チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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三角納豆

2013年07月26日 | チエの玉手箱
先日、スーパーで私たちの年代には昔なつかしい三角納豆を見つけて思わず買てしまったので、季節はずれですが納豆のお話です。

昭和40年代の初めのあの頃、納豆といえば、経木に包まれたこの三角納豆でした。
最近では、とんと見かけなくなりましたね。



包みを開いて納豆を小鉢に移し、塩を振りかけ、さらに醤油をかけてから混ぜて食べていたのですから、今考えると相当塩っぱい納豆を食べていたものだと思います。
それは、東北地方の人々は塩辛いものを好んでいたことと、塩っぱくすれば、ご飯にかける納豆が少量で済むからという経済的理由もあったのではないかと思います。

納豆の食べ方で、全体が白っぽくなるくらいまでかき混ぜ、粘りを出してから食べる方がいますが、私はあれはどうも苦手です。
くっつき合っている納豆の粒がほぐれる程度に、軽く混ぜてるのが好みです。
ネバネバは気にならないのですが、どうも豆本来のうまみが失われるようで、サクサク、サラッくらいがいいです。

それから、粒の大きさ。
最近は小粒が主流ですが、私は中粒がいいですね。
今回購入した三角納豆も、中身は小粒だったので、ちょっと残念でした。



以前、このブログに「第69話 納豆屋さん」を書きました。
私が物心ついた頃から、納豆屋さんが持ってきてくれる納豆はこの三角納豆でしたが、昭和40年代中頃でしょうか?この納豆屋さんが引退する少し前には、発砲スチロールのパックに入った納豆に替わっていました。
時代の流れとはいえ、三角納豆が消えてしまい、納豆さんの後ろ姿がさびしそうに見えたものです。

私は、家族から「納豆ババア」と呼ばれるほど、納豆が大好きなので、我が家の冷蔵庫にはいつも納豆入ってます。





土合舘あじさい公園

2013年07月16日 | チエの玉手箱
3連休の初日、福島市南部にある土合舘公園(別名あじさい公園)に行ってきました。
40種4000株のあじさいが見事だというので、ぜひ一度行ってみたかったのです。



土合舘は、遊歩道がこんもりとした小山を巡っており、遊歩道の両側にあじさいが植えてありました。
一周すると、運動不足の私には、よい運動になりました。



こちらは、公園内のトイレです。
あじさいって、なんとなく6月のイメージがありますが、今頃が見ごろなんですね。



空間線量0.7とちょっと高めです。
木立に覆われているので、しかたがないかな。
そのせいか、今にも雨が降り出しそうなお天気のせいか、訪れる人はまばらでした。



今年は、花のつき方が少な目のようです。



こちらは、駐車場脇のガクアジサイ。あじさいの他にヤマユリも咲いていました。







吉田元福島第一原子力発電所長の逝去を悼む

2013年07月13日 | 大地震
福島県福島市在住@チエちゃんです

9日、元東京電力福島第一原子力発電所長吉田昌郎さんが亡くなられたことをネットで知りました。
東京電力は、彼の癌が原発事故との関連性はないと発表していますが、あの時の極限のストレスが病気の進行を早める一因となった可能性を否定できないと私は思っています。
あの未曽有の惨事の中で、現場の最高責任者として逃げ出さず、投げ出さず、使命を全うしようとしたことは賞賛に値すべきことである思います。
原子力のスペシャリストである彼は、その恐ろしさを一般人の私たちなどより遥かに理解していたはずです。
彼らのがんばりがなかったら、もっと最悪の事態になっていたことでしょう。

吉田さん、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。