前回の続きです。
最終回は、スケート場のシーンから始まります。
前回のラストで、花屋の愛人だった千果と行介の刑務所仲間だった茂、それなりの仲となった二人から「アイススケート場」のチケットをプレゼントされたのでした。。
何故にスケート場でのデートなの?ドラマの展開にそれなりに必要な訳があるの?と思いつつ画面を見つめていたのです。
でも、しかし、ドラマの展開よりも、アイススケート場の存在が、とても気になって、気になって、ドラマ鑑賞はいったん中止。スケート場探しを始めたのでした。
それで、前回のシーンでチケットのアップが映し出されていたのを思い出し、何か手掛かりが?と思い録画を見直すと、チケットには、
『千住スケートスタジアム ~恋人たちのスケート場・ペアチケット~』
とあります。
それで、三ノ輪橋付近に、千住付近に、アイススケート場はあったけ?と調べて見たら、現在も、放送当時(2014年)も存在しませんでした。
たぶんこれは、東京スタジアムに併設されていたアイススケート場からの発想だと思います。でも、なんで、存在しないスケート場で、行介と冬子をデートさせようとしたのか?
東京スタジアムは1962年(昭和37年)に開場し、1972年(昭和47年)に閉鎖。大映オリオンズの本拠地でした。1977年に解体。
原作の池永 陽氏は1950年生まれで私と同い年。愛知県生まれで、現在は岐阜に在住。推測として、高校卒業後上京し、1972年以前、三ノ輪橋付近で暮らした経験があったのかも?知れません。
と、云う事で、スケート場を登場させたのは池永氏のノスタルジー?で、スケート場での、「甘くほろ苦いデート」の想い出があるのかも?
それで、私にも東京スタジアムの記憶があり、十数年前に東京スタジアムの痕跡が残る風景を探して、近所を歩いた記憶があります。
写真に撮った記憶があるのですが、記録はありませんでした。残念!古い写真を探したのですが、近所のコロッケパンの「青木屋」の写真しかありませんでした。
三ノ輪橋商店街から、北に直線で4~5百㍍の距離に東京スタジアムはありました。南千住野球場のあたりです。
南千住野球場の直ぐ上に、荒川工高の文字が見えます、都立荒川工業高校です。この文字を見て思い出すのです。
友達三人と合格発表を見に行った記憶があるのです。私が練馬工高で、もう1人が王子工高で、もう1人が荒川工高でした。王子工高を受験した1人だけが不合格でした。
それと、荒川工高へは常磐線の南千住駅で降りました。帰りに駅で食べた、生まれて初めての「駅の立ち食いソバ」が、美味しかった記憶があります。私の記憶は食べ物と繋がっているのです。
それと、アイススケートですが、私の初めてアイススケート経験は、池袋の「マンモススケートリンク」です。池袋の駅から、かなり離れた山手線沿いにありました。
夏は「マンモスプール」になります。プールの時も、スケートの時も、両方行った経験があります。たぶん、小学生で板橋区に住んでいた頃です。
中学生の頃には、何故か授業で十条のアイススケート場に行った記憶があります。スケート場は昔の方が多かったと思います。50有余年前はアイススケートが流行っていた?
本日は、ドラマと関係なく、私の思い出話に終始しました。歳をとると、これからよりも、これまでが長いので、昔の想い出を語りたくなるのです。
ドラマの話は次回とします。
それでは、また。