チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

ようこそ! チエちゃんの昭和めもりーずへ

はじめての方は「チエちゃん」のカテゴリからお読みいただくことを推奨しています。 もちろん、どこからお読みいただいてもかまいません。

第105話 こっくりさん

2007年08月30日 | チエちゃん
 2学期が始まったばかりの放課後の教室で、女の子たちが1つの机を囲んで、何かヒソヒソと話をしています。
教室に残っているのは、チエちゃんと彼女たちだけ、他には誰もいません。

 何してんの?

 チエちゃんは、犬だから、ダメ!
 こっくりさんが入って来れないから、あっちに行ってて!

 そうか! みっちゃんたちは、こっくりさんをやろうとしているんだ!
 チエちゃんは早生まれの戌年生まれ。お友達は皆このことを知っていて、こっくりさんをやる時には、チエちゃんを仲間に入れてくれません。

 「こっくりさん」、皆さんも、一度はやってみたことがあるでしょう。
こっくりさんの正体は、どうやらきつねであるらしく、きつねは犬が嫌いなんだとか・・・
近寄るなと言われれば、近づいてみたくなるもの、見るなと言われれば、見たくなるもの。
 みっちゃんたちは、ノートを破いて、紙面の片側に数字、もう片側にはあいうえおの五十音を書き、上方には、「はい」「いいえ」を書きました。(何処かに鳥居もあったような・・・)
その破いたノートの真中に10円玉を置き、3人ぐらいが人差し指をその上に軽く乗せるのです。

 儀式が始まりました。

 こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください

 もし、おいでになられましたら、「はい」へお進みください

すると、あら不思議! 10円玉はゆっくりと「はい」の方へと進んだのです。
後で聞いてみると、誰も力を入れている訳ではないというのです。
ただ、10円玉に指を乗せているだけなんだと。どうも、怪しい!

 こうして、呼び出したこっくりさんには、大抵、好きな男の子の想い人などを尋ねる訳ですが、チエちゃんもできることなら、マサキ君の想い人を尋ねてみたいのでした。
 こっくりさんに質問をした後は、丁寧にお礼を述べ、「どうぞお帰りください」と帰っていただくのです。
この儀式を忘れてしまうと、とんでもない事になるらしいのです。
 こっくりさんは、単に迷信と片付けることのできない、危険な遊びのようです。

 

第104話 すいか

2007年08月27日 | チエちゃん
 チエちゃんの家では自家用に西瓜を栽培していました。

今でこそ、スーパーに並ぶ西瓜に当たり外れはなく、どれを割ってみても、中味は甘く真っ赤に熟れています。

 あの頃、チエちゃん家で採れた西瓜は当たり外れが激しく、大きな玉にお母さんが包丁を入れるその脇で、期待を持って見守っていると、パリンと割れたその西瓜は、以外にも中身は真っ白、或いはほんのり赤味が付いただけというようなことがありました。味はむろん、大根をかじる方がマシというものでした。

 西瓜は瓜の仲間ですから、きゅうり、かぼちゃに似た黄色の花を咲かせます。
つる性で、一本の茎に雌雄別々の花をつけます。
雌花は額の下が膨らんでいるので分かります。受粉すると、小さな西瓜玉ができ、どんどん大きくなっていきます。

 時々、畑に西瓜を見に行っては、いつになったら食べられるのかとおばあちゃんに聞くのですが、「先のつるが枯れないうちは、まだ熟していない」と教えられ、今度はつるが枯れたかどうかを見に行くのです。
 おばあちゃんは西瓜をポンポンとたたいて音を聞き、「まだのようだ」と言います。
チエちゃんも真似してポンポンとたたいてみますが、熟れた西瓜の音など判るはずがありません。

 そんなこんなで、7月下旬から8月中旬の夏真っ盛りに熟れる西瓜はわずかで、お盆過ぎの涼風が吹く頃になって、ようやく食べられるようになったのです。
それでも、日中はまだまだ残暑が厳しく、井戸の脇の池に入れて冷した西瓜は、お昼寝の後の楽しみなおやつでした。


 ですから、チエちゃんにとって西瓜は夏の終わりを告げるくだものなのです。


           

第103話 甲子園

2007年08月24日 | チエちゃん
2007 第89回全国高校野球選手権大会も、様々なドラマ、感動を残して、佐賀県代表 佐賀北高校の見事な初優勝で幕を閉じました。
 大会初めの頃には、全く注目されていなかったチームが、甲子園に来てから快進撃を遂げ、決勝まで進むことはよくあることです。
また、それが判官贔屓の私たち日本人の心を捉えて、相手チームが強豪であればあるほど、声援を送りたくなるものです。


 昭和40年代のあの頃、チエちゃんの記憶に残る甲子園の名勝負があります。

昭和44年夏の全国高校野球選手権大会 決勝戦
愛媛県代表 松山商業 対 青森県代表 三沢高校 の試合がそれです。

 延長18回、照明の入ったスコアボードに見事に並ぶ0の文字が、激しい投手戦を物語ります。
その日、決着がつかず、翌日の再試合となります。
甲子園史上、稀にみる再試合です。

 チエちゃんの家でも、お父さんをはじめ、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんまで、三沢高校の活躍に、もしかしたら、東北初の優勝校が出るのではないかとの期待に、手に汗握り、テレビに向かって応援をしたものでした。
 特に、野球好きのおばあちゃんは、ロシア人とのハーフである三沢高校エースの太田幸司選手のイケメンぶりに、応援の熱も一層上がるのでした。

 翌日の再試合で、三沢高校は4-2と敗れてしまうわけですが、優勝校の松山商業より、準優勝の三沢高校の活躍は太田幸司投手と共に私たちの記憶に残ることとなったのです。

 いつの時代も、高校球児たちの真剣な眼差し、きびきびとしたプレー、直向きさ・・・
いつの間にか、忘れてきたものを思い出させてくれる・・・


 ちなみに、全国高校野球選手権大会のテーマソング「栄冠は君に輝く」の作曲者、故古関裕而氏の母校、福島商業高校はかつての野球名門高校です。

第102話 夏休みの宿題

2007年08月21日 | チエちゃん
 昭和40年代のあの頃、東北地方のこの地域では、夏休みは7月21日から8月20日の1ヶ月間だけでした。
テレビの子供向け番組は、8月末まで、まだまだ、夏休み!
こんな時だけ、東京はいいな!と思うチエちゃんでした。


 夏休み最後の夜に、明日学校へ持っていく夏休みの宿題をランドセルに入れ始めます。

夏休みの友、(1・2年生なら絵日記)、読書感想文(悪戦苦闘して書いた)、

夏友に出題されていた図画工作作品(これも残り2~3日で仕上げた)、

そして、理科の自由研究。

 やってもやらなくてもよい自由なら、当然やらなかったのに、根が真面目なチエちゃんは「ねばならない」と考えていたふしがあります。

 あれは、何年生のことだったのでしょうか?
「カビ」をテーマに取り上げたのです。
お母さんのサンドイッチ事件がヒントとなった訳ではありませんが、あの時はチエちゃんの発想であったのか、お母さんのアドバイスであったのか、今となっては定かではありません。

 ご飯と食パンを準備し、何もしないそのままのもの、指で触ったもの、水を少し掛けたもの、というようにいくつかサンプルを用意し、味噌や糠味噌のある納屋へと置きました。

 さて!早くカビが生えないものかと、1日目、2日目は、頻繁にのぞいて見たものの、あとは「チエ来て見ろ!こんなにカビが生えたぞ!」と言われるまで、見向きもしなかったのです。
呼ばれて見てみれば、なるほど、白カビがもっさりとその頭に黒い点々を付けており、所々には青カビや赤カビも発生していたのでした。

 そして、肝心の自由研究はお母さんの記録を基に「私、書くだけの人」を見事に演じ、完成したのでした。

 そんな自由研究が金紙などをもらってしまったとなっては、どうにも、後ろめたい想いのチエちゃんなのです。


 ところで、マサキ君は、この自由研究出品の常連で、もちろん、いつも金紙。
マサキ君は、一人で研究するのかなあ?すごいなあ!と思うチエちゃんなのでした。

第101話 墓参り

2007年08月18日 | チエちゃん
 お彼岸の墓参りは、おじいちゃんやおばあちゃんと行くことがほとんどでしたが、お盆にはお母さんといっしょに行くことが多かったチエちゃんです。

 おじいちゃんほどではありませんが、欠かせない親戚の墓参りをした後、一番最後にお参りをするのはお母さんの生家(母方の祖父母)のお墓でした。
 そんな時、お母さんはお供え物を上げたり、線香に火を点けたりしながら、感慨に囚われるのか、いつも昔語りをしてくれたものです。


 お母さんの生家は、とても貧しく、何年も葺き替えをしたことのない萱葺き屋根には雑草が生え、家屋はピサの斜塔のように少し傾いでいたように覚えています。
 貧しい家庭というものは、追い討ちをかけるように不幸が続くものです。
お母さんの生家も例外ではなく、次々と病魔が襲いました。

 お母さんの母親(母方の祖母に当る)は、お母さんが小学5年生の時、42歳でこの世を去りました。それからは、祖母が母親代わりとなったのです。
 母親は、病床にあって、自分の死期を悟っていたとみえ、

 父ちゃん(母方の祖父)が、もごせなあ!(可哀想だなあ)

と何度も繰り返しました。

 お母さんの昔語りを聞いたチエちゃんは、お祖母ちゃんが死んだ後、お祖父ちゃん一人ぼっちになってしまい可哀想だなあと思ったんだなあと考えました。

 確かにその通りなのですが、チエちゃんが結婚をして、年齢を重ねた後、もう一度その意味に思いを馳せる時、その言葉にはもっともっと深い意味があったことを悟ったのでした。


 続いて、お母さんの妹が16歳という若さで、あの世へ旅立だったのです。
結核ということでした。
妹は、結核患者特有の透き通るような白い肌をして、それはそれは、きれいな娘であったとお母さんは語ります。
お金があれば、サナトリウムに入って、十分な療養ができたであろうに、貧しいばかりに何もしてあげられなかったと・・・・

 妹と前後して、父親が癌に侵されます。
長い闘病生活の末、チエちゃんが生まれて間もなく、この世を去りました。

 嫁、孫、息子を看取った祖母もそれから、間をおかず、亡くなりました。

 このように貧しく、病の多い家にトシ子叔母さんが、それを承知で嫁に来てくれることを思えば、お母さん自身の幸せなど二の次であったのではないでしょうか。

 お母さんの昔語りの中にのみ生きているお祖父ちゃん、お祖母ちゃん、叔母さんに想いを馳せ、今年もお墓に線香を手向けたのでした。


追記:方言「もごい」「もごせ」の意味には、可哀想のほかに、むごい、愛おしいなどのニュアンスも含まれます。



100話達成記念!特別企画

2007年08月15日 | チエの玉手箱
特別対談  チエちゃん  チエ

第100話 お盆」も見てね! 

> チエちゃん 
「チエちゃんの昭和めもりーず」100話達成、おめでとう!

> チエ 

ありがとう。それにしても、早いよねえ。
このブログを始めた頃は、他のブログを覗いてみては、みんなずーっと続けていて、
スゴイナー 私にもできるんだろうか?と思ってました。
チエも、よくぞ100話も書けたもんだ。エライ、エライ。

チエちゃんは、100話の中で、どれがお気に入り?

> チエちゃん 

そうだなあ、やっぱり記念すべき第1話「テレビが来た!」かな?
それから、第76話「お母さんのサンドイッチ」、第85話「打算」
あと、初期の頃の第13話「となりの席のみつおくん」。

> チエ 

わかる、わかる。
チエは、初期の頃のお話がいいなあ。一生懸命書いたもん。

読者の皆さんは、気付いてるかもしれないけど、
「チエちゃんの昭和めもりーず」は、私の母に捧げる物語なんだよねえ。
ほら、よく本で「○○へ捧ぐ」ってあるでしょ。アレです。
私を産んでくれて、ありがとうって、ことかな?
その意味では、第95話「どうして?」は、一番書きたかったことです。
始めた頃から、温めていたお話です。

> チエちゃん 

へえ~、そうなんだ!お母さんへの感謝の物語?

それじゃあサ、書く時、勇気がいったお話ってある?

> チエ 

あります、あります。
おじいちゃんの話。あれは、恥っていうか、やっぱ、すごい物語だからねえ。
その割りに、スラスラ書けました。
それから、第86話「恋話」、だって、今まで誰にも話したことなかったもん。
顔の見えないブログだから、書けるのかもしれませんね。
おそろしきは、ネットかな? 

> チエちゃん 

気に入らない、うまく書けなかったって、物語は?

> チエ 

それは、ありすぎて・・・  
いつも、こんなんでいいのかな?
よく、恥ずかしくもなく、発表できるなって。
チエちゃんは、チエに今後どんなこと書いてほしい?

> チエちゃん 

思いつく限り書いてほしいけど、そろそろヤバイんじゃない?

> チエ 

あ! わかってた? そろそろヤバイ感じ。
だから、これからは、中学生・高校生、もしかしたら大人のチエちゃんも登場するかもしれない!

> チエちゃん 

いいんじゃない!
読者のみなさんは、いかがでしょう?

> チエ 

なんだかんだ言って、「チエちゃんの昭和めもりーず」は、
ここに私というひとりの人間がいますよ~
って、言いたいらしいです。
それから、たくさんの方とお友達になれたことを本当に感謝しています。

> チエちゃん、チエ

では、この辺で、今日の特別対談は終わりです。
「チエちゃんの昭和めもりーず」は、ここに来てくださる皆様のコメントに励まされて、書き続けています。

これからも、よろしくお願いいたします。




第100話 お 盆

2007年08月15日 | チエちゃん
 月遅れのお盆を迎えています。

 チエちゃん家でも、13日には先祖の霊を迎える迎え火を、おじいちゃんが庭先で焚いたものでした。

 12日か13日に、おじいちゃんとお父さんは先祖の霊を迎えるための盆棚を作ります。チエちゃん家では、仏壇のある真中の座敷に作っていました。

盆棚の周りには、縄を張って、ヒバ(?)の葉とほおずきを交互に挟んで、飾ります。棚の中央奥には仏壇からお位牌を移して、安置します。
それから、家で採れた桃や蓮の花の落雁、水などをお供えします。

 また、お盆には特別のお供えもします。
なすときゅうりを賽の目に刻んだものを本当は蓮の葉ですが、代用のふきの葉に載せてお供えします。
合わせて、きゅうり、なすに割り箸などを刺して、足をつけ、馬と牛を作り、これもお供えします。
これは、先祖の霊がこの世に帰る時は「きゅうりの馬」に乗って、一刻も早く来れるように、また、あの世に戻っていくときは「なすの牛」でゆっくり戻れるようにという意味があるのだそうです。

ろうそくやお線香、線香立ても準備し、花瓶に花を挿します。

最後に、盆棚の前に、盆提灯を下げます。


 こうして、迎えた先祖の霊、亡くなった人の魂は三日三晩、その家に留まるのだそうです。

 あの頃、チエちゃんの家のお位牌は、幼くして亡くなったお父さんの兄妹でした。
この人たちにチエちゃんは実際に会ったことはなく、いまひとつピンと来るものがなかったのですが、おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなってからは、お盆が、故人を懐かしみ、生きている私たちの魂を癒してくれる大切な行事となっています。

16日の夕刻には、賽の目に切ったなすときゅうりを葉っぱで包み、お米、そうめんなども包んで、お供えしていたなすの牛に括り付けます。あの世へのお土産です。
それをサラシ川に納めに行くのです。
その後、庭先で送り火を焚いて、お盆の行事は終わりを告げるのでした。


追記:次のページに100話達成記念企画があります。ご覧くださいませ。

第99話 冷し麺

2007年08月12日 | チエちゃん
 チエちゃん家には、夏の定番めん料理「冷し麺」があります。
これは冷し中華のパクリ、代用料理なのですが、おじいちゃんのオリジナル麺です。

 あの頃、生の中華麺は市販されておらず、手に入れることが難しかったため、中華麺の代わりに冷麦を使い、和風のたれをかけていただく、冷し中華もどきをおじいちゃんが考え出したのです。


冷麦は普通に茹で上げます。水で洗い、よく冷して、ざるにあげ、水切りし、お皿に盛り付けます。
その上に、きゅうりの千切り、錦糸卵、ハムまたは焼豚など、お好みの具をのせます。
アクセントにトマト、わかめなどをトッピングします。

 秘伝(!?)和風オリジナルのたれは、1人前
砂糖、酢、醤油、水、各大さじ1を混ぜ合わせ、コショウ少々を入れたものです。
お好みで、ごま油、ラー油を入れてもよいでしょう。

 チエちゃん家では、家族中でこの冷し麺が大好きで、食の細いおばあちゃんもおかわりをしていたくらいです。たれには、油系が入っていないので、必ず錦糸卵を入れることが、ポイントです。

 おじいちゃんの味は、お母さんに受け継がれ、お母さんからチエちゃんに伝わったはずなのですが・・・・・

 秘伝(!?)だれの割合をそれぞれ1:1と教わったのに、微妙なさじ加減で、なかなかおじいちゃんの味に近づけないのでした。

 ちなみに、写真は本日の昼食です。


第98話 夕 立

2007年08月09日 | チエちゃん
 夏の午後、突然にやって来る夕立をチエちゃんは何となく趣き深い気がして、嫌いではありませんでした。

 東南の空に浮かんでいた入道雲が、いつの間にか黒い雨雲に覆われ、サワサワと涼しい風が開け放った窓から入ってきます。

 こりゃあ、一雨来るぞ!

そのうち、遠くからゴロゴロと雷鳴が聞こえ出しました。

 お母さんは、慌てて、洗濯物や土用干ししていた衣類などを取り込み始めています。チエちゃんも、お手伝いをして、洗濯竿を軒に入れました。

 ますます、辺りは暗さを増し、ポツポツと雨粒が落ちてきました。
開けきっていた縁側廊下の戸をガラガラ、ピシャッ、ガラガラ、ピシャッと閉め、二階の窓、チエちゃんたちの寝室の窓など、大急ぎで閉めに廻ります。
 最後の1枚を閉めた途端に、ザーッと激しい雨が降り出しました。

 フーッ、間に合った!!!

と思う間もなく、稲妻がピカッと走り、思わず両耳を手で塞ぐチエちゃんでした。

 ピカッと光ってから、雷鳴がするまで、10を数える間以上あれば、まだ遠い。
おばあちゃんが教えてくれたことを思い出しながら、10、数えます。
まだ、大丈夫。

いつの頃からか、雷様がおへそを取りに来るなどという話は大人が作り上げた迷信だと知っても、突然、停電となり、稲妻が走る様子を見れば、雷が落ちる恐怖を感じたものでした。
 また、このまま夜まで、停電が復旧せず、ろうそくの明かりで、夕飯を頂いたことも、いとをかし の夏の夜でした。


 

第97話 川遊び

2007年08月06日 | チエちゃん
 万葉の昔、チエちゃんの村に養蚕を伝えたというお姫様が、織り上げた生地を川に晒したことからその名が付いたサラシ川。
不動様の近くには、その場所とされるサラシ岩がありました。

 大きな岩が川を堰き止め、水は岩と岩の間を滝のように流れています。
大昔、大洪水のあった時に流されてきた巨岩でしょうか?


 チエちゃんは水が苦手で、夏休みのプールをほとんどサボっていたのですが、このサラシ岩での川遊びは、また別ものでした。
中の子ども達が集まって、川遊びを楽しんだものです。
浮き輪に入って、緩やかな川の流れに身を任せたり、ウォータースライダーよろしく、岩と岩の間の水の流れに乗って、小さな滝つぼまで滑り下りたりしたものでした。

 また、巨岩の下流は広い浅瀬になっており、男の子たちは、木枠の底にガラスをはめ込んだ箱目鏡とやすを使って、魚獲りに興じたものです。
サラシ川にはあの頃、うなぎも生息していました。

 チエちゃんのお母さんは、この浅瀬にかいご様で使ったわらだを洗いによく来たのですが、ある時、弟たかひろ君を連れてきた時、ちょっと目を離したすきにたかひろ君が流されてしまい、二人とも全身ずぶ濡れになりながら、やっとの思いで摑まえたのだということです。

 現在では、川遊びをする子ども達の姿もなく、白いしぶきを上げて川が流れているだけでなのです。



追記:写っていませんが、画像の上方、奥に不動様があります。