チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

第15話 お歳暮

2006年11月30日 | チエちゃん
 その年も、ヨシヒサおじさんからお歳暮が届きました。
ヨシヒサおじさんは東京に住む、お父さんのお兄さんです。

いつもは新巻鮭を送ってくれるのですが、その年は違っていました。
おばあちゃんが四角い包みを開けてみると、雪印の丸い缶に入ったバター3缶と、長方形の箱2個・丸箱に三角形6Pが入ったチーズの詰め合わせでした。

 バターは、チエちゃんも大好きです。バターがしみ込んだトーストもいいし、炊き立てアツアツのご飯にひとかけらのバターをのせ、溶けたところを万遍なく混ぜ、醤油をかけて食べるバターご飯は、他におかずがいらないぐらい美味しいものでした。

 でも、チーズは初めてお目にかかる食べ物です。牛乳から作られているらしいことは分かります。そこで、詰め合わせに付いてきたギザギザのナイフで切って、食べてみます。

 ヴぇー、なんだ この味!

まるで消しゴムを食べているみたいです。
あの頃、こんな田舎の村で、チーズは売っていませんでした。たとえ、売っていたとしても、チエちゃん家では一度も買ったことがありません。その後、家族も誰も手を出そうとはしません。

 それでも、もったいないと思ったのか、おじいちゃんが幾度か挑戦していたのですが、とうとう切り口が干からびてしまい、ゴミの仲間入りとなりました。

 数年後、給食の献立にベビーチーズが出てきたとき、チエちゃんはイヤだなーと思いました。あのお歳暮のチーズの味を覚えていたからです。給食を残してはいけなかったので、我慢して食べているうちに平気になり、今では大好きな食べ物のひとつになりました。特に、カマンベールやクリームチーズには目がありません。

 不思議なものですね。最初は嫌いだったものが、慣れで好きになってしまうなんて。アレッ? お歳暮とは関係のない話になってしまいました。


第14話 雪 虫

2006年11月27日 | チエちゃん
 11月中旬から下旬の頃、曇っていて湿度が高く、妙に生暖かい日に、庭先を白い雪のような物体がフワフワとただよっていることがあります。

 ああ、雪虫だ! もうすぐ、雪が降るな

と、おばあちゃんが教えてくれました。

 それは、大きさが3~4㎜で、フワフワとした白い毛におおわれた、何ともはかなげな虫です。必ず、数匹集まって飛んでいます。
捕まえようと手を出すと、そのわずかな風圧で、どこかへ飛んでしまいます。
そっと、そっと、手を近づけ、雪虫の方から降りてくるようにして捕まえなければなりません。手に止まった雪虫は、白い毛がプルプルとふるえ、何かに怯えているようです。

 まるで、冬の妖精が冬の訪れを告げるように飛ぶ、雪虫を見た1週間~10日後には、決まって初雪が降ったものです。

もう、10年以上雪虫を見かけません。
環境破壊が進んだのか、チエちゃんが雪虫の住む場所から遠ざかったのか・・・・・。

第13話 となりの席のみつおくん

2006年11月24日 | チエちゃん
 チエちゃんが小学1年生の頃、教室の机は木製の2人用机でした。今では、こんな机どこにもないと思います。天板の半分がはめ込み式になっていて、ふたを開けて教科書やノートを入れるようになっていました。
 ですから、必ず机は2人ペアで使っていたのです。それも、男の子と女の子のペア。2学期が始まって、すぐに席替えがあり、チエちゃんのお隣の席になったのはみつお君でした。

 みつお君は、クラスの中で一番身長が低く、授業中におかしなことを言ってはみんなを笑わせる、トッポ・ジージョによく似たお茶目な男の子でした。

 ところがです!翌日から、みつお君のいたずらが始まったのです。
チエちゃんの教科書やノートをどこかに隠してしまうし、授業中チエちゃんのえんぴつや消しゴムを遠くの方へ投げ捨てて知らんぷりをしています。髪の毛を引っ張られることもしょっちゅうでした。
チエちゃんは、毎日泣いて帰り、おばあちゃんに訴えたものでした。

 チエちゃんはいじめに遭っていたのでしょうか?
いえいえ、そうではありません。
みつお君はチエちゃんがとても気になる存在だったのです。だから、わざといたずらをして気を引こうとしたのです。

 それから1ヵ月後、再び席替えがあって、チエちゃんはみつお君の被害からやっと逃れることができました。それでも、たまに「チエよ~」と近寄ってきては、いたずらをしかけてきます。学年が進むと、スカートめくりやタッチボインの被害にも遭いました。

 そんなみつお君とチエちゃんは、小学校・中学校と同じクラスで過ごし、同じ高校へ進学しました。
高校の入学式のとき、みつお君を見かけたチエちゃんは、ハッとしました。

 みつお君、いつの間に 私より 身長が高くなったんだろう

学年の中でも一番チビだったみつお君が、いつの間にか他の男の子と同じ背丈になっていたのです。
 チエちゃんはみつお君から一度も告白されたことはありませんでしたけれど、みつお君の気持ちはずっと知っていました。
だからこそ、大切にしたい。
幼い頃の甘酸っぱい思い出は、心の中の宝箱に入れて、そっとしておきたい。

 現在、みつお君は東京で大手の電機メーカーに勤務し、幸せな結婚をして、お子さんにも恵まれました。
クラス会では、相変わらず、「チエよ~」と言いながら寄ってくるんですけどネ。



第12話 べレット1600GT

2006年11月21日 | チエちゃん
 チエちゃんが通う小学校の道路向かい、床屋さんの隣の家に、いつもカッコイイ白い車が停まっていました。

 そのクルマは家の前の狭っちいスペースに、建物から数cmと離れていない状態で停めてありました。
持ち主は、その家の息子さんであると思われる、大沢たかお似のお兄さんでした。もっとも、小学4年生のチエちゃんには、お兄さんというよりはおじさんに見えたものです。

 あの頃、クルマはずいぶんと普及してきたものの、チエちゃんの村でこんなにカッコイイクルマを持っている人は他にいませんでした。

 そのクルマがべレット1600GTという名車であることを、チエちゃんが知るのはご主人であるクルマ好きの彼と出会ってからのことです。

そう、ユーミンの曲〝コバルト・アワー〟に出てくる
あのベレGです。

   夜の都会を さあ飛び越えて
    1960年へ
    バックミラーに 吸い込まれてく
    ちりばめられた 光の中へ

    港へ続く 高速道路
    空を流れる ミルキィウェイさ
    海の匂いの 冷たい風が
    白いベレG 包みはじめる

      夜明けの金星 消えゆく空はコバルト
      真夏の桟橋 彼方に浮かぶ朝焼け   

小学生のチエちゃんにとって、クルマの種類や名まえなどどうでもよく、クルマは全部ひっくるめてクルマでした。それでも、そのベレGだけは何となく気になり、毎日そこにあることを確かめたものでした。

 ベレGは、日本初のGTカーとして誕生し、一世を風靡したクルマです。小型で、そのリアからテールにかけて下降する丸いラインが何とも言えず、かわいいクルマでした。

 でも、チエちゃんはそのベレGが走っている姿を一度も見たことがありませんでした。お兄さんは、大切に大切に、所有しているだけで満足だったのかもしれません。

 その後、お兄さんはシルバーの2代目ベレットに乗り換え、117クーペに換え、チエちゃんが記憶する最後はジェミニに乗っていました。

 お兄さんは、おじさんになった今でも、いすゞのクルマに乗っているのかなあ。

第11話 あんぽ柿

2006年11月18日 | チエちゃん
 蜂屋柿
 あんぽ柿とは、この地方の特産品で干し柿のことです。
鮮やかなオレンジ色で、中身はトロリと甘く、天然の和菓子といったところです。
現在は1個250円~300円で求めることができます。

 チエちゃん家には、このあんぽ柿にする「蜂屋柿」という渋柿の木が何本かありました。そして、干し柿を作り、出荷していました。
 まず、柿の実を枝の部分がT字型になるようにもぎ取ります。これはあとで、実を縄に挟み込むためです。
 次に、柿の皮をむきます。へたの部分の周りをぐるりと1まわり包丁でむきます。そのあと、皮むき器(ピーラー)を使い、へたの方から実の先へ向かって、シュッ、シュッとむいていきます。おばあちゃんとお母さんのその作業の速さといったら、数秒のうちに1個をむいてしまいます。
むきおわった柿の実を縄紐の縄目に挟んでいきます。1本に15個~20個ぐらいつけます。最後に縄紐を縛って輪にし、それを軒下などに吊るして天日干しにします。
 ただし、天日干しにする前にもう一手間をかけます。
それは、柿の実を硫黄で薫蒸するのです。チエちゃん家ではテント状の幌のような物でこの作業をしていました。こうすると、鮮やかなオレンジ色が保たれ、黒茶色に変色しません。自家用にする時はこの手間を省きます。チエちゃんは、この黒茶色の干し柿の方が噛みごたえがあって好きでした。

 ところで、この地方では、たまたま収穫し忘れた柿の実がそのまま枝の先で完熟したものを〝あんぽんたん〟と呼んでいます。これはこれで、渋が抜け、トロトロとして美味(おばあちゃんの大好物だった)なのですが、どうしてこの名が付いたのでしょうか。あんぽんたんとは、「阿呆」「ばか」という意味です。
 お友達同士、どういうわけか言い争いのケンカになったときなど、「あっかんべ~」や「おまえの母さん、出ベソ!」と同様に、「あんぽんたんのつるし柿~!」と相手に侮辱の言葉を投げつけていました。
 おまえは阿呆だということを、ただの語呂合わせで言ったものなのかどうなのか謎です。

第10話 にしゃばあちゃん

2006年11月15日 | チエちゃん
〝にしゃ〟というのは、この地方の方言で「おまえ」「あんた」という意味です。
お主の「ぬし」が訛ったのではないかと思われます。

 にしゃばあちゃんは、チエちゃんに話しかけるとき、必ず「にしゃなあ」と言ってから話し始めます。それで、いつの間にか〝にしゃばあちゃん〟というニックネームが付いたのです。

 にしゃばあちゃんは、おばあちゃんのお母さん、つまり、チエちゃんの曾おばあちゃんです。太った体に、垂れたおっぱいが大きかったことを覚えています。
にしゃばあちゃんの家は隣にあり、500m程でしたので、チエちゃんはおばあちゃんに連れられ、しょっちゅうお邪魔していました。

 ある時、にしゃばあちゃんは言いました。

 にしゃなあ、鼻水たらしてかぜでもひいだが?
 んぢゃ、にしゃばあちゃんのとっておぎの薬やっからな!

 よっこらしょと立ち上がり、台所から重そうに茶色のかめを持ってきました。よく梅干を入れておくあの瓶です。そうして、中からうやうやしく取り出したものは、ドロッとした黒い物体?

 そらっ、喰ってみろ!

チエちゃんは恐る恐る口の中に入れました。
すると、見た目とは違い、甘い、おいしい。
それは、干し柿の焼酎漬でした。もっと食べたいなあと思ったとき、

 これは薬だがんな、子どもはひとっつだげだぞ!

と言われてしまい、がっかりのチエちゃんでした。焼酎に酔っ払ってしまうといけないという、にしゃばあちゃんの配慮だったのでしょう。

 小学生になって、カナを習ったチエちゃんはにしゃばあちゃんの名まえが「テフ」であることを知りました。にしゃばあちゃん、へんな名まえ~。
それから、にしゃばあちゃんのニックネームは、テフばあちゃんに変わりました。

 そして、にしゃばあちゃんの名まえの読み方がマダム・バタフライと同じであることをチエちゃんが知るのは、にしゃばあちゃんが亡くなってからのことでした。
 もう一度、あのにしゃばあちゃんの干し柿の焼酎漬食べてみたいな~。

 

第9話 あたまのかたち

2006年11月12日 | チエちゃん
 あるとき、チエちゃんは写真アルバムを見ていました。
そして、6ヶ月ぐらいの赤ちゃんが一人座りをしている写真を見つけました。

 おばあちゃん、これ、たかひろ(弟)だんね? 

 どれどれ、何言ってんだ、これはチエ おまえだべ!

 ガーン!    なぜ? どうして?
 
 女の子なのに、丸坊主なの? ひどいよ~。

 うそだあ!だって、クリクリ坊主だん

 ああ、こりゃあな 夏で暑かったし、一度 坊主頭にするときれいな髪の毛が生えるっていうから、坊主にしたんだ

 そんなあ~。そして、数ページをめくり、これが弟だと示しました。

 エッ!同じじゃん。

 いや、まてよ。確かに、前のページは、女の子みたいだぞ。
 後ろのページは、男の子みたい。写真もなんとなく新しい。
 それにしても、同じ頭の形。真中へんが段々になっている。
 不思議~。兄弟ってへんなところが似るものだなあ。

 ただし、丸坊主にするとよい髪の毛が生えるというのは迷信らしいです。
チエちゃんの髪は、赤茶けて、細くて、ねこッ毛でペタペタしています。
どこがよい髪の毛なのよ。

十数年後、チエちゃんに赤ちゃんが生まれた最初の夏のことです。

 そろそろ暑くなってきたし、思い切ってマルコメにしようか。
 それに、よい髪になるということだし・・・・。

 アレッ! このアタマのカタチ、どこかで見たような?
 そうだ、これ、私が赤ちゃんのときの写真と同じだ。

しっかりチエちゃんのDNAが伝えられた証でした。

 そういえば、最近お父さんのハゲ具合が、おじいちゃんにそっくりになってきました。



 

第8話 赤い靴

2006年11月09日 | チエちゃん
 赤い靴 はいてた 女の子
  異人さんに 連れられて 行っちゃった

    横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
    異人さんに 連れられて 行っちゃった

  今では 青い目になっちゃって
  異人さんの お国に いるんだろう

    赤い靴 見るたび 考える
    異人さんに 逢うたび 考える 

チエちゃんは、野口雨情作詞のこの童謡が、なぜか好きです。
詞の内容と、どこか物悲しいメロディが郷愁を誘うからでしょうか。

 チエちゃんがまだ1~2歳の幼い頃、おばあちゃんはこの歌を子守歌代わりに、よく歌って聞かせたものでした。
すると、言葉の意味も解らないチエちゃんが、いつもメソメソと泣きました。
眠る前に、ただ むずかっただけなのかもしれませんが、

 小さい子でもわかるんだねえ

と、おばあちゃんはひとり納得していました。

赤い靴を履いてた女の子は、アメリカ(なぜかそう思い込んでいる)に行って、
幸せになったんだろうか?
お母さんと離れ離れになって淋しくはないんだろうか?

そんな想いをめぐらすチエちゃんなのでした。


  


 




第7話 五右衛門風呂

2006年11月06日 | チエちゃん
 チエちゃん家のお風呂は、大盗賊 石川五右衛門が釜茹での刑になったことからその名が付いた、五右衛門風呂でした。

 鉄製のお釜状の湯舟で、底には板を丸く組み合わせた底板がはまっていました。
湯舟の周りはコンクリートで固め、タイル張りになっていました。
このお風呂は、戸外にある焚口から、薪を燃やして湯を沸かす仕組みになっています。
(「となりのトトロ」で、さつきちゃんとメイちゃんが入っていたのも、このお風呂だったような・・・)

 お風呂を焚きつける係は、ほとんど、おじいちゃんの仕事でした。
というのも、おじいちゃんはまだ明るいうちに、一番風呂に入り、ゆっくりと晩酌を楽しみ、ごはんを食べたいからでした。
寝る前に入った方が、身体がポカポカしてぐっすり眠れるのに、どうしてそんなに早くお風呂に入りたいのか、理解に苦しむチエちゃんでした。

 チエちゃんも、3年生ぐらいからお風呂の焚き方を教わり、たまにお手伝いをしました。
そんな時、チエちゃんの古くなったマンガ本が焚き付けの役に立つのでした。
薪が炎を出して燃えるのがおもしろくて、どんどん薪をくべてしまい、湯が熱くて、とても入れたものじゃなくなることもありました。

 このお風呂に、五月の節句には菖蒲を入れてキュッキュッと鳴らしたり、冬至にはゆずを入れて香りを楽しんだりしたものです。

 チエちゃんが大人になって、一人暮らしを始めたアパートのお風呂は、石油風呂でした。このお風呂のお湯は、なんだかピリピリして身体を刺すような感じがします。
お風呂なんてどれも同じと思っていたチエちゃんですが、
五右衛門風呂の薪で焚いたお湯のやわらかさ、身体を芯まで暖めてくれるやさしさが、妙に恋しく感じられるのでした。

 

 

第6話 おじいちゃんのオムライス

2006年11月03日 | チエちゃん
 チエちゃんのおじいちゃんは、日曜などのお休みになると時々、
 よし!今日はじいちゃんがオムライス作ってやっか?
と孫たちに聞きます。チエちゃんと弟のたかひろ君は、
 うん、作って!作って!
と目を輝かせます。

 玉ねぎをみじんぎり、魚肉ソーセージも細かく切ります。
これをフライパンで炒め、塩・コショウ。さらにご飯を加えて炒め、ケチャップで味をととのえ、チキンライスならぬソーセージライスの出来上がりです。
 フライパンをきれいにしてから、卵2個を割りほぐし、塩・コショウしてフライパンに流し入れます。半熟状態のときに、作っておいたソーセージライスを真中にのせます。
 そして、おじいちゃんが エイ!とフライパンを振れば、卵焼きがクルッとごはんを包み込んで ハイ!オムライスいっちょう上がり!
ケチャップをかけて完成です。(とんかつソースで代用のときもあった)

お母さんにもおばあちゃんにも、このオムライスは作れません。

おじいちゃんは昔、浅草で食堂を経営していました。
昔とったキネヅカです。

 おじいちゃんの得意料理はこのほか、チャーハン、玉子丼、カレー、冷し麺などがありました。
 カレーはお母さんも作ってくれたのですが、やっぱり、プロの味、おじいちゃんのカレーがおいしかった。あの頃は、インスタントカレールーなどなくて、カレー粉と小麦粉を炒めてルーを作っていました。寸胴鍋でたくさん作ってくれたものでした。

 ある時、チエちゃんのお友だち5~6人が遊びに来て、おじいちゃんは全員にこのオムライスを振る舞ってくれました。後に、クラス会などで、
あの時、チエちゃんのおじいちゃんが作ってくれたオムライス、おいしかったね。
と言われると、とっても誇らしい気持ちのチエちゃんなのでした。