チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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第153話 写真館

2008年08月30日 | チエちゃん
 その古びた写真館のショーウィンドーには、数枚の写真が飾られていました。
 成人式らしい着物姿のおねえさん。千歳飴を持った蝶ネクタイの男の子。肘掛椅子にすわり幼子を抱く若い母親。ワンピースにランドセル姿の少女を囲む家族。
どうしたら、こんな風に、ここに飾ってもらえるのかな?
そんなことを考えながら、チエちゃんは、訪いを入れたのでした。
ジッとしていても、汗が滴り落ちる残暑の厳しい日でした。

 進学から就職へと進路を突然変更してしまったチエちゃんは、学校と取引のあるこの写真館に履歴書用の写真を撮りに来たのです。

「撮影には、冬服を持っていくように」
先生の指示通り、紙バックの中には紺色の制服が入っています。
白い服より、黒っぽい服の方が、履歴書用にはいいのだそうだ。

 着替えを済ませて、案内されたスタジオは、薄暗くどんよりとした空気が漂っていました。
チエちゃんは、赤ちゃんを抱いたお母さんが掛けていた同じ肘掛椅子に、緊張して腰を下ろしました。
「身体は右斜め前を向いて。顔は正面を向いてね。」
「はい、あごをちょっと引いて。」
写真屋さんは、ファインダーを覗いてはチエちゃんの姿勢を直しにやってきます。
「じゃあ、撮りますよ~」

ピカッ!

「はい、もう一枚、いきますね。」

 やっと、撮影が終わった時には、汗だくになっていたのでした。


 こんな風に、写真館のスタジオで写真を撮ったのは、この時と成人式の時ぐらいかなあ。あっ、結婚式の時があったな・・・

(画像は、Microsoft クリップアートからお借りしました)



 

ポールポジション

2008年08月26日 | チエの玉手箱
一番前で、満足そうですねえ。

もう、15~16年前になるのかな、あの頃、よくレース場に出かけてた。

それから、峠にも。

「行ってらっしゃい!」って、

いつも、笑顔で送り出してたけどね、

本当はサ、帰ってきて、顔を見るまで、不安だったの。

いつか、大怪我するんじゃないかって・・・

自 立

2008年08月22日 | チエの玉手箱
 あの頃のチエちゃんは、とにかく親許から離れたい、家を出て自由なひとり暮らしがしたい、そう思っていたようです。
ですから、ひとり暮らしができるなら、進学でも、就職でもよかったわけです。
このような親許を離れたい願望は、人間の成長過程の自立の現れだそうで、チエちゃんは、ごく普通の成長を遂げていたと言えるのでしょう。

 そして、チエちゃんは就職して、思惑どおりひとり暮らしを始めることになったのでした。
それから、こんな風に思い直したのでした。
働けばお金が入ってくる、そしたら、欲しかった物が、何でも手に入る。

 でも、親の気持ちはどうだったのでしょう。
未成年の女の子の独り住まいを心配していたことでしょう。私には、娘がいないので、その気持ちは分かりませんが。

18歳で、親許を離れたチエちゃんは、そのまま生家に戻ることはありませんでした。(現在のところ)

そういえば、おじいちゃんも20歳の時、大志を抱き、南の島へ骨を埋める覚悟で、海を渡ったんだっけ・・・

 今回のタイトルを「自立」としましたが、本当の自立には程遠いわけで、とにかくこうして、また一段、大人への階段を登ったチエちゃんでした。

第152話 進路Ⅱ

2008年08月18日 | チエちゃん
「チエは、それで、ホントにいいのか?」尾形先生が確認する。
「はい・・・」
(もう決めたことだし・・・)
「お父さんも、就職ということで、よろしいですね?」
「はい、よろしくお願いします。」
高3の夏休みの相談室だった。

 ホントのほんとは、よくなかったのだ。チエちゃんは、大学に進みたかった。
自分の力が、どれ程であるのか試してみたかった・・・。

 でも、もうこのことについては、両親と何度も話し合って、決めたことでした。
チエちゃんの気持ちを理解してくれたお母さんが、何度かお父さんを説得してくれたのですが、「女の子は、大学なんか行く必要がない」とお父さんは、考えを変えてはくれなかったのです。
「お父さんって、なんて古い考えなの。これからは女の子だって、学歴が必要になる。どうして、分かってくれないの?」
この時ほど、進学校の女子高を選ばなかったことを後悔したことはありませんでした。

けれども、チエちゃんには、もう一押しするだけの理由がなかったのです。
将来この職業につきたいから、絶対この大学に行きたいという想いがなかったのです。
ただ、漠然と「大学に行きたい」そう思っていただけなのでした。
おそらくは、18歳で社会に出て行くことが怖かったというのが、本音ではないでしょうか。自分の知っている学校という世界に、出来ることなら浸っていたかったのでした。

 それに、家の経済状態も十分に想像できたのでした。

 それから、チエちゃんは、勉強が馬鹿らしくなりました。
模擬試験の結果がどうのと騒いでいるクラスメートも、子供っぽく見えました。
わたしはもう、あんた達とは違う。
早く卒業式が来ればいいのに・・・

夏の朝

2008年08月14日 | チエの玉手箱
お気に入りの深夜放送が終わっても、このまま寝床に行くのはもったいないような気がして、雑誌などをパラパラめくる。
ふと気がつくと、カーテンの向こうが少し明るくなっている。
朝の気配。

戸外に出てみる。
ひんやりとした空気が、気持ちよい。
西の空に、ひとつ、ふたつ、星が残る。
藍のベールを1枚ずつ、はがして、山際が薄くなってくる。

聞こえてくるのは、まだ、サラシ川の水音だけ。
もう少しすれば、アブラゼミがジーとうるさく鳴きだすだろう。

スグリグミの葉に、セミの脱け殻を見つける。
一つ見つけると、あちらにも、こちらにも、セミの脱け殻がある。

ひまわりの向こうに、広がるスイカ畑。
グラジオラス、ポンポンダリア、アスターの花。

今日も、暑くなりそうだ。

いつの日にか、この土地を離れることになっても、
この景色だけは、忘れずにおこう

私は、そう思った。


    

第151話 流れるプール

2008年08月10日 | チエちゃん
 なぜ? 
由美ちゃんは自分の水着を持ってたの?
この東京行きは、急に決まったはずなのに、由美ちゃんはプールに行くことを知ってたの?
チエちゃんは、自分だけのけ者にされたような気がしたのでした。

 その年の夏、おじいちゃんは救急車でF市の病院へ搬送され、盲腸の緊急手術を受けたのです。高齢のせいか痛みがなく、気付いた時には、盲腸が破裂して危険な状態でした。
東京から、ヨシヒサ伯父さんがお見舞いに駆けつけましたが、その時には、おじいちゃんは危険な状態を脱し、快方に向かっておりました。

 一安心した伯父さんは、チエちゃんと従姉妹の由美ちゃんを夏休みだから、東京に遊びに来ないかと誘ったのです。
チエちゃんたちは、思いがけなく伯父さん家に行くことになったのでした。

 一週間ほど滞在したある日、”としまえん”行くことになりました。

 ”としまえん”にね、流れるプールがあるんだよ!たのしいよ!

従兄妹のマー君が言います。

 流れるプール? 一体 何、それ?

 行けば、わかるよ!

 でも、チエちゃんは水着を持っていません。プールに行くなんて、知らなかったからです。
アキ子おばさんが、お古の水着を貸してくれることになりました。
”としまえん”に着いて、着替えたその水着は、オレンジ色のセパレートタイプでした。大人びたその水着を着たチエちゃんは、恥ずかしいけれど、ちょっぴりうれしくもありました。
チエちゃんの胸が膨らみ始めていたとはいえ、大人の女性のようなわけにはいきません。水着の胸パットを指で押すと、ペコっとへこむのでした。

 浮き輪を持って、いざ、流れるプールへ。
なるほど、こりゃあ、ほんとに流れるプールだ。浮き輪につかまっていれば、自然に流されていく。東京って、すごいや!

 さっき、自分だけのけ者にされたと思ったことなど、すっかり忘れてしまったチエちゃんなのでした。




 

ジェットスキー

2008年08月03日 | チエの玉手箱
7月下旬はずーっと、梅雨空が続いていましたが、やっと夏本番のお天気になりました。
そこで本日は、猪苗代湖に遊びに行ってきました。(以前から計画してたんですけどね)
波も穏やかで、最高のジェット日和。
ボートやジェットスキー、ウェイクボードを楽しむ人が、大勢来ていました。

   

ヒロシはモーターサイクル付なら、すべて大好きなのです。
それなりに、何でもこなしてしまうので、我が夫ながら感心します・・・
   

もちろん、チエも乗りました! 
免許がないので、乗せてもらったという表現の方が正しいでしょう!
   

暑かったので、つかれました~