チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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リーフ点検 そして・・・

2019年07月31日 | ヒロシ
今日は日産自動車へリーフの点検に行ってきた。
何もこんな時に、6か月点検など受けなくてもよいではないか?
でも、私はお世話になった営業担当者にヒロシが死んでしまったことを伝えたかったのだと思う。葬儀の翌日くらいには、予約を入れていた。
ヒロシはリーフが自動運転になることを楽しみにしていた。
最近、白内障のせいもあって、矢印信号などが見えにくくなっていたので、自動運転になれば、少しくらい障害があっても車に乗れると思っていたのだ。
だから、担当者には、一体いつになったら、自動運転になるのかとしつこく質問していたのだ。

そして、生きていれば、今日が62歳の誕生日だった。
もう少し、あともう少し、65歳くらいまでは生きられるかなと、二人とも思っていたけれど、人生ってこんなもんなんだね。
だれも、明日死ぬなんて思って生きていないもの。


なんだか、やっと涙が出てきたよ。



母のサポート

2019年07月30日 | ヒロシ
母のサポートデイでした。
実は、ヒロシが亡くなってから、母はパニック状態になっていて、ますます体力が落ちてしまったのだ。
「ヒロシさんに、あんなにお世話になったのに私は何にもできなくて、申し訳なくて、情けなくて・・・」を繰り返す。
そうなのだ。
ヒロシは、父が癌で入院する時、私に代わって実家に駆けつけ、準備物を整え、入院の手配までやってくれた。
母の通院も、仕事を持っていた私や弟に代わり、連れて行ってくれた。
母が言うには、ただ連れて行ってくれるのではなく、心配りがあるのだそうな。
それは、たぶんヒロシ自身も病人だから、こうしたらラクということが分かっていたのだと思う。
それから、母がやらなくていいと言ったのだが、実家の坂道に手すりを付けてくれた。
熱中症が心配だからと、エアコンの取り付けを勧めてくれた。
耳が遠くなった母を補聴器屋さんに連れて行ってくれた。(これだけは母が購入をOKしなかったのだが)
私には内緒で、母に車いすをプレゼントしてくれた。(それも、私でも持ち上げられる軽量タイプのもの)
そして、いずれ坂道の上り下りが出来なくなることを見越して、実家の坂を上ることができる軽自動車ハスラーを購入したのだ。
ヒロシがやってくれたことすべてが、今、母のために役立っている。

それは母のためでもあり、同時に私への思いやりであったろうと思う。

21日、25日、そして今日と3回訪問したが、母は幾分落ち着きを取り戻してきた。
今、母に倒れられたら、私も対応できないと思う。



樹木葬墓地見学

2019年07月29日 | ヒロシ
今日は二男、義兄夫婦とヒロシが望んでいた樹木葬墓地を見学してきた。
春には見事な枝垂桜で有名なお寺さんだ。
そこは、宗派を問わず受け入れてくれる。もちろん、檀家になる必要はない。
公園のような場所を想像していたが、そこは本堂の裏山の斜面が樹木葬墓地となっていた。
年齢を重ねて足腰が弱ってしまったら、墓参りはできそうにないと思った。
ただ、定額の追加料金を払えば、私もそこに入ることができるのはうれしい。
だが、予想していた通り、義兄が墓石も建ててもらえないのはヒロシが可哀想だと言い出していたので、どうなることかと思ったが、樹木を植えるばかりではなく、目印となる名前入りの杭があることを知って、なんとか納得してもらえた。
そこが一番不安だったのだ。
今日は長男が仕事で来られなかったので、改めて家族で訪れ、最終的な結論を出すことにした。
カメラを持って行ったのに、ヒロシの想いを義兄に説明するのが精一杯で撮ることをすっかり忘れてしまっていた。
次回は画像を紹介したい。

おまえはダイジョブさ

2019年07月28日 | ヒロシ
今日は、ヒロシの実姉と叔母(ヒロシの父親の8番目の弟の奥さん)がお線香をあげに来てくれた。
実はこの2人、ご主人を癌で亡くしている。
叔母は、やはり眠れぬ日々が続き、病院に行ったのだそうだ。
躁うつ病の一歩手前ですよと言われて、睡眠導入剤を処方してもらいなんとか大丈夫だったそうだ。
実姉は、お葬式の夜、夢にご主人が現れ、「おい、母さん」と呼ばれたのだとか。
それで、安心できたそうだ。
まだ、ヒロシは夢に現れない。
私は、疲れている分、夢も見ないほど短時間だが熟睡しているらしい。

「チエ、おまえはダイジョブさ、躁うつ病になんか ならないさ。」
たぶん、ヒロシはそう言って笑っていると思う。



うなぎ

2019年07月27日 | ヒロシ
そういえば、今日は土用丑の日だった。
弟が、今年もうなぎを届けようとヒロシさんの分も注文していたからと、4尾も持ってきた。
ありがたいことだ。
でも、4尾も食べられないので、義兄宅に半分あげる。
義兄もかなりショックを受けていて、お互いにうなぎを食べて元気を出そうと言い合った。
そして、今日はこんなものも届いた。

最近、目がかすむと言って飲んでいたサプリメントだ。
もう、目がかすむことも無くなったのにね。
代わりに、私が飲むよ。最近、目がつらくなってきたからさ。

この後も、こんなことがあるのかな?

眠れない

2019年07月27日 | ヒロシ
ヒロシが逝ってしまってから、夜は3~4時間しか眠れない。一旦、目が覚めてしまうと後は眠れないのだ。
今日も、午前2時30分に目が覚めてしまったので、起きだしてこれを書いている。
一晩中思いっきり泣き続けられたなら、どんなにか楽になるだろうか。
なぜか未だにそんな夜が来ない。
私は案外薄情だったのだろうか?
それとも、まだその時期ではないのだろうか。

怒涛の葬儀が終わっても、まだまだやらなければならないことがある。
昨日は年金の手続きに二男と行ってきた。
葬儀の後、彼は言った。
「お母さん一人で、いろいろな手続きをやらないで、必ず俺も一緒にやらせて!」
ああ、そうだ。私は息子たちに経験を与えなければならない。
私はちゃんとした子育てが出来ていなかったことを思い知らされた。
でも、彼がそれに気づいてくれたことがうれしかった。
息子たちも自分がしっかりしなければと思ったようだ。
それ以来、我が家では夕食後、家族ミーテイングを開いている。
明日の予定。手続きのやり方。その意味。世の中の常識。など



自由葬

2019年07月25日 | ヒロシ
24日は、神道では十日祭にあたる。
しかし、我が家は無宗教なので特別なことはしなかった。
私たち夫婦は、どんなお葬式をするか、お墓はどうするかをすでに決めていた。
お葬式は、神主も僧侶も依頼しない献花のみ。
お墓は墓石を必要としない樹木葬。
ヒロシは「俺の骨は海にばらまいてくれ」と言っていたが、それでは家族は納得しても親族、特に義兄は納得できないだろうから、お参りができる樹木葬にすることにした。
そして、このことを事前に義兄に伝えておくよう、私はお願いしたのだ。
亡くなって葬儀の時に、いきなり言われても納得できないと思うからだった。
ヒロシは一年前の心肺停止から復活したその直後に、その話を義兄に伝えていてくれた。
葬儀は、参列者の献花にて執り行われた。
それに、2年前の父の葬儀の経験が役立った。




心肺停止

2019年07月24日 | ヒロシ
ICUで通された部屋には、5~6人のスタッフが忙しく動いていた。
その中心にいるのは、見覚えのあるヒロシの主治医。
身体を上下に動かし、心臓マッサージを行っていた。
「奥様が着きました。」
すると、医師は心臓マッサージを止め、私に向き直った。
「奥さん、ヒロシさんの状態を説明します。
透析が始まって2時間後くらいに、不整脈が起こってしまったのです。
今、ヒロシさんの心臓は、モニターを見ていただくとわかるのですが、細かく波打っているでしょう? この状態では、心臓はポンプの役目ができず、血液を送ることができないのです。1時間以上、心臓マッサージを続けましたが、回復の兆しはありません。もう、胸の骨も折れています。(強く胸部を圧迫するので、骨折することがある)
残念ですが、このまま様子をみるしかありません。
心臓マッサージを止めても、よろしいですか?」
ああ、ヒロシは、今回は戻ってこれなかったんだ。
「はい、わかりました。心臓マッサージを止めていただいて結構です。」
それから、息子たちに連絡し、義兄にも連絡した。
説明を受けた時、80台だった血圧が徐々に下がっていき、15分後くらいにはギザギザだったモニターの心臓の波も直線になった。
心臓が止まったのに、人工呼吸器のせいでその胸は規則正しく波打っていた。
医師は、息子たちが到着するのを待ってくれたが、とうとう、
「申し訳ありませんが、よろしいですか?」と言った。
「はい、結構です。」
聴診器を胸に当て、ペンライトで両目の瞳孔を確認した医師は腕時計を見て、
「12時42分 ご臨終です」と首を垂れた。
私は、不思議と涙が出なかった。冷静に医師の言葉を受け止めていた。
テレビドラマのように「ヒロシ~」と遺体に取りすがって泣いてしまうことはなかったのだ。







意識不明

2019年07月22日 | ヒロシ
ヒロシを病院へ送り出した私は、調理ができなくなった母のためにお惣菜を買い込み実家へと向かった。
投票を午前中に済ませようと、杖を頼りに歩く母と坂道を下りようとしたとき、私の携帯電話がなった。いつもはマナーモードにしているので気づかないことが多いが、その時はなぜか通常モードにしていた。
画面を確認すると、知らない番号からだった。でも、この市内番号は街中だ(病院は福島市の街中にある)。
不審に思いながらも、出てみる。
「ヒロシさんの奥様ですか? こちら、OS病院透析室です。ヒロシさんの意識がありません。今すぐ、病院に来てください。」
「はい、分かりました。でも、私、今、自宅じゃないんです。」
「どれくらいかかりますか?」
「30分から40分はかかると思うんですけど・・・」
「それでは、息子さんとかに来ていただけませんか? いずれにしろ、この先入院することになりますから」
ああ、それでは息子より私の方がよいと思った。
「はい、分かりました。これから、私が向かいます。」
車を運転する私は不思議と急くことはなかった。
それは、一年前、心肺停止状態から、戻ってこれたからだった。
今度だって、きっと大丈夫。
 
病院に到着したのは、11時45分頃だったろうか?
透析室に入って、ヒロシの名前を告げると、
「ああ、ヒロシさんの奥様ですね。今、ヒロシさんは意識不明の状態です。
急いで、ICUに行きましょう。」と、看護師さんに手を引かれた。