歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

"下山事件"について頂いた "コメント" に対しての回答

2024年02月26日 | 東京の風景

昨日、このようなコメントをいただきましたので、それなりに、回答いたします。

〈コメント〉

2008年頃の下山事件の記事を最近になり読ませて頂きました。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20221208-OYT1T50211/

近年このような記事があるのですが、15年も前に近い考察をされている管理人様のブログを偶然読み非常に驚きました。

今現在どのような推理推察をされているのか、もしよろしければまた下山事件についての投稿をお書き頂ければ嬉しく思います。

こちらの投稿とは無関係なコメント失礼致しました。

〈回答〉 

読売オンラインの記事、目を通しました。

これまで、いろいろ語られている話を、羅列し紹介する記事でした。

2008年頃の記事を読み、『今現在どのような推理推察をされているのか』とのご質問への回答ですが、

ブログの左側にある、カテゴリー欄の「下山事件」の20本の記事をお読みいただければ幸いです。最後の記事は、2015年10月です。

今更『下山事件』ですが?しかし!謀略は今でも軍事外交の手段として活躍中でびっくりぽんや! - 歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・ (goo.ne.jp)

内容的に最終記事は、2010年1月の記事が最終です。

下山事件謀略論はエンタメですか? - 歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・ (goo.ne.jp)

それでは、よろしく。

 

それにしても、コメント頂きありがとう御座いました。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足利市 ② 鑁阿寺 (ばんなじ) は "日本百名城" で境内ではシュウマイとソース焼きそばが販売されています

2023年11月29日 | 東京の風景

前回の続きです。

足利学校の見学を終えて、お次は鑁阿寺に向かいます。

大通りから鑁阿寺へと続く石畳の参道です。両側に建ち並ぶ、商店、民家、蔵、風情、趣、味わいがあり、なかなか結構。

出ました、在りました、足利と云えば、足利尊氏(1305年ー1358年) の銅像です。室町幕府の初代征夷大将軍(在位1338年ー1358年)

はい、山門が見えてきました。

なかなかの構え。

こちらもまさしく、堀と土塁で周囲を囲んだ武家屋敷、城塞です。東西南北に門ががあるようです。鑁阿寺は足利氏の屋敷が始まりのようです。

因みに、"日本百名城"に指定されているようです。"日本百名山"は知っていましたが、百名城は知りませんでした。

"名山の方"は、小説家・随筆家・登山家であった"深田久弥"の命名。

"名城の方"は「財団法人日本城郭協会」が2006年に定めたそうです。 選定委員には、NHKの"城番組"でお馴染みで、お城とくれば、この人"千田 嘉博"さんも名を連ねていました。

境内の大イチョウが、とても、とても立派でした。

国宝の本堂が、とても、とても、小さく感じてしまいます。

真言宗で、大本山で、金剛山鑁阿寺。

真言宗は一番宗派が多く、13宗派56派があるそうで、56派ですから大本山も56か所にあるの ? 何だか良くわかりません。

まあ、真言宗と云えば、弘法大師空海で、総本山として一番有名なのは、和歌山県の高野山にある、 金剛峰寺です。その他に、京都の醍醐寺とか、仁和寺とか、大覚寺とか、ぐらいですかね。鑁阿寺は知りませんでした。

境内を逍遙していると、こんな光景に出会いました。可愛いで~す!⒒月です、ママと二人で七五三参りです。三歳かな ? おめでとうございま~す!

境内にある茶屋、大日茶屋に入ります。"足利シュウマイ"と"ジャガイモ入りのソース焼きそば"の二品で勝負しています。シュウマイが足利名物で、じゃが焼きは栃木名物?

ダブル炭水化物の焼きそばは血糖値が爆上がりしますので、シュウマイを注文、180円だったような気がします。これで本日のランチとします。 

シュウマイを食べつつ、境内を見まわしつつ、思ったのです。どうも、このお寺、何となく、どことなく、現役ではないような? そんな雰囲気がするのです。  

境内には、この規模の神社仏閣には必ずある、おみくじを引く場所とか、お札を授ける場所とか、事務所とか、庫裏とか、庫裡とか、そんな施設が一切無く、線香の匂いも無く、僧侶の気配もなく、もしかして? お寺の"遺跡"なの? と、思ったりしたのでした。

※改めて写真を見直したら、本殿の左右に、おみくじ、お札、お守りはありました。

それにしても、このての寺院で、境内に茶屋は珍しいです。そして、そして、茶屋の名前が、なんと、なんと、"大日"茶屋です。

真言宗大日派で、総本山で、御本尊は大日如来で、その境内で、茶屋の名前が大日茶屋とは、ちょっと恐れ多いのでは? 寺側もよく許可したものだ、と、シュウマイを食べつつ思ったりしたのです。

それにしても、名物の"足利シュウマイ" ですが、ソースの味しかしませんでした。中身の具には、肉は無く、玉ねぎのみ、とのことですが、玉ねぎのシャキシャキ感ももなく、とても、とても、不思議な食べ物でした。

まあ、秋田県知事に見せたら、たぶん、"貧乏くさい!" の一言を頂く事と思います。"佐竹の殿様"は、とても正直な方なのです。 

超軽いランチを済ませ、鑁阿寺を後にします。

西門 ? より出て、次は、織姫神社を目指します。

本日は、この辺で終わります。

それでは、また。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浮世離れの ! 時代遅れの ! 藤島 ジュリー景子さん ! そして"大東亜共栄圏"

2023年09月13日 | 東京の風景

ジャニーズと云って思い出すのは、"あおい輝彦"と、後は・・・う~~ん、誰だっけ?  彼だけは最近まで? 役者で、あの"水戸黄門"で、"助さん"だったか? " 格さん"だったか? 

それにしてもです、驚いたのは、日本の芸能界のスキャンダルに、国連ですよ! 人権理事会の登場ですよ! 私としては、 まさか、まさかの展開でした。

何事も、外圧によって変わる、変えさせられる、我が日本。

良いのか? 悪いのか? これが、我が日本の伝統?

性加害問題で、特に被害者が未成年者だと、世界では? 欧米では? とても、とても、重大な犯罪として受け止められるようです。

グループ名が、知らない間に、いつの間にか、 社名になり、後期高齢者目前の老人にとって、時の流れを、移ろいを、感じる今日この頃。

世界を相手に商売をしている企業は、続々とジャニーズ事務所のタレントと手を切り始めたようです。下手こくと、世界中で不買運動の標的にされますからね。

それにしても、先日、この件での初めての社長会見。マスコミ各社は、それなりに評価したようです。現社長だった方は、加害者ジャニー喜多川の、姉の娘なんですね。やっぱり、それなりで ? ジャニー喜多川には子供はできなかった ?

それにしても、社長を退任した、藤島 ジュリー景子さん、その発言といい、佇まいといい、とても、とても、浮世離れした方とお見受けしました。

それにしても、あの記者会見は、被害者に対する謝罪会見と思っていたら、性加害問題で、事務所も、所属タレントも、苦しい立場にあるが、これからも、ファンの為に、頑張ります! なんて発言に終始。

さすが、世間知らずの、純粋培養の経営者とタレント、世の中の流れの、半歩、一歩前を行く商売なのに、半歩、一歩遅れています。そろそろジャニーズ事務所の時代は終わる?

それにしてもです、芸能界の性加害問題、海の向こうのハリウッドで、有名プロデューサーの性加害に対する告発から、世界中に"MeToo運動"が巻き起こりました。

少数者の、弱い立場の、虐げられてきた側の、反乱が、反撃が、世界中で始まった ?

世の中は、世界は、清く、正しく、美しい、方向に向かっているの ?

でも、しかし、敢えて、批判を覚悟して言います。これまでの芸能界は、マットウな社会とは無縁の、規律や規範からはみ出した、ヤクザな業界なのでした。

性加害の前には、反社会的勢力との関係が問題とされ、何人かの有名芸能人が、表舞台から消えていきました。

そもそも、です。書物を紐解けば、関係が問題と云うよりも、古来より、芸能とやくざは、切っても、切れない、"関係"ではなく、"一体"なのでした。

そして、なによりも、これまで、ジャニーズ喜多川の性加害事件は、その筋でも、素人筋でも、"さもありなん" と受け止められていた、と、思うのです。

時が、流れ、移ろい、何故か、芸能界にも、それなりに、社会規範を、一般道徳を、何故か、 求められるように変化したのです。これって"オウベイかぁ ?"←古い

まあ、そんな、こんなで、気候変動で温暖化? 灼熱化?で、脱炭素で、SDGsで、MeTooで、何てことが、欧米を中心に叫ばれている今日この頃。

そして、貧困格差の問題、欧米では移民難民問題と絡まって、それなりに大きな問題のようです。ついこの間もフランスで、旧植民地からの二世・三世による、暴動がありました。

移民難民問題は、アメリカでも、大統領選挙の争点の一つのようです。難民受け入れ問題はわが国でも、いろいろ問題なのです。

ここで、またしても、批判を覚悟で敢えて言います。

欧米と日本の、難民受け入れ政策の違いについて、批判される意見がありますが、歴史的背景の違いを、それなりに認識すべきだと、思ったりしています。

欧米は、宗主国として、過去の"つけ"を、いま、払う責任があります。

日本は、遅れてきた帝国主義の国として、大東亜共栄圏を叫び、アジア侵出を試みましたが、見事に撃沈。

明治憲法復活派の方からは、欧米を亜細亜から追い出す、解放戦争だと主張しますが、確かに、大東亜共栄圏構想には、そういう主張を前面に掲げていました。

しかし、しかし、ですよ、古今東西、云った事より、やった事、です。

五族(日・韓・満・蒙・漢 )協和の満州国です。実態は日本の傀儡政権でした。日本は、亜細亜の指導者との意識は、あの頃は、上から下まで、とても、とても、常識で、"行け!行け!ドン!ドン!"の時代でした。

確かに、あの時代、欧米諸国の帝国主義による、アジアの植民地化に対抗する国力は、日本にしかなかったのは事実です。

あれッ!、ジャニーズの話が、大東亜共栄圏の話に、ぶっ飛んでしまった。 

まあ、兎に角、アレも、コレも、時代の流れに、押し流され、押しつぶされ、もがき、苦しむ・・・、これが、世の常、人の常、なのかも・・・ね。

平和とは、戦争と戦争の狭間の、ひと時の平穏。なんて、こと、見たような、聞いたような ?

それでも、そんな時代の流れに抗い、流れを変える方が登場し、歴史に新たなページを開く、なんてことが、あったような、無かったような、そんな事とを、つらつら思う、今日この頃。

 

それでは、また。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンデミックとウクライナとルフィで歴史の大転換は静かに完成!

2023年02月10日 | 東京の風景

2月に入りました。

世の中は、マスコミは、テレビは、新聞は、週刊誌は、フィリピンで、ルフィで、詐欺で、強盗で大騒ぎです。

しかしです、防衛費と云うか、軍事費と云うべきか、1%から2%への倍増計画が、自民党岸田政権により閣議決定され、日本の国のかたちが変わろうとしています。

そして、それが、国民の関心もなく、反対の声もそれほどでなく、国会での議論も低調で、与党は余裕で、岸田政権後を巡っての、派閥抗争を繰り広げています。

パンデミックとウクライナ戦争のどさくさに紛れ、”フィリピンルフィ”騒ぎも味方して、戦後体制の大転換が完成されつつあります。

ホント!歴史が変わるって、こんなに簡単なんですね。

抑止力としての、敵基地攻撃能力を保持した後は、仮想敵国中国に対して、通常兵力では抑止力不足だァ!の声が上がり、間違いなく、核戦力の保持が具体的政治課題となる筈です。

専守防衛を放棄し、盾から矛で、先制攻撃も可能となり、集団自衛権も容認で、軍事費は世界第三位で、ふつうに戦争できる国の完成です。

自衛隊は今でも定員不足ですから、軍拡では兵器だけではなく、兵隊の増員も必要となってきます。これで、いよいよ徴兵制も視野に入ってきます。

最近は低賃金の為、海外へ移住する若い人達が、増えているそうです。しかし、徴兵逃れで、脱出を考える人達が現れたとしたら、当然、事前にそれなりの措置がとられます。まあ、世界中のどこの国に居ても、国籍を変えない限り徴兵されます。

それにしても、それにしても、軍事費の倍増、異次元の少子化対策、どれもこれも、それなりの増税で必要です。赤字国債と増税しかありません。

でも、しかし、30年余り経済成長していない我が日本、国にも、国民にも、そんな余裕があるとは思えません。

ホント、どうするのでしょうか?

まあ、私がそんな事を考えても詮無いことです。

それにしても、国会は会期中ですが、NHKの中継が無いと、会期中であることを忘れます。まあ、国会中継は見たことはありませんが、番組表では確認しています。

本日は、東京にも大雪警報が出ているようです。我が茨城の、我が居住地区では、朝の8時前後に多少小雪が舞った程度で、直ぐに小雨に変わりました。 

まあ、兎に角、そんな、こんなでした。

 

それでは、また。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧岩崎邸で沢田美喜のエリザベス・サンダーホームと秘密情報機関との関わりに思いを巡らす!

2019年03月29日 | 東京の風景

前回の続きです。

旧岩崎邸を見学中です。

岩崎邸ですが、昭和22年(1947年)財産税として屋敷を物納して、国有財産となっています。それにしても、都心の広大な土地です、財産税はもの凄い額です。

それで、この岩崎邸は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。”往時”は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたそうです。

現在の敷地は”往時”の3分の1だそうで、現存するのは 洋館・撞球(ビリヤード)室・和館の3棟だけとなっています。 

緑色が現在の敷地で、薄い線が往時の敷地。

 

それで、敗戦後は占領軍に接収され、情報機関の「参謀第二部(G2)」の秘密情報組織が本部を構えたのです。

懐かしい名前が、いっぱい、いっばい、頭の中を巡るのです。G2のトップが「チャールズ・ウィロビー少将」で、秘密組織のボスが「ジャック・キャノン中佐」で、人呼んで「キャノン機関」。

キャノン機関の本部要員は二十数名で、配下に、柿の木坂機関、矢板機関、日高機関、伊藤機関、等の工作員を組織。

これで、G2ウィロビーで、秘密情報機関で、キャノン機関で、矢板機関で、下山事件と繋がっていき、戦後の三大謀略事件へと繋がっていき、戦後の黒い霧、闇の歴史となるのです。

と、云う事で、旧岩崎邸の見学は、建物への興味よりも、敗戦後の闇の時代への、謀略の時代への、思いを馳せ、空気を、気配を、匂いを、感じる為の見学なのでした。

昭和20年(1945年)に接収され、昭和28年(1953年)に返還される8年間キャノン機関の本部が置かれました。

接収されたのは「洋館」だけで、この間、岩崎家は「和館」の方で暮らしていたのでした。

それで、この岩崎家ですが、どうも、なんとなく、占領軍情報機関と、それなりの関係にあったのでは?と、思われる節があるのです。

それで、沢田美喜(1901~1980年)なのです。私と同年代の方は、それなりに聞き覚えのある名前だと思います。
 
敗戦後の混乱期、「エリザベス・サンダーホーム」を創設し、米国兵との混血孤児を育てたのが、岩崎弥太郎の孫娘の沢田美喜でした。
 
美喜は、クリスチャンで親米派と云われ、戦時中は、それなりに監視対象だった、外交官の沢田廉三(1888~1970年)と結婚(1922年)
 
 
エリザベス・サンダーホームは岩崎家の大磯別邸に1948年に設立。本邸にも、別邸にも、情報機関が同居していました。
 
岩崎家と米国とは、と云うよりは、岩崎家と、米国情報機関のメンバーとは、個人的にも、それなりの親交があったようなのです。
 
云い忘れましたが、下山事件とか、三鷹事件とか、松川事件とか、戦後の闇を象徴する謀略事件に、米国の秘密情報機関が関与している説を、はじめて唱えたのが松本清張でした。
 
 
それで、よく誤解されているのですが、松本清張は「キャノン機関説」は否定しています。私も、表にその名前が出てこない秘密情報機関説が正解と思います。
 
成功した、謀略、破壊工作、暗殺では、実行した組織の名称は表には出ません、疑われるようなヘマはしないのです。
 
と云う事で、「鹿地亘事件」で名前が表に出たキャノン機関は「ヘボ」なのです。
 
 
 
特に、下山事件は、いろいろと、関連書籍が多数出版され、私も、それなりに、いろいろと、書き散らしております。
 
興味のある方は、ブログ左側のカテゴリー「下山事件」をクリックして見て下さい。
 
この日は、休日でしたし、連れも居たし、洋館は一階だけの見学で、洋館は見学者も多く、戦後の闇に思いを馳せるには、あまり適切な環境ではありませんでした。
 
チャールズ・ウィロビー少将とか、ジャック・キャノン中佐とか、キャノン機関とか、鹿地亘事件とか、戦後の闇に浸ることは叶いませんでした。
 
いつの日にか、もう一度、平日に、一人で訪れたいと思います。そのときは、一日たっぷり、ゆっくり、静かに、戦後の闇に思いを馳せたい、と思います。
 
 
それでは、また。
 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧岩崎邸のトイレクリーナーは!もしかして!?不届き者が見学記念のお持ち帰りに!

2019年03月23日 | 東京の風景

前回の続きです。

旧岩崎邸の内部を見学します。

内部の撮影は平日のみで、見学者が多い休日は禁止となっています。

と云う事で、当日は休日でしたが、他の見学者の迷惑にならない場所で、ひっそりと撮影を行ったのでした。

と、云う事で、あまり見学者の居ないところですので、あまり被写体としては? 面白くも可笑しくも無い、そんな写真が多々あると、事前にお断りしておきます。

なァ~んだそりゃ!とお思いでしょうが、そこはひとつ、最後までお付き合い下さい。

そんなことで、最初の一枚は、なんじゃこりゃ!の代表です。自分でも、何処を撮ったのか?何故撮ったのか?記憶が無く、まあ、兎に角の一枚。それなりに美しいステンドグラス?

先ずは、人気の少ない「和の館」から見学を始めます。

いきなりの看板。

こちらは警告。

こちらは、休憩へのお誘い看板。価格設定としては、こんなものですかね。 

右側紅い絨毯が敷かれた部屋が休憩室。従業員の女性1名と男女一組の高齢の方が休憩中でした。

こちらは大広間、大名屋敷の謁見の間的な趣。 

 

こちらは、これで、行き止まり。

ここで、久しぶりの、トイレチェック。広くて、新しくて、明るくて、きれいでした。 

右のベビーベットの上に置かれたポリ袋は私の靴が入ってます。館内は土足厳禁で土足を手にぶら下げての見学になります。

こちらは持ち去り防止対策として、こんな表示をしているのでしょうが、これって逆に”見学記念”に丁度いい!何て持って帰る不届き者が現れそうです。

洋館のビデオ室。ここは”大食堂”だったそうです。全体のバランスからは、”大”が付くほどの広さとは思えません。 

 天井はこんな感じ。

こちら玄関。こっそりと人の居ないことを見計らって撮ったので手ぶれでピンボケ。 

順路に従い、和の館に戻り、庭に出ます。 

 それなりの、一般的な日本庭園。

 芝生の庭に出ます。何か工事中のようです。 

はい、本日は、ここで、お終いとします。

 

それでは、また。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧岩崎邸で占領軍参謀第2部に!キャノン機関に!戦後の闇に!思いを馳せる!

2019年03月21日 | 東京の風景

前回の続きです。

湯島天神を参拝してランチタイムとなり、事前に調べておいたファミレスに向かったのです。

そして、記憶した地図を頭に浮かべつつ歩いたのですが、それが、その店が見つからないのです。通りを一本間違えたかも? と、思いつつ、連れには「大丈夫なの?」と云われつつ、彷徨ったのでした。

記憶より、かなり離れたところでそのファミレスを発見! でも、事前調査では店舗は2階なのに、発見したその店はビルの1階にありました。

後で調べてみたら、目的の店は「上野広小路店」で、入った店は「妻恋坂店」だったのです。まあ、距離的には予定より1.5倍程度の差でした。

そんな事で、見つかって!よかった!よかった!で食事の写真を撮り忘れました。食べたものは、私は、糖質オフで、奮発してローストビーフにサラダ、そして、ハイボール。連れは何とかの盛り合わせ?のようなものでした。

食事を終わって、これより岩崎邸に向かいます。

途中で、こんな建物に出会いました。

この一画だけ昭和が残っていたのです。これは、ランチの場所を間違えた御陰?

天神下交差点を左折して、春日通りを10数歩のところで右折。

右折して、数十歩のところを左折。

この民家も昭和の香り。

工事用遮蔽板には旧岩崎邸の写真。

入り口に到着。

門を入って数十㍍直線の緩い坂。

数十㍍の緩いカーブ。

数十㍍先に入り口が見えてきました。

 木々の間から、大邸宅が見えます。思っていたよりも、かなりデカイ!

敷地の外周部を半周ほど巡ることで、屋敷の広大さを演出しているのです。

入り口で入館料200円を払います。65歳以上は半額です。ここは都立公園。

なかなかの建物。

明治29年(1896年)に建てられたそうですから、123年の時が流れているのです。設計は英国人のジョサイア・コンドル。

17世紀の英国・ルネサンス様式の西洋木造建築として有名だそうです。コンドルと云えば、現存する有名どころとしては、北区滝野川にある「旧古河庭園の洋館。こちらは石造り。

古河庭園と云えば「古河財閥」で、旧岩崎邸と云えば、三菱財閥の創始者、岩崎家の邸宅です。財閥の方たちは、明治時代にこんなお屋敷に住んでいたのです。

話は逸れますが、三菱と云えば、造船部門は大型客船で大赤字、原子力はお先真っ暗、家電・ICは台湾・韓国・中国に負け、自動車は燃費不正でルノー・日産グループの傘下に、期待の国産旅客機のMRJは開発計画が大幅に遅れる等、最近の三菱グループには、暗い話題ばかりです。

まあ、腐っても?三菱財閥、金融部門は大丈夫?そのうち息を吹き返す? そういえば、三菱マテリアルも何か不正があったよね? ホントに日本の企業は歴史的後退期?  まあ、私が、そんな心配をしたところで、ねぇ・・・・・・。

それにしても、たいしたものです。お城のような建物です。

玄関から振り向くと、周囲の風景はこんな感じです。

それにしても、この角度から見ると、何か、戦争中、南方にあった、陸軍司令部的な趣。三菱のスリーダイヤには、それなりに戦争の匂いと云うか、陰と云うか、漂うのです。 

戦争と云えば、この邸宅は、第二次大戦後の一時期、占領軍に接収され、占領軍参謀第2部(G2)直轄の秘密諜報機関、キャノン機関の本部になっていたのです。

まあ、そういう、敗戦直後の混乱期、裏の、影の、闇の、舞台となった場所なのです。

戦後の三大謀略事件、下山事件、三鷹事件、松川事件、それぞれが米国の秘密諜報機関が、関わっているとか、いないとか、いろいろあるのです。

まあ、そういうことで、謀略事件に関わっていたかも知れない、そんな歴史的場所を、この目で見て、この脚で歩き回り、この手で触って、カメラで記録にとどめ、何かを、感じとりたかったのです。

そういうことで、旧岩崎邸の見学となったのでした。

それで、建物は重要文化財で、すべて手で触れることは禁止。当日は休日で、建物内部の撮影は禁止。この目で見て感じるだけとなりました。

本日は、ここらで、おしまい。

次回は、内部の見学となります。

実は、何を隠そう、ここだけの話ですが、こっそり、影に隠れて内部も撮ってきたのでした。

と云うことで、次回、内部の写真も掲載します。

それでは、また。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯島天神で菅原道真と!婦系図で!お蔦と主税に!想いを馳せ!懐メロを聴く!

2019年03月16日 | 東京の風景

前回、3月6日の続きで、湯島天神のお話です。

本日は、始めに、歴史のお勉強です。

正式名称は、湯島天満宮だそうです。

天満宮と云えば、かの”太宰府天満宮”が有名です。

太宰府は、平安時代、権力闘争に敗れた”菅原道真”(845年~903年)が左遷され、没した地です。

道真が亡くなった後、平安京では、疾病、天変地異が相次ぎ、これは、きっと、道真の祟りとして、道真を祀り、祟りを鎮めるために、太宰府天満宮が創建されたそうです。

神社仏閣の起源には、祟りを鎮めるための創建が、かなりあるようです。

権力闘争は、それなりに、謀略、策略と、血なまぐさい闘いですから、勝った側としては、負けた側の、恨み辛みを、それなりに恐れるのです。

それで、湯島天神ですが、太宰府天満宮とは直接的に関係は無いようです。

社伝によれば、雄略天皇の頃(458年)、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたそうです。

その後、1355年に住民の請願により菅原道真を合祀し、湯島天満宮となったようです。江戸時代に、富くじが盛んになり、江戸の三富の一つになり、庶民に親しまれたのでした。

それで、”道真”と”梅”の関係ですが、梅にまつわる歌を多く残しており、梅を愛した人物として有名だったそうです。昔は、花見と云えば”梅”だったそうです。

天神様で、学問の神で、東大に近くて、もしかして、受験に御利益?、となり、いまや、受験の神様で、合格祈願で大繁盛。

でも、しかし、湯島天神を有名にしたのは、なんといっても、明治から昭和にかけてベストセラーとなった、泉鏡花の小説「婦系図」でしょう。

戦前から戦後にかけて、何度も映画化され(62年が最後)、芝居にもなり、大ヒット、テレビドラマ化(73年が最後)も何度もされています。

『婦系図 湯島の白梅』

♪ 湯島通れば ~ 思い出す ~ お蔦 主税の・・・・・・

冒頭は、私でも知っています。調べたらこの曲は、戦前の昭和17年(1942年)ビクターから発売、歌が「小畑実」、 作詞が「佐伯孝夫」、 作曲が「清水 保雄」でした。

長くなりました。歴史?のお勉強は、これでおしまい。

それで、こちらの紅毛碧眼の女性も合格祈願?でも、表情に切実感は無く、単なる参拝記念の絵馬?

それにしても、もの凄い量の合格祈願の絵馬です。絵馬を括り付けるのも大変そう、失敗して絵馬を落としたら、と考えると手が震えたりして。 

この日は、境内でいろいろな催し物が行われていました。こちらは、福島県の物産展。帽子の方は、ミス何とか? タスキの文字が見えません。 

福島県は天栄村から来られたようです。いまいち興味をそそられる物産はありませんでした。

境内の裏手に仮設舞台。

こちらにも梅の花。 

休憩時間? 

このしだれ梅は、なかなか見事。 

懐かしの昭和歌謡が流れて来ました。 

お年寄りがほとんど、でも、流れて来たのは戦前の流行歌、リアルタイムで聞いた方は、多分皆無。それでも、戦後生まれの私としても、それなりに懐かしいのです。 

歌手のお兄さん?おじさん?

衣装もそれなりに決まっています。髪型も、眼鏡も、顔つきも、とても、とても懐かしい昭和レトロ。

ドラムのおじさんの服装からプロではなさそう。歌手の方だけは、それなりに寄席で通用しそうです。もしかしてプロかも? 

当然!『湯島の白梅』も歌われるのです。 

狭い境内の裏手でも、こんなのとか、

 こんなのとか、

こんなのとか、

 いろいろ売られていました。しかし、店の前に立ち止まる客はいません。

そろそろランチタイム、流れる懐メロを聴きながら、湯島天神を後にします。

事前に調べていた、ファミレスに向かいます。

そして、ランチタイム後は、実は、実は、本日の本命! 旧岩崎邸の見学がひかえているのです。

それでは、また。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

湯島天神のお詣りは「女坂」からがお薦めです!

2019年03月06日 | 東京の風景

久しぶりの東京。

行って来ました、十と四五年ぶりの湯島天神。

この日は、天気は晴れ、風もなく、暖かく、観梅日和。

湯島天神の梅祭りは、3月8日迄、この日は3月2日の土曜日。それなりの人出。

東京メトロの湯島で降り、地上に出て周囲をキョロキョロ見回し、記憶を頼りに交差点を渡り、見覚えのある「よろずや」を確認して、「おんな坂」から天神様を目指します。

前方に本殿が見えます。この狭い路地が、なかなかの風情、行きは”よいよい”天神様への路。

立ちどまり、外壁の板張りを見つめていると、いろいろな想いが・・・、でも、本日は連れと一緒、思いにふけっていると見失うのです。

俗世間の喧噪から天神様の神域へ、その間を繋ぐ入り口として、この”よろずやさんの路地”が、とても、とても、最適です。

なんにしても、世の中、表よりも、裏の方が、それなりに味わいが・・・。

本殿が近くに、梅の花も視界に入ってきます、だんだん興奮してきます。

 

梅祭りの文字に、紅い梅に、白い梅に、何だか、とても、嬉しくなってきます。

女坂は思っていたよりも、梅の花は、まだまだ、いっぱい、いっぱい、咲いているのでした。思わず、きれい!と小さく呟きました。花粉対策としてマスクを着用していた為、香りを感じるこを忘れました。残念!

坂の途中で振り返ると、あたりはこんな風景。

こちらが、急勾配の男坂。

ちなみに、境内はこのようになっています。

境内は、思っていたより人がいっぱい。

お店もいっぱい。しかし、この「豚骨焼きラーメン」は閑散。

こちらは飴やさん。

こちらは、なんか?飾りの実演販売。

兎に角、いっぱい、いっぱいの、人とお店。

梅と、青空と、狛犬。

まだまだ満開の梅。

本殿参拝待ちの、50㍍ほどの行列。

我々は参拝は諦め、梅の花に集中。

こんな大混雑のなか、赤ちゃんのお宮参り。こちらは、本殿に上がっての参拝。行列には並ばなくてよいのです。残念ながら赤ちゃんの可愛いお顔は拝めませんでした。

本日は失礼して、こちらの脇から天神様に参拝。

一応、それなりに、木端を確認。まあ、それなり。

当日は境内で、いろいろな催し物があり、これから、そちらに向かいます。

ホント! 私としては、湯島天神は女坂からがお薦め!

今日はここまで。

 

それでは、また。

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京駅で八重洲ブックセンターとジュンク堂で時代の移ろいを知り!3倍パスタで納得!

2018年06月15日 | 東京の風景

前々回の、そのまた前回の続きです。 

東京駅にいます。

東京駅に来たら「KITTE」です。「KITTE」は、キッテ、切手、で、“来て”という意味も込められているそうです。

その思惑に見事に嵌り、「KITTE」に向かいました。

キッテの6階、展望デッキです。

東京駅が一望です。

芝生の広場が気持ちイ~~イ ! ホント!ここは、絶対! ビャガーデンですよ!

コチラが5年前に来た時の駅前広場。

そして、こうなりました。

 

タクシー待機場です、どのような順番で乗り場に向かうのか、いまいち不明でした。二列目に停車する際も、右からとか、左からとか、規則性無く停車しているのです。

これって、もしかして、ここに入っている車は登録車で、それなりの装置搭載して、入場の際にセンサーが検知して、乗り場に向かう指示は自動的に行われている? システムとしてそれほど難しくはなさそうです。

まあ、関係無いのですが、暫く、眺め、考えてしまいました。

ハィ!これで、丸の内側を終わり、八重洲口に向かいます。連絡路は北側にあるのでした。丸の内北口に向かいます。

狭くて、くねくねと曲がる「北自由通路」を通って八重洲口に到着。八重洲口に来るのは、かれこれ、たぶん、え~と、あの頃、あの方と待ち合わせしたのですから、え~と40数年ぶりかも?

あの頃とは、風景が変わった!何て思いは無いのです。そも、そも、風景の記憶がまったく無いのです。でも、しかし、何故か?当時はやりの「ラジカセ」を買って、それを大事に抱えなが待っていた記憶はあります。 

ハィ!、八重洲口と云えば、「大丸」です。でも、この、何か、テント風の日除け?風除け?雨除け?は、とても、とても、暫定的、仮設的なのです。 

こちらもそれなりに緑が眼につきます。

 

八重洲口にはJR高速バスターミナルがあります。それなりに、出会いと別れがあるようです。

 

JR高速バス、調べて見たら、驚きです!まあ、驚かない方も居ると思います。ここから、北は北海道から、南は九州までバスが走っているのでした。

この仮設テント?の一階に切符売り場とか、待合室がありました。それにしても、鉄道屋さんが、こんなに全国に、手広く、バスを走らせているとは知りませんでした。何と、何と、JRの鉄道がない沖縄でもJRバスが走っているそうです。

 

 それで、バスターミナルを抜けて向かった先は「八重洲ブックセンター」です。折角だから覗いて行こうとなったのです。

八階建てです、今回、初めての入ります。エスカレーターで各階を巡ります。各フロアーにはお客さんはチラホラで数えるほどでした。

思っていたよりも、各フロアーは狭く、天井も低く、照明も暗く、全体に老朽化?して、へぇーこんな感じなの? 近所のイオンモールの本屋さんの方が、明るくて、広々している、何て、思ったりしたのです。

1978年開業ですから、かれこれ40年の歳月が流れていたのでした。私が訪れたあの頃には未だ無かったのです。

6階まで来て、窓際にあるカウンターのイス席に腰掛け、バスターミナルを眺めつつ、暫しの休息。

「八重洲ブックセンター」は私の中では、「日本一の本屋さん」だと思っていたのです、でも、しかし、調べて見たら、時代は変わっていたのでした。

 1.MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店 2062坪
 2.ジュンク堂 福岡店 2060坪
 3.ジュンク堂 池袋本店 2000坪
 4.MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店 1800坪
 4.八重洲ブックセンター  本店     1800坪
 6.丸善 丸の内本店 1750坪
 7.ジュンク堂 新潟店 1615坪
 8.ジュンク堂 三宮店 1500坪
 8.ジュンク堂 那覇店 1500坪
10.ジュンク堂 大阪本店  1480坪

時代はジュンク堂になっていました。わたし、これまで「ジャンク堂」と思っていたのです。失礼しましたジュンク堂さん。

因みに「ジュンク堂」の名称を調べて見たら、創業者の父親が「工藤淳」で、「クドウジュン」で、「ジュンクドウ」で、「ジュンク堂」だそうです。ブリジストンとか、サントリーの類なのでした。

折角、立ち寄ったので、以前より、気になっていた古い地図を探しました。古いと云って昭和20年代の頃です。

地図売り場で探すと、それに近い本が見つかりました。光村推古書院から出版されている「重ね地図シリーズ・東京・マッカーサー時代編」(2000円+税)を購入し、八重洲ブックセンターを後にしました。

それでは、そろそろランチタイム。八重洲地下街に潜ります。

イタリアンです。本日は少し奮発して、いつものサイゼリヤとは、かなり価格帯の異なるイタリアンレストランです。

先ずは、私はビール、連れはグレープフルーツジュース。ジュースはこんな容器で出てきました。ビールは一杯850円だったと記憶してます。

パスタ(写真は撮り忘れ)を注文したのですが、サイゼリヤ価格の3倍以上でした。味の方は2倍くらい美味しかったです。テーブルの間隔も2倍以上離れていたので、2倍+2倍で、3倍の料金に納得?

食事を終えて帰路に着きました。 

はい、これで、東京駅周辺の散策はおしまい。

 

それでは、また。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする