歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

姫路旅行の航空券・ホテルの予約をしました! 航空券のネット予約は不安がいっぱい!

2024年10月20日 | 旅の話し

涼しくなったら、行くぞ ! 待ってろ姫路城! と考えていたのですが、その間、心は迷い続け、揺れ続けていたのです。

やっぱり ! 面倒くさい ! 家で寝っ転がってテレビを眺めていた方が?  いや、それではボケる !  いや面倒くさい! と、くさい! と ボケる! を行ったり来たりの日々。

そしてまた、世の中は、衆議院選挙の真っ最中、そして、また、姫路は、なんと、あの兵庫県で、あの県知事で、知事選挙の真っ最中。

兎に角、これでは暫く、姫路界隈は騒がしいので、選挙が落ち着くまで、様子見を決め込むことにしました。

ところが、しかし、昨日の昼、突然、"行くぞ待ってろ姫路姫路城"のスイッチが入り、航空券とホテルの予約を決行したのでした。

ホテルは以前もネット予約はしていたので問題なかったのですが、航空券のネット予約は初めて、新たな挑戦です、不安です、緊張します、ボケ対策です。

ネットでの予約とは、如何なるシステム ?  ネット空間だけの予約って、いったいどうなっているの ? とても、とても、不安を抱きつつ、画面を見つめ、キーボードを叩いたのです。

それで、画面の指示に従い、日付とか、時間とか、名前とか、住所とか、いろいろ入力して、支払いの段階となり、クレカの番号を入力したら、カード会社から購入は否承認と表示されたのです。

画面には、カード会社の安全規定に引っ掛かったのかも知れません。カード会社にお問い合わせ下さいとの注記。

高齢者がネットを使っての航空券予約は、何か怪しいとして撥ねられたのか?

問い合わせも面倒と云うか、問い合わせ窓口の営業時間は17時までとあり、カード決済は止めました。もう一つの選択肢、コンビニ決済に変更。

そして、本日、近所のローソンに出向いたのです。どんな機械で、どんな事をするのか、それなりに不安を抱きつつ入店。

先ずは店員の若い女性に、航空券の支払いを告げると、"ナンタラカンタラの機械"に案内され、支払い番号?と電話番号を入力、すると、機械の下からレシート状の紙が出てき、それを持ってレジに行きます。

料金を払うと、"インターネット受付払込受領証" が発行されたのです。

ここで、初めて、昭和世代の高齢者としては、ネットの仮想空間? から、誰が、何と云おうと、現実に、確実に、確認できる、紙に記された確かな証書を手に入れたのでした。これで安心。

受領証には、住所、氏名、電話番号、申し込み番号、搭乗日時、予約番号、便名、時間等が記されています。

これで、現実に、確かに、間違いなく、予約が確定したのです。

ホントに、ホントに、紙に書かれた証拠を手に入れて、やっと、やっと、安心したのです。当日、この紙を持っていけば、飛行機に乗れるのです。

これで、今後の空の旅は、これで不安なく行けそうです。

本日は、これで、お終い。

それでは、また。

 

 

 

 

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ボケ防止に! 何処か遠くへ! 旅に出よう! 行くぞ! 待ってろ! 姫路城!

2024年09月27日 | 旅の話し

何処か遠くへ旅に出たい!と、思ったりするのですが・・・・・。

しかし、しかし、近頃、歳の所為と、猛暑の所為で、なかなか行動には至らないのです。

無いものは無い、有るものは何でも有る、YouTubeを見るだけで満足してしまうのです。

徒歩の旅、自転車、車、車中泊、バス、鉄道、船、飛行機の旅、日本国中、世界中、ありとあらゆるチャンネルで溢れています。

それらを、ボンヤリと日がな一日眺めているだけで、それなりに楽しく、それなりに行った気になり、そこそこ満足してしまうのです。因みに、70インチの画面は、それなりに臨場感があり、行った気になるのです。

実際、ホテルを予約したり、切符を買ったり、車の運転とか、とても、面倒くさく成りつつ、なのです。これが、歳を重ねた後期高齢者目前の現実。

車と云えば、後期高齢者と云えば、先日、”認知機能検査・高齢者講習"のお知らせ”が届いたのです。文面に "ハガキが届いたら、直ぐに、検査・講習の予約をせよ!" とあり、直ぐに教習所に電話し予約をとりました。10月8日で8時30分で料金は9千円でした。

認知機能検査については、YouTubeにいろいろあり、ちょこっと試したのですが、かなり難しそうです。しっかり、がっちり、YouTubeで事前訓練をやって臨もうと思っております。

認知機能と云えば、毎日、毎日、同じことを繰り返し、緊張感の無い、刺激の無い、感動の無い、日常を送っていると、認知機能は低下へ向かって一直線だそうです。

そこで、そこで、猛暑も収まりつつある今日この頃、日がな一日ボンヤリ生活から飛び出し、旅に出る、固い決意を固めつつ、なのです。

先ずは、旅の計画です。考えるだけで、検索するだけで、かなりの認知機能の対策にはなりそうです。そして、そして、ブログに公開することで、退路を断つのです。←大げさ

車は運転が面倒、電車は切符を買ったり、乗り換えたりが面倒、ここは、やはり、久しぶりの、空の旅をメインに計画します。

空の旅と云えば、飛行機に最後に乗ったのは、今から・・・、指折り数えて・・・、20数年前、仕事で富山出張の帰りに乗ったのが最後だったかと・・・。確か、ジャンボの2階席で、進行方向左側の窓際の席でした。何か、段々、記憶が蘇ってきました。

そうだ! いつだったか、 何処かの地方空港で、今は亡き、淡谷のり子さんに出会った事がありました。空港の貴賓室から"お付き"の女性に手を取られ、ロングドレスで、ゆっくり、ゆっくり歩く、とても小さなご老人でした。

ついでに、思い出しました。いつだったか、出張からの帰路、羽田でタラップを降り、空港ビルに向かうバスの中で、最後尾席に"おヒョイさん"こと、"藤村 俊二" さんが一人でポツンと座っていたのを発見。

因みに、仕事中に、突然、ヒョイと姿を消すので、おヒョイと云われるようになったようです。調べて見たら、2017年に心不全で82歳で亡くなられていました。

淡谷のり子さんは、1999年に92歳で亡くなられました。因みに、酒は一滴も飲めなかった父の、たたっ一つの持ち歌が彼女の曲『別れのブルース』でした。この曲は昭和12年発売で、100万枚を超える大ヒットだったようです。

最近の記憶は危ないのですが、過去の記憶は辿っていくと、いろいろ芋ずる式に蘇ってきます。

ついでに、初めて飛行機に乗ったのは、20代の後半、忘れもしない、あのボーイング727でした。機内は狭く、座席は通路の両側2席。珍しくて、羽田から山形、あっという間の飛行でした。狭いぶん空を飛んでる感がありました。

思えば、飛行機に乗ったのは、これまで全てが仕事での利用、私用で利用したことは一度も有りません。旅行で行ったグアムも、香港も、費用は会社もちの社員旅行で、一万円の御小遣い付き、懐かしきバブルの時代。

バブルと云えば、あの頃、銀行から家のローンを返済中なのに、ローンで車を買わないかと、行員が会社まで訪問営業をしてくる時代でした。

話を戻します。今度、神戸に行くとしたら、初めての、自腹、私用、私的フライト。

話が逸れました。

空の旅と云えば、我が茨城の、茨城空港からの出発となります。茨城空港は駐車場が無料。我が家からは、たぶん、1時間ぐらいだったと思います。

茨城空港を飛び立ち、向かうは神戸空港、そして、そして、以前より、行ってみたいと思っていた、世界遺産の姫路城を目指します。

下の写真は、出張で行った時の写真。⇓が姫路城です。多分、30数年前のだったような気がします。この時は、姫路城を遠くから眺めるだけでした。それにしても、出張の写真は珍しいです。誰が撮ってくれたのか記憶はありません。

40代で、顔も、身体も、パンパンに膨らんでいました。毎日、毎晩、居酒屋通いに明け暮れていた頃です。

茨城空港は、スカイマークの神戸便が一日3便あります。

一便を考えています。10月25日までは、7時35分発で、神戸着8時50分。飛行時間は1時間15分。10月27日からは、8時35分発となるようです。

神戸空港に着いたら、ポートライナーでJR三ノ宮駅へ約18分。三ノ宮駅から姫路へ40分。10時ごろには姫路城に到着。

お城と好古園の見学は2~3時間、これだけだと、半日程度でお終い。他に、何か、10月末までに、神社仏閣、古刹名刹の類をこれから調べたいと。

兎に角、行くぞ! 待ってろ! 姫路城! なのです。

はい、それでは、また。

 

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足利市 ⑤ 東映プラザ劇場で "まちづくり事業" を考えたりして !

2023年12月19日 | 旅の話し

前回の続きで、最終回です。

"空き地と蔦"の雪輪町を後にして、隣町の井草町に足を踏み入れました。

こちら井草町も、空き地と蔦の町で、そこかしこの空き地には、こんなプレートがぶら下がっていました。

"足利市まちづくり事業用地"として、建設部市街地整備課がいろいろ取り組んでいるようです。

市のHPを見ると、

『現在、市では旧国道50号線と県道飛駒足利線の交差点を「中心市街地の顔」ととらえ、約2,840平米の敷地を整備する予定・・・市としては、この対象地を『まちづくり用地』として、

○賑わいの創出 ○地域活動の活性化 ○観光機能の充実 ○歴史や文化の継承 ○地域資源の活用など 中心市街地の活性化に向けた活用を検討しています』 

アイデアの募集は、今年の10月2日から始めて、12月25日17時00分で締め切りだそうです。

まあ、賑わいが、地域活動が、観光機能が、歴史や文化が、地域資源が、等々の問題は、昨日今日始まった訳でもなく、募集期間の20数日で、すばらしいアイデアを期待するのは、とても、とても、無理な気がします。

まあ、わたしとしては、お金のかからない策として、今の状況を逆手に取って、賑わいは無く、空き地はいくらでも有る、現状を売りにするのも、一つの手だと、思ったりしています。

はい、余計なお世話でした。

はい、駐車場の奥に見えますのが、それなりに有名な元映画館。

ペンキが剥落、変色しています、じっと目を凝らしてみると、劇場通りの文字が見えてきます。

それなりの構えで、それなりの規模で、なかなかの映画館です。

足利東映・プラザ劇場です。

有楽館と云う映画館を改装して、1977年頃に開館し、1999年頃に閉館したようです。東映ヤクザ映画の全盛期に開館し、90年代のヤクザ映画の衰退と共に、閉館を迎えたようです。

閉館後、飲み屋が数件入っていたようです。映画が廃れ、飲み屋が廃れ、今は、廃屋同然?

1990年に始まった、海部自民党政権時代、大蔵省による不動産向けの融資を規制したことで、土地バブルは崩壊し、日本経済はデフレに突入。

そんな世の中で、ヤクザ映画の、博徒映画の、徒花が咲いたのでした。

そもそも、戦後の高度経済成長も、"徒花"だったのかも?

時の政権の政策判断で、地域の産業は衰退し、映画産業にも、映画館にも、その影響は及ぶのでした。

しかし、この側壁を這い上がり、覆いつくす蔦の生命力は素晴らしい。

しかし、この足利東映・プラザ劇場は、いまでは、この廃屋感のある、その佇まい、それは、それで、それなりの観光資源だと思います。

2018年、綾瀬はるか・坂口健太郎主演で公開された、映画監督を夢見る『今夜、ロマンス劇場で』のロケ地となったようです。ほとんど、いや、残念ながら、まったく記憶にない作品です。

兎に角、足利市、賑わいは無く、しかし、空き地は、蔦は、廃屋は、そこかしこに、いくらでも有る、これこそが、これからの売りになるような、そんな気がする今日この頃。

本日は、よそ者が、無責任に御託を並べてしまいました。

 

それでは、また。

 

 

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足利市 ④ 雪輪町は蔦と空き地と昭和レトロのロケ地で! 真っ赤なドアと!変色した防犯看板!でした!

2023年12月12日 | 旅の話し

前回の続きです。

織姫神社を後にして、雪輪町に向かいます。

ここで、訂正とお詫びです。

以前、  

足利市は足利学校だけ ! と思っていたら鑁阿寺(バンナジ)と云うお寺もありました ! - 歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・ (goo.ne.jp)

このページで、雪輪町について、

『・・・神社仏閣以外に、街歩きとして面白そうな雪輪町と云う一画が、鑁阿寺の西側にあるのです。これは、YouTubeで見たのです。

面白そうな、と、云うのは、以前、遊郭として栄え、今でも、それなりに、当時の面影を残す一画です』

と、書きましたが、後で調べてみたら、遊郭とか、花街とか、三業地とか、ましてや赤線地帯とか、そういう類の町ではなかったのです。いわゆる"歓楽街"と云ったところのようです。

まあ、遊郭とか、花街とか、三業地とかは、それなりの"都会"でなければ成立しないのです。

それでは、雪輪町に足を踏み入れます。

こちら、蔦の絡まる廃屋でしょうか?

空き地が、そこかしこに、現れます。

こちらのスナック、店を閉じたような、そんな気がする入口に並ぶ鉢植え。

こちらの看板、ありし日の歓楽街の賑わいを、唯一伝えています。錆に、ペンキの剥落に、変色状態に、しばし、佇み、見つめ、時の移ろいに、去っていた賑わいに、想いを馳せたり、廻らしたり・・・・・・。

奥に見える、栃木名産の大谷石で造られた蔵です。昔は、のこぎり屋根の大谷石造りの繊維工場が、市内のそこかしこに見られたそうです。

こちらの工場風 ? の建物、とても昭和の匂いを感じます。

空き地の中央に、真っ赤なドア。かなり、かなり、非現実空間を創り出しています。

ドラえもんの"どこでもドア"にも見えますし、何か、不条理劇の舞台のセットにも見えます。

これって、何かの、映画か、ドラマの撮影に使われ、関係者の悪戯心で、ここに残された ? そんな気がする真っ赤なドア。

足利市内は東京にもそれなりに近いし、昭和レトロの街並みが、寂れ感が、ひとつの魅力として、映画やテレビドラマのロケ地として、けっこう、それなりに使われているそうです

手摺がとても・・・・。

空き地と、蔦と、昭和な建物と、路地を伝って歩いたのですが、歓楽街のありし日の名残を感じたのは、赤さび、剥落し、変色した防犯看板だけでした。

でも、まあ、それなりに、レトロ感は、それなりに楽しめました。

でも、しかし、昭和生まれとしては、やっぱり、昭和を、未だ、古き良きものとして、懐かしみ、愛好する対象としては、とても近すぎるのです。

明治、大正、昭和、平成、令和、並べて見つめると、やっぱり、昭和はそれなりに昔なのか?

世の中的には、昭和生れの時代は、そろそろ終わりに近い ?

 

それでは、また。

 

 

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足利市 ③ 織姫神社で織物組合でトリコットで日米繊維交渉でドルショックで衰退の歴史

2023年12月04日 | 旅の話し

前回の続きです。

鑁阿寺を後にして、回り道をして、織姫神社に向かっています。

"まちなかマップ" では、かなり強調されて描かれています、実際はそれほどでもなく、まあ、 " 三角形の2辺の和、他の一辺より長い" と云う事で、それなりに遠回り。

"茂木 敏充"さんです。栃木県第5区(足利市・栃木市・佐野市)選出で、衆議院議員で、自民党栃木県県連会長で、平成研(茂木派)会長で 自民党幹事長で、次期日本国総理大臣候補です。

地元では、もう、こんなポスターが貼られています。

"頭は良い(東大経済)が性格が悪い"と麻生太郎に、"おちょくられて居る"のを見た記憶が・・・。性格は顔に出る? ポスターの顔には、それなりの配慮が・・・。

兎に角、次期首相候補の中で、国民からの人気はまったくありませんが、現在は主流派で、派閥力学的には、次期首相に一番近いと、その筋では、囁かれているそうです。

麻生派も、岸田派も、茂木派も、元は宏池会から派生。宏池会は、大蔵省事務次官から首相(1960年~1964年)に就任した"池田勇人"が創設した、自称? 保守本流の派閥。

官僚国家の日本で、官僚中の官僚の現財務省が、背後に控えてこその保守本流で、緊縮財政と増税が命。茂木首相が誕生すれば、消費税は15~20%に上がります。消費税創設時の目標税率は25%だったようです。 

それにしても、自民党各派閥の、パー券収入キックバックの、収支報告書不記載問題は、どう展開するのか?   

安部派を、自民党を、政界を、揺るがす大問題に ! との見解も一部にあるようですが、私としては、大山鳴動して鼠一匹に終わる予感 ?

 

話が逸れました。

はい、足利市役所前を通過します。

織姫神社に到着。

神社は山の中腹。

階段が連続します。

裏は直ぐ山ですから、出没しそうです。でも、しかし、今話題の熊ではないので少しは安心。

こちらが本殿。七五三詣りの、姉ちゃんと、弟ちゃん。

可愛いので、後ろ姿もパチリ。おめでとうございます。

神社からは市内が一望できます。赤い矢印の先が今夜泊まるホテルのルートイン。

本殿にお詣りして、階段を下る途中で、左手方向に小さな広場があり、胸像が3体見えたので、何だ ? 何だと ? 脇道に逸れました。

こんな石碑が、表題に "足利トリコットの歴史" と刻まれています。

"トリコット"とは "経編み" とありますが、何て読むのと調べたら「たてあみ」だそうです。知りませんでした。メリヤスとか、ジャージーとか、伸び縮みする生地のようです。

戦後は、国策で積極的にトリコットを生産、その後は、「日米繊維交渉」・「ドルショック」・「円高」で輸出は途絶え、国内需要も消えて、足利の繊維産業は衰退。

国策に、時代の流れに、翻弄された"足利の悲しい歴史"が刻まれていました。

衰退前の発展期に、業界に貢献したお三方の胸像。

労働集約型の繊維産業が、発展したのも、衰退したのも時代の流れ、夢を見るのは一度限り・・・。時代は少子高齢化で、人口減少で、労働集約型の産業は歴史の彼方に。

「新たなる展開に向けて鋭意努力中」とは、大量生産ではなく、高付加価値製品の、多品種少量生産とか、生地も、アパレルも、販売もの方向でしょうかね?  まあ、門外漢のド素人が、そんな事を考えても、余計な御世話でした。

 

はい、織姫神社を後にして、次は、雪輪町をウロキョロします。

 

それでは、また。

 

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足利市 ① 足利学校は復原か? 復元か? 日本最古って!いつ創立や?日本遺産第一号って!2号はどこや?

2023年11月24日 | 旅の話し

前回の続きです。

市営の無料駐車場から”日本最古の学校”を目指します。

しかし、”目指す”と云うほどの距離ではありませんでした。駐車場から通りに出ると、道路の反対側の右斜め前に、目指す足利学校が見えました。歩道橋を渡ります。

雲一つ、イヤ、二つ、三つ・・・・ありますが、空が青いなァ~~。絶好の観光日和で~~す!

それにしても、駅からの距離が近いです。”史跡”は、特に地方都市では、昔は、煙を吐き出し、大きな音を立て走る鉄道は、市街地から遠ざけられて敷設されたものです。

それで、このJR足利駅ですが、私、高崎線と思っていたのですが、ちょっこと調べて見たら、両毛線でした。”両毛”は聞いたような、聞かないような名称です。

両毛線とは、栃木県小山市の”小山駅”から、群馬県前橋市の”新前橋駅”間を結ぶ鉄道だそうです。両毛とは、栃木県南西部から群馬県南東部を跨る広域地域を”両毛”と呼ぶそうです。

路線距離は84.4㎞、19駅、開業は1884年(明治17年)。それで、実は、新前橋駅を始発・終着とする列車はなく、新前橋より、上越線に乗り入れ高崎駅まで運行しているので、旅客案内上は、小山駅から高崎駅間を両毛線としているそうです。←私の高崎線との勘違いはこれが原因。

因みに、高崎線とは、大宮駅から高崎駅間を結ぶ路線だそうです。でも、いまは、東京駅や上野駅からも高崎線が、相互乗り入れで出ているので、起点が何処か分からなくなります。それにしても最近は、あっち、こっちで、相互乗り入れが流行っています。

話を足利学校に戻します。

こちらが足利学校のほぼ全景。周囲は堀と土塁で囲まれて、一見、”城塞”のような構え。元は武家屋敷だったのか?

日本で " 最古の学校"で、”日本遺産第一号”だそうです。

それで、最古と云われると、当然、いつ?誰が?との疑問が生じます。ところが、これが難しく、諸説入り乱れているそうなのです。

奈良時代の国学の遺制説とか、平安時代の小野篁説とか、鎌倉時代の足利義兼説とか、いろいろあるのです。奈良、平安はあり得ないと思います。

私としては、「学問に関心を寄せて居た北条実時が鎌倉時代の1253年に金沢文庫をつくり、実時の子の顕時、孫の貞顕も学問を好み、文庫を中心に活動していた。足利学校は、この時代に足利氏が一族の学問所として、下野国足利に創立」説を支持したいと考えます。

戦闘集団の武士が政治権力を貴族階級から奪取し、政治支配の必要から、学問に関心を持ち始めたのです。

創立は明確ではないのですが、再興については、諸説はなく、明確に、上杉憲実により1439年との記録があるそうです。

1439年頃と云えば、その28年後に応仁の乱、そして、戦国時代に突入するのです。

次に、”日本遺産第一号”についてです。そもそも、日本遺産は、世界遺産の日本版で、まあ、観光で?集客で?商売繁盛で?・・・、何て本音が、チラチラ見え隠れする制度。

この第一号なのですが、この表現は、かなり誤解を与えかねないと思います。

調べて見たら、日本遺産には幾つかの分野があり、その中のひとつ『近世教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源』の分野で、2015年4月24日に第一回目の発表が文化庁からあったそうです。

それで、そのとき、水戸市の弘道館等とか、岡山県備前市の”何とか等”とか、大分県日田市の”何とか等”とか、同時に四か所が認定されたそうです。

第一号は、教育遺産群としては四か所、その他の分野を入れると、第一号は数十か所から数百か所あるようです。

と云う事で、第一号と云う表現は、適切ではないと考えます。また、認定されるには都道府県が文化庁に申請するのですが、すでに世界遺産に認定されている、有名どころは、当然、日本遺産の申請はしていません。

まあ、兎に角、足利学校です。

イチョウの葉がまぶしいです。ここで入場料を400円だったか、420円だったか払いました。

校門。

こんな案内板。

こちら書院。

書院前のお庭。

学校とは云っても、いまのような校舎的なものは無いようです。

こちらは学生寮。

こんな説明板があります。

足利学校は、まあ、こんなところです。

建築物が、お庭が、特に、どうこう、と云う訳でもないようです。すべては、平成2年の復原なのです。

因みに、案内板にある「(宝暦年間の姿に復原)とありますが、文化財に関しての「ふくげん」ですが、

改造された建物を元の姿に戻す事を『復原』と云い、

失われた消えた建物を、元の姿に戻すことを『復元』と、云うそうです。

それで、それで、学校内の案内板には「復原」の表記で、足利市のホームページには「復元」の表記。この違いは重大です。

兎に角、足利に!日本最古の!教育機関があった!そのことが売りなのでした。

兎に角、栃木県の足利市に来ました。足利学校を見学しました。

と、云う事でした。

次は、鑁阿寺と、織姫神社と、雪輪町を見学です。

 

それでは、また。

 

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足利は思ったよりも近かった!そして道中は桂子ちゃんのポスターばかり!喜四郎先生は?後継者は? 

2023年11月18日 | 旅の話し

14日の朝、8時少し前に家を出て足利に向かいました。

この日は、十数年前に、何かの ? ポイントが貯まって、タダで貰った定価1万円ほどのカーナビ(これまでそこそこ役に立っていました)を頼りに、一般道を伝っての足利行きです。所要時間は約3時間の予定。

もしかして、もしかして、出勤時間帯で渋滞が ? との予想が的中。水海道市街(現在は常総市)の手前から、街中を抜けるまで渋滞に巻き込まれ、30数分 ? のロス。

常総市からは354号線で、坂東市を通過し、境町を通過し、古河市を通過。この辺りまでは、それなりに見覚えのある町。この先からは、まったくのカーナビにお任せとなります。

坂東市を通過中から、道路際には衆議院議員で現在は文科大臣の"永岡桂子"のポスターが、いつまでも、いつまでも、付いてくるのでした。彼女の選挙区は、常総市と坂東市あたりだと思っていたのです。

どこまで続くのこのポスターは ? と、思いつつ横眼で眺めていたのでした。今調べてみたら、彼女の茨城7区は 、古河市、結城市、下妻市、常総市、坂東市、結城郡、猿島郡が選挙区だと判明。茨城7区の隣は、もう栃木県なのでした。

茨城7区は、かの有名な"選挙の神様 中村喜四郎"の選挙区。14回連続当選の彼が、前回、小選挙区で永岡桂子に負けたのです。旦那の急死で、急遽後継候補となり、小選挙区では喜四郎先生に負け続けて、前回初めて勝利した桂子さんは目出度く初入閣。

因みに、小沢一郎先生もこの時の選挙で、初めて小選挙区で敗北し比例で復活。 一郎も、喜四郎も、田中角栄を政界の師と仰いだ二人。何か、時代とか、因縁とか、感じたりして・・・。 

自民党を離党し、汚職事件での逮捕後は、保守系無所属。そして、前回は立憲民主党からの立候補でした。保守的な茨城では、自民党の看板、保守の看板は、絶対なのです。自民党・保守の看板があっての選挙の神様だったのです。比例での復活でした。私より1歳年上です。

因みに、10数年前、坂東市のそば屋で、隣のボックス席に、黒く日焼けした人相の悪い男を発見し、何処かで見たようなと思っていたら、中村喜四郎先生でした。

それにしても、喜四郎先生のポスターも、後継候補のポスターも、立憲民主党のポスターも、1枚も見かけませんでした。次回の選挙は、息子の勇太を立てるような噂を耳にしたのですが、後継候補問題は揉めているの ?

因みに、"喜四郎"という名前ですが、父の後を継いで政治家になるときに、父の名を継いで喜四郎(出生時は伸)を襲名 ?したそうです。母は参議院議員で、息子は現在県会議員。

茨城県では、日本では、政治一家と云うか、家業が政治家と云うか、世襲制議員と云うか、こういう二世・三世が、いまや自民党では幅を利かせているのです。”とてつもなく無能”な岸田君も二世だったか、三世だったか。

立憲がだめなら、後継者を自民党から、何てことは無理筋だし、立憲民主党は、立憲民主党で、”ニタニタ兄ちゃん”の泉健太執行部体制で、もう、ほとんど、断末魔状態。

あっ!話が逸れてしまった。

それで、古河を過ぎたあたりからは、カーナビは当てにせず、道路案内板を頼りに足利を目指しました。

実は、古河から舘林へ向かう辺りから、354号線の新しいバイパスらしき広い道路を外れ、狭い旧道らしき道路への、案内表示、音声案内が繰り返され、それに従い走行していました。

舘林の市内を抜けて50号線を走ります。到着までの距離数は10㎞を切ったのですが、道路案内板に”足利”の文字は現れません。

まだか、まだかと案内板が現れる度に眼を凝らしていたのです。しかし、突然、予告もなく、足利市内表示が現れたのです。 これって、 遠くから、足利を目指して訪れるような酔狂な人が居ないので、こんなことになってるの?

まあ、兎に角、渡良瀬川を越えて市の中心部に向かい、駅前を通過し、ルートイン(通り1丁目交差点の左下の角辺り)の建物を左前方に見て交差点を右折し、市営の無料駐車場(善徳寺の下Pマーク)を目指したのですが、案内表示を見落として、鑁阿寺をぐるっと一周して駐車場に11時半過ぎに到着。

思っていたより早く着いてしまいました。途中、ホームセンターでトイレを借り、お礼に缶コーヒー買い、10分ほど休憩して、所要時間は3時間半弱。水海道での朝の通勤渋滞がなければ2時間半。足利は近かった。

それなりに満車を心配していたのですが、駐車場は空いていました。途中で買った缶コーヒーを飲みつつ一休みして、駐車場の係員に足利学校の方向を確認して、いよいよ、足利学校に向かいます。

この先は次回とします。

それでは、また。

 

 

 

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足利市は足利学校だけ ! と思っていたら鑁阿寺(バンナジ)と云うお寺もありました !

2023年11月07日 | 旅の話し

新潟へ行ったのが、先月の23・24日でした。

それからというもの、近所を歩いていると、いつも眼にする風景が、何故か、少し、違って見えるのでした。

よその土地から訪れた観光客ような感覚で眺めているのです。

以前、鎌倉を訪れ後、近所を歩くと、鎌倉的風景を探して、ここは鎌倉、ここも鎌倉と、呟きつつ歩いていた記憶があります。

少しの旅でも、知らない町を歩くと、それなりに楽しく、日常と異なる感覚が、しばらくは刺激されるようです。

♪知らない町を歩いてみたい !  ♪どこか遠くへ行きたい ! 

と、云う事で、また何処か行きたくなりました。

以前より、それとなく、なんとなく、行ってみたいと思っていた、"足利市"が頭に浮かんだのです。あの "足利学校"で有名なところです。 人口は14万人ほどで栃木県で第四位だそうです。

私のお目当ては、やはり足利学校です。失礼ながら足利市には、足利学校の他には、これと云った観光資源は無いと思っていました。

足利学校の創設は、何と、何と、平安時代の初期 ? もしくは鎌倉時代 ? と、あまりはっきりしないようです。

平安時代初期は、歴史分類上は "古代"となります。何故に? そんな昔に、都から遠く離れた関東の、そのまた外れの地に、そんな高等教育機関が創設されたのか ? とても、とても不思議なのです。創設者も不明だそうです。

学問の機関ですから、創設者、創設年、創設理由等など、文字による記録が残して然るべき、残さなかったのには、何かそれなりの理由があった ?

まあ、兎に角、足利市の足利学校へ行ってみたいと思うのでした。

それで、数日前に、ホテルの予約を入れたのですが、やはり、日、月、火、あたりは僅かに空き室があり、それ以外は満室でした。14日の火曜日の予約をとりました。

今回の宿は、"ルートイン"にしました。前回の新潟では"東横イン"でしたが、決め手は"大浴場"です。やっぱり偶には大きなお風呂に入りたいのです。

それで、大きなお風呂、お風呂と、考えていたら、大きなお風呂とくれば、そこは、それ、やっぱり"温泉"となります。

そうだ ! 温泉 ! 温泉 ! となり探してみました。

足利の近くには、かの有名な日光があります、そして、その奥には、かの有名な"奥日光湯元温泉"があるのです。足利から日光へは、下道で83.7㌔で2時間48分、高速で1時間48分です。

これはもう、足利で一泊、湯元で温泉に浸かって、のんびり一泊なんて考え、湯元の旅館を検索したら、何処を探しても空きはまったくゼロ。何と何と、どこもかしこも年内は予約で埋まっていたのです。

考えてみたら、世の中は、紅葉シーズだったのです。そして、そして、日光はインバウンドで、大盛況のようで、オーバーツーリズムの一歩手前 ? 

兎に角、最近のYouTubeで海外観光客の声を聞くと、皆さんが口にするのが、日本は食事も、宿泊も、何から、何まで、とても、とても、安い ! と、答えるのです。これって、円安です、完全に、日本が安売りされているのです。

海外観光客の誘致政策の成果ではなく、単なる、円安効果です。アベノミックスの成果で~す。

話が、逸れてしまいました。

兎に角、温泉の大浴場でのんびり計画は、別の機会に、と、諦めました。

それでは、足利一本勝負で、よっくり楽しもうと調べてみました。

足利学校以外の見どころとしては、先ずは、鑁阿寺(バンナジ)です。そんなお寺があったとは、今回初めて知りました。

ネットで調べてみたら、

『鑁阿寺は、鎌倉時代、建久七年(1197年)に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山。山号は金剛山。本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来を祀る。

敷地は約4万平米、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。またこの事から「史跡足利氏宅跡」として、大正10年3月に、国の史跡に指定されており、現在では「日本の名城百選」にもなっている。

寺院としては、鎌倉時代初期、1196年(建久7年)源姓足利氏2代目の足利義兼(よしかね)が発心得度し、邸宅内に持仏堂を建てたのが始まりとされる。義兼死後、その子義氏が建立した本堂は、1229年に落雷により、焼失したが、足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修した。日本としては禅宗様式への転換期の最初期にあたる。

鑁阿寺は正式にはvana寺で、バンナ寺でもよく、鑁や阿という漢字の発音を梵語(サンスクリット)に代って当てはめたに過ぎない。したがって鑁や阿に漢字的、日本語的意味が含まれているのではない。単なる当て字である。すなわちバンナとは大日如来のこと、よって、パンナ寺は、すなわち"大日寺"のことである』

と、云う事で、これは、これは、意外に、足利学校と比べても、それなりの歴史的施設で、訪れ、参拝する価値が、それなりにありそうです。

他に、お寺や神社が数か所ありますが、事前に調べすぎるのも、何なんで、ここまでにして、現地に行ってのお楽しみとします。

それと、神社仏閣以外に、街歩きとして面白そうな雪輪町と云う一画が、鑁阿寺の西側にあるのです。これは、YouTubeで見たのです。

面白そうな、と、云うのは、以前、遊郭として栄え、今でも、それなりに、当時の面影を残す一画です。ここをウロチョロして、侘しさ、寂しさ、" わび・さび " の世界に浸って来ようと思います。

我が家から足利までは、下道で2時間57分、88.2㎞。高速で1時間49分、116.8㎞。どちらで行くか迷っています。

早く来い来い14日。

それでは、また。

 

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新潟はやっぱり遠かった! 磐越道は対面通行とトンネルの道 !

2023年10月25日 | 旅の話し

新潟へ、無事、行って来ました、無事、帰って来ました。

73歳のくるま旅、うん、やっぱり・・・新潟は遠かったかも ?

23日月曜の朝、いつものように5時に起床して、食事をして、50分ほど近所を歩いて、トイレに行って、歯を磨いて、7時30分に家を出発。

常磐道は日立辺りまでは、週明けの月曜日で、そこそこの通行量でした。しかし、混んでいる、と、云うほどでもなく、空いているほどでもない、そんな感じでした。

日立を過ぎて、しばらくするとトンネル区間が"いわき"辺りまで続きます。トンネル区間は、それなりに疲れます。

"いわき"から磐越道に入ると、郡山まで、片側一車線の対面交通区間が続き、二車線になるのは、所々にある"追い越し区間"の数キロ程度。

そして、そして、郡山から先は、"一車線対面"に加えて、トンネルが出現し始めます。

そして、そして、会津若松を過ぎると、ほぼトンネルの連続区間となります。一車線対面で、トンネルは疲れます。

まあ、それでも、時間はたっぷりあるので、1時間ほど走る毎に10数分の休憩。お昼は磐梯山サービスエリアでハムカツサンド・トマトジュースで30分ほどのランチ休憩。

新潟到着直前は、新潟中央料金所の手前のPAで30分ほど時間調整の休憩。料金所を通過したのが、15時31分(利用証明書から)でした。

これからホテル迄はカーナビが頼りです。前回来たときは、料金所の先で右折して萬代橋を渡ったコースでした。

今回は、料金所を出て直進するコースを辿ってホテルにはチェックイン5分前に到着し、車を立体駐車場に入れ、チェックインし、部屋で5時まで休憩。

彼とはホテル前で5時に待ち合わせでしたが、ロビーで外を見ていると、後ろから現れたのです。彼はこのホテルの会員だそうで、今夜は宿泊すると告げられました。

時間は5時、先ずは1軒目で1時間ほど飲み、閑散とした古町界隈の飲食街をぶらぶらと歩き、萬代橋を渡り、橋のたもと近くの"新潟日報社"の展望台の階まで上り、"エレベーターホール"より夜景を眺めました。展望ホールは公開時間を過ぎていたのです。

前回、2012年の時には、新潟日報のビルの辺りは、工事用の壁で囲われた空き地でした。辺りは高層マンション、高層事務所ビルが立ち並び、まさに大都会? この辺りは"万代シティ"と云う繁華街。

古町界隈は、お年寄り界隈となり寂れ、万代シティ界隈は若者界隈となり賑わい、新潟市の繁華街の中心は、世代交代が進んでいるようです。

少子高齢化で年寄りが増えても、年寄りが連れ立って街を歩き、買い物に、飲食にと、活発な消費行動で、経済を活性化する、何て、ことは、有りませんからね。せいぜい、近所を徘徊する行動ぐらい?

2軒目は、狭い路地にある小さな居酒屋。カウンターが6席程度で、女将に歳を聞いたら77歳とのこと。こういう寂れ感、うらぶれ感、演歌の世界、いいです。

焼酎を飲み、小腹が空いたので、女将特製の焼きそばを食べ、一息入れて、彼の行きつけのスナックに向かいます。

スナックは居酒屋から10数メートルの通りに面したビルの2階。ドアーを押して店に入ると、6~7席程度カウンターにボックス席が2つ。

カウンターには先客が2名。カウンターの中には女性が1名。店内の内装は、まさにと云うか、よくあると云うか、典型的なスナックの雰囲気。しばらくして、ママが出勤してきました。

スナックで、女性が居て、飲むのは、もしかして、10数年ぶり、だと思います。夜のお店の女性は綺麗で、若く見えます。何たって、照明は暗いし、酔ってますからね。

それで、若い女性(70歳を過ぎた老人には、40代、50代は若いのです)と、飲んだり、歌ったり、話したりは、とても、とても、とても、よい時間でした。

私も、10数年ぶりにデュエットしたり、一人で歌ったり、楽しい時間を過ごしました。8時を少し回った時間に入店したのですが、あっと言う間に時計の針は0時を回っていました。

これは、ひとえに、女性の客あしらいが上手なこと、そして、そして、飲んだお酒が旨かったからだと思います。

この日、初めて、話には聞いていた、見ていた、サントリーの"山崎"を飲んだのでした。

最初は水割りで一杯でしたが、もったいないのでストレートで飲みました。香りと云い、味と云い、えっ ! こんなに旨いの !  ホントにホントに、驚きと、感動でした←ちょっと大げさ。

兎に角、スナック " ま た 来 い ね " いい気分で店を後にし、5分ほど歩いてホテルに到着。

翌朝は、朝食を済ませ、7時30分にホテルを後にしました。

帰りは休憩3回で無事、家に着いたのが2時少し過ぎでした。

とんぼ返りでしたが、いい旅でした。

サカイさん、お見上げの焼酎までいただき、ありがとう御座いました。

 

それでは、また。

 

 

 

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新潟 へは常磐道・磐越道で ! のんびり 行くことに決定 ! 

2023年10月21日 | 旅の話し

前回、「新潟へは常磐線から磐越東線と磐越西線を辿ってのんびりと! 」と書きましたが、調べてみたら、私の予想をはるかに超えて、とんでもないことになっていました。

"のんびり"を通り越していたのです。

わたしの予想では、朝8時頃に出発して、新潟には遅くとも夕方の5~6時には到着と考えていました。

時刻表を数十年ぶり買い求め、ページを捲り調べてみたのです。

最寄りの常磐線竜ケ崎駅を7時49分に出発。

常磐線は仙台までと思っていたら、途切れ途切れで、乗り換え無しで郡山には辿り着けない事が判明しました。

と、云うことで水戸駅着が9時01分。乗車時間は1時間12分・距離69.8㎞ここで乗り換え。

水戸駅発が9時09分で待ち時間は8分で、それなりに考えているダイヤだと思いました。

いわき駅到着は10時48分。乗車時間は1時間39分・距離94.1㎞

次の郡山行は? と調べてみたら、何と、何と、13時27分発で待ち時間は2時間31分。私にとっては考えられないダイヤ。この時間帯を利用する乗客がいないようです。

いわき発13時27分で、郡山駅着は15時37分。乗車時間は2時間10分・距離85.6㎞

郡山から会津若松へは磐越東線になります。次の会津若松駅行は、16時15分発で、待ち時間は38分で、それなりに考えられています。

郡山駅発16時15分で、会津若松駅着は17時21分。乗車時間は1時間6分・距離64.6㎞

会津若松から新津へは磐越西線になります。次の新津行は、18時35分で待ち時間は1時間14分。かなり待ちます。

会津若松駅発18時35分で、新津駅到着は21時28分。何と、乗車時間は2時間57分・距離数は111㎞。もっと近いと思っていました。

最終目的地の新潟行は、21時51分で待ち時間は23分待

新津駅発21時51分で、新潟駅到着は22時11分。乗車時間は20分・距離15.2㎞

因みに、新津から新潟は信越線でした。

常磐線、磐越東線、磐越西線、信越線と、乗り継いでの鉄道旅。

総乗車時間 9時間24分    総待ち時間 4時間54分     総距離数 440.3㎞

と、云うことで、総所要時間は、14時間54分となり、のんびり鉄道旅は断念しました。

ここは、やはり、車でのんびり旅と決定。因みに、我が家の玄関から、常磐道・磐越道で、宿泊先のホテル迄、Door to Doorwで、368.5kmで、所要時間は4時間54分。

新幹線ですと上野から新潟までは約2時間。上野駅に行くまでが約1時間で、駅まで行く時間に、待ち時間、乗り換え時間、切符を買う時間に、ウロチョロする時間を加えると、ほぼ4時間の所要時間。

やはり、のんびりと車で高速が正解のようです。

宿は2012年に泊まった"東横INN"を予約しました。

それでは、サカイさん。

来週、23日の月曜日、ホテルで5時にお会いしましょう。

よろしく。

 

 

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