室生犀星の詩「ふるさとは遠きにありて想うもの そして悲しくうたうもの」は、私が27歳で、初めて、金沢を離れ、東京に転勤した時の心の支えだった。
「よしやうらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」の部分は、見ず知らずの大都会で、知り合いもいない心細い生活の中で、苦しくても頑張ろうという気持ちにさせてくれた。
さて、私は、今までこの詩は、室生犀星が、東京に住んでいる当時、金沢を想い詠んだものだと理解していたが、実は、金沢で書いたものだった。
誤解の原因は、後段の「ひとり都の夕暮れにふるさと想い涙ぐむ その心もて遠きみやこに帰らばや」の「都」と「みやこ」を取り違えていた。
犀星が、金沢へ帰った時、受け入れて貰えず、東京へ戻る時の心情を綴ったものだが、どこの地で詠んだものでも、万人の心に迫りくる名作だと思う。
「よしやうらぶれて 異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」の部分は、見ず知らずの大都会で、知り合いもいない心細い生活の中で、苦しくても頑張ろうという気持ちにさせてくれた。
さて、私は、今までこの詩は、室生犀星が、東京に住んでいる当時、金沢を想い詠んだものだと理解していたが、実は、金沢で書いたものだった。
誤解の原因は、後段の「ひとり都の夕暮れにふるさと想い涙ぐむ その心もて遠きみやこに帰らばや」の「都」と「みやこ」を取り違えていた。
犀星が、金沢へ帰った時、受け入れて貰えず、東京へ戻る時の心情を綴ったものだが、どこの地で詠んだものでも、万人の心に迫りくる名作だと思う。