてが新しく、すべてが立派なお寺です。相当な「御利益」が賜りそうな、このご時世に、これだけの設備投資は大変なものです。

本堂の屋根が見えてきました。

塀はまだまだ続きます。


向かいは、中学か高校のようです。


やっと門に到着しました。この門は歴史がありそうです。あまりの設備の立派さ新しさに、多少の躊躇いを抱きつつ、門をくぐりました。


入って直ぐにこの鐘楼が眼に入りました。コンクリート製の立派で新しい塀や庫裏とは対照的です。

木造建築は落ち着きます、時代を感じます、安心します、癒されます。やはり建物は木造が自然です。

木造は時が経つに連れ“味わい”が増し、コンクリートは時が経つに連れ“見窄らしさ”が増します。

後で判ったのですが、鐘楼はこの寺で一番古い建築物で、建立の年代は不明だそうです。この鐘楼、不明なほど古いのです。

鐘楼の“立ち姿”の良さ、暫し眺めてじっくりと“味わい”ます。

なかなか重量感のある本堂です。


遠くで見た、屋根に輝く宝珠は本堂ではなく、この“開山堂”でした。寺を開山した“良忠上人”の木像が祀られているそうです


こちらは客殿でしょうか? いろいろな建造物のある、この地にしては予想外の大伽藍です。


やっと寺の名前が判りました。報国寺でした。


あの「法然」が創始した浄土宗のお寺です。大本山が東京タワーの近所にある増上寺だそうです。

あまり関係ないのですが、初めて勤めた会社が増上寺の傍でした。そのまた傍に、

 ♪リンリン♪ランラン♪リュウエン・♪リンリン♪ランラン♪リュウエン
 ♪リュウエン行って! ♪幸せ食べよっ!  

「りんりん・らんらん」と云う、双子の中国人の女の子が唄うテレビコマーシャルが盛んに流れていた時代でした。 

その中華料理の“龍苑”で、わたし生まれて初めて本格的中華料理を食べたのです。たぶん新入社員の歓迎会だったと思います。

近所のラーメン屋の“餃子”と“ニラレバ炒め”の私には、その旨さ、その豪華さは衝撃でした。

衝撃のあまり、具体的には何を食べたか覚えていないのです。但し、最後に出てきた「杏仁豆腐」だけは、ハッキリと思い出せます。

最後の段階になってやっと冷静になれたのだと思うのです。今でも、あの龍苑は有るのでしょうか・・・・・・。

話の方向が、かなり、かなり、逸れてしまいました。話はこれで一旦お終いにします。報国寺の続きは次回とします。


それでは、また明日。


※訂正です。龍苑は“留園”は誤りでした。・・・3月7日訂正

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水海道“二水会館”で八つ当たり!?

2008年02月20日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

街の情報を仕入れようと、くねくね道を辿り常総図書館に向かいました。入り口付近には、図書館の「定番的飾り物」のブロンズ像がお出迎え。


庭先に眼をやると「クラシックな西洋建築」が佇んでいます。事前に調べていた「あの建物」のようです。


「あの建物」は知っていたのですが、何処にあるのか迄は知りませんでした。まぁ、その程度の事前調査でした。

いつもそうなのですが、事前調査をやりすぎると、初めて見る感動が薄れてしまい、だからと云ってまったく下調べ無しで行くと、大事なものを見落としてしまったり、このさじ加減が微妙なのです。

先ずは、西洋風建築から見学します。


外壁のパステルカラー、背景の青い空、童話の挿し絵の様な可愛い建物です。堅い役場の面影はありません。94歳にしては“お若く”見えます。

大正2年(1913年)に役場庁舎として建てられ、昭和35年まで水海道役場として使われ、その後は公民館となり、昭和59年に現役を引退し、現在の場所に移築されたそうです。

現在の「二水会館」の名称は、市内を流れる鬼怒川・小貝川にちなんで移築された時に付けられたそうです。水運で栄えた水海道に因んでの命名なのです。


建物お話はこの解説板に書かれていたのですが、この「二水会館」の名称をわざわざ付けた意味が、いまいち理解できないのです。


単に、“旧水海道町役場”とした方が、建物の歴史を一番分かり易く表現して、いいと思うのです。敢えて「二水会館」とした意図が分かりません。


市民会館として使用された時期の名称が「二水会館」だと、それなりに理解できるのですが・・・・・・、まぁ、よそ者が何と云おうと「二水会館」何のです。

名称の件はここらで終わりにして、この建物の話なんですが、建物の周りを一回りして、ポーチに立て上を見上げると、こんな細工がしてありました。


この板の斜めにした組み合わせ、床の間の天上に使われる様式に似ています。洋風建築には見かけない?やり方です。

このあたりが、“ちょっと見洋風”、“じっと見和風”の「擬洋風建築」と云ったところでしょうか。

二水会館の見学を終わり、図書館に向かったのですが、入り口にこの貼り紙です。


図書館を利用するのは、これまでの人生において、片手で数えられる程度です。

金曜日の午前休館、午後開館は、私が知らないだけで、全国的な“図書館標準”なのでしょうか?

この日、「ガイドパンフ」を探し彷徨い、市役所で裏切られ、駅で裏切られ、そして、図書館でも。

そんな、裏切られ続けた気持ちは、男の裸像では癒されません。


面白くも、美しくも、力強くも・・・・・・、何も感じないのですよ、このブロンズ像からは! 


タイトルが「流想」とあります。何のコッチャ? そんな日本語は無いぞ!

その時は、そう感じたのです。ブロンズ像に八つ当たりしてしていました。

兎に角、「行き当たりバッタリ方式」を貫き通す覚悟を新たに、図書館を後にしました。


それでは、また明日。


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水海道と“千姫”は関係を持っていた?

2008年02月19日 | 水海道の風景
昨日の続きです。

くねくねの「絵画の道」を歩き、何だか判らない一画を観察し、駅舎に向かいました。そもそも駅舎に向かったのは、街の「ガイドパンフ」を探しての事です。

昔は、駅前に広場は無かったと思います。それにしても、この駅前広場は兎に角広いのです。只だ々広く、その広さ故に寂しさが漂います。


駅舎は新しくはなっていますが、大きさは昔と変わらない?様な気がします。50年も前の記憶ですから・・・・・・。


中に入って「パンフ」を探したのですが、ここにも有りませんでした。“街の玄関”である改札口には、必ず「街のガイドパンフ」が有ると思っていたのです。

市役所にも「パンフ」は置いてあるものと思い込んでいましたが、有りませんでした。駅に無し、市役所にもなし、これでは「街の活性化」が危うい気が・・・・・・。


「まったくもォー! 何考えているんだ!」と、頭の中で呟きつつ外に出ると、真正面にこの「市街地案内図」です。

まぁ、これでも少しは参考にと思い、歩くコースを“それとなく”決めようとしたのです。

しかし、ボンヤリ眺めていても、特に目標が定まらず、やはり、ここはいつもの「行き当たりバッタリ方式」に決定しました。


左上に「千姫となごみの街 みつかいどう」の“キャッチコーピー” 水海道は“千姫”で売り出しを図っているようです。


千姫と水海道が“関係を持っている!”とは、知りませんでした。江戸から離れたこの小さな田舎町に何故? いつ頃? 何処で? 関係したのでしょうか?


それで、探し求め、彷徨い歩いた「ガイドパンフ」の件なのですが、それなりの施設が駅前広場にあったのです。

実は、後で判ったのですが、駅舎の真向かい、それも遠~い、遠~い真向かいの位置、「公衆トイレ」と並んで「観光案内所」があったのです。

その隣には「大きな大きな地図」もあったのでした。偶然、何気なく、撮った写真がその姿はを捉えていました。


観光案内所は、余りにも、余りにも、駅舎から遠すぎるのです。これも、余りにも、余りにも「だだっ広い」駅前広場の弊害と思われます。

実は、今書いていて、改めて「案内図」を拡大して眺めていたら、しっかりと赤い文字で「観光案内所」の位置が示されていました。

当日は、ボンヤリ眺めていたせいで、まったく気付かなかったのです。かなり「危なく」なってきました。

兎に角、街の様子は大まかに掴んだので、「行き当たりバッタリ方式」で散策に出発です。

駅前の通りを、案内図の上方向に歩きはじめると、蕎麦屋の大きな看板が眼に付きました。

看板の下、曲がり角に「常総図書館」の案内看板が有りました。


図書館でも覗いて、千姫の情報でも仕入れようと思い、看板に従い左に曲がると、この道も「くねくね道」でした。

くねくね道の先に図書館が見えてきました。


くねくねの「絵画の道」、くねくねの「図書館への道」、水海道は「くねくね道」の多い街です。

本日は、これでお終いです。

“水海道と千姫”の関係解明は、まだ先になりそうです。

それでは、また明日。


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水海道「ブラジルとスリランカ」で“ややっこしい?”

2008年02月18日 | 水海道の風景
一昨々日の続きです。

曲がりくねった道を辿り駅前に到着しました。

それでこの角に、店なのか?事務所なのか?ギャラリーなのか?良く分からない「変なもの」がありました。


福禄寿の朱い幟がはためき、入り口のガラス扉には「常総市指定」の「排水工事店」とあり。


横の窓には「ギャラリー絵の里」とあり。


“スリランカ祭り”や“セイロン紅茶の試飲会”もここで?開かれているようであったり。

いろいろと何かやっているようであったり。

大黒様に、福禄寿に、よく分からない絵や、ギリシャ彫刻があったり。


室内をガラス越しに覗くと、事務のようでもあり、ギャラリーのようでもあり、しかし、人の気配は無くよく分かりません。

平日が「水道工事店」で、祝祭日には「ギャラリー」に変身するようでもあり、兎に角、よく分からない一画です。

それに、先ほどの「セイロンとスリランカ」もよく分からないのです。「紅茶はセイロン」で、「国名はスリランカ」なのです。

我々の年代にとっては、セイロンは国名であり、セイロンで採れる紅茶なのでセイロン紅茶でした。

島の名前は今でも「セイロン島」と呼び、国名は「スリランカ民主社会主義共和国」で、略してスリランカと云うそうです。ややっこしいのです。

国内の政治も「ややっこしく」なっているようで、多数派のシンハラ人に対して少数派タミル人が武装闘争を展開しているのです。

「スリランカ祭り・セイロン紅茶試飲」の催しに、日本に出稼ぎに来ているシンハラ人か?タミル人?が関係して、かなり複雑でややっこしい政治的背景があったりしての? 延期? だったりして? 

「?」の多用で「ややっこしく」なってしまった。兎に角、事前にチョットだけ調べてきたのですが、水海道には「在留外国人」がかなり暮らしているのです。

「常総市」と隣の「つくばみらい市」を合わせて、去年の12月末現在で4千8百93人の外国人が暮らしており、そのうちブラジル国籍は3千2百人だそうです。

人口は、つくばみらい市が4万1千9百57人、常総市が6万5千8百58人ですから、合計で10万7千8百15人です。

外国人比率は4.54%で、かなり高いと思います。ブラジル国籍の人達が多いのは、この地域から昔、ブラジルに移民した人が多かった為のようです。

生活の為にブラジルに渡った子孫が、生活の為に日本に戻ってる・・・・・・・、ややっこしい歴史の背景があったのです。

駅前の一等地にある“ブラジルスーパー”「TAKARA」


スーパーの壁にはブラジルの航空会社が宣伝看板を掲げ。


駅から少し離れた線路際には「BANCO DO BRASIL」。


ブラジル銀行群馬支店茨城出張所です。群馬県はもっとブラジル人比率が高いのでしょう。


水海道は“ブラジルで活性化する”、そんな予感がしてきました。

それにしても、皆さん何処で働いているのでしょうか? そんな大きな工場がこの辺りに有るのでしょうか?


“水海道”に“ブラジル”が“関係”しているとは、今回はじめて知りました。


水海道、まだまだ続きます。


それでは、また明日。


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