先日、“つくばエクスプレス”の“みらい平駅”近くの「立浪部屋」に行って来ました。
みらい平駅はホームが地下になっています。秋葉原に向かって、みらい平駅を発車して直ぐ地上に出ます。ですから、当然、つくばに向かっては、みらい平駅の直前で電車は地面より下の溝に入るのです。
と、云う事は、この付近は周囲よりも出っ張っている分けです。ですから、みらい平の駅名の“平”は、平らな土地ではなく、“平らな台地”を意味しています。それに“つくばみらい市”の“みらい”を組み合わせたのです。
それと、何ですが、「みらい平」は駅名だけで、付近に「みらい平」と云う地名は御座いません。
つまらない講釈をたれてしまいました。それで、立浪部屋ですが、駅舎に沿ってこの道をずっと真っ直ぐ行きます。
そして、この駐車場の先を右折して、
左側の5階建てのマンションの先を左折すると、
黒と灰色の2階建ての建物が見えます“立浪部屋”です。
郵便受けと、、インターホンと、監視カメラがセットになった装置?に、立浪部屋と表札が掲げられています。隣には、親方の本名が書かれた装置?も設置されています。自宅も兼ねているようです。
玄関には立派な看板?がありました。ガレージには高級外車が2台並んでいます。
建物の反対側、外周道路に面した側から、稽古場を覗いてみようと思います。
手前の二階建てが、親方の自宅兼、弟子達の部屋で、奥の黒い平屋が稽古場のようです。
こんな感じになります。
稽古場の窓の上にも立浪部屋の看板が掛かっています。
大きなガラス張りの窓から、稽古土俵が見えるように造られています。これは、なかなかいいですよ。光線の関係でうまく撮れませんでしたが、真冬でなければ、窓を開け放して稽古をする筈です。
躰の激しくぶつかる音、張り手の音、投げ飛ばす音、激しい息づかい、親方の叱責、指導の声、いろいろな、声、音が響き、外にも緊張が伝わってきそうです。
これは、絶対に、一度と云わず、二度三度、稽古の見学に来なければ、そう思ったのでした。
ドデカイ!力士の、パンツやシャツが干してありましたが、先ほどから、まったく人の気配はありません。みんな、初場所が終わり、休暇で故郷に帰っているのでしうか?
初場所後が、お相撲さんのお正月だと聞いたことがあります。一年で一番長い休暇だそうです。でも、一週間ぐらい? とすると、24日が千秋楽でしたから、もう直ぐお終い?
そんな、こんなを考えつつ、自販機で買ったコーヒーを飲みつつ、あたりの景色を眺めたりしていたのです。
あたりは、こんな感じと、
こんな感じで、歩道を歩く人影も、車道を走る車影もない、静かな、トテモ静かな環境です。
駅からは、歩いて5分、走って3分ほどです。
それにしても、貴の花親方は、どうなるのでしょうか?
それにしても、もう朝青龍は終わりでしょうか?
千代大海が引退、魁皇もたぶん来場所が最後? 残る大関の、琴光喜も、琴欧州も、日馬富士も、上を狙えるどころか、大関の地位を守るだけで精一杯。
こんな状態では、大相撲は、かなり、あぶないかも・・・・・・。ホント! 最近の相撲はつまらん!
愚痴がこぼれてしまいました。
そうでした。立浪部屋の話でした。実は、前からブログを読んでいる方はご存じでしょうが、私と立浪部屋には、他ならぬ関係があるのでした。
昭和20年代から30年代の初期、立浪部屋には、“七つ海”という幕内力士がいたのです。その「七つ海」が、幕内力士の頃に我が家に来た事があるのです。また、その弟は、我が家で一緒に生活したことがあるのです。
詳しいことは、東京は立石の、“ちゃんこ七つ海”に飲みに行った話に書いてあります。
それにしても、立浪部屋の筆頭は、幕内のモンゴル出身、“猛虎浪”ですから・・・・・・、ここも外国人力士なのです。幕下にもモンゴル出身“大鷹浪”が居るのです。
立浪部屋は、幕内1人、幕下3人、序二段5人の9人の力士がいます。そして、スゴイ事に、“立行司”の、あの“木村庄之助さん”が居るのです。
まぁ、兎に角、理事選挙では、皆さん頑張って下さい。何を?と聞かれても困るのですが、このままでは、間違いなく、大相撲は衰退します。それだけは確かです。
大相撲が衰退すると、私としては、年6回の12週間の楽しみが無くなるのです。とても困るのです。
ここは、ひとつ、立浪部屋の“ファンクラブ”に入会して、大相撲界の衰退に歯止め掛けるとするか・・・・・・。それにしても、ホームページに入会金とか、年会費とか書いて無いんだよなァ。
電話で聞くのも、チョット、何だし、たぶん、5千から1万円の間位かな・・・・・・・。
何だか、だら、だら、書き続けてしまいました。ここらで、終わります。
それでは、また来週。
企業献金も、団体献金も、個人献金も、金額の上限を撤廃しましょう。
お母さんから、何十億円、何百億円もらってもいいことにしましょう。建設会社から、何億円、何十億円もらってもいいことにしましょう。
国民は、献金を受け取った政治家が、その献金を何に使ったかを監視しましょう。政治家が、献金した企業だけに、特別の便宜をはかった時は、選挙で落選させましょう。
それにしても、便宜を受ける特定企業は、いつも、いつも、土木建設関係ばかりなのでしょうか? これは、「公共事業」の受注に、政治家が介入できる、仕組みがあるからでしょう?
競争入札をしても、業者が事前に談合して、金額や受注企業の割り当てを調整したり、そんな風土が政治家の介入を招くのでしょう。
この際です。談合を、“密室”ではなく、正々堂々、“公開”で行えるように法律を改正すべきです。
談合は悪ではなく“密室談合”が悪なのです。
密室談合が政治家の介入を招くのです。
“談合”は、すべて悪として、“国民に刷り込んだ”のは、何処かの、誰かの、何らかの、思惑があるような?
みんなで、これまでの受注状況とか、経営事情とか、云ったり聞いたりして、話し合い、調整して、受注企業を決定しましょう。
公共事業は、景気対策でもあり、所得の再配分でもあり、福祉事業でもあり、いろいろな側面があるので、“落札価格が下がれば納税者の利益”とは、単純にはならないのです。
それにしても、西松建設と小沢さんです。それにしても、特捜はかなり執拗に小沢氏を攻め立てています。単なる正義感ではありません。
特捜は“民主党の政策方針”を裁こうとしているのです。西松建設からの裏金など問題にしていないのです。
民主党の“司法制度改革”に危機感を抱いているのです。小沢、鳩山、二人を指導部から引きずり下ろし、議員辞職を狙っているのです。
鳩山さんも、小沢さんも、政治資金の虚偽記載ですが、私の周囲では、鳩山さんはいい人で、小沢さんは、見てのとおり“悪人面で傲慢”で、悪人と思っています。
このイメージの差で、鳩山は上申書で放免、小沢は逮捕だと、そう決めているようです。これで、参議院選挙は民主党の敗北、そして、政界再編、そして司法改革は阻止できると・・・・・・。
残る、菅、岡田では、とても、司法制度改革、省庁再編、クロスオーナーシップの禁止など、とても、とても、と思っているのでしょう。
わたしとしては、鳩山氏も、小沢氏も、政治的には、終わりに近づいたと思います。次の菅さんに、期待したいのですが、またも、地検特捜の手が伸びることも・・・・・・。
でも、しかし、菅さんまで、特捜が狙ったら、今度こそ、これは、絶対に、変!だと、国民世論は“特捜の暴走”だと、そうなる事を期待するのです。
それにしても、辺野古問題は5月迄に方針決定が出来るのでしょうか? 5月になったら、アメリカの強行姿勢で交渉が決裂し、鳩山総理の首を差し出し、自民党政権の決定どうり、辺野古移設で決着。
こうなると、国民感情としては、鳩山さん可哀想、アメリカが憎たらしいとなり、日米感情は戦後最大の危機へと・・・・・・。そして、中国への接近。米軍基地の国内からの完全撤去。
こういう方向へ、国民世論は、傾き、流れていくのです。ですから、日米関係の全体を考えれば、たかが米軍の、たかが海兵隊の、たかが小さな基地の事で、ここまで、突っ張る事はお止めなさい、と、云いたいのです。
でも、ここで、交渉決裂、鳩山辞任の事態がおこれば、逆に、日米関係を再考するキッカケだけではなく、日本の大きな方針を議論するキッカケにも、危機をチャンスに変えることが・・・・・・。
失敗すれば、それは、かなり危険な事に・・・・・・。でも、ダラダラ、これまでどおりやるよりは、それは、それで・・・・・・。将来的には、どちらに転んでも、いいのかも知れない、そんな、ような、気がしています。
今日、何故か、大所高所からの、マジな話になってしまった。
それでは、また明日。
南千住の駅前も、ずいぶんと、歩いてないし・・・・・・。
いまごろ、あの居酒屋は、どうなっているのか・・・・・・。
そう云えば、浅草の、この小道具屋さん、先日、テレビにでていたっけ。
浅草と云えば、隅田川。川沿いを橋を眺めながらブラブラしてみたい。
隅田川と云えば、両国で、大相撲。2人とも居なくなりました。
隅田川の河口近くの、芭蕉さん。
ここの眺めも、とてもいい。
知らない下町を、ひとり、ただ、何となく、プチ放浪気分で、ぶらぶらと歩く、すこし寂しくて、とても素敵な気分に・・・・・・。
早稲田近辺も、あれから、しばらく歩いてないし・・・・・・。
面影橋で降りて、神田川沿いの桜を眺める、今年は、ふたりで歩いてみたい気分。ランチは椿山荘で何か美味しいものでも・・・・・・。
下町、都電、大判焼きが似合います。
そうだ、“中華そばおはる”で、五目そばを食べないと、以前、店の前を通りかかると、外で中年の女性が“ゆで卵”の殻を剥いていました、あの人が、もしかして“おはるさんかも?”
中華と云えば、深川の“豚玉らーめん”も一度食べないと。店名の“万豚記”の文字と豚の絵が、とても不思議な気分にさせるのです。
こういう下町を、たまには二人で歩くのも・・・・・・。
下町のガーデニングを眺めて歩くのもいいです。
東京の外れ、東京で一番寂しい駅。帰りはここから電車に乗って・・・・・・。
暖かくなったら東京歩こう。
それでは、また明日。
更新手続きは、いつも近所の警察署でやっております。これまでは、年末に手続きをしていたのですが、今回から、誕生日の前後1ヶ月の間は手続きが可能となった為、初めて、誕生日を過ぎてからの更新です。
警察署に入ると、人は疎らで、ざっと数えて20人ほどの待ち人、先ずは、一番窓口で受け付けです。中年の女性から「安全協会には入会しますか?」と聞かれ、「いいえ、入りません!」と、キッパリと告げます。これで、2000円の節約。
受付の女性から「それでは、更新手数料と講習料とで3250円頂きます」と告げられ、3千円を渡し、750円のお釣りと、紙袋に入った講習会のテキストを貰います。
名前が呼ばれるまで、お待ち下さいと云われ、周囲に貼ってあるポスターや展示品を暇つぶしに見ていると、2番窓口で名前が呼ばれ、視力検査、身体状況の自己申告書を記入し、それと、四桁の暗証番号を記入し提出。
2番窓口は20代の女性、1番窓口よりも、言葉使いも丁寧、表情もにこやかでとてもよろしいです。
視力検査、自己申告書を提出すると、笑顔で「次は写真撮影になります。呼ばれるまで、あちらでお待ち下さい」と、写真撮影室の方向を手で指します。
撮影室前のイスに腰掛け待っていると、2~3分して名前が呼ばれました。さっきの2番窓口の女性が今度はカメラマンです。「はィ、中央のレンズを見ていて下さい。ハィ、撮ります! はィ、撮れました。これは、先ほどの暗証番号です、大事に保管して下さい」と云って、免許証サイズの紙切れを渡されたのです。
紙切れには、「暗証番号1」と「暗証番号2」と2段に、かなり大きめな4桁の数字と、本籍と、発行日と、発行番号が書かれていました。
「名前が呼ばれるまで、お待ち下さい」と云われ、講習テキストをぶら下げ、ブラブラ彷徨いていると、「優良講習」の時間割が眼に入り、見ると、次は10時15分とあり、今は10時5分なので、10分待ちです。
受付カウンター前の、イスと云うか、ベンチと云うか、先ほどより、20人ほどが講習待ちなのです。コレまでは、年末に更新していたので、いつも5~60人が講習待ちをしていたのですが、今回はとても閑散。
それにしても、免許証の更新に来ると、いつも思うのですが、どこまでが安全協会で、どこまでが警察なの? と思うのです。一番窓口には「安全協会」と書かれているのです。
免許証の更新は“公安委員会”が発行?で、事務を警察に委託? 警察は安全協会に委託なの? 何か、このへんの関係がいまいち判りづらいのです。
昔は私も安全協会に加入していたのです。昔は更新手続きの際の、申請書類が面倒だったり、写真が必要だたりして、そのへんの事務を安全協会が代行してくれていたのです。
でも、いまでは、特に、申請書類も写真も要らないので、事務代行の安全協会も要らないのです。でも、田舎の人達は、お付き合いと云うか、世間的にチョットと思うのか、かなり加入しているようです。
私の前の50代のオバサンは加入していましたし、私の後の20代のオニイさんも加入していました。短時間の調査?でしたが、3人に2人は加入しているようです?
それで、10時15分が近づき、1番窓口とは別の中年女性がカウンターから出てきて、「それでは、優良講習を行います。名前の呼ばれた方は、2階の講習室へ云って下さい」と告げ、私は2番目に名前が呼ばれ、直ぐに講習室に向かい、最前列に着席して開始を待ったのです。
最初に呼ばれた若い女性と、私の後から呼ばれた若くない女性が、50席ほどの講習室で、互いに距離を置いて着席。2~3分ほど待っていると、講習係りの30代半ばの女性が開始を宣言。優良講習はたった3人だったのです。
30分ほどのビデオを眺め、数分のお話を聞いて講習は終了。一階に戻ると、来たときに居た20人ほどの講習待ちが、未だ座って待っているのです。彼らは、“非優良運転者”なのでしょう。
“非優良”は、長~く待たされ、優良よりも長~い講習を、恐い“おじさん講師”から受けるのでしょう。
次は、5年後です。
それでは、また明日。
鉄塔交差点
交差点で、鋼索が、交錯しています。
鉄塔十段20本
かなり、頑張って、踏ん張っています。
鉄塔、谷和原、岩井線でした。
本日は、土日がちょっと忙しかった為、かるいネタでした。
それでは、また明日。
今日で、下山事件はお終いです。
自殺説で書かれた佐藤一氏の“「下山事件」謀略論の歴史”を読んで、他殺説から自殺説に傾いたのですが、自殺説に傾くと、下山事件に対する興味は半減するのです。
自殺説に傾くと、他殺説の主張の根拠をもひとつ、ひとつ、潰していく作業に感心が向いていくのです。他殺説潰しも、やり始めると、結構、これは、これで、面白いのかも知れません。
それで、何ですが、自殺説の決定的な証拠となった、轢断現場付近を下山総裁がウロツキ歩いたとする目撃証言の数々と、なかでも決定的なのが、下山総裁が休憩した「末広旅館の女将」の証言です。
他殺説としては、ウロツキ歩いていたのは「替え玉」だとしています。目撃証言は警察の誘導質問と証言の改竄と主張し、特に、「旅館の女将」の亭主は、元特高警察官であり、謀略の一端を担っていたと主張しているのです。
でも、しかし、下山総裁の死が謀略であるならば、何故、自殺と見せかける工作をしたのか、わざわざそんな面倒なことをする必要はない筈です。
自殺、他殺、両方を匂わせ、曖昧なまま、謎を残し事件を終結することが、謀略側にとってで、どんな利益を生むのか、この点こそ、曖昧なのです。
他殺説あっての自殺説、自殺説あっての他殺説、お互いに、それなりに、同じ思いで、相互補間関係では、と思ったりすもるのです。
謀略説の方達の本は、確かに面白く、謎が、謎を産み、とどまることなく、何処までも広がっていくのです。歴史の真実を追究することより、謎を解く過程を楽しんでいる傾向が見られるのです。
また、他殺説を主張する方達には、暗黙の了解を感じるのです。兎に角、複雑怪奇な歴史的謀略事件の謎解きを、謎のまま、いつまでも楽しみ続けること。自殺説に有利な証拠にはなるべく、関わらないこと、近づかないこと、無視すること、そのように感じるのです。
矢田喜美雄の「謀殺 下山事件」(1973年)にも、そんな傾向を感じます。彼は、リアルタイムで事件を経験し、実質的に捜査にも参加された方ですから、当初は、それなりに、真実を追求されたのでしょう。
しかし、歳月の流れとともに、真実を追求するよりも、謎を解く過程を楽しんでいるように思えるのです。彼は、当初より他殺説でしたが、犯行主体が、当初の「左翼勢力」から、途中で「占領軍情報機関説」に変わりました。
「占領軍キャノン機関説」を追いかけるうちに、段々と、謎解きが、謎を呼び、その過程を楽しんでいる傾向に変化していったように感じるのです。
謀殺説を一冊の本にまとめたのが1973年です。事件が起きたのが1949年ですから、24年後、四半世紀の時の流れを経ている分けです。事件当時の緊張感も生々しさも消え、遠い過去の、想い出となり、物語となっていった、そんな気がします。
最近の、“下山事件平成三部作” 諸永祐司の「葬られた夏-追跡下山事件」、森達也の「シモヤマケース」、柴田哲孝の「下山事件最後の証言」は、事件後に生まれた世代が、「矢田喜美雄」の説をほぼそのまま引き継いでいます。
事件当時の、緊張感も、生々しさも、無縁な方達ですから、彼らの著作は、明らかに、大衆娯楽読み物になっています。たぶん、これが、“下山本”の最後だと思うのです。
もう、見たとか、聞いたとか、手伝ったとか、指示したとか、俺がやったとか、そんな生証人も、そろそろ、ほとんど、いなくなりました。
それにしても、佐藤一氏の“「下山事件」謀略論の歴史”は、読まなければヨカッタと後悔しているます。老後の楽しみを一つ無くしたようで、勿体ないことをしてしまって、、とても残念な気が・・・・・・・。
兎に角、死後轢断で、他殺説で、謀略説で、占領軍説で、キャノン機関犯行説の方々は、一度、佐藤一氏の“「下山事件」謀略論の歴史”をお手にとって下さい。
それでは、また、来週。
昨日は、訪問者が「358IP」 閲覧数が「894PV」で、暫くぶりの「350越え」でした。でも、しかし、そのなかで「下山事件」の閲覧数は「30弱」で、あまり人気はないようです。
それでも、続けて下山事件の話なのです。
確かに、一連の流れから結果として誰に利益があったと考えると、当時の占領軍の犯行では?と、思いたくなるのが普通です。
それに、その直後から発生した、三鷹事件、松川事件では、犯人として国鉄の組合員、共産党員が逮捕され、その後、最高裁で無罪が確定し、謀略であった事が証明されたのですから、最初の下山事件も、左翼勢力に対する謀略と考えても、無理はないのです。
下山、三鷹、松川、で、犯人が検挙されなかったのは、下山事件だけなのですが、何故、下山事件だけが、犯人を検挙のないままで、事件から半年も経たぬ12月31日に、警視庁の捜査本部が解散されたのか?
三鷹、松川は、それなりに準備され、計画された謀略事件であったが、計画が実施される直前に、国鉄総裁の鉄道自殺があり、急遽、左翼勢力の犯行説を流し、事後に謀略に利用したのでは? と考えられるのです。
突然の事故を利用した事後謀略ですから、左翼勢力を犯人としてデッチ上げる準備が無かったので、誰も逮捕することはなかった?
その後に、三鷹、松川の計画された謀略で、左翼勢力を犯人として検挙し、世論から左翼勢力を引き離し、衰退させることに成功した事で、もともと計画された謀略ではない、単なる“自殺”なので利用価値がなくなった段階で捜査本部は解散?
それでも、自殺か、他殺か、敢えて結論を出さず、それなりに反左翼キャンペーンとして利用し続けた。それと、当時の他殺説=左翼勢力説です。
自殺説としては、下山総裁の死の前日の行動で、先客がいる警視庁総監の部屋に入って、首切りの辛さを話したり、突然、面識のない法務長官の部屋に入って、電話を借りかけ始めたり、国鉄の公安局長室で、他人に出したアイスクリームを食べたり、精神的に正常ではない事実を指摘しているのです。
自殺説の佐藤氏は、下山総裁が「鉄道病院」で、“神経衰弱”と診断され睡眠薬が処方されている事実を指摘し、初老性の鬱病を患っていたとして、それを“自殺の根拠”にしているのです。
死の前日の異常行動は、首切り通告に対する組合側の反応を想定しての、単なる不安と動揺の現れなのか? それとも、鬱病で、かなり精神を病んでいたのか?
このあたりは、かなり微妙で、わたしとしては、死の前日だけで、それまで特にその様な兆候があったとの証言は無いので、それほど精神を病んでいたとも思えないのです。
自殺説では、占領軍から“首切り合理化”の早期断行を迫られ、組合からは激しく反対され、大規模なストライキが計画され、この狭間で、悩み苦しみ、精神を病み、そして、自ら命を絶ったととされているのです。
遺体の状況から、わたしとしては、他殺説よりも自殺説なのですが、自殺の原因が、いまいちなのです、人間はある時、ある状況で、糸がプッンと切れるように、命を自ら絶つ事はあり得ますけど・・・・・・。
それでも、鉄道技術者で叩き上げで、鉄道に愛着を抱き、単なる官僚ではなかったと云われる下山氏が、鉄道自殺をはかったのか? 別の手段があったのでは、と考えるのです。
それと、自殺した場所ですが、何故、常磐線の北千住と綾瀬の間で飛び込んだのか、自殺する人間が場所を選ぶ時、それなりに、その土地との何らかの繋がりがあると思うのですが、そのへんは、どうも、ハッキリしないのです。
自殺説は、遺体の状況からは優位にあるのですが、死を選んだ動機、死を決行した場所と方法に、説得力の不足を感じてしまうのです。
今日は、こんな処で、お終いです。
それでは、また明日。
“「下山事件」謀略論の歴史”を読み、他殺説から自殺説に傾きつつ、書いているのですが、謀略説は話として面白く、いろいろと楽しめるのですが、自殺説は“身も蓋も”無く、“そうだったの!”で終わってしまうのです。
謀略論は面白く、タネが尽きないのです。すべての事象は、その人の、立場、考え方で、いろいろに解釈できます。自殺説は謀略説の論拠を一つ一つ潰して行く作業なので、あまり想像的ではないのです。
自殺説は、どうしても、他殺説の反論として存在しているところに、いまいちなのです。確かに、下山総裁が、人員整理で苦悩し、そして、線路に飛び込んで死んだ。ただそれだけの事実ですから・・・・・・、読み物として、物語が無いのです。
ですから、謀略論は、それなりに歓迎されるのです。諸永祐司の「葬られた夏ー追跡・下山事件」(2002年)とか、森達也の「下山事件-シモヤマ・ケース」(2004年)とか、柴田哲孝「下山事件 最後の証言」(2005年)とか、今でも出版されるのです。
3冊とも読みましたが、確かに、読み物として、物語として、面白いのです。この3冊は、3人が週刊誌の連載で一緒に仕事をして、後に、3人が別々に出版したのですが、新しい事実は、あまりありません。
あの時期の政治情勢を考えれば、確かに国鉄総裁の死は、占領軍に有利に作用し、左翼勢力が衰退するキッカケになった事は歴史的事実です。
1949年の1月の総選挙で共産党が35議席を獲得、7月5日に下山事件が、そして10日後に三鷹事件が、1ヶ月後の8月17日に松川事件が、翌年の6月6日に日本共産党が非合法化、6月25日に朝鮮戦争が勃発。
この流れを考えると、個々の事件が、偶然、バラバラに発生したとは、とても思えない、誰か、筋書きを書いた奴が居ると、思うのが普通です。
すべては「朝鮮戦争」に向かっての体制作りだったと、そう考えても、そう無理の無いことです。松本清張の占領軍謀略説は、朝鮮戦争は、南から北へ侵攻が開戦のキッカケとの立場で書かれていたのです。
しかし、現在では、朝鮮戦争は“北から南へ”の侵攻が、開戦のキッカケだった事は、歴史的な事実として定着しているのです。朝鮮戦争の初期の南の敗走を考えれば、準備万端の開戦でなかった事を証明しています。
それと、佐藤一氏が、左翼勢力の衰退は日本共産党の責任と云っているのです。1950年にコミュンフォルムから日本共産党の弱腰批判を受け、指導部は混乱し、占領軍に丸腰で武装解放闘争を挑み自滅したと、そう主張しているのです。
途中、少し整理すると、
①遺体の状況は、生体轢断であった事が明らか・・・・・・最新の法医学からの結論
②朝鮮戦争は南からの侵攻・・・・・・歴史的事実
③左翼勢力の衰退は日本共産党の自滅が原因・・・・・・コミュンフォルム批判
こういう事実に対して、謀略説はあまり採り上げないのです。特に、謀略説は、当初、共産党に近い立場の人達が多く、共産党の指導方針の誤りには触れず、占領軍の弾圧に責任を転嫁する傾向があったのです。
私としても、「下山事件」が発生した時期は、確かに、日本の政治状況の転換点となった時期と、ピッタリ重なりますが、そうは見事に、誰かが、一連の筋書きを描いたとは、思えなくなりました。
今日は、ここでお終い。
それでは、また明日。
久ぶりの下山事件です。
前回は、去年の10月14日の「土浦脱線事故から“D51-651”で下山事件に!」以来です。10月の末に、自殺説の佐藤一氏の“「下山事件」謀略論の歴史”を読み、その後は、なんだか、他殺説、謀略説、占領軍犯行説に、興味を失っていたのです。
他殺説の根拠になったのは、東大法医学教室の「死後轢断判定」ですが、これが、かなり怪しくなってきたのです。これが怪しくなると、謀略説は根底から崩れさるのです。
事件当初より、東大の「死後轢断・他殺説」と、慶応の「生体轢断・自殺説」が争われ、実際に解剖した東大説が主流だったのです。死後轢断→他殺→謀略→占領軍の犯行説。
占領軍謀略説は、事件から10年ほど経った、60年安保闘争に前後して、松本清張氏が発表したのですが、時代の風潮からして、この説の方が受け入れ易かったのです。それ以降、ずっと謀略説が主流です。
“「下山事件」謀略論の歴史”の中で、北海道大学教授の錫谷徹氏の「死の法医学-下山事件再考」を採り上げ、錫谷徹氏の、死体の内臓破損、外部の裂傷状況などから、「立った状態」で、機関車の正面から衝突したとの見解を紹介し、立った状態→生体轢断→自殺説を補強しているのです。
「死の法医学-下山事件再考」は、1983年に書かれたもので、法医学もそれなりに進歩しているので、生体轢断は間違いないと断言しているのです。読んでいて、私も、何となく、そんな気がしてきたのでした。
錫谷徹氏には政治的な背景も利害関係も有り得ないと思いますし、純粋に法医学的な立場での見解ですから、これは、かなり信用できると思うのです。
「他殺説・謀略・占領軍説」での疑問は、殺害後に何故、総裁に似た男を現場付近を歩かせ、多くの人に目撃させたのか? 自殺工作の目的は? 他殺説の方達は、このへんどう説明していたんだっけ?
本日は、思いつくままに、いろいろ、脈略なく書いております。兎に角、とっかかりです。
それで、他殺説では下山総裁の殺害動機として、
①占領当初の軍国主義・国粋主義を一掃するために、民主主義勢力を育成した結果、左翼革命勢力の拡大を助長してしまった事。
②中国、北朝鮮での共産主義政権の樹立など、国際共産主義の拡大に対して、日本を反共の砦として位置づけ、左翼勢力の拡大を阻止する政策に変更した時期であった事。
③当時、10万人の首切りで労使対立が頂点に達し、大規模なストライキが計画されていた時期の国鉄の総裁を殺害すれば、国民は、国鉄労働組合内部の左翼勢力の犯行との印象を抱き、労働組合、そして国民から左翼勢力を切り離し、孤立させ、衰退させることが可能。
④朝鮮戦争の準備として、日本国内の兵站部門としての国鉄から左翼勢力を排除し、戦争物資輸送の安定を確保する。
結果として、総裁が殺害された事で、国鉄は首切り反対闘争は挫折し、組合の抵抗も無いままに、10万人の首切りが計画どうりに実施され、朝鮮戦争も勃発し、国内の左翼勢力は衰退した。
結果は、確かに、すべて占領軍に有利な方向に世の中の流れは変わったのでした。事件は誰にとって有利に働いたのか? と考えれば、答えは決まるのです。
それに対して、佐藤一氏は、でも、しかし、それは違う! と云っているのです。結果として左翼勢力の衰退は、日本共産党の指導方針の誤りで自滅したと云うのです。
それで、今日は、天気が良かったので、午前中は自転車で走りまわり、午後になってから書き始めたのと、問題が、問題ですので、とっかかりがナカナカで、時間もきたので、今日は、このへんで終わります。
それでは、また明日。
それにしても、“栗塚旭”ファンはかなり居られるようです。久ぶりにコメントが2件続けてあったりして、それなりに喜んでいるのです。
“小津の秋”は、とてもいい映画で、いろいろ想いをめぐらす事ができて、とてもヨカッタです。わたくしは、ホントは“藤村志保さん”のような女性は、あまり好きではないのです。痩せて骨っぽくて、鋭い眼差しで、“しっかりして”いて、可愛げなくて、“おっかない”のです。でも、女優としては、それなりに評価しております。
それで、“明子の沢口靖子さん”ですが、昨日、偶々、車の中でラジオを聞いていたら、近々、“三宅裕司”たちと、コントの劇場ライブをやるそうなのです。
彼女は、ど~も、あのCM“タンスにゴン”のキャラに近いようなのです。あのCMは大好きでした。もう少し“ふっくら”された方が良いと、そう私は思っております。
え~と、話が“小津の秋”の続きみたいになってしまいました、まあ、ホントに、7回にもわたり“想いをめぐらし”てしまいました。予定では、2~3回と思っていたのです。
しかし、外は寒いし、他に“ネタ”も無く、ついつい、引っ張るだけ、引っ張ってしまったのでした。それで、今週から、あの“下山事件”の話を再開しょうと思っていたのですが、いろいろ考えていると、なかなか、とっかかりが見つからず、思案しているところでです。
下山事件については、これまで17回書いていますが、私は“死後轢断説”で、“他殺説”で、“謀殺説”で、“占領軍の情報機関犯行説”なのでした。
ここで“でした”と過去形で書いたのは、何となく、すこしだけ、チョット待てよ? 何だか? と思い始めているからです。
以前に書きましたが、“自殺説”の第一人者“佐藤一氏”の最後の著書、“「下山事件」謀略論の歴史 彩流社2009年9月30日発行”を読んだ為です。
でも、他殺説から自殺説に変わった訳ではなく、いまだ揺れ動いている状態です。確かに、他殺説の方には、それなりに、いろいろと、推理を巡らし、興味津々で、事実よりも、主観的願望の余地が入り込み易い傾向はあると思います。
“「下山事件」謀略論の歴史”を読んでいくと、エッ、そうなの!? ホントかよ? 何で? の連続でした。
でも、この“佐藤さん”ですが、どうも、実証的な反論の姿勢は、それなりに評価出来るのですが、何故か、時々、感情的になり、とても“下品”な表現で謀殺説を攻撃するのです。この辺に、人間的に、チョットどうも? う~ん? なのです。
それにしても、下山事件は、それなりに整理し、解釈し、それなりの結論を出したいと思っていますので、もしかして、明日あたりから、何とか,とっかかりを見つけたいと思うのです。
それにしても、小沢幹事長ですが、遂に、地検特捜との全面戦争を決意したようです。地検特捜は小沢幹事長の逮捕か、議員辞職か、どちらかを狙っているようです。
小沢氏の議員辞職は絶対にないでしょうから、逮捕をした元秘書の石川知裕衆議院議員の自供から小沢氏逮捕になる可能性大だと思います。
それで、私としては、この際、傲慢で、小心で、金権で、悪相で、大嫌いの小沢氏を、敢えて擁護します。正義の味方面して、権力を行使する東京地検特捜の“暴走”は、民主主義の危機を招きます。
この件は、雑談では済まされないので、そのうち、しっかり、書きたいと思います。兎に角、この事件は、偶々、この時期に“発覚”したのではない、と、云う事です。
このまま行くと、官僚主導から、政治主導への転換は、かなり、難しい事になりそうです。
特捜に、上申書で勘弁して貰った鳩山サンでは、もう、ダメかもしれません。
それでは、また明日。