チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
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毎年3.11あたりに地震が起こる!

2024年03月15日 | 大地震
未明の大きな揺れケガ人も《3月15日・福島県で最大震度5弱の地震》日ごろの防災が活きた人も

このカテゴリー久しぶりだぁ~
ホントに不思議なんですけど、13年前の3.11以降、毎年この時期に大なり小なりの地震が起こってるんです。
今年は無いのかな~と思っていたら、やっぱり昨夜、来ました!
真夜中にスマホのアラームが鳴って、がばっと起きちゃいましたよ。😱 
福島市では震度4だったので、またすぐ寝ちゃいましたけどね。😉 

やっぱり東日本大震災の余震(←あくまで素人判断)だとは思うのですが、毎年同じ時期ってのが気になるんです。
専門家でその辺りを研究してる人、いないのかなぁ?

東電賠償金請求書届く PartⅢ

2023年08月31日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

『大地震』のカテゴリで書くのは久しぶりです。
震災により原発事故が発生した福島県は、12年が経過した今でも災禍の中にあると言っても過言ではないでしょう。
今またアルプス処理水の海洋放出で、ニュース報道のとおり様々な問題が起きています。
(国民のみなさんがふくしまの海産物を買ってくださるのは感謝です)

私が、東京電力が追加の賠償金を出すと耳にしたのは今年の春頃だったでしょうか。
なぜ、いま?
ああ、そうか!
原発汚染処理水を海洋放出するから、なんとかご理解お願いします。
ってことなんだろうね。って、嫌でも思っちゃいました。😕 

それで、請求書が送られくるのを今か今かと待っていたら、トラブルがあったとかで遅れに遅れ、届かない。
とうとうしびれを切らし、7月末に東電に電話しました。
というのは、世帯の状況が震災当時と全く変更の無い場合はWebで簡単に請求ができるらしいのですが、我が家では当時世帯主だったヒロシが亡くなっているので書類で請求する必要があるからです。
そして、電話から1か月後、やっと書類が届きました。
中味を見てみたら、代表者を変更する書類(委任書)、ヒロシの分も出るので相続に関する書類、これに本人確認や相続に関わる証明書類などの添付も必要とのこと。
ああ、めんどくさい!😖 
でも、やるっきゃない!
もう、息子たちは当てにして、旅行しちゃったんですもの。😰 

福島原発の今

2022年08月29日 | 大地震
日曜日の新聞にこんなチラシが折り込まれていました。
福島原発の事故から11年が過ぎて世の中の関心は薄れてしまっていますが、今も廃炉作業は行われています。
福島県に住んでいる私でさえ、今、福島原発はどうなっているのか?(ネットとかで調べればいいのだろうけど)詳しいことはさっぱり分かりません。
なので、こういう情報は有難いです。

福島第一原子力発電所では、汚染水の浄化や除染により、現在構内の96%で防護服無しでの作業が可能となっているそうです。そして、1日約4,000人が作業に当たっているとのことです。
廃炉作業の方は、事故当時定期点検中だった4号機の使用済み燃料プールにあった1,535体の燃料の取り出しが2014年12月に完了。4号機はもう安全です。
3号機プールの使用済燃料566体の取り出し作業は2021年2月に完了。
2号機プールの使用済燃料615体の取り出し作業は2024年~26年度に取り出し開始予定。
1号機プールの使用済燃料392体の取り出し作業は2027年~28年度に取り出し開始予定。
しかし、1号機~3号機にある溶け落ちた燃料デブリの取り出しについては、まだ何も出来ていないようです。(ロボットを入れてほんの一部だが様子を確認してはいる)

う~ん、この先どれくらいの時間とお金がかかるのでしょう?
先週、岸田首相が次世代型原発の建設を検討すると発表したニュースで、7基の再稼働も目指すと言ってたので、私は再稼働した原発って1~2基だと思ってたら、10基も再稼働してると知って驚いたっていうか、自分の無知にがっかりしたっていうか・・・
おそらく、ほとんどの日本人は私と同じでしょうね。
私は、基本的に原発は反対ですが、今は安全に最大限の注意を払って原子力を利用することは致し方ないと思います。
未来の脱原発のために、今は原発を利用するしかないのが現状でしょう。
妥協して、前進するのも一つの方法だと思う。

この折込み、関東地方の新聞にもはいってたらいいな?

参議院選挙投票しました

2022年07月10日 | 大地震
福島選挙区は5人が立候補していますが、事実上は自民党公認・公明党推薦の候補者と立憲民主党・国民民主党・社民党3党推薦の候補者の一騎打ちという構図です。
前回の衆議員選挙福島1区では、自民対立民で立憲民主党の候補者が僅差で当選しました。
なので、今回自民党としてはどうしても勝ちたいのでしょう。その表れとして、公示日には岸田首相が来福し、第一声を上げました。
それに対し、立憲民主党も負けじと最終日に泉代表を送り込んできました。
福島県は結構、野党勢力が頑張っているんです。
「ふくしまの復興なくして、日本の再生はない」と言ったのは故安倍晋三元首相でしたが、多くの県民は福島が復興できたとは考えていないと思います。
だって、原発事故から11年過ぎても、未だにすべての農作物の放射能測定やっているんですよ。
この前、大熊町の帰還困難区域の一部で避難指示が解除されましたけど、実際には生活出来ませんよね。スーパーもないし、病院もないんですよ。
与党を信じろという方がおかしいでしょ?
個人的には、政治に一番やってほしいことは少子化対策です。
このままでは、日本は立ち行かなくなってしまうでしょう。
もう与党だ、野党だ、じゃなくて国会議員一丸となって取り組んで欲しいです。

余談ですが、選挙のたびいつも思うけど、この地区の投票所は一か所だけなのに、なぜわざわざ「第一投票所」と表示するのかしら? 決まり事なのかな? ( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
追記:もしかして?と思い、投票所のこと調べてみました。そしたら、なんと第二投票所ありました。そこは別の地区なので、その地区名の投票所であるとすっかり思い込んでいました。歴史的に何かあるんでしょうね。(2022.7.14)

余震

2022年03月18日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

東日本大震災以来、毎年3月11日近辺に大なり小なり余震がありました。
何か周期的なものがあるのかな?
今年は来ないかと思っていたところへ、3月16日23時36分ここ福島市では震度6弱の揺れでした。これも3.11の余震なんでしょうね。
ブログを読み返してみたら、昨年も震度6弱だったけど、今回は昨年より長く大きく揺れた気がします。
今も、岩手県で震度5強の地震があったみたいです。
引き続き余震の余震が続いて、不気味です。

幸い我が家では、棚から物が落ちたくらいで被害はありませんでした。
昨日は、実家と実家のお墓の様子を見に行きました。
途中、橋が通行止めになっていて迂回しなければならず、やはり大きな地震だったと改めて認識しました。
実家では、昨年と同様、屋根瓦2枚が落ちていました。
それから、お墓。昨年の地震で墓石が数ミリ動いていたので、心配だったのです。倒れてはいませんでしたが、かなりズレていました。
他所の家の墓石は倒れているものもありました。
弟に連絡し、石屋さんにお願いすることになりました。

あ~、いつまで余震が続くんだろう。
南の島でも火山が噴火しているし、なんか不安です。
私は吾妻山が噴火した時のために、火山灰用のゴーグルと防塵マスクを買っておこうかとひそかに考えています。😱 

コメントをいただき、ありがとうございます。
遅い時間なので、お返事は明日とさせていただきます。


4京ベクレルって⁉

2021年03月26日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

昨日のネットニュースに驚きました。
原子炉格納容器の上ぶたに2~4京ベクレル(2号機)の放射性セシウムが存在する可能性が高いという。
1ベクレルっだって想像できないっていうのに、4京ベクレルって、どんだけ~!って、笑っちゃうしかない。
そもそも「京」って、現実の世界ではほとんど必要ない単位です。
これで、廃炉処理は増々難しくなったのでしょうね。
ま、私が生きているうちは無理ってことは、確実です。


柄にもなく・・・

2021年03月13日 | 大地震
一昨日、昨日と柄にもなく分かったような投稿をしてしまった事を、今頃になって恥ずかしくなってきました。
私は世事に疎い普通のおばさんです。そんな一般的な一国民が考えていることを国のエライさんたちに訴えたかったのかもしれません。
彼らが昭和めもりーずを見ることは0%に近い確率だと思うけれど。

話は変わりますが、大震災以前、私は、誰に投票したって政治は変わらないと選挙に行ったことはありませんでした。
でも、震災を経験し、自分の想いを政治に反映させるためには一票を投じなければ、想いは伝わらないと考え直したのです。
たとえ、変わらなくても、「宝くじ、買わなきゃ当たるハズもなし」と同じ原理で、たった一票でも投じなければ変わるハズがないと思い至ったのです。
だから、政治家は私たち一人一人が一票に込めた想いを託された人として、活動して欲しいと願います。
私は安心して暮らしていきたいだけなのです。

なハハ~、また柄にもないこと書いちゃった!
この話は、これでお終い。

ところで、昨夜「Fukushima50」観ていただけましたか?
後半部分、東京電力の本部対策室と福島第一原発の対策本部がテレビ通信でやり取りする場面で、吉田所長がいきなり立ち上がり、スラックスを脱ぎ始め、もう一度身支度するシーンがあるのですが、以前見た時は意味が分かりませんでした。昨夜は思わず笑ってしまいました。
あれは、彼が「褌を締め直した」ということなのだと思ったからです。
吉田所長の豪胆さと、死を覚悟したのだということが分かるシーンでした。
彼らに改めて「ありがとう」を言いたいと思います。

今日はこれから、先月亡くなった義母の五十日祭です。
あいにくの雨ですが。



東日本大震災10年目の3.11(その2)

2021年03月12日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

昨日に引き続き、書くことをお許しください。
福島は、他の被災県とは全く異なった状況にあります。
そうです!津波によって電源を失ってしまった東京電力福島第一原子力発電所の事故です。まさか、あのような事故が起こるとは誰も予想していなかったのではないでしょうか。
原発の安全神話はもろくも崩れ去りました。
私は、10年前原発事故が起こって良かったと思っています。
いえ、原発事故が起こったことは許せない!怒りしかありません。
でも、あの時事故が起きていなければ、原子力がこんなにも危険であることを国民は知らず、国や電力会社は増々発電所を作っていたはずです。
Fukushimaの事故を受け、全世界はCO2削減に向けて、原子力エネルギーから再生可能エネルギーへと舵を切ったと思います。その意味で、重要な出来事と言えるのはないでしょうか。
私は、まだ福島は、日本は、危険に晒されていると思います。全国にはたくさんの原子力発電所があるのです。そして、日本は地震国です。
東日本大震災クラスの地震が必ず起きると学者たちは明言しているのです。
それなのに、福島原発内部に溶け落ちたデブリを取り出す方法は全く確立されていません。この先、一体どれほどの時間を費やすのかと恐怖すら感じます。
私たちは、未来の子どもたちに負の遺産を残してしまった。

私は 原子力 絶対反対です!

今宵、日テレ系で映画「Fukushima50」が放映されます。
観ていただければ幸いです。
写真は、福島の桃の木です。農家の方の剪定作業が始まったようです。
美味しい福島の桃をずっと食べることができますように!




東日本大震災10年目の3.11

2021年03月11日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

2006年にgooブログを始めた私は、ネタ切れとコメント返信疲れを起こして、5カ月ほどブログを休止していました。
しかし、10年前のあの日から7日目にこのブログを再開しました。
書かずにはいられなかった。
身体は疲れているのに、神経がピンと張りつめ眠れぬ夜を過ごす私にとって、ここに書くことが精神安定剤でした。
その時書いた記事は「大地震」のカテゴリーにありますので、興味のある方はどうぞご覧ください。
今日、私は地震発生から7日間の件を読み返してみました。
あの日私は、経験したことのない大きな揺れのさなか、この地震は果たして収まるのか? まさか、日本沈没?(「日本沈没」とは1973年に大ヒットした小松左京原作のパニック映画)そんなことを考えていました。
本当に、この世の終わりかと思うほどの長い地震でした。
そしてさらに、津波は恐ろしいとは聞いていましたが、あれほどの凄まじい威力ですべてを飲み込んでしまうとは、私の想像を遥かに超えるものでした。
内陸部に住んでいる私は幸いにも体験せずに済んだのですが、実際の津波を体験・目撃した人の恐怖は如何ばかりかと思います。
これだけ科学が発達しても、大自然の力には到底抗えないと感じたことでした。

しかし、現在の私には2011年の3.11が過去のものとなってしまいました。あの時、絶対に忘れないようにしようと誓ったことが、遠くになりつつあるのです。
それは仕方のないことなのかもしれません。
辛い思いを抱えながらも、私たちは未来に向かって進まなければなりません。
まだ復興していないと感じている人は多いと思います。
「復興」が震災以前のレベルに戻すという意味なら、私はもう復興しなくても良いのではないかと思っています。新しい未来を描いて、それに向かっていくことの方が大切なのではないかと。
震災で親族を失ったわけでも、家屋が損壊したわけでもない私が言うべきことではないのかもしれませんが。

東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

【写真は、以前仮設住宅があった場所。今は、ご覧の通りの空き地になっています】




10年後の大きな余震

2021年02月14日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

昨夜はTVドラマを見終え、寝ようとしていたところに震度6弱(福島市)の地震。揺れが結構長く続いて、イヤでも東日本大震災を思い出しました。
でも、停電しなかったので大丈夫かな~とも思いました。
幸い我が家では、玄関の置き棚(これはヒロシが廃材で作ったもので、固定していなかったので倒れてしかるべし)が倒れ園芸用品が散らばったのと、壁掛扇が落下した(これは危険なので改善策を考える)のと、仏壇の水がこぼれたくらいで済みました。
ヒロシが東日本大震災の後、ラップトップパソコンを固定してくれていたおかげで今回は無事でした。
あと1月程で東日本大震災から10年ということで、もう大丈夫だろうと油断していた部分はあります。こんな大きな余震が来るとは!
長い長い地球の歴史の中では、ヒトの営みの10年なんて一瞬に過ぎないのかもしれませんね。
猫たちは地震発生時にはテーブルの下に隠れ、揺れがおさまってからも不安そうな様子でした。今朝も不安そうに擦り寄ってきたキャシーはやっと安心したようです。




本日午前中、母が入居しているケアハウスから電話があり、施設に被害はなく、母も元気とのこと。
忙しい中、入居者の家族一軒一軒に連絡してくださったのでしょう。
対応に感謝です。これから、母に手紙を書こうと思います。