チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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2016年大晦日

2016年12月31日 | チエの玉手箱
2016年は、春に母が転んで腰を打ち要支援2に認定、冬には父が末期がんと判明。
いつかはこういう時が来るとは思っていても、やっぱりドタバタしてしまいました。
お正月を自宅で迎えるため今週も父の外泊が許可になり、本日送迎をしました。
緩和医療は、病状が許す限り本人や家族の希望を優先してくれるのでありがたいです。
連日なんやかやで実家や病院に通い、昨日は実家の正月準備の手伝いをやったので、我が家のお正月の準備はなんだかな~です。
でも、今はスーパーでなんでも売っているので助かります。
なんとか、形だけでも様になりました。

実家で、
父が寝床に去った後、母が言う。
自分が先に逝くとばかり思って、遺書と父への感謝の手紙をしたためておいたのだと。

百万回でも、一億回でもありがとうと感謝の言葉を言ってもまだ足りないけれど、
このたった一言に万感の思いを込めて、ありがとうと言わせてください。


どうらや、お父さんには見てもらえないかな。

私は「なら、今夜渡したらいいんじゃないの」と返した。

父と母は、今宵互いを労わりながら、年越しをすると思う。


続6年1組クラス会~クラス会に寄せて~

2016年12月29日 | チエの玉手箱
11月に開催されたクラス会の様子をつづってきました。
同級生たちの様々な生き方が表現されていたらよいのですが・・・

さて、いよいよ最終話。
最後は、今回も出席してくださった担任の小木先生からいただいたメッセージを紹介したいと思います。

「クラス会に寄せて」
クラス会の開催おめでとうございます。
還暦を迎える歳になられたこと、当時を振り返り感慨深いものがあります。
ちょうど一回り違う皆さんと、あの木造の校舎で出会い、こうして今を迎えられました。
皆さんは、教員になって初めて担任した子ども達でした。
何もかもが新しく、新鮮で、夢中であったことをついこの間の事のように覚えています。
今思えば、あの時こうすればよかったと思うことばかりですが、何もわからない新米教員が精いっぱいやったこととしてお許しください。
今でも、みなさん一人ひとりの顔が、当時の子どもの顔で思い出されます。

さて、歳をとったらどうすればよいのか。
私は、皆さんより先に逝く身ですが、ついこの前96歳の叔父から言われたことをお伝えしましょう。
週3回のプール通い(30分の水中歩行)を欠かさない元気な叔父から
「俺は死ぬまで生きる。」そして、渡されたのが下の言葉でした。
思い当たることがいっぱい。
でも、私も「死ぬまで生きよう」と思います。
皆さんは、心身ともに変わり目の歳を迎えられました。
健康に気をつけて、元気に、楽しくお過ごしください。


「青春」とは、人生のある期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。
年を重ねただけでは人は老いない。
理想を失う時に初めて老いが来る。
人は信念と共に若く、疑念と共に老いる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。

サミュエル・ヴルマン


小木先生、勝手にネット上に掲載することをお許しください。

冬の贅沢~カニ鍋~

2016年12月28日 | チエの玉手箱
我が家の冬のぜいたく、今年も函館よりカニをお取り寄せです。
昨夜、カニ鍋にしました。
かにしゃぶ用のタラバとズワイ2種類を入れました。
煮過ぎて硬くならないうちに、いただきますよ。

我が家では、カニ好きがもう一人(というか一匹)増えました。



ドロ(ドロシー)です。
キャシーとボブは見向きもしないのですが、ドロはカニの匂いがしたら何処に居ても飛んできます。
くれ!くれ!くれ!の大騒ぎ
猫に甲殻類はよくないと聞きますので、あげたくはないのですが、彼女のしつこさと可愛らしさにいつも負けてしまいます。

一夜明けて、お昼はカニ雑炊にして完食です



父の外泊、そして競馬場

2016年12月24日 | チエの玉手箱
今月中旬、主治医から父の病状についての説明があった。
末期癌ではあるものの、あと2~3か月の猶予があるだろうとのことで、私たち家族もホッとする。
痛みのコントロールができていれば外泊可能とのことで、本日2泊の外泊ができた。
外泊可能と知った父が真っ先に行きたい所として訴えたのが、競馬場だった。
競馬のこととなると目がキラキラと輝く。
弟と私は、ヤレヤレと苦笑いするしかなかった。
母に至っては「こっつぁがなし(とんでもなくくだらない)だごど」である。
しかし、私たちは常々言っていた。
「お父さんが競馬へ行かなくなったら、おしまいだ」と。
それぐらい父は競馬好きだった。
人はもうすぐ死ぬと判っていても、最期まで生きようとするのだなと思った。

それで、病院には内緒だけれど、自宅に帰る前に競馬場に立ち寄った。



私は福島に住んでいながら、福島競馬場に入るのは初めてだ。
場内はきれいに整備されていた。



父は、明日の有馬記念とあと2・3レースの馬券を買ったようだ。
父は2週間ほどの入院ですっかり足腰が弱くなり、足元がふらついていた。
老眼も進んで、マークシートにやっと記入できたらしい。
自分でも、これでは無理と悟った様子で、40分ほどで競馬場を出た。

さて、明日はどの馬が来るのだろう?
父は最後の有馬記念を自宅のテレビで観戦することだろう。

続6年1組クラス会~仮面夫婦~

2016年12月23日 | チエの玉手箱
ハイ!みんなぁ~! 写真撮るよ~
こっち見て~ 摂るよ、撮るよ、撮るよ~
パシャ!


きぬだ。 いつの間にか場を仕切っている。

きぬ:私ね、職場ではお局様だから、若い子たちに相談受けること多いんだよ。
   それとね、この前、フォークリフトの免許取ったんだ!
   私の職種には関係ないけど、挑戦するの好きなんだよね~
   男子に交じって取っちゃった!
   あたし、がんばってるんだよねぇ~

ユミコ:へ~ぇ、すご~い!

きぬ:お休みの日には娘とよくランチするの。

ケイコ:ふ~ん。娘さんと、仲いいんだね。旦那さんは?

きぬ:旦那は留守番。でも、旦那の分のご飯は作るよ。ご飯はちゃんと与えてるから・・・

チエ:(与える? 与えるって・・・犬や猫じゃないんだから!?)

きぬ:あたしたち、仮面夫婦なんだよね。
   私ね、子どものために離婚は絶対にしないと誓ったの。
   子どものために、がんばることにした。

ユミコ:・・・
ケイコ:・・・

きぬ:明日ね、娘がマラソン大会に出るから、私、明日の朝速攻で帰るわ。
   お昼までに帰れば応援できるから。


正直、驚いた。
子どもの頃はおとなしかった彼女が、キッパリとこんなことを言うなんて・・・

きぬ、それは違うよ。
私なら、夫とうまくいかなくなったら、子どものためにも我慢なんてしない。
夫婦間がぎくしゃくすれば、家庭は壊れていく。
そんな中での子育ては無理だと思う。
それに、いくら仲が良い母娘でも、子どもはいつか巣立ってゆく。
また、そうでなければならない。
その後、支え合う相手がいなければ、さびしいよ。

でも、あなたの選択を他人がどうこう言うべきではないものね。
どうぞ、あなたの今後の人生がすばらしいものとなりますよう祈ります。

つづく


続6年1組クラス会~ロード・バイク~

2016年12月17日 | チエの玉手箱
みつおくんは開会の時刻から2時間近く遅刻してやってきた。

チエ:仕事(だったの)?

みつお:ううん、あそび。ロードバイク。今日、大会があったの。

チエ:ロードバイク?

みつお:自転車だよ。80Kmとか100Kmとか、走るわけ。
すごく気持ちいいんだぜ~

そう言って笑ったみつおくんは、もうすぐ還暦だというのに、いまだに悪戯っぽい少年の顔を宿している。
私なんか、何か運動をしなければと思いつつも、実行に移せないでいるというのに、自転車で100キロってすごいよ!

二次会になると、みつおくんは私の隣にちゃっかりと座る。

みつお:なあ、チエ。おれ、おまえのこと好きだったの知ってたか?

チエ:うん。知ってたよ。

みつお:そっかぁ~(笑)

それから、みつおくんは酔っぱらった振りをして、私の膝枕で寝てしまった。
まったくもう~、止めて!
などと、野暮なことを言う年齢でもなくなったので、私はみつおくんをそのままにしておいた。

シンイチ:まったく、みつおは得な性格だよな。

きぬ:いいんじゃないの。チエちゃんも大目に見てやってることだし。

(画像の左側で胡坐してるのがみつおくんです)

つづく

ドック検診

2016年12月13日 | チエの玉手箱
今日はドック検診でした。
父のことがあって、今回、がんリスク検査をオプションで付けました。
血液を採るだけの検査です。
悪玉コレステロール値と中性脂肪の数値がギリギリくらいで、肝臓に脂肪が付いているので、少し痩せましょうとお医者様から注意がありました。
さて、検診後のお楽しみは豪華な昼食です。
でも、いつも思う。こんなに食べていいのかな?

(がんリスク検査の結果は後日になります)

続6年1組クラス会~福島原子力発電所~

2016年12月11日 | チエの玉手箱
ミノル:なぁ、なぁ、なぁ! 俺たち、中学ん時、遠足で福島原発、見に行ったべ?

突然、ミノルっちが言う。

ノブオ:え~っ?行ったっけ?

クニさん:俺、ぜ~んぜん、覚えてない

ミノル:行ったんだよ! 俺は、ハッキリ覚えてる!
    あの東電の野郎、「原子力発電は絶対に安全です」と言いやがった。
    なぁ~にが絶対安全だ。
    このザマは何なんだ!

ミノルっちの憤りも理解できる。彼は主に野菜を出荷する専業農家だ。
出荷停止や風評被害でかなりの減収となったと聞く。

ガイジン:そんだって、賠償金は出てるんだろ?

ミノル:あんなもの、もらわねえよりはマシなくらいだ。


その時、近くのテーブルできぬの声がした。

きぬ:今日のお昼、食べてきたんだよ~ おいしかった~

ユミコ:なに?なに?何の話?

カズエ:あのね、ミノルさんの息子さん、福島市でピザ屋やってるの。

ユミコ:ええ~っ!そうなの?何処でやってるの?

ミノル:有名なラーメン屋のとなり。(実際はその有名ラーメン店名を言った)

チエ:アア~ッ!そこ、知ってる!
   この前、そのラーメン屋さん行ったとき、となりのピザ屋さんがすごく気になってたんだぁ
   ミノルっちの息子さんのお店だったんだぁ~

おそらく、野菜はミノルっちが提供しているに違いない。
今度、行ってみなければ・・・
(その時は、またレポート報告しますね)

つづく


父、緩和病棟入院

2016年12月08日 | チエの玉手箱
11月30日、癌の告知を受けた父は、翌日もともと通院していた病院に戻され、医師の診察を受けた。
今後の予定を決めるためだ。
すぐにも入院となるのかと考えていたが、しばらくは痛み止めを飲みながら自宅で様子を見ることとなる。
しかし、一週間後の昨夜、痛み止めが効かなくなり、食事も摂れないことから、本日入院となった。
今日は弟も私も仕事で休みが取れないと知っていた両親は、ヒロシに窮状を連絡してきた。
それで、彼が病院に連絡したり、迎えに行ったりしてくれた。
今まで、ヒロシには気を使っているとばかり思っていた両親が、頼ってくれたことがうれしかった。
父の病状は、これから急速に悪化してゆくのだろうと思う。
年を越せるかどうか、わからない。

続6年1組クラス会~魚屋と宿題~

2016年12月07日 | チエの玉手箱
タケシは魚屋の息子だった。
(「だった」と過去形なのは、働き盛りの父親がくも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなると、魚屋は廃業せざるをえなくなったからだ)
チエちゃんたちが小学生の頃はまだ、魚屋は繁盛していた。
仕出しもやっており、奥の座敷では宴会(PTAの宴会や謝恩会などやっていたと思う)ができたし、2階はそろばん塾へ開放していた。
魚屋は小学校の真ん前にあり、その2階からは校庭や校舎がすっかり見渡せた。
それから下宿屋もやっていて、小学校や中学校の先生が下宿していた。
(小木先生の下宿屋は別な所。ここには、チエちゃんが1年生の時の担任佐久間先生が下宿していた)
すごい多角経営だった。

きぬ:ね、ね、ね、タケシさんちの2階のそろばん塾で、待ってる間、みんなで宿題やったよねえ~

タケシ:そうだっけ? 忘れたー

きぬ:忘れちゃった? 結構、みんなそろばん塾行ってたのに・・・
   そっか、タケシさん、自分家だから、塾には居なかったかも!?

シンイチ:宿題って言えばさ、みんなで宿題忘れて、小木先生に家に帰って取って来いって言われたことあったじゃん?
     そんでさ、家帰るの面倒くさいからノート買って1枚1枚破いて、郵便局あたりでみんなで宿題やってさ。
     学校へもどったよな。

きぬ:うんうん。いっしょに帰るとバレルから。
   ほら、家までの距離が全然ちがうっしょ。
   一人ひとり時間差つけてもどったよね。
   タケシさんは、一番先。

(チエ:へえ~、そんなことやってたんだ。私は方向が全然違うから、知らなかった。
    それに、宿題忘れて、家に帰ったことなんてあったかしら?
    それにしても、子どもながらに悪知恵がはたらくもんだねぇ~)

タケシ:俺、そんなこと、忘れちまったー ぜんぜんっ、覚えてない!

タケシの両親は魚屋らしく太っていて恰幅がよかったが、その息子はひ弱で痩せていて、まったく似ていなかった。
でも、今の彼はサービスエリアのレストランでコック長をやっていると聞く。
やっぱり親のDNAを受け継いでいるんだなと思った。

つづく