チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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同級会 その2

2009年02月28日 | チエの玉手箱
 若くして独り立ちし、美容室を経営しているトモ子は、長い睫毛が印象的なポチャッとした色白美人。
50歳を越えても、可愛らしい。
 2年前、彼女は大腸癌の手術を受けたのだとアッケラカンと告白しました。

 えーっ!検診で見つかったの?

 ううん、最初は何もしてないのに、急に痩せてきたのよ

 それで、喜んでいたのだと言う。
姑の介護と店の経営で、目が回るほど忙しく、それで疲れているのだろうぐらいに考えていたそうだ。
そのうち、どうにも身体がだるく、起き上がれない日々が続いたのだが、私がやらなくて誰がやると、頑張った。
ある日、娘が作ってくれた天ぷらが美味しくて、パクパクと食べた。
しかし、突然、気分が悪くなり、吐き気を催してしまった。
あんなにひどい嘔吐をしたのは、未だかつて経験したことが無かったと彼女は振り返る。

それで、翌日ちょうど美容室が休みだったので、病院に行ったのだということでした。

 あたしは運が良かったのよ。まだ、癌がリンパに入ってなかったから
 でもね、まだ、安心はできないの、5年間はね・・・


つづく

同級会 その1

2009年02月25日 | チエの玉手箱
 日曜日に同級会に行ってきました。
私たちの同級会には「十輪会」という名称が付いています。
永遠(とわ)に友情の輪をつないで行こうという意味が込められているのです。
中学を卒業する時に、学年一の才女だった久美ちゃんの発案で決まったのでした。

 地元に残っている幹事たちが、マメなこともあって10年に一度は大きな会を、その間には、ちょこちょことプチ会が開催されています。
今回も、そのプチ会で、地元と県内でも近隣在住者だけに声を掛け、来年には1泊で盛大に開催するから、その時はよろしく協力を頼むというのが、一応の目的のようでした。
 なので、今回は遠くにいるナオちゃんみつお君は参加していません。
私は、近隣に住んでいるものの10年ぶりに出席しました。
もちろん、地元の役場に勤めているマサキ君も来ていましたよ。
紅顔の美少年も、すっかりメタボなおじさんに変身してましたけどね。
(他人のことを言える身じゃないですけど・・・


 10年前にも再会しているので、ほとんどの人は顔と名前が一致しましたが、どうしても思い出せない人が、2名いました。そこで、隣のミツコに聞いてみたのです。

ねえ、彼、誰だか判る?
うん、私も、さっきから考えてたとこ。わかんない・・・

そこへ、テツオがやって来たので、聞いてみると、

なんだ、わがんねの? アキヒトだべした

アキヒト!? 確かにそう言われれば、口元に面影があります。
あんなに目がパッチリとして、可愛かったのに、瞼が垂れ下がってすっかり人相が変わっていたのです。

あいづ、まだ、独り者なんだ。誰か、いい人いねがなぁ!
この年なんだがら、初婚の人なんて贅沢は言わねえ、
バツイチ、子持ちで十分なんだぁ、誰がいねがぁ?
・・・・・・・・
・・・・・・・
あいづ、結婚相談所に登録してサ、この前、48歳で初婚の人と電話でしゃべったんだげんちょも、断られっちまったんだとよ
ほんでな、結婚相談所だがら、一応サポートが付くらしくてな、若いおねえちゃんに慰められたんだとさ!
よし、わかった!みんなでアキヒトを激励に行こうよ!


 こんなアキヒトの世話を焼くテツオは、三男がまだ1歳にならないそうです。
彼は、39歳の時、20歳年下の奥さんを見つけたんだとか。
馴れ初めを聞くと、自動車学校の教官と生徒だったと言います。
「そりゃあ、おまえ、犯罪だろ!」と皆にからかわれながらも、幸せそうでした。

つづく



雪つり

2009年02月19日 | 昭和なもの
皆さんは「雪つり」という遊びをご存知でしょうか?

2本のマッチ棒を縫い糸などで、十字に縛り、糸は適当な長さにします。
糸の先を持ち手となる棒に結び、ちょうど釣り竿の先に十字の釣り針が付いたような物を作ります。
これを積もった新雪の中に投げ入れるのです。
すると、十字になったマッチ棒の上に雪の塊が乗って、雪が釣れるというわけです。

他愛も無い子供だましの遊びなのですが、あの頃は、本当に楽しかった。
祖父がその仕掛けを作ってくれる様子をじっと見ていることも好きだったし、出来上がった道具を雪の中に投げ入れ、よりたくさんの雪を釣上げようと何度も何度も挑戦したことも楽しかった。

今夜から明日の朝にかけて、90%の雪の予報が出ています。
明日、雪が積もったら、雪つりをやってみようかな・・・
はて? 我が家にマッチ棒などあったかしら?

干し柿

2009年02月15日 | 昭和なもの
これですよ、これ。

実家から干し柿が届きました。
売り物のあんぽ柿は、きれいなオレンジ色をしていますが、これは自家用の干し柿です。
白い粉を吹いたこの状態がおいしいんです。
甘い物が無かった時代には、貴重な甘味だったに違いありません。

にしゃばあちゃんは、この干し柿の種を取り、四つ割にして、焼酎漬けにしていたっけ・・・

そういえば、「豆柿」というのもあったな。
直径2~3㎝ほどの可愛い柿で、きっと渋柿なんだと思います。
黄色の瑞々しいうちは食べたことがないからです。
冬の早い頃、霜が幾度か降りた後、黒茶色に変色したその豆柿を枝付きのまま食べるのです。
変色した豆柿は、干し柿と同じ原理で、ねっとりとして独特の甘みがあったように覚えています。

それから、「茹で柿」というもの食べたことがあります。
あれは、熊ん様の近くのとし江ちゃん家で、ご馳走になったもので、小ぶりの柿ですがなんという種類なのかは分かりません。
とにかく、茹でてあるのです。微妙な味だったような気がしますが、とし江ちゃんの家だけの食べ方で、他所の家では決してお目にかかれないものでした。

干し柿を食べていたら、いろんなことを思い出しました。

同級会の誘い

2009年02月07日 | チエの玉手箱
先週のこと、
突然(こういうものは突然に決まっているけど、それにしても、お正月とかお盆辺りと暗黙のルールがあるように思う)、同級会の誘いがありました。

 チエさんのお宅ですか? 吉田ですけど・・・

 はいそうですが・・・・

ちょっと、誰だか判りませんでした。相手も察したのか、

 あ・た・し!同級生の京子。吉田京子です。

そうだった。京子ちゃん、結婚して吉田になったんだ。
一人娘だったから、結婚してもマスオさんで、実家に居るんだったな。

 地元に居ると、毎回幹事だね。ご苦労様。

私は参加を迷いました。その一週間後に甥の結婚式があるからです。
返事はしばらく待ってもらうことにしました。

地元だけでは2~3年に一度開催していたようなのですが、私が出席したのは1998年、もう10年前です。
きっと、それぞれ、いいおじさんやおばさんになっているんだろうな・・・
もう、孫がいる人も居るかもしれない。
私が、こんな思い出ブログを書いてること知ったら、皆、なんて言うかな?

うん、やっぱり出席しよう!

忘れていた新たなネタが仕入れられるかもしれないものね。






同級生のよしみ

2009年02月01日 | チエの玉手箱
スーパーで思い出したんですけどね、高校の同級生に家業がもやし屋の息子がいたんです。

その子、中学浪人をして、年齢は1コ上だった。
私たちの頃、男子はどこの中学も校則で丸坊主だったんです。
だから、高校の入学式は少し伸びた坊主頭だったのに、その子だけ、長髪。
それで、たちまちの内に、年齢がひとつ上だってことが知れ渡ってしまったの。

でね、入学式の翌日だったかなあ、いきなり、
「チエ、おまえさあ・・・・」と話しかけられ、
私は、カチンときましたよ。
まだ、出会って間もないのに、いきなり呼び捨てとおまえ呼ばわりされる覚えはな~い。
その子、クラスの誰に対してもそういう生意気な態度だった。3年間ずーっと。

男子には、それなりに認めてもらってはいたけれど、私は3年間、いやなヤツだと思って過ごした。

それなのに、いつも行くスーパーにアイツんちのもやしが出てるの。
他にも、2・3種類のもやしがあるのに、
くやしいけれど、アイツんちのもやしが一番良いもやしなの。
太くて、揃っていて、丁寧にひげ根もとってあるの。

しょうがない。同級生のよしみで買ってやらぁ!

心の中で、そっとつぶやいて、もやしを買っています。
もやしに罪はないんですけど。

アイツ、1コ年下に舐められたくなくて、あんな態度とってたのかなあ。