チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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第130話 大晦日の訪問者

2007年12月31日 | チエちゃん
 その年は、静かな大晦日を迎えていました。
夕方からちらつき始めた粉雪があたり一面を銀世界に変えています。

 夜が弱いおじいちゃんは、レコード大賞の発表が終わらないうちに寝室へ引き揚げてしまい、茶の間に残っているのは、おばあちゃん、お母さん、たかひろ君、チエちゃんです。

 出稼ぎに出ているお父さんは仕事の都合で、「今年は年内に帰れない、年が明けてから帰る」と連絡が入っていましたから、ちょっと寂しい歳夜だったのです。
 さっきまで眠い目を擦っていたたかひろ君も、とうとうこたつで眠ってしまいました。

 もうすぐ紅白歌合戦もトリを迎えようとした時、玄関の方でガタガタと音がしました。こんな大晦日の夜更けに誰かお客さんだろうか?と、お母さんが出て行くと、

 こんばんは

と声がします。チエちゃんも後を追って玄関に向かいました。
訝しみながらも、お母さんが玄関の戸を開けると、雪まみれの男性が立っていました。

 なんだべ!明日帰ってくんでねがったの?

そう言いながらも、お母さんの声にはうれしさが溢れていました。
お父さんでした。
仕事が予定より早く片付き、明日にしようかとも思ったが、列車に飛び乗ったのだそうです。R駅からの最終バスはとうになくなり、十数キロの雪の夜道を歩いて帰ってきたのでした。

 それから、お母さんはいそいそとお茶や夜食の準備に台所に向かい、一眠りしたおじいちゃんも元朝参りに出かけようと起き出し、急に賑やかな大晦日となったのでした。




 今年一年間、チエちゃんの昭和めもり~ずを訪れてくださったみなさま、コメントをくださったみなさまに感謝いたします。

 どうぞ、新しい年を、愛しい人とそして、愛するご家族と迎えられますように・・・



 

もう幾つ寝ると・・・

2007年12月28日 | チエの玉手箱
 ♪もう幾つ寝るとお正月       
 お正月には凧あげて  
 独楽をまわして遊びましょう
 早く来い来いお正月    

この「お正月」の歌のとおり、昭和40年代のあの頃、正月が来るのを指折り数えて待っていました。
それは、お年玉が楽しみであったのだろうし、また、大人たちがいつもよりのんびりとしていて、かるた取りやトランプゲームの相手になってくれたからだろうと思います。
そして、私は年を重ねるにつれ、大晦日の夜、テレビから流れる除夜の鐘を聞きながら、なんとか今年も年を越せたなあと思うようになりました。おそらく、あの頃、両親も祖父母も同じように感じていたのではないでしょうか。
12月31日も、翌1月1日も、自然の営みからみれば、特別な日などではなく、綿々と続いている日々の1日に過ぎないのに、こんな感慨を持つのはなぜだろうと考えます。
人には「区切り」が必要なのかな?
良いことも悪いことも、ここで区切りをつけ、リセットしてまた始める。
気持ちの上での「区切り」が大切なのかもしれません。
1年のサイクルとは、そういう意味もあるのかな?
今年も、あと4つ寝るとお正月。
いろいろ有ったけど、なんとか年が越せそうです。



クリスマス

2007年12月25日 | チエの玉手箱
遠い昔のクリスマス。
チエちゃんには、欲しい物が2つありました。       

1つは、クリスマスツリー。 
 あの頃、豊かさを求めて、どこの家庭でもクリスマスケーキを買い求めるようになり、チエちゃんの家でもこれぐらいの贅沢は許されるだろうと12月24日にはケーキを食べていました。
ケーキが食べられることはうれしかったけれど、ただ、それだけのことでした。
七面鳥の代わりのチキンもなければ、プレゼントもなし、クリスマスツリーなどあるわけがない。
でも、チエちゃんだって女の子、きれいなもの、ロマンチックなものへの憧れがありました。
うちにもクリスマスツリーがあったらいいなと思いましたが、おねだりしても買って貰えるはずはありません。
それで、和光堂から、グリーンと金・銀のモールを買い求め、リース式のツリーを自分で作って机に飾り、いつの日か本物のクリスマスツリーを飾ることを夢見ました。

もう1つは、銀色のボール紙製の長靴に入ったお菓子の詰め合わせ。 
 当時、300円から500円ぐらいだったでしょうか?
親の懐具合に気を使い、欲しかったけれど、あれが欲しいとは一度も口にできませんでした。
それで、働いてお金が自由に使えるようになってから、恥ずかしかったけれど、あの長靴入りのお菓子セットを買ってみました。
中から出てきたものは、ミルキー、ビスケット、チョコレート、あとはスナック菓子が2・3個。
なあんだ、こんな中味だったのかと夢が壊れてしまった気分になりました。

時に、夢や憧れは、いつまでも夢や憧れのままであった方が良いのかもしれません。 

冬 至

2007年12月22日 | チエの玉手箱

 今日は、二十四節気の一つ「冬至」です。
一年中で1番、昼の時間が短く、夜が長い日。
昔から、この日に「冬至かぼちゃ」を食べ、「ゆず湯」に入れば、風邪を引かずに過ごせると言われています。

 子供の頃、私の家でも、この行事は欠かさず行なっていました。
冬至かぼちゃは、母がお鍋にたっぷりと作るので、3~4日は食べていたように思います。生家の冬至かぼちゃは、どちらかと言えば、小豆餡の中にかぼちゃが入っているという感じでした。
我が家では私しか食べないので、ここ数年作っていなかったのですが、妙に食べたくなり、作ってみました。ちょっと、塩味が効き過ぎてしまいました。

 一方「ゆず湯」は、生家に柚子の木はありませんでしたから、この時期になると、もうすぐ冬至だからと、何処かご近所からいただいたものです。
例によって、祖母と一緒にゆず湯に浸かり、冬至のいわれを教わったものでした。
福島は柚子の北限と言われ、柚子を用いたお菓子や、漬物柚子大根が有名です。
今夜は、これから、湯舟に柚子を浮かべて、楽しんでみようと思っています。

この冬、風邪を引かないように・・・

 

第129話 510 Coupe

2007年12月19日 | チエちゃん
ジュンイチさんは、チエちゃんの勤める会社の取引先の営業マンでした。
お茶を出したりするうちに、あいさつを交すようになり、ある時、「よかったら、今度、ハイキングに行きませんか?」と誘われたのでした。
真面目そうな好青年だったので、チエちゃんはその誘いを受けることにしたのです。

 次の日曜日、チエちゃんを迎えに来たジュンイチさんのクルマは、ベージュ色のオンボロ車でした。フェンダーやバンパーの端のほうが錆びています。時々エンジンの掛かりも悪そうです。
「このクルマ、若者にはなかなか人気のある車なんだよ。」という、ジュンイチさんは物を大切に使う人なのかな? それにしても、古すぎない?

 そして、大勢のハイカー達に混じって、ジュンイチさんとチエちゃんは水芭蕉の咲く沼地を目指したのでした。

 うわ~、きれい!水芭蕉が咲いてるとこ、初めて見ました
 来てよかった!

 きれいだろ、、僕、よくここに釣りに来るんだ
 今度、一緒にやってみない? 釣り

 えっ、ええ、、、はい

 チエちゃんが作ったお弁当を二人で食べた後、ジュンイチさんは切り出したのです。
ずっと、チエちゃんのことが好きだったと。付き合って欲しいと。
チエちゃんは、ジュンイチさんの気持ちをうれしく思いました。
こうして、二人のお付き合いが始まったのでした。

 
 それから、二人は、沼に釣りに行ったり、川遊びをして飯盒でご飯を炊いて食べたりと、アウトドアデートを重ねました。
でも、チエちゃんは時々、つまらないと感じることがありました。
ジュンイチさんとは、上手くかみ合わない違和感があったのです。

ジュンイチさんのkissは、やさしいkissでした。
 でも、男はやさしいだけじゃダメなのよ・・・
 時には、激しく、強引でなきゃ・・・・・
そのもどかしく、歯痒い想いをジュンイチさんに伝えるには、チエちゃんはまだ若すぎたのでした。

 その後、チエちゃんがジュンイチさんのオンボロ車を「ブルーバード 510 SSS Coupe」であると知るのは、1年後のことでした。


 


第128話 プロポーズ

2007年12月16日 | チエちゃん
チエさん、、、僕と、、、結婚してください!

・・・・・・・・・・・

ジュンイチさん、ありがとう・・・
すこし、考えさせていただけませんか・・・

 チエちゃんは、何となく予感していました。
今度ジュンイチさんに会ったら、プロポーズされるのではないかと・・・
だから、とても悩んでいました。
 
 ジュンイチさんは、まじめで、やさしくて、とってもいい人。
 それに、チエのことを宝物のように大切に扱ってくれる。
 でも・・・・・
 本当に、この人でいいの?
 私は、ジュンイチさんのことをどう思っているの?
 好きなの?
 愛しているの?
 ずっと、一緒に歩いてゆけるの?



一週間後、チエちゃんはジュンイチさんに答えを告げました。

 ジュンイチさん、ごめんないさい
 私たち、もう、お別れしましょう!
 私は、貴方の申し出をお受けすることは出来ません

 ・・・・・・・・
 そうっか・・・  わかったよ、、さよならだね・・・


チエちゃんの出した答えはNOでした。
チエちゃんは申し訳ないと思いました。でも、どうしようもなかった・・・

 ここで、YESと返事したとしても、何れは不幸な結果になる。
 私はジュンイチさんを尊敬できない。
 今は私を大事にしてくれるけど、
 何かあった時、この人はチエを置いて逃げ出す人よ。

 これでよかったのよ。お互いのために・・・・・

選 択

2007年12月13日 | チエの玉手箱
 これは以前、何かで読んだことなのですが、
人は、意識せずとも常に選択をして生きているのだそうです。

 たとえば、こんな風に・・・・・
朝、目が覚めて、起きようか?Yes No 後、5分だけ寝ようか?Yes No
今日はどの服にしようか? スカートか?Yes No  パンツスタイルか?Yes No
お昼ご飯は何にしよう? パスタ?Yes No 本日のランチ?Yes No コンビニ弁?Yes No 
新しいケイタイ欲しいけどな? 今月ピンチだしなぁ・・・Yes No ええい、買っちゃえ!

こんな日常の些細なことから、一生を左右するような重大なことまで、Yes No を選択しているのだとか・・・

 私は、A型の山羊座などという星のもとに生まれてしまったものですから、物事を決めるときは石橋を何度も叩いて渡る方です。
本当にこれでよいのか? 間違っていないか? 後悔はしないか?
私は何度も自分に訊いてみます。
時々、この性格がたまらなく嫌になる・・・
もっと、ラクに考えればよいものを・・・

性格とはどうしようもないようです。傷付きたくないばかりに慎重になってしまう。

 けれども、時として「そっちを選んだら絶対にNGだ! 結果は目に見えている」と判っていても、どうしても覗いてみたくなる時があります。人間だから、しょうがないよね。
もう一人の私がつぶやく「判ってるんでしょう?NGだって。それなら、もう止めないよ。自分で決めたんだからね、後悔はしないね」

たとえ結果がNGでも、選んだのは自分自身。自己の責任です。他の誰のせいでもありません。


今日も、私は自分自身に確認する。
本当にこれでいいの? 間違っていない? 後悔はしない?

たった一度の人生だから、反省はしても、後悔はしたくないから・・・



第127話 進 路Ⅰ

2007年12月10日 | チエちゃん
 田舎の小さな村では私立の学校などありませんから、小学校も中学校も選択の余地なく村立の学校へ通う訳ですが、高校へ進学する時、初めて進路の選択をすることになります。
もちろん、就職という選択もありましたが、あの頃はもう、中卒が金の卵といわれた時代は過ぎ去り、高校進学率は90%以上になっておりました。

 福島県の高校はどういう訳か、公立・私立ともに男子校・女子校が多く、共学の学校は少数でした。
チエちゃんは、共学校へ行きたいと思っていたのでした。

それはなぜか?

 女子校は女だけの陰湿な世界(実際にはそんなことはないとは思うのですが・・・)の嫌なイメージがあったし、男子のいない学校生活なんてつまらないと考えていたからです。

 中学3年の第2学期終了間際に、担任の先生、親、本人の三者面談が行われました。これは、本人の希望や成績の偏差値などから、受験する高校を決定する重要な面談です。
担任の先生は、チエちゃんとお母さんに、熱心に進学校である公立の女子高を勧めました。
チエちゃんの答えはNOでした。
なぜ?と理由を聞かれても、不純な動機を説明するわけにもいかず、ただ共学校のほうがいいと頑なに言い張ったのでした。
天邪鬼なチエちゃんは、勧められれば、勧められるほど、意地を張るところがあったのです。
 担任の先生もとうとう諦め、チエちゃんがそんなに望むなら、希望通りの高校で進めましょうということに落ち着いたのでした。
  
 3年後、チエちゃんは、ちょっぴり後悔することになるのですが、基本的にはこの選択は間違っていなかったと思います。
剛くんに出会うこともできたし、楽しい3年間を過ごすことができたからです。

 ところで、「偏差値」という言葉が盛んに使われ出したのは、チエちゃんたちの頃からではなかったかなあと思います。
とある中学教師が、生徒たちのことを思い、少しでもラクに受験できるようにと考え出した「偏差値」はいつの間にかひとり歩きを始め、逆に生徒たちは「偏差値」に苦しめられることになってしまったのでした。皮肉なものです。

ゾウの時間とネズミの時間/本

2007年12月07日 | 
 本日はチエのお気に入り本の紹介です。

息子たちが小さい頃、「たくさんのふしぎ」という月刊誌を購読していました。子供達に読ませようと思いながら、一番楽しみにしていたのは私でした。その中に、動物学者 本川達雄さんの「絵とき ゾウの時間とネズミの時間」がありました。

  ぼくたちの心臓は、1分間に60~70回うつ。
  1秒にほぼ1回、ドキンとうつかんじょうだ。
  ところが、ハツカネズミは1分間に600回近くうつ。
  0.1秒に1回。なんと10倍もはやく、ドキドキドキドキとうっている。
  ゾウは1分間に30回。ドキンとうつのに2秒もかかる。
  大きいものほど、ゆっくりと心臓はうっているんだ。
                    (本文より抜粋)

そして、動物はみな、心臓が15億回打つと、寿命なのだそうです。
ネズミの寿命は 2年。
ゾウの寿命は  70年。
それぞれの動物の心臓が1回打つ時間を基準にすれば、ゾウもネズミも全く同じ時間を生きているというのです。
どうやら、神様は動物に平等な時間を与えてくださったようです。
 そこで、私は、人間について考えてみました。
人間の15億回は、45年前後。
昭和20年頃まで人生50年と言われていた時代に、私たちは正しく生きていたようです。
現在の日本人の平均寿命は、男性79歳、女性85歳。
なんだか、神様に背いているような気がします。
私も、もうすぐ、50歳。
これから先は、おまけの人生。大切に生きてゆきたいと思う。

大人向けに「ゾウの時間 ネズミの時間」(中公新書)が出ていますので、興味のある方はどうぞ!

第126話 いろり

2007年12月04日 | チエちゃん
 チエちゃん家で台所と居間の改築を行う以前、農家の土間造りであったそこには、囲炉裏がありました。天井には煙出し窓がありましたし、自在鉤も付いていました。

 しかし、この自在鉤を使うことは稀で、お母さんが手作りこんにゃくを練る時に鉄なべをかけるくらいのものでした。
 あとは、炭火の上に五徳(鉄製の丸いスタンド)が据えてあり、そこには鉄瓶がいつも湯気をたてていたものです。湯が沸く時のチリチリという音が何とも心地よい響きでした。
魔法瓶がまだ、発明されていなかった頃のお話です。

 風邪をひいた時などに、この囲炉裏の中ににんにくを皮付きのままくべて焼き、その焼き上がったにんにくは、甘く、ねっとりとして何とも美味でありました。
あまりの美味しさに何個も食べようとすると、鼻血が出るからとたしなめられたものです。

 また、火箸を使って灰に落書きをしては消し、消しては描き、時折、チエちゃんの遊び場にもなっていたのです。チエちゃんは、この囲炉裏端でおばあちゃんからマッチの擦り方を教わりました。何度もマッチを擦っては失敗し、漸くできるようになった時には、灰の中にたくさんのマッチ棒が散らばっていました・・・

 豆炭行火の豆炭を炭火にくべて、真っ赤に熾るのを待ち、それぞれの行火の中に入れたものこの囲炉裏でした。

 昭和のあの頃は、何をするにも手間隙がかかったものの、なんとゆったりと時が流れていたのでしょう・・・