チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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聞き上手な竹山さん

2024年02月20日 | チエの玉手箱
正直なところ、私、カンニング竹山さんって、あまり好きではありませんでした。
怒りキャラっていうのかしら? そういう芸風なのだと解っていても、やっぱり好きにはなれませんでした。
ところが、先日、NHK Eテレで『今君電話』という番組を偶然見たんです。
チャンネルが、藤井君のNHK杯準々決勝を見たままになってたんだと思います。
視聴者が竹山さんに電話(それも今時。スマートフォンです)を掛けてきて、悩み事や自分が思っていることを話すっていう番組です。
それに、竹山さんは「うんうん、そっか~」と相槌を打ちながら、たまにさりげないアドバイスを入れて、聞いてくれる。
映像は話を聞いている竹山さんだけ。そこに、話の内容の吹き出しが入る。思わず、引き込まれてしまいました。
おおー! カンニング竹山、いい仕事してるじゃん!
家族や恋人、友達じゃなくて、アカの他人だからこそ話せることってあるじゃないですか?
その聞き役をやってくれてる。いくら仕事とはいえ誰にでも出来ることじゃないです。
そんな才能があったんだねぇ。
この番組の竹山さんが好きになりました。

今宵20:00~2チャンネルEテレでやりますよ。



フィンガーチョコレート/昭和なもの

2024年02月14日 | 昭和なもの
私が昭和だと感じるモノを紹介するカテゴリー『昭和なもの』シリーズ。
今日はバレンタインデーということで、チョコのお話。

いつものスーパーで見つけて、思わず買ってしまった。
これ、まだ売ってたんですね。なつかしい~
棒状のビスケットをチョコレートでコーティングしたお菓子が金紙や銀紙(けっしてアルミホイルではない)に包まれているものです。
『愛され続けて半世紀』と書かれてあるので、やっぱり昭和。
以前は森永製菓が発売していたみたい。
今はカバヤ食品が製造しているんですね。
私のイメージでは、カバヤ食品は他社の類似品をちょっと安価に製造販売しているって感じ。
だから、味も少し落ちると思っていたら、このフィンガーチョコレートは子どもの頃食べたのより、ずっと美味しかったです。たぶん、ビスケットが美味しくなってる。

それとね。銀紙で包まれた昭和のチョコ菓子で思い出すのは、中身が白いクリーム状の甘い物体にやはりチョコレートがコーティングされた半球形のお菓子です。
最近は売ってないのかなと思って調べてみたら、『クリーム玉チョコレート』って商品名で売ってるみたいです。
見つけたら、またここで紹介したいと思います。

やっと完成!も、・・・失敗。

2024年02月13日 | ハンドメイド
2022年の目標にしていた小座布団カバー制作を二年後しで、やっと完成させることができました。
途中でやる気を失くしてしまっていたのですが、パッチワークを始める時、『作品を途中で放り出さないこと』をルールとして自分に課していました。
やる気を取り戻して完成できたことがうれしい。😂 

ところがです。
ピッタリサイズに作ってしまうと座布団がうまく入らないと思い、少しゆとりを持たせたつもりだったのですが、キルティングすると少し縮むことを忘れていました。
せっかく出来上がったのに、小座布団が入らない!
そんな~、うぇ~ん!😭 
なんとかならないものか?と思案した結果、そうだ!クッションカバーにしてみたらどうかな?
あはっ。ぴったりでした。結果オーライってことで!

もう一つ、レモンスターのパターンもあるので、こちらもがんばってみます。

昭和49年(1974年)

2024年02月02日 | チエの玉手箱
桐島容疑者とみられる男の自宅を捜索本人特定につながる資料などの押収へ警視庁公安部

指名手配犯であるその男のポスターは何度も見ていた。
こんな素敵な笑顔の人なのに、いったい何をやったの?
1974年8月から1975年5月にかけて12件の連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」と名乗るテロ組織のメンバーだという。
そんな大事件なのに、私の記憶には残っていない。

ああ、そうか、あの年だったんだ。
1974年(昭和49年)、私は高校3年生だった。
夏休みの親子面談で、私の大学進学の道は閉ざされてしまった。
母が我が家へ同居した時、その時は大学へ上げる金銭的余裕が無かったのだと話してくれた)
それからの私は、もう何もかもがどうでもよかった。
不貞腐れて毎日を過ごしていたのだ。
それでも、就職試験を受け、翌年の春から働き始めた私は仕事を覚えるのに一生懸命だった。
自分のことしか見えていなかったから、世の中の出来事がすっぽり抜けていたのだと思う。
もし大学へ進学していたら、私の人生は変わっていただろうか?
いや、それ程に変わってはいなかったと思う。
仕事などは別のことをやっていたかもしれないけれど、私の考え方や生き方は今と同じだったと思う。
「進学していれば」という後悔は無い。

指名手配犯Kは「後悔している」と語ったと言う。
テロ組織と関わらなければ、今頃、酒を飲みながらロックを口ずさみ、孫の成長を楽しみにしていたかもしれない。

指名手配犯Kにも、チエちゃんにも、49年の歳月が流れた・・・