プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★助詞の難しさ

2021-05-24 07:35:56 | 日記・エッセイ・コラム
 「朝顔につるべとられてもらい水」は、”加賀の千代女”の代表作だが、のちに「朝顔や」と書いた自筆のものが出て来て、「に・や論争」が起きた。

 「に」と詠むと、井戸の水を汲み上げようとしたら、朝顔のつるが釣瓶に巻き付いていたのを見て、近所に水を貰いに行った優しい情景が、ストレートに浮かんでくる。

 一方、「や」と詠むと、切れ字なので朝顔の花の美しさに焦点があたる。「に」と「や」で、ニュアンスがこうも違うものかと、17文字の奥深さに驚く。

 「トンボ釣り今日はどこまで行ったやら」や「起きてみつ寝て見つ蚊帳の広さかな」等も、情景や心情が直截的に伝わり、親しみを感じる。

 しかし、正岡子規は、「俗気多くして俳句といふべからず」と酷評したし、通俗的だと評価する向きもある。が、私は、文学的な価値よりも生きざまとして、理解している。</spaon>