チエちゃんの昭和めもりーず

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昭和のアイドルと私 第1回

2007年02月07日 | Bヲタさんの出張投稿
昭和ダイアリー」から出張してまいりましたBヲタです。
よろしくお願いします。
チエちゃんのブログは女性の視点で書かれていますが、私は今回の出張にあたり、「昭和の坊主」という視点で、アイドルについて書きたいと思います。
投稿は全部で4回させてもらいますが、チエちゃんに掲載 してもらえるかは定かではありません(笑)

初めて女性を「可愛い」と思ったのは小学2年生のころです。
正確に言うと、私はマセガキでしたから、幼稚園のころから好きな女の子はいましたが、胸がときめくような思いをしたのはもっと後のことです。

で、誰がときめかせてくれたのか、というと桜田淳子です…。
彼女がデビューした1973年はアイドルの当たり年でした。
そう、「花の中3トリオ」ですね。山口百恵桜田淳子森昌子の3人組。
後にいろんな意味で明暗が分かれちゃいますが、日本中の男性の好みが3分類された、といっていいくらいの人気を誇りました。

ちなみに、この前後男性アイドルも豊作で、「新御三家西城秀樹野口五郎郷ひろみ)」が1971年から72年にかけてデビューしています。
日本 の芸能界でアイドルというものが盛り上がりを見せたのは、70年代と80年代なんじゃないかと思いますが、口火を切ったのは「花の中3トリオ」と「新御三家」と言っていいんじゃないでしょうか?

こう書くと、チエちゃんあたりから「グループサウンズはどうした!」なんてお叱りを受けてしまいそうですが、アイドル+ 歌番組という組み合わせがテレビのゴールデンタイムを支配するようになった、という意味でやはり「花の中3トリオ」と「新御三家」の役割は大きかったと思いますよ!

話を桜田淳子に戻しましょう。
彼女にときめいてしまったのは、1973年の大晦日、「レコード大賞」のときです。
森昌子はデビューが一年早かったのですが、桜田淳子は山口百恵とデッドヒートを演じた末、見事最優秀新人賞を獲得したのです。
このとき、一緒に見ていた両親と兄貴(当時小学6年生)は、「インチキだ!どう考えても山口百恵じゃないか!」などと批判していたのですが、号泣しながら「私の青い鳥」を歌う桜田淳子を見て、不覚にも涙が出てしまったのです。
家族が批判していたのが余計に「火に油を注ぐ」結果となりました。

私はこのとき以来、桜田淳子のファンであることを公言するようになりました。
といってもまだ小学2年生ですから、クラスメイトにそう宣言しても「お前ってスケベだな」なんて冷やかされるのが関の山でしたが。

当時の桜田淳子の映像をyoutubeで探してみたのですが、残念ながら「私の青い鳥」は見つかりませんでした。その代わり、1975年に収録したらしい、「ゆれてる私」がありました。
当時の彼女の可愛らしさをあますことなく伝える名映像だと思います。
リンク:http://www.youtube.com/watch?v=rM60s089EYM

桜田淳子が出ているテレビ番組は可能な限り見ました。
当時はビデオもなく裏番組の録画なんて不可能でしたから、親父の「プロ野球中継」、お袋の「時代劇」と激しくバッティングしながら、ときにはダダをこねながら桜田淳子を見続けました。

ただ、彼女の歌唱力は私から見て年を負うごとに次第に陰りが見えてきました。
なんだか声が震えているんです。また、成人し、大人っぽい雰囲気を漂わせるようになりましたが(当たり前ですね)、それでも私はまだ小学生でしたから、なんとなく桜田淳子への思いが薄れていきました。

その背景には、新たな、そう新世代のアイドルの足音があったのです。
つづく…