歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

旧岩崎邸で沢田美喜のエリザベス・サンダーホームと秘密情報機関との関わりに思いを巡らす!

2019年03月29日 | 東京の風景

前回の続きです。

旧岩崎邸を見学中です。

岩崎邸ですが、昭和22年(1947年)財産税として屋敷を物納して、国有財産となっています。それにしても、都心の広大な土地です、財産税はもの凄い額です。

それで、この岩崎邸は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。”往時”は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたそうです。

現在の敷地は”往時”の3分の1だそうで、現存するのは 洋館・撞球(ビリヤード)室・和館の3棟だけとなっています。 

緑色が現在の敷地で、薄い線が往時の敷地。

 

それで、敗戦後は占領軍に接収され、情報機関の「参謀第二部(G2)」の秘密情報組織が本部を構えたのです。

懐かしい名前が、いっぱい、いっばい、頭の中を巡るのです。G2のトップが「チャールズ・ウィロビー少将」で、秘密組織のボスが「ジャック・キャノン中佐」で、人呼んで「キャノン機関」。

キャノン機関の本部要員は二十数名で、配下に、柿の木坂機関、矢板機関、日高機関、伊藤機関、等の工作員を組織。

これで、G2ウィロビーで、秘密情報機関で、キャノン機関で、矢板機関で、下山事件と繋がっていき、戦後の三大謀略事件へと繋がっていき、戦後の黒い霧、闇の歴史となるのです。

と、云う事で、旧岩崎邸の見学は、建物への興味よりも、敗戦後の闇の時代への、謀略の時代への、思いを馳せ、空気を、気配を、匂いを、感じる為の見学なのでした。

昭和20年(1945年)に接収され、昭和28年(1953年)に返還される8年間キャノン機関の本部が置かれました。

接収されたのは「洋館」だけで、この間、岩崎家は「和館」の方で暮らしていたのでした。

それで、この岩崎家ですが、どうも、なんとなく、占領軍情報機関と、それなりの関係にあったのでは?と、思われる節があるのです。

それで、沢田美喜(1901~1980年)なのです。私と同年代の方は、それなりに聞き覚えのある名前だと思います。
 
敗戦後の混乱期、「エリザベス・サンダーホーム」を創設し、米国兵との混血孤児を育てたのが、岩崎弥太郎の孫娘の沢田美喜でした。
 
美喜は、クリスチャンで親米派と云われ、戦時中は、それなりに監視対象だった、外交官の沢田廉三(1888~1970年)と結婚(1922年)
 
 
エリザベス・サンダーホームは岩崎家の大磯別邸に1948年に設立。本邸にも、別邸にも、情報機関が同居していました。
 
岩崎家と米国とは、と云うよりは、岩崎家と、米国情報機関のメンバーとは、個人的にも、それなりの親交があったようなのです。
 
云い忘れましたが、下山事件とか、三鷹事件とか、松川事件とか、戦後の闇を象徴する謀略事件に、米国の秘密情報機関が関与している説を、はじめて唱えたのが松本清張でした。
 
 
それで、よく誤解されているのですが、松本清張は「キャノン機関説」は否定しています。私も、表にその名前が出てこない秘密情報機関説が正解と思います。
 
成功した、謀略、破壊工作、暗殺では、実行した組織の名称は表には出ません、疑われるようなヘマはしないのです。
 
と云う事で、「鹿地亘事件」で名前が表に出たキャノン機関は「ヘボ」なのです。
 
 
 
特に、下山事件は、いろいろと、関連書籍が多数出版され、私も、それなりに、いろいろと、書き散らしております。
 
興味のある方は、ブログ左側のカテゴリー「下山事件」をクリックして見て下さい。
 
この日は、休日でしたし、連れも居たし、洋館は一階だけの見学で、洋館は見学者も多く、戦後の闇に思いを馳せるには、あまり適切な環境ではありませんでした。
 
チャールズ・ウィロビー少将とか、ジャック・キャノン中佐とか、キャノン機関とか、鹿地亘事件とか、戦後の闇に浸ることは叶いませんでした。
 
いつの日にか、もう一度、平日に、一人で訪れたいと思います。そのときは、一日たっぷり、ゆっくり、静かに、戦後の闇に思いを馳せたい、と思います。
 
 
それでは、また。
 
 
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旧岩崎邸のトイレクリーナーは!もしかして!?不届き者が見学記念のお持ち帰りに!

2019年03月23日 | 東京の風景

前回の続きです。

旧岩崎邸の内部を見学します。

内部の撮影は平日のみで、見学者が多い休日は禁止となっています。

と云う事で、当日は休日でしたが、他の見学者の迷惑にならない場所で、ひっそりと撮影を行ったのでした。

と、云う事で、あまり見学者の居ないところですので、あまり被写体としては? 面白くも可笑しくも無い、そんな写真が多々あると、事前にお断りしておきます。

なァ~んだそりゃ!とお思いでしょうが、そこはひとつ、最後までお付き合い下さい。

そんなことで、最初の一枚は、なんじゃこりゃ!の代表です。自分でも、何処を撮ったのか?何故撮ったのか?記憶が無く、まあ、兎に角の一枚。それなりに美しいステンドグラス?

先ずは、人気の少ない「和の館」から見学を始めます。

いきなりの看板。

こちらは警告。

こちらは、休憩へのお誘い看板。価格設定としては、こんなものですかね。 

右側紅い絨毯が敷かれた部屋が休憩室。従業員の女性1名と男女一組の高齢の方が休憩中でした。

こちらは大広間、大名屋敷の謁見の間的な趣。 

 

こちらは、これで、行き止まり。

ここで、久しぶりの、トイレチェック。広くて、新しくて、明るくて、きれいでした。 

右のベビーベットの上に置かれたポリ袋は私の靴が入ってます。館内は土足厳禁で土足を手にぶら下げての見学になります。

こちらは持ち去り防止対策として、こんな表示をしているのでしょうが、これって逆に”見学記念”に丁度いい!何て持って帰る不届き者が現れそうです。

洋館のビデオ室。ここは”大食堂”だったそうです。全体のバランスからは、”大”が付くほどの広さとは思えません。 

 天井はこんな感じ。

こちら玄関。こっそりと人の居ないことを見計らって撮ったので手ぶれでピンボケ。 

順路に従い、和の館に戻り、庭に出ます。 

 それなりの、一般的な日本庭園。

 芝生の庭に出ます。何か工事中のようです。 

はい、本日は、ここで、お終いとします。

 

それでは、また。

 

 

 

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旧岩崎邸で占領軍参謀第2部に!キャノン機関に!戦後の闇に!思いを馳せる!

2019年03月21日 | 東京の風景

前回の続きです。

湯島天神を参拝してランチタイムとなり、事前に調べておいたファミレスに向かったのです。

そして、記憶した地図を頭に浮かべつつ歩いたのですが、それが、その店が見つからないのです。通りを一本間違えたかも? と、思いつつ、連れには「大丈夫なの?」と云われつつ、彷徨ったのでした。

記憶より、かなり離れたところでそのファミレスを発見! でも、事前調査では店舗は2階なのに、発見したその店はビルの1階にありました。

後で調べてみたら、目的の店は「上野広小路店」で、入った店は「妻恋坂店」だったのです。まあ、距離的には予定より1.5倍程度の差でした。

そんな事で、見つかって!よかった!よかった!で食事の写真を撮り忘れました。食べたものは、私は、糖質オフで、奮発してローストビーフにサラダ、そして、ハイボール。連れは何とかの盛り合わせ?のようなものでした。

食事を終わって、これより岩崎邸に向かいます。

途中で、こんな建物に出会いました。

この一画だけ昭和が残っていたのです。これは、ランチの場所を間違えた御陰?

天神下交差点を左折して、春日通りを10数歩のところで右折。

右折して、数十歩のところを左折。

この民家も昭和の香り。

工事用遮蔽板には旧岩崎邸の写真。

入り口に到着。

門を入って数十㍍直線の緩い坂。

数十㍍の緩いカーブ。

数十㍍先に入り口が見えてきました。

 木々の間から、大邸宅が見えます。思っていたよりも、かなりデカイ!

敷地の外周部を半周ほど巡ることで、屋敷の広大さを演出しているのです。

入り口で入館料200円を払います。65歳以上は半額です。ここは都立公園。

なかなかの建物。

明治29年(1896年)に建てられたそうですから、123年の時が流れているのです。設計は英国人のジョサイア・コンドル。

17世紀の英国・ルネサンス様式の西洋木造建築として有名だそうです。コンドルと云えば、現存する有名どころとしては、北区滝野川にある「旧古河庭園の洋館。こちらは石造り。

古河庭園と云えば「古河財閥」で、旧岩崎邸と云えば、三菱財閥の創始者、岩崎家の邸宅です。財閥の方たちは、明治時代にこんなお屋敷に住んでいたのです。

話は逸れますが、三菱と云えば、造船部門は大型客船で大赤字、原子力はお先真っ暗、家電・ICは台湾・韓国・中国に負け、自動車は燃費不正でルノー・日産グループの傘下に、期待の国産旅客機のMRJは開発計画が大幅に遅れる等、最近の三菱グループには、暗い話題ばかりです。

まあ、腐っても?三菱財閥、金融部門は大丈夫?そのうち息を吹き返す? そういえば、三菱マテリアルも何か不正があったよね? ホントに日本の企業は歴史的後退期?  まあ、私が、そんな心配をしたところで、ねぇ・・・・・・。

それにしても、たいしたものです。お城のような建物です。

玄関から振り向くと、周囲の風景はこんな感じです。

それにしても、この角度から見ると、何か、戦争中、南方にあった、陸軍司令部的な趣。三菱のスリーダイヤには、それなりに戦争の匂いと云うか、陰と云うか、漂うのです。 

戦争と云えば、この邸宅は、第二次大戦後の一時期、占領軍に接収され、占領軍参謀第2部(G2)直轄の秘密諜報機関、キャノン機関の本部になっていたのです。

まあ、そういう、敗戦直後の混乱期、裏の、影の、闇の、舞台となった場所なのです。

戦後の三大謀略事件、下山事件、三鷹事件、松川事件、それぞれが米国の秘密諜報機関が、関わっているとか、いないとか、いろいろあるのです。

まあ、そういうことで、謀略事件に関わっていたかも知れない、そんな歴史的場所を、この目で見て、この脚で歩き回り、この手で触って、カメラで記録にとどめ、何かを、感じとりたかったのです。

そういうことで、旧岩崎邸の見学となったのでした。

それで、建物は重要文化財で、すべて手で触れることは禁止。当日は休日で、建物内部の撮影は禁止。この目で見て感じるだけとなりました。

本日は、ここらで、おしまい。

次回は、内部の見学となります。

実は、何を隠そう、ここだけの話ですが、こっそり、影に隠れて内部も撮ってきたのでした。

と云うことで、次回、内部の写真も掲載します。

それでは、また。

 

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湯島天神で菅原道真と!婦系図で!お蔦と主税に!想いを馳せ!懐メロを聴く!

2019年03月16日 | 東京の風景

前回、3月6日の続きで、湯島天神のお話です。

本日は、始めに、歴史のお勉強です。

正式名称は、湯島天満宮だそうです。

天満宮と云えば、かの”太宰府天満宮”が有名です。

太宰府は、平安時代、権力闘争に敗れた”菅原道真”(845年~903年)が左遷され、没した地です。

道真が亡くなった後、平安京では、疾病、天変地異が相次ぎ、これは、きっと、道真の祟りとして、道真を祀り、祟りを鎮めるために、太宰府天満宮が創建されたそうです。

神社仏閣の起源には、祟りを鎮めるための創建が、かなりあるようです。

権力闘争は、それなりに、謀略、策略と、血なまぐさい闘いですから、勝った側としては、負けた側の、恨み辛みを、それなりに恐れるのです。

それで、湯島天神ですが、太宰府天満宮とは直接的に関係は無いようです。

社伝によれば、雄略天皇の頃(458年)、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたそうです。

その後、1355年に住民の請願により菅原道真を合祀し、湯島天満宮となったようです。江戸時代に、富くじが盛んになり、江戸の三富の一つになり、庶民に親しまれたのでした。

それで、”道真”と”梅”の関係ですが、梅にまつわる歌を多く残しており、梅を愛した人物として有名だったそうです。昔は、花見と云えば”梅”だったそうです。

天神様で、学問の神で、東大に近くて、もしかして、受験に御利益?、となり、いまや、受験の神様で、合格祈願で大繁盛。

でも、しかし、湯島天神を有名にしたのは、なんといっても、明治から昭和にかけてベストセラーとなった、泉鏡花の小説「婦系図」でしょう。

戦前から戦後にかけて、何度も映画化され(62年が最後)、芝居にもなり、大ヒット、テレビドラマ化(73年が最後)も何度もされています。

『婦系図 湯島の白梅』

♪ 湯島通れば ~ 思い出す ~ お蔦 主税の・・・・・・

冒頭は、私でも知っています。調べたらこの曲は、戦前の昭和17年(1942年)ビクターから発売、歌が「小畑実」、 作詞が「佐伯孝夫」、 作曲が「清水 保雄」でした。

長くなりました。歴史?のお勉強は、これでおしまい。

それで、こちらの紅毛碧眼の女性も合格祈願?でも、表情に切実感は無く、単なる参拝記念の絵馬?

それにしても、もの凄い量の合格祈願の絵馬です。絵馬を括り付けるのも大変そう、失敗して絵馬を落としたら、と考えると手が震えたりして。 

この日は、境内でいろいろな催し物が行われていました。こちらは、福島県の物産展。帽子の方は、ミス何とか? タスキの文字が見えません。 

福島県は天栄村から来られたようです。いまいち興味をそそられる物産はありませんでした。

境内の裏手に仮設舞台。

こちらにも梅の花。 

休憩時間? 

このしだれ梅は、なかなか見事。 

懐かしの昭和歌謡が流れて来ました。 

お年寄りがほとんど、でも、流れて来たのは戦前の流行歌、リアルタイムで聞いた方は、多分皆無。それでも、戦後生まれの私としても、それなりに懐かしいのです。 

歌手のお兄さん?おじさん?

衣装もそれなりに決まっています。髪型も、眼鏡も、顔つきも、とても、とても懐かしい昭和レトロ。

ドラムのおじさんの服装からプロではなさそう。歌手の方だけは、それなりに寄席で通用しそうです。もしかしてプロかも? 

当然!『湯島の白梅』も歌われるのです。 

狭い境内の裏手でも、こんなのとか、

 こんなのとか、

こんなのとか、

 いろいろ売られていました。しかし、店の前に立ち止まる客はいません。

そろそろランチタイム、流れる懐メロを聴きながら、湯島天神を後にします。

事前に調べていた、ファミレスに向かいます。

そして、ランチタイム後は、実は、実は、本日の本命! 旧岩崎邸の見学がひかえているのです。

それでは、また。

 

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湯島天神のお詣りは「女坂」からがお薦めです!

2019年03月06日 | 東京の風景

久しぶりの東京。

行って来ました、十と四五年ぶりの湯島天神。

この日は、天気は晴れ、風もなく、暖かく、観梅日和。

湯島天神の梅祭りは、3月8日迄、この日は3月2日の土曜日。それなりの人出。

東京メトロの湯島で降り、地上に出て周囲をキョロキョロ見回し、記憶を頼りに交差点を渡り、見覚えのある「よろずや」を確認して、「おんな坂」から天神様を目指します。

前方に本殿が見えます。この狭い路地が、なかなかの風情、行きは”よいよい”天神様への路。

立ちどまり、外壁の板張りを見つめていると、いろいろな想いが・・・、でも、本日は連れと一緒、思いにふけっていると見失うのです。

俗世間の喧噪から天神様の神域へ、その間を繋ぐ入り口として、この”よろずやさんの路地”が、とても、とても、最適です。

なんにしても、世の中、表よりも、裏の方が、それなりに味わいが・・・。

本殿が近くに、梅の花も視界に入ってきます、だんだん興奮してきます。

 

梅祭りの文字に、紅い梅に、白い梅に、何だか、とても、嬉しくなってきます。

女坂は思っていたよりも、梅の花は、まだまだ、いっぱい、いっぱい、咲いているのでした。思わず、きれい!と小さく呟きました。花粉対策としてマスクを着用していた為、香りを感じるこを忘れました。残念!

坂の途中で振り返ると、あたりはこんな風景。

こちらが、急勾配の男坂。

ちなみに、境内はこのようになっています。

境内は、思っていたより人がいっぱい。

お店もいっぱい。しかし、この「豚骨焼きラーメン」は閑散。

こちらは飴やさん。

こちらは、なんか?飾りの実演販売。

兎に角、いっぱい、いっぱいの、人とお店。

梅と、青空と、狛犬。

まだまだ満開の梅。

本殿参拝待ちの、50㍍ほどの行列。

我々は参拝は諦め、梅の花に集中。

こんな大混雑のなか、赤ちゃんのお宮参り。こちらは、本殿に上がっての参拝。行列には並ばなくてよいのです。残念ながら赤ちゃんの可愛いお顔は拝めませんでした。

本日は失礼して、こちらの脇から天神様に参拝。

一応、それなりに、木端を確認。まあ、それなり。

当日は境内で、いろいろな催し物があり、これから、そちらに向かいます。

ホント! 私としては、湯島天神は女坂からがお薦め!

今日はここまで。

 

それでは、また。

 

 

 

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東京駅で八重洲ブックセンターとジュンク堂で時代の移ろいを知り!3倍パスタで納得!

2018年06月15日 | 東京の風景

前々回の、そのまた前回の続きです。 

東京駅にいます。

東京駅に来たら「KITTE」です。「KITTE」は、キッテ、切手、で、“来て”という意味も込められているそうです。

その思惑に見事に嵌り、「KITTE」に向かいました。

キッテの6階、展望デッキです。

東京駅が一望です。

芝生の広場が気持ちイ~~イ ! ホント!ここは、絶対! ビャガーデンですよ!

コチラが5年前に来た時の駅前広場。

そして、こうなりました。

 

タクシー待機場です、どのような順番で乗り場に向かうのか、いまいち不明でした。二列目に停車する際も、右からとか、左からとか、規則性無く停車しているのです。

これって、もしかして、ここに入っている車は登録車で、それなりの装置搭載して、入場の際にセンサーが検知して、乗り場に向かう指示は自動的に行われている? システムとしてそれほど難しくはなさそうです。

まあ、関係無いのですが、暫く、眺め、考えてしまいました。

ハィ!これで、丸の内側を終わり、八重洲口に向かいます。連絡路は北側にあるのでした。丸の内北口に向かいます。

狭くて、くねくねと曲がる「北自由通路」を通って八重洲口に到着。八重洲口に来るのは、かれこれ、たぶん、え~と、あの頃、あの方と待ち合わせしたのですから、え~と40数年ぶりかも?

あの頃とは、風景が変わった!何て思いは無いのです。そも、そも、風景の記憶がまったく無いのです。でも、しかし、何故か?当時はやりの「ラジカセ」を買って、それを大事に抱えなが待っていた記憶はあります。 

ハィ!、八重洲口と云えば、「大丸」です。でも、この、何か、テント風の日除け?風除け?雨除け?は、とても、とても、暫定的、仮設的なのです。 

こちらもそれなりに緑が眼につきます。

 

八重洲口にはJR高速バスターミナルがあります。それなりに、出会いと別れがあるようです。

 

JR高速バス、調べて見たら、驚きです!まあ、驚かない方も居ると思います。ここから、北は北海道から、南は九州までバスが走っているのでした。

この仮設テント?の一階に切符売り場とか、待合室がありました。それにしても、鉄道屋さんが、こんなに全国に、手広く、バスを走らせているとは知りませんでした。何と、何と、JRの鉄道がない沖縄でもJRバスが走っているそうです。

 

 それで、バスターミナルを抜けて向かった先は「八重洲ブックセンター」です。折角だから覗いて行こうとなったのです。

八階建てです、今回、初めての入ります。エスカレーターで各階を巡ります。各フロアーにはお客さんはチラホラで数えるほどでした。

思っていたよりも、各フロアーは狭く、天井も低く、照明も暗く、全体に老朽化?して、へぇーこんな感じなの? 近所のイオンモールの本屋さんの方が、明るくて、広々している、何て、思ったりしたのです。

1978年開業ですから、かれこれ40年の歳月が流れていたのでした。私が訪れたあの頃には未だ無かったのです。

6階まで来て、窓際にあるカウンターのイス席に腰掛け、バスターミナルを眺めつつ、暫しの休息。

「八重洲ブックセンター」は私の中では、「日本一の本屋さん」だと思っていたのです、でも、しかし、調べて見たら、時代は変わっていたのでした。

 1.MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店 2062坪
 2.ジュンク堂 福岡店 2060坪
 3.ジュンク堂 池袋本店 2000坪
 4.MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店 1800坪
 4.八重洲ブックセンター  本店     1800坪
 6.丸善 丸の内本店 1750坪
 7.ジュンク堂 新潟店 1615坪
 8.ジュンク堂 三宮店 1500坪
 8.ジュンク堂 那覇店 1500坪
10.ジュンク堂 大阪本店  1480坪

時代はジュンク堂になっていました。わたし、これまで「ジャンク堂」と思っていたのです。失礼しましたジュンク堂さん。

因みに「ジュンク堂」の名称を調べて見たら、創業者の父親が「工藤淳」で、「クドウジュン」で、「ジュンクドウ」で、「ジュンク堂」だそうです。ブリジストンとか、サントリーの類なのでした。

折角、立ち寄ったので、以前より、気になっていた古い地図を探しました。古いと云って昭和20年代の頃です。

地図売り場で探すと、それに近い本が見つかりました。光村推古書院から出版されている「重ね地図シリーズ・東京・マッカーサー時代編」(2000円+税)を購入し、八重洲ブックセンターを後にしました。

それでは、そろそろランチタイム。八重洲地下街に潜ります。

イタリアンです。本日は少し奮発して、いつものサイゼリヤとは、かなり価格帯の異なるイタリアンレストランです。

先ずは、私はビール、連れはグレープフルーツジュース。ジュースはこんな容器で出てきました。ビールは一杯850円だったと記憶してます。

パスタ(写真は撮り忘れ)を注文したのですが、サイゼリヤ価格の3倍以上でした。味の方は2倍くらい美味しかったです。テーブルの間隔も2倍以上離れていたので、2倍+2倍で、3倍の料金に納得?

食事を終えて帰路に着きました。 

はい、これで、東京駅周辺の散策はおしまい。

 

それでは、また。

 

 

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東京駅前広場で裸で愛を叫ぶ男!それには複雑な背景が!主張が!思惑が!想いが!

2018年06月07日 | 東京の風景

先日です、「久しぶりに大都会の東京の、玄関、東京駅へ、ちょっと、行って見るか」と、なったのでした。

常磐線の品川駅乗り入れが始まって、初めての東京駅です。まあ、すべてが品川乗り入れでは有りません。今回は、11時46分位着?が運良く品川乗り入れでした。

それで、その日は土曜日で、車内はずっと肩が、触れるか、触れないか、程度に混んでいたのです。そして、日暮里到着。

以前ですと、ここで山手線、京浜東北線に乗り換える人達が降りて、車内は立っている乗客はチラホラ状態になるのです。

でも、今回は、品川乗り入れですから、ほとんど降りないと思っていたら、何のことはない、以前と同じく、乗り換えでぞろぞろ降りて行くのでした。

品川乗り入れで、「乗り換え無しで、東京、品川」とのうたい文句でしたが、品川乗り入れは、あんまり関係なかったような、皆さん、山手線で池袋方面や、京浜東北線で浦和方面に行かれる乗客の方が多かった?

それで、上野を過ぎて暫くして、新しく建設された専用高架を走ります。新幹線より高いところを走ります。高いところなので、途中駅はなく、上野の次が直ぐに東京駅。

東京駅で降り、通路を歩き改札に向かうのですが、人混みの多さに、「君達は、何処から来て?何処に向かっているの?」何て、思ったりしたのです。

丸の内南改札を抜け、駅前広場に出ます。う~~ん、東京です!この景色!

毎日、毎日、田圃の畦道を歩き、トンボや、シラサギや、カエルや、ウグイスや、ホトトギスに囲まれた生活から、この景色は、とても、とても、刺激的!

この先は、皇居となります。

高層ビル乱立で、とても、とても、刺激的。

丸の内側のこの広場が、最近完成したのです。まあ、今回の、小さな目的が、この広場でした。まあ、どんなもんやら?と見に来たのです。

確かに、以前よりも、ゆったりと、広々で、豊かで、落ち着いた雰囲気になりました。中央の芝生は我が家の近所の田圃一枚程度ですが、それなりに景色を創っています。

各国の大使が着任すると、この景色を見ながら皇居に向かうのです。

日本のイメージを決める景色?

カンヌ国際映画祭で「万引き家族」を見て、この景色を見ると、イメージに混乱を生じたり?生じなかったり? 古今東西、何処の国でも、表があれば裏がある、当然の常識!として、特に問題無し!

芝生越しに駅舎を眺めます。木陰で休息する人達、ここは、とても涼しいのです。食事している方も、ちらりほらり。でも、ここで、コンビニ弁当を一人食するのは、ちょっと寂しいです。本日、わたくしは二人連れ、小さく、小さく、写っています。

東京駅は駅舎も復元して、広場が整備され、これで平成の再建計画は一応終了でしょうか?そして、もうすぐ平成の世もおしまい。

以前来た時は気が付きませんでした。こんな処で、腰布一枚で、大空に向かって両手をひろげ、こんな男性が、立っていました。

テーマは”愛”

それで、ちょっと調べて見たのですが、この像、かなり、かなり、複雑な歴史を背負っているのでした。

実は、第二次大戦後、連合軍による東京裁判で戦争犯罪者として裁かれた、関係者や遺族が、昭和30年に平和を祈って建立したのです。

そんなことで、ふつうであれば、堂々と、建立した関係者の名前とか、目的とか、いろいろな経緯が記された説明板が設置されるのですが、それなりの配慮が働いているようです。

配慮と云えば、この像が、東京の玄関に建てられたこと、皇居を背にして立っていること、そのあたりに、複雑な、配慮と、思惑と、主張がありそうです。

建立した遺族には、A級戦犯の関係者が含まれているのです。

話しが、とても、とても、重たい方向にながれました。

はい、このあたりで、それでは、駅前を一望できる「キッテ」の展望デッキに上ります。

あちらが、皇居方面となります。ホントに!ホントに!これが平成の東京!刺激的!

今回は、これまで。

次回は八重洲口に向かいます。

 

それでは、また。

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ⑤ 千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖国神社にお参りしました  

2017年04月21日 | 東京の風景

千鳥ヶ淵で櫻の観賞も今日で最終回です。

近所の櫻もイイですが、やはり、皇居のお掘りが背景にあると、櫻もそれなりの趣と云うか、それなりの風情と云うか、艶やかさが、華やかさが、とても、とても、非日常でハレの気分になるのです。

お堀り水面に櫻

 櫻にボート

こちらは、とても、とても、風情も、趣も、まったく無い水没したドイツの国民車のようなボート、皇居のお掘りには場違い。乗って居る方には選択権が無く、偶々順番でこうなったのでしょう。

お掘りの廻りは高層ビル群。

 突然現れた最後尾の看板! そうですボートの乗船待ちの行列。

皆さん、辛抱強く2時間待ちに耐えて並んでいるのです。やはり、千鳥ヶ淵に来たならばボートでお花見と、2時間待ちもなんのその!固い決意の方々なのです。へんてこなボートに当たらないようお祈りします。

ボート乗り場の上は展望台のようです。人がいっぱいで混み合っています。テレビカメラと中継用のアンテナと送信機らしきモノ設置されています。たぶんNHK無人定点カメラかも?この角度からの映像に見覚えがあります。

お花見に着物姿は、とても、とても、イイです。着物も帯も素敵でした。良く確認しませんでしたが、着ている方もたぶん素敵な方だったと思います。

 見えて来ました。千鳥ヶ淵の戦没者墓苑です。テレビの画面では何度も見ているのですが、これまで一度も来たことはありませんし、どの辺りに在るのかも知りませんでした。

今回、戦没者墓苑と、靖国神社と、武道館との位置関係が頭の中に刻まれました。

今回、千鳥ヶ淵で櫻の鑑賞を思い立ち出掛けて来たのですが、戦没者墓苑については、まったく頭の中にありませんでした。

いつの日にかは!と思っていたので、早速お参りしたいと思います。

この案内板ですが、下の処に「環境省自然環境局」とあります。へぇー、環境省の管轄なの・・・そういう事なの?何か、分かったような、分からないような・・・。

入り口から真っ直ぐ進み、突き当たって左手方向

 傍らに説明が

と、云うことなのです。

 

こちらは厚生労働省と環境省です。

 

お参りします。

わたし達も白菊を献げました。

 両脇には三対の花束が、

 関連省庁として、総理大臣として、一年中絶やすことなく献げられているのでしょう。

 墓苑を後にして、本日の櫻観賞もほぼ終わりに近づきました。

もう一度、掘りのボートを、櫻を、

やはり、千鳥ヶ淵のお花見はボートに乗ってが一番かも?

こんな処に、インド大使館です。

 それにしても、塀に貼られた写真が、

とても、とても、派手、派手です。コレまでにいろいろと大使館を見ましたが、塀にこんな写真を貼っている大使館ははじめてです。

大使館を過ぎると直ぐに、靖国神社の鳥居が見えて来ます。本日は、こちらもお参りします。但し、大鳥居の前でのお参りです。

以前、一度、本殿にお参りしています。いろいろありますが、兎に角、いろいろな意味で戦争の“犠牲”になられた方々です。

田安門の入り口に戻って来ました。

これで本日の櫻の観賞はお終いです。

田安門に入ったのが1時ちょっと過ぎ、戻って来たのが2時半ごろで、千鳥ヶ淵一周の所要時間は約1時間半でした。

以上です。

 

それではまた。

 

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ⑤ イスラムの方達!そして眼下に千鳥ヶ淵を!遠くに吹き上げ御所を!眺望一番の三番町の高級マンションにはどなたがお住みなの?   

2017年04月17日 | 東京の風景

前回の続きです。

我が家の近所の櫻は昨日でほぼ散りました。

それでも、千鳥ヶ淵のお花見は続きます。

本日のコースは千鳥ヶ淵の土手?を歩き、内堀通りに突き当たった処で右折して北上し、「墓苑入り口」の信号を右折し、戦没者墓苑に沿って墓苑の入り口手前まで歩きます。

 

ここが千鳥ヶ淵交叉点、右に曲がります。

 

左手が内堀通り。

墓苑入り口を右折します。あちらからイスラムの方達が歩いて来ます。

ちょっと見、観光客ではなさそうです。たぶん。

それでも、やっぱり、お花見?

以前、地元のショッピングモールで見かけた2~3歳ぐらいの女の子が、全身イスラムファッションで、とても、とても、可愛かったのです。この集団はイスラムファッションのオバサン達しか居ませんでした。

この辺りが、一番混み合っていました。櫻もそれなりに、混み合って咲いています。

それで、この着物姿の女性ですが、道の反対側に建つマンションを指差し、傍らの女性と話しをしているのです。櫻よりもマンションに興味があるようです。

何か、とても、高級そうなマンションです。何と云っても、千鳥ヶ淵を、皇居を、見渡せる都心の一等地です。相当に高級で、相当にお高い筈です。 

買える訳など絶対!に無い物件ですが、兎に角、お値段を知りたくなってネットで調べてみました。

ありました!皇居の周辺ですから三菱地所の物件でした。千代田区三番町の「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」と云うそうです。竣工は2015年3月、地上14階、地下2階建。

全戸数は73戸で、販売対象22戸で、全戸1億円以上で、最高価格が5億4200万で、最多価格帯が2億7000万円だそうで、即日完売だったそうです。

賃貸が23戸あるそうで、販売が22戸で賃貸23戸で、73戸-(23戸+22戸)ですから、残りの28戸はどうなっているのでしょう。一般販売前にお得意さんに優先販売?

坪単価は800万円前後で、2008年のリーマンショック以降に新築分譲されたマンションの中では坪単価が最高額のマンションとして、富裕層や業界内でも大きな注目を集めたそうです。

即日完売で、平均倍率が5.09倍で、最高倍率が13倍だったそうです。たぶん、最高価格の5億4200万円の部屋が最高倍率では?と思うのです。その筋の情報として、バカ高い方が人気があり、売れるらしいのです。

因みに、現在の賃貸物件では、4階の3LDK(120.65m2)で、賃料は92万円だそうです。安いと思う方もいるし、バカ云ってるんじゃねェ!と思う方もいるし、世間はそう云う事なのです。

しかし、こういう処にお住まいの方は、緊迫する朝鮮半島情勢とか、トランプ政権とか、安倍政権とか、経済情勢とか、秘密保護法とか、共謀罪とか、教育勅語とかに付いて、どのようなご意見をお持ちなのでしょうか?・・・・・・。

兎に角、これで、一応、千代田区三番町の「ザ・パークハウス グラン 千鳥ヶ淵」の物件情報を終わります。

興味がお有りのお方は、三菱地所レジデンスにお問い合わせ下さい。その際「歩く・見る・食べる・そして・・・少し考える」で見たと、告げると・・・・・・特に何の特典もありません。

さて、冗談はこれくらいにして、花見は続きます。

大変な人出で、救急車も出動です。70代と覚しき男性が付き添って乗車していました、たぶん、奥さんが急病? 救急隊員も旦那もそれほど慌てていませんでした。 記憶に残るお花見になった?

満開の櫻。傍らには、櫻は観賞するだけで枝を折るな!立て看板が、英語、中国語、ハングルでも書かれています。今時、櫻の枝を折る人は酔っ払いでも居ないと思うのですが、よその国の方達に危ない人が居るの?

櫻は、眺めて、写真に撮って楽しみます。

ホント!ラッシュアワーの車内状態。

この辺りで、ちょっとした広場に出て、やっと、一息。

千鳥ヶ淵のお花見は、まだ、まだ、続きます。

 

それでは、次回。

 

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千鳥ヶ淵で櫻を観賞 ④ アイスクリーム屋さん生活を賭けての強行販売?かなり繁盛してました!   

2017年04月14日 | 東京の風景

前回の続きです。

千鳥ヶ淵を歩いています。

前方に移動販売車を発見。こんな場所は通常は駐停車禁止です。お花見シーズンとは云え、いくら何でも販売活動などの許可は下りない筈。でもしかし、それなりに生活を賭けての強行営業。

アイスクリーム屋さんです、オバチャン達が群がっています、商売はそれなりに繁盛の様子。

櫻は所々に、

土手に上がったり、下りたり、いろいろな角度から櫻を観賞。首都高環状線はよく走りました、桜の季節は車窓から一瞬の花見。本日初めてしっかり、じっくりのお花見。

のんびり、ゆったり、花見の散歩。

この辺りが一番かも?

写真を撮る人を撮る。

海外からのお客さんも一枚パチリ。

千鳥ヶ淵をこの角度から映し出す報道を眼にします。こんな処からカメラを構えていたのです。

櫻に、首都高に、ボートに、高層ビル、こんな感じの写真を良く眼にします。

いろいろな人が歩いています。

道路の向かいは皇居。いろいろな人が通りますから警戒は怠らないのです。でも、皇宮警察の若いお巡りさん、カメラを意識して?下を向いています。

こんな場所で、シートを敷いての花見の宴会? ちょっとと云うか、かなり落ち着かない花見では・・・?

見上げれば、ほぼ満開の櫻。

この櫻、立ち姿が、とてもヨカッタです。

千鳥ヶ淵の櫻鑑賞は、まだ、まだ、続きます。

それでは、また。

 

※業務連絡

  さかいクン、お米が昨日の午後3時頃に届きました。ありがとう御座います。

 

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