歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑤映画“利休” と「歴史秘話ヒストリア」

2011年09月30日 | 映画の話し

NHK「歴史秘話ヒストリア」見ました。時間が夜の10時でしたから、私としてはとても遅い時間ですので、いつものように録画して昨日見たのです。

それで、一番驚いたのは、利休が身分差別を否定する思想を持っていたことの指摘でした。


中学の歴史の時間に、堺が琉球貿易・南蛮貿易の拠点として、国内外より多くの商人が集まる“国際貿易都市”だったこと、商人達による自治都市であったこと、何てことを習ったような気がします。

そんな堺で、利休は、生まれ、育ち、商いをし、茶の湯をやっていたのですから、かなり革新的な思想を持って当然だったのでしょう。

これまでは、どうしても、現在の“茶道”と云う一般的なイメージで、あの時代に生きた利休を見てしまったようです。

どうしても、茶道と云うと、表千家だとか、裏千家だとか、そんな言葉を耳にしただけで、何か、伝統とか、家元制度とか、格式とか、形式とか、行儀作法とか、とても、とても、堅苦しくて、自由とか、平等とか、革新とか、そんなものとは正反対の位置にある存在だと思っていました。

でも、しかし、当時、利休の茶の湯は、革命的だったのです。映画利休でも、その点はそれなりに描かれていたのですが、しかし、どうしても現代の“茶道”のイメージが邪魔をしていたのです。

このへんに、秀吉との対立の根っこがあったような、そんな気がしてきました。


1582年、「本能寺の変」で主君信長が死亡。
1585年、秀吉と共に天皇に献茶。
1587年、商人でも、農民でも、武士でも、身分に関わらず参加させた「大茶会」
1588年、兵農分離、農民の武装解除の「刀狩り」
1591年、いろいろあって最終的に天下を統一。「身分統制令」を制定。

そして、この1591年の2月28日に、秀吉に切腹を命じられたのです。その時、利休は70歳、秀吉は54歳。

秀吉と共に、天下取りの道を歩んだ9年間、天下取りを完成したその年に、秀吉から死を命じられた利休。

何故?、どうして?・・・・・・、そんなところを、もう少し・・・・・・。


まだ、まだ、「映画利休」の話しは、続きそうです。


それでは、また来週。




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④映画“利休”切腹の謎は身長差だった!

2011年09月28日 | 映画の話し
一昨日の続きです。

それで、このところ映画“利休”の話しを綴っているのですが、本日の午後10時にNHK総合の『歴史秘話ヒストリア』で、秀吉と利休を採り上げ、“日本史上最大の謎・利休切腹の真相に迫る”そうです。

利休の切腹が日本史最大の謎であったとは、わたくしまったく知りませんでした。兎に角、今夜は絶対に見なければなりません。皆さんもお見逃しなく。

それは、それで、一昨日の続きですが、弟子の宗二に、『・・・わびの草庵とはまったく違う。宗匠様のヒダの多いお考えは、私は飲み込めません』と、批判された利休。

そして、次のシーンは、蒸し風呂に入り汗を流した後、美しい妻に着替えをして貰い、床の間の軸を眺め、


『萬象は善に在り』と書かれた文字を呟き、地球儀に眼を移し“いい眺めだ”と呟く。


宗二に“ヒダが多い”と批判され、それなりに落ち込み、蒸し風呂に入り、心も身体もサッパリして気分は爽快。

そこに“萬象善在”の軸、そして地球儀。この宇宙に存在するすべては善、“ヒダが多く”て、“キンキラキン”も“わびの草庵”も、どちらも、それぞれが、美しく思える自分も、それはそれでイイのだと、そう確信したように見えます。

“わび茶”と云う言葉は利休の時代にはなかったそうですから、わび、さび、の美意識もまだまだ発展途上で、いろいろ混ざっていた時代だったのでしょう。

利休にしても“完全無欠”の“ワビサビ人”には到達していなかったのでしょう。

ソロバンを弾き、大福帳に記帳する姿、会話や、身のこなし、茶人ではなく、商売人利休として描かれています。


このシーンも、茶器を芸術品としてではなく、商品としてその値打ちを鑑定しているのです。商売人なのです。


美しい妻を見る、眼、表情、仕草、言葉使い、色欲もまだまだ十分あり枯れてはいないのです。ベットシーンになるのかと期待を抱かせたのですが、残念ながらありませんでした。当時、48歳の三田佳子にはちょっと無理・・・・・・。それにしても、息を抜くシーンがありません。


これまで利休は、かなり“ストイック”な茶人と思っていたのですが、この作品を観て、そして、ちょっこっと調べたりもして、へぇー、そうだったの!何て、発見があったりして面白いです。

発見と云えば、このシーンです。


相手が小柄な外国人とは云え、利休があまりにも大柄に見えるのです。あの千利休です、茶室を、小さく、小さく、した方です。きっと小柄な方と思っていたのです。

それがです。なんと、なんと、実際の利休は180㎝以上の大柄だったそうです。大柄で茶人で、簡素質素なのでした。これはかなりの発見でした。

人間の背丈は、その人の考え方にそれなりの影響を与えると思うのです。もしかして、秀吉の背丈はと調べてみたのです。

秀吉はいろいろな記述から、やっぱり“小男”だったようです。あの時代で小男ですから、たぶん140㎝台の前半かと思いす。

ポルトガル出身のカトリック宣教師で、織田信長や豊臣秀吉らと会見し、『日本史』を記したことで有名な、ルイス・フロイスは、

“秀吉は身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には6本の指があった。目が飛び出ており、シナ人のようにヒゲが少なかった”

と書き残しています。

他にも、色黒との記録もあり、容姿はかなり最悪だったようで、それに加えて身長が低いとなると、これは、もう、かなり、大男利休との関係に、大きな影響与えた可能性があったと思うのです。

もしかして、実は“日本史最大の謎”は、ここらへんに理由があったりして・・・・・・。


まあ、兎に角、本日、午後10時の放送が楽しみです。


れでは、また次回。

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③映画『利休』金銀財宝と“わび茶”そして『わび・さび』はひとときの贅沢なお遊び

2011年09月26日 | 映画の話し
それで、豪華絢爛、キンキラキン好きの秀吉と、粗末で質素で地味好きの利休、この関係なんですが、いろいろとあると思いました。

金銀財宝を大嫌いな人は稀です、金銀財宝に宣教師もこころ奪われるのです。

【このシーンでも、宣教師や家来や利休を引き連れ、金銀財宝の蔵を目指して、城内を走るのです。“走る秀吉”なのです】

底辺から這い上がり、富と権力を手にした秀吉。でも、しかし、金銀財宝だけでは、人はなかなか従ってはくれないのです。表面的には金銀財宝に眼がくらみ、その所有者にそれなりに従いますが、尊敬はしません。

権威とか、名声とか、尊敬とか、戦いに強いだけでなかなか手に入らないものです。他人と云うか、世間一般と云うか、今でも、家柄とか、育ちとか、教養とか、容姿とか、立ち振る舞いとか、いろいろと求めるものです。

この作品の秀吉は、下品と云うか、粗野と云うか、馬鹿ぽっいと云うか、かなりの描き方をしています。

食事と云うか、メシの喰い方がとても下品、


天皇に武士の頂点に立ったことを認められ、馬鹿丸出しで喜ぶ秀吉。


この作品の秀吉はかなりの描かれかたです。でも、しかし、家来や世間一般からも“猿”と云われ、その容姿はかなり酷かったそうですが、演じているのは二枚目の“山崎努”です。

監督の美意識として、史実に近いリアルな猿顔の秀吉を描くのは、それなりに抵抗があったのでしょう。今ならば、秀吉にピッタリな役者と云えば“笹野高史”です。

それで、ちょこっと調べて居みたら、やっぱり、やっていました。私がまったく見ないNHK大河「天地人 (2009年)」で秀吉をやっていました。笹野高史と云えば“寅さん”シリーズの“中年オカマライダー”がよかったです。

話しを戻します。

それで、利休の方ですが、彼にしても、単純に“豪華絢爛”を否定しないと云うか、対立させてはいないのです。驚きで、眼から鱗で、ナルホド、そうかも知れ無いと思ったのです。

弟子の宗二とのシーンで、


「殿下は金がお好きなのです」

「しかしな宗二、金の茶室には不思議な美しさがあるんだ、あのなかに居ると、すーと広がって、おおらかで・・・、そう、無辺なのだ」

「それはご自分がお造りになったからでしょう」

「おまえは逆に、金の値打ちに毒されているのではないのか」

「殿下に媚びていらっしゃるんだと思います。わびの草庵とはまったく違う。宗匠様のヒダの多いお考えは、私は飲み込めません」

「わたしには、ふたつを分けて考えられんのだ」

「矛盾しております」

と、まあ、こういう会話をするのです。

利休は宗二の考えに人間の弱さを見たのでしょう。金銀財宝を目の前にすると、その魔力に取り憑かれ、自分を見失う怖さ。

金銀財宝の美しさも受け入れ、質素簡素も受け入れ、それぞれが持つ美しさを否定しない、ひだの多い美意識。うん、そうか、そうかも知れないと思いました。

これまで利休は、修行僧のようで、禁欲的で、とても、とても、真面目な方をイメージしていたのですが、ソロバンを上手に弾く、堺商人の顔も持っていた事を知りました。

貧乏で粗末では、「わび、さび」のどころではないのです。それなりに財力がないと、豪華絢爛、金銀財宝の前では、その美意識が怪しくなるのだと思います。

金銀財宝も、ただ単に、フツウに、美しいと感じる心、これがムズカシイのです。フツウの人は美意識よりも、物欲で眼が眩むのです。

宗二も自分の物欲への怖さが、金銀財宝を憎み強く否定する発言に繫がっていくのだと・・・、そう利休は云っているのです。なかなかの描き方、なかなか解釈だと思いました。

もしかして、金銀財宝、豪華絢爛を通過しないと、“わび”とか、“さび”とかには、辿り着けないのかも・・・・・・・。

そうなのです、“わび・さび”とは、慎ましく、寂しく、貧しく日常をおくる人々には届かぬ境地であり、その対極に居る人々の、反省を込めた、ひとときの贅沢なお遊び・・・・・・?


なかなか面白いですよ、映画“利休”は。


まだ続きます。


それでは、また次回。

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②映画“利休” 走る秀吉と摘まれる朝顔

2011年09月22日 | 映画の話し
一昨日の続きです。

それで映画“利休”ですが、冒頭は、あの“朝顔”の逸話から始まるのです。

朝靄のなか、秀吉を迎えての茶会の準備。

炭火を熾し、


水を汲み、


沸かす前に水を濾し、


花を摘み、


花を生ける。茶会はこういう前段階から、もう、始まっているようです。


利休は、垣根に咲く朝顔の中から、薄く、淡く、儚く、枯れた色の朝顔を一輪だけ選ぶのです。鮮やかな青い朝顔は避けるのです。“わびさび”です。私であれば、まだ、まだ、鮮やかな青い朝顔を選びます。

そして弟子に、残りのすべての朝顔を摘み取るように命じるのです。


朝顔の美しさを茶室の一輪に集中させるのです。なかなかの演出です。お見事です。


わたくし摘み取られた朝顔が哀れに思えたのですが、しかし、考えて見ると、陽が上るまでの一時の命、陽に当たれば瞬く間に醜く萎む朝顔・・・・・・。

美しい盛りに摘み取る、それは、それで、いいのかも知れません。そして、次の朝、また美しく咲くのですから・・・・・・。

儚い朝顔には、儚い色が似合う。

そんな“わびさび”で、秀吉を迎える利休。

そこへ、金ぴか衣装で家来を従え走る秀吉。兎に角、走る、


朝靄のなか、走る、走る、ハシル、ハシルヒデヨシ、ハシバヒデヨシ・・・・・・。オヤジギャグでした。


この作品のなかで秀吉はよく走るのです。走り、いそぐ、秀吉。

“本能寺の変”での“中国大返し”、兎に角、秀吉は走ることで天下人になりました。百姓から這い上がり、天下をとり、歴史を駆け抜けた秀吉、そのことを象徴した演出でしょうかね。

それで、庭先に走り込み、花の摘み取れた朝顔の生け垣を見て、


不思議に思う秀吉。


茶室に飾られた一輪の朝顔、


感動し、驚き、そして、利休に“脅威”を感じる秀吉。


走る秀吉、佇む利休?



この作品を観ていると、茶頭の役割とか、武士と茶の湯とか、わび茶とか、ワビサビとか、モノのの哀れとか、いろいろ興味が湧いて来てます。


この続きは、次回とします。


それでは、また。


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①映画“利休”で細川護煕

2011年09月20日 | 映画の話し
いつものように、NHKのBSで放送されたもを録画しての鑑賞です。

やはり、放送当日に観るよりも、好きな時間に、観たくなったその時に、勝手に観るのが良いのです。

それにしても、今回の“利休”は、“濃かった”です。録画で観てホントに良かったと思うのでした。あまりの濃さに身体が固まってしまうのです。眼を離せないのです。トイレに立てないのです。でも、録画でしたから、何回か眼を離しトイレにも立ちました。

1989年公開、監督勅使河原宏、脚本“赤瀬川原平”と勅使河原宏、原作は野上彌生子の“秀吉と利休” 上映時間2時間15分。


最初から最後まで緊張の連続でした。どの場面、どの台詞、すべてに無駄が無いのです。完成されているのです。まさに“わび茶”の世界でした。かなり悩み、かなり疲れ、かなり納得したりするのです。映像、音楽、衣装、なかなかよくできた作品です。

三国連太郎の利休。


山崎努の秀吉。


でも、しかし、わたしとしては、この手の“権力闘争話し”はあまり好みではありません。どうして庶民が、好むのか不思議なのです。

歴史を、映画や小説で、人間ドラマとして娯楽として見るのは、それなりに面白く、それなりの知識と一般教養が、楽しみながら身についた気分になれるのかも知れません。

“利休”は、当然、映画ですから、あくまでも野上彌生子さんと、勅使河原宏さんと、赤瀬川原平さんの解釈です。

でも、今回の「利休」はそれなりに“へェ~、ほォ~、そうなの、なるほどねェ”、と納得したり、感心したり、それなりに、興味津々で、面白かったのです。

野上彌生子の原作は“秀吉と利休”、映画のタイトルは“利休”で、“秀吉”は消えています。原作は読んでいませんが、秀吉と利休の両方の視点で描かれているので「秀吉と利休」、映画は利休を中心に描き、「利休」としたのでしょう。

それにしても脚本が、あの“トマソン”の、あの“路上観察学会”の“赤瀬川原平さん”が草月流家元の監督と、共同作業とは驚きでした。わたしとしては、この二人が、どこで、どう繫がったのか、とても不思議です。

「トマソンと路上観察」は、とても、とても、“わび、さび”の世界なのかも?


それにしても、冒頭近くのシーンで、何処かで見たような殿様だと思っていたら、


エンドロールに名前を発見。


数秒のカットでしたが、本物の殿様が演じていたのです。1989年当時は熊本の県知事時代です。この4年後に権力の頂点、総理大臣になるのでした。

懐かしさだけではなく、最近の政局では野田氏を担いで、裏でそれなりに動いていた事が、すこしずつマスコミが伝え始めた今日この頃。

豊臣秀吉に、千利休に、細川護煕で、民主党野田政権で、なかなか、今っぽいドラマとして、見えても来るのです。


それでは、ここらで、この先は次回とします。


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ワープステーション江戸

2011年09月14日 | その他
江戸時代にワープです。





































江戸時代でした。


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葬祭展?に行って来ました

2011年09月12日 | その他
先日の友引の日に、葬祭業者の開催する“葬祭展”に行って来ました。

元気な母が“積み立て”をしている業者から招待状が届き、母が“この際だから、どんなもんか参考の為に行って見るか”となったのです。

葬祭場に着いたのが、開演?5分前の9時55分。会場はほぼ満席、かなりの盛況です。

会場は、それなりに、皆さん“そろそろの年齢”の方が多かったです。我々は最後尾の席に座りました。


この写真の方が今回の主役です。


病院での死亡から納棺までを、寸劇形式でいろいろ説明があるのです。左端の浴衣の方が亡くなられた方で、そのとなりが奥さん、そして白衣の方が医師となっております。


納棺師による“湯灌”の実演。


興味のある方は前に出て熱心に見ていました。こんなもんを見てどうするのでしょうかね。何をどうやるのかよりも、料金はお幾らなのかが知りたいです。

身体を洗って、髪を洗って、顔を剃って、化粧をして・・・・・・、“おくりびと”の世界です。

あの世への旅立ちの衣装。材質は、ポリエステル、木綿、絹、ご予算に合わせて取りそろえているのです。お値段の差はどの程度なのか。


すべてが終わって納棺です。お棺の長さは185㎝が標準のようです。だいたいこれで間に合うそうです。入らない時は、膝を立てたり、脚を開いてお入りになるそうです。別途、特注サイズもあるようです。


寸劇が終わり、質問時間に入ったので途中で退席、他の展示を見に行くことにしました。

会場入り口には、お食事のサンプルとカタログが並んでいました。


ざっと見、通常価格の2倍から、


3倍ではないかと思える価格表示。こういうところで利益を出しているのです。


こういう葬儀会場では“会場費無料”を謳っている業者が多く居ますが、その魂胆が透けて見えます。でも、しかし、会場費“無料”は、それなりに客を惹き付ける効果があるのです。

こちら、“お返し”によく使われるお茶です。これらも、かなりのマージンがのせられている筈です。


こちらはお棺。


一番安いのが、左側の桐製で「四万七千二百五十円」です。“二百五十円”が泣かせます。


そして、こちらの左側が一番高い「二五万二千円」価格差は約5倍。


お棺の後は、骨壺に入ります。こちらもいろいろ取りそろえてあります。最低価格が白無地の壺で八千四百円。


いろいろあって、


最高値の壺は“二十六万二千五百円です。価格差は30倍以上。


一応、今回は、湯灌、納棺、お棺、骨壺、お返し、これらをざっと見て帰って来ました。

母は自分から行きたいと云って見学に来たのですが、やっぱり、何だか、あまり、いい気分ではなかったようです。何と云っても“89歳”ですから・・・・・・。

わたしにしても、もう、そう遠くないので、あまり・・・・・・なのでした。

いつかは、かならず、なのですが、その時は、その時です。

まあ、時には、あちらに、思いを馳せるのも必要ですが、葬儀となると、あまりにも具体的で、身も蓋も無いのです。


それでは、また。


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つくば産総研の側で10割蕎麦を食す

2011年09月09日 | 食事の話し

先日、猛暑の中をこんな日は“レバニラ炒め”のランチでスタミナをと思いつつ、つくば市街でペダルを漕いでいたのです。

つくばの市の中心街には、レバニラ炒めの似合う店が見つからず中心街を通り越し、あの“産総研”のそばまで来たのです。

“産総研”とは、正式には「独立行政法人産業技術総合研究所」と云い、むかしは通産省の工業技術院に属していた研究所です。

最近では、8月31日に「土壌中のセシウムを低濃度の酸で抽出することに成功した」とのマスコミ報道がありました。

・・・『土壌から酸水溶液でセシウムイオンを抽出し、抽出したセシウムイオンはプルシアンブルーナノ粒子吸着材でほぼ全量を回収可能•放射性セシウムに汚染された廃棄土壌などの大幅な減量化に期待』・・・

何て絡繰りで、兎に角、放射能の汚染対策に期待される技術だそうです。この研究所は、これまでにも、世間の期待に答え、それなりにタイムリーに研究成果を発表しているのです。

それで、その産総研の“そば”を通りかかりつつ、産総研の裏手に“そば屋”のあったことを思い出し、ランチは“レバニラ炒め”から“そば”に急遽変更されたのでした。

産総研のフェンス沿いの先、左に曲がる角に立つ案内看板。そば屋でオシャレに冷製パスタです。


以前から、何度も店の前を通り過ぎ、いつか、きっと、ここで、と思っていたのです。裏通りで、それなり営業しているのですから、それなりのソバが食べられると思っていました。


猛暑の中、入る時、この“節電中”の貼り紙を見落としていたのです。


ソバの冷製パスタを出す店ですから、店内は“それなり”の内装が施されていると、そう思っていたのです。でも、しかし、そこいらの町の蕎麦屋の佇まいでした。


床は、そこいらの町の蕎麦屋でも、今では、とても、とても、珍しい“コンクリの打ちっ放し”なのでした。


それなのに、“ディナータイム・特別メニュー”なんて貼り紙が、ディナータイムてっか? 冷製パスタてっか? オイ!オイ! 何か勘違いしてないか? 


店内の様子を見回して、一人で、密かに、いろいろ突っ込みを入れていたのです。

実は、店内が暑いのです! 節電中なのです! 猛暑の中を走り回って来たのです、感情的になるのです。

電力不足は、電力会社と経産省の謀略です。原発がなくなると、こんなに不便になるとの脅しです。皆さん瞞されていけません。

そういえば、本日で“電力使用制限令”は解除されます。冬場も制限令はないとの事。

この店は、世間の動きに便乗して、経費を削減しているのです。節電ではなく節約なのです。環境的な判断ではなく、経営的な判断なのです。最近、こんな輩が世間に増殖しているのです。兎に角、暑いゾォ!

それで、何を食うか、


汗を流しつつ、思案したのです。


そして、“ぶっかけソバの大盛り”を注文。失敗でした。暑さが判断を狂わせたのです。冷たいソバの上に、揚げたての天ぷら、中途半端な温度のソバになっていたのです。

ぶっかけは夏場に食していけなかったのです。


味の方は、食って損した味でした。
そばが中途半端に太い。
この店は“十割そば”だったのです。
十割は不味いのです。

そして、汁なのですが、もしかして、これ、鰹節も、さば節も、あご節も、ダシはまったく使用していないのでは?との、大きな疑念を抱くほどの味でした。




兎に角、ホントに、一人で入って、ヨカッタ! 誰かを連れてきたら、間違い無く赤っ恥をかきます。


本日は、これまで。



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つくば市“東平塚の松並木”が開通してました

2011年09月07日 | つくば市の風景

先日、たまたま、つくば市役所方面を走っていて、ふと、あの“東平塚の松並木”のことを思い出したのです。あれから一年、もう今頃は、道路は開通している筈。

やっぱり、でした。


キレイに整備されています。歩道の敷石が今風です。


並木の下、旧道が残っています。


工事中だった去年、工事ゲートに佇んでいた、あの“鉄人ガードマン”が遠くを見つめ、
『むかし、松並木は、道の両側にあって・・・・・』
と、呟いたことを思い出しました。

こんな感じなのでしょうか?


それとも、こんな? 


それとも、こんな?


それとも、こんな? いずれにしても、やはり、松並木は両側が絵になります。


遠くに、東光台の研究団地が見えます。


これが、一番端っこの松。


一番端っこからふり返ると、地平線の彼方、砂漠の蜃気楼のように“つくば研究学園駅”周辺の建物群が見えます。


側面からの松並木。


工事車両のある風景。


この感じ、イイです。


この風景も、


この無限軌道の車体色も、とてもイイです。


“東平塚の松並木”でした。



それでは、また明日。

※関連記事
https://blog.goo.ne.jp/cocoro110/preview?eid=a816eca8760e90460b716591490aca3d&t=2273963685b0b56a9e2829?0.45957290458691913

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二人目の孫が誕生!元気で可愛くてありがとう!

2011年09月05日 | その他
今日は、9月の5日ですが、先月の17日に二人目の孫が誕生したのです。

男の子で~~~す!!!

それで、いろいろあるので、お姉ちゃんは出産の前後、こちらにお泊まりに来て、サンシャインの水族館に行ったり、ディズニーランドに行ったりしていたのです。

そして、19日に、いよいよ“ご対面”です。

産科の入り口では、可愛い赤ちゃん達が、ずらりと並んでお出迎えです。みんな同じような顔をしています。

孫はこの中には居ません。ママと一緒に病室です。


初めての姉弟対面です。お姉ちゃんは恥ずかしそうに、弟の頭を撫で撫でします。


可愛い足です。いまのところはがに股なのです。


可愛いお手々に、


可愛いあんよ。


初めての抱っこ、お姉ちゃんはニッコリ!


バァバにも、


ジィジにも、抱っこです。やわらかで、あったかで、たまらない感触。ホントにホントに超可愛いのです。


それで、お姉ちゃんからディズニーランドで買った“よだれ掛け”と、


それと、これは何て云うのか?手に持って振るオモチャをプレゼントしました。


お姉ちゃんは、自分のお小遣いで買ったのです。その際に“昨日生まれた弟へのプレゼントなの”と、売り場の女性店員に告げると“バースディカード”を書いてくれました。

それで、代金を払う時なんですが、お財布から取り出した、四つに畳まれた千円札を、可愛い手で一枚、一枚、大事そうに、丁寧に、ゆっくりと、広げる、その仕草がとても愛らしかったです。

ふたつで3千2百円でした、2百円はバァバに出してもらいました。可愛い笑顔と可愛い声でバァバに“ありがとう”と云ってました。

誰かに、何かを、して貰った時は、必ず“ありがとう”なのです。良く出来た孫なのです。

ホントに、可愛い孫です。ホントにありがとう!

そして、あたらしく誕生した男の孫も、元気で、可愛くて、ホントに“ありがとう”

本日は、とっても、とっても、ジィジ馬鹿でした。


それでは、また明日。




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