チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

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最後のあさつき

2017年02月26日 | チエの玉手箱
実家では毎年あさつきを栽培しており、この時期味覚を楽しんでいたことを思い出し、
「お父さんは、今年はあさつきを植えなかったのか?」と尋ねると、「植えたはずだ」と母が答えるので、畑を見てみると一番奥にそれらしい芽が出ていた。
慣れない農作業でコツがつかめず時間がかかってしまったが、私はあさつきを掘り起こした。
それを母に見せると、私はいいからお前が全部持って行けと言う。

何言ってるの!? お父さんが作った最後のあさつきなんだよ。
もう二度と食べられないんだよ!
母ちゃんが食べなくて、どうすんの?


私の言葉を聞いた母はフッと笑い、台所からボールと包丁を持ち出してきた。
あさつきは、こしゃう(こさえる=下ごしらえ)のが大変なんだ。
そう言うと、おもむろに下ごしらえを始めた。

掘り起こしたあさつきはひげ根に土が付いているので、まずそれを洗い流さなければならない。
実家では、裏庭の井戸端でその作業をする。
バケツで水洗いをするのだが、最初はかなりの泥水だ。何度も水を取り換える。
それから、ひとつひとつ包丁でひげ根を切り落としてゆく。
ひげ根は茎の部分と同じくらいの量があるので、たくさんあると思っても作業の割に得られる食べられる部分が少ないので、母はそう思っているらしいのだ。

あさつきはお盆前に種を蒔くんだよ。
お父さんは種を採って、毎年蒔いてた。


サッとゆで上げたあさつきは、甘く美味であった。
ああ、この味はずっと同じDNAだったんだ。
祖父が食べていたあさつきなのだ。

自分で育てない限り、このあさつきをもう二度と口にすることはできない。

トクおばさん逝去

2017年02月25日 | チエの玉手箱
父の葬儀からまだ1か月と経っていないというのにトクおばさんが亡くなり、先週日曜日弟と共にお葬式に参列した。
こういうことは連鎖するのか?などと思う。
トクおばさんというのは、おばあちゃんの弟賢二郎おじさんの奥さんだ。
享年97歳老衰ということで大往生である。
トクおばさんは外出が大好きで、旅行によく出かけていた。
最近は週2回のデイサービスに出かけ、お友達に会うことを楽しんでいたという。

今日、母に葬儀の写真を見せると思い出話を聞くことができた。
(歳をとったせいか、最近の母は昔話をよくするようになった)


ばあちゃんは何処にも行くところがないから、(実家である)豆腐屋へチエを連れてよく行ってたのさ。
トクおばちゃんにとっては、小姑だろ?
だから、ばあちゃんのことが煙たかったかもしれないさ。
ばあちゃんはあのとおり、はっきりとものを言う人だったから・・・

豆腐屋のおんつぁんは将棋が好きでな。
よお~ぐ、うぢに来てお父さんと将棋を指してたなぁ。
何べんやっても、お父さんに勝てなくてな、そんでも次は勝ってやろうって「もう、いちばん! もう、いちばん!」つって、夜中までやってたもんさ。
それを横で、じいちゃんがニコニコしながら見てたなぁ。

にしゃばあちゃんの連れ合い(祖母の父)って人は鉄砲ぶぢなんかばっかりやってで、ちっとも働がない人でな
にしゃばあちゃんが一人で豆腐作って、売り歩いて、子どもを育てあげたのさ。
にしゃばあちゃんは大した偉い人なんだ。
そんなだから暮らしは楽じゃなくて、イチおば(祖母の姉)とばあちゃんがすすんで身を売ったのさ。
あいづらには助けらっちゃって、にしゃばあちゃんはよお~ぐ言ってだ。


 そうだったのか。そういう時代だったのだ。
 それぞれの人生があり、絡み合って、次の世代へと受け継がれてゆく・・・
 母の昔話を心に刻もうと思う。 





2017 立春

2017年02月04日 | チエの玉手箱
父は土曜日に亡くなったので七日ごとの忌日は金曜日になるが、仕事があるので墓参りは土日に実家を訪問した際になってしまう。
二七日の翌日、墓参りに訪れるとお寺の境内にあるロウバイが咲いていた。

よく見ると、梅のつぼみもだいぶ膨らんでいる。



ああ、今日は立春だと思い出す。
暖かな日差しの中、空の色も春色になっていた。

世帯主が亡くなるとややこしい手続きがたくさんあって、まだまだ落ち着かない。

(2017.2.14アップ)