チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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こんなに大きくなったよ

2013年01月28日 | 
生後42日、6匹ともすくすく元気に成長しました。

とはいっても、まだまだお母さんのおっぱいが恋しい。




寝顔がかわいいでしょ!?




おや?ティッシュボックスの上で何してるのかな?





おやおや、たのしい夢を見てね。

我が家に生まれてきてくれて、ありがとう。
あと少しで、お別れだね。


元横綱大鵬逝去に思う

2013年01月20日 | 昭和なもの
大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜さんが死去(産経新聞) - goo ニュース

ああ、またひとつ昭和が逝ってしまった…
時は流れている。
私たちも、その時の流れの中で生きている。
どんなになつかしく輝いていても、昭和はもうもどらない。
とわかっていても、やっぱりさびしい。

私の中で、お相撲さんといえば、真っ先に思い浮かぶのがこの人、横綱大鵬。
昭和40年代のあの頃、祖父母といっしょに見ていたテレビの相撲中継で、活躍していたのが大鵬関でした。
当時は、NHKだけでなく民放局まで相撲中継をしていたので、いつものアニメが見られずつまらなかったけれど、毎回見ているのだから、誰が強いか分かるし、自然に好きな力士もできます。
私より上の年代の人の中には「柏鵬時代」を築いた柏戸の豪快な相撲が好きだという方もいるだろうけれど、私が覚えた頃には、怪我で休場の多い柏戸関より、大鵬関の方が圧倒的に強かったように思います。
子どもの好きなものとして「巨人・大鵬・卵焼き」なんて言葉が生まれるくらい人気も実力も備えた力士でした。
リアルタイムで横綱大鵬の取組を見ることができたことは、幸せなことだったのかもしれません。

ご冥福をお祈りいたします。


成人の日 雪

2013年01月14日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

毎年、成人の日の前後は雪になることが多い。
今日も、大雪警報が出る積雪となった。
福島市は日曜日に成人式が行われたはずだから、晴れ着の新成人たちも雪に悩まされずよかった。
写真は2度目の冬を迎えた仮設住宅。すっぽりと雪に覆われた。
住民はあと1年でここから出なければならない。
自民党政権になり、急にいろいろなことが動き出したようだ。
農業用水路の除染とか、太陽光発電産業の拠点を県内に置くとか、仮の町づくりの費用を全額国が負担するとか、毎日のように新聞に掲載されている。
パフォーマンスに止まらず、最後まで責任を持って進めてほしいと願う。


余談ですが、人気ブログランキングのチエちゃんの昭和めもりーず専用バナーを作ってみました。
さじカンさん、加工してしまいすみません。


プリコ 30か月点検

2013年01月12日 | チエの玉手箱
今日はプリウスの点検にディーラーに行きました。
お天気もよく、絶好のドライブ日和。
今回も異常はなく、オイル交換とウィンドーウォッシャー液補充のみでした。
月日の流れは早いものですね~ 
あと6か月で、車検です。

ちょうど、新型クラウンの展示会開催中ということで、待ってる間に見てきました。
今、テレビでCM中のピンクのクラウン、今までのイメージ的に信じられないカラーですよね。
さすがに、展示されてたのはブラックとホワイトでしたが、「CMのあの色もあるんですか?」と尋ねたら、限定車でありますとのことでした。
私が買うとしたら、あのピンクがいいかな!? アハハ~

プリコも車検を受けず、別の車(たとえば、プリウスαとか)に乗り換えるのもアリなのですが、やっぱり乗り続けようと思います。
悪い所はどこもないし、燃費もいいですからね。


衝撃の新事実!

2013年01月11日 | チエの玉手箱
センセーショナルなタイトルになってしまいましたが、私にとっては衝撃的な出来事でした。

祖父の後妻だったおばあちゃん(話がややこしくなるので私の祖母のことは「おばあちゃん」と書きます)と私は血のつながりが全くないと五十数年間思っていたのですが、この正月実家を訪問した際、昔話となり、ひょんなことから実は血縁であることが判ったのです。
新事実などと書いてしまいましたが、私が知らなかっただけのことなのですが。

私の母は子供の頃、母親を亡くし、その後祖母に育てられました。
その母の祖母というのが、おばあちゃんの母親「にしゃばあちゃん」と姉妹だというのです。
つまり、おばあちゃんと母の父親が従兄妹同士ということになります。
おばあちゃんから見て、母は従兄の子ということです。

父方の系図からしか見ていなかった私にとって、なんと母方の血縁だったとは考えてもみなかったことでした。
もっとも、小さな村のことなので、元をたどってゆけば、すべて血縁ってことだって十分あり得るわけです。

おばあちゃんが亡くなってしまった今となっては、血のつながりがあろうがなかろうが、もうどうでもいいことなんですけどね。


袋物

2013年01月06日 | ハンドメイド

お正月休み9連休をダラダラと過ごしてしまうのも勿体ないと思い、久しぶりにミシンを引っ張り出してみました。
ウェストがきつくなってはけなくなったスカートのプリント柄が気に入っていたので、解いて袋物に作り直しました。



生地が薄いので、スカートの裏地もそのまま利用して、袋物の裏地にしました。

完成です。シックな袋物ができました。








第193話 新聞少年とお年玉

2013年01月05日 | チエちゃん
昭和40年代のあの頃、新聞配達をするのは少年と決まっていました。
毎日、早朝の配達を続けることは、その子の精神面でもよいことだし、お小遣い稼ぎにもなるので、世の中には推奨するような雰囲気がありました。
ちょうど、歌手山田太郎の「新聞少年」がヒットしたこともあるでしょう。
チエちゃんは、我が家に新聞を配達してくれるその子の顔を見たことはありませんでした。
チエちゃんがまだお布団の中でぐっすり眠っている5時台に届くからです。

ある年の大晦日、お母さんがお年玉の準備をしているのを見かけました。
「それ、誰にあげるの?」
「これかい?新聞配達のお兄さんに。少しだけどね。
 毎日、配達してくれるから、お年玉をあげようと思ってね。」
ああ、そういうことか。
新聞配達のお兄さんに会いたいと思ったチエちゃんは、元日の朝、暗いうちに起き出しました。
パジャマにはんてんを羽織ったチエちゃんがこたつで待っていると、
玄関で「おはようございます」とあいさつが聞こえました。
急いで出てみると、お母さんがお年玉をあげている所でした。
ジャンパーに毛糸の帽子、マフラー姿のお兄さんは一度辞退したものの、お母さんが「これはお礼の気持ちだから」というと、うれしそうに受け取りペコッと頭を下げ、次の配達先へと去って行ったのでした。

なんだか清々しい気持ちになり、私も大人になったら、新聞少年にお年玉をあげよう。
そう思ったものでした。


でも、現在では我が家も実家も新聞を配達してくれるのは、少年ではなくおばさんです。
少子化なのか、過保護なのか、時代の流れなのか・・・
実家では、現在の配達の方が辞めてしまったら、新聞はどうなるのかと心配さえしています。





雑煮

2013年01月03日 | チエの玉手箱
2013年あけましておめでとうございます。

もう正月も3日になってしまいました。
のんびりしたお正月を過ごしています。
年々、手抜きを覚え、今年もスーパーのおせちを注文してしまいました
でも、お雑煮は家庭の味ですから、作りましたよ。
このブログで、我が家のお雑煮をまだ紹介していなかったことに気付いたので書くことにしました。

我が家のお雑煮は私が作るので、実家(チエちゃん家)と同じものになります。
材料は、大根、にんじん、しいたけ、とり肉、凍み豆腐、なると、ねぎ、せりです。
醤油味で、焼いた切り餅を入れたら、完成です。
ヒロシは、この雑煮にすっかり慣れてしまったのか、自分の実家のものよりおいしいと言ってくれます。

写真の右上に見えているのが、福島名物「いかにんじん」です。

のんびりですが、今年も福島の様子や日々の出来事、昭和の昔話をつづっていきたいと考えていますので、どうぞよろしくお願いします。