チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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除夜の鐘

2008年12月31日 | チエの玉手箱
大晦日の主婦は忙しく、やっとこの時間(只今21:03)にパソコンの前に座ることができました。
といっても、年季が入ってくると、要領や手抜きを覚えてきます。
大晦日の買い物は、比較的混んでいない午前中に済ませます。
大掃除もできるだけ、前日までに終えるようにしています。
どうしても残ってしまったお掃除をやり終え、午後は、ご馳走の準備。
それでも、疲れたからと休憩し、「のだめカンタービレ」ヨーロッパ編の再放送をしっかり見たりして。
歳夜のご馳走をいただいたあと、主人と息子は年末恒例の格闘技なぞを見ています。

私は家計簿の整理をしながら「ああ、なんとか今年も歳を越せるなあ」と感慨に浸ることが常となってきました。
年末に来ての失業者の増加や、先行きの見えない景気、この先、日本はどうなってしまうのだろうと不安もよぎります。

年が変わる頃、台所に立つと、かすかに除夜の鐘の音が聞こえてきます。
近くなのに一度も訪れたことがなかったのですが、買い物に出たついでに、その鐘を見てきました。境内はひっそりとして、今夜の出番を待っていました。
2009年は、よい年になるといいなあ。


今年も「チエちゃんの昭和めもりーず」にたくさんのコメントをいただき、本当にありがとうございました。
みなさま、よい年をお迎えください。

いかにんじん

2008年12月28日 | チエの玉手箱
この3日間というもの雪が降り続き、積雪量は合わせて30cmを超えたと思います。大雪になりました。
大掃除もできないので、お正月の準備「いかにんじん」を作りました。

これは、この地方のお正月には欠かせない郷土料理です。

人参の千切りと切りするめを混ぜ合わせ、酒1、しょうゆ1の割合に砂糖適量を入れ、一度沸騰させた調味料に漬け込んだ松前漬風のお料理です。

今回は、砂糖の量を多めにして、甘く仕上げました。さっそく、今夜の食卓へ。


チエちゃんの家でも、毎年、暮れのこの時期にいかにんじんを作ったものでした。
年末の特番を見ながら、こたつで祖母が、はさみを使ってするめを細く切っていくのです。その横で、するめ切りを手伝いながら、こっそりとつまみ食いするするめのなんと美味しかったことか。
あとで、料理には使用しないするめの足を焼いてもらえるのに、つまみ食いはそれとはまた違った楽しみでした。

石油ストーブの前では、母が人参を千切りにしています。
人参にもこだわりがありました。三寸にんじんなどの短人参は味がよくないのだそうで、昔ながらの長人参を使っていました。

今では、長人参は手に入らないので、短人参を使っていますけどね。

Expressions

2008年12月24日 | チエの玉手箱
クリスマスイブの今宵は、竹内まりやデビュー30周年を記念して発売されたCDを聴いて過ごしています。

このアルバム、中年男性にも人気なんだとか。
彼女の曲は、CMソングや80年代ドラマの主題歌に起用されたものが多く、その時青春時代を過ごしたおじさんたちの胸キュン!を誘うらしいのだ。

特に別れた人への切ない想いを歌った「駅」は人気のようです。
バラード好きの私も、この曲が気に入っています。

これで、ようやく1年以上聴き続けた徳永英明バラードから卒業できそうです。

竹内まりや Mariya Takeuchi - 駅(LIVE 2000) WIDE Ver.


三億円事件

2008年12月17日 | チエの玉手箱
 あれから40年の歳月が流れたのだという。
とすると、あの時チエちゃんは小学5年生だったわけです。
昭和史に残る事件といえば、真っ先に思い出すのが、この三億円事件ではないでしょうか。
白バイ警官を装ったあまりにも大胆不敵な犯行に日本中が驚き、テレビのワイドショーに釘付けになったものでした。
 当時の宝くじ1等の当選金額が1千万円であることからして、3億円という金額は10歳のチエちゃんには想像もつかないお金でした。当時の3億円は、現在の価値にして10倍の30億円だそうです。

 先週の土曜日、ミステリー好きの私は、フジ系「新証言!三億円事件40年目の
謎を追え!
」を大変興味を持って観ました。

 当時の捜査本部は、かなりいい線で捜査を進めていたようです。しかし、そこには大きな落とし穴があった。捜査本部は、いいえ、警視庁でしょうか、自ら迷宮入りを選んでしまったようです。

でも、これらはあくまでも推理、真実は謎のままに変わりはない。


3億円事件40年目の真実1


3億円事件40年目の真実2




突然ですが、“だし”です!

2008年12月10日 | チエの玉手箱
実は、お友達のムーミンパパさんが作られた山形名物“だし”の写真を見たら、どうしても食べたくなり、いつものスーパーで買ってしまいました。

とりあえず、写真を撮ったもののブログに載せようか、どうしようか・・・
(風のガーデンの話題中でしたから・・・)
迷っていたのですが、ver.2を見てしまったからには、書かないわけにはいかないでしょう。

ねっ、市販のものは細かいでしょう?

4・5年前に買い始めた頃には、その時々で、材料の中身が少し違っていたんです。
山芋 小さな なめこ とにかく、ネバネババージョンが入っていました。
最近は、きゅうり・なす・みょうが・ねぎ・大葉・昆布に限られているようです。

これが美味しいんです。すぐ、お隣の県なのに福島にはない郷土料理です。

ご飯3杯はいけますよぉ 

ちなみに、お値段は278円でした。


第157話 運転免許

2008年12月08日 | チエちゃん
 チエちゃんは、お友達が車で通勤していても、自分が運転したいとは思いませんでした。それは、チエちゃんの家では車を持っていなかったことが大きな要因であると思います。「あなた運転する人、わたし乗る人」これが一番です。

 でも・・・、ここ一週間ほど、チエちゃんは考えていたのでした。
いつもナビシートを温めている私をヒロシは何処へでも連れて行ってくれるけど、もちろんその方がラクチンに決まっているけど・・・
もし、車の運転ができて、自分で行きたいところに自由に行けたなら、どんなにか素晴らしいだろうと。

 それで、夕食のあと、思い切ってその考えを口にしてみたのです。

 いいじゃないか!取れよ、免許。俺は賛成だ!

 てっきり「車の運転は危ないからよせ」と言われると思っていたチエちゃんは、拍子抜けしてしまいました。早速、自動車学校の選定をしました。送迎をしてくれて、自宅アパートからも近距離のところ、そして、教習料金の安いところ。

 善は急げと次の日曜日入校手続きをし、チエちゃんの自動車学校通いが始まったのです。
 初めて運転した時は、ものすごく緊張して、自分が車を動かしているとはとても信じられませんでした。
毎日、仕事が終わってからの夜間と日曜日、時間を作って通いましたが、なかなか確認のハンコがもらえないといってはしょげかえり、坂道発進や車庫入れ、縦列駐車ができないといっては、もう止めたいと八つ当たりするチエちゃんでした。
最初に路上に出たときは、いきなり道路わきの雪の中に突っ込んで動けなくなり、先生が出してくれたっけ・・・

 そんなこんなで、やっと路上検定も合格し、学科試験の合格ランプが点いた時は「ヤッター」と叫びたい気持ちでした。

 それから、運転免許を手にした初運転に、ヒロシが付き合ってくれました。
その時、ヒロシに教わったこと、自動車学校の先生も教えてくれなかったことをチエちゃんは今でも覚えています。

 何処を見て運転してる?
 5~6m先じゃなくて、ずーっと、遠くを見て運転するんだぞ!
 そうすれば、まっすぐ運転できるし、先の状況が読める

 あの時、運転免許を取っておいて本当によかった。そう思うチエちゃんなのでした。
 

風のガーデン

2008年12月04日 | チエの玉手箱
 この秋のテレビドラマ「風のガーデン」を毎週、観ています。
今回の倉本 聰作品は「死」がテーマのようです。
緒形 拳さんの遺作となったことから、ご覧になっている方も多いことでしょう。


 白鳥貞美(中井貴一)は、有能な麻酔科医だった。しかし、彼は女性関係に奔放で、親友の奥さん(伊藤 蘭)と不倫関係になる。その事実を知った貞美の妻は、幼い子ども達を残し、自殺してしまう。怒った貞美の父(緒形 拳)は「孫たちは私が育てる。二度と富良野に足を踏みいれるな。」と言い渡し、勘当する。
 時は流れ、貞美は自身の体調の異変に気づき、秘かに腹部エコーを撮る。
果たして、画像はステージ4のすい臓癌を捉えていた・・・

 ドラマの内容が、自身の病気を隠して演じ続けた緒形さんと重なってしまいます。

 人は、自分の余命があとわずかと知った時、どんな気持ちになるのでしょうか?

最初は、絶望でしょうか? それとも、怖れ。
悲しみや怒り、不安、どうしようもない苛立ち、そんなものが一度に押し寄せてくるのでしょうか・・・・・


 義父は、肝臓癌でした。診断された時には、手の施しようもなく、あと1ヶ月の命だったのです。
医者嫌いの義父は、大変な病気に違いないと気づきながらも、ハッキリと知らされるのが怖くて、その日延ばしにしていたのでしょう。
葬儀の後、見つかった日記に、壮絶な痛みに耐えていたことが記されていました。
 義父は、車やバイク、写真、猟銃が趣味の道楽者で、とてもおしゃれな人でした。
 私がヒロシに連れられ、初めて挨拶に行った時、「このアホ息子のどこが気に入ったのかなあ!?」と笑ってくれた義父でした。

 あと、1年生きたかった

義父の最後の言葉です。